第56話
暦は４の月である。すでに春の女神達は通り過ぎている。山も野原も花が咲き乱れ、ちょうちょがひらひら飛んでいた。
赤い月も終わり、一年で一番のどかな季節である。
だが、城の北にある大きな街の博物館の周りだけは様子が違い、朝から人々でごった返していた。
こんなことは王妃の石像が置かれて以来である。
博物館に入った人々の目当ては、今回も王妃の石像であった。
「あ、本当だ、石像が変わってる！ 前の石像はどうしたんだ？」
「ドレス姿だ！」
「髪型が違う！」
人々は台座の上にある王妃の石像の前で、あれやこれやと声をあげていた。
昨日までは王妃の石像は、春らしいピンク色のワンピースのような服を着ていた。そしてその横に、紫色のドレスが一緒に
飾られていたのである。それがどうしたことか、今朝博物館の職員が来てみると、王妃の石像が紫色のドレスを着ていたのである。
王妃から紫色のドレスを贈られて、職員達も石像に着せてみようと思わないではなかった。だが、かっちりしたドレスだったので
石像に着せることは難しかったのだ。
しかもストレートだったはずの髪が、頭の上で結われて花の飾りがついている。もちろんすべて石造りだ。
王妃の石像には今までもいろいろ不思議なことがあった。だが、石像の髪型まで変わってしまうとは。まさか職人が
夜中の間に彫りなおしたわけでもあるまい。
王妃自身が不思議な人物なために、こんなことが起こったのかどうかは謎である。
そんなわけで、噂を聞いた街の人たちが詰め掛けたというわけだった。ドレスを着た王妃の石像は、以前よりもちょっと誇らしげに
見えた。
「……本当だ。変わってるな」
さっそくミカエルから報告を受けたラクシュミは、王の間でゆりの石像を見ていた。
「前より王妃様らしくていいじゃないか」
驚くより先にこんなことを言っている。
「またハロルド様のいたずらなんですかねえ」
とミカエルも、さほどびっくり仰天はしていないようだ。
「まあこんなことができるのはハロルドかア……」
「しー！」
とさえぎったのはゆりだった。ゆりもこの場にいたのだ。
話を聞いたゆりは驚くよりも青ざめていた。まさかアシュランがあの石像を見たとは、思いたくない。
そして横にあのドレスがあるのを見て石像に着せたなどと、想像したくはなかった。
「だがその二人のどちらかだろう」
「お願い。その名前は出さないで。それよりも、私の石像なんだけど、ドレスきつそうじゃないかな？」
「あん？」
「ドレスが窮屈そうじゃない？」
ゆりとしてはそこが気になった。あのドレスの一件は、ゆりの中では苦すぎる思い出である。
「窮屈でも石像は顔をしかめてないから、大丈夫じゃないか？」
ラクシュミがちょっと笑いつつ言った。石像が窮屈げに顔をしかめていたら、それこそ神の嫌がらせである。
「もしかして、窮屈だったのか？」
ラクシュミに聞かれて、ゆりは言葉をつまらせていた。
「いや、その……今は妊婦ですから……」
ゆりは横を向いて言った。
「ドレスが窮屈で、夜中に脱いでたら面白いですね」
ミカエルが笑っていた。ゆりはつい石像が夜中に裸になってくつろいでいる所を想像してしまった。
「面白くないわよ。窮屈じゃないならいいの」
石像を作った時は今よりもちょっとはやせていたのか、それともドレスをちょっと大きくしてくれたのか、それはゆりには謎だった。
「王妃の不思議がまた一つ増えましたね」
ミカエルはにまにまして言っていたが、ゆりには笑えない話だった。
ハロルドがしたのかアシュランがしたのか……ハロルドがしたとはあんまり思えないけどなあ……
王の間を出て考えながら歩いていると、ハインリヒに出会った。
「王妃、石像の話を聞きましたよ。石像が自分でドレスを着たんですって？」
どうやらみんな知っているようだ。
「石像も女の子だから、ドレスが着てみたかったのよ」
ゆりは何食わぬ顔で返した。
「髪も自分で結ったんですか？」
「さあね」
「王妃は石像も面白いですね。ところでシス様なんですが、最近寝不足なんですか？ 授業の時間にうつらうつら寝てるみたいですよ」
「え？ そうなの？」
「ロイ様はしょっちゅうですがね、シス様は珍しいですね」
「そういえばここの所朝、元気がないのよねえ、ちょっと話してみるわ」
ゆりはそういってハインリヒと別れた。
シスの寝不足の原因はドルイドのことだった。ドルイドに出会った衝撃の夜から10日がすぎた。今夜は来るかも、と
夜遅くまで気になって寝られず、結果朝と昼に眠くなるわけである。ラギに「どうしたの？」と聞かれるが、理由は話せない。
これがアナスターシャならすぐに話してしまうだろうが、シスは真面目なために「話さないで」と言われた以上今は話すことはできないと
思っていた。
５日も経つと、（ドルイドに出会ったのは夢だったのかも？）ととも思えてきたシスだった。
ドルイドが恋しいあまりに幻を見たのかも？
でも顔が違っていたしなあ……幻ならばドルイド自身の幻を見るはずだし……
せめていつ来るかわかればいいのになあ……
「シス様、シス様、今の聞いてました？」
シスははっと我に戻った。今は古代語の授業の時間だった。横にはアナスターシャもいる。
「ごめん。聞いてなかったです」
「どうしたんですか？ シス様が上の空なんて珍しいですね」
「なんか悩んでるんだって。誰にも教えてくれないの」
アナスターシャが言った。
「悩み……ですか」
「違うよ。あれだよ。あれ、思春期のもやもやってやつだよ」
「思春期のもやもや？ それ何？」
アナスターシャは教師に聞いていた。
「いろいろ悩むお年頃ってことですね」
「私は別に悩んでないけど？」
「僕は姉様よりも繊細だからね」
「私だって繊細よ」
「どこが？」
「ちょっと待ってください。喧嘩も古代語でどうぞ」
教師に促されて、二人は黙ってしまったのだった。
このままでは本当にもやもやしっぱなしである。
授業が終わった後、シスは老人ザメハに「今会える？」と思念を送った。
シスが自分の部屋で待っていると、ほどなくザメハがやってきた。
「シス様、わしに何か御用ですかな？」
「うん、ザメハとお話がしたかったんだよ」
「これはうれしいですなあ」
ザメハはうれしげに目を細めて部屋の中の椅子に腰を下ろした。テーブルにはお茶とお菓子の用意はすでにされていた。
シスは侍女に出て行ってもらっていた。
「実はザメハに聞きたいことがあってね。この前ザクート様が現れた時、ザメハは前世の記憶を思い出したでしょ？ あのことだよ」
「そうでしたな。ザクート王の時代、門番として働いておりましたな。あの記憶も、今はすっかりなくしてしまいましたよ」
「まったく何も思い出さないの？」
「まったくもって。自分が本当に転生していたなど、不思議な気分ですな」
「前世のことって、普段はまったく思い出さないものなのかなあ？」
「そうですな。完全に記憶がない状態ですからな。何か強烈なきっかけでもないと思い出さないものなのでしょう」
ザメハは白いあごひげをなでながら言った。
「じゃあ、ザメハはまたザクート様にお会いしたら、前世のことを思い出すのかなあ？」
「そうかもしれませんな。ザクート様にお会いすればもしかして……ですが前世の記憶まではっきり思い出してしまったら、記憶がややこしく
なりそうですからのう。まあ思い出さないほうがいいのかもしれませんが」
「そうかあ。強烈なきっかけかあ……」
ドルイドの時は、ガーベラ様に出会って思い出したとか言ってたっけ？
ガーベラ様には簡単に会えないし……その後母様に会ってまた思い出したって言ってたような……
そうだ。二人の母様に会ってって言ってた！ 二人の母様に出会えば、ドルイドはまた大人になるのかな？
ためしてみよう！
「ありがとう。ザメハ、僕ザメハと話をしてひらめいたよ」
「ひらめいた？」
「きっかけがないとだめなんだ。きっかけだよ！」
シスはザメハの両手を握り締めた。
「今日はありがとう。僕ちょっと用事があるから！」
シスは驚くザメハを置いて部屋を飛び出した。
まずは小さいドルイドを連れてきて、母様に会わせよう！
あ、そういえば、でかくなったドルイドの服を用意しなくちゃいけないや！
えーと、どうしようかなあ……まず何をすればいいんだ……
シスは考えながら廊下を行ったりきたりしていた。
そこにゆりがやってきた。
「シス、何してるの？」
「え？ なんでもないよ」
「まだ夜眠れないの？ お母さんが一緒に寝てあげようか？」
「いいよ」
「一体どうしたの？」
ゆりの左目が変わっていた。
「何か悩みがあるなら言ってごらんなさい」
「今解決したよ！ 今夜はぐっすり眠れるよ！」
シスははじけたように言っていた。
「あ。そうなの？」
とりあえず、今日は準備して、明日にしよう！
今夜はぐっすり寝て明日に備えるぞー！
シスはスキップしながらゆりから離れていった。
シスの部屋から出てきたザメハとゆりは目を合わせて、二人で首をかしげたのだった。
こちら神の国にて──
雲の上の神殿にやってきた青年版クーリーフンは、神殿の一つの柱の出っ張りから、一人の神がつられているのを発見して、
そちらに飛んでいった。胴体をぐるぐる巻きにされて、一本の白い紐でつられていたのは、やはりいたずら好きの神、パティウス
である。翼がついた帽子はない。きっと没収されているのだろう。
「今回は何をやったの？」
「ふっ」
鼻で笑ったパティウスの身体は上下にゆれていた。よくみると白い紐が伸びたり縮んだりしている。
「すごいだろ？ これ、ゴムの木から僕が作ったんだ」
「へーゴムなんだ？ 結構頑丈だね」
クーリーフンがゴムを手にとってみると、びよんびよんと伸びてパティウスの身体が上がったりさがったりしていた。
「こらー揺らすな」
「切れないの？」
「切れないように工夫したんだ。すごいだろ？」
パティウスはつられているくせに得意げだった。
「それでどんないたずらをしたんだい？」
「このゴムをさ、アリアスの馬車のペガサスをつないでる紐と変えてやったんだ」
パティウスはにやにやしながら言い出した。
「わる〜 それで馬車がこけたの？」
「ペガサスが飛ぼうとしたら、紐が伸びて馬車がずっこけた。アリアスも馬車の中でずっこけたんだ。たんこぶできたって。へへっ」
「お仕置きされたのにうれしそうだね……」
クーリーフンはその場面を想像しながらちょっと呆れていた。
「僕は最近思うんだよね。僕が存在してる理由ってやつ。僕がいたずらしなかったら、いる意味がないよ。僕がここにいるのは、
たまにいたずらしろっていうことなんだよ」
パティウスは真面目な顔で語りだした。
「知恵の神は二人いるんだから、僕も真面目じゃ面白くないじゃない。神ってやつはみんな長生きしてるからさ、
たまには刺激があるほうがいいんだよ」
「まあ確かに一理あるかもね。アシュラン様にそういったら？」
「今アシュランはいないよ。人間界に遊びに行ったんだよ。人間の女に手を出さないように、ヒルデリアがジェイクも引っ付けて行かせた
んだぜ」
「そうなんだ。知らなかったよ。まあ帰ってくれば解放されるよ」
「助ける気にはならないわけ？」
「アリアスにうらまれそうだもん。それに楽しそうだからいいじゃない」
クーリーフンはゴムを引っ張り、パティウスはゆれながら「やめれー」と叫んでいた。
そこにグレンがやってきた。
「その様子ではまだ反省してないようですね」
「僕がいたずらするのは大いなる意思ってやつだよ。だから離してよ」
パティウスが訴えると、グレンは「もう少しそのままでいなさい」と言って飛んで行った。
クーリーフンはグレンの様子が気になった。元気がないように見えたからである。
「グレン……なんか変じゃない？」
「グレン、今神気が落ちてんだよ。飛ぶのも遅くなってるんだ。今日なんて僕を捕まえられなかったもんね」
「えー？ なんで？」
「さあ、前にアシュランの神気が下がってみんなひきづられちゃったことがあったけど、今回はアシュランは元気だし、グレン一人
神気がさがってんじゃない？ 元々あんまり神気ないのにね」
パティウスは何気にひどいことを言っていた。
「だめだよ。そういうこと言ったら」
「だって本当のことだもんねーそれなのにいつも僕に偉そうだ」
「そりゃ、君が悪いからだよ。グレンじゃなかったら誰が君を捕まえたの？」
「ウィルだよ。つむじ風でぐるぐる回されたんだぜー」
「そうなんだ。まあしばらくこのままがんばりなよ。じゃあね」
クーリーフンはその場から去った。
パティウスと話している内に、自分がなぜ雲の上の神殿に来たのか、理由はすっかり忘れてしまっていた。
「まあいいか、グレンがきになるなあ……」
クーリーフンはグレンの姿を探したが、飛んでいるグレンを見つけることはできなかった。
人間界、蛇の国、夜──
ゆりの石像の様子が気になったミカエルは、博物館に忍び込んでいた。
まさか本当に石像がドレスを脱いでるのかも、と思ってしまったからである。
一階広間、石像の周りにはすでに客がいて、ゆりの石像は灯りがともされていた。
石像はまだドレス姿である。
「なんだ、みんないたのか」
石像の周りにいたのは、セリアにエルバート、シャナーン、ヴィラにジュノーだった。
「ミカエル様、元の石像は倉庫にあるんですか？」
セリアがミカエルに聞いた。
「いや、これ一つだけだぞ。朝変わってたようだ」
「そうなんですか？ 誰かが入れ替えたんですか？」
「さあ」
「だれかって……」
ヴィラはぷっと笑っていた。人間以外の仕業だろうと、ヴィラとジュノーにも見当はついていた。
「この王妃もステキですが、いつもの髪型の方が好きなのになあ……」
といったのはシャナーンである。
「でもこのドレスにはこちらの髪型の方が似合うからいいんじゃないかな？」
とエルバート。
「どちらもステキですよ♪」
セリアはとにかくうれしそうである。
「王妃、夜寂しくないですか？ 私の石像も横に飾ってあげたいなあ」
ミカエルがぼそりと言っていた。
「死んだら飾ってあげますよ」
ジュノーがさらりと言った。
「死んだら……死ななきゃだめか？」
「だめです」
「ミカエル様ったら、横に飾るなら王様の石像ですよ」
とセリア。
「そりゃそうですね。まあ昼間はにぎやかだから、夜くらいは一人でもいいんじゃないかな？ 小鳥もいるし」
ヴィラが言った。
「そうか。それじゃ、そろそろ行こう。誰かいたんじゃ、王妃がドレスを脱げないかもしれない」
ミカエルの言葉に皆がえっと顔を向けた。
「え？ 王妃様、ドレスを脱がれるんですか？！」
セリアは大興奮している。
「いや、だって、王妃はこんなすごいドレスなんて着慣れないから、脱ぎたくなるかもしれないじゃないか」
ミカエルは冗談でもなくいっていた。
一同は沈黙し、やがて、「確かにそうかも」とヴィラが言った。
石像がドレスを脱ぐわけはないのだが、この石像に限っては、そうも言い切れないだろう。
「王妃はドレス、嫌いですもんね……」
ジュノーもうなずいていた。
皆石像が裸でくつろいでいる所を想像してしまっていた。
「それでは王妃、ゆっくり休んでくださいね。皆さんもさようなら」
シャナーンはそういって消えた。
続いてみんな消えて、石像の周りは真っ暗になった。
石像がいそいそとドレスを脱いでいるのかどうか、それは誰にもわからないのだった。
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