第48話
ある日の夕暮れ時、大きいクーリーフンが空を飛んでいると、前方からペガサスが飛んでくるのが見えた。
クーリーフンは気づくやいなや逃げるように方向転換していた。
「こら、なんで逃げる」
しばらくするとペガサスが横を並んでいた。クーリーフンよりもペガサスのほうがスピードは上のようだ。
ペガサスにはやはりハロルドが乗っている。最近のクーリーフンとハロルドのやりとりは、
ずっとこんな感じである。
「え？ 別に逃げてないよ。身体が勝手に……勝手に……こら、かまないで」
ペガサスが口をあけたまま近づいてきたので、クーリーフンはあわててよけていた。
「ちょっと来い」
「ええー？」
あからさまに嫌な顔をしたクーリーフンに、ハロルドはあごをしゃくり、クーリーフンは仕方なく地上に降りた。
「もー一体何？ 僕用事があるのに」
「あっちのガーベラはあれから来てないだろうな」
ハロルドは突然確認するように聞いてきた。
「あっちもこっちも……来てないんじゃない？ たぶん」
ハロルドが睨んでいたので、クーリーフンはあっさり答えた。
「たぶん？」
「僕はお母さんを監視してるわけじゃないもん。でも来てないと思うけど。ちゃんとあの男性が帰るまでは来れないようにしてねって言ってるよ」
「ならいいが……まさか勝手に来ないだろうな。あの男そろそろ返した方がいいかもな」
「帰れっていったら？ 元々ハロルドが鍛えることになってるんだから、ハロルドが言えばいいじゃない」
「うーん、私はちょっと言いにくい」
「なんで？」
「妖精同士が楽しげにしてるからなあ、それにアシュランが認めたことだし……」
そのくらい自分にも遠慮深くしてほしいものだ、とクーリーフンは思った。
「……あの、このペガサスしきりに翼をかもうとしてるんだけど」
ペガサスはクーリーフンの背後に回りこもうとしている。
「こいつは鳥が好きなんだ」
「僕は鳥じゃないよ」
ハロルドがペガサスの頭をなでると、ペガサスはクーリーフンから少し離れて、じっと見ていた。
「とにかく、今の内はあっちのガーベラに気をつけろよ。サラディンがいくら鈍いとはいっても、危ないぞ」
「はいはい」
「じゃあな」
ハロルドはペガサスに乗って飛んで行った。
ハロルドもゆり本人に来るなといえばいいだろうに、ゆりが来て会えればそれはそれでうれしいのかもしれない。
「やれやれ、僕もなんでこんな苦労を……今まで楽しんだ罰かな？」
クーリーフンは愚痴りながら飛んでいった。
クーリーフンが行った先は夜の神殿だった。珍しくオルガにこんな時間に呼ばれたのだ。
神殿の中は薄暗く、クーリーフンが奥まで入って行くと、オルガはベッドで横になっていたが起きていた。
「どうしたの？ 早いね」
クーリーフンが聞くと、オルガは身体をおこした。
「実はお前に頼みがある。この前来てた人間の女性がいたろう？ あの女性にこれを届けてほしい」
オルガがクーリーフンに渡したのは、大きなピンクの巻貝だった。伝言貝である。
クーリーフンはそれを見つめつつ、「なんで？」と聞いた。
「実は……」とオルガは説明した。その女性のお腹の中の赤ん坊に好かれていること、そして、赤ん坊が自分の歌が好きなことをである。
クーリーフンは意表をつかれた顔をして話を聞いていた。まさか、そんなことが起こっていたとはびっくりである。
「カサンドラに相談して、こうすることにしたんだ」
赤ん坊に来られて困ったオルガはカサンドラに相談し、伝言貝を渡すことになったのだった。
「つまり、この貝の中には歌が入ってるわけ？ オルガの歌？ 僕は聞いたことないよ」
クーリーフンは巻貝を耳にあてようとして、オルガが阻止していた。
「こら、聞くんじゃない」
「えー？ 聞かせてよーじゃなきゃ持っていかないもん」
クーリーフンは子供のように口を尖らせている。
「じゃあ私がいないところでこっそり聞いてもいい。あの女性にも誰の歌かなんて絶対言うんじゃないぞ。絶対だぞ」
「わかったよ。じゃあ赤ん坊に付きまとわれて迷惑だって言わないの？」
「そこまで言わなくていい。夜な夜な赤ん坊がいなくなってると知ったら女性も驚くだろう。適当にごまかしてくれ」
「うーん、適当にねえ。これって誰宛なの？ あの女性しか聞けないの？」
「いや、一応誰でも聞けることになってる」
「そうなんだ。じゃあ持っていくよ」
「あまり余計なことは言わなくていいからな。簡単に説明してきてくれ」
「わかりました。それじゃねー」
クーリーフンは神殿を出て行った。そして、どきどきしながら巻貝を耳にあててみた。
「わお！」
その穏やかな美声にクーリーフンは思わず声を発していた。
「驚いた。むちゃくちゃいい声だ。これは披露しないなんて勿体ないなあ……」
だが、大勢の前で歌うオルガというのは想像できなかった。夜にこっそり聞くのがいいような歌である。
「赤ん坊がファンになったなんて、笑えるなあ」
クーリーフンも今回ばかりは笑いながら人間界に向かったのだった。
さて、その頃ゆりは、といえば、おかしくなったカーライルにさほど悩んでもいなかったのだが、今日の午後シャナーンといる時に
ハート型の花輪が届いた時には、さすがにやばいと思っていた。花屋に頼んだのだろうか。本人が作ったとは考えたくない。
シャナーンからは「なぜカーライル様がこんな花輪を？」と当然かんぐられ、ゆりは素直に説明した。誤魔化しても墓穴をほりそうだからだ。
「だからカーライル様ちょっとおかしくなってるだけなの。そのうちにもとに戻るから」
とゆりは言ったが、シャナーンは、
「それは違いますよ。魔法のせいではないです。王妃の踊りが美しかったから好意をもたれたんですよ」
と真顔で返してきた。
「いやいや、全然美しくないよ。変な踊りなんだから」
「私も見たいです。王妃の踊りを」
シャナーンの瞳はきらきら輝いている。
「いやいや、本当に変な踊りなんだってば」
「王妃は何をしても美しくなってしまうんですよ」
「いやいや……」
相手がシャナーンでは素直に説明しても、逆におかしなことになっていたのだった。
「カーライル様が本気だったらどうなさるんですか？」
「どうもしないよ。どうもこうも……からだはエルバートだし」
「彼は最近悩んでる風でしたよ。もしや、エルも王妃のことで悩んでるのではないでしょうか」
「全然違うよ。エルバートはカーライル様のことで悩んでただけよ」
「そうでしょうか」
「そうそう。だからシャナーンは変な心配はしないでね」
「はい。でも、カーライル様もついに王妃の魅力に気づかれただけだと思いますが……」
「ははは……」
ゆりは力なく笑っていた。
そんなゆりの元にクーリーフンがやってきたのは夕食後、部屋で一人になった時だった。
こんな時間にクーリーフンがやってきたので、ゆりはイシュタールに何かあったのでは？と不安になった。
「ど、どうしたの？ イシュタールがどうかした？」
「いや、あの人は元気だよ。あなたに用があったね。はい、これ」
クーリーフンはゆりに大きな巻貝を渡した。それが伝言貝だとゆりはすぐにわかった。
「イシュタールから？」
「違うよ。その……えーとね、ある神様から、がんばったあなたに贈り物。これは寝る前に聞くのがいいかな。枕元に置いて聞きながら寝てよ」
ゆりはきょとんとした顔をしていた。
「ある神様って？ ハロルド？」
「違うよ。相手はあんまり詮索されたくないみたいだからさあ。あんまり聞かないでよ」
「そうなの？」
「寝る時に聞いてね」
「わかったわ。ありがとう。そうだ。実は、人間界に戻る前にアシュラン様にある呪文を教えてもらったんだけど、それが効きすぎて私のこと
好きになっちゃった男の人がいて、ちょっと困ってるの。元に戻したいんだけどどうしたらいいかな？」
ゆりは簡単に説明した。
「好きになったんならいいんじゃないの？」
クーリーフンはあっさり返した。
「いやあ、その人とはあんまりそういう仲になりたくないの。嫌いってわけじゃなくて、たとえば、遠い親戚のおじさんに
突然好かれて戸惑ってる。そんな感じ」
ゆりは自分でもよくわからないたとえをしていた。
「ふうん？、アシュラン様の呪文なら、僕にはどうにもできないなあ。アシュラン様に聞いてみないと」
「聞いてくれる？ 何かのついででいいからお願いしまーす」
ゆりは両手を合わせて頼んでいた。
「それからイシュタールはいつごろ帰ってくるかしら？」
「さあ、近いうちに返したいけど。あまり遅いとあなたが乗り込んできそうだから」
「ふふふ。まさかあ。でも楽しくやってるならよかった」
「それじゃいくよ」
「ありがとう」
外に出たクーリーフンは、たまたまベランダにいたミシェイラに目ざとく発見されてつかまっていたが、ゆりは知らないことだった。
ゆりは巻貝を耳にあてて5秒ほどして、そのまま床の上に倒れて寝てしまっていたからである。
その後すぐ部屋にやってきた侍女に発見されて、起こされたのだった。
「王妃様、びっくりするじゃないですか。寝るならベッドで寝てくださいませ」
「いつの間に寝たんだろう？ これを聞いたら」
ゆりはもう一度巻貝を耳にあてた。何か男の人の声が聞こえてくる、と思ったら、ゆりは目を閉じてグーと寝てしまっていた。
「王妃様、ベッドで寝てください！」
ゆりはもう一度侍女に起こされていた。
「うーん、これを私にくれた意味はなんなんだろう？ なんだかすごくいい声がして、全部聞きたいのに聞けない！ なんだかもやもやする！」
ゆりはアナスターシャ、シス、ラギに巻貝を聞かせてみた。すると、面白いくらいに3人とも寝てしまった。
「そうか、私の美容を気遣った神様がくれたのね。よく眠りなさいってことね！」
ゆりにはそういうことしか思いつかなかった。
その夜、ゆりは言われたとおりに巻貝を耳元において寝た。するとやはりものすごい速さで眠りについていた。
次の朝、ゆりは子供達と巻貝について話し合った。一人ミシェイラは昨日クーを見たと興奮している。
「私もクーリーフンがみたかったなー」
とナナミからは恨めしげにみられ、ゆりは
「ごめんね」
と謝ることしきりだった。
「『「静かな〜夜に〜♪』から先が聞けない。聞きたいのに聞けないのよねー」
とゆり。
「静かな夜に〜か、次の歌詞もきになるなあ」
ラギは何気に巻貝を耳にあててしまい、そのまま目を閉じてしまったので、横にいたシスがあわてて支えていた。
「もう一人のお母さんも何かわからないの？」
アナスターシャの言葉でゆりの左目は変わっていた。
「さあねえ。最近気になることが多くてあまり眠れなかったから、やっぱり私のことを気遣った神様がくれたんじゃない？」
どちらのゆりも、まさかお腹の子供あてだとは夢にも思わず、誰の歌かの見当もつかなかった。
それから数日、ゆりは枕元に巻貝を置いて寝ていたので、ラクシュミが来る頃にはすっかり熟睡する日々だった。
おかげで夜迫られることもなく、こちらもぐっすりである。
「誰か知らないがありがたい」
ラクシュミはぼそっとつぶやいていたが、ゆりが聞くことはなかったのだった。
新たな年が明けて、アナスターシャの誕生日がすぎた頃、再びクーリーフンがやってきた。今回は小さいクーリーフンである。
「はい、これ」
クーリーフンがゆりに渡したのは金色に光る小さな矢だった。
「夜、眠るときにこれを胸に刺して寝たら、神の国にいけるから」
「え？」
ゆりは小さな矢を見て目を見開いていた。
「胸に刺す？」
「痛くないよ。ちなみにアシュラン様の部屋に直行だからね」
「えー！！！！ 私、別にアシュラン様に会いたくはないんだけど」
「僕の話じゃよくわからんから直接聞きたいって。よかったじゃない」
「えーえーいやあ、どうしよう。困ったなあ」
ゆりは逆に困っていた。
「じゃあ僕これで」
「えー私が行かなきゃだめ？」
「来いっていうんだから行きなよ」
「アシュラン様に直訴するような内容じゃないよー」
「そういわれても。僕忙しいからこれで」
「あーちょっと待って！ ナナミに〜」
と言った時にはクーリーフンはもう消えていたので、ナナミにあわせることはできなかった。
ゆりの手には10ｃｍほどの金色の矢が握られていた。
カーライルのことはどう考えても最高神に直訴しに行くような内容ではないだろう。
国が危ないからどうにかしてくれとか、どうせならそういう内容で会いに行きたいものである。
引きつった顔で立っていると、侍女が入ってきた。
「また花輪が来ましたよ」
侍女は両手に持っていたハートの花輪を見せた。ピンクの花がびっしりついている。
「綺麗ですねえ。どの花屋で頼まれたんでしょうか？ お手紙です」
ゆりは手紙を読んでさらに顔を引きつらせていた。
手紙には『顔がみたい。明日行ってもいいか？ カーライル』と書かれていた。
こうなったら今夜行くしかない？ でもバカ呼ばわりされそうな気がする。
行くのやだー！！
ゆりはしばらく残された花輪を見ながら悶絶していたのだった。
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