第69話

ヴィラは白いもやの中を歩いていた。視界はかなり悪い。自分の手も見えないほどである。

足下には木の枝や葉、木の根っこなどが落ちているので、森の中なのだろうか。

だが、大木がびっしり生えているわけではないようだ。ヴィラは手探りで歩いていた。右手はふさがっていたので左手だけ周りに触れながら歩いていた

のである。

右手はなぜふさがっているのか。ヴィラは今、一人ではなかった。子供と手をつないでいたのだ、だから右手はふさがっているのである。

「ここはどこだろうな。ヴィンセント」

ヴィラは手をつないでいるのは息子のヴィンセントだと思っていたのでそう言った。だが、ヴィンセントは答えない。

ヴィラは今、仕事の時に着ているような水色がかった戦士服を着ていた。武器などは持ってはいない。

「足下に気をつけろよ」

ヴィンセントは時々根っこにけつまづいているようだ。


しかし、ヴィンセントが夢にいるというのは珍しい


ヴィラはそう思った。


ひょっとすると初めてかもなあ


と思っていたら視界が開けてきた。もやが消えて行ったのである。やはり、どこかの森の中らしい。ヴィラは横の子供を見て「うわっ！」

と手を離していた。横にいたのはヴィンセントではなかったのである。思えば、ヴィンセントはもっと背が高い。今ここにいる子供の背は、ヴィラの

腰くらいだった。緑の短髪で、緑のシャツとズボンを着ている。子供が顔を上げた時、ヴィラはもう一度「うわっ！」と後ずさり、根っこに躓いて転んでいた。

「…………」

子供はじっとヴィラを見ている。その子供の瞳はでかく、眼球は緑で、黒の縦に長い瞳孔があった。

そして肌にはびっしりと、薄く、緑がかった蛇の鱗のような模様があったのである。


な、なんだ？　この子は……


子供は何も話さずに、無表情にヴィラを見ていた。

ヴィラはそこではっと思い出した。このような人間を以前見たことがある。

「蛇戦士？」

あれはザクート王が以前やってきた時のことである。王は蛇戦士の女を作り出して戦士達と戦わせたのだった。

その女達の姿に似ている。


それがなぜここに？


誰かがやってくる音がしてヴィラははっとそちらを向いた。子供もそちらを向き、やがて走って行ってしまった。

「あ、ちょっと、待って！」

ヴィラはあわてて立ち上がり追いかけた。ヴィラはすぐに子供に追いついた。大木の裏で誰かに会っているようだ。

ヴィラは大木の裏に回り、「うっ！」とうめいていた。

子供の横にいたのもまた、肌にびっしりと蛇の鱗がある人間だったのである。こちらも緑の髪をしていたが、体格は立派な男である。ヴィラよりも

背が高いほどだ。こちらの方も、緑のシャツにズボン姿だった。瞳は子供と同じ色である。緑の長い髪に、ヴィラはふと誰かを連想した。

そして、ああ、とようやくこの二人の存在が何なのかを理解したのだった。

二人はヴィラにかまわずに手を握りあっている。互いに無表情だったが、きっと喜んでいるのだろう。

蛇は元来、感情を顔に表さない生き物なのだ。怒りはわかってもうれしそうな顔というのはわかりにくい。

ヴィラは自分の右腕をなでていた。

きっと今、ここに緑の子蛇はいないのだろう。夢の中でだけ、蛇たちは姿を変えて、親子の邂逅を楽しむことができるのだ。

二人はなにやら会話をしていたが、何を話しているのかヴィラにはわからなかった。

二人をぼんやりと眺めていたヴィラだったが、はっと我に返って大人の方に聞いた。

「ディラン殿はどこに？」

すると大人の男はある方向を指差した。

「ありがとう。ごゆっくり」

ヴィラは二人から離れて指差された方角に歩いて行った。


なんとまあ、不思議なことがあるものだ……蛇があれほどまでに親子の絆を持っているとは……

未来の息子を心配しているのだろうか？


「一度死にかけたせいかもな……」

ヴィラはそう思った。木々の向こうに突然緑の屋根の屋敷が現れてヴィラはまた驚いた。どうやらディランはこの中らしい。

ヴィラは（また逆さになっていたどうしよう）と思いつつ屋敷の中に入っていった。今回は、屋敷の中は別に普通である。

ヴィラは一階の居間で竪琴を奏でているディランを発見した。ディランはヴィラに気づくとすぐに手を止めた。

「ヴィラ殿じゃないですか。一体どうしたんですか？」

「いやーまた夢がつながっているようですよ」

ヴィラは頭をかきながらディランに近づいた。

「夢？」

「これは夢なんですよ」

「そうなんですか？」

ディランは前回出会った時よりも血色がよく、陽気に見えた。

「まあよく来てくれました。本当にまた出会えてうれしいですよ」

ディランはヴィラの手を握っている。

「……何かいいことでもあったんですか？」

なんだか、そんな感じだった。

「はい、ありました」

「そうですか。何があったんですか？」

「まあお酒でも飲んでください」

ディランは棚からお酒と杯を取り出して、杯に酒をついでヴィラに渡した。

「ありがとうございます」

ヴィラがお酒を飲んでみた。今回は極上のお酒である。そうこうしている間も、ディランの顔はほころんでいる。

「本当に、良いことがあったようですね」

「はい、陛下がご懐妊されました」

「え？　本当ですか？　それはよかった。おめでとうございます」

ヴィラははじけるように言った。

「実はそろそろじゃないかと思っていたんですよ。それでお相手は」

「私のようなんです」

「本当ですか？」

「陛下がそうだと……」

「…………」

ヴィラは自分のことのようにうれしく、つい涙ぐんでしまった。

「そうですか。本当によかった。フークス殿とディラン殿が、ラクシュミ様にとってはご先祖様ということになるんですね……」

王の血の遠い遠い先には二人がいると思うと、ヴィラは深く感じ入っていた。

「なんだか自分のことのようにどきどきしますよ」

「子供が男か女か、もう未来ではわかっているんですよね」

「はい、でも言いません」

ヴィラは笑顔で言った。

「やはりそうですか。まあそれは後のお楽しみで。そうそう、アナスターシャ様を迎える時期をどうしようかと、陛下が思案していらしたんですよ。

ちょうど出産時期になりそうなので、早めた方がいいのか遅くした方がいいのか」

ディランはきもち顔を引き締めていった。

「ああ、そうですねえ。どうでしょうか。まあ、女王陛下の力が増している最中の方がいいでしょうね。来年再来年か、それとも出産後数年後か、ですね。

王女は今年２８歳です。古代語に四苦八苦してますよ。ダンスの授業ではハインリヒ殿を怒らせてばかりですし、まだ覚えることは山のようにありますよ」

「そうですか。女性の出産は毎回身体の状態が違うようですからね。陛下の具合にもよりますね。前回は、ゆり殿を召喚したくらい

元気だったんですが」

「今回はそれはないでしょうね」

ヴィラが確認するように聞いた。

「はい、新しい巫女殿がいますからね。私達は儀式には参加しませんよ。これははっきりゆり様にも言っておいてください」

「わかりました。そうだ、あの二人をディラン殿にも見せたい。外に来てください」

「はい？」

ヴィラはディランをつれて屋敷の外に出た。すると、外にあった大きな木々はなくなっていたのである。ヴィラが屋敷の周りを探すと、

屋敷の裏庭に、大きな緑の蛇と、小さな緑の蛇を発見した。

「ああ、もしかしてもう変身終わっちゃった？　そんな」

「変身って？」

「この二人が人間になっていたんです」

「ははは、まさか」

「本当なんですよ。さっき人間姿だったんですよ」

「またまた」

ディランはにやにや笑っている。

「本当ですよ。ほら、二人とも変身して」

ヴィラは頼んでみたが、二匹の蛇はどちらも変身しなかった。

「もー見せたかったのに……」

「それこそ夢の中で夢でも見たのではないんですか？」

「そんなわけはないですよ。ディラン殿の蛇はディラン殿くらい体格がよかったですよ」

「いい男でした？」

「えーと、まあ」

「じゃあそうだったのかもしれないですね」

「何を言ってるんですか」

今宵は陽気なまま、二人は別れたのだった。


次の日、城ではヴィラがゆりに「またミシェイラ様のことを言えなかったです。すいません」と謝っていた。

一方ゆりの方は泣いている。これはうれし泣きである。

「ディランの子供が生れるんだ。ディランの子供が……女王様、ありがとう！」

ゆりは祈るような気持ちで言っていた。

部屋にハインリヒとシスがやってきた。ヴィラは二人にもディランのことを話した。するとシスはうれしそうな顔をして喜び、

ハインリヒはゆり同様泣いていた。

「よかった……子供が今後ディランの心の支えになるだろう……」

ドルイドがいなくなり、寂しくなったディランにようやく楽しいことが訪れたと、ハインリヒは喜んでいた。

「ディランの子供だなんて……また過去に行こうかな。私が儀式をしたい！」

ゆりが力を込めて言い出して、ヴィラとハインリヒはのけぞっていた。

「王妃、何を言い出すんですか」

ヴィラはあきれ顔である。

「だって、ディランの子供なのよ。私がいっぱい蛇を入れてあげたい！」

「だめですよ。過去に行ったら男が補充になるじゃないですか」

ハインリヒが言った。

「それでもやりたい！」

ゆりは冗談ではなくかなり本気だったので、ヴィラとハインリヒは肩をすくめていた。

「今行ったらその子にもいっぱい、いい蛇を入れてあげられるね」

シスは無邪気に言っていた。

「そうなの。だから今年か、来年早々しかないのよねー」

「やめてくださいよ。王妃が過去に行くなら私も里帰りしますからね。それでまた蛇の子供を産んでもらいたい」

「ずるいですよ。我々の方が王妃とは長いつきあいなのに子供を産んでもらってないのに」

ハインリヒの言葉にヴィラはむすっとしていた。

話が変な方向にいっていたので、ゆりは「やっぱり今のはなし」と言った。

「新しい巫女がいるのに私がしゃしゃり出ていけないもんね」

「そうですよ。さすがに二回はだめですよ」

「新しい巫女、がんばっ！」

ゆりは過去の巫女に声援を送っていた。

「そして女王様もがんばっ！」

大人3人のやりとりを眺めながら、シスは（今度ドルイドにも教えてあげよう）と思っていた。

「僕にはどっちの血筋が入ってるんだろう。ご先祖様なんてすごいなあ……」

シスは二人に気楽に接していたので、なんだか悪いような気が今更ながらにしていた。

「ご先祖様かあ……確かにそう考えるとすごいわねえ。すごい人と儀式をやったんだ……」

ゆりも今更感じていた。

「それで、アナスターシャ様はいつごろ過去に行くことになりますかね」

ハインリヒがヴィラに聞いた。

「向こうも思案しているようでしたよ。もしかしたら出産後落ち着いてからになるかもしれないですね」

「そうですね。しかし、便利ですね。夢の中で会えるなんて」

「ヴィラの子蛇にだけ会いに来るなんてね。せっかくだからフリットも呼んであげたらいいのにね」

フリットの蛇はディランの蛇の子蛇のようなので、ゆりはそう思ったのだった。

「私が過去に会いに行ったからでしょう。でももしかしたら、フリット殿も夢でディラン殿に出会って覚えてないだけかもしれないですよ」

「そうかもね」


ヴィラは夢の中で出会った人化した蛇たちを思い出していた。

なにやら会話をしていたが、

『よかった、まだ生きてたな』

『そうそう死にませんよ』

というような会話でもしていたのかもしれない。

想像するとおかしかった。蛇たちにとっては真剣なのかもしれないが。


「新しい巫女、どんな子なんだろう」

ゆりの左目が変わっていた。

「ディラン達はその子といい仲なのかな？」

「違うでしょう。儀式には参加しないって言ってましたよ」

「そうなの。ならいいけど。私は過去には行きたくないなあ。泣いちゃいそうだもんね」

ドルイドがいない夜の噴水には、こちらのゆりは行く気にはなれなかった。

「そうだ。女王様のご懐妊を祝って、みんなで宴会をしよう！」

蛇の目のゆりが明るく言い出して、男二人も賛成し、今夜急遽お祝いパーティーが開かれることになった。

ヴィラとハインリヒはその準備を頼むために出て行った。


「ねえ、お母さん、もしドルイドが生きていたらなんていいたい？」

男二人がいなくなった後、シスはゆりにそんなことを聞いた。

「え？　そうねえ……今も好きよって言いたいかな」

「そうかあ」

「シスならなんていう？」

「ありがとうかな」

「そう」

ゆりはシスの髪をなでていた。

シスはゆりにちょっと後ろめたい気分になっていた。

（だが、今はまだ、ドルイドのことは話せない。男と男の約束だから守らなければならない）

シスはそう思っていた。

（いつかドルイドも母様に会いたくなるに違いない）

そうも思っている。

「パーティー、みんなこれるといいね」

「そうね」

二人はほほえんだ。



一方過去の時代では、ブレスレットのことをすっかり言いそびえていたとディランは気づいて悔やんでいた。

「まあいいか。近いうちに、また会えるだろう」

ディランは確信するように言って、女王の間へと向かったのだった。



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