第49話
金色の矢を手にしばらく思い悩んでいたゆりだったが、取るべき道は一つしかなかった。来いといわれた以上は行くしかない。
これを無視すれば、それこそ失礼にあたるというものである。その方があとあと怖い。行って笑われたほうがまだましだろう。
「よし、お風呂に入ろう！」
ゆりは矢を机の引き出しに隠し、浴室でいつもの倍の時間をかけて身体を洗い、身支度を始めた。
お風呂から出て「ドレスを着る」と言ったゆりに、侍女達は不思議そうな顔つきだった。
神の国に行くと決まっているのだから、やはり正装するしかないだろう。ゆりはコルセットまで持ってきてもらってウエストをしめて、
紫色のドレスを着た。冬用なのでぶ厚い生地で露出度は低い。念入りに化粧までしている。
「あのう、これから寝られるのではないのですか？」
侍女が当然聞いてきた。
「寝るわよ。たまにはまあ……あんまり気にしないで」
「今日は久しぶりに王様とうふふなのですね」
もう一人の侍女は誤解してにんまりしている。だがそれにしては変だろう。侍女達はちょっと不思議そうにゆりの髪を整えていた。
まさか、これからアシュラン様に会いに行くのよ、などと口が裂けても言うわけにはいかない。
このことは、ラクシュミにも、子供達にも秘密だった。理由が理由だけに言えば呆れられらるだけだろう。
ゆりは身支度を整えて侍女に出てもらった。
「これでちょっとはましになったわ。靴は……履いて寝るってのもなあ。まあいいか。これでも」
足には白いひざまでのしゃれた靴下のようなものを履いている。ドレスを着た時用のものだ。
部屋の中も寒いので座って寝るわけにはいかず、ゆりは寝室に金色の矢を持っていった。
ベッドの上にはルーがいたが、ゆりを見るとびびったのか、ささっとはしに移動していた。
「矢を刺せば神の国かあ。大丈夫かな？ 刺すのって勇気がいるわ」
ベッドに寝転んで布団をかぶったゆりは、布団の中で矢を刺すのにかなりびびっていた。
「女は度胸！ えいや！」
矢を胸に刺した瞬間、矢が輝きを放ち、目の前に光が満ちたのだった。
そして次の時には、ゆりは神の国にいた。しかもアシュランの部屋に直行も直行である。目の前に椅子に座ったアシュランと
二人の神がどんといて、ゆりは思わず「わああ！」と後ずさっていた。
三人が一斉にゆりに注目した。アシュランの左にいたのは太陽の神アリアスだった。右にいるのは緑のストレートの髪の、
ハロルドほどではないががっしりめの体格の美丈夫である。きりっとした眉で今まで話したことはない神だ。
「ん？ ああ、お前か。誰かと思った。私が呼んだんだ。二人ともはずしてくれ」
アシュランはゆりを見ていた二人にそう言った。
「あれ？ 彼女は……」
と緑の髪の神に続き、アリアスが、「あの時の女性か？」と聞いた。
「そうだ。あの女性か」
「やっぱり」
「ああ、あの時の勇者か、それじゃあ」
二人はゆりに笑みを送って、部屋を出て行った。神だけに周りはきらきらである。
ステキな神様……まだあんなハンサムがいたなんて……
ゆりは思わずぽっとして二人を見送っていたので、「私に尻を向けるんじゃない」とアシュランにたしなめられていた。
ゆりはあわてて前を向いていた。
「どうもすいません」
「今の二人、知ってるか？」
「アリアス様と、どなたでしょうか」
「ジュライだ。緑の神」
「ジュライ様ですかあ」
「どっちが好みだ？」
「ジュライ様です」
「そうか。ハロルドに言っておこう」
すんなり答えたゆりの顔は強張っていた。
「おほほほ、今日はお招きありがとうございます」
ゆりは今さらドレスのすそを持って礼をしていた。
「それにしてもすごい格好できたな」
アシュランは上から下まで眺めている。
「はい、アシュラン様にお会いするのですから、これくらいは」
「なんか、服が窮屈そうだな」
アシュランに指摘されてゆりはどきっとしていた。このドレス、一度か二度着ただけのものなので、正直、窮屈でしょうがなかった。
ウエストを締めてようやく入ったようなドレスだった。デザインは一番これが好きなので、これに決めたのだった。
「まあいい、それで、私に何の用だ？」
アシュランの問いに、ゆりは心を決めて、説明を始めたのだった。
その頃、アリアスとジュライは雲の上の神殿の外にある雲の上にいた。二人はアリアスの馬車が飛んでくるのを待っていたのだが、
その場にハロルドがペガサスに乗って飛んできた。
「アシュランのところには客がいるぞ」
ジュライが親切に、ペガサスから降りたハロルドに教えていた。
「別にアシュランに用できたわけじゃない」
ハロルドがそう返すと、「だが行った方がいいんじゃないか？」とアリアスがきになることを言ってきた。
「なぜだ？」
「客はお前が気に入ってる人間の女だからだ」
「誰のことだ？」
「ちょっと前まで癒しの泉にいたあの女性だ」
その言葉にさすがにハロルドはどきりとした表情をしていた。ちなみに、その女性のことをハロルドが気に入っているというのは、
一部の神だけが知っていることだったが、神には誰しも気に入ってる人間の一人や二人はいるものなので、
そこについてはあまり気にしてはいない。その好意がどれほどのものかなど、詮索する気にもならないのだった。
「あの女がなぜここにいる？」
ハロルドは眉を潜めて二人に聞いていた。
「さあ、アシュランが呼んだんじゃないのか？」
「なぜだ？」
「気になるなら行ってみたらどうだ？」
とアリアス。
「別に気にはならないが……」
ハロルドはめちゃくちゃ気にしながら神殿の中に入って行った。
「アシュランは一体何の用で彼女を呼んだんだろうな？」
ジュライはハロルドでなくても気になったようだ。
「さあ、まあアシュランは気まぐれだからな。ダーナが彼女のことを面白い女性だと言ってたぞ」
「そうか。見かけは勇者っていう感じじゃないな」
二人はそんな話をしながら、やってきた馬車に乗り込んだのだった。
一方ゆりは「アシュラン様に言うようなことではないんですが……」と一応念を押して、理由を説明していた。顔は真っ赤である。
アシュランはばかにするわけでもなく、黙って聞いていた。
「好きになったんならいいんじゃないのか？」
そしてクーリーフンと同じことを言ったのだった。
「その人は、普通の人じゃないんです。大昔の蛇の霊なんです。なので、好かれてもちょっと困るんです」
ゆりは真面目に説明している。
「蛇の霊？」
「大昔の賢い、人にもなれる蛇様でして、ひょんなことから今、人間の中に入ってるんです。その人間の男には彼女もいまして、私と
どうこうなるわけにはいかないんですよ」
「へーそうなのか。それはなかなか複雑だな。昔人になれる蛇がたくさんいたのは知ってる。どの一族でもそういう者たちがいるものだ。
まあお前の所ほど長生きしてるのはいないがな」
ゆりはどきりとした。ハザークのことを言ってるようだ。
もしかしたら、アシュランはハザークが長生きしているわけを知っているのだろうか、とゆりはふと思った。だが、聞くのは怖い。
そんな重大事を自分が簡単に聞いていいものかどうか迷った。
「あの呪文を打ち消すのは簡単だ。呪文を逆に言えばいい」
アシュランが話題を戻したので、ゆりははっとした。
「え？ 呪文を逆にですか？ ……にゃにゃにゃにゃほ？ 」
「それで踊りも逆に踊る」
「えー無理です！」
「ぷ……想像しただけで笑ってしまった」
「アシュラン様……」
ゆりはちょっと恨めしげにアシュランを見ていた。
「冗談だ。これをやろう。これを渡せば、呪文で芽生えた恋心も消えるだろう。しかし、恋心が芽生えるほどあれを踊るとは……くっ」
「しょうがなかったんですよ」
ゆりは真っ赤な顔で、アシュランの左手に現れた一厘の白い花をもらいに行った。
「呪文が原因なら、一晩たてば消える。他が原因なら知らんぞ」
「ありがとうございます」
ゆりは真っ白なバラのような花を眺めていた。花の周りはキラキラ輝いてる。摘んですぐの花のようにみずみずしい。
「おい、ハロルド、入ってきてもいいぞ」
アシュランが突然言いだして、ゆりは花を落としそうになった。
「いつまでのぞいてるんだ。まったく」
しぶしぶといった表情のハロルドが部屋にやってきて、ゆりは今すぐ帰りたい心境にかられていた。
一体いつからいたのだろうか。
「お前、すごい格好をしてるな」
ハロルドは近くでゆりを上から下まで眺めて驚いていた。
「似合います？」
「なんでこの女を呼んだんだ？」
ハロルドはゆりの問いには答えず、渋い表情でアシュランに聞いていた。
「さあな、本人に聞いたらどうだ？」
アシュランは面白そうにいっている。ハロルドにじろりと睨まれて、ゆりは笑顔でごまかした。
「こんな用できてしまってすいません」
ゆりはアシュランに謝っていた。
「いいさ。大事で来られても逆に困るからな。そのくらいの用でないと聞けないのだ。意味わかるか？」
「ええと」
ゆりはハロルドを気にしていたので、まったく頭が働いていなかった。
「人の生死や国の重大事をなんとかしてくれ、と言われても聞けないということだ」
「なるほど、わかりました」
「今回は特別だ。用は終わった。お前は何かあるか？」
アシュランはハロルドに聞いた。
「私はない。……お前、顔色悪くないか？」
ハロルドが聞いた。実際ゆりの顔色はかなり悪かった。
「いえ、大丈夫です」
「そうか？ なんか変だぞ」
ハロルドに会って青ざめているわけではないようだ。
「実は……この服を着るために腰を締めすぎたせいで、ちょっと気分が悪くて……」
「はあ？」
「ぷっ」
アシュランは噴出していた。
「ひどい。アシュラン様にお会いするために着たんですよ」
「そうか。それは悪かった。帰って早く脱いでくれ」
「それじゃ失礼します。ハロルド様もさようなら」
「ああ」
ハロルドは力なく答え、アシュランが手を上に挙げると同時にゆりの姿は消えた。
「くく……なかなか楽しい女だな」
ハロルドはアシュランに答える気力もなかった。
「用があるというから会ってやったんだぞ。別に私が会いたがったわけじゃない」
「あってやらんでいいだろ。最高神なんだから、むやみに人間に会うな」
ハロルドはとうとう言い出していた。
「いいじゃないか。今頃あわてて服を脱いでるんだろうな。くっ想像するとおかしいな」
「想像しなくていい」
ハロルドは額に手をあてて、疲れたようにアシュランの間を出て行ったのだった。
無事人間界に戻ったゆりは、大事そうに花をサイドテーブルに置いて、アシュランの想像通り、
大慌てでドレスを脱いでコルセットをはずしていた。
「あー死ぬかと思った」
ようやく腰が解放されたゆりは大きな息を吐いていた。
「恥ずかしかった。やっぱり着慣れないもの着なきゃよかったわ。まあいいか。もうそんなに会わないだろうし」
今は解放された喜びが上だったので、赤っ恥をかいたことについてはさほど気にしていなかった。
明日になれば、きっと死にたいくらいに恥ずかしく思うに違いない。
ハロルドの顔が浮かび、ゆりはうっと顔をしかめていた。
「今度会ったら絶対いやみ言われそう。会うのが怖い……」
会う頻度はアシュランよりもハロルドのほうが上なので、ゆりはそっちを恐れていた。
いやみだけならいいが、怒られまくられそうな気もする。
「でも私が気分悪いのに気づくなんて……ありがとう。あれで帰れてよかった」
ゆりは布団をひっかぶったままぶつぶつつぶやき、精神的に疲れたせいか、そのまま寝てしまったのだった。
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