第32話
星が瞬くある夜、マリカは一人、夜の神の神殿の外で祈りをささげていた。すると、そこに長身の神がやってきたのだった。
闇の衣をまとっているが瞳には星のきらめきがある。人々に安らかな眠りをもたらす夜の神オルガである。
オルガがやってくると人々は眠りについてしまうのだが、マリカには耐性があった。
「オルガ様」
「マリカ、蛇は平気か？」
オルガはうれしそうな顔のマリカを見るやいなやそう聞いたのだった。
「蛇、ですか？」
「実は蛇の国で調査を頼みたい。しかし、期間はどれくらいになるかわからんのだ。蛇が苦手なら、あの国はまあ無理だろう」
オルガは低いがよく通る声で言った。
「蛇、大丈夫です」
マリカははっきり答えた。
「本当か？」
「はい」
「そうか。ならお前に頼む」
オルガはざっと調査の内容を説明した。そして、蛇の国の王妃と一人の男が闇の世界から生還したことも話した。
この話はマリカは初耳だったのでとても驚いた。オルガは、闇の者がまだ二人を狙っているのではないか、と思っていた。
だが王妃は城にいて、闇の者達もおいそれと手出しはできないはずである。
相手が一体どういう手を使ってくるのか、オルガもこの時はさっぱりわかっていなかった。
「何もなければよいのだが、国の様子は他の者にも探らせる。お前はとりあえず城で目立たぬようにいてほしい。何かとてつもなく
困ったことがあったら私を呼べ。夜ならば、かけつける」
オルガは黒い水晶玉をマリカに渡した。それは直径３センチほどの小さい物だった。マリカは水晶玉をそっと握りしめた。
「わかりました。どうかお任せください」
マリカは神官長と相談して手筈を整え、蛇の国へとやってきたのだった。
マリカは神官戦士である。神官の中でも戦いにたけている者は国を回り、邪教徒狩りなどもしている。
ハロルドの神官であったリティアと同じである。オルガの神官は、闇に対する耐性が強く、それで、今回の役目に選ばれたのだった。
神官たちはそれぞれの神に愛情を抱いているし、神からじかに任務を与えられることほどうれしいものはなかった。
しかも、神官としては、闇から生還した者は興味をそそられる存在である。
蛇の国での生活はしばらく平和に過ぎて行った。城の中に不審者が多数入っているということもなく、王妃は城からあまり出ないので、
マリカとしては守りやすい存在だった。もしかするとこのまま何もないのではないか？ というほど平和な日々だったが、準備をするに
越したことはなかった。オルガもたまに夜様子を見に来ているようである。また、街で出会った仲間からは、「たまにおかしな連中が
出入りしているようだ。油断しない方がいい」との報告を受けていた。
敵が城の中に入ることはないとは思うが、もしあったことの場合も考えておくべきだ。マリカはお守りを作り、隙を見て王族の子供たちの
ベッドのマットレスの下などに忍ばせておいた。黒い羽がついた守りは「守り鳥」といって、敵が来ると攻撃するお守りだった。
闇の女神ファリーヌがレーヌのベッドに近づいた時、攻撃したのは守り鳥だったのである。
やってきたのが闇の神官だったならば守り鳥は立派に務めを果たしただろうが、闇の神では太刀打ちできず、粉砕されて、黒い羽が
部屋の中を舞ったのだった。
実際、ファリーヌがやってきたときにはマリカも驚愕のあまり震えたほどだった。
なんという不気味な力なのだろうか。身体中の毛がぴりぴりと逆立つほどである。
これは、単なる闇の者ではない。
もっと上の存在である。
何の目的があってここにやってきたのだろうか。闇の者は何かの力を使い、城の者達に魔法のようなものをかけていた。
マリカはなんとかその魔法から抗うことができた。
マリカは城の周りにもいくつか小さい魔法陣を張っていた。それは難なく壊されて、闇の神は城の中へと侵入した。
この相手では自分は太刀打ちできない。
マリカはオルガにもらった水晶の球を握りしめて、心を込めて祈った。すると水晶の球はなくなった。
（祈りは届いたわ。オルガ様がここにいらっしゃる。それまで時間を稼がねば──）
マリカは聖なる短剣を持ち、王妃の部屋へと急いだ。そして、ゆりと共に闘技場へと移動した。
闘技場にはひそかに準備していた大きな魔法陣があった。
これ以上城に闇の者をいさせたくない、という思いもあった。
だが、闘技場にあった大きな魔法陣も突破されてしまった。
（オルガ様がいらっしゃるまで二人を守らねば……）
その思いもむなしく、マリカはファリーヌの力の前に敗れてしまったのだった。
城の中一階の廊下で、メイド頭とメイドが話している所をミカエルが通りかかった。ちょっと困った様子だったのでミカエルは声をかけた。
「何かあったのか？」
「あ、ミカエル様、実は、メイドが一人いないんです」
メイド頭の中年の女性が答えた。
「だれがいないんだ？」
「マリカです。マリカは本人の希望で城の中で寝泊まりしていたんですけど、朝になっても仕事にこなくて、寝坊かと思って部屋にいってみても
いないんですよ」
「私、彼女と同じ部屋なんですけど、昨晩はいましたよ。朝起きたらもういなくて」
若いメイドが言った。
「今まで仕事をさぼることなんてなかったのにどうしたのかしら。誰に聞いても今朝は彼女に会ってないっていうんですよねえ。
上に報告するべきかどうか迷っているんです。数日待ってみたほうがいいでしょうか」
メイド頭はこの際とミカエルに相談していた。
「マリカか……」
マリカといえば、ここに働いた当初はミカエルがどうにも気になった女性である。その後、別におかしなことはなかったので
ミカエルも別になにもしなかった。
「マリカの部屋にいってみてもいいかな？」
「え？ ミカエル様があそこに……？ そんな、だめです！ まだ掃除してないし……」
若いメイドがあたふたしだした。
「マリカの持ち物がみたいんだ」
「急いで片付けるので待ってくださーい！」
メイドは廊下を走りながら叫んでいた。よっぽど見られたくないものでも出していたようである。
「この件は私が預かっておこう。もしマリカがいたら教えてくれ」
「わかりました。よろしくお願いします」
メイド頭は頭を下げた。
少したってから、もういいだろうとミカエルはメイド達の部屋に行ってみた。廊下に先ほどのメイドが立っていた。ぜいぜい肩で息をしている。
大急ぎで部屋を片付けたに違いない。
「ど、どうぞ」
「下着でもだしてたとか？」
ミカエルはつい聞いてみたくなった。メイドの頬は真っ赤になっている。どうやら図星のようである。
ミカエルが部屋に入った。部屋は使用人が泊まるための場所で、使用人の寮は街の中にもある。街から通っている使用人も多いのだが、
希望により城に住むこともできる。部屋の中には右の壁にそって二段ベッドが二つに左の壁側に机が二つ、棚が４つある。
そこにそれぞれの持ち物を入れているようだ。
「ここは４人部屋？」
ミカエルが後ろにいたメイドに聞いた。
「はい。今は私とマリカさんしか使ってないんです。マリカさんのベッドが奥で、持ち物はその棚です。奥の机をよく使ってました。
メイドはミカエルに説明した。
ミカエルはベッドを見た。布団はめくれたままになっている。机の上には、木のつるが丸めておいてあった。ナイフも置いてある。
「彼女、暇さえあればお守りを作ってましたよ。以前お守りを作って売る仕事をしてたらしいです」
メイドがミカエルの視線に気づき説明した。
「お守り？ 何のお守りだ？」
「教会とかでよく売ってるやつですよ。私がほしいっていったら一つくれましたよ。これです」
メイドは自分の机の横に下げてあったのをミカエルに見せた。それは手の平くらいのもので、わっかの中に魔法陣のような模様があった。
いずれも木のつるを編んで作られている。
「複雑な模様だな……教会で売ってるのは、もっと簡単なやつだろ？」
「そうですね。マリカさん、器用ですよね。本当にどこに行っちゃったんでしょう」
「さあなあ」
ミカエルはお守りをメイドに返して部屋を出た。
夕方になってもマリカは帰ってはこなかった。
ミカエルは休憩中のラクシュミの元に行き、「メイドのマリカが朝からいないようですよ」と報告した。
「マリカ？ ああ、いなくなったのか？」
「はい」
「そうか……」
「彼女、本当に虎から来た女性なんですか？」
「いや」
ラクシュミが否定したのでミカエルは目をぱちくりさせていた。
「じゃあどこからきたんです？」
「実は、マリカは聖地の神官の推薦状を持ってたんだ。マリカは聖地の人間で神官になる修行中らしい。
修行がてらいろいろな国で働いているからここでも働かせてほしいといってきた。断る理由はないから働いてもらってたんだ」
「はあ……」
思ってもいない内容で、ミカエルはぽかんとしていた。
「突然いなくなるかもしれないが、その時は修行が終わってどこかに行ったと思ってほしいといわれていた。修行が終わったのかな？」
「それ、本当のことなんですか？ 神官の推薦状を見せてください」
「見せてもらっただけでもらってはいない。だが、本物だったぞ。清々しい感じがした」
「はー……しかし、出て行くにしても、誰かに挨拶くらい言ってもいいと思いますが……布団も乱れたままだったし……」
きちんとした女性ならば、布団くらいは整えて出て行きそうなものである。
「まあいいだろう。何か急用でもできたんじゃないか？」
「そうなんですかねえ……」
ミカエルが首をかしげていると、ノックの音と共にフリットが入ってきた。
「イシュタールがどうにも変なんですけどねえ……」
「まだ変なのか？」
ラクシュミが聞いた。
「王妃を愛しているから今日は離れたくないとかいって、泣きながら王妃のそばにいるんです」
「「…………」」
ラクシュミもミカエルもぽかんとしていた。
「お前がいいそうなセリフだな」
ラクシュミがミカエルを見た。
「私は泣きながら言わないですよ」
「誰も理由はわからないのか？」
ラクシュミが二人を見た。
「おおかた、王妃に振られた夢でも見たんじゃないんですか？」
ミカエルがいうと、「お前じゃあるまいに」とラクシュミは返していた。
半日経ってもイシュタールは平常心には戻れなかった。いろいろなことがありすぎたのだ。無理もない。ゆりがどれほど傷ついたのか、
イシュタールには想像することしかできなかった。イシュタールがどうにも変すぎるので、周りはイシュタールを気にしていた。
イシュタールが一緒にいるのはまずいと思った妖精ゆりは、昼頃から、
「今日はもう帰って寝なさい。私は大丈夫だからね」
とイシュタールから離れようとしていたのだが、イシュタールは離れようとしなかった。
「ですが、王妃が心配ですし……」
「大丈夫よ〜」
「離れたくないんです」
困った妖精ゆりはメイドに『睡眠薬をお茶に入れてイシュタールに飲ませて』、とこっそり頼み、
素直にお茶を飲んだイシュタールはゆりの部屋で爆睡してしまった。
そんなころ、ミカエルが部屋にやってきた。
「なんだ、寝ちゃってるじゃないか」
ミカエルは机に伏して寝ているイシュタールを見てあきれ顔だった。
「イシュタール、とっても疲れてるみたいよ。ベッドにちゃんと寝かせてあげてくれる？」
妖精ゆりは微笑んで頼んだ。
「わかりました」
ミカエルはイシュタールを連れて行った。妖精ゆりはようやく安心してため息をついていた。
「困った人ね。まったく……」
足元に青い蛇がやってきて、鎌首をもたげてゆりを見ていた。蛇だけに表情がとぼしく、何を考えているのか妖精ゆりには
わからなかった。
「ねえ、みんなで食事するっておもしろいわね。肉や魚じゃなかったら食べていいっていわれたの。お酒も飲んでいいのよ。
王様と一緒に飲めるかな？ 楽しみだな」
妖精ゆりは蛇にこっそりと告げていたのだった。
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