第63話
この日、久しぶりに城で子供達によるダンスの練習が行われた。アナスターシャ、シス、ラギにラリー、ヴィンセント、クリス、
クララ、リリー、ソフィアが集っている。部屋の隅には音楽担当の者がリュートと笛を手に座っていた。
クララとリリーは今日はゼッドには内緒でやってきたらしい。
子供達は皆それぞれ興奮気味だったが、口数は少なかった。なぜなら、「今日は全部古代語で話すこと」、とハインリヒに最初に言われて
しまったからだった。古代語以外を話したら、何か罰があるとも言われていた。一体どんな罰なのか、（なんか痛そうだな）と
子供達は思っていた。
『どうしたんだ？ 今日は静かだな。もっと話してもいいんだぞ』
一曲終わった後、ハインリヒが流暢な古代語で言っていた。
『姉さん、前よりも踊りが下手になったんじゃない？』
ラギが言った。アナスターシャは下手という言葉が聞き取れたので、言い返した。
「パーチッ」
『はえって何？』
ラギが聞いた。
『はえじゃなかったっけ？ ピーチクパー』
「ピックンパー」
ハインリヒが言って、ラギはようやく意味を理解した。「うるさい」といいたかったようだ。ちなみに「パーチッ」が古代語で「はえ」という意味である。
『そんなことないっすよ。上手っすよ』
言ったのはラリーだった。
『そうっすよ』
『んだ。んだ』
ヴィンセントにクリスが続いていた。子供達も学校で古代語を勉強しているが、まだまだといった感じである。話す場がないのだから
しょうがない。大人たちでさえ、流暢な古代語を話せる者はそんなにはいないのだ。話せるのは物好きな学者くらいである。
『間違ってもいいからどんどん話しなさい』
ハインリヒは怒ることなくそう言った。
するとシーンとしてしまったので、シスが、『最近面白いことあった？』と話題をふってみた。
子供達はしばらく考えている。どうやら意味は分かったようだ。
やがてラリーが『特に何もありません』と返したのでシスの顔は引きつっていた。いろいろあっても古代語が出てこないのかもしれないが、
全然会話は弾まない。
ハインリヒがクララとリリーに『ゼッドは最近おとなしくしてるの？』と聞いてみた。
『お父さんにいつも怒られてます』
とクララがわりと早めに返した。なかなかである。ゼッドはどうやら相変わらずらしい。
ソフィアはシスに『ステキです』と言った。
『ありがとう』
シスが笑顔で返して、ソフィアはうれしそうだった。
（もっと会話ができるように古代語を勉強しよう）
子供達は一様にそう思ったようである。アナスターシャは時々ぼそりと『にんじん』とつぶやいていたが、ハインリヒは無視していたのだった。
その頃ゆりはハザークの部屋にいた。そして儀式の相談らしきものをしていたのだった。部屋の中に侍女はいない。
お茶の用意をして消えてしまった。事件があってからまだ竪琴の授業は受けていなかった。そろそろ再開しようとゆりは思っている。
「もしかしたら、女蛇がこないのは、王妃が妊娠しているのを知らないのかもな」
女蛇がこないのはこういう理由かもしれないと、ハザークは言った。ゆりのお腹の中にいる子供は、赤い月以外でできた子供なのだが、
なんらかの力はありそうだ。だが、上の子らほどではないようである。
「もしくは、王の子供だと思ってないのかも」
「え？」
その指摘にゆりはちょっとのけぞっていた。
「でも、前に私が変身した時に、強烈な方が降りてきましたよ？
「ああ、そうだったな。すっかり忘れてた。あの迷惑な女がきたんだっけか」
「迷惑な女って……私は結構好きですけどね」
（何か迷惑なことでもあったのかしら？）とゆりは思ったが、深くは聞かなかった。
「それじゃたまたまだろう。王妃が興奮してればきっと来るぞ。我としよう」
ハザークは欲望で瞳がぎらぎらというわけでもなく、「茶でも飲もう」というかのような気軽さで誘っていた。
「え？ 急に話がそっちにいきます？」
ゆりは目を真ん丸くしていた。
「ああ、行こう」
ハザークはゆりの返答も聞かずにゆりを寝室に連れて行った。
されるがままに抱かれて興奮したゆりだったが、それで女蛇が来ることもなく、途中蛇の目のゆりも現れてハザークと仲良くしたために、
黒目のゆりが我に返った時には、かなりの疲労感だった。これでは儀式どころではない。
ハザークはすっかりベッドの上で蛇に変化して、眠っているかのように動かなかった。
うーん……連日興奮してる私って一体……こんな王妃は、この世界では私だけだわ。きっと……
ゆりはベッドに座ったまま、軽い自己嫌悪に陥っていた。
「でも儀式をするためには男といなきゃなあ……それに儀式して蛇入れたら、なんかすっきりする気がするし……」
どうやらまだもやもやしているようだ。だが、今は誰に対してもやもやしているのか、ゆり自身わからなかった。
ゆりはすっかり平常心に戻ってから寝室を出て、ぎょっと飛びのいていた。
なんとハザークの部屋にエルバートがいる。が、かなりの確率でカーライルであろう。
すっかり自分専用となった長椅子に侍女と並んで座っていたのである。
「カーライル様？ い、いつから？」
ゆりは情事の後だったので、かなりの恥ずかしさだった。すっかり平常心に戻っているのでピンク色の気は出ていないとは思うが、
寝室から出てきたのだ。何をしていたのかばればれである。
「おかげで侍女と話ができた。ありがとう」
カーライルはゆりにお礼を言っていた。
「はあ……」
カーライルはしっかりとハザークの侍女の手を握り締めていた。侍女は迷惑げでもなく、いつもの優しい笑みを浮かべている。
「なかなかハザーク抜きで話をするというのが難しいからな。今日は楽しかった」
「そりゃよかったですね」
ゆりは部屋の中を歩いていき、「それじゃ失礼します」とそれとなく部屋から出ようとした。
「あー王妃、なかなか色っぽい声だったぞ」
カーライルにさらっと言われて、ゆりはあんぐりと口を開けていた。ゆりはカーライルの顔も見ずにさっさと扉から外に出た。
まさか……あえぎ声を聞かれたー？ ガーン……
そ、そんなでかい声だしたっけ？ そんなはずは……そんなはずはーーーーー！！！！
ゆりは真っ赤な顔を両手で覆っていた。穴があったら入りたいとはこのことである。
大きめの声をあげていたのはもう一人のゆりの方だったが、こちらのゆりは知らないことだった。
「恥ずかしい……恥ずかしいよーえーん……」
塔から出たゆりは、魂が抜けたかのようにすっかりうなだれていたのだった。
一方ダンスの練習が終わったシスは、ラクシュミに呼び出されて一人、休憩室にやってきていた。
「父様、僕でーす」
シスは部屋に入り、扉を閉めた。ラクシュミは長椅子に座っている。
「僕だけに用って何ですか……」
シスの視線はラクシュミの横を見ていた。ラクシュミの横には、黒っぽい服のようなものが置いてあった。
その服に、シスはかなり見覚えがあった。
そう、自分がドルイドに着せた、あの服である。あの服はドルイドが脱いだ後、シスは思案したあげく、侍女には頼まずに、
自分で城の王族の服が集められる場所へと持って行き、混ぜておいたのだった。
ラクシュミは服を手で持ち、シスを見た。
「シス、お前の侍女が、これはお前のクローゼットに入れておいた服だと言ってるんだが、どうしてお前、こんな服が必要だったんだ？」
シスはすぐ返答できず、目を真ん丸くしたまま口を閉じていた。
「それよりも、誰が着たのかが知りたいんだがな」
どうやら洗濯係の者か誰かが、一体誰の服だろうと気にしたようである。シスは（まずった……）と思ったが、もうどうにもならなかった。
「トーの誰かじゃないのかな？」
シスはかなりどぎまぎしながら答えていた。父親に嘘を吐くなど初めてのことである。
「私もそう思ったが、ゆりの部屋に男が服を脱いで帰るってのはおかしいだろう。それに、お前の侍女が見覚えがあると言ってるぞ」
「……すいません。僕が用意してもらいました。実は、ある男の人がそれを着たんで、洗ってもらおうと思って僕が持っていったんです」
「ある男ってだれだ」
シスは小さな声でごにょごにょ言っていた。
「聞こえないぞ？」
「ドルイドです」
「ドルイド？」
「実は不思議なことがあって……」
シスは観念して立ったまますべてを白状したのだった。ラクシュミはしまいにはぽかんとした顔で長椅子の背にもたれて腕を組み、
首もかしげていた。
「これは本当のことなんです。アシュラン様に誓って本当です」
「ドルイドがドルイドだった？ ……」
「嘘みたいだけど本当なんです」
「はあ……もしかして……ガーベラが転生させたとか、そういうことじゃないのか？」
ラクシュミはそう思ったようだ。
「え？ さあ、それは知りませんが……」
「次はいつ来るんだ？」
「わかりません」
「本当にドルイドなのか？」
「はい」
「うーん……そんなことがあるとは……」
信じがたい話だったが、ラクシュミはなんとか納得したようだった。
「あのーこの際なんで相談したいんですが……なんとか母様やハインリヒに会わせたいんですが、どうしたらいいでしょう」
シスに相談されて、ラクシュミはまたもや「うーん」とうなっていた。
「確かに、本人が今は会いたくないというのなら、まだ言わない方がいいだろうが……」
「やっぱりそうですかねえ……」
「自然にそういう流れになるのを待つのがいいのかもな。言ってしまうと、ゆりも毎回会いたがるだろうし、ドルイドの目的が違うのならば、
今は本人の思うのままにするのがよいだろう」
「わかりました」
「服の件は、私から侍女に言っておこう」
「ありがとうございます」
ラクシュミはシスを部屋から出した後、「ドルイドがドルイドに……ばかな」とつぶやいていた。
本当に偶然か？ やはりガーベラがドルイドにドルイドの魂を入れたとかじゃないのか？
偶然よりもその方が納得できる話である。
「それにしても……ゆりのおかげか、ドルイドも奇妙な運命を持ったものだな……」
ラクシュミは足を組み、息を吐いていた。
ゆりが過去に行かなければハインリヒはこの時代に来ることはなく、ドルイドがハインリヒの子供として転生することなどなかったのである。
なんと奇妙な運命だろうか。
ラクシュミは、女王と共にいた男達を思い出していた。子供達が強くなるためには、過去とのつながりが大きな鍵なのだ。
ラクシュミは今では強くそのことを感じていた。
ロイとナナミに大量に入った蛇霊神、ゆりの男達に与えられた蛇紋の蛇の子供達。それによってつながった絆。
ハインリヒによって復活した古代叙事詩、どれか一つでもかければ、正しい未来へは進めなかったかもしれない。
ドルイドの存在も、何か重要なことのようにラクシュミには思われた。
「ゆりにはかわいそうだが、しばらくは様子を見るしかないようだ」
そう思ったものの、ラクシュミはドルイドが亡くなったと知った時の二人のゆりを思い出し、ちょっとせつない気分になったのだった。
そのゆりは、傍らではそんな重大なことが起きているとは知らず、東屋でぼんやり座っていた。
今日は天気もよく、庭園も春の陽気でぽかぽかである。
この世界にやってきて何度恥をかいたことか。
「でもあのドレス事件の方が上だよね。うん……」
ゆりは最近アシュランの前で恥をかいたことを思い出し、さらに落ち込んでいた。
「でもちょっとまって……もしかしてからかわれただけじゃない？」
ハザークの寝室の扉は結構分厚いし、壁だってそうだ。自分の些細な声が隣の部屋に聞こえるなんてことは考えられない。
「そうだわ。きっとからかわれたのよ。でもまあ、恥ずかしいトコ見られたのは事実だけど……」
「王妃、どうしたんですか？ 暗いですよ？」
声をかけられて顔をあげると、ミカエルがやってきていた。
「ああ、ミカエル、別になんでもないよー」
「それにしちゃ暗いですね」
ミカエルの側に大きな黄色いちょうちょが飛んできた。ミカエルが手を出すとちょうちょが手に止まり、ミカエルはそのままゆりの側まで
ちょうちょを運んだのだが、ゆりが手を出してみるとちょうちょは飛んで行ってしまった。
「誰かといたでしょ」
ミカエルが突然言い出して、ゆりが「え！」とのけぞっていた。
「なんかそういう感じがしますよ。王妃ってばもう」
ミカエルは横目でゆりを睨んでいる。
「えーいや、まあ、まあまあ。今度はミカエルとね」
「絶対ですよ。それではね」
ミカエルはあっさり消えたのでゆりはほっとした。
もしかしてピンクの気が残ってるのかも？ お風呂にはちょっと早いし、顔でも洗おう
ゆりは東屋を出て、石畳を歩いてくるエルバートに出くわして、「ぎゃっ！」と飛びのいていた。
「王妃？ どうされたんですか？」
「あ、エルバート、こんにちは……」
カーライルではなかったのでゆりはほっとした。すると、エルバートがなんだかおかしそうに笑っていた。
「どうしたの？」
「先ほどミカエル様がいらしたでしょう。そこの木の陰に、オパール様がいらっしゃったんです」
エルバートは東屋の左にある大木を指していた。
「オパール様って？」
ゆりは瞬いて大木を見た。
「以前儀式で降りられた女蛇様ですよ。銀色の髪で、とても美しい方です」
「ああ、エルバート、あの蛇さんの名前知ってるんだ。どうして？ あれ？ いたってどういうこと？」
ゆりは不思議そうに大木とエルバートを交互に見ていた。今大木の所には誰もいない。
「カーライル様のお知りあいなんです。何度か私のところにもいらっしゃったんですよ。寮でみんなに不思議なことをしてくださったりも
したんですよ」
「あ、それは聞いたことあるわ。エルバート、蛇様の姿が見えるんだ。それで今いたの？」
「ええ、最近ミカエル様の側でよく見かけますよ。ミカエル様が昔自分を恋していた男に似ていたとかおっしゃってましたが、
どうやら本当にミカエル様が好きみたいですね」
「えー？ 本当？」
ゆりはびっくり仰天だった。まさか、あの蛇様がミカエルにそこまで思いいれていたとは。
「そうなんだ。面白い話を教えてくれてありがとう」
「いえ、それでは」
エルバートは会釈して消えた。
「ってことは、ミカエルといちゃいちゃしてたら来るのかな？ でもあの蛇様毒もってるからなあ、果たして今の私が
儀式をして大丈夫なのかどうなのか……」
ゆりは考えながら歩いて行った。
「しかしそんなにミカエルが好きとは……昔の男に似てたのかあ。意外と乙女なんだ。かわいいじゃない。だけどそこまで思ってると
他の男達はどうなんだ、ってことになるかなあ。またもめるかも……」
なんだか面倒な展開になりそうでもある。
どうしたものかと思っていたら、夕食の時間、ゆりのお腹の赤ん坊が
─へびほしい ほしい へびへび！
と騒ぎ出し、ゆりは子供達に「かわいそうだから早く入れてあげて」と懇願されてしまったのだった。
「こんなに小さいのに強くなりたいなんて……」
ラギが一番感動して、ゆりに「儀式してあげてね」と涙目で言っていた。
同じ赤い月以外の子供として、お腹の子供に力があるということが、ラギはとてもうれしいと感じているようである。
「今からやったら？」
「がんばって！」
儀式についてあまり知識のないナナミとロイまで言い出していた。
「いや、そんなに言われても……」
「母様、今夜は結構平和だよ。今夜ならみんな来られるよ」
シスがにこにこ顔で言い出した。
「え？ 今夜？」
「だって、平和だよ？」
「いや、平和だって言われても」
「どうせなら平和な日のほうがいいね」
「そうだね」
シスとラギはそんな会話をしている。
「でもみんな夜勤かもしれなし、王様に聞いてみないとね」
ゆりが引きつった顔で言うと、
「今夜平和だから大丈夫だって」
シスがすかさず言い出して、ゆりはがくっとうなだれていた。
「あのね、儀式って言うのは、女蛇がやってこないとできないの」
「母様はすごい巫女だから大丈夫だよ」
シスはゆりを信じきった瞳で言っていた。
「いや、そんなこと言われても……」
食堂にラクシュミがやってきた。
「ゆり、儀式をやるのか？」
「え？ 違うわよ。子供達が勝手にやれやれ言ってるだけよ」
「そうなのか？ なんでだ？」
「だってねえ、赤ちゃんが……」
アナスターシャが言ったとき、
─トー へび、へび いっぱい！
赤ん坊の声がまたもや聞こえてきた。
─ トー トー
訴えるような声である。
「ゆり……儀式をやってやれ」
ラクシュミは目を細めてゆりを見た。
「えー！」
「小さいのにけなげだよ」
ラギは泣いていた。
「僕は、この子の願いをかなえてあげたいよ」
「僕も」
「私も」
ラギ、シス、アナスターシャの順に言い出した。みんな訴えるような瞳をゆりに向けている。
なんでこんなに追い詰められなきゃならないんだ……
ゆりの顔は引きつりまくっている。
「わかった。じゃあ、とりあえず、努力してみるわよ。だめだったらしょうがないでしょ？」
「母様がんばって！」
「がんばって！」
「がんばれー！」
子供達から声援が飛んでいた。
「じゃあ、今からお風呂入ったりするから、一時間後くらいにミカエルに来るように言ってくれる？ 他の男達は、とりあえず、どっかに待機で」
「わかった」
ラクシュミはさっそく思念を送っていた。
「母様がんば！」
「成功を祈ってるよー！」
みんなやんややんや言ってたので、ミシェイラもつられて「わーわ」言っていた。
「はいはい」
ゆりは子供達の大声援を受けて食堂を出た。
「なんか変なことになっちゃったなあ……まあ、いいか。確かに平和な夜のほうがいいし……ちゃんと儀式になるのかなあ？」
銀の髪の女蛇で儀式ができるのかどうか、それもわからない。
それにしても、子供達は儀式って一体何するものだと思ってるんだろう……
今日は昼間ハザーク様としちゃったのに、昼も夜も男といる私って一体……
軽い自己嫌悪に陥りながらも、やはりそこは巫女、みんなの期待にもこたえなければならないという使命感も沸いてきて、
ゆりは両手をぎゅっと握り締めて、お風呂場に向かったのだった。
すすむ
戻る