第43話
「王妃、さようなら……」
真っ暗闇の中消えて行こうとするのはイシュタールだった。
「待って！ 行かないで！ 行かないで！ イシュタール！」
ゆりは叫びながら走りよっていくも、イシュタールの姿は闇に包まれてしまった。
「イシュタール！」
深い悲しみと恐怖を感じてゆりは目を覚ました。
あたりは真っ暗である。
「イシュタール？ ここは……自分のベッドだわ」
頭はひどく重く、記憶もあいまいだった。なんだか長い夢を見ていたような気さえする。
イシュタールが助かったというのは夢？ それとも本当のこと？
助かって神の国に行ったのは現実だったんだろうか？
悪夢を見てしまったせいか、どれが夢で現実やら、ゆりにはわからない。
そうだわ。現実だったのなら、ラーズにもらった飾りがついているはず
ゆりは右手首に触れたが、手首には何もない。左手首に触れても何もなかった。
「あれ？ ない！ ない……」
やはりあれは夢だったのかと、ゆりは泣き出した。
「イシュタール……」
都合よくイシュタールを助けた夢を見ただけなのか、ゆりはやがて激しく泣き出して、そこにラクシュミが現れたのだった。
「ゆり、目を覚ましたのか？ どうしたんだ？」
「王様！ 王様ー！」
ゆりはラクシュミの身体にしがみついて泣き出した。ラクシュミは優しくゆりの身体を抱きしめた。
「どうしたんだ？」
「夢だったんだもん。イシュタールが助かった夢を見たんだもん」
「夢？ イシュタールはハロルドに稽古をつけてもらうとか言ってたろ？」
ラクシュミはぽかんとして聞いた。
「え……でも、神の国に行った証がないよ。ラーズにもらった飾りがない」
ゆりは混乱したまま告げた。
「飾り？」
「手首に巻いてくれたの。でもないよ。夢だったのよ」
「飾りならそこに落ちてるぞ」
ラクシュミがシーツの上を指した。
「え？ あ！ あった！ あったー！」
ゆりは手探りで飾りを手に取って頬ずりした。飾りはただ手首から外れていただけだったようだ。
「じゃあ私がアシュランに呪文を教わったのも本当ね」
「必死に書いてたやつか？ 机の上にあるぞ」
「よかった……」
夢ではなかったと知り、ゆりはほっと胸をなでおろした。
自分は無事、蛇の国に、ラクシュミの元に帰ってきたのだった。
「王様……王様、怖かったよー！」
安心したゆりはまたラクシュミにしがみついて泣いたのだった。
ゆりはあれから3日も眠っていたようだ。どうりで頭がぼんやりするはずである。
ゆりは王の寝室に移動して寝そべったまま、ラクシュミに今までのことを話して聞かせたのだった。
途中もうひとりのゆりも現れて、ラクシュミはゆりが二人とも無事だったと知り、改めてほっとしていた。
「しかし、イシュタールが半分妖精になったとは……それで本当に帰ってこられるのか？」
ラクシュミは真っ赤な髪のイシュタールを想像していた。
「大丈夫よ。たまにサラディンに呼ばれるかもしれないけど」
「中身はどう変わったのか想像がつかないな」
「うん」
ゆりは思いっきりラクシュミの匂いをかいでいた。一番安心できる匂いはやはりこの花のような芳しい匂いだ。
「王様、心配かけてごめんね。明日からは絶対いい妻になるからね」
ゆりはしみじみと言い出した。
「そう願いたいもんだ」
ラクシュミは大説教する気も失せているようだ。
「まあ、赤ん坊も元気でよかった」
「うん」
「王様抱きしめて〜」
左目が蛇の目に変わったゆりはぎゅっとラクシュミに抱きついていた。しばらく優しい表情でゆりを抱きしめていたラクシュミだったが、
「やはり何か言わないと気がすまん。お前ってやつは王妃としての自覚がなさすぎる。私がどれほど心配したか……」
突然ラクシュミが愚痴りだして、ゆりの顔が引きつった。
「なんで私に怒るの」
「お前の方がさらに王妃の自覚がない」
「えー」
「赤ん坊をこんな危険な目にさらして何考えてるんだ。助かったからいいようなものの、こら、起きろ、ゆり」
蛇の目のゆりは目を閉じていた。
「ぐーぐー」
「毎日生きた心地がしなかったんだぞ。変な夢ばっかり見るわで」
ゆりは寝た振りふりをしていたが、ラクシュミはかまわず続けていた。
「お前たちが帰ってきたのもまだ信じられないくらいだ。もう勝手にどこにも行くんじゃないぞ」
「はい。絶対とはいえないけどがんばります」
「絶対と言わないか！」
ラクシュミはゆりの耳元で叫んでいる。
「絶対、たぶん……」
「お前は……」
「だって世の中何が起こるかわからないんだもん」
ゆりの素直な言葉にラクシュミのこめかみは引きつりっぱなしだった。
「あ、そうだ。この身体にサラディンの加護がついたのよ」
「加護？」
それは黒目のゆりの話にはない内容だった。
「これでもう二度とやけどしないんだって。すごいよね。元気になったら試してみようかな」
「ゆり！ だからお前は王妃の自覚がないって言うんだ！」
「冗談よ〜」
「いや、本気だろ。やっぱりお前には改めて説教せねば」
「勘弁して〜」
しこたま寝たせいか、この夜は眠気がなく、蛇の目のゆりはしばらくラクシュミにぐだぐだ言われ続けたのだった。
一方イシュタールは、自分の願い通り、神様に剣の稽古をつけてもらい、この日は疲れ果ててぐったりしていた。
火の神殿近くの広い岩肌にイシュタールはいた。
「ありがとうございます。ライオネル様」
横にいたのはハロルドならぬ、獣神ライオネルだった。今は人間の姿をしている。筋肉隆々で、服が盛り上がっていた。虎の一族の男よりも
さらにすごい体つきである。だが剣を持ったライオネルは力任せではなく、動きもすばやかった。火の神殿の側では、見学している火の妖精達もいた。
へなへなで座っているのもやっとなイシュタールに比べて、ライオネルは準備体操でもしたかのような感じである。さすが神だ。
「本当にうれしいです。ありがとうございます」
イシュタールは感動して泣いていた。強い相手と戦うことが大好きなイシュタールにとっては、今日ほどうれしい日はないだろう。
「まあ、俺は剣はそんなに得意じゃないが、人間よりはできるからな。ふっ」
ハロルドにこの話を聞いたライオネルは、自分で志願してイシュタールの相手をしにきたのだった。
ライオネルは今もハロルドの子供、力の神バリアスに好かれていた。出かけようと思ったらどこかからかやってくる始末である。といってもまだ
自分一人では遠くまではいけない。ジェイクやキュリア、妖精達に連れられてやってくるのである。
赤ん坊のお守りよりは大人の男の相手の方が良いに決まっている。ちなみにハロルドはイシュタールの相手は妖精に任せる気だった。
「女性のほうはもう帰っちまったんだってな。顔を見ようと思ったら遅かったか。どんなたくましい女かと思ったんだが……」
闇の国に恋人を奪還に行ったと聞き、ライオネルはたくましい女だと思ったのだった。
「かわいらしい人ですよ」
イシュタールが言った。
「そうか。お前、ちょっとの間ここにいるのはいいが、剣技を極めたいなんて思わないほうがいいぞ。何年あっても足りないからな。人間界に帰ったら
知ってる人間が誰もいなくなっちまうぜ。その女性だって待ってるんだろ。早く帰ってやりな」
「はい」
イシュタール自身、ゆりと一緒に帰った方がよかったかもしれない、とちょっと後悔もしていた。何より長い間仕事もせず、王に申し訳ないという
気持ちでいっぱいだった。だがあの時は、ハロルドの顔を見てつい、ああいってしまったのだった。
「そんなに長居はしません」
「それがいい」
遠くの空からクーリーフンが飛んでくるのが見えた。
「あれ？ ライオネルが一緒なの？ はい。いいものあげるよ」
クーリーフンはイシュタールに白い陶器の瓶を渡し、もう一つをライオネルに渡した。
「お酒だよ」
「こ、これはもしや、ジンラ様の！？」
イシュタールは驚愕していた。
「そうだよ」
ライオネルはすでにコルクを取ってぐびぐび飲んでいる。イシュタールは瓶を持ったまま目を潤ませて動かなかった。
「飲んでいいよ」
「いえ、私なんかが……あの、持って帰ってもいいですか？」
「え？ あっちに？」
「はい。王に差し上げたくて……」
クーリーフンはぷっと吹き出していた。
「あはは。真面目だね。帰る時にお土産にもたせてあげるから飲みなよ」
「本当ですか？ し、しかし……皆にあんなに迷惑をかけて私だけこんな良い目にあうわけにはいきません」
イシュタールはお酒を抱きしめたまま、どうしても飲もうとはしなかった。
「はっはっは。おもしれえ奴。気に入った。明日も来てやるぜ。じゃあ俺はサラディンに用があるからよ」
ライオネルは空になった瓶をクーリーフンに渡して去って行った。
「本当にありがとうございます」
イシュタールはふかぶかと頭を下げていた。
「よかったね。ハロルドだったらどうせ自分が相手しなかったよ」
クーリーフンはハロルドの気持ちを見越したように言っていた。
「妖精としての自分はどう？ 慣れた？」
「おかしな気分です。まだ夢の中にいるようですよ」
「そうだろうね。あまりここに長居しないほうがいいよ。人間に戻れなくなっちゃいそうだからね」
「はい」
確かに、この平和な世界は安らぎに満ちていた。いつまでもここにいると、人間界のあの殺伐とした世界に戻りたくなくなるかもしれない。
「わがままをいってすいません。本当にもう少ししたら帰ります」
イシュタールは青い澄んだ空を見上げながら誓っている。
クーリーフンは火の神殿の近くに目を留めた。すでに見学していた火の妖精はいない。代わりに、違う妖精がいてこちらを見ていた。
ジェラルドの元にいる妖精だったが、イシュタールが気づく前に彼は去ってしまったのだった。
火の神殿の広間では、以前と同じように大きなつぼから火があがっていた。真新しい赤身を帯びたつぼには、炎の模様が描かれている。
「俺に用ってなんだー？」
のんきな声と共に、ライオネルがのそっと広間に入ってきた。ライオネルはちらりとつぼに目を向けたが、つぼの変化には興味はないようだ。
広間にいたサラディンは、「用？ 何もないぞ」とあっさり答えた。
「え？ 俺を呼ばなかったか？」
「呼んでない」
ライオネルが首をひねってると、そこにルティアナがやってきた。
「あ、ライオネル様〜待ってたの」
「もしかして、こいつを呼んだのお前か？」
サラディンが聞くと、ルティアナはうなずいた。
「お父さんの名前を出すとすぐ来てくれるだろうと思って。あのね、ライオネル様、また妖精を作ってほしいの。ひとりいなくなっちゃったから寂しくて」
ルティアナはライオネルに近寄り、純粋な瞳で見上げていた。
「え？ ひとりいなくなったって、あの時のあいつが？」
「彼はいるわよ。違う妖精よ。ライオネル様お願い、また作って」
ルティアナは今度はすがるように言い出した。
「作ってといわれても……妖精ってのは作ろうと思って作れるわけじゃないぞ」
「ライオネル様って精力絶倫なんでしょ？」
かわいらしい口から発せらた言葉に、ライオネルの顔は引きつり、じろりとサラディンを睨んでいた。
「おめえ、娘になんて言葉を教えてるんだ！」
「私が教えるわけないだろう。ルティアナ、妖精ってのはできる時にはできるし、できない時にはできないのだ」
サラディンの言葉にルティアナは首をひねっていた。
「火の妖精と仲良くしたらできるかもしれないじゃない。ライオネル様〜お願い」
ルティアナはライオネルの大きな手を握り締めていた。
「そういう行為は頼まれてするもんじゃないぜ。それに俺なんかよりずっとすごいのがいるぜ」
「だれ？」
「雲の上にいるだろ」
ライオネルは上を指している。
「バカをいうな」
サラディンは苦い表情をしていた。
「所で、女の妖精って全員お前の女じゃないの？」
ライオネルはふと疑問に思って聞いた。
「違う。妖精達は私の娘、だな。感覚的には」
「へーそうなのか」
「今度アシュラン様に頼んでみようかなー」
ルティアナがぼそりと言い出して、「それだけはやめてくれ」とサラディンは本気で止めていたのだった。
人間界ではゆりが帰ってから五日目の昼だった。三日寝ていたゆりが目を覚まして二日目である。ゆりの体はようやく調子を取り戻していた。
食べ物も普通の物が食べられるようになっている。とはいっても、まだ活発には動けず、歩くのも部屋の中だけだ。
主な話はラクシュミが皆に話して聞かせていた。皆半分妖精になったというイシュタールに興味津々である。
子供達は勉強どころじゃなく、昨日も今日もゆりの側に引っ付いている。
そして男達も入れ替わり立ち代りゆりの元にやってきては涙ぐんでいた。
侍女らも時々泣いているし、なかなか皆涙が乾かないようだ。
ゆりが神の国に行った後のことを子供達に聞かせていると、ジュメがメリッサと一緒にやってきた。ユリウスも一緒だった。
「王妃……本当に、良くご無事で」
ジュメはゆりの顔を見ると感極まったように泣き出してしまった。
「ジュメ……メリッサ、イシュタールはもう少ししたら帰ってくるからね」
ゆりは涙目でメリッサに告げた。
「お父さんに会いたいです」
メリッサも大きな目に涙をいっぱいためている。きっと、何度も泣いたに違いない。
「本当にもう少しで会えるよ」
シスとラギももらい泣きしていた。ユリウスも目元をふいていた。
「赤い髪のイシュタール、楽しみだな」
「私も楽しみ！」
アナスターシャとナナミの二人は期待感の方が強いようだ。
ミシェイラはゆりの側にいるのがうれしくてずっとゆりの膝に乗っている。ゆりの真横に座ってひっついていたロイは、
「そうだ。お兄さんに手紙を書こう。聖地に送ればいいのかな？」
と真面目に言い出していた。
「お兄さん？」
「神官のジー様のことだよ。みんな助かったから教えてあげたいんだ」
「そう、そういうことを思うなんてロイもちょっと大人になったわね」
ゆりはロイの頭をなでた。
「今からかこうっと」
ロイは部屋から出て行った。
「神官かあ……」
ジーの正体はジェイクである。ゆりはそのことを皆に言ってはいないので、知らないはずだ。
みんなには内緒にしておこうと思っていると、ラギが、「神官って神様でしょ？ だれだったの？」とゆりに聞いてきてゆりは肩を落としていた。
「え？ 私知らないわよ」
とゆり。
「知ってるくせにー」
「知らないわよ。なんで神様なの？」
「だって、ミカエルがそう言ってたよ。何も食べなかったし飲まなかったから、妖精か神様に違いないって」
「こっそり何か食べたんじゃない？」
「子供だったし、神様だよー」
「ハロルド様説もあったけど、きっとガーベラの息子じゃないかな？」
とシスも言っていた。すっかりばれているようだ。ゆりがいない間に、皆あれこれ推理していたらしい。
夕方、ゆりは紅茶を飲みながら落ち着いていた。今は他にミラだけだ。
「お疲れじゃないですか？」
「大丈夫よ。今からハザーク様のところに行ってこようかな。まだお顔見てないし、なんか子供達がハザーク様の様子がおかしいって
言ってたけど……私の報告をしにいったけど、あまり喜んでなかったとか言ってたなあ」
「そのようですね。でも王妃様のお顔を見たら元気になりますよ。誰か呼んできますね」
まだ塔まで行くのはしんどかろうと、ミラは出て行き、ヴィラが一緒にやってきた。
ヴィラはゆりと一緒にハザークの塔に行ったものの、ノックをしても誰も出てこなかった。
「いないのかしら？」
「珍しいですね」
さすがのヴィラも、ハザークの部屋に無断に入るわけにはいかない。その時階段を上ってくる白い髪の侍女の姿が見えた。
「侍女さん！」
「まあ王妃様、良くご無事で……」
「ハザーク様に会いたいんだけど」
「すいません。今日はもう誰とも会いたくないとおっしゃって」
「そうなの？」
「本当にすいません」
侍女は頭を下げて自分だけ部屋に入って行った。
ゆりもヴィラも首をかしげている。
「ハザーク様、どうしたんでしょうか？」
「うーん……」
「とにかく部屋に戻りましょう」
ヴィラはゆりと一緒に部屋に戻った。
「あ、そういえば、フレイとザメハにはまだ会ってないわ。二人共元気よね」
ヴィクターら将軍達は朝ゆりの顔を見に来ていた。
「お元気ですよ。ザメハ様はさっき城で会いましたよ」
「ちょっと呼んできて」
「はい」
しばらくして、ザメハがやってきた。
「王妃、心配しましたぞ。良くご無事で！」
ザメハは部屋に入るなり言ったが、ゆりに近づこうとしなかった。
「もっとこっちに来て」
ゆりが椅子に座ったまま手招きすると、ザメハは一歩前に進んだが、それだけだった。
「ザメハ様、どうかしたんですか？」
ヴィラは不思議そうだ。
「いえ、何も……」
というザメハはゆりと目をあわそうとしなかった。
「これは……」
ゆりは神の国でのことを思い出していた。アシュランが言っていた事がこれなのだ。ザメハは自分を恐れている。
「わしは用事がありますのでこれで」
後ずさったザメハに、ゆりは「つかまえといて」とヴィラに命じた。
ヴィラはとっさにザメハを捕まえていたが、腑に落ちない表情である。
「ヴィラ、フレイを呼んで」
「はい」
やがてフレイがやってきた。
「王妃、ご無事で」
とフレイも言ったが、やはりゆりと目を合わせようとしなかった。二人とも戸惑った表情である。
「二人ともちょっと寝室にに来て。ヴィラ、連れてきて」
「はい」
「王妃、一体……」
「わしは用事が……」
ヴィラは嫌がっている風の二人をゆりの寝室の方へと連れて行った。
「ありがとう。ヴィラはあっちで待ってて。絶対のぞかないでねー」
ゆりは低い声でいい、ヴィラが消えた所でアシュランから教えてもらった呪文を唱えたのだった。念のため、朝暗記していたのだ。
ヴィラは気になったが、部屋のほうで待っていた。耳を澄ますとゆりの良く分からない声が聞こえてきた。
やがて、ゆりはにこにこ顔のフレイとザメハと一緒に戻ってきた。ゆりは二人と腕を組んでいる。明らかに先ほどとは違う。
ゆりは「本当によかった」と泣き出した二人を部屋から出した。
「あーよかったー効いた！ 効いたー！」
ゆりは心底喜んでガッツポーズしていた。
「一体どういうことなんですか？」
ヴィラはさっぱりわけがわかっていないようだ。
「あのね、結構みんなあっさり受け入れてくれたけど、あっちの世界に行った私を恐れる人たちがいるの。
アシュランがその恐れを取り除く呪文を教えてくれたの。それを二人に唱えたら効いたわ」
「そうだったんですか」
「もしかしたら、ハザーク様もそうなのかも。長生きしてるほど私を恐れるらしい。ってことは……ハザーク様は私を恐れまくってるのかも……」
「その可能性は大ですね。ならその呪文を唱えれば元に戻りますね」
ヴィラは軽く言った。
「……そうね」
ゆりの顔は青ざめていた。あの二人であの反応。一万年近く生きているハザークは一体どういう反応を示すのか、会うのがなんだか怖い。
しかも、ハザーク様にあの呪文を言うのはやだ……
「もう一度ハザーク様のところに行きますか？」というヴィラに、ゆりは「明日にするわ」と言った。
とても今から行く気にはなれない。
が、先送りするのがいいとも思えない。
「ヴィラ、抱きしめてー」
ゆりは珍しく甘えるように言っていた。
ヴィラはゆりの身体を抱きしめた。
「ヴィラは私のこと本当になんとも思ってない？」
皆普通だが、本当の所どうなんだろうとゆりは不安になっていた。
「うれしいだけですよ。本当に」
「本当に？ 儀式ができるくらい」
「ええ」
「じゃあキスして」
ヴィラは唇を寄せた。
キスされているとゆりの心は落ち着いてきた。
「ありがとう。がんばる気になってきた」
「王妃が行ってしまって私も泣いてしまったんですよ。本当に悲しかった」
ヴィラはゆりを抱きしめたまま言った。
「ヴィラが泣いたんじゃ、ミルキダスなんて号泣したんだろうね」
「そうですよ。みんな葬式みたいな顔つきでしたよ。大の男を泣かせたんですから、責任をとってくださいよ？」
「う、うん」
本当にわかっているのかどうか、あやしいものだった。
「ありがとう。もう行っていいわよ」
「いつでも呼んでください」
ヴィラはゆりの頬をなでて部屋を出て行った。
やる気になってきたわ。じゃあ、後はよろしく！
ゆりは元気に心の中で話しかけていた。
（え？ 私？）
と返答があった。
「だってハザーク様の部屋に入れないし、私飛べないし、がんばって！」
（えー！）
「私があれをやるのー？」
ゆりの左目はもう蛇の目に変わっていた。黒目のゆりはすっかり身代わりの術をマスターしているようだ。
「……まあいいわ。やってやろうじゃん！ 念のために呪文を持っていかないと」
ゆりは机の上にある紙をスカートのポケットに入れて、瞬間移動で飛んでいったのだった。
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