第22話
ゆりのおなかにいる赤ん坊の名前が決まった。
次の朝、ラクシュミは「赤ん坊が自分で自分の名前を付けた」と皆に言ったのだが、ゆりも子供たちもやはり信じなかった。
「本当なんだ。本当にこの子が自分で付けたんだ」
「ふふ、王様ったらお茶目なんだから」
まだ赤い月の間のことだったので、ゆりはラクシュミが冗談を言ったと思っていた。
「次は私が考えたい！ まだ考えてないもん」
ナナミが言った。
「僕も考えたい。次は男にしてよ」
「まだ生まれてないのに次はないでしょ」
ゆりはロイの手をはたいていた。
「女の子かあ。これで、女が４人ね。ふふふ」
アナスターシャはうれしそうである。
「男が負けたよ。次は男だよ。絶対！」
ロイは懲りずに言っていた。
「でも、レーヌって名前いいね。僕はスキだな」
「そうね。賢そうだもんね」
「父様素敵な名前を考えたね」
「いい名前ですよ」
子供たちはゆりのおなかをなでて名前をほめていた。
「誰も信じない……」
「ぴーんとひらめいたんだけど、勘違いしただけよ」
とゆり。
「レーヌ、出てきてみんなに説明してくれ」
ラクシュミはゆりのおなかを見て言ったが、赤ん坊は出てこなかった。
「赤い月の王様ってほんと面白いんだから♪」
ゆりはそんなラクシュミに抱き着いていた。
赤い月が明けて、ラクシュミはミカエルたちにもそのことを言ってみたのだが、誰も信じなかった。
ミカエルなんぞは「酔っぱらってたんですか？」という始末である。
（王の言葉を臣下が信じないのはちと問題ではないだろうか？）と思ったが、
ラクシュミは自分でもあの晩のことが不思議でたまらなかったので、（やっぱり私がひらめいたのかな？）と次第に思うようになった。
昼になりイシュタールが王の間にやってきた。
「王、今年は成功しました」
イシュタールは晴れ晴れとした顔をしている。成功したとは、夜のこと以外ないだろう。
「そうか、よかったな」
「はい。王妃にも報告してきます」
イシュタールはうれしそうに去っていった。
「別にゆりに報告しなくてもいいと思うが……よっぽどうれしかったんだな」
ラクシュミはぽつりとつぶやいていた。
ゆりの部屋には先客がいた。ジュノーである。
ゆりはジュノーにレーヌの名付けの話をしていたのだった。そこにイシュタールがやってきた。
「王妃、こんにちは、やあジュノー」
「イシュタール殿、万事めでたく終わったんですね？｝
ジュノーが聞いた。イシュタールの顔を見れば一目瞭然といった感じである。
「ああ、５日ほど普通の人間に近くなってた。その間緑と黒の髪に戻っていたんだ」
「ええーそれはすごい」
「ほんと？ 懐かしいわねー私もそのイシュタールに会いたかったなあ」
ゆりは昔のイシュタールの姿を思い出していた。変わったのは最近でも、昔の姿が懐かしいものである。
「赤い月の間だけですからね」
「ざんねーん」
赤い月の間、王妃は他の男に会えない決まりなのである。元のイシュタールに会うことはできないだろう。
「赤い月までにへびっちを返せてよかったですよ。彼女達も喜んだでしょうね」
ジュノーはゆりの前だったがついぽろっと言っていた。
「へびっちは赤い月の間は肌にいなかった。ずっとメス蛇とひっついてた」
「ええー！」
「えーへびっちって、普通の蛇と交われるんだ？ すると子蛇もできるのかな？」
ゆりも驚いた。
「いっぱいできるかもしれないですね。メス蛇はもうどこかに行きましたけど」
「できたらすごいね。子蛇に孫蛇に、見つかればいいなあ……」
「彼女達はちょっとがっかりしたでしょうねえ。へびっちもちょっとくらい肌にいてあげてもいいのになあ」
ジュノーはイシュタールの彼女のことを思っていた。
すると、イシュタールの右腹あたりから赤い蛇がにょろっと出てきて床に落ちた。
ゆりとジュノーはちょっとびくついている。いつも急に出てくるのだから驚くものである。へびっちは緑の蛇に変わっている。
「へびっち。さすがレイアスの子蛇だけあるわね。モテモテだったんだって？」
ゆりはしゃがんで言っていた。
「そういえば、レイアスにはまだこの子のこと言ってないのよね。知らせてあげたいわね」
「そうですね。あれから会えないままですからね」
へびっちはじーとジュノーを見あげている。
「ん？」
へびっちの視線を感じてジュノーはなんだか嫌な予感がした。後ずさっている。
へびっちはジュノーに近づいていた。
「いや、来なくていい。来なくていいって」
後ずさったジュノーにへびっちは素早く移動して、足に引っ付くと吸い込まれるように消えてしまった。
「あららら……」
「こらー来るなって言ったのにー」
ジュノーは困った様子で足を振っていたが、へびっちは出て行かなかった。
イシュタールはにこやかに、
「ジュノーが気に入ったんだなあ。それじゃまたしばらく頼む」
と言っていた。
「えーまたですかあ？」
「ジュノーの肌が居心地いいのかもね」
ゆりも笑っていた。
「絶対なんかの要求がありそう……」
ジュノーはそれしかないと思っていた。
「それじゃ私は仕事なので」
イシュタールは笑顔で去っていった。
「自分の蛇なのにー」
ジュノーはぶーたれている。
「まあいいじゃない。へびっちの望みを聞いてあげて」
ゆりはお気楽に言ってジュノーの肩をたたいていた。
「へびっちってほんと面白いわね。イシュタールよりもジュノーの方が気楽にお願いできるなんて」
「イシュタール殿が鈍いだけですよ。それじゃ私もいきますね」
「またね」
渋い顔のジュノーと入れ替わりににこやかなハインリヒがやってきた。
「王妃〜おなかにいるの王女様なんですってね」
「そうなの。名前はレーヌになったのよ」
「聞きましたよ。レーヌ様、こんにちは」
ハインリヒはゆりのお腹をなでていた。
「王様ったらこの子が自分で自分の名前をつけたっていうのよ」
「７人目ともなれば、そういうお子様が現れても不思議じゃないですよ」
ハインリヒはラクシュミのジョークだとは思わなかったようだ。
「そうかしら。でも自分で名前を付けるなんてねえ。賢すぎでしょ」
「そうですね。まあどちらにせよいい名前ですよ」
「そうね。レーヌ、いい名前よね」
「赤い月の間面白いことがあったんですよ。この前の女蛇様に会ったんです」
ハインリヒが突然話題を変えて、ゆりは瞬いていた。
「え？ この前のって、あの変わった女蛇？ 銀色の？」
「そうですよ」
「えー？ どうやって会ったの？」
ゆりは目をまん丸くしていた。
「彼女に来たんです」
「えー！ それってその彼女に乗り移ったってこと？……なんでわかったの？」
「彼女の肌に銀色のうろこが時々浮かんだのでわかりました」
「えー……ミカエルが好きって言ってたくせに……乗り換えたとは……」
（前回の儀式でハインリヒに強引にされて気に入ったのだろうか？）とゆりは思っていた。
「でも本人は指摘しても『何のこと？ さっぱりわからないわ』とか言って全力で否定してましたけどね」
「ははは……」
ゆりは力なく笑っていた。
「というわけで今回は面白かったです」
「全然気にしないハインリヒもすごいわ」
「すでに仲良くなった仲ですからね」
「それもそうね。その話はミカエルには言わないであげてね」
「いいですよ」
（赤い月のミカエルは気に入らなかったけど、ハインリヒは気に入ったのかなあ……）
ゆりは銀色の女蛇にちょっと聞いてみたかった。
「それにしても、あの蛇様まだうろちょろしてるのね。女蛇って普通の女性にも乗り移れるんだ。たまにそうやって楽しんでる
女蛇、他にもいるのかもねえ」
「そうですね。あ、そういえば、たまに彼女に違う蛇紋が浮かぶという話、昔聞いたことありますよ。それってそういうことなのかも
しれないですね」
「そうね。女蛇も儀式以外でも楽しんでるのかも」
「ちょっとは妬いてくださいよーつまらないなあ」
ハインリヒはゆりがまったく平常心なのでつまらなそうに唇を尖らせていた。
「だってさー、みんなにとって女蛇は恋人みたいなものだし、だからまあいいかあって感じ」
女蛇は実体がないので妬くのもおかしなことである。それに、儀式では女蛇とゆりは一心同体のようなものだ。
「もうすぐ生まれそうだから最後に儀式がしたいなあ」
ハインリヒが微笑んで言った。
「赤い月後によくそんな元気があるわね。でも儀式するなら、やっぱり他の蛇様がいいなあ」
銀色の女蛇とのやりとりを毎回するのは嫌なので、ゆりは心底そう思っていたのだった。
へびっちがひっついたジュノーは、今回は子供たちには内緒にしておこうと思ったのだが、
クリスは夕方カエルを一匹捕まえてかえってきた。
「はい、へびっちに」
クリスはジュノーに布袋をさしだした。
「なんで知ってるんだ？」
「イシュタール様に他の子がへびっちを見せてほしいって言ったら、お父さんのところだって言われたって。
お父さんへびっちに好かれてるね」
「ははは。へびっち、カエル食べるか？」
ジュノーは服も脱がずに自分の体に話しかけてみた。だがへびっちは出てこない。
「腹は減ってないのかもな」
「そうなの？ じゃあカエルは逃がしていいかな」
「ああ」
クリスはカエルを屋敷の外で離して戻ってきた。
「いいなあ。僕は一度でいいからへびっちを体に引っ付けてみたいよ」
「こればかりはへびっちの意思だからなあ。今度は何をしてほしいのやら？」
ジュノーは今度も食べ物だろうかとどきどきしていたが、３日経ってもへびっちは何も言ってこなかった。
へびっちはジュノーの肌から出ることはあるが、すぐに肌に戻っている。
「一体何が目的なんだろうなあ？」
「ジュノーが気に入っただけじゃないのか？」
ジュノーはヴィラと夜、酒を飲みながらへびっちの話をしていた。へびっちは床にいて皿に入ったお酒をなめている。
「へびっち、いっぱい彼女ができたみたいじゃないか。やるなあ」
ヴィラはへびっちに話しかけていた。
「いっぱい子供ができるといいな」
「毎度のことながらイシュタール殿はさっぱり気にしてないんだからさ」
ジュノーはテーブルに肩肘をついてへびっちを眺めている。
「ははは、今日イシュタール殿の顔を見たらすごく機嫌がよさそうだった。赤い月が成功してよっぽどうれしかったんだろうなあ」
ヴィラは思い出して笑っていた。
赤い月後は、男の表情で、赤い月の様子がどうだったかわかるというものだった。
二人でへびっちを眺めていたら、やがてへびっちがヴィラのそばに移動した。そしてヴィラの足に巻き付いて消えてしまった。
「あれ？」
「あ、入った？」
ヴィラはぽかんとしている。ジュノーは床を探したがへびっちはどこにもいない。やはりヴィラの肌に行ったのだ。
「んじゃ、しばらくよろしく」
ジュノーは明るく言って片手をあげた。
「えー？ どうしてきたんだろう？」
「私にばかり注文をつけるのは悪いと思ったんじゃないかな」
「えー？ まさかそんなことはないと思うが……」
「じゃあ私は帰るわ。あとはよろしく」
ジュノーは逃げるように出て行ってしまった。
「おいー……」
ヴィラは誰もいなくなったところでズボンをぬいでみた。左足にぐるぐる巻きになり、腹に頭がある蛇がいる。
「うわっすごい。こんな蛇がいるの憧れだったなあ。私の子蛇はよろこんでいるのか、それともびくついているのか、
どっちだろう？」
子蛇の気持ちはヴィラにはわからなかった。
考えてみれば、皆の子蛇は父親は違っても母親蛇は同じである。ヴィラの子蛇とは異父兄弟ということになる。
「……まあいいか。なんか落ち着かないけどな」
ヴィラはズボンをはいた。
こうしてへびっちは今度はヴィラの肌に移ってしまったのだった。
次の朝、ヴィラは一応イシュタールにへびっちが来た報告をした。するとイシュタールは驚いた様子だったが、
「しばらく頼む」と言ってきた。やはりあまり気にしてないようである。
ヴィラはヴィンセントにだまっていようと思ったのだが、つい自慢したくなり、ヴィンセントにへびっちを見せていた。
大きくて鮮やかな蛇が肌にいるというのは、男にとってもうれしいものなのである。
「お父さんすごい！ かっこいいよ！ へびっち、僕にきて！」
ヴィンセントはヴィラの足にしがみついていた。
「でかいカエルあげるからきてよー」
「今回は目的はカエルじゃないみたいだぞ」
「えーそうなの？ お願い僕に来て！」
ヴィンセントはヴィラの肌をがりがりかいていたので、ヴィラは「痛い」とヴィンセントを引っぺがしていた。
その日は噂を聞いたみなからヴィラは注目されていた。ほとんど羨ましがられている。
「私の肌にも来るかな？ おーい、へびっち、おいで」
ミカエルは笑顔でヴィラに両手を出してみたが、ヴィラからぬるっとへびっちが出てくることはなかった。
「本当にいるのか？」
「いますよ。目的はまだ不明ですけど」
「イシュタールにいるのが飽きたんじゃないのか？」
「まだ飽きるほどいないんじゃないですか？」
ヴィラはそう返した。
「へびっち、気が向いたらいつでもきていいぞ」
ミカエルは服の上からへびっちに話しかけていた。
ヴィラは手が空いた時に城に行き、ラクシュミやゆり、子供たちにもへびっちのことを話していた。みんな当然驚いている。
へびっちにとってはジュノーだけが特別ではないらしい。
「みんなの肌に移ったりしてね。そうなったら面白いわねえ」
ゆりはのんきに言っていた。
「気まぐれな蛇よねー」
「僕に来ないかなあ？」
シスはヴィラに手をだしている。
「それよりも僕はへびっちの卵に興味があるんだ。見つけたら絶対もってきてね！」
ラギはへびっちが赤い月にメス蛇と仲良くしたという話を聞いてそればかりを言っていた。
その晩のことである。ぐっすり眠ったヴィラは夢で人に出会っていた。真っ白い空間に、相手は二人いた。
一人は１０から２０歳くらいの子供である。
だが、目がまん丸く、ぎょろっとしていて、普通の人間とはちょっと違っていた。肌には緑のうろこの模様も見える。
「あ、この前会ったな。私の子蛇だ」
会うのは二回目だったので、ヴィラはそんなには驚かなかった。この少年は子蛇が人になった姿なのだ。
「えーと、そちらは、誰かな？」
もう一人は若い大人の男っぽかった。背はヴィラよりちょっと低い。緑の肩までの髪で、肌のところどころに緑のうろこの模様が見えた。
こちらは瞳は緑色だったが、もう一人の少年に比べて、かなり人間っぽい顔立ちをしていた。しかもなかなか顔立ちは整っていて、
優し気な顔立ちはジュノーにどこか似ている。少年は簡単な服を着ていたが、男の方は素っ裸で、両手で股間を抑えていた。
子蛇が現れたということは、もう一人は──
「……もしかして、へびっちか？」
ヴィラがまさかと思って聞くと、男はうなずいた。
「えー本当にへびっち？ すごい。人間っぽい。ジュノーの顔を元にしたのか。ほんとすごいな」
ヴィラは自分で言ったもののかなりびっくり仰天していた。こうしてみるとまるっきり人のようである。
へびっちはヴィラの服をひっぱっている。
「わかったよ」
ヴィラはシャツを脱いで、へびっちの腰に巻いて股間を隠してやった。
へびっちはうれしそうだ。蛇でも股間をさらすのはいやらしい。
「話せないのか。いやーしかし驚いたな。ジュノーに見せたかったなあ……」
ヴィラはへびっちの顔をじろじろ眺めている。今のジュノーに比べればへびっちの方が若い。
大人になったころのジュノーという感じである。
「ジュノーの顔が好きなんだ？ だから似た顔にしたのかな？」
へびっちは親指を上にたてていた。どうだすごいだろうと言いたげである。
「すごいぞ、へびっち。そのまま外を歩いたら人間の女もひっかかりそうだぞ。いやーほんとすごい」
子蛇の少年がたっと走っていった。
「あ、待って」
白い空間の先に、ぼんやりと人の影が現れた。それは一人の人間の姿になった。
少年は現れたその男に抱き着き、男はびっくりしていた。
「あ、ディラン殿！」
ヴィラは声をあげた。現れたのは緑の長い髪の男、ディランである。
「あ、ヴィラ殿、この子は誰ですか？」
ディランは少年ごと近づいてきた。ディランがこの少年に会うのは初めてなのだ。
「私の子蛇ですよ。人になった姿なんですよ」
「えーそうなんですか？ かわいいなあ」
ディランは少年を抱き上げていた。今日はディランの蛇は出てこなかったようだ。
子蛇の少年はおとなしく抱っこされていた。ディランはヴィラの横にいるへびっちに気づいた。
へびっちはディランにニッと笑って右手を伸ばし、親指を立てていた。このしぐさはいったいどこで覚えたのだろうか。
「そちらはどなたですか？」
ディランは不思議そうに聞いた。
「こちらは……その、へびっちです」
「へびっち？ 変わった名前ですね」
「えーとですね……えー」
一体どこから説明すればいいのやら、一瞬言葉に詰まったヴィラだった。
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