第32話


のけぞりすぎたゆりの身体は後ろの男に背中を押されて元に戻っていた。だが、口は大きく開かれたままだ。

まさか、こんな場所でクーリーフンに良く似た男に出会うとは。しかし、こちらは黒髪に黒い瞳、そして背中の翼は真っ黒である。

「もしかして・・・あなたこの世界の神？」

「そうだよ。神の一人。名前はゲイル。僕に抱かれて昇天しない女はいないよ」

ゲイルはおいでおいでと手を振っていた。

周りからは「きゃー」とかいう女の黄色い悲鳴が上がっている。

「あの、私はいいからあの人達の相手してあげたら？」

ゆりが引きつった顔で言うと、

「後でね。君が先」

ゲイルは笑顔で答えた。

ゆりの後ろにいた人たちは、「ほら、早く行きなよ。名誉なことだ」などと言ってゆりをせかしている。

「あの、でもあなたって子供じゃないの？私はもっと育った方が・・・」

ゆりがやっとの思いで言うと、

「しょうがないな・・・」

といいつつ男はまた姿を変えた。先ほどまではあどけない顔をしていたが、今度はどこから見ても青年である。ゆりは再びのけぞっていた。

周りからはまた悲鳴が上がっている。

「この姿になると女がうるさすぎて困っちゃうんだよ。さ、早くおいで」

ゲイルからはなんともいえない色気が発散されているようだった。女もうっとりしているが、男達もだらしない顔をしている。

たまりかねた若い女が一人、ゲイルに近づいていた。

「ゲイル様、我慢できません！」

ひしっと抱きついてきた女の身体にゲイルは右腕を回し、顔を寄せて口付けていた。すると「ああん」と女は悩ましげな声をあげて地面にずるりと崩れた。

「私も！」

「私も！」

わらわらと女達が近づいて行った。


あれ？今のうちに逃げれるかも？


ゆりは周りがぼんやりしているうちに身を低くして逃げていこうとした。人垣を超えて走っていこうとすると、目の前に男が立ちふさがった。

ゲイルである。

「あれ？女の人達は？」

「みんな昇天したよ」

振り返ると女達は皆地面に倒れていた。しかも皆至福の表情を浮かべている。


いかせるのはやっ！



ゲイルはすっとゆりに近づいてあごをなでた。

「おかしいな。この姿を見てまだ逃げるとは・・・僕に抱かれたいだろ？」

「はい、いえ、いいえ」

ゆりは命いっぱい本能を抑えて横に首を振っていた。

ゲイルはちょっといぶかしげにゆりを見ている。ゆりは実際身体がちょっと、いやかなりその気になっていた。しかし理性で押しとどめている。

これも本物のクーリーフンに出会っていたからだろう。でなければとてもじゃないが目の前の男には逆らえそうにない。

近くにいると色気でくらくらしそうなほどだ。

「き、聞いてください。ゲイル様、じ、実は、私は恋人を探しにきたんです！」

ゆりは男の気をそらそうと言い出した。

「恋人？」

「そうです。背が高くてたくましくて、緑と黒がまじった髪の人。この世界に来たようなんですけど、ゲイル様ご存知ありません？」

ゆりはちょっと甘えるように聞いてみた。男を怒らせないようにと必死である。

「さあねえ。誰か、知ってる？」

ゲイルは街の人達に聞いた。すると、男が一人歩み出てきて、「知ってますよ」と言った。

「え？ほんと？」

「ちょっと前に街にきてましたよ。ファリーヌ様が連れて行きましたよ」

「ファリーヌ様って？」

ゆりはゲイルに聞いた。

「僕の母さ。僕の母はたくましい男が好きだからね。つまり君の恋人は、もう僕らの仲間になってるってことだよ」

ゲイルはにっと笑って言った。


それって・・・・もしかして黒いガーベラ？

ガーン・・・・


ゆりはもう終わりだとばかりにへなへなとその場に座り込んでいた。

「それにしても・・・恋人を追ってきたなんて・・・君ってすごい勇気だね。いや、驚いた。すごいよ」

ゲイルはすっかり元の普通の姿に戻って拍手していた。背中から黒い翼も消えている。

「それならそうと早くいいなよ。せっかくだから最初は恋人にしてもらえばいい。ここで一緒に暮らせばいいよ」

「いえ、私の望みは彼と一緒に帰ることなんです」

ゆりは泣きそうな顔をしていた。

「彼はもう僕らの仲間だ。仲間になったらここから出ることはできない。それにさ、この世界だって悪くないよ。むしろいいところだ。

３人でここで仲良く暮らせばいい」

「３人って？」

「君は妊婦だろう。ここで赤ん坊が産まれるとはめでたいことだ」

ゆりはあんぐりと口を開けていた。

まさか、赤ん坊はあちらにいるとばかりに思っていたが、赤ん坊まで二つに離れてしまったということなのだろうか。

「出産の女神がいないせいか、ここでの妊娠率はほんと低くてねえ。妊婦が来るなんてこともそうはないし、だから君は特別に君の望み通りの暮らしをここで

させげあげるよ」

「あの、とりあえず、恋人に合わせてほしいんですけど」

「いいよ」

ゆりは崩れ落ちそうになるのをこらえて立ち上がった。


なんとしても向こうに帰らなければならない。王様の子供をここで産むわけにはいかない。


「さあて、どこにいるかなあ・・・あ、いたよ。あの男だろう？」

「え？」

通りの向こうから歩いてくるのは確かにイシュタールだった。その横にはストレートの長い黒髪の女がいてイシュタールの手を引いていた。


やっぱり黒いガーベラだ・・・・


髪こそは違うが、その顔はガーベラの美貌にそっくりだった。胸元が開いた黒いドレス、身体の線にそったドレスで、横は太ももからスリットが入り、

歩くと美しい足があらわになっていた。スタイルも抜群にいい。やはり凄まじい美女である。先ほどのゲイル以上に色気を発散している。

通りにいる男達がよだれをたらさんばかりに女を見つめている。

イシュタールはぼんやりしてゆりに気づくこともない。


もうだめだ！イシュタールは黒ガーベラ抱いちゃったんだ！もうだめだあ！


ゆりは悔しさのあまり拳を握り締めて涙を流していたのだった。


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