第61話

神の国ではある日の夕方。ジンラの神殿に、虹の神ラーズ、水の神ラクア、夜の神オルガが集っていた。

神殿の主ジンラももちろんいる。それぞれテーブルの周りの椅子に座っていたが、テーブルに置かれている

酒に誰も手をつけてはいなかった。それぞれ酒を飲む気分でもないのだろう。ラーズにいたっては、瞳がうるるんとして

今にも泣き出しそうである。他の神たちもしょんぼりした様子だ。

部屋の様子をうかがうように入口にいたのはアマンザだった。こちらも心配げな顔つきである。

沈黙が続いていたところに、ハロルドがやってきた。その後ろには白い翼が見える。ハロルドはクーリーフンを

引っ張ってきていたのである。

「クーリーフン、ガーベラの様子はどうなんだ！」

ラーズがクーリーフンの顔を見るなり聞いた。クーリーフンは部屋に入るとようやく手を離されていた。

「もー跡がついちゃったよー乱暴なんだから」

クーリーフンはぶつぶついいながら自分の手首をさすっている。

「お前が言うことをきかないからだろ。すんなりくりゃそれですんだじゃないか」

ハロルドも文句を言っている。

「だって、雨が降ってたしさー」

クーリーフンは自分の頭をなでて翼をふるっていた。確かに水滴がついている。だがずぶぬれではなかった。

「雨が降り出したのか……」

ジンラが言ってから部屋の奥に消えた。

「サントスの仕業じゃないのか？　お前が全く説明しないからみんな混乱してるんだぞ。ガーベラに一体

何があったんだ？」

ハロルドはみなが聞きたいことをズバリ聞いていた。ジンラはタオルを持ってきてハロルドにも渡し、

タオルでクーリーフンの翼を拭いている。

あの事件から、神の国では三日が経っていた。ガーベラはあれから神殿の外には一切出ず、しかも

神殿の周りに結界を張ってしまい、クーリーフンと愛の妖精シャリィ以外中には入れなくなってしまった。

それで恋人たちはおかしいと思い、ガーベラがそうなった理由をクーリーフンに聞くのだが、クーリーフンは

逃げ回っていた。クーリーフンは先ほど神殿の外でグレンと話していて、ハロルドに捕まえられてしまったのである。

グレンはアシュランの使いで来たのだが、それでもガーベラは外には出なかった。

これも珍しいことである。神々は基本的に、最高神にあからさまに逆らうことはしないものなのだ。


クーリーフンは男たちを見まわして、困ったように上を向いた。

「クーリーフン、周りはみんな心配してるんだぞ。ガーベラに何があったのか、ちゃんと話してくれ」

ラーズは今にも泣きそうな顔で聞いていた。

「ガーベラは元気なのか？」

ジンラが聞いた。

「元気だよ。ただ、いまはちょっと神殿の外には出たくないだけだよ。しばらくそっとしておいてくれないかな」

クーリーフンが答えたが、それで皆が納得するわけがなかった。

「ほら、誰にも会いたくない時期って、あるでしょ？」

「ガーベラに何かがあったわけじゃないのか？」

オルガが聞いた。

「ただ、精神的に下降気味なだけだよ」

「なんで下降気味なんだ？」

ハロルドが聞いた。

「誰かともめたとか？」

ラクアが他の神たちをみたが、誰も心当たりがなさそうだった。

「サラディンもサントスも違うよね？」

そのサラディンはガーベラに何かあったなど全く知らず、この集まりの前に知ったくらいだった。

この後、オルガが報告しに行くことになっている。サントスはガーベラが何か変だという噂を聞いて、カサンドラの

神殿で心配している。ガーベラの件は、他の神たちの話題にも上っていたのである。

「誰かともめたとかじゃないよ。とりあえず、もうちょっと待ってよ。そのうちお母さんも出てくるからさ。

僕からはこれ以上は言えないよ」

「クーリーフン、本当にガーベラは大丈夫なんだろうな？」

ラーズが聞いた。

「もうちょっと待って、僕は忙しいから行くよ。雨はやんだかなあ」

クーリーフンはつぶやきながら部屋を出て行った。ハロルドもさすがにこれ以上クーリーフンを押しとどめたりは

しなかった。

ハロルドは（ガーベラの異変はゆりに関係があるのでは？）とそっちを疑ったのだが、

人間界にちらりと様子を見に行ったらゆりは元気にしていた。理由は他にあるらしい。

「うーん、サラディンになんといったらいいかな？」

オルガは悩んでいる。

「ガーベラが出てくるまで待った方がいいのかな……周りがあまりうるさく言うのもなんだし……神気が

あまりにも低下してたら問題だけど、そういうわけでもないし……ここは様子を見ようよ」

ラクアがみなに言った。ガーベラの神気はある程度は保っていた。ただ神殿の周りの花は枯れてしまい、

今はかなり寂しい景色になってはいるが。

「まあそうだな。ガーベラがその気になるまで待とう」

オルガも同意した。

「なあ、ガーベラが自分で結界をはって誰にも会わなくなったことって今まであったのか？」

ハロルドが聞いた。

「うーん、ないな」

とオルガ。

「だからこんなに心配してるんだよ」

ラーズはずっと泣きそうである。



人間界では夜、一人で寝室に寝ていたゆりは、頬をつつかれて目を覚ました。真っ暗だったが、

身体の周りはちょっと輝いていたのですぐにわかった。

「あれ？　クーリーフン？」

「実はあなたに頼みがあってきたんだ。お母さんと数日、体を入れ替えてほしい」

「え？」

ゆりは体を起こした。

「実はお母さんにかなりショックなことが起こってね。外にも出られないありさまなんだよ。だから、頼むよ」

「ガーベラに何があったの？」

「体を入れ替えたらわかるよ」

「何？　なんか怖いけど、入れ替えてって、ガーベラがこっちに来るの？」

「うん、しばらく自分の身体から離れたら、頭も冷静になると思うんだ。今はとにかく落ち込んでどうしようもないんだよ」

「そう、わかった。いや、よくわからないけど、とにかくガーベラの力になりたい」

「じゃあ頼むよ」

「はい」

クーリーフンはさっさといってしまった。


ゆりはベッドに座ったままぼんやり考えている。

「こんなの初めて。一体ガーベラに何があったんだろう？」

ゆりもガーベラが恋人ともめたくらいしか思いつかなかった。


まあいいや、行けば説明してくれるだろうし……そうだ、ガーベラがこっちにくるって、大丈夫かな？

まあ子供に囲まれていたら、心も落ち着くかも？


ラクシュミに書きおきをしてほうがいいだろうか、とも思ったが、かえっておかしなことになるかもしれないと

思い、何も書かないことにした。

「ああ、何があったんだろう。どきどきするわ。考えたら眠れなくなりそう。そうだわ。巻貝を聞いて

寝ましょう」

ゆりは眠る巻貝を棚からもってきて、それを聞いて眠った。


どれほど眠ったのか、気が付いたらあたりは明るいし、自分の部屋ではなかった。

ゆりはガーベラと無事入れ替わったようである。ゆりは体を起こして自分の手や胸元を見た。

「おっぱいはいつも通り。一体何があったのかしら。クーリーフンはいるのかしら？」

ゆりはベッドから降りて、そこで違和感に気づいた。

いつもならば、動くだけで大量の髪が一緒に動いているのだが、やけに肩が軽い。

「ん？　んん？」

ゆりは自分の背中に手を回した。

「え？　えええええ？」

お尻や背中のどこに触っても髪に触れない。ゆりは恐る恐る頭に触れた。指はどこにもからまらなかった。

「ない、ないない！　髪がない！　髪がない！　なんでないの！？　だれか！　だれかー！！！」

悲鳴をあげていたらシャリィが部屋に入ってきた。シャリィは慰めるようにゆりに抱き着いてきている。

「ねえ、シャリィ、私の髪、どうなったの？

ゆりはあわてて聞いた。シャリィは泣きそうな顔を向けている。

「クーリーフンはどこ？　クーリーフン！」

ゆりが騒いで部屋を移動していると、クーリーフンが部屋に入ってきていた。

「シャリィ、ちょっと外に出ててくれる？」

クーリーフンは心配そうに女神を見ているシャリィに外に出てもらった。

「うまく入れ替わったんだね」

「クーリーフン、どういうことなの？　だれが私の髪を切ったのよ！　許せない！」

ゆりはてっきりガーベラの髪が切られたと思っていた。

「いや、髪は突然抜けたんだよ」

「え？　抜けた？　ちょっと、か、鏡はどこ？」

クーリーフンは棚の裏から手鏡を取り出してゆりに渡した。

「鏡は全部かくしてたんだよ」

ゆりは手鏡で女神の顔を見た。顔はいつもの顔なのだが、髪がない。いや、ないことはない。

ベリーショートである。

ゆりは口をあけたままぽかんとしていた。

「一気に全部抜けて、ちょっと生えたんだよ。びっくりでしょ？」

「こりゃショックだわ……」

ゆりは横を向いたり鏡で自分の頭の上を見たりしていた。くりくりっとした髪が生えているが、今までのあの

豪華な巻き毛との差が激しすぎる。

「一気にって、本当に一気に抜けたの？」

「うん、見事に抜けたよ。お母さんはショックで倒れちゃったんだよ」

「そりゃそうよ。私だって、突然髪が全部抜けたら倒れるわよ。病気になったと思うわよ。かわいそうなガーベラ。

でもどうしてなの？　だれかののろい？　嫌がらせ？」

「さー」

「アシュランならわかるんじゃない？」

「雲の上の神殿に行こうにも、お母さんが神殿から出るくらいなら消えていなくなるとかいって、いけなかったんだ。

君がいってよ」

「わかったわ。まかせて」

「外に出ると、騒動になるだろうなあ……」

クーリーフンは大きなため息をついていた。

「ガーベラは今頃私の中にいるのかな？」

「うん」

「ガーベラ元気をだして。短い髪でもかわいいわよ。うん、かわいい。かわいい」

ゆりは鏡に向かってウインクしていた。

元々顔が美しすぎるのである。髪が長かろうが短かろうが、ゆりにとっては大した問題でもなかった。

「今ならお風呂入るのも楽だし、おっぱいが小さくなったほうが問題だったわ。よかった」

ゆりの立ち直りの早さに、クーリーフンはちょっとほっとしていた。

「じゃあアシュラン様に会いに行くよ？」

「おー！！！」

ゆりはガーベラのために俄然やる気になり、右手を握りしめて上にあげていた。

「あ、ちょっと待って」

クーリーフンは部屋の奥に行き、手にシーツのようなものを持って帰ってきた。

「これにくるまって」

「なんで？」

「今のお母さんを他のみんなに見せたくないんだ。アシュラン様の元にいけば、すぐ戻してもらえるかもしれないから」

「えー」

クーリーフンはシーツを女神の頭からかぶせて、それを巻いて肩にかけて、女神の頭をかくしていた。

出ているのは目元だけである。

「あのね、この方が目立つでしょ！　あやしすぎでしょ！」

「みせたくないんだからしょうがない」

「はー、クーリーフンも結構ショックを受けてるのね」

「当たり前だよ。ショックだよ。僕のお母さんの髪がなくなるなんて……」

「そうだ。抜けた髪はどうなったの？　カツラがつくれるんじゃない？」

「髪は消えちゃったんだよ」

「そうなの。残念」

「ちょっと我慢して」

クーリーフンは上半身だけシーツで巻いた女神の体を抱きあげて、部屋を出て行った。

「アシュランにここにきてもらうってのはだめなの？」

ゆりは身動きが取れない状態で聞いた。

「アシュラン様に来てもらうってのは、ちょっと気がひけるんだよね」

「そうなの？」

「ああ、神殿に行くまで誰にもあいませんように」

クーリーフンは祈るように神殿の外に出たが、やはり外では様子をうかがっている妖精達がいた。

妖精達は女神が顔を隠していたので驚いたようである。

「ほらー、みんな私の顔に何かあったかと思っちゃってるじゃない。別に隠さなくてもいいのにー」

ゆりはぶつぶついいながら、空を飛んで行ったのだった。


さてそのころ、ゆりの体にはガーベラが入っていた。こちらは落ち込んだままである。

用意してもらった服に着替えたガーベラは椅子に座り、部屋に飾ってあった花を手にとって花びらを一枚づつ

むしっていたのだった。

それをちらりと見た子供たちは、

「なにかあったのかな？」

と廊下でぼそぼそ話していた。

「母様暗くない？　昨日は元気だったのにね？」

「わかった。神の国で何かあったんじゃない？　ハロルド様が浮気したのよ」

アナスターシャが言った。

「そうかもね」

とナナミがいっている。

「しばらくそっとした方がいいかな？」

「午後には元気になってるよ」

「そうね」

子供たちはそれほど気にせずに、ゆりをそっとしておいたのだった。


神の国では、クーリーフンが雲の上の神殿についていた。雲の上の神殿が、これほど遠いと感じたことは今まで

なかっただろう。誰にも会わないようにここに来るのはやはり無理だった。

雲の上の神殿に入るとダーナがいた。

「ガーベラ？　一体どうしたの？　何があったの？」

ダーナは慌てて近よってきたが、「あとでね」とクーリーフンは言いながら、女神を抱き上げたまま神殿の中を

進んで行った。

「ガーベラ様、そのお姿は！？」

アシュランの間の前にはグレンもいた。

「あとで。アシュラン様いる？」

クーリーフンは何度も言っていたのでしまいにはそっけなくグレンに聞いていた。

「はい、いらっしゃいますが」

ゆりは呆気にとられた顔のグレンを見ながら、アシュランの間に入った。うまい具合にアシュラン一人である。

クーリーフンはすぐに女神の体をおろしていた。

「あ、クーリーフンと、ガーベラか？　その恰好はどうしたんだ？」

アシュランは驚いた様子で立ち上がり、シーツに上半身を隠された女神を見ていた。

「アシュラン様、これを見てください！」

クーリーフンは女神の体からシーツを取った。女神の頭を見たアシュランは、

「ぎゃーーーーーー！」

となんとも情けない悲鳴をあげていたので、ゆりはびっくりした。

「な、な、な、なんだ？　どうしたんだ？　なんで切っちゃったんだ？　馬鹿者！」

アシュランは女神が自分で切ったと誤解でもしたらしい。泣きそうな顔で怒っていた。

「あんなに美しい髪を、なんで切っちゃったんだ！？」

それを聞いたゆりは、

「ねえ、なんだかアシュランに治してもらうの、無理っぽくない？」

とクーリーフンにつぶやき、クーリーフンの顔はかなり青ざめていたのだった。


つづく

第９部

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