第70話（番外編）
「わったっし〜は仕事が好きな女の子〜今日もお仕事うれしいな。ランラン」
陽気に歌いながら雲の上の神殿にやってきたのは、伝令の神、ライサである。生れたばかりのライサは、誰かに用事を言いつけられるのが
楽しくてしょうがなかった。休みの日などなくてもいいと思うほど、今はお仕事が大好きである。
神殿の中の広間を通り過ぎて、右の通路に入った時、廊下を獣が走ってくるのが見えたので、ライサはあわてて端によけた。
「わっ！」
それは大きなオオカミだった。銀色の毛をしたオオカミはライサには目も止めずに、ライサの横を通り抜けていった。
「びっくりしたー」
前を見ると、今度はでかい虎が猛スピードで走ってきた。
「うわっ！」
ライサはまたあわてて通路の端っこに移動した。虎は逃げるように走り去っていった。
「今日は獣がいっぱいの日なのかな？」
どきどきしていると「メー」と鳴き声がした。通路をやってきたのは毛がもこもこした羊である。
羊もなんだかあわてるように通路を去って行った。そして聞こえてきたのは子供の泣き声だった。
この奥にあるのはヒルデリアの私室である。ライサがその部屋に行ってみると、案の定、力の神バリアスが泣き叫び、
傍らでは妖精達が困った様子でいた。
「どうしたんですか？」
「バリアス様がライオネル様と遊びたがっておられるんですが、ライオネル様はお仕事中でして、動物をいろいろ集めてみたんですが……」
部屋の中には何かの毛の束が落ちていた。どうやらバリアスにむしられて、虎も狼も逃げたようである。
「わー！！！！」
バリアスは泣き叫んでいる。
「バリアス様、私と遊びましょう」
ライサはバリアスの泣き声に負けずに言ってみた。
「モフモフー！！」
「モフモフ様はお仕事なんですよ。お仕事が終わったら遊んでもらいましょう」
ライサはついライオネルのことを「モフモフ」と言っていた。
バリアスはライオネルの毛にひっつくのがとても好きらしい。
バリアスはむっとした表情ですたすたハイハイをし、机の足をつかむとぶん投げていた。
「きゃー！」
と妖精の悲鳴が飛んでいた。木製の重厚な机は壁にぶちあたり、足がひんまがっていた。さすが力の神である。赤ん坊でもその力は半端ない。
すばらしい彫刻がされていた机だったのだが。ちなみにこの部屋にはあまり調度品はない。バリアスが壊すからである。
バリアスは椅子もつかもうとしていたので、ライサはバリアスの身体を抱き上げた。
「もうだめですよー」
「むむう」
バリアスはじたばた暴れている。これ以上だっこできなかったのでライサはバリアスをおろした。
バリアスは生まれた時よりは多少は大きくなっている。ハイハイもすたすたできるし、言葉も少しは話している。
だが、まだまだ手がかかる赤ん坊の域である。
「今日はヒルデリア様は」
「用事で出かけてます」
「そうなんですか。そうだ、お花を見に行きましょう。きれいですよ」
「モフモフー！！」
「川とかどうでしょう」
「モフモフー！！！！」
どうやらライオネル以外はだめなようである。その後ハロルドもやってきたのだが、部屋の中の有様を見てバリアスに怒ったために、
ますますバリアスは泣き叫ぶことになってしまったのだった。
その頃ライオネルは珍しくもガーベラの神殿にやってきて、ガーベラになにやら迫っていた。
といっても色っぽい話ではない。ガーベラは長いすに座っている。一方ライオネルはたったままだ。姿は人間の姿だった。
「バリアスを大きくしろ！！」
ライオネルはガーベラにそのことを迫っていたのだった。
「俺はしょっちゅうガキの相手はしてられねえ。早くでかくなってほしいんだよ」
「しょっちゅうって、言うほど相手してないじゃない」
ガーベラはあっさり言った。
「してるよ！」
「うそー、よく雲隠れしてるくせに」
「俺には俺の仕事があるんだ」
ライオネルは胸を張っていた。
「大きくなればちょっとは分別もつくだろう」
「私に言われても困るわよ。アシュランに頼んだら？」
「無理だろう。お前アマンザはでかくしたそうじゃないか」
「自然に大きくなった方がいいわよ。そのうちに大きくなるって。それに中途半端に大きい方が、わがままかもよ？」
「そんなことないだろう」
「あったらどうするの？」
人間ならば、赤ちゃんのわがままなどかわいいものである。この後、もっと手がかかる時期がやってくるのである。
「……あのな、バリアスは、お前と兄貴のガキだろ。俺は全然関係ない」
ライオネルは太い指をガーベラに向けてずばっと言った。ガーベラはその指を横によけた。
「親戚じゃない。それにヒルデリアから子守のお礼に何かもらったんじゃないの？」
ガーベラはもしやと思って聞いた。
「何ももらってない」
ライオネルはぷいと横を向いた。
「本当かしらね〜」
「まあお前が身体で頼むっていうんなら、聞いてやらないこともないけどなー」
ライオネルが今度はじーとガーベラの豊満な胸を見ている。ガーベラは冷たく「ばかじゃないの？」と言っていた。
「私は好みじゃないって言ってるくせに」
「好みじゃないが、一度やってみたいとは思ってる」
「アホ！」
そのとき部屋にハロルドがやってきて、ハロルドは「あっ！」とライオネルに驚いていた。
ライオネルもびくっとしている。
「お前、なんでこんなところにいるんだ！ 仕事をしてないならバリアスの相手をしてやれ！」
「うげっ！ 見つかった！」
ライオネルは罰が悪そうな顔をしていた。
「子守の代わりにヒルデリアに神器をもらっただろ！」
「やっぱり何かもらったのね」
ガーベラも立ち上がりライオネルをにらんでいる。
「だいたい、子守ってのは親の仕事だろ？」
ライオネルは開き直っていた。
「俺が遊んでやるってのがおかしい」
「バリアスと遊んでやらないなら神器を返せ」
ハロルドが手を出すと、ライオネルは一転「しょうがない、行くか」とさっさと部屋を出て行った。
あの様子、よっぽどいいものをもらったに違いない。
「一体何をもらったの？」
ガーベラがハロルドに聞いた。
「さあ、知らないが、ヒルデリアに何かせがんだらしい」
「私にはしらばっくれて、もー」
ガーベラは口をとがらせていた。
雲の上の神殿には頼みのライオネルがやってきて、バリアスはようやく泣き止んでいた。
ライサは子供の泣き声のすごさに驚いていた。あれだけ泣き叫ぶのもすごいが、ライオネルを見るなりほほえんだのだからすごい。
ライオネルが来るまで数人の神がやってきてバリアスをあやそうとしたが、無理だった。
バリアスはライオネルと遊びたくてしょうがないようだ。
「モフモフー！！」
「全く困ったやつだなあ」
バリアスはライオネルにぴょんと飛びついていた。
「よかったですねえ。ライオネル様がいらっしゃって」
ライサもおつきの妖精達もほっとしていた。子供の泣き声は、周りにとってもかなりのダメージだということがライサにはわかった。
「モフー、モフー」
バリアスは何かを催促するようにバリアスのたてがみをひっぱっている。
「全くしょうがねえなあ」
ライオネルが四つん這いになると、バリアスはうれしそうにライオネルの背中に乗り、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。
しかも毛をぐいぐいひっぱっている。
「おい、毛を引っこ抜くなよ！ 絶対に！」
「モフーモフー」
「抜くなよ〜〜〜〜！」
もう大丈夫そうだったのでライサは部屋をでた。
確かにあれでは普通の獣は逃げ出してしまうだろう。ライオネル以外の遊び相手は無理である。
ライサはアシュランの間の裏に行ってみたが、アシュランも不在だった。グレンもいない。
「誰かに命令されたい……誰かお仕事をちょうだい〜〜〜〜」
ライサはつぶやきながら仕方なく部屋を出て行ったのだった。
夕方になり、ようやくライオネルは子守を解放されていた。バリアスは眠くなって寝てしまったのである。
その頃にはさすがの彼もよれよれになっている。
「俺のたてがみが……」
ヒルデリアの侍女がくしでライオネルのたてがみを整えていた。
「これじゃあ神器をもらってもわりにあわないぜ。母ちゃんはどこに行ったんだ？」
「人間界ですわ。西の聖域です」
「あっちか、よし、じゃあ俺も行くわ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
ライオネルは侍女達にお礼を言われながら部屋を出た。
「さっそくあれを試すぜ」
ライオネルは雲の上の神殿を出ると、人間界へと移動したのだった。
ライオネルが降りたのは人間界、豹の国の近くだった。森の中の泉近くに現れたライオネルは人間姿だった。
ライオネルは手に持っていた小さな袋を握りしめていた。すると、ライオネルの姿が変わっていた。
ごつすぎてでかい男だったのだが、今はちょっとごつい、虎の国くらいならばわりとどこにでもいるような男になっている。
「おお、すげえ、やったぜ。この姿ならば人間にまぎれるぜ！」
ライオネルは泉に映る自分の姿を見て喜んだ。
虎の国での祭りではすっかり面が割れてしまったようなので、ライオネルは人間界に降りた時の姿を自在に変える力が欲しかったのだった。
理由は女性である。ライオネルは肉食系の女子がことのほか好きだったのである。
前々からこういう力が欲しい欲しいと思っていたのだが、ヒルデリアにはその理由がすっかりばれていたので、阻止されていたのだった。
この度、バリアスの子守のお礼をせがんでもらったというわけだった。
「これでまた虎に行っても大丈夫だな。今日は豹の女を引っかけよう。豹ならば……髪は茶色っぽくしよう」
ライオネルのラフな金髪は茶色に変わり、瞳は猫のような琥珀色に変わっていた。
「これでよしっと♪ いくぜ〜」
ライオネルはうきうき顔で出かけていった。豹の国に入ろうとしたライオネルだったが、国境あたりの森の中で女性に出くわした。
胸が大きく腰がくびれた、セクシー系の豹の一族の女性である。女性は布袋を肩にかついで歩いていた。その横には黒い豹が
ガードするように寄り添って歩いている。
身体が好みだったのでライオネルはすぐにその女性に近づいていた。長い黒髪は後ろでしばられている。目つきの鋭い美女だった。
「なあ、お姉さん、俺と遊ぼうぜ」
ライオネルはかなりストレートに女性をくどいていた。女性の方はちらりとライオネルを見て「いや」と言った。
「そう言わずに」
「悪いけど私は今発情してないの」
女性はちらりと豹を見た。豹は別段、どういう反応もしていない。
「それにあなた、豹の男じゃないでしょ」
「豹の男だぜ。ほら」
ライオネルが豹に近づいた。
「ちょっと！ やめて！」
女性が制するより早く、ライオネルは豹の頭をなでていた。
「あら？」
なんと豹がおとなしく頭をなでられているではないか。
「なっ」
「……豹の男？ 今までみたことないわよ？」
「そりゃそうだろうな。俺は国の……裏で働いてる男だからな。だから表には出ないんだ」
ライオネルの説明に女性は首をかしげていた。豹はライオネルに身体をすり寄せている。このなつき具合からいって、男は
豹の男なのかもしれないと女は思った。
「というわけで、俺と遊ぼうぜ」
「うーん」
「なー」
「そうねえ。なんかおもしろそうな人だし……いいかも……」
と思った女性の目は、ライオネルの下半身に注がれていた。男のおしりから、ネズミのような細くて黒っぽいしっぽが出ていたのである。
「やっぱりだめだわ。さよーなら、いくわよ。グル！」
女性はあわてるように豹をせかして走って行ってしまった。
「あ、おい！ あれ？ なんでだろう？」
うまくいきそうだったのに逃げられたので、ライオネルは不思議そうだった。ライオネルのおしりの尻尾は消えている。
ライオネルはその後も女性を誘ったのだが、皆逃げられてしまった。
「やっぱりいつもの俺じゃないとだめなのかなあ……」
まさか興奮するとおしりにネズミの尻尾がはえているとは、ライオネルはさっぱり気がついていなかった。
ヒルデリアは神器にちょっとした細工をしてライオネルに渡したようである。
結局その日は夜中までがんばったものの誰も落とせずに、ライオネルはすごすごと神の国に帰って行ったのだった。
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