第53話
２の月、大陸の北部では雪に覆われた国々があった。雪深い国々での人々の生活は大変だが、その土地でしか見ることが
できない素晴らしい景色もある。夜空を彩るオーロラもその一つであった。
夜の闇に緑や赤、青などの色彩が川のように流れる様は実に美しい。その模様はその一時だけのもの。時間が経てば色も形も
変わっているのである。まるで闇のキャンパスに誰かが絵の具で模様を描いているようでもあった。
この美しいショーが見られるのは冬の間だけである。もしかすると、冬の寒さに耐えた人々へのご褒美なのかもしれない。
神でさえその美しさには魅せられる。
神の国を抜け出してオーロラの見物に来る神も珍しくはないのである。
今日オーロラの見物に来ていたのは、夜の神オルガだった。人々の町からは少し離れた所にいるのは、オーロラの見物をしている人々を
眠らせないようにする配慮かもしれない。
空に浮かんでオーロラを眺めていると、赤と黄色い筋がこちらに近づいてきた。
その色の前にいたのは一人の女神だった。オーロラの女神である。虹の神のように華やかな色彩で、長い髪も赤と黄色に
輝いた女神であった。
「あら、ご機嫌よう。オルガ」
「やあ、今日も美しいな。テレス」
「ありがとう」
その華やかさは、夜の闇の中でこそ際立つ華やかさであった。
「もっとほめて」
オーロラの女神テレスはオルガのすぐ側に近づいていた。
「あなたも相変わらずステキ」
「……視線がいたい。離れてくれ、テレス」
「いや」
後ろでジーと睨んでいる神がいた。
オーロラの神はもう一人いる。こちらは男の神である。青と緑の色彩に彩られたこちらの神は、短い髪で、オルガよりも見かけは若い。
「オルガ様、いつも言ってますけど、テレスに手を出さないでくださいね」
オーロラの神セスは睨みながら言ってきた。
「手も足も出してないぞ」
オルガは両手を挙げて身の潔白を主張している。
「今から出す所だったのに」
テレスが余計なことをいい、「なんですって」とセスは間に受けていた。
男の神セスが生まれてしばらくしてテレスが生まれた。それまでオーロラは青や緑系の色だったのだが、テレスが生まれて
色彩が豊かになった。
テレスは生まれながらにセスの恋人になるように運命付けられていたのだが、それが不満なのか、
他の神に話しかけてはセスを嫉妬させているのだった。この二人、一万年近く喧嘩したり仲良くなったりを繰り返している。
ちなみにオーロラが青や緑系ばかりのときは、人間達も「きっと二人の神が喧嘩中なのね」と噂するのだった。
色彩が豊かな夜は、「今日はお二人、仲が良いのね」といった具合である。
「いくらテレスがかわいすぎるからってだめですよ」
「あーあー」
いつものことなので、オルガの返答も投げやりだった。
「行こう。これ以上いると、オルガ様が君を奪いたくなってしまうじゃないか」
「わかったわよ。じゃあまたね。オルガ様」
セスは手を降っているテレスの手をさっと捕まえて連れて行った。
「大体君は無防備に男に近寄りすぎる。だめじゃないか」
「いいじゃないの。うるさいわねーもう」
「もうじゃないよ！ 君を見ると誰でもうっとりしてしまうんだから、だめ！」
「ぷーんだ」
そんな会話が聞こえてきた。
「毎度のことながら、よく飽きずにあんなやりとりができるものだ」
オルガは苦笑して、その場を去ったのだった。
３の月に入ると、春の女神達が大陸を移動し始める。ダーナとアリアスの陽気な娘達であった。大地に花が咲き、新緑に山が彩られるころ、
人間達にとってはもっとも重要な時期がやってくる。赤い月である。
「王様愛してるー！！！」
今年も蛇の国の城では王妃ゆりがラクシュミと熱い時を過ごしていた。この時ばかりはぐっすり眠るわけにはいかない。睡眠時間は
そこそこに、愛の時間を過ごすのである。
神の国にいたオルガの元に再び赤ん坊の魂がやってきたのはそんな頃であった。
「さすがに赤い月に眠るわけにもいかないか。おや？ お前の母親は妊婦だから赤い月は関係ないんじゃないのか？」
オルガはふと疑問に思ったが、赤ん坊が問いに答えるわけもない。
「まあ、たまにはしょうがないか」
と割り切って、しばらくして星の子供達に赤ん坊を戻しに行かせたのだった。
人間界では赤い月が現れる間、神の国ではどうといった変化はなかった。変化がある神といえば、月の女神ディアメラくらいであろう。
昼は一切神殿から出ず、夜になると人間界に降りて次の朝まで帰ってこないのだ。
赤い月の間は聖地では特別な月の祭りが催される。ディアメラがたまに顔を出すこともあるようだが、人々が性欲を増すのが
月のせいなのにその女神が男嫌いとは、なんとも皮肉なことである。
そして同様に、聖地のガーベラの神殿でも、神官たちによって特別な祭りが催されるのであった。
こちらは月の祭りとは違い性欲的な色合いが濃い祭りで、誰もが参加できるものではなかった。
赤い月が出ている間、神殿の中で男女が交わるというものであるが、必ず愛し合っている男女でなければならない。
女も男もガーベラの力がこもった美の水を飲み干し、そして交わるのだ。
儀式に参加するのは長い間子供ができない夫婦などが多く、ガーベラの儀式に参加して、朝ヒルデリアの神殿にお参りするのが、
お決まりの出来事であった。こうして子供ができた夫婦も多いようである。
聖地のガーベラの神官などはこの時期忙しいが、ガーベラ自身は聖地に現れることはなく、いつも通り神の国で過ごしていた。
儀式にガーベラが現れてしまったら、それこそ男達の目はガーベラに向いてしまうので、むしろ現れない方がよいだろう。
早朝、自分の神殿で髪を整えたガーベラの元に、愛の妖精シャリィがあわてた様子でやってきた。シャリィはガーベラの腕をぐいぐ
引っ張っている。どうやら来いと言っているようだ。
「なになに？」
神殿から走らされて、少し離れた場所でシャリィは止まった。
無理やり走らされてガーベラはぜいぜい息をしていた。シャリィはガーベラにみてみてとばかりにお花畑を指している。
「あら……」
黄色い花畑の中に人間の子供が４人もいるではないか。
「これを見せたかったの？」
ガーベラが聞くと、シャリィは二度うなずいた。
「一度に４人も見つけたの。かわいいわね」
シャリィはうれしそうに一番小さい赤ん坊を腕に抱いていた。４人はまだ立って歩けないほどの大きさだった。あどけない顔で、確かに
かわいい。人間の子供達は、きょとんとした表情で、ガーベラを見上げていた。
３人女の子で一人は男の子のようだ。人間の幼い子供が神の国にやってくるのはたまにあることである。
その多くは夢の中でやってくるのである。
「あら、この子目が変わってるわね」
ガーベラは男の子を抱き上げた。抱っこしてみるとわりとずっしりと重みを感じる。
男の子の左目は白目のところが黄色かった。眼球はそちらだけ紫色をしている。
「でもかわいい」
ガーベラは男の子に顔を寄せてちゅっとキスしていた。男の子はちょっとびっくりした様子である。
「将来美男子になりそう♪」
その時クーリーフンが近くを飛んできた。
「何してるの？」
クーリーフンが聞くと、シャリィは身振り手振りで伝えている。
「本当だ。人間の子供、いっぱい集めたんだね。……お母さん、その子に何もしてないね？」
クーリーフンはガーベラの腕の中にいる子供を見て言った。
「何かって？ 子供に何するの？」
「ちゅーしちゃだめだよ」
「もうしたわよ」
ガーベラがあっさり言って、クーリーフンが口を開けていた。
「前にあったこと忘れたの？ 赤ん坊が成長しちゃって騒動になったじゃない」
「そうだっけ。まあ、そうそうそんなことも起きないわよ。だってかわゆいんだもん」
ガーベラは男の子の頬に頬を寄せていた。
「まったくもー女の子にならしてもいいよ」
クーリーフンは男の子をガーベラから奪い取っていた。
「えー女の子にちゅーしてもつまらないし」
「だめだよ」
人間の子供達は次々に姿を消してしまった。どうやら人間界での目覚めの時間が来たようだ。男の子も消えた。
「クーリーフンって最近心配性だと思わない？」
ガーベラはシャリィに聞き、シャリィは首をかしげていた。
「お母さんが何も考えないせいだよー」
「そうだ。シャリィ、サラディンの所に小さい子供がいるのよ。見せてあげる。おいで」
ガーベラはシャリィの手を取って移動してしまった。
「まったくお母さんってば……」
飛んでいこうとしたクーリーフンは、ふと足を止めた。
「さっきの子供、何かひっかかるような……うーん……」
クーリーフンは眉を潜めたが、そのまま飛んで行った。
人間界蛇の国では、一人の子供が目覚めたようとしていた。脳裏に焼きついたのは美しすぎる女神の顔である。
女神の顔と口付けが、どうやらこの子供にかなりの衝撃を与えてしまったようだ。
出会ったのは初めてではない
二度目だ
一度目は……一度目は……ああ……あの……時……
女神の姿が誰かと重なった。
その時、様々な記憶が怒涛のように押し寄せてきた。
それは、子供の記憶ではなかった。何か別の意識で覆われた時、子供は子供ではなくなっていた。
「う……う、う……う？！」
その場にいた子供の手足は伸び、身体は大きく変わっていた。青い髪は伸び、大人の男の姿へと、変わってしまったのである。
「？？？？」
男は戸惑いつつ自分の手足を見ていた。服はすっかりやぶけ、裸も同然だった。
「私は……一体……」
部屋の中を見回して、ベッドから降りて、壁にかかっていた鏡を見た。そこにいた自分の顔を、男は奇妙な顔で眺めていた。
「だれだ？」
自分の顔に触れてみると、鏡の中の自分も同じ動きをしている。
「これが……私？」
その時ふと廊下に気配を感じ、男が顔を向けた。
鼻歌交じりに部屋に入ってきたのは、カレンだった。
ハインリヒの彼女であり、その子供、ドルイドの母親でもある。
カレンは部屋の中のベッドに子供がいないのにすぐに気付き、血相を変えてかけよった。
「ドルイドちゃん？ どこにいるの？」
カレンは布団をあわててはぐり、そしてびりびりにやぶけた服を手に取った。
これは尋常ではない。
カレンはあわててハインリヒに思念を送った。
─ハインリヒ様！ すぐ来てください。ドルイドちゃんがいないんです！
ハインリヒはすぐにやってきた。屋敷の中は使用人たちもあたふたしている。
おそらくは彼女と過ごしていたのであろうハインリヒは、シャツとズボンを着ただけの私服姿だった。あわててやってきたのかシャツの
ボタンは上半分開いたままである。
「一体何があったんです？」
カレンは部屋の中に座り込んで泣いていた。
「わかりません。きっとさらわれたんです。かわいそうなドルイドちゃん」
カレンは破れた子供服を握り締めて泣いていた。
その時、クローゼットでかすかな物音がして、ハインリヒは近づいて扉を開けた。
そしてほっとした表情で言ったのだった。
「なんだ、こんな所にいましたよ。ドルイド」
「ええ？」
カレンも近寄ってきた。ドルイドはクローゼットの中にちょこんと座っていたのである。裸だがどうやら怪我もなさそうである。
「あー」
ドルイドはおびえる様子もなく手を出している。
「ドルイドちゃんったら心配するじゃないの。あーよかった」
カレンは心底ほっとしてドルイドを抱き上げようとした。
「あ、ちょっと待って！」
ハインリヒは裸のドルイドを抱き上げて、その胸に注目した。子供の胸には、昨日まではない、蛇が引っ付いていたのである。
薄い蛇だが黒というわけでもない。少し青みがっている。蛇の胴体はうねっていた。
「あら、もう蛇が出てくるなんて、さすがハインリヒ様の子供ですわね！ なんてステキな蛇なんでしょう！」
カレンはうれしそうだった。
「ドルイド、自分でここに入ったのか？」
ハインリヒはつい聞いたが、ドルイドはまだしゃべれないので、答えはしなかった。
「きっとそうですわ。瞬間移動もできるんですの？ すごいですわーさすがですわー。さあ服を着ましょうね」
カレンはうれしそうにドルイドは連れて行った。
ハインリヒは頭をかいた。床には破れた子供の服が残されている。
「自分で破ったのかな？ だがこんなには破れないよなあ……力でしたのかな？ もう力も？」
首をかしげたが、何事もなかったのでとりあえずほっとしたハインリヒだった。
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