第58話
その夜、自分の寝室でうつらうつらとしていたハインリヒは、シスの寝室に訪問者がやってきたことに気づいた。
いけないと思いつつ、最近、シスの部屋を探る癖がついてしまっている。
気になるのは、その訪問者がだれなのか、さっぱりわからないからである。
同族の者には違いないし、シスの部屋に入るのだから上の方の人間に違いないのだが、ハインリヒがあったこともない
気の持ち主なのだ。
今夜は二人いるな。一人は、シャナーンか……
一体こんな夜に何をしにくるのだろうか？
これがゆりの部屋だったならば夜這いですむ話だが、シスの部屋である。シスは、「気になるならくれば」と
ハインリヒに言ったが、ハインリヒも夜中に王子の部屋をわけもなく訪問するのも気が咎めた。
「うーん……まあ心配するようなことじゃないだろうが……なんか気になるんだよなあ……前回とちょっと気が違うような
気もするが……きっと同じやつだよなあ……」
相手の顔が見たかったハインリヒは、とりあえず着替えた。今夜はもっと近くでその人物をみてみたいという気になったようだ。
相手は出て行く時に、城からどこかに飛ぶはずである。それを探してみようと思ったのだ。
相手はわりと近くに飛んでいた。庭園である。ハインリヒもそちらに移動した。
相手は背を向けて立っていた。かなり背の高い男のようだ。長い髪で、やはり自分が見たこともない男のようなのだが、
そこでハインリヒは妙な既視感にとらわれたのだった。
この男の気を知ってる！？
そんな気がしたのである。
でも見たことがない男である。
最近ではない。昔、自分がまだ勉学に励んでいた頃……
いろいろな記憶が頭の中をめぐり、そこでハインリヒははっと思いだしたのだった。
学校に通っていたころ、気質を変える授業というのがあった。元の気がわからないほどに気質を変えて、
他のクラスの者がそれを当てるということをやっていたのである。下級生が授業でそれをやっていた。
たまたま教室の外を通りかかったハインリヒは、仲間にだれかを当てて見せていた。
ハインリヒは下級生の名前をほとんど覚えていたのである。
その時、ハインリヒはドルイドだけわからなかったのだ。
「ドルイドのやつ、気を変えるのがうまくなったな……昔は下手だったのに」
などとその時言ったものだったが、そのドルイドと今の男の気が似ているような気がするのは偶然なのだろうか。
まさか、だが……もしかして……
相手の男の方はじっとハインリヒを見ていた。今夜は、どうもここで待っていたような感じである。
男の気質は、安定していなかった。気質を変えて継続させるのは、難しいものなのである。
やはり、気を変えている。ならばドルイドしかないではないか。
だが、このドルイドが、まさか自分の子供として転生するなんて、運命の女神はなんという偶然をもたらすのだろうか、
まさか、亡くなった友が、自分の息子になるなんて──
「王も人が悪いですよ。ずっと内緒にしていたなんて……」
衝撃の事実を知った夕方、ハインリヒはラクシュミに愚痴っていた。
「ははは、悪かったな」
ラクシュミは笑っていた。
「さぞかしびっくりしただろうな」
「びっくりどころじゃないですよ。さっきも、ドルイドに『大人になってごらん』などと言ってみたんですが、大人にはならなかったです。
どうして夜だけなんでしょうね」
「さあなあ」
「しかも、大人になった時のことをさっぱり覚えてないんですから」
「私もドルイドに会いたいな。その前にゆりに会ってやってほしいが……」
「そうですね。なんだか王妃に後ろめたい気分ですよ」
シャナーンに続きハインリヒも、ゆりにはちょっと会いづらくなってしまった。
「しかもドルイドには昔の愚痴を言われました。まさか愚痴を言うために転生してきたんじゃないだろうな……
それにしても、この１５年は驚きっぱなしですよ。過去の世界でもこんなに驚くことはなかったでしょう。
私が未来にこなかったらどうなっていたんだろう。そう思うと怖いですよ」
もしハインリヒではなくディランが未来に来ていたら、ドルイドはディランの息子にでも転生していたのだろうか。
一つことが違えばすべて狂うのである。考えてみれば、恐ろしい。
「そうだな。まあ驚くことの大半は、ゆりがからんでるからな」
ラクシュミはこともなげに言った。
「そのうち過去の男たちが全員この時代に集まってきたりして」
「それはそれで怖いですよ。ヴィラルージュ様にも教えてさしあげたい。ディランやみんなにも」
「まあそのうちに、みんな知るようになるだろう」
「そうだといいんですが……」
ディラン達が知るようになるには、ヴィラやジュノーも知る必要もある。ゆりを飛ばしてそちらにこのことを話すわけにもいかない。
なかなかもどかしいものである。
自分が知らないうちにそんな大変なことが起こっているとは、ゆりはまだ知る由もなかった。シャナーンの様子が
変だな、とは思っていたが、そんなに重大なことがあったなどと思うわけもない。
ゆりには他に気になることもたくさんあった。
まず、過去に行ったへびっちがいつ帰るかも気になっていたし、蛇の目のゆりが掘った宝石は、昼間は宝石屋に預けているので、
それがいつ出来上がるかも気になっていた。やはり身に着けるにはペンダントか何かにしてもらわないと不便である。
ゆりは「昼間だけ我慢してね」などと宝石に語り掛けていた。また色が変わったらまずいと思ったようだ。
宝石はちゃんと理解したのか、いまのところ輝きを保っている。
また、黒目のゆりの石の箱を子供たちは毎日気にして、「今日は石が増えた？」と聞いてくるのだが、石はずっと７個のまま
である。神の国に行かないと子供が増えるわけもなく、石も増えない。ゆりはここのところ神の国に行ってなかった。
神の国にいってもそうほいほい子供ができるわけでもないが。
「あの時のかわいい動物にまた会いたいなあ。もう大きくなってるんだろうなあ……」
アリアスの神殿で出産した、でかいりすのような生き物のことである。あの時生まれた子供たちがどうなったのか見てみたいものだ。
「また毛がある動物に触りたい。たまには猫でも持ってきてもらおうかなあ」
毎日蛇を見ていると、たまに「毛があるかわいい動物に触りたい」と思ってしまうのであった。
それは今も同じである。
「マー、へびっちまだ？」
部屋に突然ミシェイラが現れた。ゆりはレーヌを抱っこして立っていた。
「まだ帰ってこないじゃない？」
「もー」
ミシェイラは頬をぷっと膨らませてさっさと去って行った。
「へびっちかあ、いつ帰ってくるのかなあ。みんなによくされてるんだろうね」
レーヌはばたばた手を動かしていた。
「外に行きたい？ 行こうか」
ゆりはレーヌを連れて部屋を出て行った。
へびっちが過去に行くのは２度目なので、みなさほど大騒ぎしていなかった。そのうち帰ってくるだろうと
思っているのである。ラギやシスは「僕も気軽に過去に行きたいよ」などと言っている。
イシュタールにいたっては、全く気にせずに、ジュノーやヴィラの方がへびっちのことを気にしているくらいだった。
さて過去の世界である、へびっちがこの時代にやってきて５日が経った。へびっちは城で過ごしたり、
レイアスの屋敷でレイアスの娘ユーリと遊んだりしていたが、夜はさっぱり屋敷に帰っていなかった。
女王は、へびっちがラクシュミの姿に変わったことが衝撃すぎて、あれからへびっちをむげにできないでいた。
ラクシュミの姿になられると、乙女のような気分になってしまうらしい。
自分と同じような孤高の存在である未来の王には、心惹かれるものがあるのだろう。
なので次の夜もへびっちが寝室にやってきたのだが、「もう変身はしないでおくれ」といってつい相手をしてしまったのだった。
へびっちは毎晩やってくるわけではなかった。２晩続けてきて、それからは来ていない。
自分のところに来ないなら来ないで、気になるものである。
エレノアの元におるのかも？
と女王は思っていたが、へびっちは王子アゼルの寝室にいた。
「へびっちと寝たら楽しい夢が見られそう。だから一緒に寝てよ」
とアゼルが頼んだからである。一緒に寝ても別に何も起きなかったが、誰かと一緒に寝るというのもアゼルにとっては
楽しいことだった。へびっちだけはアゼルのことを王子だと思っていない。むしろ対等くらいに思っているのだから、
アゼルにとっては面白い存在である。メイドたちはへびっちの態度がいささか気に入らないようだったが、
「考えてみれば、へびっちも人ならば王族だよね。だから僕と対等でもかまわないんだよ」
とアゼルはメイドに言っていた。
「そうなりますかねえ？」
とメイド達は首をかしげていたが、へびっちはゆりとレイアスの蛇の息子なのだから、一応王族であるといっても
いいかもしれない。
そして今夜は、半ば強引にアゼルはへびっちを部屋にとどめていた。
「今日も一緒に寝てよ」
アゼルは行こうとしたへびっちの胴体をつかんで頼んでいた。へびっちは今蛇になっているのだ。へびっちはうにゃうにゃ
動いている。今夜は嫌らしい。
「お願いだよ。ね、明日さあ、おいしいカエルをあげるから」
「へびっちはカエルが好きらしい」とレイアスから聞いたアゼルがそういうと、へびっちはおとなしくアゼルの寝室に
留まったのだった。
「本当にカエルが好きなんだね」
アゼルはへびっちと布団に入った。
「何かおきなくてもいいんだ。君と一緒にいるだけでわくわくするな。それに、君は僕のくだらない話を聞いてくれるから
好きなんだよ」
王子の話ならば誰でも聞いてくれるだろうが、あまりにたわいもない話はたとえ召使たちにもしにくいものだった。
自分は王子であり、次の王になる存在なのである。
周りの連中にも、それらしく振る舞うようにと、幼いころから教育されている。
つまり、周りを失望させないように、日々言葉を選んで他人と接してきたともいえる。
「君なら僕が何を話しても誰にも話さないだろう？ それもいいんだ。僕は本当はさ、時々どこかに行きたくなるんだよ。
だってさ、みんなが僕に期待してるだろう？ そういうのが重荷に思えることがあるんだ。僕って甘えてるのかな。
それともこう思うのは一時のことなのかな？ 僕の未来は王になるって決まってる。僕自身そう振る舞ってるけど、
時々他の子供に交じってばかなこともやりたいって思うんだ。くだらないって思うかい？ アナスターシャ姉様もくだらないって
思うかな。僕だって時々羽目を外したい。馬にも乗ってみたい。かくれんぼとか、おいかけっことかして他の子と遊びたい。
ばかなことだっていいたいよ。そうだ、へびっちにあげるカエル、どうせだから僕がとろうかな？ それ楽しそう。
僕カエルって触ったことがないんだ。そばでじっくりみたこともないよ……」
アゼルは他にもいろいろなことをへびっちに話していた。王子としての鬱憤がたまっているようである。
アゼルの環境はかなり複雑で、一番甘えたい母親は自分だけの母ではなく国民みんなの母親のような存在であった。
いつも母を独占するわけにはいかず、父親のフークスは臣下なので、フークスのほうがアゼルに対しては一歩引いている。
アゼルがわがままをいって一緒に寝たいといえば、フークスだってここに来るだろうことはアゼルもわかっているのだが、
アゼルもなかなかそうはいえなかった。周りに対して素晴らしい王子でいたいという思いが心の底にあるからである。
ようは真面目な性格であったために、子供らしい欲望などは、心の底に押しとどめたまま育ってきてしまったのだろう。
アゼルがひとしきりへびっちに語った後、アゼルは何か異変に気付いて、かけ布団をあげた。横にいたはずのへびっちがいない。
「あれ？ もしかして……」
パジャマをあげておなかをみると、へびっちの顔がちょうどあって、アゼルは驚いた。
「あはは、なんだかうれしいな」
アゼルの体は小さいので、きっとへびっちは体をぐるぐる巻きにしている感じなのだろう。
「へびっちに巻かれてる感じだね。なんか不思議だなあ」
アゼルの体には蛇はいなかったので、不思議な感覚だった。
「君ってほんと楽しいなあ…」
アゼルはそのまま眠りについた。
眠ってからしばらく、アゼルはどこかの空間でへびっちに出会っていた。へびっちはいつもレイアスが着ているような
ゴージャスな緑の服を着ている。「見て」といわんばかりにアゼルの前で回っていた。
「へびっち、似合うよ」
とアゼルがいうと、へびっちはうれしそうに親指を上にあげていた。アゼルは自分の服を見た。自分はパジャマのままである。
「夢で誰かに会うっておもしろいね」
二人の前にぱっと女の子が現れた。銀色のストレートの髪の少女である。
真っ白なワンピースを着た綺麗な少女だ。少女は金色の瞳で、ほほえんでいた。
「あ、もしかして、アナスターシャ様？！」
アゼルが聞くと、へびっちはうなずいた。
「アナスターシャ様、僕は……」
アゼルは真っ赤な顔で自己紹介をしようとしたが、アナスターシャはピクリとも動かなかった。
「あれ？ 本人じゃないのかな？」
へびっちはうなずいている。
「そうかあ。僕が会いたい会いたいって言ったから、姉様を見せてくれたんだね」
アゼルは嬉しそうな顔で、ここぞとばかりにアナスターシャの顔を眺めまくっていた。
「こういうお顔なんだ。想像通り、綺麗な人だなあ……」
アゼルはアナスターシャと、遠慮がちに手をつないでみたりもしている。
「こういうことしたの、内緒だよ」
アゼルはうれしそうだった。
深夜、女王の寝室では、女王はその夜一人で寝ていたのだが、今夜はなにやら寝苦しさに目を覚ました。
「うーん、うわっ！」
目の前にでかい蛇の頭があって女王は驚いた。
「これは一体どうしたことじゃ？」
自分の周りを蛇がとりまいている。宙を漂っている蛇もいた。
色は様々であるが、皆透き通っている。
「これは、蛇霊神か？」
ざっと見るだけで１０匹ほどもいるではないか。
「一体どうしたことであろうか……」
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「陛下、まだ起きておられますか？」
ムサカの声である。
「ムサカか、入ってきてこれを見ておくれ！」
女王が言うと、ムサカが扉を開けて中に入ってきた。入るなり、ベッドの周りにいる蛇霊神を見てぎょっとしている。
寝室は、大きな蛇霊神でうめつくされているといっていいほどだった。
「陛下、これは……」
「蛇霊神じゃ、一体どうしたことであろうか？」
女王はベッドから降りてスリップ姿のままムサカに近づいた。すると蛇霊神がみな、女王を見ていた。
「何か胸騒ぎを感じて来てみましたが……一体どうしたんでしょうな？」
蛇霊神が女王を気にしているのは明らかである。ムサカは女王のお腹あたりを見て、目をこらした。
「陛下、今夜はおひとりでしたかな？」
「ん？ 一人であったぞ」
「蛇紋の蛇が出ておりますが……」
「え？」
女王は自分のお腹を見た。確かに金色の蛇が肌に浮いている。二人とも、服の上から蛇紋を見る力があるのだ。
「なぜであろうか？」
「わしに聞かれましてもわかりませんが……」
蛇霊神達はこちらによって来ていた。今度は二人の周りをぐるぐる回っている。やはり蛇霊神は女王を気にしているかのようだ。
「…………」
老人ムサカは、長いあごひげをなでながら、女王を見たり蛇霊神をみたりしていた。
「何かが起こる前触れであろうか？ それとも、エレノアが儀式をしておるとか？」
女王にはそれくらいしか思いつかなかった。
蛇霊神たちはやがて女王の体に皆入って行った。
「ん？ やはりエレノアが儀式でもやっておったのか？」
「いえ、違いますな。今の蛇霊神は、おそらく女王に元々入っていた者達ですよ。先ほどと今では女王の気の力が変わっております
からな」
「え？ あ、そうなのか？」
「女王に何かあって出てきたような感じでしたなあ」
「私に何がある？ なんじゃ」
「さあ、わしにはわかりません。まあ何もないようなのでこれで」
ムサカは寝室を出て行った。
女王の肌に出ていた蛇紋は消えていた。
「なんじゃ、ものすごく気になるではないか」
自分の中にいた蛇霊神が外に出てくるのは、初めてのことである。
女王はその後、このことが妙に心に引っかかったまま、眠りについたのだった。
次の日、アゼルは昨晩の自分の決意を実行に移そうと心に決めた。何事も、思っているだけではつまらないと、
朝、さっそくディランと教師たちに告げている。
「今日は一日授業も訓練も休みたいんです。そしてカエルを捕まえたい。カエルってどこにいますか？」
アゼルは教師に聞いていた。
「カ、カエルですか？」
教師たちは顔を合わせていた。
ディランはアゼルの後ろにいたへびっちを見た。へびっちは人になっているが、素知らぬ顔をしている。
「へびっちのためのカエルですか？」
ディランが聞いた。
「そうだよ」
「殿下自らとらなくても……池に入ったりするんですよ？」
「いいよ。僕もそういうことしたいんだよ。いいでしょ？」
「はあ……このこと、陛下はご存知ですか？」
「僕が一日休みがほしいっていったら、好きにしていいって」
そこにフークスがやってきた。フークスは、困惑している教師から事情を聞いた。
「カエルとり、楽しそうじゃないか。やらせてあげましょうよ」
フークスはアゼルの父親である。息子の願いを聞いてあげたいと思うのは当然だった。
「しかし、足にけがでもしたらどうします？」
ディランがいった。
「何事も社会勉強だよ。過保護すぎるのはよくないし、せっかく殿下がやりたいとおっしゃってるんだから、やらせてあげようよ」
「はあ……」
「ありがとう、フークス！ へびっち、おいしいカエルをとるからね！」
アゼルはうれしそうに声を弾ませている。こうして、王子様自らが池でカエルを探すことになったのだった。
カエル探しには子供たちや下の連中も駆り出されて、綺麗に着飾った騎士達も、今日はズボンをまくりあげ、泥だらけになって
カエルを探すことになったのだった。
一方女王は、昨晩の出来事が頭から離れなかった。過去の王のことに詳しい者を呼び出して、話を聞いている。
「王の中に入っている蛇霊神が身体から出るというのは、いかなる時であろうか？」
女王が聞くと、老齢の研究者は、
「それは、王が亡くなる時でしょうな」
とあっさり言った。
「やはりそうか？」
「先代様が亡くなるときも、そうでしたし」
「あ、そういえばそうであったな……」
ゆりが過去の時代にやってきたときには臥せっていた先代の王は、今はもう亡くなっている。亡くなる前に、王の中にいた
蛇霊神は、外に出て行ったのである。女王はその場に居合わせていたのだ。
「他にないのか？」
「他には聞きませんなあ……」
ということは、私は近いうちに死ぬのでは？
女王は自分の想像に愕然としていた。
死ぬ？ 私が死ぬ？ あれはその前触れだというのだろうか？
「陛下？ いかがいたしました？」
女王の顔が青ざめていたので、研究者が心配していた。
「いや、なんでもない。もう下がってよいぞ」
研究者が下がり、女王は落ち着きなく部屋の中をうろうろしだした。
この私が、死ぬ？
もしかして、知らぬうちに病気が進んでおったとかそういうことだろうか？ まさか、私が……
今死ぬのは非常に困る。アゼルもまだ小さいし、第一この子を産んでもおらんし……
「ど、どうしたらよいのじゃ……」
そこに扉をノックする音が聞こえてきた。
「陛下、ハザーク様がいらしておりますが」
「ハザーク殿が？ 通せ」
「は」
部屋に入ってきたハザークは、女王の表情が暗いのに気付いたようである。
「ん？ どうしたのだ？」
「なんでもない、いや、ちょうどよかった。ハザーク殿に聞いてほしいことがあるのじゃ。座っておくれ」
女王はハザークに椅子をすすめて、自分も腰を下ろした。
「私は昨晩、自分の蛇霊神を見たのじゃ！ みな私から出て私をみておった。これは一体どういうことじゃ？」
女王が座るなり切羽詰まった表情で聞くと、ハザークは目を見開いていた。
「何か、悪いことの前触れではないだろうか」
「本当に自分の蛇霊神だったのか？」
「本当にそうだったのじゃ。みな私の中に再び入っていった。なぜ出てきたのだろうか？」
「何か訴えたかったのかもな」
「何をじゃ？」
「さあ……」
「わたくしは、近いうちに死ぬのではないだろうか？」
「は？」
ハザークは目をぱちくりさせていた。
「蛇霊神が出るのは、そういうことなのではないのか？」
「だが、また戻ったのだろう？ 女王の気は今は安定してないが、死が間近な人間には思えぬぞ」
ハザークは、女王を上から下まで観察して言った。
「ではなぜ蛇霊神が出てきたのだろう」
「女王の妊娠を祝福して出てきたかもしれないではないか」
「出産を祝福？ だが前回はこのようなことはなかったが……」
「前回は気づかなかったかもしれん。たまたまだろう」
「うーむ……」
そういえば、未来のハザーク殿は、私が死ぬのは老衰だと言っておった！
あれが本当ならば、私は長生きするということだが……
本当にそうなのだろうか？ 元気な人間がある日突然なくなることもあるしのう……
女王はどうにも不吉なことが頭から消えないようである。
「あまり気にしないことだ」
「うむ……ところで、ハザーク殿は何か用であったか？」
「ああ。面白い蛇がいると聞いてきてみたのだ。どう面白いのだ？」
女王の動きが止まった。
「面白い蛇？」
「相当面白いようだが？」
「誰に聞かれたのか？」
「蛇に聞いた」
「…………」
さすがの女王も、蛇には口止めできなかった。
「ああ、面白い蛇、おりましたよ。10色に分かれている大きな蛇がおりました。その蛇は、もう
どこかに行ってしまいましたが……」
「人に変身する蛇だと聞いたが？」
女王はぐっと声をつまらせていた。
「実は、その、あの……ハザーク殿とはあまり会わせたくないと思って、黙っておった。あまり礼儀というのもを知らぬ蛇で
……」
「人になる蛇なら会ってみたい」
「そうですか。ですが、気まぐれな蛇なので、もう城から遠くに行ってしまったのかもしれませんが……」
へびっちが未来からきたというべきか、ごまかすべきか、難しいところだった。
「とにかく会ってみたい。いたら連れてきてくれ」
ハザークはそう言って去って行った。
「ああ、また悩みが増えた。どういってごまかせばいいのか、まったくわからん！」
アゼルのカエルとりは、昼で終わっていた。へびっちはアゼルがとった大きな緑のカエルをぱくりと食べて、
アゼルは満足して終わったのだった。カエルとりに付き合った周りはやれやれである。
だがフークスは、心底楽しそうなアゼルを見てうれしそうだった。
城に帰ってきたアゼルは、珍しく昼食をおかわりしていたので、メイドが驚いていた。
「アゼルがこんなに食べるとは珍しいのう」
女王も驚いている。
「はい。いつもほど動いてないと思ったけど、どうしたんでしょうか、お腹がすいて……」
アゼルの子供らしい笑顔を見て女王の顔も一瞬ほころんだ。そしてすぐに、へびっちをハザークに合わせるべきかどうか
悩みだした。
「アゼル、ハザーク殿がへびっちに会いたいといっておるのだが、どうしたらよいと思う？」
女王はしまいには息子に聞いていた。
「そうですか。あわせたらどうですか？ へびっちはしゃべらないし、何かがばれることもないですよ」
アゼルが答えた。
「そうだのう。余計なことを言わぬのはよいが……」
女王はちらりとへびっちを見た。
このとき、へびっちは食堂の隅で蛇のまま昼寝をしていたのだった。
へびっちの昼寝が終わってから、アゼルは人化したへびっちをハザークの元に連れて行ったのだった。
へびっちはハザークを見るなり、うれしそうにハザークに抱き着いていたので、ハザークは驚いていた。
「ハザーク様、彼がへびっちですよ」
「へびっち？」
「へびっちです」
「こら、離れろ」
ハザークはへびっちをはがしてじろじろ眺めている。
「確かになんだか、変な蛇だな……どこからきたのだ？ 今まではいなかっただろう？」
「彼は未来から来たみたいですよ。魔法できたみたいで、そのうちに帰るようです」
アゼルは平常心で答えていた。
「魔法？」
「詳しくはわからないんですが、そうみたいです」
へびっちはまたハザークに抱き着こうとして、ハザークに阻止されていた。
「なれなれしいやつだな」
「ハザーク様が好きみたいですね」
「なれなれしい奴は嫌いだ」
離されたへびっちは、きょろきょろ部屋の中を見た。そしてテーブルの上に紙を見つけたので、
側にあったペンで何かを描いてハザークに渡していた。
「なんだ？ パパ？ パパってどういうことだ？」
ハザークはアゼルに聞いている。紙には「パパ」とだけ書かれていた。
「えーと、へびっちは、お父さんのようにハザーク様を慕ってるんじゃないんですか？未来で」
「え？ そ、そうなのか？ だからそんなになれなれしいのか？」
へびっちは意味がわかっているのか不明だが、うんうんうなずいている。
「そ、そうなのか、それはすまなかった……ちょっと蛇になってみてくれないか？ 蛇の姿がみたい」
ハザークが申し訳なさげにいうと、へびっちはどろんと金色の蛇に変わったのだった。これにはハザークも驚いたが、
アゼルも驚いた。ハザークは蛇の体をじろじろ眺めている。
「服が、残ってる……本当に珍しいやつだな……」
へびっちはハザークを見上げている。
「…………」
両者はしばしみつめあっていた。
「あの、僕らはそろそろいきますね。それじゃへびっち、いこうよ」
長い間ここにいるとまずいと思ったのか、アゼルはへびっちをせかした。
へびっちはまたどろんと人間に戻り、いそいそと服をきていた。
「確かに変わってるな……」
ハザークはへびっちを珍し気に見ている。アゼルはへびっちを連れてさっさと部屋を出て行き、
ハザークは「パパ」と書かれた紙を見て、「未来か。まさか、我の息子じゃないだろうな。まさかな……」などと
つぶやいていたのだった。
その夜─
一人で寝ていた女王は、あまりの息苦しさに目を覚ました。身体が燃えるように熱く、汗も流れている。
目を開けると、またもや自分の周りを蛇霊神が取り巻いているではないか。
身体の状態は明らかにおかしかった。普通に歩くこともできないほどである。ベッドから降りることも無理かもしれない。
「私はやはり死ぬのか？ いやじゃ、死にとうない！」
息苦しく、お腹のあたりが痛くてたまらないのである。
「まだ死にたくない。誰か！ アゼル！」
女王はふり絞るように声をだしつつ、思念を使っていた。
その声にメイドやアゼルも飛んできた。
「母様、一体どうしたんです？」
「陛下！ 早く医者を！」
メイドもあわてた様子である。
アゼルは母親の尋常ではない様子を見て息をのんだ。女王の周りを蛇霊神が取り囲んでいるのもなにやら
不気味である。
「蛇霊神？ どうして？」
「ア、アゼル、アゼル、私は、もうだめかもしれぬ。すまぬ」
女王は涙ながらに息子に語っていた。
「母様、突然何を言われるんですか？」
アゼルは気弱な様子の母親に仰天し、ベッドに近づいて母親の手を握りしめた。その手は異様に熱かった。
ベッドの上を、蛇霊神は漂ったままだった。
「あんなに元気だったじゃないですか。どうして突然！」
「わからぬが、もうだめかもしれぬ」
「そんなばかな！」
「体が熱い……熱くてたまらん……」
「母様……」
メイドがあわててタオルで女王の顔をふいていた。
「陛下！」
医者が慌てて二人飛んできた。
「陛下、一体どうなさったんです？！」
医者は蛇霊神を気にしながら女王に聞いていた。
「わからぬ。身体は熱いし、お腹は痛いし、一体どうしたのか……」
「みせてください。殿下はお下がりください」
医者は女王の布団をとり、女王の服を上に手繰り寄せてお腹をだし、診察をはじめた。
アゼルは傍らではらはらして見守っている。へびっちがやってきた。へびっちはアゼルと一緒に寝ていたのである。
「へびっち、母様に何かあったらどうしよう……」
アゼルはぽろぽろ涙をながし、へびっちは慰めるようにアゼルの頭をなでていた。
「おかしいですな。赤ん坊は元気ですし……」
「流産のようでもないですなあ……」
診察した医者が首をかしげていると、女王の肌がかわってきた。肌に様々な色の蛇のうろこが浮き出したのである。
「あ、へ、陛下、あの、変化されておりますが……」
医者は頬を赤くそめていた。
「なぬ？ なぜじゃ？」
女王が自分でも戸惑っていると、自分の肌に、金色の輝きが浮かぶのが見えた。
「あ…」
「これは……」
美しい金色の蛇が、女王の体を取り巻いている。
「へ、陛下、美しい、なんと美しい……」
二人の医者は、どちらも男だったので、ついその蛇にみとれていた。
アゼルとへびっちもベッドに近づいていた。
「これは……」
蛇霊神たちが、女王の上をゆっくりと移動しだした。一同はやがて女王のお腹に、金色の蛇が浮かぶのを見た。
その蛇は、20センチほどの長さの細い蛇だった。
「…………」
一同が茫然とその蛇を見ていると、そこにへびっちが手を出した。
「あ……」
金色の蛇はへびっちの手の上に移動してしまった。すると、宙を漂っていた蛇霊神が一匹その中に
入った。へびっちはその蛇をなんと自分の口の中に入れてしまった。
「あ！」
「あ？！」
「あー、な、何をするのじゃ！」
へびっちは蛇を口に入れたまま、だっと走って寝室を出て行ってしまったのだった。
「へ、へびっち！！」
女王が叫んでいると、医者が「あっ！」と声をあげた。
「もう一匹おりますぞ！」
女王の肌に、もう一匹蛇が浮かんでいる。
「すごい、かわいいなあ」
アゼルが女王のおなかに触れると、蛇はアゼルの手にそのまま移ってしまった。
「あ、あれ？」
アゼルは手のひらを見て驚いている。
女王の肌から蛇の鱗は消えて、蛇紋も消え、蛇霊神はすべて女王の中に戻ったのだった。
女王の体温はすっと元に戻っていた。お腹の痛みもだいぶ消えている。
女王は沈黙したまま服を直して、布団を上にかけていた。
「陛下、い、いまのはなんですか？」
興奮したままの医者が聞いた。
「なんか、とてつもなくすごいことが起きたんですが……」
「なんのことじゃ？」
女王はうわずった声をあげている。
「この蛇のことですよ。殿下の腕にいるではないですか」
医者がアゼルの腕にいる蛇をさしていた。
「……そのことじゃが、これは、他言無用に願いたい」
女王は先ほどとは別人のように冷静にになり、言った。
「これはなんですか？」
「さあ、なんであろうのう」
女王はしらばっくれることにしたようである。アゼルが腕の蛇をみて、「あ！」と声をあげた。
「もしかして、母様の蛇紋が子供をうんだんでしょ？ ゆり様と同じだよね。すごいね。父親は誰なの？」
アゼルは、騎士の誰かが父親だと思ったようである。
「え？ そ、そうなんですか？ すごいではないですか。どうやって蛇紋が移動したんですか？」
「そういうことって本当にあるんですか！？」
医者は驚きまくっていた。
「すごい！」
「すごい！」
「はっ、へびっちはどこに行ったのじゃ？」
女王は話をごまかした。
「小さい蛇を口に入れてましたが」
「まさか食べてしまったのでは？」
「そんなはずはない。自分の子供を」
女王はついぽろっともらし、「ええええええ！！！！」と一同は驚くことになったのだった。
「へびっちの子供なの？ すごい、じゃあレイアスの孫じゃないですか！ すごい！ 」
「「どうやったんです？」」
医者二人は声を合わせて聞いていた。
「知らぬ。このことは、他言無用じゃ！ 絶対じゃ。よいな？」
女王は厳しい瞳で医者をにらんでいた。
「しかし、どうやって作ったのか気になります。誰にも言わないんで教えてください」
「知らぬ」
「陛下、ムサカ様がいらしてますが」
メイドがこっそり告げに来た。
「今宵は何もなかった、とじいやに伝えておくれ」
「はあ」
「何もなかったのじゃ」
「それじゃへびっちがかわいそうですよ」
アゼルが言った。せめてお祝いくらいしたいものである。これは本当にすごいことなのである。
「かわいそうじゃない。私の立場があるのじゃ、その蛇は、偶然でたことにしよう。そうしよう。それでよし、解散」
女王は勝手に話を進めて、医者を帰らせたのだった。
「アゼル、絶対誰にも言わぬようにな」
二人きりになった女王は、金色の蛇をなでているアゼルに言った。
「へびっちと母様の蛇紋が恋をするなんて、素敵じゃないですか。内緒にするなんてもったいないなあ」
アゼルはへびっちが女王とひっついたとまでは想像しなかったようである。
「僕、へびっちにおめでとうっていいたい。探しに行きますね」
アゼルは部屋を出て行った。
一人になった女王は大きく息をはいた。
「死ななくてよかったが……まさかこのようなことになるとは……いつの子供であろうか？ 今回はすぐすぎるし、
前回の？ ああ、びっくりした……」
女王は死の恐怖があったために、今はほっとする気持ちの方が強かった。
疲れもあり、そのまま横になって寝てしまった。
アゼルがへびっちを探したものの、へびっちは城にはいなかった。
へびっちは城の中にいた騎士の体に入り、その騎士がレイアスの元までへびっちを運んでいたからだった。
「へびっち、突然夜中に帰ってくるなんて、どうしたんだ？」
騎士の体から出たへびっちは、すぐにレイアスの体に入ってしまっていた。
レイアスはそのまま眠り、その夜、ジュノーと夢がつながったのだった。
二人の出会いは短かった。へびっちはレイアスから出るとすぐにジュノーの体に入り、すぐに夢は途切れてしまった。
未来ではジュノーが飛び起きていた。何か強烈な意思で起こされた感じである。
周りはまだ真っ暗である。
「なんだ？ どうしたんだ？」
へびっちが何かを訴えているようである。
その時ジュノーの脳裏にぱっとゆりの顔が浮かんだ。
「なんだ？ 王妃のところにいけというのか？」
身体にいるへびっちが暴れているようで落ち着かない。
「明日じゃだめなのか？」
へびっちはジュノーの体を暴れまくっていた。
「すぐ行けってか。わかった。わかった。よくわからんが……」
ジュノーはへびっちにせかしまくられて着替えることもなく城に移動した。そしてゆりの寝室に来たのだった。
「来たぞ。どうするんだ？」
その声に、ゆりが目を覚ました。
「ん？ だれかいる？」
「ジュノーです。なんかへびっちが王妃に会いに行けっていうもんで」
「へびっち？」
へびっちはジュノーの体から出ていた。口から何か出すとすぐに人になり、何かを拾い上げている。
「あ……」
「何？」
へびっちはゆりのベッドの側で寝ていたレーヌを見ると、薄いタオルケットをはぐって、レーヌに触っていた。
「へびっち、どうしたの？ 何をしてるの？」
ゆりがベッドから降りた。
「ああ……」
ジュノーは口をぽかんと開けている。
へびっちはほっとしたような顔をして、疲れたようにゆりに抱き着いていた。
「へびっちが、蛇を持って帰ってきた……」
ジュノーの言葉に、ゆりは「何？」と聞き返していた。
「へびっちが、過去から蛇を持って帰ってきたんですよ。ほら」
ジュノーがレーヌの腕を持っている。
「え？」
ゆりは目をこらしてみたが、起きたばかりなので、レーヌの手に何かきらきらがあるのしか見えなかった。
「冗談でしょ？」
「子蛇だけど、大きな蛇ですよ。へびっち、過去で女性にうんでもらったんだ？」
ジュノーが聞くと、へびっちはうなずいていた。
「それで子供が生まれたんであわてて帰ってきたんだな。お前、すごいことしたな」
「はあ？ いまのどういうこと？ 冗談でしょ？」
ゆりはつい、素っ頓狂な声をあげていた。
「冗談じゃないですよ。この子蛇、結構強い力がありますよ。我々がもらった子蛇よりもかなりすごいですよ？」
「はあ？ 子蛇？ へびっちの子蛇？ ってことは、私の孫蛇？！」
ゆりは裸のへびっちに抱き着かれたまま唖然とし、ジュノーは「こりゃすごい、いやーすごい」と何度も感嘆していたのだった。
つづく
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