第６３話
儀式をやってから、ゆりのお腹の中にいる赤ん坊はどうもご機嫌のようである。ゆりもつられてスキップしたくなるほどだ。
赤ん坊の性別が気になるところだが、ラギも他の子供達にも、まだわからないようだった。だが、ちまたではどちらが生まれるか賭けられている
ようだ。赤い月以外でできが子供だが、赤ん坊が儀式をねだることからいって、何か力がある子供が生まれそうな予感はある。
今まで赤い月以外の子供を何人も産んだ一族の女性なんていないようなので、一人目が力がなかったからといって、二人目はそうとも限らないの
かもしれない。やはりそのときそのときによって個性があるようだ。それはゆり自身感じることだった。両親が同じでも、子供達の性格は全く
違うのだからおもしろい。
夕食後、食堂で皆がまったりしている時も、話題は赤ん坊の話になっていた。子供達もどんな子供が生まれるか、いろいろ推理しているようだ。
「この子ってかなり好奇心が旺盛みたいよ。そこはラギに似てるのかも。昨日また私がいた世界の夢を見たんだけどね、一緒に電車に
乗ったの。すごくうれしそうだったわ」
ゆりが言った。
「デンシャってなに？」
シスが聞いた。
「乗り物よ。馬車のでかいやつで、馬がなくてもすごい速さで走るの」
「へーすごいね」
「あれはなんだこれはなんだって感じでいろいろ聞いてくるから説明しまくったわ。赤ちゃんはまだ話さないのよ。指さしてるだけだけなんだけどね」
「僕もお母さんの世界に行ってみたいなあ」
ラギが言い出した。
「ヒコウキとかいうのに乗りたい」
ゆりはラギに自分の世界の乗り物をいろいろ教えたことがある。ラギが興味を引かれたのが飛行機だった。ゆりは飛行機に乗ったことはあったが、
なぜ飛ぶのか、ラギに説明することはできなかった。自分でもよくわからないからだ。
「母様の世界ってなんでそういうのがあったの？」
アナスターシャが聞いた。
「魔法がないからね。みんな瞬間移動ができないから、早く遠くに移動する手段を考え出したの」
「おもしろいね。いつか母様がいた世界をのぞいてみたいな」
「お母さんと寝たらいけるかも？」
シスとラギはそんなことを言っていた。
「母様は元の世界に帰りたいって思うことあるの？」
アナスターシャに聞かれてゆりは「全然ない」と答えた。こちらに来た当初ならば帰りたいとも思っただろうが、今は元の世界を懐かしくは
思うが帰りたいとは思わない。今ではこちらの世界の方が長くなってしまったのだから、信じられない話だ。
この世界にやってきたのがついこの間のような気もするし、遙か遠い過去のような気もする。
「だってみんなと離れるのがいやだもん」
「そうだよね」
子供達はそれで納得していた。
「でもいつか行かなきゃならないんだよね。若いお母さんに会わなくちゃ」
ラギが言った。
「どういう魔法で母様の世界にいけるんだろうねえ」
シスも不思議そうである。
それは今はまだ、誰にもわからない。
「二つの世界かあ。案外近いところにあるのかもしれないわね。二つの世界は違うようで似たところもあるし、たとえば動物とか。
いない動物もいるけどね。麒麟とか龍とかはこっちの世界から私の世界に紛れ込んで伝説になったんじゃないかってアヤコさんは言ってるわ」
「へー」
「まあ、世界の仕組みなんて考えてもわからないけどねえ」
「ところで赤ん坊の名前はどうするんだろう？」
アナスターシャが話題を変えて、話題はそちらに移った。
「生まれるまでに男か女かわからなかったら、どっちも決めなきゃならないわね」
ゆりが返した。
「僕、僕名前つける。トラキチ」
ロイが手を上げて言い出して、皆しんとしていた。
「なんでトラ入ってるの？」
ナナミが聞いた。
「じゃあヘビルンでもいい」
「どっちもいや。ロイは黙ってて」
「マーへび、うむの？」
ミシェイラが聞いた。
「マーはへびは生まないわよ。人間の赤ちゃんを産むの」
ゆりが説明すると、「へびうんで」と言われてしまった。
「いや、それは無理よ」
「やだ、へびがいい」
「ハザーク様の子供なら蛇ができるんじゃない？」
アナスターシャが余計なことを言っている。
「うるさいの。私はもう行こうっと」
ゆりは一人さっさと食堂を出て行った。
「男か女か、まあどっちでもいいけどね」
ゆりは自分の部屋に戻り、ミラに足をマッサージをしてもらった。どうにも最近むくむのである。
「でも今回は太らなくて本当によかったー」
もしラギを妊娠したときのようになっていたら、太った姿でアシュランに会わねばならなかったことになる。それはかなりいやだ。
ハロルドに会おうものなら絶句されそうだ。
「まだまだ油断はできないですよ」
ミラが足をもみながら意地悪いことを言っていた。
「まあね。気をつけなくちゃ。太った姿で儀式とかするのは、ちょっとやだな」
「ふふふ」
ミラは笑っていた。
「この前の儀式では、他の侍女達が興奮してましたよ」
「ははは。あのパンツ、ミカエルが似合ってたよって言ったら喜んでた」
侍女が用意したパンツは儀式では誰もはかなかったが、何枚かなくなっていたようなので、数人記念でもって帰ったようだ。
「儀式といえば、あの蛇お嬢様にも困ったもんだけど……」
儀式で降りてきた女蛇のことだが、少々性格にあくがあるので困ったものである。
「でも蛇様に好かれるミカエル様もすごいじゃないですか」
「そうだねえ。でも最終的にはハインリヒに押されてたけどね」
「ハインリヒ様がくどかれるところ、みたかったですわー」
二人が話していると、どこかからごにょごにょ声のようなものが聞こえてきた。二人は部屋の中を見回したが、他には誰もいない。
「今何か聞こえなかった？」
「聞こえましたよ。子供の声のようなものが」
「だよね」
またごにょごにょ聞こえてきた。ミラの猫耳がぴくりと動いている。
ミラはゆりから離れて部屋の隅に置かれている姿見鏡の方に歩いて行った。
「声はこちらから聞こえたんですが……」
だが誰もいない。鏡の後ろに誰か隠れているわけでもなかった。そのとき、鏡にぱっと人が映り、ミラは驚いて「わっ！」と声をあげた。
「何？ どうしたの？」
「あ……あれ？ ゆり様、この方々は……」
「？」
ゆりはミラのそばに歩いて行き、同じく、鏡に映っている人を見て「わっ！」と後ずさっていた。
そこに女の子が二人いる。二人はうれしそうにこちらに手を振っていた。
『マーだ！』
『マー！！』
「ええ！！」
並んで手を降っていたのは銀の髪に少し金髪が入った女の子と、黒髪の女の子だった。だが、ナナミではない。
なにより女の子の耳が大きくない。それに黒髪の女の子の瞳は右目は黒で、左目が金だった。
「あれ？ こっちはミシェイラ？」
銀と金の女の子の髪でそう思ったが、姿は違う。今よりももう少し大きくなっている。
『マー！ 聞こえる？』
『マー！』
女の子の姿は消えて、鏡に映っているのは驚きまくっているミラとゆりに変わっていた。
「今の、ミシェイラじゃない？」
「そうですわよね。あの髪、ミシェイラ様ですわ。横に黒髪の女の子もいましたね」
「うん。二人は同じくらいだったね」
「アナスターシャくらいかな？ ナナミよりは大きかったかも」
「そうでしたわね。横の女の子はその後お生まれになるのですね」
驚きまくっていたミラは、今度はじんとしていた。
「そうみたいね。片目だけ金色かあ。いろいろな子ができるんだなあ……」
ゆりはしみじみといいながらぼんやりしていた。ミシェイラは髪が結構長くなっていた。ストレートの髪で金色が混じっている。やはり
きれいな顔立ちをしていた。黒髪の女の子はゆりに似たのだろう。ストレートの黒髪で、耳が自分と同じで小さかった。
ゆりがぼんやり突っ立っていると、ミラに「王様にご報告しませんと」と言われて、ゆりははっと部屋をでた。
あの子、いつ生れるんだろうなあ……もしかして、この子かな？
ゆりはお腹をなでながら廊下を歩いて行った。
鏡の二人の話にラクシュミはもちろん興味を引かれたようだったが、子供達の方が「見たかった」と大騒ぎした。そして子供達から話を聞いた
ハザークの侍女達も、大きくなったミシェイラがみたかったと言ったようである。
ゆりはしばらく鏡で出会った二人を思い出して、いろいろ想像していた。
今から２０年か、３０年後の子供達なのだろうか。その頃アナスターシャやシスはすっかり大人になっているのかもしれない。
「私はどうなってるんだろうなあ。想像するのが怖い。まだ子供を産もうとがんばっていたりして」
次の日も、ゆりは未来のことをいろいろ考えていた。その頃には子供は一体何人になっているのかも気になるところである。
妄想していたらイシュタールがやってきた。なにやら表情が暗い。
「どうしたの？」
「王妃、すいません。私にはどうしてもあれははけません」
イシュタールは心底申し訳なさそうにゆりに謝っていた。
「あれって？」
「王妃が贈ってくださった下着です」
「え？ 下着？」
「ちょっと、収まりが悪くて……」
イシュタールは言いにくげだった。
「え？ もしかして、パンツ？」
「はい」
「ぷっ」
ゆりはつい想像して吹き出していた。どうやら誰かがいたずらしてイシュタールに儀式の時のパンツを贈ったようである。
「王妃、本当は、私のこと、怒ってないですか？」
イシュタールはおずおずと聞いていた。
「え？ 別に怒ってないよ」
「本当ですか？」
「本当よ。でもそういえば、イシュタールはユリウスにもらったパンツははいたの？」
「え」
イシュタールはぎくりとしていた。ユリウスはイシュタールが戻ったお祝いにもパンツを贈っていた。それをゆりはユリウスに聞いていたのだった。
だが、どんなパンツかは知らない。
「その……」
「履いた？」
「はい、今回は、普通のだったので……でも別に王妃をないがしろにしているわけではないです」
イシュタールは拳を握りしめて言っていた。
「イシュタールのは小さかったって侍女に言っておくね。あれのもっと大きいのがいいって」
ゆりもちょと意地悪がしたくなったのか、そんなことを言っていた。
「え、いえ、言わなくていいです」
「でも、恋人みんなおそろいだし」
「ええ？ みんなはいてるんですか？」
「うん」
ゆりがうなずくと、イシュタールは驚愕の表情を浮かべていた。
「嘘よ。パンツ一つでそんなに悩まなくても。本当は私が贈ったんじゃないの。私の侍女が用意したものなの。ミカエルかジュノーあたりが
イシュタールにあげたんじゃない？」
「え？ そうなんですか？ 私のことが嫌いになったんなら言ってくださいね」
「なってないよ」
「本当ですか？」
「本当よ」
最後には納得してイシュタールは去って行った。だが、内心ゆりに後ろめたい気持ちもあるようである。
「あれ、はいてみたんだ……ぷっ」
ゆりが一人妄想して笑っていると、またごにょごにょ聞こえてきた。今度は近いところからである。
―もっとへび、ほしいな
そんな言葉が聞こえてきて、ゆりはびくりとしていた。
「もっと蛇？ うーん、まあ、そのうちにね」
ゆりは苦笑いしながらおなかをなでていた。
この子はあの黒髪の女の子なのか。それとも別の子か。それは近いうちにわかるだろう。
「でも次に儀式をするなら水蛇さんあたりとやりたいな」
そんなことを思ったゆりだった。
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