第52話
イシュタールが帰ってから３日後、ようやくちょっと落ち着いて、イシュタールはゆりの部屋にやってきて話をしていたのだった。
赤い蛇が一匹だけになってしまった話もしていた。緑の蛇もそのうち出てくるかもしれないとゆりはたいして気にしなかった。
「ジンラ様の顔を見て帰る気になったんだ」
「はい。王に『早く帰ってこい』と言われているような気がして、皆様にちゃんとお礼も言わずに帰ってきてしまいました。
ライオネル様にもちゃんとお礼を言いたかったんですが……」
「ライオネル？」
ゆりの脳裏にけむくじゃらの獣神の姿が浮かんでいた。
「はい、ライオネル様が剣を合わせてくださったんですよ。本当にうれしかったです！」
イシュタールは興奮した面持ちである。
「へー。よかったね。ハロルドは？」
「ハロルド様のおつきの妖精のかたがたにいろいろ教えていただきました」
「そうなんだ」
（ってことはハロルドが教えたわけじゃないんだ。まあ忙しいみたいだからしょうがないかあ）
ゆりは初めてそのことに気付いたのだった。
「それにしても、ジンラ様は本当に王にそっくりですねえ」
「だよねえ」
「本当に……」
イシュタールの顔がしんみりしてきた。二人は長椅子に並んで座っていたのだが、イシュタールは突然涙を流したのでゆりは
驚いた。
「王妃……もうあんな無茶は二度と……」
イシュタールはゆりの手を握り締めた。その手は、以前よりも体温が高いようだ。
「二度と……」
「うん」
イシュタールがぼろぼろ涙を流すので、ゆりもつられて泣いていた。イシュタールは帰ってきてから泣いてばかりだった。
どうにも涙腺が緩みっぱなしである。
「ほんと、無事帰ってこられてよかったねえ」
「はい」
二人はしばらく手を取り合って泣いてしまったのだった。
同じ頃、ハザークの塔では、ミルキダスがハザークの部屋にやってきていた。
外は震えるほど寒いが、ハザークの部屋の中は暖かく、ミルキダスは侍女が入れてくれた暖かい紅茶を飲んでまったりしていた。
ミルキダスは今日もハザークに呼ばれてやってきたのだが、以前のように緊張でがちがち、というほどでもなかった。
イシュタールが帰ってきてミルキダスも以前の落ち着きを取り戻している。ジンラのお酒をちょっと飲めてから、ハイになっていると
いってもいいくらいだ。
「それで、今日はどういったご用件で？」
ミルキダスは紅茶で体の中が暖かくなってから聞いてみた。ハザークは長椅子に座っている。
「あの赤い蛇の男なんだが……」
「え？ 赤い蛇？」
「蛇が緑から赤に変わった男のことだ。髪も赤くなった」
「イシュタール殿のことですか？ 蛇の色も変わったんですか」
「ああ。さっき下を歩いてるのを見た」
「そうなんですか……」
ミルキダスはそのことはまだ知らなかったので驚いた。
「瞬間移動が大変だ、というのは聞きましたが……それでイシュタール殿のどういった話で？」
「王妃はあの男が王の次に好きなのかな、とちょっと気になった」
ミルキダスは目をぱちくりさせていた。確かに、ゆりがあそこまでしたのだからそうなのかもしれない、と思うのもわからないではないが。
「そんなことはないですよ。たとえ誰がああなっても、王妃は同じように行動されましたよ。王妃は王の次はハザーク様が好きに
決まってますよ」
ミルキダスが強調して言うと、ハザークはまんざらではない表情で「そうかな」と言った。
「そうですよ」
「そうか……」
考えてみれば二人は同じようにゆりの恋人なので、こういうやりとりもどこか変ではある。
（ハザーク様って、ほんと微笑ましいなあ……）などとミルキダスは思っていたのだった。
その頃塔の下では、ミルキダスが知れば青ざめることが起こっていたのだが、ミルキダスはまったく気付かなかった。
なんと自分の息子ゼッドが塔の下に来ていたのである。
「これだ、きっとこれがハザーク様の塔に違いない。間違えて登っちゃったよ」
ゼッドはぶつぶつ言いながら塔の周りを見回していた。
実は間違えて違う塔に登り、降りたところだった。
「扉に描いておいてくれればいいのになあ」
木の扉を開けたとき、「誰だ？」と声をかけられて、ゼッドはどきりとした。
恐る恐る振り向くと、そこにいたのはイシュタールだった。ゼッドはきょとんとした顔をして、「あっ！」と声をあげた。
「もしかして、イシュタールのおじさん？！ じゃないや。イシュタール様？」
「ああ。ゼッドじゃないか」
「すげっすげーあれ？ なんか顔が違う？」
「ああ、ここで何をしてるんだ？」
「ハザーク様に会おうと思って」
ゼッドは明るくいった。
「ハザーク様にどんな用なんだ？」
「へへっサインもらうんだ。見てこれ」
ゼッドは肩にかけていたかばんからノートを出してイシュタールに見せた。そこには、ヴィクターやロナウド達、将軍の名前が
書いてあった。
「有名人のサインを集めてるんだよ。ハザーク様のももらうんだ。ほら、これ王様のサイン、お父さんに頼んだんだよ」
ゼッドはラクシュミのサインを見せた。確かにラクシュミの名前があるが、本人の文字ではない。きっとミルキダスが書いたのだろう。
「そうか。所でゼッド、子供はここに来ちゃいけないんだぞ。こっそり来たのか？」
「ちゃんと正門から通ってきたよ。門番のおじさんに丁寧に挨拶したらいれてくれたよ」
ゼッドは胸を張っていた。
「そ、そうなのか？」
「ハインリヒ様に尻をたたかれても知らんぞって言われたけどね。でも今日ハインリヒ様は城にいないもんね。だから平気だもんね」
「調べてきたのか？」
「うん。賢いでしょ？」
ゼッドはにこにこである。だが、自分が見つけてしまった以上、ここで素通りさせるわけにもいかないなあ、とイシュタールは思った。
素通りさせるとミルキダスの顔が青ざめることになりそうだ。
「あのな、ゼッド、ハザーク様はちょっとまずいな。ミルキダスが倒れるかもしれないからやめておこうな」
「なんで？」
「サインはミルキダスに頼んだらどうだ？」
「僕ハザーク様に会ってみたいんだもん。お父さんはハザーク様と仲良しなんだよ。だから僕が行っても怒らないよ」
「ハザーク様は怒らないかもしれないが、ミルキダスは怒ると思うぞ」
「いいんだ。いつものことだから」
どうやら怒られなれてるらしい。困ったものだ。
「ところで、イシュタール様はなんで髪が赤くなったの？」
ゼッドはまじまじとイシュタールを見上げて聞いた。
「いろいろ事情があって……」
「ふーん。かっこいいよ。元気になってよかったね」
イシュタールはゼッドと教会であった時のことを思い出した。あの時はゼッドの明るさに、少なからず励まされたものだった。
「ありがとう。ゼッドはいい子だな」
イシュタールはゼッドの肩をぽんぽんとたたいた。
「じゃあ僕行くね」
扉を入っていこうとしたゼッドを、イシュタールはあわてて止めた。
「だから、やめたほうがいい。な、ゼッド。ここだけはだめだ」
「えー？ なんで？」
「なんでもだ」
「でもお」
その時二人の前にぱっとミルキダスが現れた。ミルキダスはゼッドを見るなり口をあんぐりと開けていた。
「おまえっ！ 何してるんだ！」
「うあっ出た！」
「城に来るなって言っただろう！ なんでいるんだ！ このばかばか！」
ミルキダスが突然怒りだし、こういうミルキダスを初めて見たイシュタールは珍しげな顔つきをしていた。
ゼッドはイシュタールの後ろに隠れている。
「まさか、ハザーク様のところに行くつもりじゃないだろうな？」
「だってさ、お父さんに頼むとなんか怪しいんだもん。王様のサインも本当に王様の？」
ゼッドは怪しんでいるようだ。
（なかなか鋭いな）と間に挟まれていたイシュタールは思った。
「サインは戦士からしかもらっちゃだめだ。何度も言っただろ？」
「だって、みんなに自慢したいもん」
「自慢するな！」
ミルキダスははあはあ言いながら怒っていた。
「まあまあ」
「門番には見つけたら追い返せって言ってるのに」
「今日は臨時の人だったよ」
とゼッド。
「え？ 二人とも？」
「うん。二人とも臨時だった」
「そうだったのか。とにかく、帰るぞ」
ミルキダスはイシュタールの後ろに隠れているゼッドをひっ捕まえていた。
「ちぇっ 王妃様のサインももらうつもりだったのに」
「やめてくれ。頼むからここには来るな。お父さんの心臓が止まってしまうぞ。いいのか？」
「大げさだなあ」
「大げさじゃない！」
イシュタールは二人のやりとりについぷっと笑ってしまった。
「すいません。こいつは本当にシャレにならないことしでかすので……」
ミルキダスはイシュタールに謝っている。
「ゼッド。私のサインをもらってくれ」
イシュタールはにこやかに言い出した。
「ほんと？ じゃあついでにもらおうかな」
「失礼なことを言うな！」
ミルキダスはゼッドをぺしっとたたいていた。
イシュタールはゼッドが持っていたインクとペンでノートにサインをしてやり、ゼッドはそれを乾かしてからミルキダスに連れて行かれた。
ミルキダスは何度も謝っていた。
「面白いな。息子と娘はやっぱり違うのかな？」
もし自分に息子ができたら、あんなふうなやりとりもあるのだろうかと、ちょっと想像したイシュタールだった。
イシュタールは瞬間移動の練習を繰り返したのだが、どうにもうまくいかなかった。特に、無意識に移動するととんでもない場所に
行ってしまうのである。
「いっそのこと、火がある場所に移動したらどうだ？」
ロナウドがイシュタールにそう助言した。
「火がある場所ですか？」
「夕方になれば要所要所には火が灯ってるだろう？ あれをめがけて移動してみたらどうだ？」
「そうですね。試してみます」
暗くなった頃、イシュタールは瞬間移動の練習を始めた。砦の前にある松明を目指して飛んだのである。すると、うまくいった。
火の中ではなく、火の真横に飛べたのだ。服も燃えなかった。
「やった！」
試してみると北から南の砦まで一回で飛ぶことすらできたのだった。これは以前は飛べない距離である。
「すごい。しかも気力が減ってない。しかし敵を追うというのは難しいな……仕事になるかな？」
どうしても仕事をしてみんなの役に立ちたいようだ。
そんなイシュタールに取っておきの仕事があったのだ。
「え？ イシュタール、火消しで活躍してるの？」
一月ほど経った頃、子供達が食堂でそんな話をゆりに聞かせたのだった。
「うん。南のアルって村で大火事があったんだけど、イシュタールが消したんだって。他にもいろいろ」
「火の妖精が火を消してまわるってのもおかしいね」
アナスターシャに続いてシスが言った。
「そうなんだ。イシュタール仕事大好きだから、仕事ができてよかった」
ゆりは自分のことのように喜んだ。
イシュタール自身も、皆の役に立てたことを喜んでいた。
「ちょっと気力が増したんじゃないのか？」
この夜会ったフリットがイシュタールにそう言った。今夜は、ミカエルの屋敷にフリットとイシュタールがやってきていた。
３人は酒飲の間で酒を飲んでいる。
「そうか？ 王にも言われた。うれしいな」
「こっちに慣れれば、元のように瞬間移動ができるかもしれないな」
「そうだな。だといいが」
「すると妖精としての力は落ちるのかな？」
とフリット。
「ぷっ、お前が半裸で街をうろついてから、女性ファンが増えたみたいだな……」
ミカエルが笑いながら言っていた。イシュタールは何度か瞬間移動で失敗し、街に出没していた。服が焼けて上半身裸になって
しまったこともある。それを見た女性達に黄色い悲鳴をあげられてしまったのだった。
「その話はもうしないでくれ……」
イシュタールは恥ずかしげだった。
「今日は話があるんだったな？ なんだ？」
フリットが聞いた。イシュタールが聞いてほしいことがあるといって今夜は集まったのだ。
「実は、私は王妃に秘密にしていることが一つある。それを二人に聞いて欲しいんだが……」
「秘密？」
二人は首をかしげた。
「ちょっと言いにくいんだが……黙ってるのも非常に後ろめたいんでな。神の国にいる時、
私は……その……火の妖精とその……」
イシュタールはかなりいいにくそうだ。
「火の妖精と仲良くなってしまった。女の妖精と」
フリットとミカエルは目をぱちくりさせていた。予想外の告白である。
「女の妖精と寝たのか？ よくそんな元気があったな」
ミカエルがいった。
「まあその時はかなり元気になってたんで……」
「何があったんだ？」
フリットが聞いた。イシュタールは真面目すぎるほどに真面目で、異性関係においてはいつも受身だった。
フリットはそれを知っている。イシュタールが積極的に妖精とそうなったとは思えなかった。
「実は、サラディン様が私を助けたせいで、妖精が一人減ってしまったようなんだ」
イシュタールは詳しくは分からなかったが、皆の話を総合すると、どうもそうらしい、と感じていた。
「それについて、かなり申し訳ないなと思っていたんだ。その上、火の妖精というのはあんまり自然に生まれないらしいし、仲間内での
恋愛感情が薄いらしいのだ。妖精同士の子供もあまりできないらしい。それで蛇の一族と似てるなあと
かなりの親近感も抱いてしまったのだが……ある夜、寝てたら女の妖精がやってきた。それで……」
ミカエルはつい身を乗り出して聞いている。
「そうなった。二晩ほど」
「おお、妖精って……どうなんだ？」
ミカエルはちょっと興奮していた。
「どうって、まあ、なんだ……彼女の話はいいんだ。この話を王妃にしないのは卑怯かなと思って……」
「別にしなくていいだろう」
とフリット。
「そりゃそうだ。聞かせたって王妃が反応に困るだろう」
ミカエルも言った。
「そうか？ だが……あんなことがあった後にそんなことして、とか、王妃に罵倒されるならされたほうがいいのかもと思ったり……
あの妖精を拒絶しようと思えばできたわけだし……」
「興奮したから抱いたのか？」
ミカエルが聞いた。
「火の妖精としての義務だと思ったんだ」
「義務。一番つまらん言葉だな……」
ミカエルはちょっと呆れていた。
「私はなんとなくわかった。その妖精は、子供が欲しいと思ってたから、拒めなかったんだな」
フリットの言葉にイシュタールはうなずいた。
妖精が欲望だけで来たのではないというのがイシュタールには分かった。
赤い月の時女性とそうなるような、一種独特の雰囲気があったからだ。
「ならいいことをしたじゃないか。私がお前でも、そうしただろうさ」
フリットがしみじみと言った。
「私なら義務なんて言葉は使わないがな」
とミカエル。
「王妃には言うんじゃない。絶対に」
「その妖精、たまに遊びにきたりしてな。まあいいじゃないか。彼女が増えただけのことだ。わざわざ王妃に報告することはない」
フリットもミカエルも同意見だった。
「そうか……」
二人にそう言われて、イシュタールはほっとしていた。だがゆりに対して後ろめたい気持ちがあることはあるのだが。
「だが、彼女に義務で抱いたなんていうんじゃないぞ。嘘でも魅力を感じたと言ってやらないと」
ミカエルの言葉に、イシュタールは「そうだな」とうなずいていた。
彼女か……あの妖精とまた会うこともあるのだろうか？
ウエーブかかった長い髪の、おとなしげな女性だった。
イシュタールが人間界に戻る時、その妖精もサラディンの後ろにいたのだった。目をあわすだけでお別れの言葉を交わしはしなかった。
彼女は薄情だと感じたかもしれない。
そうだな。ああなったいじょうは彼女に違いない
もしまた彼女と会うようなことがあったら、王妃に妖精の恋人ができたと報告しよう
イシュタールはそんなことを思っていたのだが、まさにその時、火の神殿では大変なことが起こっていた。
一人の女の妖精の力が著しく弱まり、消えようとしていたのである。
「ジェン、しっかりしろ！ ジェン！」
サラディンは妖精を胸に抱いていた。先ほどから、サラディンの聖なる火で包んでいたのだが、妖精の力は元に戻ることはなかった。
「なぜだ。なぜこんな……」
「サラディン様、お世話になりまし……た……」
「ジェン！」
妖精の姿はふっと消えてしまった。
「ジェン！」
「わーん！ なんでよ！ ジェン！ ジェン！」
周りにいた妖精達、ルティアナの嘆きは相当なものであった。ルティアナは初めて妖精が死ぬ所を目の当たりにして、かなりの
ショックを受けた。
「お父さん！ ジェンを生き返らせて！」
ルティアナは泣きながらサラディンに頼んだが、「無理だ！」と一喝された。
「どうして死んじゃったの？ どうして？ どうして救えなかったの？」
「ルティアナ様、サラディン様もお辛いのですよ」
妖精達がそうルティアナを諭していた。
ジェンは一万年以上サラディンと共にいた妖精だった。サラディンにとっても、かなりの悲しみであった。
「妖精の死は予期できぬ。そして、死期がきたら、それを止めることはできないのだ」
「…………」
広間はしばらく深い悲しみに覆われた。
一人妖精が減りまた一人─
サラディンが深いため息を吐いたとき、広間にあったつぼの炎が大きく燃え上がった。
「ああ！？」
一同がその炎に注目した。炎は円を描くように周り、そこから一人の男の子がぽんと飛び出してきて、サラディンは大慌てでその
子供を抱きとめていた。
「よ、妖精が生まれた！」
男の子は人間ならば生まれてちょっと経ったくらいの子供で、炎のように逆立った赤い髪で赤い大きな目をしていた。かわいい顔をしている。
「妖精だ！」
「すごい、きゃーかわいい！」
ルティアナは涙をふいていた。
子供の背中を見た妖精が、「背中に何か模様がありますよ」と言った。サラディンは子供をくるりと回してみた。
なんと子供の背中には赤い蛇が一匹くっついているではないか。
「蛇だ。珍しいな」
子供は手足をばたばた動かしてサラディンに顔を向けた。
「ぱぱ」
そして口を開けてぼっと火を吐いたのだった。サラディンの顔に炎があたっていた。
妖精達もルティアナもぎょっと驚く出来事だった。
「こら……お前、なんてことするんだ」
「ぱぱ」
子供はニコニコ笑ってまた火を吐いた。
「だから火を吐くな」
「ぱぱ」
子供は火を吐いている。サラディンはいまだかつて妖精にこんなことをされたことはない。
「ぱぱ、ぱぱ」
「私はお前のパパじゃない」
サラディンがつい言うと、ルティアナが「なんで？」と聞いた。
「お父さんいっつも、妖精は自分の子供も同然だって言ってるじゃない」
「え？ まあ、そういう理屈では私はこの子の父親だが……」
「ぱぱ」
子供の妖精は口からぼーぼー火を吐いている。
「変な妖精だ。誰か、服と、しつけを頼む」
サラディンは女の妖精に子供を渡した。
「かわいーねージェンの代わりにあの子が生まれたのかな？」
ルティアナが言った。ジェンがいなくなってしまった涙はすっかり乾いたようだ。
「うーん……確かにそんな感じだったな」
つぼの横にいた赤い蛇が、ぼっと火を吐いていた。
「背中の蛇がきになるな。イシュタールにあんな蛇がいたろう」
最初イシュタールの体に蛇はいなかったのだが、次第に赤い蛇が背中に出てきたのだ。サラディンはその蛇を見ていた。
「じゃああの子はイシュタールの子供？」
ルティアナが躊躇なく言ったので、サラディンは逆に驚いていた。
「ジェンはイシュタールと仲良くなっていたのか？」
「うん。仲良くなったよ」
とルティアナ。
「本当か？」
サラディンは男の妖精に聞いていたが、他の妖精は知らないようだった。首をかしげている。
「お前、もしかしてジェンに何か言ったのか？」
「みんな兄弟みたいで今更その気になれないっていうから、イシュタールを恋人にしたらっていった」
「…………」
「ジェンは仲良くなったっていったよ」
サラディンは大きく口を開けていた。
妖精達がざわめいていた。
「ジェンの子供なんだ……」
「子供……」
「じゃあ、あの子を生むためにジェンは……ってことか？」
それはそれで複雑な心境である。
「サラディン様、たとえそのせいだとしても、ジェンに後悔はなかったと思います」
男の妖精が言った。
「そうか。そうだな……むしろジェンによくやったとほめてやらねばな……」
しんみりしてると、「ぎゃー！」と子供の泣き声が聞こえてきた。
「ぱぱ！ ぱぱ！」
「大変！ おいでおいで、はい、ぱぱ」
ルティアナは女の妖精から子供を受け取ってサラディンに渡していた。服がなかったらしく、子供は赤い布にくるまれている。
サラディンに抱かれるやいなや、子供はにこにこ微笑んで火を吐いた。
「こら、私は妖精の子守はしないぞ」
「だってかわいそうだもん。いいじゃない。ぱぱだし」
サラディンはちょっと怖い顔で子供を睨んでみたが、子供の妖精はにこにこだった。サラディンの顔が怖くないらしい。
（いっそのことイシュタールの元に送ってやろうか……）と意地悪く思ったりもしたのだが、こんな子がいては人間界はどこも火事に
なってしまう。
「とにかく、私に火を吐くな」
子供がぼーと宙に吐いた火が蛇の形をしていたので、妖精達は「おー」と感嘆の声をあげていた。
「すごいね。お上手ね！」
ルティアナも喜んでいる。
火の蛇はサラディンの頬にぶち当たっていた。
「…………」
「きゃはは」
「まあまだ子供だから、しょうがないよ。うふふ」
「ふふっ」
ルティアナはともかく、妖精達までにやにやしているのがなんだか勘に触る。
「まったく、とにかく、誰かしつけをしろ！」
まさかこんな置き土産をされることになろうとは、夢にも思わないサラディンであった。
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