第52話
『父よ、我は本当に２千年もの時を生きるのか？』
ハザークは昔、自分の父親であるザクートにそう聞いたことがあった。それも、「お前は２千年は生きるだろう」とザクートに予言めいたことを言われたからである。
そんな途方もない年月を本当に生きることになるのか、当時１００歳にもならないハザークにはとうてい信じられず、後日、ザクートにそのことを
聞いたのだったが、帰ってきたのは思いもかけない言葉だった。
『ひょっとしたら３千年はいくかもな』
『３千？』
なんと千年も増えている。
ハザークはそれきりザクートに自分の寿命のことは聞かなかった。これ以上のびるとたまらないと思ったからだろう。
そしてあれから月日は過ぎ去った。ハザークにとっての今までの人生は、出会いと別れの繰り返しであっただろう。
ザクート王の時代にいた長生きした蛇達は、大半は自分よりもずっと以前に生まれた蛇達であったために、もうすでにこの世を去っていた。
それ以後生まれた蛇で人化する者もちらほらいたし、蛇の血が混じった者がハザークの元にやってくることもあった。
全くの孤独ということもなかっただろうが、自分だけが時の流れから忘れ去られているような思いも感じていたに違いない。
仲良くなった者達は、確実に自分より先に死んでいくのである。
自分は一体いつまで生きるのか？
それは絶えずハザークの中にあった問いであった。
未来からの情報では後千年は生きるかもしれないという。
残り千年と思うと気が遠くなる年月である。
別に今が不幸というわけではなかった。
女王のことも好きだったし、周りもハザークを敬ってくれる。だが、このままずるずると生き続けてどうなるのだろう。
誰かと愛し合い子供を作ることもない。
子孫を為すということは、人にとって最も重要なことであった。
ハザークにこの時子供はない。もちろん、愛し合った女性もいたし、赤い月に女性と過ごしたこともあったが、誰もハザークの子供を宿すことはなかった。
今更子供がほしいとも思えないが、このまま生き続けることが、ハザークにとっては無意味なことのように思われるのだった。
長い時を生きていれば時折このようなことを思うもので、つい最近もこう思っていたところに、ハザークに転機が訪れたのだった。
ある満月の夜のことである。そう、ちょうど蛇霊神の儀式が無事終わった夜のことだった。
ハザークが寝室で寝ていると、部屋に侵入者が現れた。音はしなかったが、気配でハザークは目を開けた。
ベッドの横に、薄く金色に光る者が立っていたのである。黄土色の腰までのチュニック、同じ色のズボンに金色の紐を編んだようなサンダルをはいていた。
ウエストには金色の紐状のベルトがついている。目を引いたのはその顔だった。顔の上半分、鼻のあたりまで、顔の全面にだけ、白い仮面をつけていたのである。
仮面の目はくりぬかれている。瞳は緑色だった。前髪は目元までで仮面にかかり、後ろは肩に届くほどの長さだった。くせ毛なのか軽くうねってはねている。、
ハザークは不思議そうな顔で身体をおこした。
その人物は一見地味な服装であったが、腰のベルトは金糸でできているし、着ていた服も、肌さわりがよさそうななめらかな生地のように見えた。
そしてその人物の存在感が尋常ではない。仮面をつけていて顔は見ることはできないのだが、きっと仮面の下には、かなりの整った風貌が隠れているのではないか、という
ことを思わせるものがあった。
体つきはたくましい戦士というほどではないが、無駄な贅肉などなさそうである。背丈は、自分よりは少し低いくらいだろうとハザークは思った。
胸のふくらみはない。男である。一族の者ではないことはすぐに分かった。その金色の輝きは、清々しいものであった。
「深夜にすまないな。私は、見ての通り、神の一人である」
その者は胸に手を当てて言った。男らしい太い声ではなく、優し気な声だった。
「神？」
確かに目の前の者の身体は薄く輝いている。
「その神がなぜここに？」
ハザークはベッドに座ったまま、問うた。
「そろそろ救いがほしいかと思ってやってきたのだ。私は時の神。そなたは人の時をあまりに生きすぎている。神ならば耐えられるだろうが人間にとっては酷なことであろう？
もし、もう十分だというのなら、私がそなたの寿命を終わらせてやろう。もっと生きることを選ぶのなら、好きにするがよい。選択はそなたの自由。さて、どうする？」
神は幾分身をかがめて、なめらかな口調でハザークに聞いた。
「我の寿命を終わらせるといったのか？」
「人は自ら自分の命を絶つべきではない。それゆえ、救いの神として私が現れたというわけだ」
「…………」
突然のできごとに、ハザークの頭はあまり働いてはいなかった。
突然現れた神は、ハザークの命を止めることができると言ったのである。
「死にたいといえば、死なせてくれるのか？」
「もちろん、自然に、誰に怪しまれることなくこの世を去らせてやろう」
「我は一体いつまで生きることになるのか、神はご存知なのか？」
ハザークは目の前にいる人物を、疑うことはしなかった。
「それはわからぬ。私が手を貸さずとも数年の後に死ぬかもしれぬし、かなり長い時を生きることになるかもしれぬ」
「では、どうしてこのような生を生きることになったのかも、ご存知ないのか？」
「そなたの生は、決して神の罰というわけではないのだよ。なにか、思いもよらない力が働いたのかどうか、神である私にさえわからぬことだが、
この世界には数人、そういう者達がいるのだ。そなただけではないのだ、金色の蛇殿。この後にも、その者たちに会う予定だ。
人の身で、長い長い時を生きるというのはつらいことであろう？ 人は長生きしたいと願うものだが、本当に長生きして果たして幸せだと感じるのかどうか。
神でさえ、生きることに時々飽きてしまうものだからな。長生きするのが運命ならば、それを受け入れるべきかもしれぬが、それを人に強いるのは酷だろう。
同じ時を生きる伴侶もいないのだからな。生を選ぶか死を選ぶのか、私が再びやってくるときまで考えておくことだ。５日後に、再びやってこよう」
「５日……」
「ではな、金色の蛇殿」
ハザークが気づいた時には朝だった。
あれは夢だったのか？とも思ったが、夢ではないと思えるような、リアルな実感があった。
昨晩本当に神が現れたのだ。
神は我に死を与えることができると言ったのだ。もうすぐ、生を終わらせることができるのだ……
ハザークの答えはすでに決まっていた。これを逃せば後何年生きることになるやらわからない。
あと２００年もすれば、あの男らしい女王も、騎士達も、侍女たちも、誰も周りにはいないのだ。もう十分、親しい者達の死を看取った。
このまま生きても何を為すわけでもない。ここらでやめるのもいいではないか？
自分で命を絶つわけではない。この生が、人の世から離れてあまりに長すぎたのだから、誰に責められることもない。
「そうと決まれば、やはり女王には告げておくべきか」
ハザークはその日の晩女王に告げて、そこに話が続くのだった。
さて未来の時代である。
へびっちがひっついたヴィラだったが、ディランに会うかもしれないと思うとうまい具合に眠れず、ヴィラは次の朝そうラクシュミに報告していた。
「ははは、まあそう毎回うまい具合にはいかないだろうな。前回はジュノーに引っ付いて行ったんだろう？ ジュノーでもいいんじゃないのか？」
ラクシュミは言ったが、へびっちはヴィラの体からは出て行かなかった。
「まあ、しばらく無理だったらあきらめて、ジュノーに行くかもしれないですね」
ヴィラは気楽に言った。もしかしたらディランが寝ていない可能性だってあるのだ。自分だけのせいともいえないだろう。
そのころ、蛇の目のゆりはハザークの部屋にいた。未来のハザークは心穏やかなものである。
「今日も石を掘ったのか？」
ハザークが聞いた。それが最近のゆりの日課だとハザークも知っているようだ。
「今日はお休みですよ。でももう真ん中くらいまで掘ったんですよ。そろそろ何か出てきてもいいと思うんですけど」
ゆりが返した。蛇の目のゆりはアシュランからもらった石を掘りまくっている。
「そうか」
ソファに並んで、ゆりはハザークに寄り添っていた。今部屋には誰もいない。侍女はお茶とお菓子を置いて部屋を出ていた。
「ハザーク様はどんな宝石が入ってると思います？」
「神がくれるくらいだから珍しいものだろうな」
「珍しい宝石ってなんでしょう」
「王妃は宝石が好きなのか？」
ゆりは宝石をじゃらじゃらつけるほうではない。でかい宝石がついたものもあまり身に着けなかった。過去の男たちからもらった飾り物を時々つけるくらいである。
「宝石よりも、もちろんハザーク様の方が好きですよ。だからあっちに行きましょう」
ゆりは熱を込めた瞳でじっとハザークを見て言った。
「王の許しは出たのか？」
「出てないけど、でも本当に元気なんですもん。ほら、巫女性を保つためには、もうしないと」
「巫女はお前じゃないが」
「いいんです。王様に怒られてもいいじゃないですか」
「はあ？」
ゆりはミシェイラが部屋にいないのを幸いに、腕を引っ張って、半ば強引にハザークを寝室に連れて行った。
「王妃、そんなに欲求不満なのか？」
「はい、欲求不満なんです」
蛇の目のゆりはもうやけ気味にそう言って、二人で寝室にこもったのだった。ハザークはゆりに押し切られる形でゆりの相手をしていた。４の月にレーヌが
誕生してまだ２月ほどしか経ってはいない。並の女ならば、胸に触るだけで男の手をパシリとたたくところだろう。
「王妃は本当に元気だな。すごい」
「身体はすっかり平気でしょ？ ね」
「そうだな。本当になんという回復力か、いつも感心する」
「ハザーク様好き〜〜〜」
蛇の目のゆりは思う存分ハザークに引っ付いたのだった。
この前出産したのを忘れそうなほどだ。本当に……
ゆりの体は完全に元に戻ったといっていいほどだった。お腹のあたりはまだ幾分ぽっちゃりしていたが、それはまあご愛敬である。
「本当にすごいな……」
ハザークはしまいにはうめいていた。長い生を生きたハザークでさえ、これほど一人の女を抱いたことはない。
様々な美女を相手にしたし、中には男好きな巫女もいたが、相手がいくら快楽を感じていても、ハザークの方は同じように溺れるということはなかった。
心に残っている女もいるし、ハザークの侍女たちを産んだ白い蛇はハザークにとっては最も特別な女性といってもいいほどだったが、彼女は蛇同士として愛し合った
女性である。
たいていの女性相手ではどこか冷めた心地で接していたのだが、ゆり相手だとどうもかってが違うようである。
どちらのゆりも交わりに愛を求める達であったし、特に蛇の目のゆりは、ハザークが冷めた心地でいるとますます張り切ってハザークの心を熱くしようとするのだった。
そういうゆりが、かわいらしく感じられたリするのである。
一区切りついた後、ハザークは、「王妃は神ともこのようにしているんだろう？ 神の方がいいと思っていないのか？」
とゆりがびっくりするようなことを聞いていた。
「え？」
「宝石をもらうほど仲が良いじゃないか」
ハザークは珍しく、ミルキダスを間に挟まずにゆりに直接聞いていた。
「いえ、あの宝石は、そういうことでもらったんじゃないんですよ。それに神様はガーベラの恋人、ハザーク様は私の恋人ですし」
「王妃自身は相手にしてもらえないのか？」
「神様の相手なんて嫌ですよ」
「そうか？ お前の方は喜びそうだが。さてはハロルドに断られたんだろう」
「う……」
「そうか。かわいそうにな」
ハザークはまた何か誤解してゆりの頭をなでていた。説明するのが面倒だったのか、ゆりはもう黙っている。
「でも神に好かれてるんだからいいじゃないか」
ハザークはゆりを慰めるように言いながら、何かをふと思い出した。
神か……そういえば私は昔、神に会ったことがあるような……どの神だったかまるで思いだせないが、私にとっては重要な神だったような気がする……
考えようとしたら再びゆりが引っ付いてきた。
「もう一度しましょう」
「ああ。ほんと元気だな」
ハザークは謎の神については考えることをやめて、ゆりを腕に抱きしめたのだった。
つづく
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