58話
ゆりが神の国でグレンといろいろあって二日後のこと、朝ゆりが目覚めると横に青年版クーリーフンがいて、ゆりは夢の中かと
何度も目をぱちぱちさせていた。クーリーフンはにっこり笑っている。ゆりはつられてにまっとし、はっと頬に手をあてた。
「やだあ、せめて化粧してから来てほしかったなあ」
今まで散々素顔を見られているが、たまには化粧ばっちりの顔を見せたいものだ。
（せめて顔を洗ってからにして）と思ったが、クーリーフンはゆりの寝起きの顔も、別に気にならないようだ。
「おはよう」
と、眠気もぶっとぶさわやかな笑顔を向けてきた。
「おはよ〜」
ゆりは身体を起こした。
「今日はどうしたの？」
「聞きたいことがあってね」
クーリーフンは珍しく、神の国にいた時にグレンと何があったのかを聞きにきたのでゆりは驚いた。
今までこんなことはなかったからだ。ガーベラは今回だけは不思議で仕方がないらしい。
ゆりはグレンとのことをざっと話したが、手で昇天させた、などとはさすがに言わなかった。
引っ付いてたらグレンが興奮したとだけ告げている。
「そうなんだ。それだけでグレンもつい高みに上っちゃったの？ あのグレンがねえ。最後までやったんじゃないのかあ」
「やってないわよ。でも、パティウスは、クーリーフンの差し金じゃないの？」
「そうだよ。僕の期待通りだったなあ。ふふふ」
「ふふふって……」
神話の本によれば、クーリーフンも結構いたずら好きらしい。パティウスほどではないだろうが。
「クーリーフンってば、あの女の子はどうなったの？」
「今は元気だよ。ライサっていう名前になったんだよ」
「そうなんだ。よかったあ。グレンとガーベラの子供になるのかな？」
「母親は謎になってるけど、お母さんの神気が混じって生まれたのならそうかもね。ありがとう。それじゃね」
クーリーフンはさっさと去って行こうとしていたので、ゆりはがしっと腕をつかんでいた。
「そんなあ。私神の国に貢献してるでしょ？ だから、今日はちょっとサービスして。お願い」
「サービス？」
「かわいい信者達に姿を見せてあげて」
ゆりは子供達のためにと訴えた。
「いいよ」
クーリーフンは急いでなかったのか、笑顔で了承してくれた。
さて、こちら神の国、グレンと同じ伝令神として生まれたライサは、見習いとして、伝令の仕事を始めていた。
今はまだ、いろいろな神様に挨拶したりして、顔を覚えてもらっている所である。
ライサは今、音楽の神ラメーンの神殿にやってきていた。
首までのストレートの金色の髪、眉までのそろった前髪、細身の少女は、もう少し経てば大人になるだろう、とういうくらいの大きさだった。
上は黄土色のチュニック、腰には瞳と同じ青い腰紐を結び、太ももまでのミニスカート姿だった。空を飛ぶため、スカートの下はのぞかれても
平気なように、女性では珍しく下着のようなものをつけている。
身体の凹凸には乏しいが、すらりとした足に、顔立ちも結構かわいらしかった。ライサははっと目を引く美女ではない。
愛の妖精のようなちょっと男をそそるような魅惑的な部分はなかったが、無邪気そうに見えて、
どこか聡明そうな印象を与える少女だったので、とにかく、男性の神の受けはすこぶるよかった。
同じ部屋にいたライオネルも、思わずライサを凝視してしまったくらいである。
（この子があのグレンの子供？ 嘘だろ）
とライオネルは思っていた。
（まあ、あのグレンがこんなにこにこしてたらちょっとやだけどな……）
ライオネルはグレンとは長い付き合いになるが、グレンのにこにこ顔など見たことはなかった。
せいぜいにやっとするくらいだが、そのにやっもごくたまにである。
ライオネルは獣の姿だったが、ライサは驚くこともなかった。誰かに聞いていたのかもしれない。
二人の神に挨拶するなりライサは、「夕方雲の上の神殿で楽器の演奏会があるので、来てくださいね」とラメーンに頼んでいた。
そんなライサにラメーンは笑顔を返すこともなく、「私は演奏会には出ない」ときっぱり断っていた。
「どうしてですか？」
「私はそういう理由で雲の上の神殿には行かないんだ。長いこと行ってないし、これからも行くことはないだろう」
「ラメーン様は楽器が一番上手なんでしょう？ どうして皆さんに聴かせてあげないんですか？」
「どうしても、いやなものはいやだ」
ラメーンは表情を覆すことはない。
（冷たいやつめ……）
とライオネルはそのやり取りを見ていた。ラメーンは自分の神殿で曲を奏でることはあるのだが、アシュランに呼ばれて演奏会に
出るのはあまり好まなかった。ライオネルもそれは知っている。きっとアシュランに文句を言われるのが嫌なんだろうとライオネルは
思っていた。
ライサの表情が曇ってきた。今にもなきそうである。
「私が嫌いなんですか？」
「私は別に君に嫌がらせをしているわけじゃない。グレンが来ても行かないし、行ったことない」
「私、見習いなんです。アシュラン様に、よくやったなってほめられたいんです。だからお願いします」
ライサは涙目で訴えていた。
「悪いが無理だ」
ラメーンがつれなくいうと、ライサは悲しそうな顔で、やがて傍らにいたライオネルを見た。
助けを求める目である。
（やはりそうくるか……）
ライオネルは頬をかきながら、
「出てやれよ。この子は生まれたばっかりなんだから、そんな冷たいこと言うなって」
と助け舟を出した。
「君は余計なことを言うな」
ラメーンはライオネルを睨んでいる。
「かわいそうじゃないかよ。最初くらいこの子の顔を立ててやれよ」
「なぜ私がそうしてやらなきゃいけないんだ」
「なんだー？ 実はアシュランに披露する自信がないとかいうんじゃないだろうな」
ライオネルがからかうように聞くと、「そんなことはない」とラメーンは否定していた。
「じゃあ行けよ」
「お願いしますう」
ライサは本当に泣いていたので、ラメーンの顔は引きつっていた。
これが大人の女性ならば強引に出て行かせるところだが、相手は子供である。
ラメーンだって、子供を泣かせるのはちょっと心が痛い。
「どうせアシュランの差し金なんだろうが、たまには乗ってやれよ。この子が生まれたお祝いにさ」
少女の泣き顔を見てしまったら、ライオネルじゃなくても、つい味方をしてしまいたくなるだろう。
「うーん……わかった。しょうがない。夕方神殿に行こう」
ラメーンが仕方なくそういうと、ライサの表情がぱっと輝いた。
「本当ですか？」
「ああ。約束する。今回は、君のお祝いだ」
「ありがとうございます！！ じゃあお願いしますね！ ライオネル様もありがとうございます」
ライサは笑顔になって神殿を出て行った。
「……かわいい子だ。本当にグレンの子供？ まさかな」
ライオネルは少女の後姿を見送りながらつぶやいていた。どうしても信じられないようだ。
「うーん、どうしよう。何の楽器にするか、悩むな」
一方ラメーンは眉間に筋をたてて悩みだしていた。
「竪琴でいいんじゃない？」
ライオネルが言った。
「リュートか、竪琴か、笛か……どれにするか悩むからいきたくないんだ……」
「何だそういう理由なのか。ゆっくり悩んでくれ」
ライオネルは神殿を出て行った。
空を見上げると、飛んでいるライサが見えた。ライサには青い空が良く似合っている。
ライサはライオネルに気付いて大きく手を振っている。ライオネルも毛深い手を振って返した。
「伝令神かあ……あの子が来たらついどこへでもいっちまうよな。ある意味すごい神が誕生したかもな」
ライオネルは空を見上げてつぶやいていた。
蛇の国の城では、女性達の黄色い悲鳴にもにた声が響いていた。
「クーだ！！！」
ミシェイラは興奮しまくり、ナナミやアナスターシャも部屋にやってきて同じように興奮していた。
「クーだ！」
「クーステキ！」
「わーかっこいい！！」
「綺麗！」
シスやラギまでつられて興奮している。ロイは「翼触らせて！」とクーリーフンに触ろうとして、ナナミに阻止されていた。
「クー様〜」
今日は侍女まで姿を見ることができたので、侍女はクーリーフンの姿を見て腰くだけになっていた。
どこから話を聞きつけたのか、１０人もの侍女が部屋に集まっている。
「クー様〜ステキすぎる〜」
ミシェイラにつられて皆が「クー」と言っていたので、クーリーフンは（なぜここではクーなんだろう）と思っていた。
ゆりがばっちりと化粧して身支度を整えて駆けつけた時には、クーリーフンはもういなくなっていた。
ミシェイラの部屋にいた面々は皆ほうけたような顔をしている。女性陣は特にそうだ。
子供から大人の女性までとりこにしてしまうとは、さすがクーリーフンである。
「マー、クーがね、グーがね、グーがね、きたの！！！！！」
ミシェイラは大興奮していた。
「私、ほっぺにちゅーされた！」
とアナスターシャ。
「私も！ クー様ってステキ！！」
ナナミも頬を染めていた。
「私達もチューされました〜〜〜〜」
「感激ですー！！！」
部屋にいた侍女達もうれしそうだった。
「シスとラギもされたの？」
とゆりが聞くと、二人は首を横に振っていた。
「僕、ちょっとされたかったな」
シスが言った。
「僕も」
とラギも真面目に言っている。やはり女性だけへのサービスだったようだ。
「男の子でもされたいんだ」
「だってねえ」
「ねえ」
シスとラギは目を合わせていた。
「僕は羽がほしかった。むしろうとしたら阻止された」
ロイが残念そうに言うと、「「当然だよ」」とラギとシスは声を合わせていた。
「そんなことしちゃだめよ。私もちゅーされたかったなあ」
ゆりがぽろりと言うと、「お母さんにはハロルド様がいるじゃん」などとラギに言われてしまった。
「ハロルド様に好きなだけしてもらったらいいじゃん」
「え、いや・・・それはちょっと・・・」
ゆりは頭をかいていた。頼む気はないが、もし頼んだら、微妙な顔をされそうである。
「クーリーフンは、お母さんが連れてきてくれたの？」
「うん、まあそうかな。みんなに会ってあげてって頼んだのよ」
「クーが！クーが！！！」
ミシェイラは興奮しまくっている。今日一日は興奮してそうだ。女性陣の頭からはピンクのハートが飛んでいるようだった。
「よかったね」
今回はみんなクーリーフンを見ることができたので、ゆりは満足して部屋を去ったのだった。
子供達は朝食どころではなかったので、ゆりは一人で朝食を食べて、部屋に戻るとイシュタールが来ていた。
「おはよう〜早いね。どうしたの？」
「おはようございます。実はさっき、また火の妖精が贈り物を届けてくれたんです」
「へー今度は何？」
「これなんです」
テーブルの上には布でくるまれた物が置いてあった。今回は酒の樽ではないようだ。もっと小さくて平べったい。
イシュタールが布をあけると、中から出てきたのは、赤系の服だった。
「わお！ ステキ！」
男物の服で、戦士が着るような上着とズボンが二セット入っていた。上着には、前面と腕には炎のような模様がついていた。
上着をあげてみると、なんと背中に赤い蛇の模様があったので、ゆりはさらに「すごい！」と声をあげていた。
色は赤系であるが、派手な赤ではなく、ちょっと落ち着いた赤だった。なかなか凝った服である。
「ちょっと着てみて！」
「はい、では隣を借ります」
イシュタールは服を一セットもって寝室に移動した。そして少しして戻ってきた。
服はイシュタールにぴったりだった。
「ステキー！」
ゆりは手をたたいている。
「すごい、私のサイズを知ってたんですかね？」
イシュタールも驚いて服を眺めている。ズボンの足の長さもちょうどよかった。
「妖精さんがつくったのかなあ？ もしかしたら火に強いのかもよ？ 燃えない服なのかも」
「それならうれしいですが……」
「きっとサラディンが緑の服を着てるイシュタールを見たのよ。それで我慢できなくなったに違いないわ」
ゆりはそう推理した。
「そうなんでしょうか……」
「きっとそうよ」
「なんか恥ずかしいんですが……こっちじゃ赤は着なれてないもので……」
イシュタールはちょっと照れていた。
「ステキよ。ベルトも赤なんだ。皮製でかっこいいじゃない」
「はあ……こんなによくしてもらって……実はお酒をもらった時のお礼も言ってないんです。まさか手紙も出せないですし……
どうやってお礼を言ったらいいでしょうか」
「お礼かあ……まさか私がガーベラになったときに持って行くわけにもいかないしねえ……あ、そうだ。私火の妖精との交信方法知ってる！」
「本当ですか？」
「もしかしたら成功するかもよ。試してみたら？」
ゆりは以前、ガーベラだったときに火の妖精と話したときのことを思い出したのだった。火に向かって話しかけるというごく簡単なことである。
それをイシュタールに伝えた。
「そんなことでいいんですか？ 帰って試してみます」
「うん。成功するといいね」
「では、今日はこれで、王にもお見せしたいので」
「うん。またね」
イシュタールはその後王の間に行き、恥ずかしそうに赤い服を着た姿を見せたのだった。
「似合うじゃないか」
とラクシュミもほめていた。
「緑の方が落ち着くんですが……やはり着た方がいいでしょうか……」
イシュタールはこっそりラクシュミに相談していた。
「そりゃそうだろう。サラディンが見てお前が着てなかったら、気を悪くするんじゃないか？」
「そうですね」
「サラディンはお前をすごく気にかけているんだな」
ラクシュミは、この赤い服にイシュタールに対するサラディンの愛を感じたようだ。
「私もそう思います」
一族の者を思いやる心は、王も神も一緒かと、ラクシュミは感じ入ったのだった。
今日も妖精が現れたのは城のかまどだったのだが、料理人は以前のように文句も言わなかった。
ジンラのお酒を飲むことができたので、いまだに機嫌が良いらしい。
城を後にしたイシュタールは、屋敷に帰り、さっそく火の妖精を呼んでみることにした。
最近は、イシュタールの瞬間移動もだいぶましになっていた。しっかりと目的地を思い浮かべれば、その場に行くこともできるように
なっていた。だが、ぼんやり飛ぶと変な所に行ってしまうのである。
イシュタールは、部屋でろうそくに火をつけて椅子に座り、ちょっと考えてから、「ジェンさん、いますか？」
と恋人になった火の妖精の名前を呼んでみた。
「ジェンさん、ジェンさん、聞こえたら来てくれませんか？」
だが、いくら呼んでも、火の妖精が現れることはなかった。
この方法ではだめなのだろうか、とイシュタールは念のため、他の妖精の名前を呼んでみることにした。
「ツアールさん、ツアールさん、いらっしゃいませんか？ ツアールさん……」
すると、ろうそくの火がぼっと燃え上がり、イシュタールはびっくりして、「わっ」とのけぞっていた。
ろうそくの火が異常に燃え上がり、その火は一人の妖精の姿になった。妖精はろうそくの上に浮いている。
「おや、あなたでしたか。私を呼びましたか？」
妖精はイシュタールを見て、少し微笑んでいた。
「はい、あの、今日服をいただいて、お礼がいいたくて」
イシュタールはあわてて立ち上がり、言った。
「ああ、よく似合ってますよ。その服は火に強いんです。だから燃える心配はないですよ」
「そうなんですか。うれしいです。この前はお酒もいただいて……本当になんとお礼をいったらいいか……」
「サラディン様には私から伝えましょう。今は外出されてますので」
「お願いします。あの……ジェンさんを呼んだんですが、ジェンさんは現れなかったんです。どうしてでしょうか」
イシュタールが聞くと、妖精はちょっと表情を変えた。
「ジェンは……ジェンはいません。だから現れることはできません」
「どういうことですか？」
「ジェンは消滅してしまいました。人間的に言うと、死んでしまったんです」
「え？」
イシュタールはぽかんとしていた。
「彼女はかなり長い時を生きましたからね。ジェンに優しくしてくれたんですね。ありがとうございます」
妖精は、ちょっと悲しそうな顔でお礼を言っていた。
「彼女のことは、気になさらないでください。それでは私はこれで失礼します」
妖精は軽く頭を下げて、消えてしまった。
ろうそくの火は普通の火に戻った。
ジェンさんが……死んだ？
イシュタールはショックのあまり動けなかった。まさか妖精が自分より先に亡くなるなどと、思いもしなかったのである。
あれが最後の別れになってしまうとは──
最後に何も言葉を交わさなかったことが悔やまれた。
イシュタールは自分の手を見てはっとした。自分の身体から、青白い炎が上がっていたのである。
「これは……だめだ、制御できない」
熱くはなかった。これも半妖精の恩恵なのだろうが、自分の火を抑えることができない。
このままでは屋敷が燃えてしまう。
目的地に飛ぶ自信がなかったイシュタールは、フリットに思念を飛ばしていた。
─フリット、今手が空いてるか？ すまないが、何もない平地に火をたいてくれ！ 頼む！ 自分が燃えてしまって制御できないんだ！
イシュタールから思念がきたフリットは驚いていた。
─自分が燃えてるってどういうことだ？
─ちょっとショックなことがあって……自分が抑えられない。そのせいで燃えてるようだ
─わかった。急いで火を焚くから待ってろ！
─すまない
フリットは北の、かつて戦が行われただだっ広い平地に薪を持ち込み、火をつけた。
イシュタールはそこをめがけて無事飛ぶことができた。燃えているイシュタールを見て、フリットは仰天していた。
実際に見るとすごいものである。
イシュタールの身体から青白い炎があがり、体温は異常に熱くなっていたが、服は燃えていなかった。だが、靴は燃えているので
裸足である。
「その服は……」
「サラディン様に贈り物をいただいたんだ。よかった。裸で外にいるのはいやだからな」
イシュタールは自分の姿に苦笑していた。さすが神の国で作られた洋服である。
「そうか。大丈夫か？ 何があったのか聞いていいのか？」
「今はちょっと……落ち着いたら話す」
「わかった」
フリットは姿を消して、イシュタールは薪の側に腰を下ろした。
そして、しばらくその場を動かなかったのだった。
ゆりがイシュタールの異常を知ったのは、夕方のことだった。イシュタールは半日ずっと北の大地に座り込んでいるらしい。
ラクシュミに「理由は知らないか？」と聞かれたが、ゆりにもさっぱりだった。
「ずっと燃えてるの？」
「ああ。神の国からもらった服のおかげで、裸ではないようだ」
「そうなの。それはよかったけど、どうしたのかしら？」
「フリットは、何かショックなことがあってそうなってるようだと言ってた。ショックなことってのがわからないのだ。お前本当に知らないのか？」
ゆりは首をかしげた。
「そういえば、火の妖精にお礼を言いたいって言ってたけど……妖精に何か悪口でも言われたのかしら？ でもそんなことありえない
だろうしねえ」
ゆりの印象では、火の妖精は全体的におっとりした性格だった。イシュタールに何か言ったとも考えにくい。
「分からないならいい」
ゆりは首をかしげながら王の間を出た。
こうなったら、火の妖精に直接聞いてみようかな。私が呼んでも出てきてくれるかな？
一応自分にはサラディンの加護がついているので、可能性はあるかもしれない。
ゆりは自分の部屋で試してみることにした。
テーブルにろうそくを乗せて、火をつけた。
「妖精さん、火の妖精さん、聞こえてたら出てきてください」
ゆりは言ってからじっと待ったが、変化はなかった。
「妖精さん、お願い、出ていらして」
ゆりは気持ちガーベラ的に呼んでみた。
「妖精さん、ちょっと緊急事態なの。お願い、姿を現してくださいな」
すると火が異常にでかくなり、ゆりは「わおっ！」と椅子から飛びのいていた。
「あれ？ ガーベラ様に呼ばれたような気がしたんだけど……」
男の妖精は、周りをきょろきょろ見て不思議そうな顔をしていた。
「私が呼んだんですよ。妖精さん」
ゆりは内心（ガーベラの声色が通じた？）と喜んでいた。
「……あなたが？」
妖精は怪訝な表情だった。
「そうです。イシュタールのことで話があるんです。イシュタール、朝妖精さんと話しませんでした？ そこで何かあった
ようなんですけど、今身体が燃えてるんです」
「え？」
「半日燃えてるんです。イシュタールに何かショックなことでも言いませんでした？」
「ちょっと待っててください。その妖精は私ではないので聞いてきます」
妖精は消えてしまった。
ゆりは椅子に座ってどきどきしながら待っていた。
しばらくして、再び異常なほど火が燃え上がり、ゆりは分かってはいたが今度は「ひいっ！」と
椅子から飛びのいていた。
現れたのは妖精ではなかった。なんとサラディンである。
ゆりは、「あの、サラディン様、こんばんは」と驚きながら挨拶していた。
「ああ、お前だったのか。イシュタールがおかしいとか？」
サラディンはいつもの威厳のある様子で聞いてきた。
「はい、そうなんです。どうしておかしいのか理由が知りたいんですが……」
「妖精に話は聞いた。が、お前は知らんでいい」
「え？ なんで？」
「こちらでなんとかする」
サラディンはそれだけ言うと消えてしまった。
「……なんでよー」
ゆりは何も教えてもらえなかったので、不服そうに口を尖らせていたのだった。
日が落ちてもイシュタールはその場に座り込んだままだった。
戦士達に近づかないようにとお達しがでていたので、イシュタールに近づく者はいなかった。
イシュタールの前にある薪はすでに消えている。イシュタールがいるあたりの土は、焼けて黒ずんでいた。
フリットが水とパンを持ってやってきた。
「だいぶ落ち着いたようだな」
イシュタールから青白い炎はもう上がっていなかった。
「ああ、だがもう少し、ここにいようと思う」
「そうか」
フリットが食べ物を置いて行こうとすると、「実は……」とイシュタールが話しかけてきた。
「前に話した、彼女にした妖精が亡くなったようなんだ」
イシュタールがぼそっと話した。
「妖精でも死ぬのか？」
フリットはまずそこに驚いた。
「私もすごくびっくりした。私が死んでも、彼女は生きているような気がしていたから、まさかと思った」
「それで、精神的に不安定になってしまったんだな」
フリットは納得したように言った。
「火の妖精に『彼女に優しくしてくれてありがとう』とお礼を言われた。私は優しくなどなかったのに……」
「…………」
「いろいろ悔やんでも悔やみきれない」
フリットが何か言おうとした時、薪に突然火がついて、ぼっと燃え上がった。それは異常な大きさでフリットも仰天したが、
イシュタールも驚いて立ち上がっていた。
「サラディン様！」
そこにいたのはサラディンだったのだ。
フリットにもサラディンの姿が見えた。威厳がある姿をしたちょっと怖そうな神だったが、腕に小さな子供を抱いていた。
フリットは深く頭を下げて姿を消した。
「イシュタール、ジェンのことを聞いたんだな。それでそのようなことになったのか？」
サラディンは子供を抱えたまま聞いた。
「はい、私は……その……なんといったらいいか、彼女が死ぬなんてまさか思わなくて……」
イシュタールは悲痛な表情を浮かべていた。
「お前は情深いのだな。私もジェンがいなくなったのはかなり悲しかった。だが、ジェンはお前よりもずっと長い時を生きたのだ。
そういう時期だったのだ。仕方がない」
サラディンはたんたんと述べた。
「もう少し神の国にいれば、彼女の最後を看取ることができたのにと」
イシュタールは涙を流していたが、その涙はすぐに乾いていた。体温はまだ高いようだ。
「ジェンを愛していたのか？」
「わかりません。すいません」
イシュタールはバカ正直に答えていたので、サラディンは思わず笑っていた。
「お前は真面目で正直だな。まあ女に恥をかかせなかったのは立派だったと思うぞ。この子を抱いてやるといい。この子は
ジェンが消えた後に生まれた火の妖精だ。バーナードと名づけた。どうやらお前とジェンの子供らしいぞ」
「え？」
思いがけない言葉に、イシュタールは固まっていた。
サラディンは子供をイシュタールに押し付けたので、イシュタールは子供を抱っこした。火のような赤い髪、赤い瞳の子供は、じっと
イシュタールを見上げて、口をあけた。ぼっと火を吐いたので、イシュタールはびっくりしてのけぞっていた。
「はははっやられたな。この子は私にも火を吐くんだぞ。まったく困った子供だ」
子供はじたばたしだした。サラディンの元に返りたいようだ。
「パパ」
サラディンに手を出していたので、イシュタールはサラディンに子供を返していた。
「私の子供ってどういうことですか？」
「この子の背中には赤い蛇がいる。お前の子供の可能性は高いと思う」
「本当ですか？」
イシュタールはじろじろと子供を眺めていた。子供は服を着ていたので、背中の蛇は見えなかった。
「この子のおかげで、みなジェンがいなくなったことも、あまり悲しまずにすんでいる」
「はあ」
イシュタールはとぼけた反応をしていた。あまりに驚きすぎたせいだろう。
「この子のことはお前に言うつもりはなかったのだ。お前が気にするだろうと思ったんでな。だが、こうなったので伝えることにした。
ジェンはお前と出会って楽しい時を過ごしたのだから、お前は何も気に病むことはない」
「しかし、私はいい恋人ではありませんでした」
「長い時を生きる妖精でさえ、時折変化を求めるものだ。ジェンが求めたのが自分の子供だったとしたら、お前は良いことをしたとも
いえるのではないか？ 悲しいということは、ジェンが好きだったんだろう。他に好きな女がいてもいい。愛もいろいろだと、
私も最近になって学んだ」
「サラディン様……」
「その服、よく似合っている。早速役立ったようだな」
サラディンはイシュタールの姿を見て、少し笑っていた。
「ありがとうございます。何から何までしていただいて」
イシュタールは今度はサラディンに対して泣いていた。
「人の命はあまりにも短い。後ろを振り返るよりも前を向いて生きろ。悔いなき人生を送れ」
「ありがとうございます」
イシュタールはぼろぼろ泣いていた。
「バーナード、本当のパパにさよならを言ってやれ」
サラディンが子供をイシュタールの方に向けた。
子供は意味がわかっているのかどうなのか、イシュタールに手を振っていた。
「その子をよろしくお願いします」
「ああ。それではな」
サラディンは姿を消した。
鮮やかな火の神は姿を消して、あたりには静寂が漂った。
静寂と共に、イシュタールの体温もすっと下がっていた。
サラディン様は私を慰めるためにきてくださったのか……なんと素晴らしき方なんだろう
私は、火の妖精になれたことを、誇らしく思います
イシュタールはサラディンを心底崇拝していた。ラクシュミに対する思いと同じほど。
そうだ、私には、ありがたいという気持ちが足りなかった。以前のように力が使えず困る気持ちの方が強かった
これからは、もっと火の妖精であることを誇りに思おう
「ジェンさん、ありがとう」
イシュタールはぽつりとつぶやいて、友やラクシュミにもう自分は大丈夫だと、思念を送ったのだった。
次の日、イシュタールはさっぱりした顔つきで城にやってきていた。子供達がイシュタールの新しい服に、口々に「似合うよ！」
「かっこいい！」とほめていた。
「ありがとうございます。私も気に入ってます」
イシュタールはにこやかに返してゆりの部屋を訪れた。
昨晩イシュタールが落ち着いたとラクシュミから聞かされただけだったゆりは、実際にイシュタールを目の当たりにしてほっとしていた。
「王妃、心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
「いいのよ。その、理由を聞いてもいいの？」
「はい、王妃にはすべてお話します」
二人は椅子に座り、イシュタールはジェンのことをすべてゆりに話したのだった。
まさかこんな話を聞くことになろうとは、ゆりはフリットやミカエルの予想通り、どう反応していいやら困っていた。
話の最後にイシュタールは、
「王妃は私のために命をかけてくださったのに、その直後にそのようなことをしてしまって、申し訳ありません」
と謝っていた。
確かにそれはそうだ。だが、ここは怒るところなのだろうか？ とゆりは疑問だった。
イシュタールは異性に対してはそう積極的ではないほうだとゆりも知っている。それでもそうなったのだから、そこには何かしらが
あったのだろう。その妖精と、共感するようなところがあったのかもしれない。
「怒ってくださっていいんですよ。王妃」
イシュタールはゆりの気持ちを察したように言った。
「怒る？ うーん……そう言われても、私も偉そうに怒れるような人間でもないし……火の妖精にむらっときてやりまくってきたとかじゃ
ないんだろうし、みんなにはそれぞれ恋人達との時があるんだし、それは知っててみんなのこと好きなんだし……だから怒る気はないよ。
そうねえ、今度横の部屋に行った時に、ちょっといじわるしちゃおうかなあ」
ゆりはにやっとしていったので、イシュタールは意外な顔つきだった。
「私、この前ガーベラになったときに妖精の子供をみたよ！ かわいかったよ。イシュタールの子供だなんて思わなかったなあ。
今度またじっくり見てこようっと」
ゆりの興味はそっちに移っていた。
「私も、ジェンさんに会いたかったな。会ったことがあったのかもしれないね。私も、イシュタールの子供が増えてうれしいよ」
それは、ゆりの正直な気持ちだった。
「王妃……」
「どういう風に成長するんだろうね。イシュタールもまた会えたらいいね」
「はい。私もまた会いたいです」
イシュタールはなきそうな顔でいった。
妖精の子供は、ルティアナやサラディン、他の妖精達を楽しませる存在になっているに違いない。
「次は王様が喜ぶように、こっちでがんばってね。イシュタール」
ゆりが冗談めかしていうと、イシュタールはどきっとした表情で、「は、はい」と素直に返事をしたのだった。
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