第51話
時は変わって過去の時代である。未来と同じように時は過ぎ、こちらでも様々なことが起こっている。
国民の一番の関心ごとは、やはり女王の出産である。年齢が高めの妊娠であるがゆえに、女王の身体を皆案じているのであった。
だがそういう心配も、本人にとっては時々いらいらする原因になるものである。
「妊婦には近づくな」とこの時代でも言われているが、妊娠した女性の扱いというものは、実に難しいものだ。
女王の精神的な浮き沈みは今もあり、周りの者達はいつ女王の機嫌が悪くなるかと戦々恐々としていた。
前回の妊娠の時もこういうことはあったのだが、やはり前回よりも年齢が上がっているがゆえに、女王自身の心配もあるのだろうと、周りの者達は噂している。
女王に近いメイド達は、（また未来からへびっち様がいらっしゃらないかしらねえ）などと話したりもしていた。
へびっちが来ていた間の女王はかなり落ち着いていた。女王の気を紛らわす出来事となると、そうそう起きることはないのである。
ディランを筆頭とした騎士達も、もちろん、今の女王にはかなり気を遣っている。
だが、最近「あれ？ おかしいな？」というようなことが起きていた。女王が寝室に男を呼ぶことが何度かあったのである。
女王は普段は性欲はまったくなく、男と交わるのは赤い月の間だけだった。妊娠中は男の顔を見るのも嫌な時もあったほどである。
その女王が今回はどうしたことだろうか、と呼ばれた男たちは喜ぶよりも、むしろ恐ろし気な気分を味わいつつ女王の相手をし、中には、「無理です」と断る騎士もいた。
行為に及んでもし流産でもしたらどうするのだ、という思いがあるからである。
（陛下は一体どうなさったんだろう？）
（やっぱりディランの影響か？）
（私の影響でなんでそうなるんだ……）
赤ん坊の父親なために周りにやっかまれているディランは文句を言っている。
さて、この夜は、ハザークの方から誘いがあり、女王はハザークと共に酒を飲んでいた。
昨日巫女による本格的な儀式が成功し、女王も今日は少しは機嫌がよかった。
「エレノアはかなり女らしくなったな。短期間でよくかわったもんだ」
儀式のことを一応気にしていたらしいハザークは、儀式の成功を喜んでいた。
「そうじゃな。儀式が終わってほっとした」
ゆりがした儀式ほど蛇霊神はこなかったが、伝説の巫女並に蛇霊神を呼べ、というのは無茶な話なので、儀式が成功しただけでも喜ぶべきだと女王は思っていた。
それにしてもへびっちめ、まさかエレノアとも仲良くなっておったとは……
女王は苦々しい表情をしていた。先日エレノアからひそかに告白されて、女王はショックを受けたのだった。
私だけかと思っておったのに、浮気者め……
エレノアはへびっちのおかげで変わることができたと喜んでいたのだった。女王としては複雑である。あれは一般的ではない、魂の交わりといえるようなものだったからだ。
あれ以来時々性欲が抑えられなくなるのだった。騎士達は逃げ腰なのだが、どうにも体が収まらなくて困ったものである。
エレノアにはへびっちのことを告白されたが、女王は自分もへびっちとそうなったことは言わなかった。
ハザークは杯を握りしめたまま、何か言いたげに女王を見ていたので、女王は「なんじゃ？」と聞いた。
「以前、女王は我の寿命は後千年ほどだと言っていたろう？」
「ん？ ああ、ハザーク殿がしつこく聞いてきたのでそういう風に返答したな」
ゆりがこの時代からいなくなって後、ハザークは「自分のことを巫女に聞かなかったか」と女王に聞いたのだった。
自分がいつ死ぬのか、ハザークが気にするのも当然のことである。
女王は最初「詳しく聞いてはいない」とはぐらかしたが、ハザークに何度も問われて、ついには「実は後千年ほどかもしれぬ」と答えたのだった。
この後途方もない時を生きるなどととてもじゃないが言えないし、興味がないからまったく聞いてはいないというのもおかしな話である。
未来からアナスターシャを引き取る約束をしてしまったために、女王もハザークのことをどうするか結構頭を悩まして、皆で相談し、
「未来のハザーク殿は子孫が存在しているということでよいのでは？」
ということになっていた。アナスターシャにも話を合わせてもらおうと思っている。
「あれは本当のことなのか？」
「ん？ 千年も生きていたくはないとおっしゃるか？」
「いや、以前３千年は生きると予言されたことがある。あと千年なら予言にもあっていると思ってな」
「予言……」
「だが、ここらで人生を終えるのもいいと思っている。最後に女王のような人に会えてよかった」
「……ん？ 一体何の話をされておるのかわからぬが？」
女王は首をかしげて聞いていた。
「我は近々死ぬ予定だ」
ハザークはまっすぐに女王を見つめて言った。
「死ぬ予定？」
「女王が大変な時にすまぬ。だが、出産を待っていられなかったのだ。突然我がいなくなる方がショックを受けるだろうと思って、予告をすることにした」
「はあ？」
「我がいなくなっても元気な赤ん坊を産んでくれ」
「え？ ハザーク殿！？」
ハザークはふっと姿を消してしまい、女王は「ハザーク殿！」と叫んでいた。
「ハザーク殿！」
はっと女王は目を覚まして周りをみた。自分の寝室である。
「なんじゃ、夢であったか」
女王はほっとして髪をかきあげていた。
「ハザーク殿がそんな馬鹿なことを言うはずはないな。驚く夢であった」
この日も女王の一日が始まった。昨日は巫女による儀式が成功して、城の中はお祝いムードである。夜遅くまで城の中も盛り上がっていた。
今日もその気配を引きずっている。
女王は夢のことが気になり、召使たちにハザークの様子を探らせたりもしていた。
ハザークは変わりなく過ごしているという。
（ただの夢であったか……）と思っていると、召使から、「ハザーク様が今夜付き合ってほしいと申されております」とのことづけがあった。
女王はどきりとした。
（いやまさか、まさか同じことを言われるとは限らないであろう）
その夜は、ハザークと共に酒を飲むことになった。
この夜部屋にやってきたハザークは、別段不機嫌でもふさぎ込んでいる様子でもなかった。むしろ機嫌がよさそうである。
「エレノアはかなり女らしくなったな。短期間でよくかわったもんだ」
酒を一口飲んでハザークが言い出した。
「そうじゃな。儀式が終わってほっとした」
女王は言葉を言ってはっとした。これでは夢と同じである。
（まさか、あれは正夢ではなかろうな。冗談ではないわ）
「ハザーク殿は最近どんな酒が好みじゃ？」
女王はあえて話題を変えてみた。
「古い酒も良いが、去年できたお酒もなかなか良かったと思うが」
「そうだな。去年の酒はどれもよかった。ところでな、今日は話があったのだ」
「話？」
「我は近々いなくなる」
「どこかに行かれるのか？」
「近々死ぬ予定だ。だから予告しておこうと思ってな」
「はあ」
どうやら夢と同じように進むらしい。
「ハザーク殿、どうして自分が死ぬと思うのじゃ？」
「詳しくは言えぬが、そういう気がする。女王の出産まで待てぬようなので、今のうちに言っておくことにした。すまぬ」
女王は信じられないといった表情でハザークの金色の瞳を見ていた。
その後は何を聞いてもハザークは肝心なことは話さなかった。一体どうして死んでしまうのか、それは女王にはさっぱりわからない。
女王はハザークと別れた後、自分の部屋に「じいや」と慕う老人、ムサカを呼び出してハザークのことを話したのだった。
「それはそれは……」
ムサカは長くて白いあごひげを触りながら、考え込んでいた。
「ハザーク殿は一体どうしてそのようなことを思ったのであろうか。やはり死にたいようなことでもあったのかのう？」
「そうですなあ……まああれだけ生きていれば、時々死にたいと思うものでしょうがな」
「まさか本当に死んでしまうことはないとは思うが、気になる」
「陛下は未来でハザーク殿にお会いしたんでしたな。そのハザーク殿は、いまのハザーク殿と同一人物で？」
ムサカはそこが気になったようだ。
「そうであろう。そうじゃ、私の死が悲しかったと申されておったぞ。同一人物でなければ、あのようなことは言うまい」
「そうですか……ちとハザーク殿と話をしてみます」
ムサカは部屋を出て行った。女王は落ち着きなく部屋の中を歩き回っている。
ハザーク殿は何か死にたいと思うような出来事でもあったのだろうか？
それらしいことは起きていないようではあるが……
うろうろしていたらムサカが戻ってきた。
「随分早かったのう」
「話を聞きました。死の迎えが来るとおっしゃってました」
「死の迎えとはなんじゃ？」
「詳しくは言えないそうですぞ。もしや、自分の死を予言されているのかもしれませんぬが……」
「だが、ハザーク殿が亡くなるわけがない。ほら、未来にちゃんと存在されておるではないか？」
「そうですが……」
「もし、いまのハザーク殿が亡くなったらどうなるのであろう？」
女王は可能性の一つとして聞いてみた。
「いやいや、未来におるのだから、やはりいなくなるわけはない」
女王は首を横に振っている。
「ゆり殿がいるのはハザーク殿がおられる未来、もしこの時代のハザーク殿がいなくなれば、その先の未来も変わってしまうかもしれませんな」
ムサカはひげをなでながら言った。
「え？ 未来が変わる？」
「ハザーク殿がこの国の歴史にどれほど関与しているかはわかりませんが、今のゆり殿がおられるのはハザーク殿のおかげ、ということならば、
未来との交流は途絶えてしまうかもしれません」
「えー？」
「違う未来へとつながる可能性もありますぞ。もし、本当にハザーク殿が亡くなれば、ですが」
「一大事ではないか……ハザーク殿は世をはかなんでおられるのか？ そこは何か聞いたか？」
「特に何かあったというわけではないようですぞ。ただ、ここらで人生を終えるのも悪くないので逝きたいと申されておりました」
「まさか自殺されるというわけではあるまい？」
女王はぞっとした表情をしていた。
「それはないようです。近いうちにハザーク殿に何か起こるのでしょうか？」
「あーもう、さっぱりわからぬ。もう一度聞いてこよう」
女王は飛ぼうとしたが、ムサカが止めた。
「今日はやめておきましょう。また日を改めて」
「その間に亡くなったらどうするのじゃ！」
「まさか明日明後日の話ではないでしょう。明日、わしがもう一度話をしてみます。それまで待ってくだされ」
「うー・・・・・・あーもう！ なんでいきなりこんなことになるのじゃ！」
女王は髪をかきむしりたい衝動にかられて指を動かしていた。
さて、この時代のハザークは、女王の城にはいない。国の中央にある立派な城の一角に住んでいた。先代の王はすでに崩御しているため、城の中は静かなものだった。
このときのハザークは1924歳、人化する蛇はちらほらいるが、ザクート王の時代を知る者はもうハザークだけになっていた。
女王に死の予告をしたハザークだったが、表情は晴れ晴れとしていた。
今まで様々な人の死を看取ってきたハザークである。ようやく看取られる側になるのだとの思いがあった。
「ようやくその時がくるのだ。あの男の予言なんて知ったことか。自分だけさっさと死におって。そういえば宝箱を預かっていたな。女王にたくしておけばいいか。
他には……何かあったかな？」
ハザークはせっかくなので遺言でも書こうと思い、机に向かっていたのだった。
さて、未来の時代、へびっちが引っ付いたヴィラは、その夜眠ろうとしたのだが、意識しすぎてしまい、なかなか眠れなかった。
「うーん、だめだ。いろいろ考えたら眠れない……」
ようやく眠気がやってきたものの、その夜は夢は見なかった。
「うーん、残念……」
ヴィラは起き上がって自分の体を見た。ディランに会えるかもしれないと思い、かなりかしこまった上着を着て寝ていたのだった。
寝ずらかった原因はこれかもしれない。
「まあそのうちにな」
ヴィラはへびっちが怒っているかもしれないと思い、あえてへびっちを見ずに、支度をして出て行ったのだった。
つづく
戻る
目次