第46話
神の国夜中、火の神殿にて、火の神サラディンと夜の神オルガが歓談中だった。サラディンは夜も結構起きていることがあるため、
オルガはたまにここを訪れている。
「それじゃ、あの男はまだいるのか」
「ああ、ルティアナが気に入ってるようだ」
オルガの問いにサラディンが返した。
話の話題はイシュタールのことのようである。
「剣の稽古というのはいつまでするんだ？」
「さあな、だが、一流の剣士になどそう短期間でなれないだろう」
「火の妖精に剣は関係ないだろうがな」
「しばらく動けなかったのだからな、身体を慣らすにはちょうどいい」
「確かにそうだろうが、お前も気に入ったんだな」
オルガは苦笑まじりだった。だが、先に帰った女性は男がいつ帰ってくるかと待ちわびているだろうに、とちと気の毒に思っている。
「火の妖精だから気に入るも気に入らないもない。ただ、他の妖精達も楽しそうだからな」
サラディンはこの状況を歓迎しているようだ。
半分妖精になってしまった男にとっては、この世界は居心地がいいのかもしれないが、あまり長居すると向こうに帰らないと言い出しかねない。
そうなると助けに行った女性は泣くだろう。オルガはその女性、ゆりのことを気遣っているようだ。
「ところで、それについて聞いてもいいのか？」
サラディンはオルガの右肩あたりを指して言った。
そこに、異質な塊、白っぽいぼやけた物がひっついていたからだった。サラディンはオルガを一目みて気づいたのだが、
オルガがイシュタールのことを聞いてきたのでその話をしていたのだ。
「うーん、困ったことに、どうやら気に入られてしまったようだ」
オルガはもちろん、それが引っ付いていることに気づいていた。そしてどうしたものかと思いつつここに来たのだった。
その塊は、ゆりのお腹にいた赤ん坊の魂だったのだ。それがゆりが帰った後もオルガの側にやってきた。しかもこれは二度目なのだ。
詳しい話を聞いているうちに、サラディンはついには笑い出していた。オルガはサラディンが大笑いする所を見たのは初めてだった。
珍しいこともあるものだ。
「それはすごいな。その赤ん坊、こちらへの道を覚えてしまったのか。なかなか賢いじゃないか」
「ほめてる場合じゃない。一度目は丁寧に連れて行ってやったんだぞ。だが、そうたびたびじゃ困る」
「オルガの歌、ぷっ、私も聞きたいな。歌ってくれ」
サラディンが笑いながら言い出して、オルガは嫌そうに眉を潜めていた。
「こうなったら、父親に諭してもらおうかと思ってな」
「父親？ ああ、イシュタールは父親じゃないぞ」
「え？」
オルガは意表をつかれた表情をしていた。
「あの女性の腹の子供の父親は、国王だそうだぞ。イシュタールは、あの女性の恋人なんだと」
「よくわからん関係だ」
「まあ、男女間のことは一族ごとに違うようだからな」
「父親ではないのか……」
「自分でやってきたのだ。ほおっておいても自分で帰るんじゃないのか？」
サラディンは気楽に言った。
「帰らなかったらどうする。長い間魂が離れていると、赤ん坊は死んでしまうんだぞ」
「なら戻してやれば？」
「だからたびたびは困るんだ」
オルガの苦悩はよそに、その赤ん坊は肩に引っ付いたままだった。
「お前の側がよく眠れるんだろう。私は焼いたから近寄らないだろうなあ」
サラディンはためしに手を出してみたが、塊はちらりとも動かなかった。逆にオルガの背中の方に移動している。
「やっぱりな」
サラディンは両手を広げていた。
「まあ、小さい信者ができてよかったと思うしかないな。あまりうっとおしがると、赤ん坊が泣くかもしれんぞ」
「うーん、私はあまり子供に好かれるたちじゃないんだが……」
「夜が怖いんじゃないのか？ お前の力は安らぎをもたらすものだからな。ひっついていると安心するのかもな。歌ってよしよししてやったら」
サラディンは他人事のように言っている。しかもいいようがえらく優しい。
「もしかして、焼いたことにちょっと気がとがめてるのか？」
オルガは怪しんで聞いた。
「別に。助けるために焼いたんだからな。だが、それをこの子に説明してもわからないだろうなあ」
白い塊はオルガの背中に隠れたまま出てこず、オルガも「父親じゃないなら説得できないだろうなあ」とつぶやきつつ神殿を去って行った。
火というものは畏怖する物であって、慣れ親しむようなものではない。
「……まあ私はどうせ子供に嫌われる存在だからな」
サラディンはオルガがちょっとうらやましかったのか、ぼそりとつぶやいたのだった。
イシュタールの剣の修行は毎日続いていた。神の国ではあまり日にちの概念がないようだ。何時に待ち合わせしましょう、という時間の概念もない。
イシュタールが神の国に来て何日経っているかは不明だったが、ゆりが去ってから10日は過ぎていた。
ハロルドがやってくることはなかったが、ハロルドに従っている剣のすごい使い手の妖精達がやってきてはイシュタールに手ほどきをしてくれていた。
妖精達はすごく真面目で親切で、イシュタールは毎日楽しくてならなかった。心の底では後ろ髪をひかれまくってはいたが。
一日びっしり修行しているわけではなく、午前か午後2時間ほどで、残りの時間は火の妖精としてのことをいろいろ教わっているのだった。
この日、イシュタールは熱心に妖精と剣でやりあっていたので、火の神殿の近くにクーリーフンが飛んできたことに、まるで気づかなかった。
「だいぶ動きがよくなってきたねえ」
クーリーフンが火の神殿の近くで見物していた妖精に声をかけると、その妖精は「そうですね」と答えて返した。
「体が本調子に戻ってきたようだね」
「はい」
妖精はなんだか楽しそうである。その妖精は前にもここにいてイシュタールを眺めていた。顔立ちは若く面長で、
目立たない優しげな風貌だった。髪は黒髪で背中までの長さの髪を一つに結んでいる。
背はそんなに高くはなく、腕は太めだった。指も節くれだっている。彼はジェラルドのところにいる妖精であり、その多くは職人である。
「昔が懐かしいとか？」
クーリーフンは、彼が元人間だというのを知っていた。
「ええ。一族を捨てた身ですが、彼を見ていると昔のことがあれこれと思い出されまして……」
「もしかして蛇だったの？」
「そうなんですよ」
「へーそうだったんだ。そりゃ懐かしいだろうねえ」
クーリーフンはこの妖精がどういういきさつで妖精になったかは知らない。
「勇者サルジーニに彼はよく似てましてね。つい懐かしく思って眺めていました」
「ふーん」
「彼はザクート王以上に注文が多い男でしてね。鞘の意匠はああしろこうしろと、細かく言ってきたもんですよ。私が仕上げた剣には
大満足しているくせに、口では『まあまあだな』などと憎らしいことを言ったりと」
「あなたのこと、彼も知ってるかもね」
「知らないでしょう。もう、私は大昔の人間ですからね。伝説に残るのは偉大な人物のみですよ。わたしなど」
妖精はうっすらと笑みを浮かべていた。
「ジェラルドに見込まれたんだから、あなたもたいした人間だと思うけどね」
イシュタールに目を戻すと、イシュタールは妖精になにやら指導されているようだった。イシュタールは熱心に聴いている。
「私が作った剣や武具は、どれほどの時を生きながらえたのか。千年、二千年も生きることができたのだろうか……」
妖精はぼそりと独り言のようにつぶやいた。
「そういえばあの剣達はどうなったのだろう……」
妖精は昔のことを思い出していた。
当時彼には.稀有な能力があった。それは作った剣や武具に魔法力を付属させるという力であった。彼の父も鍛冶屋であり、
そういう力が多少はあったのだが、彼の方がそういう力が上であった。剣や武具に様々な魔法を付属させて、それを勇者達に試してもらうのである。
それが実に面白く、彼はその研究を重ねて、やがて、王も絶賛するほどの数々の剣を作り出したのだった。
時代はザクート王の父親の代である。やがてザクート王へと代は変わり、彼は国一番の職人として、何十人もの弟子を従えていた。
だが、皮肉なことに、すばらしい魔法剣も、この時代ではあまり実用的に使われることはなかった。個々の力が強かったためである。
それでも彼はもっとすばらしい物を作りたいと懸命だった。
老齢に差し掛かったとき、ある日ザクート王が彼を召して言った。
「聖剣イレイザとダ・ムー、あれをもう一本づつ作れ。いや、あれでは困る。お前の全精力を込めてあれ以上の魔法剣を作ってくれ」
「イレイザとダ・ムーをですか？ 一体何のためにでしょうか」
「私は遠い子孫に贈り物をすることにした。その箱の中に、その二本を入れたいのだ」
「遠い子孫と申されますと？」
「残念ながら、お前以上の職人は二度と現れまい。お前の魔法剣は、何千年もの時を越えるのだ。そして、我らの子孫の手に渡る。
彼らの力になるために、お前の最高傑作を作ってくれ」
『何千年もの時を越える』
その言葉に彼の心は躍った。ザクート王はその時多くは語らなかったが、遠い未来ならば自分の剣も実践で有用になってくるのかもしれない、
そう彼も感じていた。
それから、彼は二本の剣を作るのに全精力を傾けた。魔法剣を作るには、自分の魔法力を注ぎ込まねばならないのだ。
イレイザを製作中、不思議なことが起こった。彼の熱意に惹かれたのか、剣を打っている最中数匹の蛇霊神が入ってきて、
刀身にまとわりついたのである。そしてその蛇霊神は、剣と一体化したように消えてしまった。
今までのすべての業、自分の力を注ぎ込み、二本の剣は完成した。その後彼の人間界での記憶はない。
彼は、剣が完成してすぐ、安心したかのように事切れてしまったからである。
その後、その技術力を買われて彼は妖精になったのだった。
（ザクート王よ、あの剣達は無事時を越えたのでしょうかねえ。王の魔法に間違いはない。きっと、何千年もの時を越えたのだ。
彼より先か、後か……いつのことなのだろう……）
妖精は目を細めてイシュタールを見つめていた。
まさしく、その二本の剣をイシュタールが目にしたことがあると知ったら、彼はどんな顔をしただろうか。
戦場でその二本の剣が戦士達の補助を立派にしてくれたと知ったなら、彼も誇らしげに微笑んだに違いない。
だが、残念ながら、彼はイシュタールに自分の名を名乗ることはなく、イシュタールも伝説の名職人がここにいると知ることはなかった。
「君の時代の勇者に比べて彼はどう？ 見込みはある？」
クーリーフンが無邪気に聞いてみた。
「そうですね。後一年もここで修行すれば、すごい戦士になれるのではないでしょうか」
妖精は率直な意見を述べた。
「そんなにいるのは困るなあ。ほどほどで帰ってもらわないと」
クーリーフンは困り顔である。
「いちゃまずいのですか？」
「だってさ、あの女の人が遅すぎるって絶対取り返しにきそうじゃない？ なんといってもあっちにまで行った人なんだからね」
『あっち』が『闇の国』ということを妖精はすぐに察していた。
「そうでしたね。確かに」
「もうちょっとしたらなんとかしなくちゃ」
クーリーフンはそうぼやいて飛んで行った。
「彼がいなくなるのは残念ですが、愛の前にはしょうがないですね」
そうぼやいて、彼もその場を去ったのだった。
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