第54話

暦は７の月である。城ではゆりが石の塊からようやく石を取り出して喜んでから数日後、

自分の屋敷で目覚めたシャナーンは、枕元に一輪の大きな花が置かれているのを見た。

シャナーンは置きあがってその花を手に取り、しばらく花を眺めていた

一本の茎には細長い緑の葉が２枚、その先には青い大きな花がついていた。一枚づつの花びらは大きく、数えると８枚の花びらがついている。

細長い筒のような花で、先は開いていた。その花はみずみずしかった。まるで先ほどつんだかのようである。茎の先は、刃物か何かですぱっと切ったような

切り口だった。

「これで２度目か……」

花の贈り物はこれで2回目だったのだ。前回も目覚めると枕元にあった。大きな花が一輪、花びらがたくさんついた大きな真っ白い花で、とてもいい匂いがする

花だった。そして今回がこの花である。ここらではあまり見ないが、山の中で見た記憶があった。

花の贈り主がだれなのか、シャナーンにはさっぱり見当がつかなかった。シャナーンは戦士である。誰かが部屋に入れば気配で目覚めるだろう。

この屋敷の人間がこんなことをするとは思えない。彼女の誰かが、夜更け前にこっそり寝室にやってくることもないだろう。それは彼女達に聞かなくてもわかる。

贈り物をするならば、昼間に手渡しで渡すはずである。

相手は気配を完全に消して部屋に入り、花を置いて立ち去ったのだ。

シャナーンは花を持ったまま窓の近くに行き、カーテンを横に引いた。太陽の光が部屋に差し込んだ。

天気の良い朝である。今日は一日晴れそうだ。

花を贈るということは、相手は自分に好意があってしたことに違いない。この花が毒がある花ならば悪意ともとれるが、いまのところ、普通の綺麗な花のようだ。


こんなことをする相手は、やはり女性だろう。王妃であるゆりと彼女達以外の女性には興味を示さず、相手の誘いも無碍に断るシャナーンだったが、

この花は、最初の時からなぜか大事にしてあげたいような気にさせられたのだった。それがなぜかはわからない。

無断で部屋に忍んできたであろう相手に普通ならば不愉快に感じるはずなのだが、

この花を置いて行った相手に対しては、不愉快に感じることがなかった。

なぜかと問われても、自分でもわからないのだ。

青い花は、甘い匂いがした。

シャナーンは前回と同じようにその花を食堂にある大きな花瓶にさした。

みずみずしい花びらは何かを言いたげに斜め下を向いて咲いていたが、シャナーンは今回も、贈り主を探すようなことはしなかったのだった。



城では、この日はある話題で持ち切りだった。その話を部屋で聞いてゆりは仰天していた。

「え？　何？　戦ってどういうこと？」

ミカエルにいきなり「戦の日取りが決まったんですよ」と言われて、ゆりの心臓は爆発しそうなほど驚いていたのだった。

一方ミカエルは切羽詰まった表情はまったくしていなかった。

「龍とまた戦うの？」

「王妃ってば、何を言ってるんですか。龍と麒麟が戦うんですよ。前に戦になりそうだって話したじゃないですか」

ミカエルは笑みを浮かべて言った。

「え？　そうだっけ？　いつ聞いたっけ？」

ゆりにはさっぱり記憶がなかった。

「２月くらい前にちゃんといいましたよ。王妃ってば。とにかく、龍と麒麟の戦いの日が９の月の１５日に決まったようなんですよ。大国同士の戦いですからね、

きっとすごい戦になるんでしょうねえ。もちろん、我々としては麒麟の一族を応援しますがね」

２月前といえば、自分の身代わりがいたころの話かもしれないとゆりは思った。

「……麒麟って、好戦的じゃないって話だったでしょ？　戦したりするんだ？」

ゆりがこちらの世界に来てから、麒麟の一族が戦をしたという話は聞いたことはなかった。

「好戦的ではないですが、たまにはしてますよ。たいてい龍の一族が誘いをかけてからですがね。我らをいじめてばかりじゃ世間体が悪いんじゃないんですか？」

「でも蛇だって最近じゃ勝ってるじゃない」

「自国での戦いですからね。龍と麒麟の戦いは、国の外でやるみたいですよ。どちらも平等になるようにね。どんな戦いになるのか、見てみたいですねえ」

ミカエルは想像するように上を向いていた。

「だめよ。行かないで」

「本当に見に行きたいんです」

「だめ。絶対だめ」

ゆりはひしっとミカエルの腕をつかんでいた。

「暗殺でもされたらどうするの？」

「そういう恐れがあるんでいけないんです。残念ですが。国を出ると私の力も半減してしまうんですよね」

「行かないって約束してよ？」

「約束するからちゅーしてください」

ミカエルが顔を寄せてきたので、ゆりは躊躇なくちゅっとキスしていた。

恋人に、自分の知らないところで死なれるのはもうごめんである。

「馴染みの商人が見に行くというので、彼に話を聞く予定ですよ。きっと他国から見物人がすごいでしょうねえ。こんな大戦はめったにないでしょうからね」

周りはのんきでいいが、本人たちは命がかかっているのだ。それぞれの国では、戦の準備で大忙しに違いない。

「龍ってなんでそう戦いたがるのかしらねえ」

ゆりは困った表情で言った。

「自分たちが上だってのを確認したいんでしょう。まあ、そう簡単にはいかないでしょうけどね。麒麟は結構魔力をもっている生き物みたいですよ。

龍と同じで数はそんなに多くはないんですがね」

「麒麟の国でもハロルドを崇拝してるの？」

「麒麟の国で一番崇拝しているのは太陽の神アリアスですよ。冬が厳しいあの国では、太陽の光は貴重ですからね」

「なるほど」

「でもあの国での冬の夜空はそれは綺麗らしいですよ。オーロラの神ってのが現れると、夜空に様々な色がカーテンのように降りてくるって

聞きましたよ」

「オーロラ！　オーロラが見れるんだ」

「王妃は見たことがあるんですか？」

ゆりが知っていそうな口ぶりだったので、ミカエルはそう思ったようだ。

「実際にはないよ。本とかで見たけど。オーロラの神がこの国にきたら、この国でもオーロラが見れるのかな？　一度見てみたいわね」

「城が雪で半分埋もれるかもしれないですが」

「やっぱり見れなくていいわ」

ゆりはあっさり意見を覆していた。

いくら綺麗な夜空が見れても、寒すぎる冬はごめんである。

「冬の戦は麒麟が圧倒的に有利ですからね。龍としてはその前にしたいでしょうねえ」


今回は自分たちには関係がない戦のようだが、だからといって喜んではいられない。

いずれは、この国にも戦が起こるかもしれないのである。


戦がない世の中ってないのかねえ……

もしこの国の人々が魔法が使えなかったら、やっぱり向こうの世界のように科学が発展して、爆弾とかも作っちゃう世の中になっちゃうのかなあ……


ゆりはそんなことを思った。

「ハロルドには悪いけど、もしハロルドがいなかったら、この世界に戦いはあまり起こらないのかな？」

戦いの神がいなかったらこの世界はどうなるのだろうと、ゆりは想像してみたのだった。

「いえ、それは違いますよ。ハロルド様は確かに軍神と言われて戦いの際にも担がれたりしてますが、本来の意味の戦いってのは、自分の心の中での

戦いなんですよ。悪い心に勝つ精神力だったり、弱い自分に勝つ強い心。人間ってのは常に心の中で戦ってるでしょ？　だからハロルド様がいなかったら、

戦が起こらないってのは違いますよ。それぞれが心を制御しなきゃ、国としても成り立たないわけでって……王妃……今更そんなこと聞くんですかあ？」

ミカエルはかなりあきれ顔だった。

「そうなんだ。ぜーんぜん知らなかった」

ゆりは初めて聞いたような顔をしていた。

「あれ？　そういや聞いたことあったかもしれないけど、忘れちゃってた」

「ハロルド様と親しいくせに……そんなこと本人にいっちゃだめですよ」

「ハロルドって、そう考えるとすごい神様なのねえ」

「今更すぎですよ」

ミカエルはやれやれとばかりに額に手をあてていた。

「ハロルド様の呆れ顔が目に浮かぶようです」

「いまの話、みんなには内緒ね」

他に知られると絶対馬鹿にされると思ったゆりは、ミカエルに固く口止めした。



そのころ、王の間にはヴィラが訪れていた。

「王、昨晩ようやく夢がつながって、へびっちがむこうに行ったんですよ」

「ようやくか」

ラクシュミはすぐに話の内容を察していた。へびっちは昨日再びヴィラの体に移動してきていた。

「ですがあっという間の出来事で、ディラン殿とゆっくり話す間もなくて、ほとんど挨拶しかできませんでした」

「そうか」

「まったく自由な蛇ですよ」

「ゆりに言えば自分もディランに会いたかったと言い出すだろうからな。偶然行ったことにしておこう」

「そうですね。王妃もへびっちと一緒にいっちゃいかねないですからね」

ヴィラはそう思い、へびっちが過去に行きたがってることはゆりには秘密にしておいたのだった。

番兵がすぐそばにやってきた。

「王様、フリット様が至急お会いしたいそうです」

「ん？　すぐ入ってもいいぞ」

ラクシュミが告げると、すぐに困った表情のフリットが王の間に入ってきた。

「何かあったのか？」

「はい。かなり困ったことが起きまして……」

ラクシュミもヴィラも、一体何事かと注目した。


やがて、王の間にゆりが呼ばれてやってきた。その困ったことはゆりに関係があることだったのだ。部屋でゆりと一緒にいたミカエルもついてきていた。

「もう一人のゆり、お前に用がある」

ラクシュミが言うと、ゆりの左目が蛇の目に変わった。

ゆりは様子が違うヴィラとフリットを見て、ラクシュミを見た。

「一体どうしたの？」

「実はお前の宝石が盗まれたんだ」

「え？　私のって……私が掘りだしたあれ？」

「そう、あれだ。宝石店の主人の屋敷に泥棒が入って、高価な宝石は全部持っていかれたらしい」

「えー！」

「王妃、本当にすいません。店の主人は高価な宝石は自分の屋敷に持ち帰り、厳重に保管していたんですが、泥棒に入られたんです」

「あらら……泥棒って能力者だったの？」

魔法の力で盗み出したのだろうかとゆりは思ったのだった。

「そうかもしれません。宝石を置いていた部屋の鍵はこじあけてあったんですが、外からどうやって入ったか、まだ調査中でして、もちろん、泥棒も

追ってるんですが……相手がだれか、見当もついていないんです」

フリットが申し訳なさそうに説明した。

「そうなの。盗まれちゃったのかあ……」

アシュランにもらった宝石は、飾り物に加工してもらうために、宝石店に預けていたのだった。この店の主人が一番センスが良く、

腕がいいのである。

「ディケンズは大丈夫か？」

ミカエルが心配そうに聞いた。ディケンズとは宝石店の主人である。

「目を離すと首を吊りそうなので、ずっと監視させてる」

フリットが困ったように言った。

「ゆり、ディケンズを怒らないでやってくれ」

ラクシュミが諭すように言いだした。

「別に怒ってないわよ。泥棒には腹が立つけど、盗まれちゃったのはしょうがないし……怒ってないって言ってあげてよ。私だって彼の飾り物が好きなんだから、

死んだら困るって言ってあげて」

「すいません。ありがとうございます。ではそう伝えます」

フリットはほっとしたように言って消えた。本人に早く伝えたかったようである。

「相手が壁をすり抜けたりするんじゃ、どんなに厳重に保管しても無駄だろうねえ」

ゆりはあっけらかんと言っていた。宝石がなくなったのはショックだが、自分が掘ったという事実が消えるわけではない。

あの宝石を掘ったことで、やり遂げたという気持ちがあったのだった。

「苦労して掘ったのに、すまなかったな」

ラクシュミが謝っていた。

「さすが王妃は寛大ですね。それでこそ王妃ですよ」

ヴィラはうれしそうだった。

「あれを飾ることはできないのは残念だけど……まあしょうがないわ」

ラクシュミは黒目のゆりにも同じ話をしたが、こちらも「しょうがないね」くらいだった。

黒目のゆりにとっては、あの宝石は自分のものだという認識がなかった。

『残念だけど気を落とさないでね』ともう一人の自分に言いたいくらいである。

「あ、そうだ。王妃、へびっちがまた過去に行ったんですよ」

ヴィラがふいに伝えると、ゆりは「えーーーーー！」と宝石の数倍は驚いていた。

「また行ったの？　ディランと話した？」

「それがあっという間で、話す暇もなかったんですよ」

「そうなんだ。女王様の儀式、ちゃんとできたのかなあ……」

ゆりとしてはそこが気になるところらしい。

「できてなかったらどうするんだ？」

ラクシュミが聞くと、ゆりは、

「え……それは……さあ……」

と言葉を濁していた。３人ともじろりとゆりを見ていたので、ゆりは違う方を向いていた。

「王妃、向こうで儀式をするのはもう絶対なしですからね」

ミカエルが釘をさすように言っていた。

「わかってますよー私だってやりたくてしょうがないわけじゃないわよ。ただディランと女王様が困ってないかと思って……」

「困っててもだめです」

やはり事前にへびっちが行きたそうにしていると伝えなくて正解だったようである。



その夜、二人のゆりは夢で会って話をしていた。やはり話題は宝石のことである。

「残念だったねえ」

黒目のゆりが慰め役だった。

「こんなことならもっとじっくり眺めておくんだったわ。まあ盗られちゃったんだから仕方ない。まさかアシュラン様、怒らないわよね？

私悪くないもんね？」

蛇の目のゆりは神様の宝石をなくしたのでちょっとびびっていた。

「怒らないでしょ。悪いのは泥棒だし、神様の宝石だから、もしかしたら戻ってくるかもよ？」

黒目のゆりが気楽に言い出した。

「宝石がどうやって？　歩いて？」

「だって、神様の宝石だし」

「歩いてでも飛んででもいいから帰ってくるといいけど……宝石は気になるけどへびっちも気になるなあ。過去に行って何してるのかしら」

「さあねえ。レイアスに甘えたいんじゃないの？　あ、そういえば女王様が好きだっていってたから、女王様の顔が見たくて行ったのかも。

あっちで結構かわいがられてるんじゃないの？」

「そうかもね」

その二人が深い仲になったなど、気づくこともない二人のゆりだった。


つづく

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