第35話

ゆりが癒しの泉に沈んで５日が経っていた。当然妖精ゆりもそのまま城に滞在している。


神の国にて、アリアスとダーナが一緒に雲の上の神殿にやってきていた。

「ビアンナはうまくやってるか？」

アリアスはアシュランの顔を見るなり聞いていた。

「心配しなくてもちゃんとやってるさ。毎晩ウィルから聞いてるんだろう？」

ウィルは毎晩妖精ゆりの元に神の国の水を届けている。神の国の水には妖精の体調を整える効果があるからだ。

その時の話はすぐアリアスに届けられているはずである。それでも気になってしょうがないのだろう。

「それよりも、最近城の上をうろちょろしてるだろ。やめろ」

「つい気になって……」

アリアスはちょっと恥ずかし気だった。

ここのところ太陽の馬車を見る確率が高いということで、蛇の国の人々は朝起きて空を見るのが日課になっているようである。

「末娘はかわいくてしょうがないのよ。ねえ、ビアンナの様子を見せてくれないかしら。ちょっとでいいから」

ダーナがアシュランに頼んだ。

「しょうがないなあ」

アシュランは床に映像を映し出した。

場所は部屋の中である。

妖精ゆりはレーヌを抱っこしていた。もちろん人形のレーヌだ。そしてすごくはしゃいだ様子で横の男と話をしていた。

とっても楽しそうである。

「…………」

アリアスはなんといっていいやらわからぬ表情だった。

「あの男の子、あの子の好みだわ」

ダーナがぽつりと言った。横にいたのはキラキラ輝く薄い青系の、癖がある短い髪の男だった。落ち着いた大人の男という感じの男ではなく、

この先いい男になりそうなかわいらしさが残っている青年だった。男くさくない綺麗な顔立ちをしている。

「かわいい子相手についはしゃいじゃってるのね」

ダーナは怒る気もなさそうだった。ダーナ自身かわいいクーリーフンが好きでしょうがないのだから娘にとやかく言うこともできない。

「まあばれてないからいいか」

アシュランもまあしょうがないな、といった様子である。



妖精ゆりが一緒にいたのはシャナーンだった。妖精ゆりにとっては、ゆりの恋人の中でもシャナーンがダントツで好みだった。

完成された大人の男よりも発展途上にある綺麗な男が好きなのである。

シャナーンと手が触れるたびに『きゃはっ』といった様子である。

シャナーンの方も出産後のゆりを別室に誘うわけもなく、手を握り合って話をするだけでうれしそうだった。

アシュランの魔法がかかっているので、ゆりが多少変なことをいってもシャナーンは不審がることはなかった。

「では王妃、そろそろ行きますね」

「もう行くの？　また近いうちに来られる？」

「はい」

「うれしい♪」

シャナーンはゆりの頬にキスして去って行った。


「シャナーンいい〜〜〜ああ、妖精にして連れて帰りたい！」

シャナーンが出て行ったあと、つい妖精ゆりはでかい声を出していた。

その時、『こら、ビアンナ！』と男の声が聞こえてきて、妖精ゆりはびっくりしたあまりにレーヌを落としてしまい、あわてて拾っていた。

部屋の中をきょろきょろし、そして鏡によく知った顔が映っているのを発見した。

「げっ、お父さん！」

鏡に映っていたのはアリアスだった。

『はしゃぎすぎだ。なにやってるんだ。お前は！』

「もしかして監視してるの？　やだ、もう信じてよ。私はちゃんとやってるわよ」

「どこがだ。今もかなりでれでれしてたぞ。もっと王妃様らしくしないとだめだ」

「ぐっ……」

『ちゃんとしろ』

アリアスは消えた。妖精ゆりは思いっきり頬を膨らませていた。



「まったくあの子は何やってるんだ……」

アリアスは神の国で苦い表情をしていた。

「もっと王妃様らしくしないとばれるだろう」

「いや、本物も王妃様らしくないからいいさ」

アシュランが言った。本物のゆりのことをよくわかっているようである。

「本当の王妃はどれくらいで帰れそう？」

ダーナが聞いた。

「そうだな。もうそろそろ目覚めてもいいかとは思うが、すぐには帰れないだろうなあ」

アシュランが答えた。

「今回は結構早いんだな」

「マリカは長くかかりそうだがな。前回は火傷がひどかったから長くかかった。今回はそういう外傷はないからな」

「そうか。よかったな」

「早く赤ちゃんと一緒に帰れればいいわね」

二人はゆりに深く同情しているようである。


そのころ、癒しの泉をのぞきこんでいる神がいた。人間姿のライオネルである。

ライオネルは前回は見逃してしまったので、今度こそ女性の姿をみようとやってきたのだった。

「思っていたのと違うな。ごつい俺好みの女かと思ったが……」

ライオネルは体力があって強い王妃を想像していたようである。こんなか弱そうな女性が恋人奪還に闇の世界に行ったとは

思えなかった。

「意外に強かったりして……あ……」

黒髪の女性がゆっくりと上に上がってくるのが見えた。やがて女性の上半身が起きて、あたりをきょろきょろと見まわしたのだった。

「レーヌ……いやー！　レーヌ！レーヌ！」

女性は突然半狂乱になり、泣き叫んでいた。

「おい、大丈夫だ。落ち着け」

ライオネルは泉のふちであわてて声をかけた。

「赤ん坊は無事だ。元気だ！」

その声に女性は顔を向けた。涙で顔はぐちゃぐちゃだった。

「ライオネル様、本当ですかあ？」

「本当だ」

「レーヌ、レーヌにあわせてください！」

「すぐ会えるさ。とりあえず落ち着け。もう大丈夫だからな」

黒髪の女性、ゆりは横で沈んでいるマリカに気づいた。

「ああ、か、彼女は、彼女は大丈夫？」

「大丈夫だ。絶対よくなる。安心しな」

「うう……あー……」

死ぬほど怖かったに違いないゆりはわんわん泣き出してしまい、困ったライオネルは「こっちこい」といってゆりを招き寄せて

頭をなでなでした。泣いている子供を慰めているようなしぐさである。

「怖かったな。ここは神の国だからな。もう何も悪いことはおこらねえから」

「レーヌは本当に助かったんですか？　ライオネル様」

ゆりは泣きながらライオネルを見あげていた。

「ああ、本当さ。あとで連れてくるからさ」

ライオネルはゆりを慰めながら、（なんで俺がライオネルだって知ってるんだろう？）と不思議だった。獣姿ならばわかるが、今は

人間の姿をしていたからだ。

「どうやって助かったんですか？」

「オルガが助けたんだ。兄貴、ハロルドも助けに行って、二人で連れてきたんだ」

「本当ですか？　本当に……」

「本当だ。神が嘘を言うわけないだろう」

ゆりは安心したのか泉の中にへたり込んでしまった。

（報告に行きたい。誰かこねえかな……）

とライオネルが思っていると、空をグレンが飛んでくるのが見えた。

「おーい、グレン！」

ライオネルは大声でグレンを呼び寄せた。

「あ、彼女気づいたんですね」

グレンはゆりに気づいた。

「俺が報告に行くから、お前慰めてろ」

ライオネルはグレンをそばに引き寄せて、小声で言った。

「え？　私が報告に行きますよ」

ライオネルはグレンの腕をがっしりつかんでいかせなかった。

「俺が行くっていってるだろう。苦手なんだよ。こういうの」

「えー……」

「よろしく」

ライオネルは走って行ってしまい、グレンは仕方なくその場に残った。

ゆりは泉に沈んでいるマリカを見て泣いていた。

グレンはあまりこういう時に気が利くほうではない。どう言葉をかけていいやらわからない様子で立っていた。

するとゆりが顔を向けた。

「レーヌは元気ですか？」

「元気ですよ。アシュラン様に誓って元気です」

グレンは安心させるように言った。

「よかった。レーヌに何かあったら王様に申し訳なくて……本当によかった」

「我々も、あなたが助かって本当にうれしいです」

グレンはできるだけ優しくいって、がんばって微笑んでいた。


ライオネルは雲の上の神殿に行き、アシュランにゆりが起きたことを報告していた。

「すぐに赤ん坊を会わせてやってくれ」

「すぐはだめだ」

「なんでだよ」

ライオネルは拍子抜けした。てっきりすぐに感動の再会が見られると思っていた。

「こっちにも都合がある。うーんちょっと時間が必要だ。しばらく誰かに慰めさせよう。ガーベラ……はまだ刺激が強いかもしれんな。

クーリーフンにいかせよう」

クーリーフンはようやく大きくなれたところだった。


グレンと入れ替わりに青年版クーリーフンが泉にやってきた。クーリーフンの顔を見て安心したゆりだったが、

やはり「レーヌにすぐに会いたい」と言ってきた。ゆりの心情からすれば仕方のないことである。

クーリーフンは「アシュラン様に頼んでくるね」と言ってゆりの元を去り、雲の上の神殿に行ってアシュランに頼んだ。

「早く赤ちゃんを会わせてあげてください」

「もうちょっと時間を稼いでくれ。まだだめなんだ」

「どうしてですか？」

事情を知らないクーリーフンは不思議そうだった。

「グレン、ジンラを呼んで来い」

アシュランは横にいたグレンに命じた。

「はい」

グレンは部屋を出て行った。

「あの、赤ちゃんを彼女にあわせられない理由があるんですか？」

クーリーフンはまじめな顔で聞いた。おかしいと感じない方がどうかしている。

「別にない。時間が来ればあわせる。そうだ。ガーベラは元気になったか？」

「はい。かなり」

「いまはガーベラの顔は刺激が強いかもしれん。落ち着くまで泉に行くなと言っておけ」

「ではやはり現れた向こうの神というのは、母さんに似てるとかいう……」

クーリーフンもガーベラも、人間界に現れたのがだれなのかは知らなかった。オルガもハロルドも内緒にしていたのである。

「全然似てやしないだろう」

アシュランははっきりと言い切った。


癒しの泉に、ちょっと戸惑った顔のジンラがクーリーフンと一緒にやってきた。

ゆりはジンラの顔を見てはっと目を見開き、またぼろぼろと泣きだしてしまった。

「王様……王様！」

「ゆり、かわいそうにそんなに泣いて……」

ジンラは泉のふちで、駆け寄ってきたゆりをしっかりと抱きとめた。ゆりの目にはジンラはすっかりラクシュミに見えていた。

アシュランがそう細工したのである。

「王様、レーヌを危険な目に遭わせてごめんなさい」

「なにを言う。君のせいじゃないだろう」

「でも、レーヌになかなか会えないの。どうして連れてきてくれないの？　クーリーフン」

「それは……」

ジンラの後ろにいたクーリーフンが説明に困ったとき、ジンラは

「私はさっき見たぞ。とっても元気だったぞ」

といった。

「え？　本当？　どこで見たの」

ゆりの目が輝いた。

「レーヌは雲の上の神殿にいたぞ。レーヌも『ママに会いたい』って言ってたぞ」

「え？」

クーリーフンはあわててジンラの背中をこづいていた。

「赤ちゃんはしゃべらないよ。そういう気がしたんでしょ？」

「ああ、そういう気がしたんだ」

ジンラはあわてて言った。

「？？？」

ゆりがちょっと怪しんだ時、ジンラは「君が無事でよかった」と言ってゆりをぎゅっと抱きしめてごまかした。

「ところで王様はどうしてここにいるの？」

「大変なことがあったって聞いて……ゆり、これを見てくれ」

「何？」

ジンラはゆりの目の前に小瓶を見せた。小瓶に入っていた黒いものはゆりの口の中にさっと吸い込まれた。

ゆりはがくんと力をなくした。眠ってしまったのだ。

「すまない……」

ジンラは泉にゆりの体を横たわらせた。ゆりの体は泉の底にゆっくりと沈んでいった。


「ジンラってば、生まれてすぐの赤ちゃんがしゃべるわけないでしょ」

クーリーフンが非難の目を向けていた。

「私はその赤ちゃんを見てなかったんだからしょうがない。いきなり代役をやれと言われても無理だ」

「彼女に対して君ってのもおかしいし」

「予備知識が全くないんだぞ。魔法をかけるなら別に私じゃなくてもよかったと思うが……」

ジンラもちょっとまずかったな、という顔つきだった。

「背格好が似てるからね。僕じゃ背が足りない」

「ところで、赤ちゃんは本当に元気なのか？」

ジンラはそこが気になっていた。

「元気だって聞いたけど、どうしてあわせてあげちゃいけないんだろう？」

「さあな。まあアシュランが考えることだからそれに従うしかないが……」

「僕、赤ちゃんを見てくる」

心配になったクーリーフンは空を飛んで行った。

レーヌは雲の上の神殿にちゃんといた。両手を握りしめてくーくー寝息をたてている。

おかしいところはなかったので、クーリーフンはほっとした。


神の国に日が沈むころ、ようやく人間界の蛇の国が真夜中になった。

二つの世界では時間の流れが違うのである。

「今から王妃に赤ちゃんをあわせる。人間界での始末を頼む」

アシュランはハロルドを呼び寄せてひそかに命じた。

「始末？」

「不自然にならないようにしてくれ」

「結局のろいを変わりに受けた人間はだれだ」

「行けばわかる」

「なぜ教えない？」

「お前もよく知ってる者さ」

「？？？？」

ハロルドはよくわからないまま人間界に降りて行った。


癒しの泉に、眠っているレーヌを抱いたヒルデリアが現れた。

起こされたゆりはレーヌを見て、ぼろぼろ涙を流した。

「レーヌ、レーヌ！」

ゆりはレーヌを腕に抱きしめた。その温かさに、ようやくレーヌが生きていることを実感したのだった。


人間界は真夜中である。星も月も出ている晩だった。

一体誰がゆりの代わりになったのか。ハロルドの心も晴れない。あれからずっと棘が心に刺さっているような気分である。

ハロルドは姿を消して、どきどきしながら城に向かった。

まず王の寝室をのぞいてみたが、王はぐっすり寝ていた。

続いて子供たち。

（私がよく知っている人間？　まさか私が以前加護を与えた子供じゃないだろうな……）

ハロルドは子供たちの寝室をめぐりロイの元にも行ってみたが、ロイはいびきをかいてベッドで寝ていた。

違う部屋で一人机に付している子供がいた。

（もしや！）

ハロルドは子供の様子をうかがってみたが、ただ寝ているだけだった。ラギである。本を読んでいる最中に寝てしまったよう

な恰好だった。

子供たちは全員無事である。城の中の他の人間がいる部屋をのぞいてみたが、不審な死を遂げた者はいなかった。

（となるとやはり男か？　しかし私がよく知る男とは……イシュタールのことか？　まさかな）

（ファリーヌがかけた術の内容が違うのでは？）と思ったハロルドだったが、そこであっとひらめいた。

「私がよく知る者。もしや……」

ハロルドが向かったのは国の大きな博物館だった。

「やはり……」

博物館の一階に飾られていた王妃の石像の顔はぼろぼろに崩れていた。

ゆりが受けたのろいの肩代わりをしたのは、ゆりそっくりの石像だったのである。

「…………」

この石像は、ハロルド自身が作らせたものでもあった。ハロルドは石像の無残な顔を見て悲しい気分になった。

ハロルドは石像の頬に手をあてた。石像は音も立てずにさらさらと崩れ、砂のようになり、崩れて行った。

大量の砂と紫色のドレス、そして黄金の腕輪、石像が手に持っていた小鳥が後に残っていた。

黄金の腕輪はハロルドが魔法をかけていたので、腕から抜けたとたんに石になってしまった。

無事だったのは小鳥だけだった。

「確かに、昼間にこんなことがあれば騒ぎになっただろうが……さて、どうするか」

この石像は王妃の石像である。国の人たちは大切にしていたもののはずだ。いきなりなくなれば、ひと騒動起きそうである。

「うーん」

悩んだハロルドは石像の台座を綺麗にして、ある仕掛けをして去って行った。



あくる朝、博物館の館長が館内にやってきて、すぐいつもと景色が違うことに気づいた。毎日朝の挨拶をしている王妃の石像がないのである。

台座だけになっているではないか。

「ああ。王妃様！　一体何があったんだ！　どうして！」

館長があわてて台座にかけよった。台座の上にあるのは一枚のカードだけだった。

高級な紙でできたカードで、下の方には綺麗な花の模様が描かれていた。

カードにはすらすらと文字が書いてある。館長はあわててその文字を読んだ。

『少し旅に出ます。そのうちに帰ってくるので待っていてくださいね』

カードにはそう書かれていたのだった。


つづく

９部に戻る

目次に戻る