第68話

胸に柔らかく弾力がある膨らみが押しつけられていた。かぐわしい匂いに意識が失いそうになる。

花びらのようなみずみずしい唇を見ているだけで、自らの唇を押しつけてみたい衝動にかられてしまう。

「興奮してもいいのよ」

女性は誘うように言っていた。

男の方は身動きがとれない。離れようとしても身体が女とぴったりくっついて離れないのだ。

いや、離れたくはないと思っているから、離れられないのかもしれない。だが、目の前の女を抱きしめることもできない。


どうしたらいいのだろう

このまま何も考えずに……いや、そういうわけには……


「私のこと、好き？」

目の前の女に聞かれて、とっさに、

「好きではないです」

と男は答えていた。

「嘘つき。好きなくせに」

女の顔がもっと近づいてきた。青い瞳に心が奪われる。いや、もうとっくに奪われていたのだが、そんなことは口には出せない。

もう少しで唇が近づくというところまで近づいて、女は男の目を見ていた。

「好きっていったら口づけしてあげる」

「…………」

「もっといいこともしてあげるかもよ」

いいこと……いや、だめだ、これ以上何かされたらふぬけになってしまう。

身体を離してくださいと、いいたい。だが、困ったことに本能がこのままいたいと思ってしまっている。

「これじゃ拷問に近いんですが……私があなたを強引に抱いたらどうするんです」

そうしたい衝動にかられまくり、男が聞いた。

「できるものならやってごらんなさいよ」

挑発的な態度である。

「いいんですか？　そんなことを言って。私だって男ですよ。あなたよりも力がありますよ」

女はおもしろそうにほほえんでいる。男はちょっとかちんと来て、女の身体の上に乗ってやろうとした。だが身体が動かない。

「う……うう……重い。おも……」


はっと目を覚ましたグレンは自分のおなかの上に女の子がうつぶせに乗っていたので驚いた。

「うわっびっくりした」

女の子の身体をよけると、「ふにゃ？」と目を開けた。最近生れた伝令の神、ライサである。

「いつの間にここにきたんだ？」

「えーと夜中。寂しくなっちゃったんだもん」

ライサは目をこすりつつ答えた。ライサはグレンの子供らしいのだが、グレンは自分の娘という自覚があまりなかった。

「自分のところで寝なさい。女の子が、男と一緒に寝ちゃだめだよ」

「私まだ子供よ。ネル様だって時々サントス様と寝てるって言ってたよ」

「ネル様はまだ小さいだろう。君は結構大きいじゃないか」

「そんなことないよ。胸もまだないもん」

ライサは大きなあくびをしながら言った。

いきなりできた娘に、グレンの方は結構戸惑っている。本当に小さい子供ならばよかったのだが、ライサは子供にしては大きい方なので、

一緒に寝るというのがグレンには無理だった。なにやら犯罪めいた行為のような気がしてしまうのである。

ライサの着替えを手伝うとか、一緒に水浴をするとかも当然無理である。ひっつかれるだけで困るほどだった。

「君、一人で水浴なんてしてないだろうね？」

子供に興味がある大人の男の神はいないとは思うが、そこは人並みにグレンも心配していた。

「ちゃんとヒルデリア様の侍女とかとしてるよ。昨日初めてガーベラ様と水に入ったの。私もあんなおっぱいになりたいな」

グレンの頬がひきつっていた。

「ガーベラ様は、おとうさんが避けてるって言ってたよ」

「別に避けてない」

「じゃあなんで会わないの？」

「用もないのに会いに行かないよ。ってここで脱ぐな」

ライサは目の前で服を脱ぎだしてので、グレンはあわててライサに布団をかけていた。

「だって服を着替えたいもん」

「違う部屋で着替えなさい」

「はーい」

ライサはベッドから降りて部屋を出て行った。

「はー……ん？」

布団に花のような残り香が残っていた。ガーベラの匂いによく似ている。どうやらライサはガーベラからもらった美容液をつけていたようだ。

「まったく余計なことを……」

そのせいで変な夢を見てしまったのかと、グレンは頭をかいたのだった。



ある朝、人間界蛇の国では、ゆりがシスに頼んで、開館前の博物館につれてきてもらっていた。目当ては自分の石像である。

王妃の石像は今も大人気である。その石像は最近髪型も変わっていた。石像の横には王妃のドレスも一緒に飾られていたのだが、ある日石像が

そのドレスを着ていたのである。しかも、髪型もアップにされていた。そのせいで、ゆりの石像は一時新聞も賑わしたのである。

石像の手にいる小鳥は動くは、石像の姿は変わるはで、この石像は不思議なことだらけだった。


ゆりは自分の石像を見上げながら、「いろいろごめんね」とつぶやいていた。

「どうしてあやまるの？」

一緒に来ていたラギが聞いた。

「だってさ、私のせいで石像もいろいろ大変な目に遭ってるからさあ……」

「モデルがお母さんだからしょうがないよ」

ラギはあっさり言っていた。

「……そのドレス、本当にきつくない？」

石像は優しくほほえんでいるが、ゆりはまだ心配していた。

「ミカエル達は夜中に脱いでるんじゃないかと言っていたよ」

とラギ。ゆりは実はそういう夢を見たのだった。だからじかに石像を見たくなったのだ。

「大丈夫じゃない？　石像だし、窮屈に思うことはないと思うけど」

シスが言った。

「そうかなあ。ちょっとシス、腰回りに触ってみてくれない？」

「うん」

シスは宙に浮いて石像のドレスに触れていた。

「きつきつじゃない？」

「僕あんまりわからないけど、大丈夫じゃないかな」

「ならいいけど……」

「ねえ、ところでさ、このドレスを着て、本当はどなたに会いに行ったの？」

ラギが聞いた。

「え？　なんのこと？」

「神様に会いに行ったんでしょ？」

「知らない」

ゆりはそれだけはずっとしらばっくれていた。言ってもあきれられるだけである。だが、ラクシュミはどうやら気づいているようだ。

「あやしい」

「あやしくない」

「この石像にドレスを着せたのはだれなんだろうね」

シスが地上に降りて聞いた。

「さあねえ。そろそろ帰りましょ。もし、普通のワンピースがよかったら言ってね。取り替えてあげるからね」

ゆりは石像に語りかけてシスにひっついた。

「お城に帰るわよ！」

「もー」

ラギもシスにひっついた。

３人は消えた。ゆりの石像は、何事もなかったかのようにほほえんでいたのだった。


うららかな春の日が続いている。城の庭園にはきれいなちょうちょがいっぱいやってきていた。ミシェイラは庭園でちょうちょをうれしそうに眺めて

ちょうちょ追いかけたりして遊んでいる。その場には白い髪の二人の侍女と、珍しくハザークもいた。


「あーか、あお、きいろ、ちょうちょ、ちょうちょ」

ミシェイラはちょうちょを捕まえようとしていたが、なかなか捕まらなかった。

「パパ、つかまえて」

「ああ、いいぞ」

ハザークはちょうちょに小さい結界のようなものを作ってミシェイラの近くに飛ばしていた。

「わーい」

ミシェイラはそれを手にとって喜んでいる。

「ちょうちょ、なんでとぶの？」

「さあなあ」

「かわいー」

ミシェイラの語彙はここ最近かなり増えている。会話もかなり成立するようになった。

それが侍女達にはうれしくてたまらない。ハザークなどは「こんなに言葉を覚えてえらい。天才だ」などと言ってカーライルにまた

「親バカ」呼ばわりされていた。ミシェイラに「パパ」と呼ばれるハザークは、結構うれしそうだ。

「ママだっこ」

「はい」

ミシェイラは白い髪の侍女にだっこされていた。「ママ」と呼ばれて侍女もうれしそうである。

ミシェイラは最近ゆりのことは「マー」侍女のことは「ママ」と呼んでいた。

他の子供達がそう教えてミシェイラが呼んでいたのだ。侍女に対する適切な言葉というのも見つからなかった。「ママ」でいいんじゃないと言ったのは

ゆりだった。ミシェイラが侍女を「ママ」呼ばわりしても、ゆりは全く気にしていないようだ。


その場面を偶然通りかかったジュノーは、（ものすごく微笑ましいところを見てしまった）とこっそりとのぞきつつ、通り過ぎたのだった。


「テント、テント」

「テントウムシですわ」

葉っぱにテントウムシがいた。虫の種類をいろいろミシェイラに教えているのはやはりラギである。

「むしもっと」

「はい」

ミシェイラが侍女と虫を探していると、アナスターシャとナナミが庭園にやってきた。

「ナナミ、蛇を眠らせる呪文を教えてあげるね」

「うん。あ、パパだ。パパー！」

ナナミが手を振ると、ハザークが顔を向けた。

「パパの近くにいこうよう」

「いいよ」

二人は花壇のそばに移動して、アナスターシャはシスに聞いた呪文をナナミに教えて蛇を眠らせていた。

「あ、パパだ！」

ミシェイラが地面にいる蛇を指さしていた。黄色い大きめの蛇である。

「我はここにいるぞ」

「にてるもん」

「そうかあ？」

ハザークは蛇の顔を見ていた。アナスターシャとナナミはお互いに蛇を眠らせて遊んでいる。

ハザークは二人に近づいて、「最後のグーってのはなんだ？」と聞いた。二人が「グーグー」言っていたので気になったようだ。

「呪文ですよ。古代語じゃないんですか？」

とアナスターシャ。

「古代語にあったのかな？」

ハザークは首をかしげていた。

「ディラリィスィー、ディラリィスィー、メディヴィゥ、グー」

アナスターシャはハザークに向かって呪文を言っていた。

ハザークは瞬きもしてない。

「あれ？」

アナスターシャは今度はナナミに向かって呪文を言ってみた。

ナナミは「眠くないよ」と言っている。

「あれ？」

「お前の魔法が効くのは蛇だけだな」

ハザークはちょっと苦笑していた。

「なんかくやしい」

「ジュリムリーマルベレルイールイルイ」

ナナミが蛇に言うと、蛇はくるくるととぐろをまいていた。横の蛇もくるくる丸まっている。その横の蛇も丸くなっていた。

「え？　今の呪文は何？」

アナスターシャが驚いて聞いた。

「蛇よ丸くなれっていう呪文よ」

「え？　私知らない。なんで知ってるの？」

「パパが教えてくれたの」

「ひどい。私にもいろいろ教えてくださいよ」

そのときミシェイラが大きな声でなにやら言っていたので、ハザークはそちらに移動してしまった。

「あ、ひどい。ハザーク様ったら！」

「パパっていえばいいんじゃない？」

ナナミは無邪気に言っていた。

「ハザーク様は私のパパじゃないんだもん」

「どうして？」

「さあ？　なんでだろう。シスもラギも違うみたいだけど？」

なぜハザークが３人のパパじゃないのか。それは子供達にも、黒目のゆりにもわからないことだった。


そして再び神の国では、雲の上の神殿に来ていたガーベラが、偶然グレンに出くわしていた。

グレンはガーベラを見て目をそらして通り過ぎて行こうとした。通路に誰もいなかったのでガーベラは、

「私を避けてるわね」

とついに言っていた。

「まああんなことがあったんじゃ恥ずかしいだろうけど」

ガーベラはつい意地悪げに言っていた。ちょっとグレンの弱みを握った気になっていたのである。

するとグレンが振り向いた。

「あんなことって、なんですか？」

グレンはなんといつも通りの仕事の時と同じ顔で聞き返していた。

「え、それは私の口からは言えないわよ。あなたの名誉もあるし……」

てっきり恥ずかしがるかと思ったらまじめな顔でかえしてきたので、ガーベラの方がたじろいでいた。

「ガーベラ様が優しくいろいろしてくださったことを言ってるんですか？」

「え？」

今度はグレンの方が意地悪げな顔になっていた。


優しく……いろいろ？　いろいろって？


ガーベラがクーリーフンから聞いた話だと、二人がひっついていて、グレンが一人達してしまったということだった。まさかゆりが何かしたとは知らない。

「あのときはすごく積極的にいろいろとしてくださったんで、ついあんなことになってしまいましたが……」


すごく積極的にいろいろ？　話が全然違うじゃないのよー！！　やっぱりあっちの私はグレンが好みなんだわ！


ガーベラはガーンとショックを受けた。

グレンはガーベラに近づいて小声でささやいた。

「覚えてないのに覚えてる振りはしない方がいいですよ。私は今回は良い思いをしたので黙ってますが……あちらのガーベラ様は本当に優しくて

かわいらしいですね」

グレンはとどめを刺してその場を去って行ったのだった。ガーベラは石のように固まっている。


あっちは優しくてかわいいって、私は優しくないっていうわけ？　それよりもすっかりばれてる〜！


グレンの弱みを握ったと思ったら、逆に自分の弱みを握られていたのに気づいたガーベラだった。


困ったわ……あっちの私ってなんでグレンみたいなのが好みなのかしら。他にすてきな神様はいっぱいいるのに！


グレンは美麗な外見でもないし、神の中では目立つ方でもない。これといって男らしいとかいうこともない。

性格も明るい方ではないし、会話をしていて楽しいということもないだろう。だいたいガーベラも今までグレンと楽しく会話が弾んだことはない。

ラーズやラクア達と好きなだけ仲良くすれば良いものをなぜグレンなのか。ガーベラには謎だった。


そういえばあの子はハロルドもお気に入りだし……目つきが悪い男が好きなのかも？

やっぱりグレンとは仲良くしまくったのかしら？　よりによってグレンと！　でもどきどきするから変わるのはやめられないわ！


ゆりと身体を取り替えてから感じるどきどきは、今までのガーベラの長い生ではかなりの刺激になってしまっているため、今更やめるということも

できなかった。


グレンと仲良くなったってクーリーフンに言えなかったのかしら？　どこまでしてあげたんだろう……うーむ……


ガーベラは妄想しながらも雲の上の神殿を出て行ったのだった。


その頃グレンはアシュランの間の控えで舌を出していた。グレンの方が一枚上手のようである。

グレンがカマをかけたら案外簡単にガーベラはぼろをだしていた。

（やっぱり覚えていないくせに……ガーベラ様も結構迂闊だな。あちらのガーベラ様が他の神にばれなきゃいいんだが……）

そういう心配をしたグレンだった。


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