第44話
蛇の目のゆりは直接ハザークの部屋の中へと飛んだ。ハザークは窓の近くに立って外を眺めていたようだ。
突然のゆりの訪問に驚いていた。部屋の中に侍女の姿はない。
「ハザーク様、元気そうでよかった」
ハザークは驚いた顔を向けたものの、すぐに目をそらしてしまった。
「ハザーク様、無事帰ってきたのよ。喜んで」
「来るな」
近づこうとすると、そういわれ、ゆりの足は止まった。
「来るな……」
「ハザーク様？ 私は神の国ですっかり綺麗になって戻ってきたのよ？」
「あんな所に行って帰ってこられるわけがない。王妃は……私が好きだった王妃はもう……」
ハザークはどこか遠い目をしていた。
え？ 私ってもうハザーク様の中ではいないことになってる！？
ゆりは驚きのあまりのけぞっていた。
「私はこの通りピンピンしてますよ。死んでないわよ」
「お前は偽者に違いない。まさか王妃が男の後を追って行ってしまうとは夢にも思わなかった。かわいそうに。王妃……」
ハザークは悲しそうだった。
「私は本物よ。ちゃんと戻ってきたのよ」
「嘘だ。あんな恐ろしい所にいって無事なわけはない。本物の王妃はきっと魔物に食べられてしまったんだ！」
久しぶりのハザークの大妄想にゆりは倒れそうになっていた。恐ろしいのはアシュランの暗示である。やはりハザークには相当強い
暗示がかかってしまっているのだ。
こうなってしまっては呪文を唱えるしかない。
「ハザーク様、見て！」
ゆりが覚悟を決めて呪文を唱えようとした時、ハザークは姿を消してしまった。
「ああ、逃げた！」
ハザークがどこに行ってしまったのか。ゆりは拳を握り締めて悔しそうに床を踏んでいた。
「くー！ こうなったら何が何でも呪文を聞いてもらうわよ！」
ゆりはとりあえず城に戻り、王の間の門番に、
「エルバートを呼んで！」
と頼んでいた。
ゆりがうろうろしているとエルバートがやってきた。
「王妃、すっかり元気になられたんですか？ 今日伺おうと思っていたんです」
エルバートは笑顔だった。
「元気よ。ちょっと頼みがあるの。部屋に来て」
「はい」
エルバートとゆりは王妃の部屋に移動した。
「カーライル様に代わってくれる？」
「はい」
エルバートは理由も聞かずに答え、やがてエルバートの目つきが細まった。
「カーライル様？」
「……王妃……無事戻るとは……本当に王妃なのか？」
カーライルはゆりの身体を上から下まで眺めていた。
「本当に私ですよ。ちょっと座りましょう。まだそんなに元気じゃないんで」
二人は向かい合って椅子に腰かけた。どうやらカーライルはハザークよりはましなようなのでゆりはほっとしていた。
カーライルは生きているわけではないので、暗示の効果もないのかもしれない。
「本当にイシュタールも助かったのか？ どうにも信じられないが……」
カーライルは疑い半分といった眼差しだった。
「本当に助かったんですよ。神の国ですっかり浄化されましたから、上から下まで綺麗ですよ」
「王妃が死んだと思ってエルバートはおお泣きしていた。私もちょっと悲しかったぞ」
「本当ですか？」
「ああ。こんなことならもっと王妃をほめてやるんだったと、後悔した」
「なら今ほめてください」
「いや、やめておこう。だが、王妃の勇気にはいたく感動した、というか呆れた。きっと何も考えずに行動しただけだろうがな。
なかなかできることではない。いや普通の神経ではまずできない」
ほめられている気には到底なれないゆりだった。だが、今はカーライルと言いあっている場合ではない。
「実はカーライル様を呼んだのはわけがありまして、ハザーク様がおかしいんですよ。私を避けるんです」
「まだおかしいのか。おととい行った時も、変だったぞ。『偽者が帰っただけだ』といってしょげていた」
「私は正真正銘の本物なんですけどね。実は、この世界の人間には闇の世界のことを嫌うように、というアシュランののろい、
じゃなくて暗示がかかってるんです。ハザーク様が長生きされているんで、その暗示が半端なくかかってるんです。だからああいう反応を
してるんです」
「へえ、そうなのか？ 最高神はなんでそんな暗示をかけているんだ？」
「ええと、なんだっけ？ つまり、この世界を守るため？ だったような？」
「闇の世界、一体どういうところだったんだ？」
「わかりません。記憶を消されてしまったんで……それでですね。私はその暗示をとく呪文を教えてもらったんです。さっき言おうとしたら
ハザーク様、逃げてしまったんですよ。カーライル様、ハザーク様を説得して私の呪文を聞くようにしてくれませんか」
「ふーむ……」
ハザークが話を聞く相手といえば、ラクシュミかカーライルしかいない。
「私とて、苦難を乗り越えた王妃の役に立ちたいとは思うが……その前に、王妃が本当に元の王妃だという確証が、まだ私にはない」
「え？」
「神の国に行ったというのも王妃の言葉で聞いただけだ。闇の者が王妃になりすまして目の前にいるのではないかという気すらする。
王妃が王妃だという証拠を見せろ」
「証拠と言われても……」
ゆりはぽりぽりと頬をかいた。どうやらすんなりとハザークを説得してくれそうにない。
「黒目の王妃はどうしたんだ」
「ちゃんといますよ」
「じゃあ変わってみろ」
「いいですけど、あっちは私のこと知ってるけど、私の時の記憶はあまりないですからね」
ゆりはそう念を押して引っ込んだ。ゆりの左目が黒目になった。ゆりは目の前にエルバートがいたので瞬いていた。
「ハザークが逃げるんで説得してほしいと頼まれた」
カーライルはそう説明し、ゆりは数秒考えてから納得した。
「そうなんですか。よろしくお願いします」
「どっからどう見ても王妃だが……やはりハザークがそこまで拒絶するのが気になる。本当に王妃が言ったとおりなのか。それとも、
王妃ではないのか」
「私ですよ」
「何か証拠はあるか？ お前が闇から帰還したという証拠だ。別の物が化けてないという証拠が見たい」
「そう言われましても……私の気とか元のままだと思いますけど。あ、そうだ。神様にもらったものならありますよ。この飾り」
ゆりは右手首についているラーズからもらった飾りを見せた。
「他には？」
カーライルはちらりと飾りを見て言った。
「他ですか？ えーと、そうそう、サラディンの加護がつきました。それが闇から帰還して神の国に行った証拠です」
「加護？見せろ」
「えーと……火に突っ込んでみるとか？」
ゆりはまだやったことはなかったので、サラディンの加護が本当にあるのかどうなのか実感はなかった。
「神様の加護がつくと、体のどこかにその印があるはずだぞ」
「あ、そうですね。あれ？」
ゆりは首をかしげた。そういえば、サラディンの加護の印など、まだ見ていない。
「どこにある？」
「それが、まだ見てません。昨日お風呂に入った時は気づかなかったし……どこにあるのかなあ？」
ゆりは自分の手の平を見たりしている。
「探してやるから脱いでみろ」
「ええーエッチ！」
ゆりの頬は真っ赤だった。
「何がエッチだ。言葉だけじゃ信じられないぞ」
「侍女に探してもらうからちょっと待っててください」
ゆりは侍女を呼んできて、寝室で服を脱いで探した。
寝室にこもること10分、ようやくゆりの右脇にそれらしきものを発見した。一センチほどの小さい火のような赤い模様である。
よく見ないとただどこかにぶつけだだけだと勘違いしてしまいそうだ。
「わかりにくっ。カーライル様、ありましたよー！ こっちに来てください」
ゆりはスカートをはき上半身はタオルを巻いたままカーライルを呼んだ。
ゆりは右手をあげたままで、カーライルはゆりの脇をじろじろ眺めている。そしてその顔がものすごく近づいてきたのでゆりは身構えた。
「え？ な、何？」
「ちょっとじっとしてろ」
「え？ ちょっと！」
「きゃあ！」
と悲鳴をあげたのは侍女だった。
カーライルはゆりの右手をつかんで、なんとわきをなめたのだ。
「ひゃ、ちょっと、何する……ひゃひゃひゃ」
あまりにくすぐったかったのでゆりは笑ってしまっていた。
「やめてー！」
カーライルが腕を離し、ゆりは真っ赤な顔で睨んだ。
「な、何するんですか」
「描いたかもしれないと思って」
「描いてませんよ！ いい加減信じてくださいよ」
「わかった。王妃の気も妖しくなってきたし信じよう。ハザークを連れてくる」
カーライルは消えた。
「え？ 気、妖しい？」
ゆりはどぎまぎして自分の周りをきょろきょろ見ていたが、気は見えなかった。横にいた侍女は赤い顔をしている。
「ああーあのまま押し倒されるのではないかと思ってどきどきしてしまいましたー」
侍女はなんだかうれしそうだった。
「まさかまさか。ハザーク様が来るから服着なきゃ」
ゆりは真っ赤な顔のまま服を着だしたのだった。
「あんな恥ずかしいことされるなんて……なんか口にキスされるより恥ずかしかったわ……」
ゆりは部屋でハザークを待っていたが、二人はなかなか現れなかった。
やはりハザークの説得に戸惑っているのだろうか。
そうこうしていると夕食の時間になった。ゆりは食堂で子供達と食事をし、また部屋に戻ってきた。子供達にもハザークのことを
聞かれたが、まだ会ってはいないと答えている。みんなにアシュランの話をするのもどうかと思ったからだった。
侍女がカーライルからの伝言を持ってきた。「ハザークは明日連れて行く」とのことだった。
「ハザーク様、カーライル様の言葉も簡単には聞かないんだ……明日来てくれるのかな……」
この日はハザークを元に戻せないまま終わったのだった。
一方神の国では、夕暮れ時だった。
ジンラの神殿にクーリーフンがやってきてお酒を飲んでいる。
「今日は彼にお酒を持っていかないの？」
アマンザが聞いた。
「うん。いいよ。どうせ持っていっても飲まないし」
「え？」
奥の部屋からジンラがすたすたやってきた。
「今、何か嫌な言葉が聞こえたぞ。酒を飲まないってどういうことだ？」
ジンラが珍しくクーリーフンに詰め寄っていたので、クーリーフンは瞬いていた。アマンザも珍しげな顔つきである。
「お酒が好きな蛇の一族の男が、まさか酒嫌いではあるまい」
「いや、お酒は好きじゃない？ 泣いて喜んでたし」
「ではなぜ？」
「自分が飲むなんてもったいないから、持って帰りたいって言うんだよ。お土産にしたいって、それで飲まないんだ」
その言葉にジンラの表情は和らいだ。
「あーびっくりした。ジンラのそんな顔、初めてみたよ」
「僕も」
アマンザも言っていた。
「王様にあげたいってさ。帰る時お土産にもたせてあげてもいいかな」
「うーん。多少ならな。その男、真面目なんだな」
「真面目だよ。ダーナに口付けされるよりも、ライオネルに特訓される方を選びそうな男だからね」
「へー戦士ってやつ？ サラディン様が気に入って人間界に返さなかったりして」
アマンザが冗談交じりに言った。
「ははは、ありうるよ。火の妖精はひとり減っちゃったからねえ」
「でもそれじゃ先に帰った女性が泣いちゃうんじゃない？」
「大丈夫。その時は奥の手があるから」
クーリーフンはちらりとジンラを見てお酒を飲んだのだった。
そのイシュタールは、ライオネルやハロルドに従っている強い妖精達に剣の指南を受けたり、火の妖精として神の国のことを勉強したりと
忙しい毎日だった。今まで神の国は遠い世界だったが、今はその世界にいる。神々や妖精が側を普通に歩いているのだ。
そういう毎日にまだまだ戸惑いっぱなしのイシュタールだった。妖精というのは食事をするという習慣がないようである。
酒を飲むこともあまりないようだが、人間界の方が生きるのが大変な分、楽しみも多いのかもしれない。
今はイシュタールは火の神殿の中の一室で寝泊りしていた。妖精は眠るときには姿を消したりもするようだが、イシュタールは
普通にベッドで休んでいる。火の神殿に入ろうとしたイシュタールは神殿の前でうずくまっている少女を発見した。
ルティアナである。
「どうしたんですか？」
イシュタールが聞くと、ルティアナは顔をあげた。
「寂しいの。仲良くしていた妖精がいなくなっちゃったから……」
「ああ……そうでしたか……」
そのことについては、イシュタールは大雑把に聞いていた。「どこに行ったんですか？」と聞いても、誰も詳しくは語らなかったが。
「バーンはいっぱい遊んでくれたから」
「悲しいですね。でも、ルティアナ様が悲しんでいたら、きっと彼も悲しいと思います」
「イシュタールも人間界に帰っちゃうんでしょ？」
「はい」
「つまんないな。ずっといてくれればいいのに」
「すいません」
イシュタールはルティアナと一緒に神殿の中に入った。
「ねえ、イシュタールって、子作りできる？」
「……はい？」
突然の言葉にイシュタールの目はまん丸だった。
「バーンはいなくなって帰ってこないけど、新しい妖精がきたらきっと楽しいと思うの。だってイシュタールは仲間になったけど
そのうち行っちゃうし、だからね妖精作って」
「作ってといわれましても……私は半分だけ妖精の身ですから……」
イシュタールは戸惑いつつ言った。
「できるかどうかわかりません。他の火の妖精に頼まれたほうがいいのではないでしょうか」
「もう言ったよ。だけどね。みんなあんまりその気にならないの。お父さんが言うには、火の妖精達って、兄弟みたいな感じであんまり
夫婦みたいにはならないんだって」
「そうなんですか」
「イシュタールはどう？ 火の妖精って美人でしょ？」
ルティアナの輝く瞳にイシュタールの顔は引きつっていた。子供なだけに難しいことはわかってはいないとは思うが、相手は
自分にとって主も同然なので、無碍にもできない。
「私はサラディン様の許可なく女性に手は出せないですよ」
「そうなの？ じゃあ来て」
ルティアナはイシュタールの腕を引いてイシュタールを広間に連れて行った。そしてサラディンの顔を見るなり、
「お父さん、イシュタール、妖精を恋人にしてもいいよね？」
と言い出したのだった。サラディンがきょとんとした目をイシュタールに向けて、あせったイシュタールは、「いえ、違います」と
小声でささやきながら手を横に振っていた。
「わ、私が頼んだのではありません！」
サラディンはふっと笑っていた。
「ルティアナ、イシュタールにも頼んでるのか？」
「イシュタールは妖精にその気になるって言ってるもん」
「ち、違います！」
イシュタールは冷や汗ものだった。
「言っただろう。妖精達ががんばらなくても、そのうち妖精が自然に生まれるかもしれない。それを待つのだ」
「だって、妖精から産まれることだってあるんでしょ？」
「そりゃあるが……出生率は低いからな……」
その時、イシュタールの脳裏にサラディンの『出生率が低い』という言葉が鐘のように何度も響いていた。
それは、蛇の一族の男に生まれて何度も何度も聞いた言葉であった。
蛇の一族の男にとって、子供を作ることは男としての使命であった。
まさか、この神の国でもこんな言葉を聞いてしまうとは。
「何事もやってみなきゃわからないじゃない。イシュタールが恋人を作ってもいい？ お父さんが許可したら作るって」
「え？」
イシュタールはそこまで言ってなかったが、ルティアナははっきり言い切っていた。
「しかし、私は、人間界に恋人もいますし……妖精を恋人にするわけにもいかないんです。一対一では付き合えないので」
イシュタールの言葉はかなりしどろもどろだった。
「別にいいんじゃない？」
ルティアナはあっさりしたものだった。
「ガーベラ的思考だな……すっかり感化されおって……まあ、別に、女の妖精がお前を気に入ったのなら、何しようがそこまで
口出しはしないぞ。妖精には夫婦という概念もあんまりない。一体一を好む者もいるが、そうでないものもいるし、ルティアナの言葉は
あんまり気にしなくていいぞ」
「はあ……」
「あ、ひどい。じゃあお父さんがもっとがんばってよ。それで弟か妹つくって。妖精でもいいから作って」
「わかったわかった。もう寝ろ」
サラディンはもう面倒そうだった。
「お父さんったら！」
「お前も来るものみんなに頼むんじゃないぞ」
「アシュラン様にたのんじゃうもーん」
「やめろ。絶対本気にするだろうが」
ルティアナはぷんと横を向いて広間を出て行った。
「まったく……女は何を考えているやらわからん」
サラディンはぶつぶつ言っている。
「私も失礼します」
イシュタールは広間を出て、赤い蛇がいたので懐かしげに首に巻いていた。
蛇は時々火を吐いている。
「しかし……妖精も出産率が低いとは……」
どうもその言葉がひっかかってしまったようである。
このままここにいたら大変そうだ。やっぱり早く人間界に帰ろう！ そうしよう！
イシュタールは明日の朝起きたらサラディンに言おうと決心した。だがいざ次の日になりサラディンの顔を見ると、
「今日もライオネルが来るのか？ 熱心だな」
などと言われて言い出せなかった。
「後で妖精に移動の仕方のこつを教えてもらうといい」
「は、はい」
しまった。今は何もかも半端すぎて帰りたいといえない！
性格が真面目なだけに、なかなか言い出せないイシュタールだった。
人間界では、次の朝になり、緊張するゆりの元にカーライルからまた伝言がきた。
「午後ハザークの部屋に来い」と書いてある。
「よし、これで決着よ！」
ゆりは散々呪文を暗記しまくって、午後ハザークの部屋に向かったのだった。
扉は開いていたので、ゆりはノックをして中に入った。
部屋の中にはハザークにカーライル、そして侍女が二人いた。部屋の中はなんだか緊張した感じである。
「皆さんこんにちは」
「実は侍女らもちょっとおかしいんだ。ハザークがお前に会うのを止めようとするのだ」
カーライルが言った。侍女らは普通そうに見えたが、やはり違う感情を抱いているようだ。
「そうですか。この際侍女さん全員ここに来てもらいましょう。個別にするのも面倒ですし」
「大丈夫か？ なんか変なのろいでもかけられるんじゃないのか？」
ハザークは警戒した表情で言った。
「のろいなんてかけないですよ。私への愛を思い出してください。他の侍女さんも連れてきてください」
ハザークは悩むような顔つきだったが、やがて侍女に合図し、侍女が他の侍女を呼びに行った。
「もう大丈夫かな？ 私がいっても？」
カーライルが聞くと、
「だめだ。一緒にいろ」
とハザークは行かせなかった。
「大丈夫ですよ」
ゆりとしてはカーライルに行ってほしかったが、ハザークはがんとして譲らないので、仕方なくカーライルも一緒にいることになった。
侍女が全員集まり、ゆりは皆のほうを向いて部屋の真ん中に立った。
「それじゃ皆さん聞いてください。わたしのことを思い出して〜♪」
ゆりは腰をひねりつつ踊りだしたので、カーライルはぽかんとしていた。
「わったしはふっつうの女の子〜♪けっがれを知らない女の子〜♪」
今度はリズムを取りつつまわっている。
カーライルがハザークとその後ろにいる侍女達を見ると、そっちもぽかんとしていた。
「変わってないのよ。前と同じよ。ちんぷいちんぷいほにゃにゃにゃにゃ！」
ゆりはまた二回ほどまわって右手をあげてポーズを決めていた。
部屋の中はシーンとしていた。
「どう？ 変化ありました？」
ゆりはドキドキして聞いていた。
「こら、今のなんだ？人をおちょくってるのか？」
カーライルが聞いた。
「今のが呪文ですよ」
とゆり。
「まさか。そんなわけあるか！」
「そうなんですって！ ハザーク様、効いた？」
「やはり別人だ。こんなの王妃じゃない……」
ハザークは青ざめてぼそりとつぶやいた。
「えーそんな！」
「まさか、こんな状況でからかってないだろうな？」
カーライルの顔は引きつっている。
「一回じゃ効かないのかも。それじゃ、皆さん聞いてください。わたしのことを思い出して〜」
ゆりはまた踊りだした。最初のセリフも呪文のうちのようだ。
「おいおい」
二回目が終わっても皆の態度は変わらず、ゆりはやけくそとばかりに3回目を踊っていた。
これは言葉だけでは効果がないといわれていたのだ。踊りも呪文の内なのである。
カーライルは呆れるを通り越して一体この状況をどうすればいいのか、悩みだしていた。
だが、ゆりはいたって真面目に踊っている。呪文だと信じて踊っているのである。
（王妃は大丈夫か？）
カーライルはゆりの頭まで心配しだしていた。
四回目を踊った所で、侍女達に変化が出てきた。
「本物の王妃様ですわ」
「ご無事でよかった」
「ハザーク様、王妃様ですわ」
などと言って涙ぐんでいる。心底喜んでいる様子だ。
「やった！ 効いたわ！ ハザーク様は？」
「我には、変な女がいるとしか思えんが……」
「くそー五回目！」
ゆりの左目は変わっていた。バトンタッチしたゆりも、真面目な顔で踊っていた。
「……ほにゃにゃにゃらん！」
「最後違ってるぞ」
すっかり覚えたカーライルに指摘され、蛇の目のゆりは「しまった！ もう一回」
と踊りだした。
その後5回踊り、また黒目のゆりが出てきた。
侍女らに呪文が効いたので、カーライルはこれが真面目に呪文なのか、と思っていたが、こんな呪文を考える意味はなんなのか、と
そっちを考え出していた。どうにもおちょくられているとしか思えない。
しかも、ずっと呪文を聞いていたカーライルは、ゆりに対してなんだか変な感情を抱いていた。
しだいにゆりが愛らしく思えてきたのである。
変な呪文を言いながら踊る女を愛らしいと感じるなんてどう考えてもおかしい。
やっぱり、のろいじゃないのか？ これ……
と思いつつゆりから目が離せない。次第にゆりの周りがキラキラ輝いて見えてきた。
黒目のゆりが二回踊った所で、ハザークがはっと立ち上がった。
「王妃！ 王妃！」
「ハザーク様、ようやく……」
「王妃！」
ハザークはひしっとゆりを抱きしめて、ゆりはよかったよかったと泣いていた。侍女らも泣いている。
「王妃に再び会えるとは……」
「ハザーク様ー！」
感動の場面だが、カーライルは（一体この感情をどうすればいいんだ……）とひとり目を細めていたのだった。
その頃神の国アシュランの広間では、アシュランが手鏡を眺めながら、
「ちゃんと踊ってるな。ぷぷっ」
などと言って笑っていたのだが、ゆりが知ることはなかったのだった。
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