第47話
後半怒涛の展開となった今年も終わりに近づいていた。ゆりの部屋には今日はジュメがやってきている。そしてゆりのひざの上には
ハインリヒの子供、ドルイドが乗っていた。ドルイドは生まれて半年ほどだ。体つきもしっかりしてきて、ゆりのひざの上でだっこされて
足を揺らしている。青い髪がかなりふさふさになってきた。その右目の蛇の瞳を見ると、ゆりはなんともいえない悲しいようなうれしいような
複雑な心境になったりもするのだった。
外は寒かったが、先ほどハインリヒが魔法で部屋を暖めてくれたので、結構暖かく、ゆりもジュメも上着を脱いでいた。
ジュメは普通に微笑んでいる。あの事件もようやくふっきれているようだ。
「イシュタールが帰るのは来年になるのかしらねえ」
ゆりが切り出してみた。
「きっと、楽しく過ごされているのではないでしょうか」
ジュメは笑顔で返した。
「でも早く会いたいでしょ？」
「はい、ですが、神の国にいらっしゃるのですから、安心です。メリッサには早く会わせてあげたいですが」
「そうだよね。もう長いこと会ってないものね」
「今度のことでは、王妃の愛の深さに本当に感動しました。私達はただおろおろと泣くばかりで、何もできませんでしたから」
「いやあ、私がこの世界で生まれていたら、ああいう風にはできなかったよ。本当は私がすごいわけじゃないのよ」
ゆりは謙遜でもなくいった。
「いえ、やはり王妃はすごいです」
「ありがとう。半分妖精のイシュタールを見たら、他の恋人達はどんな顔するかしらね。ジュメはどう？」
「私はもうイシュタール様の恋人でいる資格はありません」
「何言ってるの。好きなら恋人でいればいいじゃない。遠慮なんてする必要ないよ」
「はあ」
「イシュタールの新しい生活には、笑顔で支えてくれる人たちの支えが必要なんだから、ね」
「はい」
ゆりがウインクすると、ジュメは泣きそうな顔で微笑んでいた。
「今年もいろいろあったなあ。ドルイドも無事生まれたし、蛇になっちゃったりもしたし、儀式で楽しい女蛇と知り合いにもなったんだった」
思えばその頃はまだ平和だったなあとゆりは懐かしげに思い出していた。
「王妃が変身されている時のことですね」
「そうだったわ。普通の状態じゃ儀式はできないのかなあ？ でもこの子赤い月以外にできた子だけど、
まったく力がないわけじゃなさそうらしいけどね」
「そうですか。王妃がいらしてから新しい年が明けるのが楽しみでなりませんよ。来年はどんな楽しいことがおこるか楽しみです」
「ははは、来年には、ドルイドももっと大きくなってるね」
ひざの上にいたドルイドはおとなしいなと思っていたら、いつの間にか眠っていたのだった。
イシュタール、元気で鍛えられているのかなあ？
神の国にいけたら顔を見たいと思ってるんだけど、なかなか行けてないし、まあしばらくは行かない方がいいかも、
とは思ってるんだけどねえ
ガーベラのままアシュランにばったり会うのもなんだか怖かった。あの時の恨みを言ってしまいそうだ。あの時、とは変な踊りを踊らされた
ことについてだが、今思い出すだけで恥ずかしい。ハザークには「あれ、また踊ってくれ」などと言われて赤面することもあった。
あれはもう忘れたいわ……
ゆりにとっては、人生で思い出したくないワースト10に入るほどの出来事だったようだ。
ジュメがゆりの部屋から出ると、廊下にエルバートが立っていた。
「王妃様いらっしゃいますよ」
ジュメが気を利かせて告げたものの、エルバートは「はあ」とだけ返して、突っ立っていた。
ジュメはちょっと首をかしげてそのまま去って行ったのだった。
今年は蛇の国から北の方は、寒波が押し寄せている国が多くあるようだ。遥か北の麒麟の国では、すでに雪で覆われている町も
多いようだが、狼や犬、豹、龍の国でも雪が積もっているとか。そのため商人達は暖かい南の方へと移動している。
夜の北砦の食堂でも、戦士達は商人達から仕入れたその話で持ちきりだった。
「麒麟の国では雪が屋根の高さまで降ることもあるんだって」
「絶対行きたくないな」
寒さが苦手な蛇の一族の戦士達は、話を聞くだけで身を震わせていた。
寒い夜などは、酒をあっためてもらって飲む者もいる。
「ここも雪が降るかもしれない。備えを万全にしておかないとな」
「そうだな。食料の備蓄量も後でまた確認しておかねば」
などと話しているのは、戦いではなく、国の経済的な部分を支えている連中だった。どの国も、この時期食べ物の備蓄は重要事項である。
どこの会話にも混じることなく、ひとりぼんやりと食事をしていたエルバートの横に、シャナーンが座った。
「やあ」
「やあ」
エルバートはぼんやり返した。
「なんだい。眠いのかい？」
シャナーンはトレイに乗っているお酒の瓶に手を伸ばしてグラスに注いでいた。エルバートは白い陶器のグラスに酒が入っている所を
見ると暖めてもらったのだろうが、湯気が出ていない。すっかり冷めているようだ。
「いやあ、個人的なことでちょっと……」
「へえ何？ セリアさんとけんかでもした？」
シャナーンはかなり上機嫌な顔で聞いた。外の寒さもなんのその、シャナーンの表情は春のように穏やかで、機嫌もいい。少し離れた
席にいた女の子達が、「シャナーン様ステキ！」などとキャーキャー言うのもしょうがないだろう。しかもシャナーンが小さく手を振って
返しているではないか。機嫌が良すぎで何か起きそうで、怖い、などとエルバートはつい思ってしまっていた。
「セリアさんは関係ないよ。いや、まあセリアさんはセリアさんで大変なんだけど、キース将軍には内緒なんだけど、また最近食欲がすごい
らしくて、それを押さえるのに必死なんだ」
「そうなんだ。なんでキース将軍には内緒？」
「聞くと『私のせいですまない』とか言い出すからさ。セリアさんはしばらく気が立っていたけど、王妃にこの前会いに行ったら
元気になって落ち着いてたよ。やっぱり王妃の魔法はすごいね」
「そうだ。王妃の魔法だ。愛の魔法」
シャナーンはいやになるほどとろけそうな顔をしていたので、エルバートはちょっと頬を引きつらせていた。
「君は幸せそうでいいなあ」
「セリアさんのことじゃなかったら何？」
「いいよ。なんか言う気がうせた」
「諸君、今日もお仕事ご苦労さん！」
などと声をあげている男がいた。ミカエルである。ミカエルは戦士達の肩を軽くたたきながら上機嫌で食堂の中を歩いていた。
最近ミカエルもずっと機嫌が良い。
（シャナーンとミカエル様って似た物同士だな……）
ついそんなことを思ったエルバートだった。
エルバートの悩みはカーライルのことだった。最近話しかけてもあまり返してこないのだ。どうも様子が変なのである。
エルバートは、そのうちにカーライルがいなくなるような気がして怖かった。
カーライルがいる生活に慣れてしまっているせいか、ひとりになると、孤独になってしまう気がしたのだ。
なんとも男らしくない考えで、誰にも相談もできなかった。相談しても、「いなくなったらしょうがないんじゃない？」などと
言われるだけだろう。
だめだ、このままぼんやりしていても解決しない。やっぱり王妃に相談してみようかな
王妃は優しいから、腰抜けなどと罵倒したりはしないだろう
普通は恋人に打ち明けるものなのかもしれないが、妊娠しているだけで大変なセリアに自分の悩みなど聞かせたくはなかった。
最近城の周りをうろうろしてはゆりの部屋に入ることができずに帰っていたのだった。
エルバートは意を決して、次の日、ちょうど休みだったので朝、手紙でお伺いをたてて、午後ゆりの部屋を訪ねてみた。
部屋の中は暖かかった。ゆりも笑顔である。
「エルバート、この前はごめんね。ろくに挨拶もしないで」
ゆりがエルバートに会うのは、この間カーライルを呼んでもらってぶりである。
あの時はばたばたしていてエルバートとはろくに話もしていなかった。
「いえ」
「まあ座って、相談ってなあに？」
朝ゆりがもらった手紙には、相談したいことがありますと書かれていたのだった。二人は机を挟んで向かい合わせに腰を下ろした。
「実は、カーライル様が最近変なんです。話しかけても、あまり返してくれず……夢の中で出会っても、ぼんやりされてて……」
「へえ、最近っていつから？」
「そうですねえ。ちょうど王妃が帰られてからですかね？」
「ふーん、ちょっと話してみようか？ 変われそう？」
「変わってみますね」
ゆりは静かにエルバートが変わるのを待っていた。すると、5分ほどの間をおいて、エルバートの目付きがかわってきた。
「カーライル様、どうかされたんですか？」
「……何が？」
「エルバートが心配してますよ」
「……実は王妃に頼みがある」
「はい？」
「あの時の踊りがもう一回みたい」
「……はあ？」
ゆりの目はまん丸になっていた。
「見たくてたまらないのだ」
カーライルは真顔で言っていた。
「あの時のってなんでしょう」
ゆりは一応聞いてみた。
「ほにゃにゃにゃにゃ」
「いやです」
今度は即答した。
「あの踊りが目に焼きついて離れない。元はといえばお前が変な踊りを私に何度も見せるからだぞ。責任取れ」
「意味がわかりません」
「どうでもいいから踊ってくれ」
「やですよ。もうあれは二度とやりませんからね」
ゆりの顔は真っ赤だった。
「なんでそんなに見たいんです」
「わからん。あれ以来、どうもお前のことが頭から離れない」
「はあ？」
「お前がかわいいとか思っちゃってるこの私の気持ちはどうすればいいんだ」
カーライルは両手を握り締めている。
ゆりは驚きすぎて倒れそうなくらいのけぞっていた。
「私を好きになったんですか？」
「認めたくないが……まあそんな感じである」
「あははは冗談ばっかり」
「私も冗談ですませたい」
カーライルは目を閉じている。ゆりはどうやら真面目な話のようなので、逆に困っていた。
原因があの踊りってのがゆりには腑に落ちないことだった。
あれで好かれてもあんまりうれしくはない。
しばらく両者の間できまずい沈黙があった。
「というわけであれをやれ」
「やですよ」
「じゃあくどくぞ」
「ええ？」
「踊らないならくどくぞ」
カーライルがジーと見つめてきて、ゆりの顔はさらに真っ赤になっていた。
「いや、その展開はびっくりすぎますよ。だめですってば」
「じゃあ踊れ」
「うーん、あ、もしかして、あの踊りには私を好きになるような効果があるのかもしれないですよ？ ハザーク様もたまに踊れって
言うし、あれをいっぱい見ちゃったから、そういう気持ちになっちゃったんじゃないんですか？」
ゆりは体温が上昇しつつも、そう分析した。自分が男なら、あれを見て女を好きになるなんてことは絶対ないだろう。
カーライルがあれで自分に好意を持ったなんてどう考えてもおかしい。
『私の魅力にようやく気づいたのね！』と思うほど、ゆりは自意識過剰ではなかった。
カーライルははっとした表情をした。
「そうかもな。それなら納得する。私もなんかおかしいなと思ったんだ。あれでのろわれたと思ったくらいだ。
なら、この気持ちを相殺するような魔法を聞いてこい」
「え？」
「それで解決だ」
「聞いてこいって言われても、隣町に行くんじゃないんですよ。神様の国に行かなきゃならないんですよ」
「お前、神と懇意にしてるんだろ？」
「いや、気軽に尋ねてるわけじゃ……」
結構気軽に尋ねているが、そこは秘密だった。
「しかもアシュラン様を訪ねてそんなこといえないですよ。もし魔法を教えてもらえても、
今度は何を言わせられるかわからないじゃないですか！」
ゆりはどうも自分がおちょくられている、と感じていたようだ。次はさらに変な踊りをさせられることになりそうだ。
それよりも、しばらくアシュランには会いたくない。
「いいから聞いて来い。でなきゃ私はずっとこのままじゃないか！ そんなのいやだ。元に戻せ！」
「わかりました。それじゃがんばってみます」
ゆりはとりあえず笑顔でそういった。
「そうか」
「すぐには無理ですから、ちょっと猶予をください。それからエルバートが心配してますから」
「わかったわかった。じゃあ今日はもう行く」
カーライルは立ち上がった。
ゆりも見送ろうと立ち上がった。カーライルはゆりの側まできて、なんとゆりを軽く抱きしめてきたのでゆりは硬直していた。
しかもほっぺに軽くキスして、去って行ったのだった。
ゆりの体温はありえないほど上昇していた。
「あのカーライル様がこんなことするなんて……まじだわ。まじでおかしくなってるわ」
（くどかれるのも面白いかも……）などとちらりと思ったが、ゆりはぶるぶると頭を振るっていた。
だめよ。私はいい男の押しに弱い。やっぱり普通に戻ってもらわないとややこしいことになるじゃない！
ゆりは押しに弱いことについては自覚しているようだ。
「そのためにはアシュランにまた呪文聞かなきゃならないの？ それもやだーでもこのままでも困るし……カーライル様に
会わなきゃいいかも？ でもそうなるとエルバートにも会えないしなあ……」
ゆりはひとりぶつくさ言いながら部屋の中を歩き回っていたのだった。
「ああ、もう、悩む！ でも、なんかしょうもないことで悩んでる気がする！」
イシュタールのときのことに比べると、なんとも小さなことのような気がしないでもない。
「よし、もし神の国にいけたら……がんばるかな」
ゆりはそれが今夜じゃないように、とちらりと思っていたのだった。
さて、こちら神の国では、自分の神殿の外で花の冠を作ったガーベラは自分の頭に乗せていた。
そしてちらちらとあたりを見回していると、「お母さん」と声をかけられた。
見ると真上に小さいクーリーフンがいる。
「なんだいたの」
「どこか行く気でしょ。火の神殿はだめだよ」
「なんでよー私もイシュタールがみたいい！」
ガーベラは抗議するように大きめの胸を揺らしていた。
「毎日忠告しに来ないでよ。私もすっかり元に戻ったイシュタールに会いたいわ」
「そんなめかしこんで何を考えてるんだよ」
クーリーフンはガーベラの肩をつついていた。ガーベラからはいつも以上にいい匂いがする。ピンクの布地の服も、胸元がいつもより
開いているような気がする。この谷間を見よといわんばかりである。人間の男なら、一目で悩殺されるに違いない。
ガーベラは基本的にゆりの恋人達に好意を感じているので、二人きりにするとなにやら怪しいことになりそうである。
そうなるとサラディンともめることにもなるだろう。それもあり、クーリーフンはガーベラを火の神殿に行かせないようにしていたのだった。
「何って、何も。やだわ。私がまさか、火の神殿でサラディン以外の男といちゃいちゃなんてできるわけないでしょ」
「誘惑はもういいよ。それでなくても誘惑だらけなんだから」
「クーリーフンがなんでそこまで彼を心配するのよ」
「心配してるのは彼じゃなくて彼女だよ。ここに乗り込んできかねないじゃないか。彼が帰るまで絶対に身体をかさないでよね」
「わかってるわよ。でも大丈夫だと思うけど、心配性ねえ」
ガーベラはほほほと笑っていた。
「お母さんの大丈夫はあてにならないよ。サラディンにまで彼女のことがばれそうで怖いよ。ばれたらもう遊べないよ？」
「わかったわよー」
基本的に楽観的主義のクーリーフンだが、サラディンの前でイシュタールとガーベラに入ったゆりがあまりやりとりすると、
そのうちおかしいと感じてしまうかもしれない、とそこを危ぶんでいたのだった。それにはイシュタールがそこそこで人間界に帰るのが
いいと思っていた。
クーリーフンの心配も、ガーベラはどこ吹く風という感じであるから困ったものである。
その時愛の妖精シャリィがニコニコ顔でやってきた。両手に何かもっている。人間の赤ん坊だ。
「あら、あなたまだ人間の赤ちゃんにはまってるの？」
ガーベラが聞くと、シャリィは赤ん坊に頬ずりしていた。赤ん坊はきゃははと笑っている。
シャリィは人間の赤ん坊がことのほか好きらしく、どこかで見つけては抱っこして連れまわしているのだった。
「じゃあ僕行くね。火の神殿以外ならどこにいってもいいよ。じゃあね」
クーリーフンは飛んで行った。
「あれだけ言ってまさか行かないよね」
クーリーフンはそう思いながらも、ちょっと火の神殿によってみた。
すると、火の神殿の外に、妖精達が男ばかり大勢集まっている。と思ったら、中心にイシュタールとダーナがいて、
クーリーフンはずっこけそうになった。ガーベラを止めたと思ったらまさかダーナがここに来ていたとは。
「あら、クーリーフン、彼をねぎらいにきたのよ。うふふ」
ダーナはクーリーフンに気づくとそういって優しく笑っていた。イシュタールといえば、他の妖精達と同じ、ぼんやりと赤ら顔である。
「私このあたりってあまり来たことないの。せっかくだから歌でも歌ってあげましょう」
ダーナの言葉に妖精達は「わー」と喜びの声をあげていた。
「なんだか無駄な努力をしてる気分になってきた……」
クーリーフンは力なく飛んで行き、その場を離れたのだった。
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