第33話

ようやく出会えたイシュタールはガーベラに良く似た女に手を引かれ、意識もうつろだった。

悔し涙を流したゆりは、きっとゲイルを睨みつけた。

「ずるい！こんな最強美女に出会っちゃったら、そりゃその気になっちゃうに決まってるでしょ！ずるいずるい！」

一体何がずるいのか、ゆりは自分でもわかってはいなかったが、今は怒りがこみ上げていた。

「こんな所に集まって何をしているの？」

黒ガーベラ、ファリーヌが皆を見回して言った。

声はまったくガーベラに似てはいなかった。だが、妖艶さでいったらこちらが上かもしれない。声もつやっぽい。

ちらりとゆりを見下ろしたゲイルは、ファリーヌに顔を向け、横にいるイシュタールを見た。

「なんだ、まだなのか。てっきりその男をとりこにしたのかと思ったけど」

「この男、かわいいから取り巻きに加えてあげようと思ったのに、残念ながら男色だったわ。忌々しいから意識を奪ってやったの」

ファリーヌが面白くなさそうな顔で言った。

「男色？」

ゲイルは眉をひそめていた。

「そんなわけないよ。だって、彼には奥さんもいるし」

「え？」

ゲイルはちらりとゆりに視線を向けて、ファリーヌも座り込んだままのゆりを見下ろした。

黒い瞳に見つめられると、ゆりは背筋が寒くなるような気味の悪さを感じた。

「この子は夫を追ってここに来たんだよ。その男が夫」

ファリーヌはゆりからイシュタールに視線を移した。美しい顔が怒りのせいか微妙にゆがんでいた。周りにいた連中がちょっと後ずさっている。

ゆりはよく状況が分かっていなかった。二人のやりとりがうまく頭の中に入っていかないのだ。

「なんですって？そんなはずはないわ。でなければどうして――」

「君らは二人とも僕らの誘惑を交わしたということか。これは興味深いな」

「二人とも？」

ファリーヌがいぶかしげに聞いた。

「この子も僕の誘惑を交わしたんだよ」

ゲイルは手でゆりを指した。

「あら、こんなブサイクな女を誘ったの？」

ファリーヌの言葉にゆりは「ん？」と反応していた。


今何か珍しい言葉を聞いたような・・・ブサイクって・・・


「どういうことなんだろう・・・」

ゲイルはファリーヌの言葉には反応せずに、首をかしげている。

「妻がいようがいまいが、私の誘惑を交わせるはずはないわ。しかもこんなブサイクな女が妻なんて」

「ちょっと待ってよ」

二度目になるとゆりは黙っていられなかった。すっと立ち上がり、スカートについた砂を手でパンパンとたたいて払い、ファリーヌに向き合った。

「あなたさっきから何よ。ブサイクブサイクって。結局どういうこと？イシュタールにまだ何もしてないってことなの？」

ファリーヌを見てもこちらを睨んでいるだけなので、ゆりはゲイルを見た。

「まあそうだね。まだ君と同じだね。だが君よりは我々にかなり近いけどね」

「じゃあイシュタールは返してもらうわよ」

ゆりはすたすた歩いていき、イシュタールの右手を握り締めた。

「イシュタール、こっちに来て、イシュタール」

ゆりは思いっきり手を引っ張ったものの、イシュタールはこちらを見ようとはせず、足もぴくりとも動かなかった。

「イシュタール、しっかりして！」

「無理よ。意識を奪ってるもの。男色じゃないのなら、後でまた誘惑してみましょう」

「それこそ無理よ。イシュタールは私を愛しているから！」

「愛？」

ファリーヌは口元に手を当てて、「ホホホ」と笑い出した。

「愛なんてものはもろい蜃気楼のようなものよ。どんな男でも私を見ればその気になるわ」

「でもイシュタールはならなかったじゃない」

ゆりがすばやく指摘すると、ファリーヌはうっと言葉を詰まらせていた。

「だから私がイシュタールを連れて帰るの」

ゆりは力を込めてイシュタールを引っ張ったが、イシュタールはてこでも動かない。ゆりは身体をそらせて引っ張ったがだめだった。

「どうやってつれて帰るの？どうやってこの世界から外に出ようと思ってるの？」

ファリーヌはせせら笑うように聞いた。

「道なんてないのよ。あなた達はここで死ぬまで暮らすしかないのよ」

「絶対どこかに道はあるわ！」

「ないわよ」

「あるわよ！」

「なら一人でお探し。この男は私の下僕にするんだから」

「させないわよ。なによ！偽ガーベラ！」

ゆりが叫ぶと、周りで見ていた人達がざわっとした。

ファリーヌの口元もわなわなと震えている。やはり、目の前にいるのはガーベラに似て非なる存在だと、ゆりは心の底から感じていた。

妖艶ではあるが、その美はゆりの心に響きはしないのだ。むしろ恐ろしい。

「にせガーベラですって？」

ファリーヌの目つきが鋭くなってきた。

どうやら言ってはならないことを言ってしまったようだとゆりは気づいた。

「ガーベラ・・・あの忌々しい女より私のほうが美しいわ。私のほうが――」

ファリーヌの手が伸びてきてゆりが身をすくめた時、ゲイルの手がファリーヌの手を遮っていた。

「おどき。この女は八つ裂きにして家畜のえさにしてやるわ！」

「まあまあ落ち着いて。もしかして、君達はガーベラを見たことがあるんだね？それなら納得だよ。ガーベラを見た人間には、僕らの誘惑は弱いんだ」

「あの女に私が負けるはずはないわ！あの女よりも私のほうがずっと美しいわ！」

「そうだね。そうだね。君、五体満足でいたかったら、もう二度とそんなことは言わない方がいい」

ゲイルはファリーヌをなだめすかしながらゆりに言った。

「私はこの世界から出たいのよ！」

「来た以上は出る方法はないんだよ。この世界の物を口にすれば、君らはもう完全に我々の仲間だ。飲まず食わずでいられるのは一日か、

我慢して二日だろ？せっかく快楽と共に仲間にしてあげようと思ったのに。僕の親切を受け入れればよかったのに」

「逃げ道は探すわ」

ゆりはかたくなだった。

「ならこの町を出て行くかい？言っておくが、闇の王の結界は、各町にしかないよ。外の世界は怖いよ。恐ろしい獣もいっぱいいる」

「それでも、出るわ」

ゆりはもう一度イシュタールの腕を引いた。

「イシュタール、一緒に行こう」

「行くなら一人でお行き」

ファリーヌが冷たい瞳を向けていた。

「イシュタール！」

ゆりは両手でイシュタールの腕をぎゅっとつかんだ。その時、イシュタールの身体がびくりと痙攣し、目をぱちぱちさせたのだった。

「イシュタール！」

「え・・・王妃？」

イシュタールはしっかりとゆりを見ていた。だが、ひどく戸惑っている様子である。

「意識が戻ったのね！」

「一体どういうこと？」

ファリーヌは信じられないといった様子だった。そして、ゆりの右手の指にはめている指輪に気づいた。

「その禍々しい物は何？おのれ、神の力を借りたわね！」

「え・・・」

ゆりはイシュタールが戻ったのは指輪のおかげだと気づいた。

ファリーヌは怒りの形相で右手を振り上げ、状況を完全に把握できていないイシュタールはとっさにゆりをかばうように立っていた。

「これからあなたは新しい生活を送るのよ。もうそんな女のことは忘れなさい」

ファリーヌはイシュタールを傷つける気はないようだ。イシュタールには優しげに言っていた。

「お母さんってば、司祭達は命がけで仲間を増やそうとしてるんだから、殺しちゃだめだよ」

ゲイルが再びファリーヌをたしなめるように言っていた。

「殺さないわよ。右手を切断するだけよ」

「だめだってば」

「じゃあ指一本くらいなら」

「だめだめ。妊婦は大切にしないとね。子供が流れると困るだろ？」

「ぐぐ・・・」

ファリーヌは悔しそうに拳を握り締めていた。どうやらこの女性に意見できるのはこの場ではゲイルだけのようだった。

周りにいる人たちは遠巻きに見ているだけである。

「君、ここから出たいというのなら、君が納得いくように町から出てみればいい。だが、一つ忠告しておくよ。『命は大切に』死ねばそれまでだ。

町に戻りたくなったら闇の王に慈悲をこうんだよ。ここも、そう悪い場所じゃない」

「わかったわ。ありがとう。行こう、イシュタール」

ゆりはゲイルにだけお礼を言って、イシュタールの手を引いた。

「は、はい」

イシュタールはゆりに手を引かれ、二人はそのまま町の外に向かったのだった。



「神の助けでここから出るかもしれないわよ？」

二人が去った後、ファリーヌが忌々しげにゲイルに言った。

「すぐ戻ってくるよ。町の外はそう甘くはない」

「あなたは甘すぎるわよ。あの女、戻って来て子供を産んだら絶対、私の下女にしてやるからね」

ファリーヌはふんと鼻をならして、去って行った。

「やれやれ、元気なうちに戻ってくればいいけどね」

ゲイルは軽く両手を広げてその場を去り、周りにいた人達も散った。


やがて、真っ黒な城からゴーンゴーンと低い鐘の音が響き渡った。その音が聞こえてくると、通りにいた人々は一斉に城に向かって両手を組み、

目を閉じてうなだれた。闇の王への祈りの時間が始まったのである。


ゆりとイシュタールはその鐘の音を聞きながら、町の門から外に出たのだった。



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