第６４話

ゆりはちょっと微妙な面持ちでお風呂から出てきた。がんばる、と覚悟はしたものの、心情はいろいろ複雑である。

儀式になりそうだという話を聞いて、ゆりの侍女達がいつになく興奮しているようだった。

「王妃様、実は私たち、儀式用のお部屋を準備していたんですが、よろしかったら使っていただけないでしょうか？」

若めの侍女二人が目を輝かせてゆりに言った。

「儀式の部屋？」

「はい、儀式の後、お部屋が使えないことがありますので、いっそのこと儀式は別の部屋でされたらどうかと思いまして、

王様に相談してみたら、それもいいとおっしゃっていただけたので、私たち二人で用意いたしました」

「へーそうなんだ。全然知らなかったわ」

「王妃様をびっくりさせようと思いまして、この日まで黙っていたんですわ」

「そうなの。どんな部屋か楽しみね」

確かに、儀式の後部屋が使えないことがたびたびあるので、この際最初から別の部屋でするのもいいだろうとゆりは思った。

その部屋は二階にあった。ゆりを案内している二人の侍女は、ゆりの反応が楽しみなのか、どきどき顔である。

「こちらです」

ある部屋の前で止まり、侍女が扉を開けた。

ゆりは部屋の中を見て、目を見開いたまま固まっていた。最近日が長くなったせいか、まだ部屋の中に日が差し込んでいたので、

明かりがなくても部屋の中の様子がよく見える。

そんなに大きくはない部屋だったが、部屋の真ん中にでかいベッドがどんと置いてあった。

しかも、布団も、床の絨毯も、部屋の片隅においてある長いすさえも、ピンク系の色でまとめられていた。

ベッドの上にはでかいハートのクッションが二つおいてある。布団の柄もハートだった。ベッドの横の棚の上には、

愛の神、クーリーフンの子供姿の小さな白い像が置かれていた。壁にかけられている小さめの絵画はガーベラっぽい。

長いすにはベッドの上のよりは小さいハートのクッションが３つ並んでいた。

よく見るとカーテンもハート柄である。

「突然だったのでお花で飾るのは間に合わなかったんですが……」

「私たち王妃様をイメージしてお部屋の模様替えをしたんですわ。いかがでしょうか？」

侍女達はドキドキ顔でゆりの反応を伺っていた。

「え？　これが私のイメージ？」

「「はい！」」


私のイメージって……ハートなんだ……なんか、いかにもこれからするぞって感じなんですけど……


「王妃様、気に入っていただけましたでしょうか？」

「え？　うん、気に入った。ありがとう」

ゆりがちょっと引きつった顔で笑みを浮かべると、侍女二人は「きゃっ！」と喜んでいた。

「クローゼットの中にもいろいろ入れておきました。では失礼します！」

ようやく部屋に案内できたのがうれしかったのか、二人の侍女はうれしそうな顔で去って行った。

「…………」

部屋の中に立ち尽くしていたゆりは、やがて歩いてベッドの側にやってきた。

でかいピンクのハートのクッションを間近に見て、ゆりの顔はさらに引きつっている。

「私のイメージがこれかあ……まあ、そりゃそうよね。私ってばしょっちゅう男と引っ付いてるもんね」

一人でぶつぶついいながらゆりはベッドの横に置かれている、小さめのクローゼットに目をとめた。

この中にもいろいろとか言ってたなあ、とゆりはクローゼットの扉を開けてみた。

中には色取り取りのセクシーな下着やらフリルのついたキャミソールやらが入っていてゆりは

「わっ！」と声をあげていた。カゴが二つ置いてあり、中にも下着が入っている。

「わっ！なんじゃこりゃ」

手にとってみると、ショーツらしきものだったが、横はひもになっていた。

「ひもパン……初めてみた……」

もう一つのカゴにも派手な色の下着が入っている。そっちにもパンツがいくつか入っていて、カードが置いてあった。

「ミカエル様に是非これを」と書かれていたカードの下には、紫色のブリーフが置いてあった。

「ぶっ！」

ゆりは思わず吹いていた。侍女はどうやら男達の下着まで用意していたらしい。数えると、いろいろな色のブリーフが８枚置いてあった。

「くっ、くくくく」

ゆりはそれを履いた男達を想像し、笑っていた。

「あの子達何考えてるの。こ、これをみんなが？　なんか布ちっちゃいし、くくく、はははは」

腹を抱えて笑っていたら「王妃」と声をかけられて、ゆりはひもパンツを握りしめたまま「わっ！」と振り向いていた。

「何笑ってるんですか？」

後ろに立っていたのはミカエルだった。

「はい、ミカエル。侍女がこれをミカエルに履いて欲しいんだって」

ゆりはミカエルに紫色のパンツを渡した。ミカエルはそれを広げて目をぱちくりさせている。

「これを？　小さすぎやしませんか？」

「まったく何を考えてるんだかねー」

ミカエルはゆりが持っていたものを指でつまんであげていた。

「これはなんですか？」

「あ……」

「…………」

長いひもがついたショーツがミカエルの手から下がっていた。

「王妃、こんなの履いてるんですか？」

「ち、違うわよ。侍女が用意したの」

「じゃあ今から履くんですか？」

「はかないわよ。ミカエルはこれを履いたら？」

「えー王妃がどうしてもっていうなら履いてもいいですけどねえ」

「いや、私は別に……」

「それよりも、この部屋ハートが一杯ですね。まさに王妃の部屋って感じですね」

とミカエルが言い出したので、ゆりはちょっとショックを受けた。やはり自分のイメージらしい。

「まあ下着は置いておいて、うれしいですよ。さっき会ったばかりでまさかもうこんな風になれるなんて」

ミカエルはパンツを置いてゆりの腰に手を回していた。

お風呂に入ってきたのか石けんの匂いがする。

「もう女蛇さんいらしてるんですか？」

「ううん、まだ」

「酒飲み儀式がしたいなあ」

「誰が来るかわからないから、そんなこと言っちゃだめ」

「そうなんですか？」

「そう。 ……ミカエル……」

ゆりはミカエルの胸にそっと寄り添っていた。

「王妃……じゃあとりあえず、熱く盛り上がりましょう」

ミカエルはゆりごとベッドに乗ろうとしていた。

「あ、ちょ、ちょっと！　ミカエルったら気が早いんだから、こういうことはもっとじっくり時間をかけてからにしないと！」

「はあ」

「とりあえず、詩の送りあいとかから始めましょう！」

ゆりが目をきらきらさせて言い出して、ミカエルはゆりを抱きしめたままぽかんとしていた。

「し？」

「あれ？」

ゆりも何か変だと感じていた。

「しのおくりあいって何ですか？」

「詩よ。思いを詩にして恋人に送ったりするでしょ？　……やっぱり誰か来た」

ゆりは途中から眉をひそめていた。

「ミカエル好きな女蛇が来た。説得して！」

「私を好きな女蛇様？　酒好き蛇様ですか？」

ミカエルはうれしそうに聞いた。

「ちがう！　それって誰のこと？」

ゆりはせわしなく表情を変えている。もうミカエルには慣れっこだったのでたいして驚きもしなかった。

「誰って、あなたのことですよ。あなたもお酒、好きでしょう？」

さすがミカエルは全く動揺もせずにゆりの手を握って言った。

「そうね。私もお酒好き」

「でしょう。では私たちと儀式をしましょう」

「儀式？　いや。私はただあなたとこうやって語らいたかったの。だから来たの」

「え？」

「ここに座って」

ゆりは、いや、ゆりに入った女蛇はミカエルをベッドに座らせて横に腰を下ろした。

「私、ミカエルとお話がしたいの」

「はあ」

「ミカエルって、どんなお酒が好きなの？」

「そうですね。私が好きなお酒は……」

ミカエルが素直に話し出して、ゆりは「ちょっと待った！」と声をあげていた。


―恋愛ごっこをしてる場合じゃないの！　今日は儀式よ！　儀式をしてちょうだい！

―えーやーよ

―じゃあなんできたのよ！

―ミカエルとお話したかったんだもん

―今度でいいでしょ！　今日儀式したらいくらでもお話させてあげるわよ！


「わかったわ！　じゃあミカエルだけと儀式する！」

ゆりはミカエルの手を握りしめていた。

「え？」

「何言ってるの！　もうみんな呼んじゃってるんだからね！　そんなのだめ！」

ゆりが声を荒げてミカエルはちょっと驚いていた。

「儀式はみんなとするの！」

「私はミカエルだけとしかしたくないもん」

ゆりは今度はつーんとした顔をしている。

「あのー王妃、この女蛇様って、初めての方ですよね？」

ミカエルはおそるおそる聞いていた。こんなに自分が好きな女蛇に会った覚えはなかったからだろう。

「ミカエル、ひどい！　あんなに愛し合ったのに覚えてないなんて！」

「え？　あんなに愛し合った？」

（ではやはり酒好き女蛇様だろうか？）とミカエルは思っていた。

「前回の儀式で降りてきた女蛇よ。なんかミカエルが好きになったみたいで」

ゆりが説明した。

「前回？　あの良い匂いの蛇様ですか。銀色の。ちゃんと覚えてますよ」

「よかった。うふ」


―うふじゃないですよ。男の選り好みは許さないって言ったでしょ！　儀式はみんなとやってください

―あなたって非道ね

―非道？

―だって、私はミカエルだけと仲良くしたいのに〜

―恋愛ごっこは他でやってください

―恋愛ごっこって何よ！


（やっぱり面倒になってきたなあ……）とゆりは思った。だが、みんなの前でこのやりとりをするのもいやだ。

ミカエルはゆりの百面相を眺めている。

「こうなったら……男を交代してやる！」

ゆりはすくっと立ち上がって言った。

「え？　そんな非道な！」

とミカエルが言った。

「非道じゃないわよ！」

「王妃、まあまあ落ち着いて、もうちょっと説得してみましょうよ」

ミカエルも立ち上がり、ゆりの腰に優しく腕を回した。

「せっかく来ていただいたんですから、ねえ」

「ね♪」

ゆりはうってかわってミカエルに寄り添っている。

「ミカエルも、私と二人っきりで儀式をしたいでしょ？」

「そうしたいのはやまやまですが……」

ゆりは女蛇のすきをみてミカエルを睨んでいた。

「そんなのだめ」

「でも王妃、儀式ができればいいんですし……」

ミカエルが遠慮がちにいうと、「だめ」とゆりはでかい声で制した。

「これは罠よ。男一人で蛇を呼んでくれるわけないじゃない」

「そうですかねえ？」


二人っきりで儀式なんてやばすぎるじゃない。絶対だめ！


それに男達を待たせているのにそんなことはできなかった。


―第一あなたいつからミカエルをそんなに好きになったんですか？

この展開はいくらなんでも極端すぎやしないかとゆりは思った。

―さあ、やっぱりこの顔いいなあと思って。昔私に言い寄っていた男にそっくりなの。この話、聞きたい？

―聞きたくないです

ゆりはつれなく返していた。

―なんで聞かないのよ！

―だって長そうだし……もういいです。出て行ってください。こうなったら別の女蛇を呼びますからね！

ゆりは強気で言った。

―別の？　あなたにそんな力があるのかしら

―あるかもしれないですよ

―ならためしに誰か呼んでみなさいよ


「…………」

―呼んでみなさいよ。ほっほっほ！


（やっぱり腹立つ〜ちょっと好きかもと思ってたのに〜）

ゆりの頬はぴくぴく引きつっていた。女蛇もランクが上になればなるほど自己主張が強くなる傾向にあるのかもしれない。

言い換えれば、上になればなるほど性格にあくが強いといえるだろう。

「女蛇様、みんなで儀式をしましょうよ。一度我々と儀式をしたじゃないですか。楽しかったでしょ？　またみんなであなたをかわいがって

あげたいんですよ」

ミカエルはゆりの手を握りしめて、優しく訴えていた。

「でも、私ミカエルだけといろいろしたい〜あんなのじゃなくてね、体をひっつけて仲良くしたいの」

「じゃあ今度二人で体をひっつけましょう」

「こらこら、勝手に変な約束しないで」

ゆりはミカエルの手を振り払っていた。

「まあいいじゃないですか」

「よくないわよ！」


―そんなにミカエルと恋愛がしたかったら、そうだ、来年の赤い月にミカエルの彼女に入ったらいいですよ！　そうしてください

ゆりはぱっとひらめいて言った。

―もう入ったわ

あっさり返されてゆりは驚いた。

「ええ？　じゃあいいじゃないですか」

―でも、赤い月のミカエルは怖かったの。だからいやだったのよ

―え？　怖かったってどうして？

―怖すぎて今とは別人だったわ！　ミカエルはきっと赤い月には性格が変わる人なんだわ。だから普段がいいの

まさか、ミカエルがああだなんて！


「ええー！」

ゆりが後ずさり、ミカエルはきょとんとしていた。

「どうしたんですか？」

「え？　別に」

ゆりはなにげにどきどきしていた。まさか長いつきあいのミカエルにこんな裏の顔があったなんてと驚きまくっている。


怖いってどう怖いんだ。まさか彼女達に乱暴に？　まさかあ。このミカエルがそんなことするはずないわ。あれ？


―ミカエルに幻滅したんなら、もういいんじゃないですか？

―幻滅してないわよ。だから、儀式の時のミカエルはよかったの。赤い月はいやだったの

「？」

ゆりは不思議そうな目つきでミカエルを見ていたが、ミカエルもさっぱりわからないといった表情でゆりを見ていたのだった。


その頃待機といわれた男達は、ゆりの部屋で声をかかるのを待っていた。

椅子に座ってお酒を飲んでいる。

「なんでミカエル殿だけなんですかねえ？」

ジュノーがぼそりと聞いた。

「さあ。イシュタール殿は来ないんですか？」

ヴィラがフリットの顔を見た。

「イシュタールは興奮すると体温があがるから当分無理だそうだ」

「そうなんですか。ミルキダス、どうしたの？」

ヴィラの横にいたミルキダスは、お酒を飲みながらなんだか涙ぐんでいた。

「え？　いや、王妃が元気なのがうれしくて……」

ミルキダスは涙を拭いていた。

「だっていろいろあったから」

「わかります。私も、なんだか泣きたい気分です」

向かい側にいたシャナーンも、しんみりした表情だった。

確かにいろいろあったなあ、と男達は一様にしんみりしだした。

「待っているのももういやだ。この際乗り込みましょうよ」

長いすに座っていたハインリヒが沈んだ空気をぶち壊すように言った。

「でも待機って言われてますからねえ」

とヴィラ。

「二人で盛り上がっちゃってるんじゃないのかなあ？」

「……女蛇は来たが複雑な状況らしい」

フリットは思念でミカエルに聞いたようだ。

「いや、盛り上がってるに違いない。行きましょう」

ハインリヒはすくっと立ち上がった。

「だがなあ……」

とフリット。

「まあ、行けばなんとかなるんじゃないですか？」

とジュノーはハインリヒに同意見のようだった。

「ばらばら行くのもなんなので、全員で行きましょう」

「まあ、行かなきゃ状況はわからないですしね。ここで待ってても気分が沈むだけですよ」

ヴィラもその気になっていた。ここでしんみり酒を飲んでいると、それこそ儀式どころではない雰囲気になりそうだ。

「まあ確かに」

とフリット。

「ミルキダスもシャナーンも行こう」

ジュノーが泣きそうな二人を促して、全員で儀式の部屋に直行したのだった。



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