第37話

ゆりが癒しの泉にやってきて、神の国では８日が経っていた。

マリカはいまだ泉の底にいる。マリカは自分よりもひどい傷を負ったのだと、ゆりは実感していた。

ゆりの４度目の目覚めは朝だった。あたりは霧がかかっていて真っ白だった。ゆりは泉の底に足をついて立ち上がっていた。

水は深いところで肩くらいまでの深さである。

「今回はいつまでここにいるんだろうなあ。普通に立てるから、もうそろそろなのかな？　マリカが元気になるまではいられないのかなあ」

ぼんやり言っていると、金髪の子供がぬっと視界に現れた。

「あーガーベラおきた！」

側に飛んできたのはサーラである。急にサーラが現れて、ゆりは軽くのけぞっていた。

「ねーガーベラ、なんでまたきたの？」

サーラは無邪気そのものの瞳で聞いてきた。

「さーなんでだろうねえ」

ゆりは頬をかいた。周りをみてもラーズの姿は見えないので、（まあいいか）とゆりは開き直った。

サーラはゆりの目の前をふわふわ飛んで、泉に沈むマリカを見たりもしている。

「ここに一人できたの？」

「ラーズいるよ」

「ラーズ？　やっぱりいるの？」

ゆりはもう一度周りを探したが、ラーズは近くに見えなかった。あたりはまだ霧がかかっている。

「あのね、サーラちゃん、私の名前は『ゆり』っていうの。だからゆりって呼んでくれるとうれしいな」

ゆりはちょっと言ってみた。

「なんで？」

「それが私の名前……」

ゆりは、そこではっと、（ガーベラに入っている時、ゆりって言われたらもっとやばい！）ということに気づいた。

「あ、やっぱりガーベラでいいわ」

「ガーベラ」

サーラがすぐそばに飛んできたので、ゆりは両手を出してサーラのわきをくすぐった。

「きゃきゃっ！」

サーラはよろこんでいる。

サーラを見ていると、ゆりは自分の子供たちにむしょうに会いたくなった。みんな自分がいなくてどうしているだろうか。

自分のことを心配してないだろうかと気になってくる。

「だっこさせて」

ゆりはサーラを腕にだっこした。

「元気になったわ。ありがとう」

力を緩めるとサーラはぱたぱた飛んで行った。

「じゃあねー」

あたりはまだ白かったので、ゆりは離れたところにラーズがいることに全く気が付かなかった。



ラーズはゆりとサーラの様子を離れたところでみていたのだった。随分離れていたので、二人の話までは聞こえてはいなかった。

仲良さげだなということが見えた程度である。

サーラはラーズのところに飛んできた。

「ガーベラおきてた」

「そうか。ちょっと酒でももらいに行こうかな。サーラもくるか？」

「あっちのガーベラにあう」

「そっか」

サーラはガーベラの神殿を目指して飛んで行った。

「あっちのガーベラ、こっちのガーベラ……うーん、わからん」

ラーズはゆりのことを怪しんではいたが、ゆりがガーベラに時々なっていることまではまだわからなかった。



ラーズが空を飛んでいると、途中から霧が晴れた。

上から眺めると、ジンラは神殿の周りにも近くの農園にもいない。神殿の中に入ると、ジンラは部屋の中で突っ立って腕を組んでいた。

「ジンラ、酒がほしいんだけど、なんかおすすめはある？」

ラーズはジンラに声をかけた。

「んー、ん？　ああ、ラーズか。これをもってくか？　白いぶどうから作ったお酒。一番新しい」

ジンラはテーブルの上に置かれていた瓶を指した。

「そっか。じゃあもらってくわ。ところで突っ立って何してたんだ？」

「私が癒しの泉の女性に会いに行った話は聞いたか？」

「ああ、クーリーフンに聞いた。赤ちゃんがしゃべったと言っちゃったらしいな」

ラーズが笑いながら言うと、ジンラは苦い表情をしていた。

「実は彼女をだました気がしてどうにも気分が悪い。いっそのこと謝ろうかと思ってる」

「……別にそこまでしなくていいと思うが、気がすむならそうしたらいいんじゃないか？」

「そうだな。彼女が完全に元気になってからの方がいいかな？」

ジンラはぶつぶつ言っていた。人間をだまして気が咎めるとは、真面目なジンラらしい悩みである。

「ところでジンラ、泉にいる女性、ガーベラに似てると思うか？　クーリーフンやサーラは二人の性格とかが似てるっていうんだが」

ラーズはジンラに聞いてみた。

「どっちが？」

ジンラはきょとんとして聞いた。

「さっき話してた黒髪の女性だよ」

「ああ、そうなのか？　私はそれほど彼女のことを知らないから、わからない」

ジンラはまともに答えていた。

「そうか。そうだよな。じゃあ、ありがとう」

ラーズは礼を言って酒の瓶を一本もらい、神殿を出て行った。

（ジンラってほんと真面目な性格してるな）

飛んでいこうとすると、酒蔵の横にアマンザの姿が見えた。さらに横にジェイクがいて何かを話している。

「なあ、また一緒に癒しの泉にいこうよ」

というジェイクの声が聞こえてきたので、ラーズは気になって建物の影にかくれた。

「なんで？」

とアマンザが聞いている。

「だってなんか気になるし。お母さんに本当に似てるのか、もう一度確かめたい」

「いいよ。確かめなくても」

「えーだって、前回僕はわからなかったからさー」

「じゃあ一人で行ったら？」

「やだよ。彼女が起きてたら何を話していいかわからないし。だから一緒にいこうよ」

「気が進まないなあ……」

アマンザは乗り気ではないようだ。

そこでラーズは二人に近づいた。こっちを向いていたアマンザがラーズに気づき、そしてジェイクが振り返った。

「わ、ラーズ様、そ、それじゃアマンザまた」

ジェイクはまずいと思ったのか、素早く逃げて行った。

「私がハロルドに言うと思ったのかな？　なあ、さっき二人で話していたろう。泉の女性がガーベラに似てるとかなんとか」

「ええ、話してましたよ」

アマンザは戸惑う様子もなく普通に返していた。

「アマンザやジェイクもそう思うんだ？　クーリーフンやサーラも似てるっていうんだよ」

サーラは似てるとは言ってなかったが、ラーズはそう言ってみた。

「子供には何か感じることがあるのかな？　クーリーフンは見かけが子供なだけだが」

「さあ、どうでしょうか。僕はそう思っただけですけど。それがどうかしましたか？」

アマンザはたいしたことでもないかのように聞いている。

「いや、別に、サーラが彼女のことをかなり好きみたいで、私もちょっと気になったんだ」

「そうですか」

「アマンザも彼女のことが気になるのか？」

「え、僕は別に……前回ちょっと話して似てるなって思っただけですよ」

「ちょっと話しただけで思ったんだ？」

「ええ」

「へー、そんなに似てるかな……」

ラーズは首をかしげていた。

「ところで、お母さんは元気になりましたか？」

今度はアマンザが逆に聞いた。

「ああ、かなり元に戻ってるよ」

「そうですか。よかった」

「それじゃ」

これ以上は何もわかりそうになかったので、ラーズはアマンザと離れて飛んで行った。


うーん、わからん。一番わからんのは、『彼女がガーベラになってる』、ってとこだ

なってるってなんだ？

誰かずばり答えを教えてくれー！！


ラーズは無意識のうちにガーベラの神殿の方向に飛んでいた。ガーベラは神殿の外でサーラといた。

地上に降りると、ガーベラが笑顔を向けた。かなり体調は戻っているようだ。神気も回復している。

「ガーベラ、あーえーと、酒をもらってきた。一緒に飲まないか？」

ラーズはもっていた酒を見せた。

「ラーズったら、まだ朝よ？」

「そうだけど、少しだけ、な」

「ふふ。サーラもくる？」

「いかない」

サーラは飛んで行った。ラーズとガーベラは神殿の中に入って行った。

ガーベラが泉の女性に会えなくてしょんぼりしていたのをラーズは知っていただけに、泉の女性については何も聞けなかった。


そのころゆりはずっと目覚めていたのだが、泉の近くでは、ゆりを気遣った妖精たちによる演奏会が延々と続けられていた。

観客が自分だけというのはなんとも贅沢だが、もういいとも言えない。

心の中では（いろいろ聞きたいことがあるんだけどなあ……ガーベラはどうしてこないのかな？　ハロルドもこないしー……

クーリーフンはまたこないかなあ）

などと思いながらも、時々拍手していたのだった。



さて人間界では、当然妖精ゆりもまだゆり役をがんばっている。他人になるとは大変なことだと妖精ゆりは感じていたが、もう一生人間として暮らす

ことはないかもしれないと思い、がんばっていた。今のところ、城の者達がゆりを怪しむことはなかった。

ゆりは出産後なので、男たちもせいぜいゆりの頬にキスするくらいだった。ラクシュミにいたっては、自らゆりの手を握ることもないので、妖精ゆりの

方からがしっと手を握ってみたりしていた。王妃様の複雑な男関係に妖精ゆりは心の中では結構戸惑っている。

皆平等に好きという感覚が、まず理解できない。大人の男よりも、一緒に遊べる若い男が好みなだけに、やはり好みのシャナーンをひいきしたくなってしまう

のだ。シャナーンとだけ毎日遊びたいくらいだが、それは我慢である。



今日はミルキダスがゆりの部屋にいた。ゆりの石像がいなくなったという話を聞き、男たちはちょくちょくゆりの様子を見に来たりしていた。

だがゆりにはまだそのことは知らされず、子供たちにはばれたら話そうということになっている。

ミルキダスはレーヌを眺めたりしていたが、時々ちらちらとゆりを見ていた。

妖精ゆりは微笑んでミルキダスを見ている。

「どうかした？」

「いえ……」

ミルキダスは何か言いたげな顔つきである。

「何か顔についてる？」

「いえいえ」

ミルキダスは困った様子で手を横に振っていた。

ミルキダスは蛇の目のゆりに会いたかったのだ。ゆりとはもう長い付き合いである。子供たちが言うように呼びかければ変わってくれるのではないか、と

ミルキダスは思ったが、それが空振りに終わると悲しいので、なかなか言い出せなかったのだった。

蛇の目のゆりは子供たちの前には時々現れている。といっても子供たちが勝手に変わっていると思っているだけで、実際ゆりはまったく変わっていなかった。

だから、子供たちもゆりのことをまったく怪しんでいなかった。

「それじゃそろそろ行きますね」

「そう？　またね」

ミルキダスはあきらめて部屋を出て行った。

「あの人何が言いたかったのかしら。なんか疲れちゃった。疲れたら寝てればいいっていわれたし、お昼寝でもしましょう」

妖精ゆりは赤ん坊のベビーベッドを寝室に移動させて、そのまま寝てしまった。



一方癒しの泉では、ようやく妖精たちの演奏会がおわり、こちらのゆりももう寝てしまおうかと思っていた。体を横にしたとき、空にクーリーフンの

姿が見えて、ゆりはあわてて起きようとしてずっこけそうになっていた。

「大丈夫？」

クーリーフンがあっぷあっぷしているゆりに聞いた。

「だ、大丈夫。待ってたのよ」

「そうなの？　元気そうだね。もう少しってところかな？」

クーリーフンは泉のふちに降りてきたのでゆりはそちらに移動した。

「ねえ、どうしてガーベラは来ないの？　ハロルドもこないし」

「ハロルドは知らないけど、お母さんはあなたに遠慮してこないだけだよ。あなたに嫌われてるんじゃないかって思ってる」

「どうして？」

「あなたを傷つけた相手のこと、覚えてるでしょ？　だから」

「ああ、あの女のこといってるの？　最初見たときは似てるって思ったけど、性格は正反対だし、ガーベラの方が１００万倍綺麗だし……

やっぱり全然似てないよ。ガーベラに会いたいな」

それは本心だった。

「そう、じゃあ連れてくるよ」

クーリーフンは飛んで行った。


ゆりが起きて待っていると、しばらくしてクーリーフンが光り輝く女神を抱っこしてやってきた。

ガーベラの顔を見ると、ゆりの涙腺が一気にゆるんだ。

「ガーベラ……」

「助けてあげられなくてごめんなさい」

ガーベラは申し訳なさそうに言っていた。

「ううん。みんなに助けてもらったよ。ガーベラとまたあえて、うれしい」

ゆりはガーベラの手を握りしめて泣いていた。

ガーベラももらい泣きしたのか泣いている。ゆりの左目が蛇の目に変わったが、やっぱり泣いていた。


あんな女に負けるもんか……ガーベラは私にとっては大事な人。神様に向かって変だけど、親友のように思ってる


どちらのゆりも、ガーベラの花のような匂いに包まれて、とっても嬉しい気分になった。



夕方、クーリーフンがハロルドの神殿を訪ねていた。ハロルドは寝室で寝そべっているが、起きていた。

「あのー泉の彼女が、ハロルドがこないなあって言ってたよ。どうしていかないの？」

クーリーフンが聞くと、ハロルドはどういう感情も表情には出さなかった。

「別に。いろいろ忙しくて」

「そうなんだ。彼女、もう少ししたら帰れそうだね。それじゃね」

クーリーフンは去って行った。

「…………」

ハロルドはゆりに会いたくないわけではなかったのだが、あの石像の崩れた顔を思い出すと、どうにもゆりの顔を見る気が起きなかった。

更に、石像がなくなってちょっと寂しい気分だった。

自分では思ってもいなかったが、どうやら心の中ではあの石像がかなり気に入っていたらしい。

そのことに自分で気づき、ハロルドは自分でショックを受けていた。

視線に気づいて横を見ると、寝室の棚においてある、石造りの鳥がじっとこっちを見ていた。ゆりの石像の手に乗っていた小鳥である。

向こうを向けてもいつの間にかこっちを向いているのである。

こうなると鳥に非難されているような気になってくる。

「まったく、私のせいじゃないってのに」

ハロルドはふてくされたように鳥に背中を向けたのだった。



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