第36話


癒しの泉にいたゆりはレーヌと再会することができた。その時はゆりはレーヌに会えた喜びで頭がいっぱいで他のことを考える余裕はまったくなかった。

その後再び癒しの泉の中にもぐり、目覚めたとき、ゆりは様々なことをようやく冷静に考えることができた。

ゆりはまさか自分の身代わりが人間界にいるとは思ってもいない。ラクシュミは自分たちが突然消えてどう思っているのだろうと気になった。


クーリーフンが説明しにいってくれたのかな？　王様心配してるだろうなあ……

助けてくれた神様にお礼もいってないし、次に誰か来たらいわなきゃ

レーヌの世話もしてくれてるようだし……誰が世話してるんだろう……まさかヒルデリア様がおしめを変えてたりして、そんなわけないか……


ぼんやりしているといろいろなことが頭の中をめぐっていた。

今回は、レーヌがさらわれる時までの記憶があった。あの恐ろしく美しい女は一体どうなったのだろうか。


そういえば、なんか言ってたような……そうだ、『お前にのろいをかけてやる』とかなんとか言ってた

あれはどうなったんだろう？　

気絶して……あの後何かあったような気がする

暗い、真っ暗闇の中にゆっくりと落ちて行ったような……


暗い闇に沈んでいきながら、心が絶望に覆われて行った。

『もうだめだ……もう、城にも戻れない……』

とすべてあきらめてしまった時、誰かの声が聞こえた。

『ばかっ！　戻ってこい、ガーベラ！　いつでもお前らしくいろ！』

罵倒するような声だった。


いつでもお前らしく……そうだ。こんなのは私らしくない。絶対レーヌを取り返さなきゃ！


そう思った時、体は浮いて行った。

最後に腕をぐいっと引っ張られて、その後の記憶はなかった。助けてくれた相手は考えなくてもわかる。

あんなことをいうのは一人しかいない。


ハロルドが戻してくれたんだ……ありがとう。ハロルド……


泉で浮いていると、クーリーフンが飛んでくるのが見えた。

「泣いてるの？」

クーリーフンはゆりの顔を近くで見て聞いた。

「悲しくて泣いてるんじゃないの。みんなに助けてもらって、私は運がいいなって……オルガとかハロルドとか、もちろんアシュラン様にも

お礼をいわなきゃ」

涙を流していると、クーリーフンが頭をなでてくれた。

「それにしてもまたここにくるなんて……」

「二回来たのはあなたが初めてだってさ」

「そうなんだ。今回は、一人じゃないから寂しくないな。彼女、早くよくなればいいな」

マリカはいまだ目覚めないままだった。目覚めたらお礼を言いたいし、いろいろなことを聞きたい。

「レーヌは誰が世話をしてくれてるの？」

「さっきはカサンドラの神殿にいたよ。サントスとネルがおしめをかえてたよ」

「え？　そうなの？」

ゆりには意外なことだった。

「カサンドラはおしめの付け方が下手だって、サントスがぼやいてたよ」

「えー……」

ゆりはついその場を想像していた。

「とにかく元気だよ。人間界のことは心配しなくていいよ。今はちゃんと休んで」

「ありがとう」

クーリーフンは飛んで行った。

「みんなありがとう」

ゆりは心の中で何度もお礼を言ったのだった。



さて人間界では、石像のゆりが消えてしまい、その日、博物館は休館になってしまった。

博物館の館長も、この件をどうするか頭を悩ますところである。

そして城にも、このことは届いていた。

「はー……」

ずっと長い溜息を吐いているのはミカエルである。

「ああ王妃、一体どこに行ったんでしょう。馬車にも乗ってないんですよ？　歩いて行ったんでしょうか」

ミカエルは大真面目に、ゆりの石像が一人でどこかに行ったと思っているようだ。

ラクシュミは石像の台座に置いてあったカードをしばらく眺めていた。

「これはゆりの字じゃないぞ？　綺麗すぎる」

カードの文字はお手本のように綺麗な文字だった。ゆりの文字はそんなに綺麗ではないのだ。

「王妃の石像が書いたんですよ」

「石像がー？　まさか」

「まさかがあるのが王妃の石像なんです！　どこかに行くなら誘ってくれればよかったのに」

ミカエルは一人ぶつぶつ言っている。

「暇だったから外に出たくなったのかな？」

ラクシュミが「ばからしい」とつぶやいていると、王の間にシャナーンが入ってきた。

シャナーンは朝っぱらから神妙な面持ちである。

「おはようございます。王、お願いがあるんですが……」

「だめだ」

ラクシュミは最後まで聞かずに言った。

「え？　まだ言ってませんが」

「石像を探しに行きたいとかいうんだろ？　だめだ」

「どうしてわかったんですか？」

シャナーンは驚いていた。

「わかるだろ。お前たちほんと似てきたな……」

ラクシュミは横にいたミカエルをじろりとみた。ミカエルは苦い表情である。同じことを先ほどミカエルも言ったのだった。

「ですが王、王妃が山賊にでも狙われたらどうしますか」

シャナーンは大真面目に訴えていた。

「山の中にいないと思うぞ」

「わかりませんよ。美しい石像ですし、誰だって自分の部屋に置いておきたいと思いますよ。誰かに連れていかれないか心配ですよ」

「金の腕輪してますしね」

とミカエル。

「自分で出て行ったんなら自分で帰ってくるだろ。というか、これはそういうことじゃないと思うが……」

ラクシュミは再びカードを眺めていた。石像はなんらかの意思でこうされた、ということじゃないかとラクシュミは考えていた。

理由はさっぱりわからないが、神がからんでいるような気がする。

「ああ、私は毎晩石像の王妃の元にいっていたのに、昨晩はどうしてか、行かなかったんです。朝行ってみたらいなくなっていて……

昨晩行っていれば、、王妃の悩みも聞けたかもしれないのに！」

シャナーンは嘆いていた。

「石像だから悩みなんてないだろ。とにかく、このことはゆりにはしばらく内緒にしておこう。案外すぐ帰ってくるかもしれないしな。

お前たち、そんな顔をゆりに見せるんじゃないぞ」

ラクシュミは二人に念を押したのだった。


部屋にいた妖精ゆりは、「ねえ、今日はシャナーンはくるかしら？」などと侍女に聞いていた。

「確かめてまいりますね」

「お願いねー来てくれるといいなー」

妖精ゆりはうきうきしている。一方、部屋にいて椅子に座っているイシュタールは暗い表情だった。

ゆりはいつになったら帰ってくるのか、イシュタールは毎日気が気じゃないのである。ちなみにイシュタールはまだ石像のことは知らない。

「王妃……」

「呼んだ？」

妖精ゆりが顔を向けた。

「いえ……」

侍女が戻ってきて、シャナーンは今日は来られないということを聞き、妖精ゆりは部屋で頬を膨らませていた。

「なーんだ。残念」

侍女と入れ違いにジュノーがやってきた。

「おはようございます。王妃」

「おはよう」

妖精ゆりはにっこり微笑んで、ジュノーの後ろにいた男に目を止めた。ジュノーとちょっと似た男がいるが、名前がでてこない。

「おや、イシュタール殿もいたんですか」

ジュノーはイシュタールに話しかけていた。ジュノーも石像のことはまだ知らなかったので明るい表情である。

「ああ、邪魔ならいくが？」

「別にいいですよ。へびっち、ほら、王妃に挨拶して」

ジュノーが促すと、へびっちはぺこりと頭を下げていた。ジュノーの後ろにいたのはへびっちだった。


へびっち？　それは名前？　どうして名前がわからないのかしら？


妖精ゆりは不思議そうである。

ジュノーは部屋にある移動式ベビーベッドをのぞいた。

「レーヌ様、今日もかわいいですね。あ、笑ってる」

ジュノーにはレーヌが笑ってるようにみえるようだ。

「へびっち、お前はまだ見てないだろう。見てみろ。かわいいぞー」

ジュノーがへびっちを呼び、へびっちもベビーベッドの中を眺めた。

へびっちは首をかしげてジュノーを見た。

「かわいいだろ？」

へびっちは人形の顔に手をあてようとして、ジュノーがあわてて防いでいた。

「なにするんだ。だめだよ。触ったら」

へびっちは触りたそうにしている。

「だめだめ」

ジュノーはベビーベッドからへびっちを離していた。

「赤ちゃんは見るだけだよ」

へびっちはベビーベッドを指さしている。

「触ったらだめだ」

そのやり取りを見ていたイシュタールは、（ひょっとして……へびっちには魔法がかかってないのかも？）と思っていた。

妖精ゆりの場合は外見がゆりになっているが、レーヌは人形で、周りの人間に赤ん坊に見えるようにとの魔法がかかっている。

へびっちは蛇なので、その対象にはなっていないのかもしれない。

「へびっち、最近ジュノーのところで何してるんだ？」

イシュタールはあわてて立ち上がり、へびっちの元に行ってなれなれしげに肩に手を乗せていた。

「さっぱり帰ってこないじゃないか。ジュノーのところで何か面白いことでもあるのか？」

「最近はクリスが文字を教えてるんですよ」

ジュノーが変わりに答えた。

「文字？　それはすごい！」

（やばい）と思ったイシュタールは、「へびっち、寂しいから帰ってきてくれないか？　頼む。たまには私の肌にいてくれ」とへびっちに頼んでいた。

「そうだよ。たまには帰りなよ」

ジュノーは怪しまずに言っている。へびっちがベビーベッドを見ようとすると、イシュタールが立ちふさがって制していた。

妖精ゆりはそのやりとりはさっぱりわからず、なぜ男の名前がさっぱり頭に浮かばないのか、不思議でたまらなかった。

ちなみに妖精ゆりは子供たちに誘われてハザークにも一度会いに行ったが、その時は『ハザ』と浮かんでいる。

侍女の名前は一文字くらいしか浮かばなかったが、あまり話さず笑っていたので、ハザークも疑うことはなかった。


「ところで王妃、どうしてあの鏡、逆においてるんですか？」

ジュノーが部屋の中の姿見鏡を指した。

「ちょっとね。えへ」

壁にかかっている鏡は外されて、姿見鏡は逆を向いていた。またアリアスが顔を出したらやだな、と思った妖精ゆりは、鏡を見えないように

したのだった。


再び神の国である。

オルガの神殿に、ラーズがやってきていた。部屋の中は薄暗いが、神の国はまだ昼間である。オルガは眠そうだった。ラーズに起こされたのである。

「悪い。私は夜は弱くてね、寝転んだままでいいよ」

ラーズはベッドのそばに立っていた。

「それで、どうしたんだ？」

オルガは横向きになってあくびをした。

「聞きたいことがあるんだ。人間界に現れたあっちの女、そんなにガーベラに似てるのか？」

「ん？」

枕に肘をついていたオルガが顔を向けた。あっちの女とはファリーヌのことである。

「ガーベラが気にしてるんだ。私はあっちの事は疎いからさ」

ラーズは神の国が落ち着いてから生まれた神である。闇の神々と会ったことはなかった。

「ばかな。全然似てなんかいない。顔の造形は似てるかもしれんが、中身はまったく違うんだからな」

「顔は似てるのか」

「ガーベラが気にすることじゃないだろ」

「ガーベラは泉にいる女性とかなり親しいようだ。今は彼女を刺激しないために、泉に行かないようにと言われてしょげてた」

「ふーん。そうか。落ち着けば彼女も大丈夫だろう。なんといっても全くの別人だからな」

オルガはラーズの言葉にはあまり反応しなかった。ガーベラがどの人間と親しくしていようが、大したことではないと思っているのだろう。

現に、オルガ自身もレーヌが生まれるまで親しくしていたようなものである。

「そうか。ありがとう。寝てくれ」

ラーズは礼を言って去って行った。


オルガはそのまま目を開けていた。

「一緒に生まれたわけでもなし、ガーベラが気にすることはないのに……」

性格の差は顔に出る。オルガには、ガーベラとファリーヌが似ているとはとうてい思えなかった。

ガーベラの魅力は、顔だけではないのだ。


オルガは自分と似た顔を持っている神のことをふと思った。

星の息子たちが、もし闇の神を見たらどう感じるか、オルガに似ていると思うのか、それとも似ていないと思うのか。


「闇の神から分裂したのが私だと知ったら、ラーズはなんというだろうなあ・・・・・性格は全く似てないし、やはり別人、いや、別神だな」

オルガはそうつぶやいて、再び眠ったのだった。



つづく

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