第39話

朝、ゆりは何かに起こされたように目が覚めた。ちゃんとベッドの上である。泉の中ではないのだ。夢ではなく本当に無事帰ることができたのだ。

横ではレーヌが「あーあー」言っていた。

「あ、そうだ。お腹すいたのね。ごめんね」

ラクシュミとシスは眠ったままである。

ゆりはあわててレーヌを抱っこして王の寝室を出て行った。


こうしてゆりの日常が再び始まった。3階の廊下でラギをみかけた。

「あら、随分早起きね」

「太陽の馬車を見るんだよ」

「へえ？」

「シスにー、部屋にいないんだけど知らない？」

「王様のベッドで寝てるわよ」

「珍しいね」

「あー」

レーヌが訴えている。

「ごめん。すぐミルクの用意をするからー」

ゆりは速足で通り過ぎて行った。


ラギは通り過ぎるゆりを見て、「あれ？　今日はいつもの調子だな」と言っていた。


ゆりが部屋に行くと侍女がすでにミルクの準備をしてくれていたので、ゆりは急いでレーヌにミルクをあげた。

「ごめんねー。お腹すいたよね。いっぱい飲んでね」

哺乳瓶を口元に持っていくと、レーヌは口にくわえたものの、すぐ離してしまった。

「あーあー」

どうしても口にくわえようとしない。顔をそむけている。

「あれ？　どうしたのかな？　お腹すいてないの？」

侍女も横でどうしたんでしょうとういう顔つきである。

「あ、もしかして、哺乳瓶がいやなんだ？」

「え？　どうしてでしょう？」

「ちょっと抱いてて」

「はい」

ゆりはレーヌを侍女に渡して、神の国でもらった哺乳瓶にミルクを移し替えて飲ませてみた。するとちゅーちゅー吸っている。

「やっぱり……」

「この哺乳瓶はどうされたんですか？」

侍女が聞いた。

「えーととあるところからもらったの」

「すごくきれいですね」

キラキラしたガラスでできた哺乳瓶にゴムの吸い口、レーヌはもうこれでないと嫌なようである。

「ところで今日って何日だっけ？」

「16日ですよ」

「16日かあ……」

事件があった夜が4日である。5日から10日間身代わりがいたということになる。

ゆりは自分の部屋の中を見て、違うところに気づいた。なぜか姿見鏡が逆向きになっている。

なぜか理由はさっぱりわからない。

レーヌがミルクを飲みほしてから、ゆりは鏡を見て割れてなかったので元に戻し、壁用の鏡もかけなおした。


ミルクを飲んでご機嫌になったレーヌは侍女にまかせて、ゆりは食堂に行った。

子供たちはみんないる。ミシェイラはゆりを見ると近づいてきて抱き着いてきた。

「おはよう。ミシェイラ」

ゆりはミシェイラを抱っこした。

「今日は甘えんぼさんなの？」

「うん」

「太陽の馬車は飛んでた？」

ゆりはラギに聞いた。

「今日は飛んでなかったよ。残念」

ミシェイラはゆりにぎゅっと抱き着いたままだった。

「べつまー」

「なあに」

ゆりの左目が変わった。

「マーすき」

「私もミシェイラが好きよ」

この日は久しぶりに子供たちの顔を見て、ゆりは平和をかみしめた。


食事が終わり、部屋に戻っていると、部屋の前にイシュタールが立っているのがみえた。

「王妃……」

「イシュタールおはよう」

「王妃！」

イシュタールはだっと近づいてきてゆりの手を握りしめて泣いていた。どうも様子が変である。

「どうしたの？」

「さっき妖精に聞いたんです。王妃、よくご無事で」

「あ、知ってたんだ」

「王妃……」

「まあとりあえず中に入って」

ゆりは周りを気にしながらさめざめと泣いているイシュタールを部屋に入れた。

そして侍女に部屋を出てもらった。

「王妃を助けられず、本当にすいません」

「いいって。もう終わったんだから。イシュタールもあの事は忘れて。私もがんばって忘れるから」

「王妃」

「あ、身代わりの私はどうだった？」

ゆりは気になって聞いてみた。

「頑張って王妃として過ごされてましたよ」

「そうなんだ。レーヌはよくばれなかったなあ」

ゆりは寝室に行った。ベビーベッドにまだ木の人形が寝ているのである。ゆりは初めてじっくりと木の人形を眺めていた。

「これ、よくできてるね」

「そうですね」

木の人形は寝ている赤ちゃんの人形だったが、レーヌに似ているし、服を脱がせてみると、ちゃんと赤ちゃんの体に手足もついている。

（ジェラルド工房のだれかが作ったのかも？　すごいわ）

足元にルーがやってきて、ゆりの足をぐるっと囲んでいた。

「ごめん。ルーのこともちゃんと覚えてたよ」

ゆりはしゃがんでルーの頭をなでた。

ゆりは木の赤ちゃんに服を着せて長椅子に置いておいたのだが、ミシェイラがほしがったので、人形はミシェイラの部屋に行くことになった。


ゆりはその後王の間に行き、命一杯ラクシュミに抱き着いた。

「どうしたんだ？」

「別にどうもしないけど、王様が好きなの」

「ふうん？」

ゆりは心底、（身代わりの時期が赤い月じゃなくてよかった）と思っていた。

（産後だし、妖精さんもたいしたことしてないよね。きっと）

蛇の目のゆりがラクシュミに引っ付いていると、王の間にヴィラがやってきた。

「おはようございます。おや、なんか久々ですね」

ヴィラはゆりを見て言った。

「え？　そう？」

「こっちの王妃に会うのは久々のような……」

「じゃあヴィラの手も握ってあげる」

蛇の目のゆりはヴィラの側に行き、ヴィラの手をぎゅっと握った。

「どうも……」

ヴィラはお礼を言って、ラクシュミを見ていた。

「ゆり、もういけ」

「はーい」

ゆりは素直に出て行った。



「王妃の石像がなくなった話、かなり広がってしまいましたね」

ゆりがいなくなり、ヴィラが言った。

「まったく夜中に入るやつが多いから困ったもんだ……いっそのこと盗まれたということにするか。そうすると話がでかくなるしなあ……」

ラクシュミ自身、石像の手紙の内容についてはばからしいと思っていたので、その話を広めるという気にもならなかった。

ちなみにミカエルとシャナーンはそのことをまだ信じている。

「ヴィラは石像が帰ってくると思うか？」

「帰ってこないでしょう」

ヴィラはあっさり言った。

「私は盗まれたんじゃないかと思ってます。石像が欠けたので、他の場所で治してることにしておいたらいかがですか？」

「そうだな。それで時間を稼ぐか……」

博物館をずっと改装中のままにしておくわけにもいかない。

「博物館もそろそろあければいい。目玉はゆりの石像だけじゃないんだし」

「館長はショックで寝込んじゃってますけど、その上副館長もやる気をなくしちゃって」

「困ったもんだ……」

ラクシュミはため息をついた。



そのころ蛇の目のゆりはハザークの元にいた。

「ハザーク様好き！」

と言って長椅子にいたハザークにすぐ抱き着いている。

「ああ、王妃」

ゆりは唇をくっつけてキスしていた。

「なんか久々に見たな」

ハザークはゆりの背中に手を回した。

「そうでしたか？」

「そんな気がする」

（私のことはどうやってごまかしたんだろう？）蛇の目のゆりはそれが疑問だった。


まだ産後なので仲良くするのもそれくらいで、ゆりは自分の部屋に戻った。部屋には客が来ていた。

セリアである。セリアはゆりを見るとすぐ立ち上がった。

「王妃様、おはようございます」

「おはよう」

セリアはゆりを見て、瞳をうるませていた。

「ど、どうしたの？」

「いえ、なんでもありません。王妃様がお元気なのがうれしくて」

セリアは笑っていたが、目はうるうるしている。

セリアに一体何があったのか、自分は知っていることなのかどうかゆりにはわからなかった。

「今日はこれで失礼します」

セリアは頭を下げて出て行った。

「あ、うん……」

黒目のゆりに戻ってからも、ユリウスとジュメがそろってやってきた。用はないのだが顔が見たくてやってきたという。

だが様子が少し変だ。特に、ジュメは泣きたそうな顔をしていた。


何かあったのかな？　聞いていいのか悪いのかがわからない……


自分がいない間に何か事件が起こっていたとしても自分にはわからないのだ。


そうだ。イシュタールに聞けばいいんだ。もう帰っちゃったし、あとで呼ぼう


ゆりはそれまで余計なことを言うまいと心に決めた。


昼食の時間になった。子供たちはいつもの様子である。ミシェイラは木の赤ん坊をもってきていたので、変わりに侍女が抱っこしていた。

「あの人形かわいいね。どこで買ったの？」

ナナミが聞いた。

「あれは商人さんがプレゼントしてくれたのよ。ナナミもほしかった？　一つしかなくてごめんね」

「私はいいけどー、ねえ、母様の石像、どうしたの？」

突然ナナミが聞いて、食堂の中がしーんと静まり返った。

「さっき聞いたの。石像なくなったんでしょ？　なんで私に教えてくれないの？　ずるいよ」

「あー、その話は……今は……」

シスとラギはあわてたように身を乗り出している。

「私の石像？　壊れちゃったの。残念だけど」

ゆりはついぽろっと言ってしまった。

「えーなんで壊れたの？」

ナナミが聞いている。

「さあ、なんでだろう」

ゆりはシスとラギの顔色が変わっているのにようやく気付いた。

「どうしたの？」

「母さん、なんで石像が壊れたって思うの？」

ラギが聞いた。

「え？」

「母様、何か知ってるの？」

シスが低い声で聞いた。

「え？」


なんかまずったかもしれない……


ゆりの顔はちょっと青くなっていた。

二人はじっとゆりを見ている。

「…………」

ゆりは無言で二人を見ていた。

「お母さん、何か知ってるなら教えてよ」

ラギが睨むような顔で聞いていた。

「え？　私は何もしらないけど……」

ゆりはたじろいでいる。

「さっき石像が壊れたって言ったでしょ」

「いったかな？」

「言ったよ。石像はやっぱり歩いて帰ってこないんだね」

シスはむっとした表情をしていた。


なんのこっちゃ、わからん！！！


部屋の中にラクシュミの姿が見えて、ゆりはびっくり仰天していた。

「ゆり！　石像について知ってるなら、なぜ言わないんだ！」

ゆりはラクシュミからも怒られていた。子供たちの誰かが知らせたようである。

「そうだよ。ちゃんと説明してよ。僕は、僕らはあの石像が大好きなんだよ。いなくなって悲しいよ！」

シスが悲しそうに訴えてきた。

「そういわれても……私は壊れたって聞いただけで……」

「誰に聞いた？」

ラクシュミが聞いた。

「それは……」

「あ、私わかったあ。母様が何かして、ハロルド様が腹いせに石像こわしちゃったんだ」

アナスターシャがのんきに言い出した。

「はあ？」

「ええ？」

「そんな！」

「え？　違う違う！！」

ゆりはあわてて首を振っていた。

「そんなわけないでしょ。石像はなぜか壊れちゃったの。この話はもうおしまい」

ゆりは立ち上がってこの場を収めようとしたが、子供たちもラクシュミも、ゆりを疑うような目で見ている。

「アナスターシゃ、絶対違うから、シスもラギもいい？　絶対そんなわけないから」

「なんかそれっぽいな」

ゆりが全力で否定したので、ラクシュミは逆に怪しんでいた。

「えー？　なんでよ。ハロルドは石像に八つ当たりなんてしないわよ」

「母様、何かしたことはしたんだ？」

アナスターシャが懲りずに言っていた。

「何もしてません！！」

「それでゆり、石像は旅から帰ってくるのか？」

「は？」

「ミカエルもシャナーンも石像を探しに行くって言ってたんだぞ？」

「旅ってなんのこと？」


ゆりはラクシュミに、石像の上にあったというカードを見せてもらった。

そしてカードを読んでついぷっと笑っていた。

「ゆり、笑いごとじゃないんだぞ」

「そうだよ。全然おかしくないよ！」

ラクシュミとシスからは睨まれてしまった。

「あのね、私が聞いたのは昨日なの。昨日『お前の石像が壊れた』って聞いて、そんな大騒ぎになってるなんて知らなかったのよ」

「ハロルドに聞いたのか？」

「ええ、まあ」

ゆりは仕方なく認めた。

「ハロルド様、なんで壊しちゃったの？」

アナスターシャの中ではすっかりハロルドが石像を壊したことになっている。

「だから違うって！」

「あ、ハロルド様、石像をぎゅって抱きしめたんじゃない？　そしたら壊れちゃったのよ」

ナナミがかわいらしいことを言っていた。ゆりにとってはハロルドが石像を蹴り飛ばすよりもあり得ない話だったが、

「あ、そうかも」

と言っていた。

「絶対違うだろ」

ラクシュミはまったく信じなかった。

「そうかもしれないでしょ」

「僕も、腹いせに何かされた可能性の方が高いと思うな」

とラギ。

「あのね。腹いせにって、私もそうそう神様に何かしないの。あ、そうだ。石像なら帰ってくるわよ。そのうちに。

ハロルドが新しいの作らせてくれるって言ってたから」

「新しくなるの？　古いのはどうなったんだろう。なんかかわいそう」

シスはまだあの石像にこだわっているようだ。

「鳥も死んじゃったのかな？」

アナスターシャがぽつりと言った。

「姉様、死んだとか言わないで」

シスが不機嫌そうに言った。

話に興味がなかったミシェイラは、とっくに食堂を出て行っていた。ロイは黙っていたが、話がわかっているのかどうか謎だ。

「新しいのはいつくるんだ？」

ラクシュミが聞いた。

「わかりません。とにかく、壊れた理由はあれこれ考えないでね。私だって悲しいんだから。それに私のせいでいろいろな目にあって、

悪いなあって思ってるし」

「そうだね」

不機嫌なままのシスがずばっと言った。

「シス、今日は怖いんだけど……」

「ごめん。でも、母様が元の母様に戻ったから、もういいや。なんか最近変だったから……」

「そう？　ごめんね」

「新しい石像、楽しみだな」

ナナミはうきうきしている。

「また裸？」

そこでロイが初めて口を開いた。

「え？　違うように頼んだけど、きっと服を着てるわよ」

「つまんないね」

「なんでよ」

「だって、服着せられないじゃん。あれが面白かったのに」

「まあ何はともあれ、そのうちに帰ってくるのならよかった」

ラクシュミがようやく言っていた。

「早く新しいのがみたいなあ」

「同じポーズなのかな？」

「鳥も生き返ればいいね」

ようやく子供たちは新しい石像を期待する雰囲気になっていた。

一方、ゆりは疲労感を漂わせていた。


なんか疲れた……子供たちの中のハロルド様のイメージは一体どうなってるんだ……

本人には絶対聞かせられないわ……


ゆりは大きなため息をついて、ようやく昼食を再開したのだった。



さて、神の国では、神々の長アシュランは、ゆりのことを一応心配して、ちらりと鏡でゆりの様子を見ていた。

まさにゆりが子供たちとやり取りしているところを見てしまったのである。

「……くっくくくく……」

アシュランは肩を震わせて、笑っていた。

「なかなか楽しそうにやってるな。安心した」

アシュランは鏡を閉じて、ついもう一度「くくく」と笑っていたのだった。


つづく


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