第50話
朝、食堂にやってきたゆりに子供達は注目した。ゆりの表情は暗く、どんよりしていた。
「母様どうしたの？」
挨拶の後一番に聞いたのはナナミだった。
「おはよう。別になんでもないわよ」
ゆりは席についた。シスとラギは視線を合わせ、不思議そうに首をかしげている。
ロイはズズズと音を立ててスープを飲み、ミシェイラも続いていた。この二人はゆりの様子はどうでもいいようだ。
「わかった、父様に怒られたんだ！」
アナスターシャはシスとラギならば言いにくいことを言っていた。
「今度は何したの？」
ナナミも面白そうに聞いている。
「違うわよ。王様に怒られてないから。気にしないで」
ゆりは暗い顔のまま言っていた。シスとラギから思念が飛んだのか、アナスターシャもナナミも、それっきりゆりに聞かなかった。
ゆりが落ち込んでいたのは、やはり昨晩のことである。朝になり、ベッドの横に脱ぎ捨てられた服を見て、一気に暗くなったのだった。
今まで散々恥をかいてきたが、昨晩のは一番かもしれない。
あんなことになるならカーライル様に一生好かれたほうがよかったかも……
とまで思ってしまったゆりだった。
まあ、何はともあれ、アシュランからもらった花はちゃんとあったので、あれをカーライルに渡せば、カーライルは元に戻るはずである。
ゆりはパンをかじりながらもため息をついていたが、子供達は見ない振りをしていたのだった。
自分の部屋に戻ったゆりは化粧をして身支度をし、気分を入れ替えた。
今日午前中にもカーライルがやってくるのだ。この件はさっさと終わらせたい。
部屋の掃除をしていた侍女のミラが、ゆりにドレスのことを聞いてきた。昨晩ミラはいなかったので、ゆりがドレスを着たことは知らない。
ゆりは「ちょっと着てみたかっただけよ」と言って誤魔化した。
「あれはもう二度と着ないから、クローゼットの奥の奥に封印しておいて」
「はあ」
「いや、それももったいないかな。アシュラン様にお目通りしたドレスとして博物館に飾ったほうがいいかも」
「はあ？」
ゆりは小声でぼそぼそといったので、ミラにはよく聞こえなかった。
「王妃が着てるドレスとして博物館に飾ってもいいかもって思って。王妃は普段こういうの着てるってことで寄付しよう」
「普段全然着られてませんけどね」
ミラは笑いそうな顔をしている。
「いいの。とにかく博物館がいるっていったらあげていいよ。私の目の届かない所にもっていって」
「かしこまりました」
ゆりは博物館に行くことはあまりないので、そういったのだった。
最高神の目に留まったドレスなのだ。レアといえばレアなものには違いない。
ミラと入れ替わりに訪問者があった。ジュノーだった。
「王妃、今日暇ですか？ お話しましょうよ」
ジュノーはさわやかな笑みを浮かべて言った。
「ごめん。朝は予定があるの」
「そうなんですか。残念ですね。ではまた」
「あ、ちょっと待った！」
ゆりは去ろうとしたジュノーを呼び止めた。
「やっぱりいて。そして状況を見守ってて」
「え？」
ゆりはすばやくカーライルのことを説明した。そして寝室にいて状況を見守ってほしいと頼んだのだった。
誰かいてくれた方が心強いかもと思ったのだった。
話を聞いたジュノーはきょとんとした顔をして、やがてぷっと笑っていた。
「王妃は帰ってからも落ち着かないですねえ」
「まったくよ。でもこれで落ち着くわよ。きっと」
「水蛇様に好かれたままでもいいような気がしますけど」
「蛇様はハザーク様だけでいいよ。儀式にカーライル様が混じりたいとか言ったらどうするの？」
「それはやですね。では寝室に隠れてます」
「お願いね」
ジュノーは歩いて寝室に行った。
儀式にカーライル様が……想像しただけでぞっとするわ……
ゆりは自分で言ってぶるっと震えていた。
アシュランからもらった白い花を持って座って待っていると、再び訪問者があった。
今度はカーライルだった。すでに変わっている。
「カーライル様、おはようございます」
「王妃、会いたかった。いや、なんでもない。最近寒いな。風邪引いてないのか？ ちゃんとあったかくしてるのか？
妊婦は身体を冷やすんじゃないぞ」
カーライルは入る早々心配するような口調で言っていた。
こういうカーライルもなかなかよいが、ゆりは心を強く持ち、「はい」と白い花をカーライルに渡した。
「ん？ 綺麗な花だな」
カーライルが花を受け取ると、白い花は瞬く間に消えてしまった。
やったわ。これで……これでようやく落ち着くのね……さようなら、珍しいカーライル様……
カーライルが自分に恋をすることもないと思うと、なにやら残念な気もする、などと思っていると、カーライルがひしっと
ゆりの両手を握り締めたのだった。
「王妃、愛してる」
そしてすかさずゆりを抱きしめて、なんとそのまま口付けたのだった。
「んーんー！！！！！」
ゆりは驚きのあまり目をむいている。
「んーんーんー！！！！！」
じたばたもがいているとジュノーが飛んできた。
「カーライル様、何をなさるんです！」
ジュノーはカーライルからゆりを引っぺがした。
ようやく離されたゆりはぜいぜいいっていた。
「カーライル様、な、どうしたの？」
ゆりの声は裏返っている。
「愛してる」
「はあ？」
「本気で愛してる。今分かった。私はお前に出会うために、この時代にやってきたに違いない！」
カーライルは真面目な瞳で熱く語り、ジュノーもゆりも困惑していた。
「話が随分違いますね」
「おかしいわね」
「王妃、私と一緒に暮らそう。どこか、国の片隅で」
「やですよ」
ゆりはすぐ返答していた。
「じゃあ一番の恋人にしてくれ」
『一番の恋人』の部分でジュノーとゆりの脳裏にミカエルの顔が浮かんで消えた。
「あのーカーライル様はもう霊体なので、恋人とかはちょっと……本当に本気で言ってるんですか？ 冗談でしょ？」
「本気だ」
「神様、間違われたんですかね」
ジュノーがぼそっと言った。
「えー？ そんなあ……すぐぱっと戻るかと思ったのになあ」
「王妃、その男に引っ付いてないで私の元にこい」
カーライルがずんずん迫ってきて、ゆりはジュノーごと後ずさり、そのまま消えた。
「あ、どろぼう！」
カーライルの口からはこんな言葉が飛んでいた。
ジュノーが飛んだのは、ラギの部屋だったが、ラギはいなかった。
「どろぼうって……」
ジュノーはカーライルの言葉に苦笑している。
「ジュノーにいてもらってよかったあ。どうしよう。なんかますますひどくなってるじゃない。あれなら花渡さないほうがよかったよう」
ゆりは困っていた。まさに予想外の展開である。
「その神様、何かおっしゃってなかったですか？ すぐ戻るっておっしゃったんですか？」
部屋の中はひんやりしていたので、ジュノーはゆりの手をさすっていた。
「えーと……まって、思い出してみる」
ゆりが目を閉じて昨晩のことを振り返っていると、部屋の中にぱっとカーライルが現れて、ゆりは思い出すどころじゃなかった。
「王妃、恋人の契りを交わそう！」
「ぎゃー！」
ゆりはジュノーの後ろに隠れていた。
「カーライル様、エルバートは王妃の恋人ではないんですから、だめですよ」
ジュノーはカーライルの前に立ちはだかり、言った。
「なら、体が王妃の恋人ならいいのか？」
「え？」
カーライルはジュノーを見つめている。
その時ジュノーはとてつもなくいやな予感を抱いた。ジュノーの体がびくっと痙攣し、そしてくるっとゆりに体を向けたのだった。
「王妃、これで恋人になってもいいな」
ジュノーの顔立ちが少し変わっている。
カーライルはジュノーの中に入ったのだ。
「嘘だー！！」
ゆりはあまりの出来事に混乱しまくっていた。
その時、カーライルが消えたエルバートはきょろきょろと周りを見て、ゆりとジュノーに目を留めた。
「あれ？ ここはラギ様の……」
「エル！ カーライル様がジュノーの体をのっとったの。どうにかして！」
ゆりはすぐに叫び、あまりの出来事にエルバートはとっさに反応できなかった。
「え？ どういうことですか？」
「エルバート、今までありがとう。私は今日からジュノーと生きることにした」
ジュノーの口から出た言葉に、エルバートはぽかんと口を開けた。
「ジュノーはいいって言ってないですよ。出て行ってください」
とゆり。
「やだ。このほうが恋人になれるんだろ？」
「だめですよ」
「出ていかない」
ジュノーに入ったカーライルはゆりの手を握り締めたまま、子供のように反応している。
「あのう、すいません。一体何がどうなってるんですか？」
エルバートは状況がさっぱりわからず、戸惑うばかりだった。
「ごめんね。私が悪いの。私が」
泣きそうなゆりに、「王妃は悪くない。悪くないぞ」とカーライルが慰めるようにいっていた。
「うえーん。あなたのせいでしょ」
「王妃が魅力的だから悪い」
「なんでこうなるのー！！！」
ゆりの目の前にヴィラがぱっと現れた。
「王妃！ ジュノー、思念が途切れたからあせったぞ」
ヴィラはゆりに引っ付いているジュノーを見ている。
「ジュノーはカーライル様に体をのっとられたの！」
「え？」
「のっとったって、借りてるだけだぞ」
カーライルが冷静な口調で訂正した。
「ジュノーにざっと話は聞きましたが、なんでこうなってるんですか？」
どうやらジュノーはヴィラに思念でカーライルのことを知らせたようだ。
「私が聞きたいです」
ゆりの声はほとんど悲鳴のようである。
「王妃〜かわいい〜」
カーライルはゆりに頬ずりし、ゆりもいい加減気味悪くなっていた。
「とにかく、整理しましょう。王妃がカーライル様に魔法をかけてしまって、カーライル様が王妃のことを好きになってしまった。
それを無効にするものをもらってきたんですよね。それなのに、無効にならず、ますます王妃が好きになってしまったと
ジュノーに聞きましたがあってます？」
「うん」
ゆりはカーライルに引っ付かれたままうなずいた。
「どうしてカーライル様に魔法をかけたんですか？」
エルバートが聞いた。
「事故だったのよ。魔法がかかったのは事故なの！」
「王妃のあの麗しい舞をもう一度みたいなあ」
カーライルはとろけそうな顔で言っていた。
「違うものをもらってきたんじゃないんですか？」
ヴィラは頭をかきながら聞いた。
「相手は神様よ。まさか間違えないでしょう」
「なら渡し方を間違えたんじゃないんですか？」
ゆりとヴィラがやり取りしている間、エルバートは「神様？」と首をかしげていた。
「渡し方？ 別にそれについては何も……あの時緊張してたから、何を言われたかあんまり思い出せない」
「えー思い出してください」
「麗しい舞をもう一度」
「うるさいですよ！」
ゆりはカーライルに怒っている。
「もうエルバートに戻ってくださいよ」
「いやだ」
ヴィラはぼそぼそエルバートに耳打ちした。
「カーライル様、私のところに戻ってください」
エルバートはとにかくそう言っていた。
「すまんが、戻れない」
「ずっとジュノー様の中にいるんですか？」
「うむ」
「ジュノーは迷惑してますよ。戻ってください」
ヴィラの言葉に、
「そんなことはない。私がいると力もあがるし、喜んでるはずだ」
カーライルは胸を張ってそういいきった。
部屋の中にシスが現れた。
「お母さん、もう一人のお母さん！」
そして突然ゆりに叫んでいた。
「これでいい？」
「ありがとうございます」
ヴィラが驚かずに礼を言ってるところをみると、どうやら思念でシスに頼んだようだ。
ゆりの左目が変わったものの、ばつが悪そうな顔をしていた。
「王妃、神様のお言葉、王妃も聞いてたんでしょ？ 思い出してください」
ヴィラはもう一人のゆりに聞くことにしたようだ。
「ごめん。それが……私もなんでこんなことになっちゃってるんだかわからない……水蛇様、とりあえずジュノーから出てよ」
「いやだ」
「好きな女の願いよ。聞いて」
蛇の目のゆりは強気で言ってみた。
「恋人にしてくれるというなら出る」
「ぐぐ……」
シスはこっそりとエルバートに「どういうこと？」と聞いていた。エルバートは「王妃が恋の魔法をカーライル様にかけてしまったようで……」
と説明していた。
「母様そういう魔法使えるんだ……」
シスはそういう誤解をしていたので、
「違うわよ。恋人は魔法で集めたんじゃないわよ！」
ゆりはついそこは強調していた。
「わたしの〜ことをおもいだして〜」
カーライルがあの時のセリフを歌いだし、ゆりは真っ赤な顔で「うるさいです」と怒っていた。
「ああもう疲れる。なんでこうなっちゃったの！」
「こっちが聞きたいですよ。王妃」
ヴィラが困った顔で言った。
「とにかく、カーライル様は恋人にできないの。恋人は満員だし、カーライル様は生前いっぱい恋人がいたんでしょ？ もうあきらめて
ください」
「怒った顔もかわいい」
カーライルは全然ゆりの言葉を聞いてないようだ。
「ああ、もうこんなカーライル様はいや！」
ゆりの左目は元に戻ってしまった。
「そうだ。王に頼もう。王がいいといえば、私を恋人にしろ」
カーライルが仰天するようなことを言い出して、ゆりは顔をぶるぶると横に振っていた。
「だめだめだめだめ！ だめ！ 絶対だめ！」
「どうしてだ」
「王様に言うのはやめてー！！」
ゆりはすがらんばかりである。
「王妃は私のことが嫌いなのか？」
今度はしゅんとした顔で言い出した。
「私は頼りになる男だぞ」
「それはわかってますけど……そうだ、シス、あれ、あれもってきて！貝！ 貝！」
ゆりは自分の耳に手をあてて、シスを見た。
「あ、うん、わかった！」
シスには通じたようだ。シスはぱっと消えた。
「やっぱり王にたのもう！」
「やめてー！！」
カーライルは叫ぶゆりごと瞬間移動してしまった。
次の瞬間、目の前にどんとラクシュミがいて、ゆりは倒れそうになっていた。
王の間にはその時ミカエルとジェダンがいた。ジェダンの手には書類があることから、何かの報告でもしていたようだ。
急に現れたジュノーとゆりに、３人は当然顔を向けた。
「ジュノー、いきなりなんだ」
ミカエルがたしなめるように言った。
「いきなりすまない。私は……」
「ぎゃーぎゃーぎゃー！！！」
ゆりはジュノーの横で叫びだしたので、３人は声が良く聞こえなかった。
「ぎゃーぎゃーぎゃー！！」
「ゆり、うるさいぞ」
ラクシュミが言おうが、ゆりはぎゃーぎゃー叫び続けている。
「王妃、何叫んでるんですか！」
飛んできたミカエルに、ゆりは口をふさがれてしまった。
「うーうーむがむがむがー！！！」
「ジュノーどうしたんだ？」
ラクシュミが聞いた。
「この体にいるが私はカーライルだ。王妃を好きになってしまった。恋人になるのに王の許可がほしい」
カーライルが言い切り、ラクシュミは目を真ん丸くし、ジェダンは手に持っていた書類を落としていた。
ミカエルの力がゆるみ、ゆりは抜け出していた。
「嘘です。なんでもないです。なんでもないのー！！！」
ゆりはあわてて叫んでいたが、もう遅かった。
「確かに水蛇殿はジュノーの中にいるようだが、エルバートからどうして出たんですか？」
ラクシュミは目を真ん丸くしたまま聞いた。
「エルバートにいると王妃の恋人になれないというので、ジュノーに入った。私は王妃の麗しい舞に心底参ってしまったようだ」
「え？ 麗しい舞？」
「王妃、どういうことです！」
夫より先に怒り出したのは、やはりミカエルだった。
「カーライル様を恋人にするなんて反対ですよ」
「私だってやだよ！」
シスとヴィラ、エルバートの３人がやってきたのは、まさに王の間の連中が混乱しまくっていた時だった。
「母様、これ！」
シスの手には大きな巻貝がある。
「ありがと！ カーライル様、とりあえず、これを聞いて」
ゆりは巻貝をカーライルに見せた。
「どうしてだ？」
「これは愛の巻貝。巻貝から声が聞こえるの。私の恋人はみんなこれを聞くことになってるの」
「そうなのか？」
「そう！ はい、聞いて」
ゆりはすぐに巻貝を渡し、カーライルは巻貝を耳にあてた。
やったーこれでようやく寝てくれるわ！
この巻貝は、クーリーフンがもってきた例の眠ってしまう巻貝である。
ゆりは涙目で見守っていたが、カーライルが倒れる様子はなかった。
しばらくして、
「なかなかいい歌だった」
カーライルはゆりに巻貝を返した。
「うそー！！！！」
「これで恋人か？」
「…………」
絶対絶命である。ゆりがどうしようかと青くなっていたら、カーライルの体はふらついて倒れてしまった。
どうやら時間がかかっただけで寝てしまったようだ。
「よかったあ……えーん」
ゆりはもう泣いていたので、ミカエルはヴィラに、「愛の巻貝ってなんだ？」と聞いていた。ヴィラは「さあ」と返している。
「城の一室を借りますね」
倒れたジュノーの体はヴィラが運んでいった。
残ったゆりは、この状況をどうラクシュミに説明すればいいのやら、迷っていた。冬だというのに、体は燃えるように熱くなっている。
「あのう、母様に悪気はなかったんだよ」
シスが後ろでかわいく母親をかばっていた。
「とりあえず、時間をください。後で、ちゃんと説明しますので」
ゆりは泣いていたので、ラクシュミも今責める気にはなれなかったようだ。冷静な表情で、
「わかった。じゃあ後で、全部説明しろ」と言った。
「ありがとう」
ゆりはとぼとぼと王の間を出て行き、とりあえず、ジュノーが寝ている部屋を教えてもらい、そちらに向かったのだった。
ジュノーは二階の一室にいた。眠るジュノーの横にはヴィラがいた。
「ヴィラ、もう疲れたよー」
ゆりは泣きそうな声でヴィラに近づいた。ヴィラはゆりを抱きしめて背中をなでた。
「大変でしたね」
「カーライル様、もうどうしよう」
「困りましたねえ。こうなったらハザーク様に諭していただくしか」
「やだーそれはやだー！」
「ですが、なかなか一筋縄ではいかない方ですしねえ」
「どうやったら元に戻るのよー」
まさか再びアシュランに会いに行く、というのも遠慮したいことである。
途方に暮れたまま時間が経った。
ゆりは自分の部屋でぼんやりしている。そしてゆっくりとアシュランの言葉を思い出した。
「あの呪文が原因じゃなかったら私を好きなままとか言っていたような……まさか呪文が原因じゃなかったとか？
あの踊りで本当に好きになったとかいうんじゃないでしょうね。やめてー！」
ゆりは一人部屋で頭を抱えている。
夕方になり、ジュノーは目を覚ました。
「ジュノー、カーライル様？」
横にいたヴィラはすぐに聞いた。
目を覚ましたジュノーは怪訝な表情だった。
ヴィラの横にエルバートの姿を見て、「あれ？」と言った。
「どういうことだ。私は今誰にいる？」
「カーライル様ですね。わけがあってジュノーの中にいたんですよ。エルバートに戻ってください」
「ん？」
「あ、その前に、カーライル様、王妃のことどう思ってます？」
「どうって、別に」
その答えに、ヴィラもエルバートもほっとした表情を浮かべた。
「一体どういうことだ？」
「あーよかった」
ヴィラは心底ほっとしていた。
カーライルが元に戻ったと聞いて、ゆりは王の間に急いだ。
王の間にはラクシュミの他にはジュノー、ヴィラ、エルバートにミカエルまでいた。
「カーライル様、元に戻ったって本当？」
ゆりが喜びとともに聞いた。
「王妃、また変な魔法をかけたんだろう。じゃなきゃ私が王妃の恋人になりたがるわけがない」
エルバートに入ったカーライルは胸を張っていた。しっかり元に戻ったようだ。
「よかった。よかった」
ゆりは今度はうれし泣きした。
「またってどういうことです？」
ミカエルが聞いた。
「王妃の変な踊りで私が恋の魔法にかかったのだ。それは覚えてる。その後王妃の部屋で何かもらった所までは覚えてる。
なんだったかな」
「もう思い出さなくていいですよ」
ゆりが言った。
「王妃、恋の魔法をかけたんですか？」
ミカエルが聞いた。そこらへんは全然聞いてないようだ。
「だから事故なの。事故。わざとかけたんじゃないのよ。ちなみに恋の魔法ってわけじゃないの」
「思い出した。白いキラキラした花をもらった所から覚えてないぞ。あの花はどこからもってきたんだ？」
「さあ、どこだったか、もういいじゃないですか。そのことは」
「神の国でもらってきたのか？」
カーライルに聞かれてゆりはどきりとした。
「ゆり、昨晩ドレスを着て寝たそうだな。まさかその姿で神の国に行ったのか？」
ラクシュミの指摘にゆりはさらにどきりとした。
「王妃、いつの間にそんな技を……」
とミカエル。
「いや、今回だけだったのよ。今回だけ……」
ゆりはアシュランに会ったということまでは言いたくなかった。
「ようするに、魔法が解けるまで時間がかかるということだったんですね。カーライル様も元に戻られたし、もうよいじゃないですか」
ゆりをかばったのはジュノーだった。
「私はよくないぞ。どうして私がますます変になったんだ」
「えーと、花をもらった時に、一晩経てば元に戻る、とか言われたような気がします。私はすぐに戻ると勘違いしてました。まさか、
あんなになっちゃうなんて……」
「なんか恥をさらしたみたいでやだな」
「誰もあれが素だと思ってないから大丈夫ですよ」
とヴィラ。
「カーライル様も実は王妃のことが好きなんじゃないですか？」
ミカエルが聞いていた。
「いや、全然」
カーライルはあっさり返答した。
「私のことがかわいいとかいったくせにー」
ゆりはつい口に出している。
「王妃はカーライル様に好かれたいのか、好かれたくないのかどっちなんです」
ミカエルに聞かれて、ゆりは言葉を詰まらせていた。なんとも乙女心は複雑である。
「それで、ドレスを着て神の国に行ったのか？」
ラクシュミはそこがきになるのか、もう一度聞いた。
「う……はい」
ゆりは仕方なくうなずいた。
「誰に会いに行ったんだ？」
「その……」
「ハロルド様じゃないんですか？」
ジュノーが聞いた。てっきりそうだと思っていたようだ。
「ん？ あの呪文はさい─」
「わー！」
カーライルの言葉に、ゆりは大声をあげた。
「わーわーわーじゃあ、ここらでお開きということで、ね」
ゆりは言いながら笑顔でごまかそうとしていた。
「会ったのはハロルドじゃないのか？」
ラクシュミは鋭く察したようだ。
「まあ、その、あの、そうそう、ハロルドよ。ハロルドに会ったわよ」
ゆりはラクシュミに嘘をつきたくはなかったが、神の国でハロルドに会ったのは事実なので、そう言った。
「ハロルドにもらったのか？ でも呪文はさい─」
「わー」
「この誤魔化し方、どうやらハロルド様だけに会ったのではないようですね」
ミカエルが言った。
「お前、神の国のどこに行ったんだ？」
ラクシュミの問いに、ゆりは口をちょっと開けたまま固まっていた。
だ、だれか、私をここから連れ出してー！
雲の上の神殿に行ったとだけは言いたくない。
言うべきか言わざるべきか悩んでいると、まさに天の助けがやってきた。
愛の奇跡、ともいうべき助けが─
王の間の番兵が側にやってきて言ったのだ。
「お話中すいません。イシュタール様が帰られました！」
その言葉に、皆の興味は一気にイシュタールに移ったのだった。
「え？ イシュタールが？」
「イシュタールが！」
「イシュタール殿！」
王の間の扉が開いて赤い髪の男が中に入ってきた。
「イシュタール……」
ラクシュミは椅子から立ち上がり、イシュタールに近づいていた。
「王、みんな……」
「イシュタール殿……」
「イシュタール、よく帰ってきてくれたわね」
ゆりはうれしさのあまり泣いている。
「王、今まですいませんでした。王妃、本当にありがとうございます」
ミカエル達は、初めて見るような顔でイシュタールを眺めている。
「イシュタール、なんか随分変わったな」
ミカエルが言った。
「すごい違和感があるなあ……」
「あれ？ 傷がない！」
気付いたのはジュノーだった。
「本当だ。顔が綺麗になってますね」
「はい」
「ジュメ達にも知らせよう」
ミカエルは皆に思念を回した。王の間には子供達もあわててやってきた。
「イシュタールだ！」
「本当に赤い髪だー！」
「すごーい！」
「わーいイシュタール！」
ロイはイシュタールの背中に飛び乗っていた。
「皆さん……」
イシュタールは泣きながら皆に顔を見せ、周りもついもらい泣きしていた。
イシュタールと子供達の外でひそかに涙をぬぐっていたゆりは、ちょいちょいと背中をつつかれた。
カーライルだった。
「最高神に会いに行ったんだろ？」
「カーライル様、そのことは誰にもいわないでね。それから神様に免じて朝のことは水に流してください」
ゆりは小声で頼んでいた。カーライルはやれやれという顔で姿を消し、エルバートは赤い髪のイシュタールを見て
「ああ！ イシュタール様？ すごい！」
とすぐに反応していた。
王の間には様々な人たちがやってきて、イシュタールの帰還を喜んだのだった。
ゆりは喜ぶ人たちを見て、微笑んでいた。
ありがとう。今日この時に帰ってくるなんて……奇跡だわ……
こうしてイシュタールのおかげでゆりとカーライルのことはあいまいなまま終わったのだった。
ラクシュミは、「詳しい話は後日でいい。皆に顔を見せてやれ」とイシュタールを促した。
皆、イシュタールが帰るのを待っていたのだ。
「では明日また来ます。ミカエル、ちょっと付き合ってくれ」
「ん？ ああ、いいぞ」
「とりあえず将軍達に会いたいから飛ばせてくれ」
「あ、ああ」
「では失礼します」
ミカエルはイシュタールを連れて行った。
「想像してたけど、すごいね。真っ赤だったね」
ロイが興奮した顔でいった。
「本当に真っ赤だね。目も赤かったし、なんか別人みたいね」
とアナスターシャ。
「本当にね、じゃあ子供達行きましょう」
ゆりはさっさと子供達と王の間を出て行った。ラクシュミはイシュタールに会えた喜びで、ゆりについては気に留めなかった。
イシュタールが帰ってきたのは、城の厨房だったようだ。夕食の支度をしていた料理人は、石釜から突然火が燃え上がり、そこから人が
出てきたので腰を抜かしたらしい。おかげで夕食のパンは黒こげになり、街から調達してきたのだ、と侍女が食堂で教えてくれた。
「石釜からって、すごい所から帰ってきたね」
子供達は驚いていた。
「料理人もそりゃ驚いたでしょうね」
とゆり。
「でもうれしいな」
「うん、うれしいね」
「ロイががんばったおかげね」
ゆりが言うと、ロイは「へへっ」とうれしそうだった。
「あ、そうだ。母様、朝なんか騒いでなかった？」
アナスターシャに聞かれて、ゆりの動きが止まった。
「いや、別になにも」
ゆりは微笑んでいる。
「シスがあわててたよね？」
「いや、別にー」
とシスは横を向いた。
「あやしい」
「まあいいじゃない。それよりもイシュタールにもう一度乾杯しましょう！」
ゆりは強引にイシュタールの話題にもって行き、お酒の杯をかかげた。
「イシュタールに話を聞くのが楽しみだなあ」
子供達はわくわく顔である。
その頃、ミカエルを連れてあちこちめぐっていたイシュタールは、最後に屋敷に帰り、メリッサや彼女達に会っていた。
待ちかねていた彼女達は、すでに涙目である。ミカエルはもういいだろうと去っていた。
「メリッサ、久しぶりだな」
イシュタールは両手を広げてメリッサを抱きしめようとしたが、メリッサはジュメの後ろに隠れていた。
「違うよ。お父さんこんな髪じゃないよ」
「イシュタール様ですよ。赤い髪になったんですよ」
ジュメが涙目で言った。
「目も赤いよ」
「でもイシュタール様よ」
「えーでも、顔が違うよ」
「ああ、傷がなくなったんだ」
イシュタールが説明した。
「声は変わってないだろう？」
「じゃあ蛇見せて。緑の蛇」
メリッサの言葉にイシュタールは少々困った顔になった。
「蛇は消えてしまったんですか？」
ジュメが聞いた。
「それが、いることはいるんだが、一匹、赤いのが。王妃にもらった蛇の方がいなくなってしまった」
「そうなんですか」
「えー小さい蛇はどこに行ったの？」
「さあ、そのうちに戻ってくるといいんだが……とにかくお父さんだよ。抱かせてくれ、メリッサ」
「うん」
メリッサはイシュタールの胸に飛び込んだ。
イシュタールはメリッサを抱き上げて、ようやく、すべてが終わったのだと安堵したのだった。
「私も赤い髪になるの？」
メリッサはイシュタールの髪に触っていた。
「ははは、ならないよ」
「えー一緒がいいよ！」
「メリッサはそのままでいいよ」
「王妃、王妃、ありがとうございます」
イシュタールの彼女達は皆、ゆりに感謝の言葉を捧げていた。
その頃ゆりは今日の騒動で疲れて眠っている。
落ち着いたラクシュミは今日のことを振り返り、「まさかアシュランに会いに行ったんじゃないだろうな。一体何を考えてるんだ……」
と酒を飲みながらつぶやいていたが、イシュタールが戻ってきたことだし、それについてはゆりに何も言わなかったのだった。
そしてもう一人、騒動に巻き込まれた形になったエルバートは、寮のみんなと宴会中だった。
イシュタールの帰還を祝って乾杯する連中の輪の中にいたのだ。
ちなみに大体の戦士達は、イシュタールは敵ののろいで死に掛けたのだが運よく戻ってこられた、とだけ説明されていたので、
赤い髪のイシュタールを見てもさっぱりわけがわかってはいなかった。王妃が何かがんばったようだ、といろいろ推測されている。
騒いでる戦士達の傍らで、エルバートは今日のことを思い返し、カーライルに聞いてみた。
─ひょっとして、カーライル様は本当に王妃の恋人になりたいんじゃないんですか？
─なんで私が……
と否定的な答えが帰ってきた。
─ですが、王妃のことは好きですよね？
─もちろん人として嫌いではない。お前が王妃の恋人になりたいというなら反対はしないが
─いえ、私はとてもとても……
あれだけ騒動に巻き込まれて性的興味を持てという方が無理だろう。
─でも王妃は魅力的だと思いますよ
─最高神も珍しい女だからついおちょくりたくなるんだろうな。まあ、それも魅力には違いない、か……
─はあ？
─こっちの話だ、まあハザークの女を取るというのも大人げないだろう。これでいい
カーライルは自分一人で納得し、心を閉ざしたのだった。
エルバートは（カーライル様にそういう気がちょっとはあったのかも？）などと思ったりもしたのだが、またややこしいことになっても
困ってしまうので、それ以上深くは問わなかった。
その時、セリアから思念が飛んできた。
─まだ起きてらっしゃいます？ イシュタール様のこと、詳しく教えてください！
─いいですよ
エルバートはすぐに返答した。
今日のことはとてもセリアさんには言えないなあ。どうして王の間にいたか、理由は何にしよう……
エルバートは悩みながら仲間に声をかけて、セリアの元に飛んだのだった。
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