第40話
ベッドの上にはぐでんととぐろを巻いている金色のでかくて長い蛇がいた。ハザークである。
寝室にやってきたラギは、両手に持っていたバラクの板をハザークに見せた。
「ハザーク様、たまには僕とバラクしません？」
ラギはにこっと笑ってみせたが、ハザークは無反応だったので、ラギはとぼとぼと隣の部屋に戻った。
「やっぱりだめだよ」
部屋にはアナスターシャ、シス、ナナミ、侍女のひざにのっているミシェイラがいた。
「じゃあ次は私！」
アナスターシャは意気揚々と寝室に向かい言った。
「ハザーク様、私とお酒飲みません？ いいお酒があるんですよ。２００年前のお酒！ おいしいですよ〜」
ハザークは顔をちらりとも動かさない。
「こうなったら古代叙事詩を歌います」
歌おうとしたアナスターシャは、シスに引きずられて部屋に戻されていた。
「歌ったら寝ちゃうじゃない」
「っていうか、今寝てるんじゃない？ ハザーク様」
「いや、起きてらっしゃるよ」
とラギ。
「次、私が行く！」
次にナナミが寝室に向かい、しばらく帰ってこないのでラギが様子を見てみると、ナナミはベッドに乗って寝ていた。
「だめだ」
「ナナミったら、もーこうなったら、ミシェイラ、パパを慰めてあげて」
アナスターシャはミシェイラを抱き上げて連れて行き、ミシェイラをハザークのベッドに下ろしてみた。
ミシェイラは「パパ、パパ」とハザークの胴体をたたいている。
「パパ、……」
ミシェイラはナナミとハザークの間に入り込み、やがて横になって寝てしまった。
「寝た……」
アナスターシャはがくりとうなだれて部屋に戻った。
「しょうがないよ。あの二人はベッドを見ると条件反射で寝ちゃうんだよ」
シスが苦笑まじりに言った。
「『ハザーク様を元気にしよう作戦』は失敗かあ」
アナスターシャは部屋のソファに座りこんだ。
ゆりがいなくなってからハザークはずっと元気がない。巻貝でゆりの声を聞いたのだが、それでも元気にならないのだった。
最初にシスが「僕と庭で散歩でもしましょう」と誘ってみたが、まるでだめだった。
「すいませんねえ。ハザーク様は最近ずっとああで……」
と侍女が申し訳なさそうに言った。
「母様の声を聞いても元気にならないなんてね」
「王妃の元気な姿を見なければ、だめみたいです」
侍女も覇気がない日々である。
「王妃様、いつお戻りになるのでしょう」
「さあ、年内だといいねえ」
とラギ。
「よし、次は神様にお祈りを捧げよう！ 行くわよ！」
「失礼します」
「二人をお願いします」
３人は消えた。最近はすっかり信仰に篤くなり、毎日神に拝んでいる子供達である。
「王妃様、早くお戻りくださいな」
侍女は頼むように告げて、ため息をはいたのだった。
神の国では、ゆりは相変わらず泉で横たわる日々だった。起きている時間は日々長くなっているようだが、時計がないので
自分ではよくわからない。泉には結構様子を見に来る神々がいて、話をするのも楽しいものだった。
というよりも誰も来ないと暇でしょうがないのである。
今日はダーナがやってきていた。ダーナはゆりが意識がない間にも来ていたようで、「だいぶ元気になってよかったわね」と言ってくれた。
ゆりは顔も結構動かせるようになっていたので、泉の端に座っているダーナを見ることができた。流れるような金色の髪の麗しい美女である。
久々にダーナの顔を見ることができて、ゆりはうれしかった。
「あのーせっかくなのでダーナ様のお歌が聞きたいです」
そう懇願してみると、
「いいわよ」
とあっさり承諾してダーナは歌を歌ってくれた。こういうところがダーナの良い所である。
ゆりは、（一人で聴くなんて、なんて贅沢なんだろう）と思いながら優しい歌声に耳を傾けていた。
穏やかな優しい気持ちになってきたゆりだったが、感動してつい涙していた。
そしてその涙を指でふいてはっとした。手がかなり動くようになったことに気づいたのである。
やったわ！ 歩ける日も近いわ！
歌が終わり、ダーナは去って行った。
ゆりは命いっぱいお礼を言った。
ダーナ様はやっぱりステキ！
ゆりはしばらくほんわかした気分で水に浮いていたのだった。
その頃、ジンラの神殿の側にある酒蔵では、男の妖精達がお酒の樽を馬車の荷台に運んでいた。
そこにアマンザもいた。一時ダーナと一夜をともにしてかなり大きくなったアマンザだったが、今はその手前のアマンザに戻っていた。
あまりに大きくなってしまったせいでどうも落ち着かず、ある日自然に元に戻ってしまったらしい。
自分では今がちょうどいいようだ。
妖精達が馬車でお酒を運ぶのを見送っていると、ペガサスが飛んできた。地上に降りてきたのはジェイクだった。
「やあ、アマンザ、お酒をもらってもいいかな？ お酒の瓶、３本くらいでいいよ。ちょっと頼まれちゃって」
「いいよ。じゃあ袋に入れてあげるよ」
アマンザは蔵に入って行き、やがて麻の袋に入れたお酒をジェイクに渡した。
「ありがとう」
ジェイクはアマンザを上から下まで眺めて、「やっぱりもったいないなあ」とつぶやいた。
「僕だったら大人になったら絶対元に戻りたくないよ」
「またかい？ 僕を見るたびに言うねえ」
「だってね。また子供になっちゃうなんてさあ」
僕はこれくらいがちょうどいいんだよ。お父さんに似てるのも落ち着かないんだよね。ジェイクだってハロルド様とそっくりだったら
落ち着かないんじゃない？」
「ははは、そうかあ。そうかもね。ところでさ、アマンザは癒しの泉にいる女性は見に行ったの？」
ジェイクの突然の問いに、アマンザは「いいや」と答えた。
「噂は聞いたよ。黒髪の耳が小さい女の人なんだってね」
「そうだよ。後で一緒に見に行かない？」
「え？ 僕と？ どうして？」
「後で迎えに来るよ」
ジェイクはペガサスに乗って飛んで行ってしまった。
アマンザはきょとんとしたままジェイクを見送った。
その女性の噂は聞いているが、アマンザには女性を見に行くほどの興味はわいていなかった。
ジンラもわざわざ見に行ったりはしていないようだ。
日が暮れる頃、ジェイクは本当にやってきた。神殿の中にいたアマンザは、ジェイクに引っ張られてペガサスに乗せられたのだった。
「泉にいる女性、もうすぐ人間界に帰れるんじゃない？ そう聞いたよ」
アマンザはジェイクの後ろに引っ付いている。
「うん、そうみたいだね。だから今の内なんだよ」
「何が？」
「顔を見るのが」
「？？」
アマンザは不思議そうな顔で飛んで行った。
泉から少し離れた所にペガサスを下ろして、二人は森に入って行った。ジェイクは周りを気にしながら歩いている。
「どうしたの？」
「実は、お父さんにばれるとまずいんだ」
ジェイクはきょろきょろしながら言った。
「お父さんに行くなと言われてる」
「なんで？」
「さあ、こっちだよ」
ジェイクは木々の間を入って行き、アマンザも続いた。
「君はお父さんに従順かと思ったよ」
アマンザはひそりと言った。
「普段は逆らったりしないよ。今は、ちょっと事情がある」
「ふうん？」
しばらく歩いていくと目の前の視界が開けてきた。淡い光の筋が上に上がっているのが見える。
「ついたよ」
ジェイクが小さな声で言った。
アマンザはなんだかどきどきしながらも泉に近づいた。泉の中に、女性が横たわっている。
ジェイクはアマンザの反応をうかがうように顔を見ていた。
「……どう？ 何か感じない？」
「え？ 何の話？」
アマンザが聞いた。
「この女性を見て何か感じない？ 僕はちょっと感じるんだよ。この女性がすごく気にかかるんだ」
アマンザは女性を眺めた。じっくり眺めてみたが、ジェイクの言うようなことは感じない。
「僕はそのことをずっと考えていた。うまく説明できないんだけど、懐かしいというか、よく知ってるというか、そういう感情を抱いたんだよ」
「…………」
アマンザは首をかしげていた。泉の中にいる女性は女神ほどの美女、というわけでもない。水の中にいるせいかはっきりとよく顔が見えない
というのもあるかもしれないが。
「姉さんを連れてきたんだけど、何も感じないって言ってた。君ならどうかなって思ったんだよ」
「なんで僕？」
「なんで？ なんでかな、なんとなく」
「いや、僕も別に……」
アマンザが言いかけた時、泉の中から女性が上にあがってきて二人ははっとした。
女性は目をあけてこちらを見た。ちょっと驚いているようだ。
「どうしよう、話しかけた方がいいのかな？」
アマンザは戸惑っている。
「そうだね。こんばんは」
ジェイクが言った。
「こ、こんばんは」
アマンザも続いた。
こういう場合自己紹介をした方がいいのだろうか、とアマンザが思っていたら、
「こんばんは」
と女性の声が聞こえてきた。
「二人ともかわいいね」
「かわいい」と言われて二人は目をぱちくりさせていた。どちらもそう言われて喜ぶ年でもない。
「あなた、僕のお父さん、ハロルドのこと知ってますよね。お父さんがあなたのことすごく心配してたんです」
ジェイクが真面目な顔で言い出して、アマンザは横で驚いていた。
女性はちょっと驚いたようだったが、
「ハロルド様にはよくしていただきました。本当にステキな神様ですね」
と真面目な顔で返した。
「お母さん、ガーベラも心配してたみたいだけど……」
「ガーベラ様もとってもステキな神様ですねー」
女性は微笑んでいる。その時アマンザの脳裏にふっとある言葉が浮かんだ。
「変だと思わずに教えてほしいんだけど」
ジェイクがアマンザを見た。
「変だと思わずに教えてほしいんだけど」
アマンザはもう一度繰り返し、ジェイクは「何？」と聞いていた。
「変だと思わずに教えてほしいんだけど……」
「だから何を？」
アマンザは首をかしげている。
「どうしたの？」
「ふと今の言葉が浮かんだ。どこで聞いた言葉だったかなあ……」
アマンザは顎に手をあてていた。
「ハロルド様とガーベラ様の子供なの？ すごいね！ 将来どんな青年になるんだろう！
すっごく美男子で女性にキャーキャー言われそうね！」
なぜか女性が声を張り上げて言っていた。
「そっちのあなたは誰の子供なの？」
今度はアマンザに聞いている。
「彼は……」
ジェイクが言いかけたとき、「何やってるの？」と声がかかった。
アマンザとジェイクが後ろを見ると、そこにはクーリーフンがいた。
「君までどうしたの？」
クーリーフンはアマンザに驚いていた。
「え？ ちょっとね」
「この人弱ってるんだからあんまり話しちゃだめだよ」
「わかってるよ。いくよ。お父さんには秘密にしといてよ」
ジェイクが頼むように言っていた。
「わかったよ」
「それじゃ」
ジェイクはアマンザと泉を後にした。
もやもやしていたアマンザはぽんと手をたたいていた。
「ああ、あの時だ」
『変だと思わずに教えてほしいんだけど……ファティマってだれ？』
もう一人のガーベラから聞いた言葉である。
なぜそんな言葉をふいに思い出したのか、アマンザは考えていた。
「ねえ、あの時って何のこと？」
前を歩いていたジェイクが顔を向けて聞いていた。
「ジェイクがさっきの女性を気になる理由、なんとなくわかったよ」
「え？ 何？」
ジェイクは足を止めて目を見開いていた。
「あの人、ガーベラ母さんに似てる」
「え？」
「だからだよ」
「……似てるかな？」
ジェイクは首をかしげている。
「なんとなく似てるよ。声を聞いたらなんとなくお母さんのことを思い出したんだ」
正確にはもう一人のガーベラだったが、ジェイクはガーベラが時々違うことは知らないようなので、そこは言わなかった。
「そうなんだ。そういわれると、僕が気になる理由も納得できるけどね」
「きっとそうだよ」
「そうかあ。アマンザをつれて行ってよかったよ」
ジェイクは晴れ晴れした顔をしていた。
「そうかあ、だからなんか懐かしいのかな」
ジェイクはぶつぶつ言いながら歩いている。
もう一人のお母さんかあ……あっちのお母さんは神の国の世情にうといだよね。そういえば最近会わないなあ。
もう一人のお母さんに近い女の人か。もしかして、あの人が……なわけないよね
アマンザはばかげた妄想だとすぐにその考えをやめてしまった。
一方泉にいるゆりは、
「どーしよ。アマンザ、なんか変なこと言ってたよ。もしかしてばれた？ まさかねえ」
内心すごくどきどきした。
アマンザのセリフは、以前自分が言ったものだと、ゆりは二度目のセリフで気づいたのだった。
クーリーフンは、
「まあアマンザならばれてもいいんじゃない？」
などと気楽なことを言っている。
「いや、でも、だめよ。でもまさか気づくわけないわよね。まさかね。ははは、はは……」
ゆりは泉に浮かんでから笑いをしていた。
「まあ、変なことは気にしなくていいから、寝てなよ。男の方はもうすぐできあがるみたいだよ」
「ほんと？ できあがるって美術品みたいだけど」
「まあ近いかもね」
「ちゃんといい男に戻ってる？」
「知らないよ。それじゃねー」
飛んでいくクーリーフンを見送り、ゆりは再び目を閉じた。
アマンザって鋭い子だわ。サーラの次に鋭いわ。気をつけなくちゃ……
イシュタールはもうすぐ、私もきっともうすぐ帰れるはずよ！ がんばろう！
先が見えてきたゆりは、うれしいあまりに、にんまり笑ったまま水の中に沈んで行ったのだった。
つづく
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