第71話
過去の時代では、ヴィラルージュ女王が再び妊娠したという吉事に、国中はお祭りムードだった。
とてもおめでたいことだが、これで女王が再び赤い月をしばらく過ごさないのだと思うと、ちょっと残念にも思う騎士達である。
女王が妊娠したと自覚したのは、夢枕に亡き兄が現れて、「おめでとう！」と女王を祝福したときだった。
女王はもしかして、とは思っていたが、兄に祝福されてやはりそうだと確信したのである。
ディランの子供だと思ったのは、それから一月ほど経ってからだった。
一番騎士が妊娠させたので、これはめでたいと街ではお祭りムードであり、ディランも皆にからかわれたり祝福されたりの毎日である。
ドルイドを亡くして２年弱の月日が流れていた。ディランにとっても女王にとっても、久しぶりの喜ばしい話題だった。
二人が心の底から笑えたのも、久しぶりのことかもしれない。
「昨晩、ドルイドにおめでとうと言われる夢を見た」
ある朝ディランは弟のレイアスに語っていた。二人は変わらず同じ屋敷で住んでいる。
「そうですか。きっと本当に祝福しにきてくださったんですよ」
レイアスは明るくそう答えた。レイアスはようやく１００歳になるところである。ゆりと初めて出会った頃はまだまだかわいいところがあったものの、
今では中堅である。若者の指導に回るようにもなっていた。レイアスがかつて８５歳で騎士の上位に入ったことからもわかるように、この兄弟、
潜在能力は抜群にあるようである。この騎士の順位は人気、魔法力、剣技、知能、そして周りの人気などの総合得点で決まっている。レイアスも
長年、いろいろ努力をしたに違いない。上位の騎士に入っていなくても魔法力だけが高い騎士などもごろごろいた。これがこの時代の強みなのである。
「僕も本当にうれしいですよ。女の子と男の子、どちらがいいですか？」
「別にどちらでも、うれしさのあまりついヴィラ殿にも言ってしまったが、違ってたらどうしよう」
ディランはついそんなことを思っていた。
「ははは、実は私の子供なのかも？ ちょっとは望みをもとうかな〜」
レイアスはにやにやしていた。
「兄さんと僕の気って似てるもんね」
「やだな」
ディランは本気で嫌がっていた。
「そうだ、緑の蛇の話はどうなった？ まだ一匹きりなのか？」
ディランが聞いた。レイアスはうなずいている。レイアスはディランのように夢で未来の男に会ったりすることはなかったのだが、
たまに夢に二匹、緑の子蛇が近くに現れることがあった。最初は気づかなかったのだが、次第に、もしかすると自分の肌の子蛇なのかもしれないと
思うようになっていたのである。その子蛇が、最近見た夢では一匹しか現れないのである。たまたまかと思ったのだが、その夢が二度続いた。
子蛇はなぜ一匹だけになってしまったのか。レイアスは夢でももう一匹の子蛇を探したのだが、どこにも見当たらないのである。
「もしかして、未来の男が一人亡くなったんじゃないんですかね」
レイアスはそんなことを感じていた。だから子蛇はいなくなったのではないかとレイアスは心配していたのだ。
「ヴィラ殿はそんなことは言ってなかったけどな」
「わざわざ人が亡くなったことなんて言わないかもしれないですよ。兄さんだってドルイド様のこと、向こうが気づかなきゃ言う気はなかったでしょう」
「それはそうだが……」
「今度ヴィラ様に出会ったら、聞いてみてくださいよ」
「わかった。まあ、もしかしたらそのうちに戻ってくるかもしれないぞ」
「子蛇〜〜〜気になる〜〜〜」
レイアスはうなっていた。
もう一匹の緑の子蛇は一体どこに行ってしまったのだろうか。それは、肌にいたイシュタールにも、わからなかった。相変わらず、イシュタールの肌にいるのは
赤い蛇だけなのだ。あのどさくさでいなくなってしまったのか、それともそのうちに出てくるのか、イシュタールにすらわからない。
そのイシュタールは、珍しく戦士のジェナサイトを自分の屋敷に夜、呼んでいた。初めてのことなのでジェナサイトは恐縮しまくり、酒飲の間に
座っている。酒を出されても、手をつけないほどである。
「悪いな。実はユリウスのことなんだが……」
イシュタールがそう言い出すと、ジェナサイトがはっとした顔をした。
「もしや、イシュタール様その気になったんですか？ 別に私の許可なんて取らなくていいですよ。どんどん手を出してください」
ジェナサイトはうれしそうに言い出したのでイシュタールの方が驚いていた。
「あのユリウスがまさか男に贈り物をするようになるとは、本当に成長したもんですよ……」
ジェナサイトはちょっとうるっときていた。
「パンツのことを知ってたのか？」
「知ってましたよ。この前贈ったのは私も一緒に選んだんですよ。ユリウスのやつ、変なパンツばっかり選ぼうとするんですよ。それで私が、
まともなやつを選んだんです」
「ああそうだったのか。だからまともだったのか」
イシュタールは納得していた。快気祝いにもらったパンツは、普通の真っ赤なパンツで、色は派手だが、まともにはけるパンツだった。
「実は昨日またもらったんだ」
「え？ そうだったんですか？」
「ああ、これだ」
イシュタールがパンツを見せた。ジェナサイトはパンツを見て、「あ、あのとき選んでたやつだ」と言っていた。
そのパンツには「やるぜ！」と白地に黒で刺繍されていた。
「あいつはなぜか、文字のを選びたがるんですよ。それほど贈りたかったとは……」
「いや、パンツはもういいってユリウスに言ってくれないか？」
「いいじゃないですか、害はないし。いやならタンスにいれておけばいいじゃないですか。まさかユリウスがズボンを脱がすわけじゃない……
まさか、もうそこまで？」
「え？ いやいや、違う違う」
イシュタールはあわてて否定してパンツをしまっていた。
「ユリウスがそこまで成長したとは……なんかうれしいです」
ジェナサイトはユリウスの唯一の恋人のはずだが、嫉妬するどころか喜んでいた。
「違うって。ジェナサイトに贈ればいいのに、なぜ私に贈るんだかわからない」
「それはイシュタール様が前に贈ったパンツを喜んだからじゃないんですか？ ユリウスがそう言ってましたが」
「う……それはまあ、そうなんだが……」
イシュタールは頬をかいた。
イシュタールはユリウスからもらったパンツを履いて闇の世界に落ちた。そこでのことは覚えていないが、戻ってきてユリウスを見て、なぜか
お礼を言いたい気分になったのだった。それでお礼を言った。
ユリウスはそれでイシュタールが実はすごく喜んだのだと勘違いでもしたのかもしれない。
「ユリウスは変な女なんですが、赤い月では結構かわいいですよ」
ジェナサイトはにやにやしながら言っていた。
「だからそういうことじゃない。パンツはもういいって言ってほしいんだ」
「わかりました」
「本当にわかってるのか？」
「わかりました」
「本当か？」
「本当ですよ。まかせてください」
ジェナサイトは自信満々に言っていたが、意味が通じているのかどうなのか、怪しいものだった。
後日、ジェナサイトはユリウスに、「イシュタール様、パンツはもういらんって言ってたぞ」とずばり言っていた。
「パンツ以外の物を贈れ。この際どーんと胸に飛び込んでみろ」
「あん？」
ユリウスの反応は薄かった。
「がんばれ。イシュタール様、傷がなくなってますますいい男になったよなあ」
ジェナサイトはにやにやしている。ユリウスのことはかなり好きなはずだが、今は父親のような心境になっているのかもしれない。
ユリウスが男に贈り物をして自分に気を引こうとしたということに、かなり喜んでいた。しかも相手は苦手だった上級戦士である。
なんという進歩だろうか。ジェナサイトは自分がユリウスに捨てられたらどうしようと不安を抱くこともなかった。
そこは子供ができた男の余裕なのかもしれない。
「…………」
ユリウスは上を向いて考え込んでいた。照れる様子もない。いつもの冷静な表情のユリウスだった。
「パンツ以外……何にも考えつかないな。お前なら何がほしい？」
「俺なら、何もいらないな」
ジェナサイトはわりとあっさり言った。
「お前はいまいちセンスがないからな。俺はもう、子供を産んでもらったから十分だ」
「何かもらって驚くものはないかな」
「普通はもらってうれしい物を贈るんだぞ。ユリウス、がんばってイシュタール様の胸に飛び込んでみろ。
といってもそのまま突き倒すんじゃないぞ。抱きつくんだぞ。力を込めずに！」
ジェナサイトは丁寧に言っていた。
「そんなことして何かおもしろいのか？」
「好意ってのはそうやって示すもんだ」
「好意？」
「イシュタール様も、そういうかわいいお前をきっと待ってるぞ」
ジェナサイトはかなりにやにやしながら言っていたので、ユリウスは「お前ひょっとして他に女ができたのか？」とかんぐっていた。
「え？ おれ？ いや、別に」
「怒らないからいってみろ」
「俺には何もない。ないない。それじゃフランツを見てこようっと」
ジェナサイトはさっさと退散していた。
「あやしい」
フランツは今年で８歳になる。ユリウスは子供を産んでから、赤い月の性欲はさっぱりなかった。ジェナサイトには「他の女と過ごしたいのなら別にいい」
とは言っていたのだが、ジェナサイトは「そんな気はない」と言っていた。だが、赤い月の間二人はいつも一緒だったというわけではない。
ユリウスが知らない間にそういうこともあったのかもしれない。
「うーん、女か。あいつもいっちょ前に男だったか」
ユリウスはジェナサイトに嫉妬で腹が立つということはなかった。他の女性がジェナサイトの子供を産んだならば、フランツも喜ぶかもしれないと、
そう思っている。そこはやはり蛇の一族の女性である。
だがまてよ、とユリウスは考え直した。もし子供ができたとしても、他の女性の子供ならば、子供の能力もそう高くはないかもしれない。
敵に出会えば死ぬ確率はフランツよりは高いだろう。
「それならば私の子供の方が……そうなると私がまた妊娠しなきゃならないのか。妊娠生活はやだなあ……しかし、生存確率をあげるためには……
来年から復活するか」
赤い月復活の兆しは、ユリウスにとってはこういう感情だった。
ユリウスも、ジェナサイトを完全に他の女にとられるというのもおもしろくないのかもしれない。
「そうだ。イシュタール殿には今度は靴下を贈ろう」
ユリウスはぽんと手をたたいていた。ユリウスはイシュタールの気を引きたいと思って贈り物をしているわけではなかった。
最初に贈ったのはシャレだったが、あれが自分でもおもしろかったからである。
いまだいろいろ大変なイシュタールにたいする激励の品でもある。
「どういう文字を入れてもらおうかなあ」
やはり文字をいれねば気が済まないようだ。
ところは代わり神の国―
降るような星空を見上げつつ、丘に寝そべっていたのは獣神ライオネルだった。
人間姿だが、どうやら浮かない表情である。側に黒衣の神が降りてきた。夜の神オルガだ。
「神殿があるのにわざわざ外で寝てるのか？」
オルガが聞いた。
「外の方が気持ちいいだろ？ 星もきれいだし……」
「元気がないな。どうしたんだ？」
「最近不調なんだよ」
「不調？ 神気は普通のようだが？」
オルガはライオネルをじろじろ見て言った。
「そっちじゃない。女が引っかからないんだ」
ライオネルは起き上がって言った。
「人間の女に続けざまに振られてるんだ。なぜだ。変身しても俺はいい男のはずだが……」
どうやらライオネルは懲りずに女性を誘っていたようだ。おしりにねずみの尻尾が生えていることにまだ気づいていないようだ。
「なぜそう人間の女に手を出したがる。神の国の女に手を出せばいいものを……」
オルガはあきれ顔だった。
「俺はたくましいむっちりした女が好きなんだ。そういう妖精はあまりいないだろ」
「まあそうだな。ディアメラの妖精くらいだな」
オルガはいろいろ妖精の顔を思い浮かべたが、力自慢の妖精というのはあまりいない。勇ましいのはディアメラの妖精くらいのものである。
「ディアメラの妖精に手を出したら、それこそたてがみをそられちまうわ。俺の好みの女神もそうはいないし、相手が人間になるのもしょうがない」
そのライオネルも、以前火の神殿でガーベラの色気にあてられて、つい火の妖精に手をだしていたが、あれもあれっきりのことだった。
「だが人間相手じゃ子供ができないぞ」
「その分兄貴が最近よくつくってるからいいんじゃないか？」
ライオネルはハロルドほど自分の子供に興味はないようである。
「そうか。ところで、ちょっと聞きたいことがあるんだが、最近人間界であいつらの活動は活発なのか？」
オルガは突然話題を変えた。
「あいつら？」
「闇の―」
「ああ、神官達は忙しそうにしているようだぞ。あっちに行って返ってきたのは蛇の二人くらいのもののようだが」
「あいつらは同じ場所にそうそうやってこないと思っていたが、やってくるとしたら狙いはなんだと思う？」
「ん？ なんか見たのか？」
「最近蛇の国に行った時に、城の周りにいたのだ。あいつらの仲間が」
「…………」
ライオネルは座ったまま、まじめな顔でオルガを見上げていた。
「だから気になった。あちらから生還した女性は城に住んでいるのだ」
「似た場所に続けざまに現れることはないはずだが……現れるとしたら問題だな」
「神の加護がついた人間は、あちらには連れて行かれないんだったな？」
オルガが確認するように聞いた。
「ああ、金の瞳をした人間も大丈夫だ。だからいきなり王がやられちまうことはないだろうが、蛇は俺の管轄じゃないからな。兄貴に言った方がいいぞ」
「そうか。わかった。それじゃあな」
オルガは再び宙に舞った。
ライオネルはしばらく星空を見上げていた。
「そういえば、あの時兄貴の加護を封印した子供も蛇の子供だったっけなあ……」
ライオネルはそんなことを思い出していた。
「すっかり兄貴に言い忘れてた。まあいいか」
ライオネルは再び寝転がり、しばらく星空を眺めてそのまま寝てしまったのだった。
つづく
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