第37話

眩しい光を感じてゆりは目覚めた。一体どれほどの間眠っていたのか、さっぱりわからない。

上体を上げて周りを見た。

何もない空間にぼんやりと光が満ちている。そこに、もう一人の自分もいた。

もう一人の自分も真っ白な袖のある服を着ている。どうやら同じような時に目覚めたらしい。

「「あ……」」

お互いに何か言おうとした時、空間に光が満ちて、二人は眩しげに目を細めた。

「だいぶ回復したようだな」

声が聞こえてきた。ぞくりとするほどの魅力的な男の声である。神々の長アシュランがどうやら直々にやってきたようだ。

二人のゆりは眩しさのあまり目を開けることもできなかった。

「ちょっと調節するか、これくらいならどうだ？」

光が少し収まり、二人はようやく目を開けた。

やはりアシュランである。金色の衣に金色のマント。瞳の輝きといい、輝きまくっている。

ガーベラで見る時よりも、迫力を感じる。

ゆりは思わず正座していた。

「こ、このたびは助けていただきありがとうございます」

そして丁寧に頭を下げた。

もう一人のゆりも同じようにしていた。

「助けられるとは幸運だったな。すっかり回復したら、元の世界に戻るといい」

「ありがとうございます」

黒目のゆりはまた頭を下げた。

「あの、あの世界は一体何なんですか？」

蛇の目のゆりが言い出した。

「アシュラン様が、あの世界は悪い世界だとこっちの人間に思わせている、とかなんとか、あっちの人が言ってたんですが……」

黒目のゆりはちょっと青ざめていた。

何も本人に聞かなくてもいいだろうに、アシュランの機嫌を損ねたら、それこそやばいことになりかねない。

「あの、別にアシュラン様を非難するつもりはないんです。真実を知りたいだけなんです」

蛇の目のゆりはフォローするように言っていた。

「まあ、話せばいろいろややこしいし難しい。どっちみち、あの世界での記憶は消させてもらうから、いろいろ答えてやってもいいぞ」

アシュランは不機嫌な顔にもならず言った。

「記憶は消されるんですか？」

「無論」

「なら、教えてください。あの世界のことを」

どうやら蛇の目のゆりとしては、聞かずにはおれないようだ。

アシュランは自分の後ろにでかい椅子を出してそこに腰を下ろし、足を組んだ。

「お前達はこの世界で生まれていないから私の魔法下には入っていないようだ。

確かに、私の世界の人間達は、闇の世界のことについては潜在的に嫌な物だと認識するようになっている。

あまり、移住されては困るし、あちらの勢力が強くなりすぎると、困るからな」

「では、実際には邪悪な世界というわけではないんですね？」

「まあな。だが、あまり愛だの優しさだのを尊重する世界ではない。弱い人間では生きられない世界だろうな。

お前達も無理だと感じたのではないか？」

「はい、そうですね」

蛇の目のゆりが答えた。

「向こうの世界にも、いろいろな神様のような存在がいたんですが……」

「闇の神を慕う神達は向こうの世界にいる。人間の私達に対する信仰が弱まれば、向こうの神々の力が増す。

だから、人間は向こうのことなど考えない方がいい。わかるか？」

「はい」

「では、記憶を消すぞ」

アシュランが椅子から立ち上がった。

「え？もうですか？」

「ああ。向こうのことをあれやこれやと、ここで考えられるのは困る。考えるだけで道ができる。そして向こうの者が入ってくる。

だから記憶は消す。赤ん坊のためにもな」

「わ、わかりました」

アシュランが手をかざすと再び光が満ちた。

二人は光に満たされて、その光が消えた時、アシュランは目の前から消えていた。


「あ、本当だわ。記憶が消えてる！」

蛇の目のゆりは声をあげていた。アシュランと話をしたことは覚えていたが、話の内容も、闇の世界でのこともすっぽり抜けていた。

「それにしても無事帰って来られてよかったー！」

蛇の目のゆりは今更ながらにほっとしていた。

「どうやって助かったのかも全然覚えてないわ」

闇の世界に行ってからの記憶はさっぱりなかった。何か大事なことを忘れているような気がするがなんだっただろうか、とゆりは首をひねった。

「サラディンが助けてくれたんじゃないのかな？」

黒目のゆりが言った。

「サラディン？」

「サラディンとルティアナに助けてって言ったの覚えてる」

「そうだっけ」

黒目のゆりはサラディンとルティアナの名前を呼んだのは覚えているようだ。

「とにかくよかったわ」

「そうね。所で一発殴らせて」

「え？」

黒目のゆりは蛇の目のゆりに近づいて頬をぱしんとぶっていた。蛇の目のゆりは驚きのあまりよける暇もなかった。

「あ。たたいたのに自分の頬が痛い！」

黒目のゆりは自分の頬を押さえていた。どうやら痛みは共有しているようだ。

「いきなりどうしたの？」

蛇の目のゆりは驚いていた。

「どうしたのじゃないわよ。勝手に行っちゃったでしょ！」

「そうだっけ。忘れちゃった」

「まったくもう心配したんだから」

黒目のゆりは頬を押さえながらぶつぶつ言っていた。

「まあまあ赤ちゃんも無事だったしよかった。あ、イシュタールはどこにいるんだろう？」

「近くにいるんじゃないの？」

「そうなのかな？　うーん。何か大事なことがあったんだけどなあ」

蛇の目のゆりはまだ首をひねっていたのだった。



神の国では西の空にアリアスの馬車が駆けていく頃、ハロルドは雲の上の神殿に来ていた。

ハロルドがアシュランの間に行くと、アシュランは椅子に座って頬杖を突いたまま、どこかをぼんやりと見ていた。

「呼んだか？」

ハロルドが聞いてもアシュランは顔を向けなかった。

「おーい、アシュラン」

もう一度呼ぶと、アシュランは顔を向けたものの、なにやらハロルドを睨んでいる。明らかに何か言いたげだった。

「……どうしたんだ？」

「お前、私に秘密にしていたことがあるだろう」

「あん？」

「オルガにもいろいろ頼んだだろ。知ってるんだぞ」

「オルガ？」

ハロルドの顔がちょっと強張っていた。

「助けたのは結局サラディンだったがな。いや、ルティアナのお手柄のようだが。随分気をもんだんだろ？」

「…………」

ハロルドは無言だった。どうやら、話の話題はゆりのことについてのようだ。闇の世界から助け出された二人、いまや神の国では

知らない者はいないほどだった。

「おまけにお前が大事にしていた犬まで犠牲にして。どこがそんなに気に入ったんだ？」

「……面白い所だ」

ここでしらばっくれても仕方がない、とハロルドは白状するように言っていた。だが、アシュランが一体どこまで気づいているのか、

ハロルドにもわかりかねた。

「面白い所か。確かに面白いかもな」

アシュランは頬杖をついたまま言った。

「…………」

「…………」

お互いに、相手の出方を伺うような沈黙があった。

「あの犬、かわいがってたのになあ。泣いたか？」

「え、いや、そこまでは……」

「なんだ。つまらん」

「ん？」

「もう行っていいぞ」

アシュランは追い払うようにしっしと手で払っていた。


なんなんだ。一体……


ハロルドは首をかしげつつアシュランの間を出た。

戻ってこないだろうとわかって行かせたのだ。今もあの犬に対してすまないという気持ちはあった。

もっと他のやりようもあったのかもしれないと、後悔もしていた。あの犬がいなくなったことを知らないキュリアとジェイクには

「あの犬最近見ないね」と言われる始末だったが、「もういない」と、ハロルドもさすがにいえなかった。

ハロルドはそこでふと疑問に思った。


アシュランははぜ犬のことを知っていたのだろう？　犬の死骸はあの二人と一緒になかったはずだが……


廊下を歩いていると「キャンキャン」と子犬の鳴き声が聞こえてきた。そして廊下を走ってくる子犬がいた。

「キャンキャン！」

子犬はせわしなく尻尾を振りながら自分に近づいてきた。

ハロルドは子犬を片手で抱き上げた。すると子犬はうれしそうに鼻をならしてハロルドの頬をべろべろなめてきた。

金色の毛並みの子犬である。

「お前は……」

この犬の魂の輝きは、あの犬の魂に似ていた。いや、同じだといっていいほどである。

「あの女性が一緒に魂を持っていたようですよ。アシュラン様が再び身体を与えてくださったんです。よかったですね」

ハロルドの後ろからグレンがやってきた。

「そうか。お前、帰ってきていたのか」

「キャン！」

犬はそうだといわんばかりに興奮して尻尾を振っている。

「そうか……」

ハロルドは犬を抱いたままアシュランの間に戻ったが、すでにアシュランの姿はなかった。

「そうならそうといえばいいのに……なあ」

「キャンキャン！」

「こう小さいとキュリアが喜びそうだな」

ハロルドはちょっとうれしそうに神殿を後にしたのだった。



「何が面白いだ、面白いどころじゃないだろう……」

ぶつぶつつぶやいていたのはアシュランだった。アシュランは今小さな雲に乗り、空を漂いつつ寝そべっている。

アシュランはゆりの記憶を消す際、ちょっと過去ものぞいてしまった。

そしてぎょっと驚く事実も知ったのだった。

まさかと思ったが、ハロルドの思いいれの強さを思えば納得できることでもある。

「まったくガーベラのやつめ……だがハロルド以外は気づいていないのか？　……それは面白いかもな」

神々の長い人生を思えば一時のことである。口に出すと罰せぬわけにはいかなくなる。ここは知らないということにしておく方が

いいだろうとアシュランは結論づけた。


雲はそのまま空を漂い、やがて空には無数の星がきらめきだした。

「あいつめ、喜んだかな？」

アシュランはハロルドの喜ぶ顔を想像し、にやりとしたのだった。



つづく

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