第73話
ガーベラの神殿がピンク色の花で覆われる頃、大きくなったガーベラの娘たちはすっかり元に戻っていた。
「あー結局何もできなかったー」
と火の女神ルティアナは悔しがり、サーラなどは「やったー軽くなったー」と大喜びだった。
周りに阻止されて、ガーベラの娘たちは男と何をすることもなく終わっていた。
唯一ライサがいろいろな男と話をしたが、こちらも短剣の出番もなく、子供に戻っていた。
「なんか周りの反応が微妙だから、子供でいいかも？」
とライサ自身思っていた。ライサの後ろ姿が妙にグレンと似ているらしく、「グレン？ え？ グレンが女になった！？」
と驚く者もいたのである。
「お父さんも不気味そうに見てたし、そろそろ癒しの泉から出られるかしら？」
ライサは、癒しの泉に入れられたグレンの顔をちょくちょく見にいっている。
カサンドラの神殿では、花の数を数えて仕分けの最中である。大量のピンク色の花が乗ったざるが床に並べ
られて、カサンドラが花の数を数えていた。花には丸みを帯びたピンクの大きな花びらが５枚ついている。
花びらの数はどれも同じのようだ。
「あー前回よりもかなり一杯花が採れたみたい。よかった」
クーリーフンはほっとしていた。
「しかもカサンドラが率先してやってくれて助かったよ。ほんとカサンドラには口づけしたい気分だよ」
クーリーフンの言葉に数を数えていたカサンドラの手が止まってしまった。
「数が飛んでしまったではないか」
「ごめん」
「私も口づけされたい！」
とキュリアが言っていた。
「女神に花がもらえるのなら、私たちももらえるんですか？」
ネルが聞いた。
「ごめんね。大人に譲ってあげてね。かわいい君たちには必要ないからさ」
とクーリーフン。
「そうなんですか。別にいいですよ。今回は大人になれてうれしかったし」
「「私もー」」
ユリアナとイオナもうれしそうである。部屋にダーナがやってきた。
「わーすごい！ いっぱいある！」
ダーナは大量の花を見て目を輝かせていた。
「あなたたちも子供に戻っちゃったのね。とっても素敵だったわよ」
ダーナは今はキュリア達に微笑む余裕すらあるようだ。
「グレンも儀式に参加したって本当なの？」
ダーナがクーリーフンに聞いた。
「本当だよ。でも本人の意思で来たんじゃないと思うよ」
「ヒルデリアの陰謀ね。ヒルデリアに花をわけなくてもいいんじゃないの？ 男たちからもらうんだから」
とダーナ。
「まあまあ、ここは黙っていておあげなさい。悪いのはアシュランなのだからねえ」
カサンドラがとりなした。
「わかったわ。それで、花は何個もらえそう？」
ダーナはうきうき顔で聞いた。
「儀式に参加した男たちには２個ずつ、海側に何個もっていこうかのう。クーリーフン」
カサンドラがクーリーフンに聞いた。
「５個以上はあげたいな」
「最低５個は海に確保で、神殿がある女神たちには２個づつ、神殿がない女神たちには一個づつ、
残りは妖精達に。各神殿でこの花で神水をつくって、それを妖精達に配ることにしよう」
「二個かあ……」
ダーナはもっとほしそうな顔つきだった。
「ダーナ、大きい花をとっていいよ。一番に選ばせてあげる」
クーリーフンが言うと、ダーナは「本当？ ありがとう」とはしゃいでいた。
「どれが大きいかしら？」
よくみると、花の大きさには個体差があるようである。
「これは？」
「これ、これも大きい」
「これ」
虹の妖精達が大きそうな花を選んでいる。
「それも、ああこれも、どっちが重い？」
ダーナは両手に花を持って重さを比べている。それを見ながらみな笑っていた。
「じゃあこの２つをもらうわ」
ダーナは大きな花を二つ選び神殿を出て行った。
「では早いうちに女神に配ろう。近くにいる女神たちには取りにきてもらおうか。
ウイルシー、風の妖精達で手分けをして伝令を頼む」
「わかりました」
カサンドラは部屋にいた風の妖精に伝令を頼んだ。妖精は神殿を出て行った。
「あ、そうだ。アシュラン様にも２個確保しといてくれって言われたんだった。僕先に持っていくよ」
クーリーフンが花を二つ手に取った。
「ついでにヒルデリア様の分も持っていこうかな。えーと……ハロルド達の分も入れちゃっていいのかな？」
「まあ是非もなくそういうことになるであろうから、いいのではないか？」
クーリーフンは小さい袋にアシュランの分２個とヒルデリアの分８個を入れて神殿を出て行った。
ユリアナとイオナはラクアの分の花をもらってラクアの神殿に戻り、虹の妖精達は他の男たちに花を分配しに行った。
ユリアナとイオナの二人が水の神殿に戻ると、すでにラクアの妹達が神殿に来ていた。
二人がもっている花を見て目を輝かせている。
「トト様、花よ。花もらったよ」
「きれいよ！」
ユリアナとイオナは、それぞれ花をもってラクアに見せにいった。ラクアはベッドの上に横たわっている。
そして花を見て、妖精の妹達に目配せしていた。
「お兄様！！ 愛してる」
「ありがとう。お兄様」
「早く元気になって！」
ラクアの花は、妖精の妹達がもらっていた。
「ラーズ、この花どーするの？」
虹の神殿では、サーラは飛びながら、ピンクの花をベッドであおむけになって寝ているラーズに見せていた。
「おー、きれーにさいたなー」
ラーズはぼんやりした声を出した。まだ立ち上がる元気はないようだが、話はできるらしい。サーラが小さくなったので
それについてはかなりほっとしていた。
「愛の結晶だなあ……」
ラーズは目を細めて花を眺めていた。
「食べていい？」
「だめだよ。もうあげる約束をしてる。一個はアリアス、もう一個は……」
「ラーズ様〜〜〜！」
水色の髪の妖精達がやってきた。滝の妖精と川の妖精である。
「一個やって」
サーラが花を渡すと、二人は「本当にありがとう！」と喜んで去って行った。
「サーラ、アリアスにもっていってくれるか？」
「アリーに？ わかったー」
サーラは神殿を出て行った。
「ふう」
とため息をついてラーズは目を閉じた。アリアスがもらった花は娘である光の妖精達がもらうことになっていた。
ラーズの花は虹の元である光と水の妖精達がもらった。
火の神殿ではサラディンはうんうんうなっている。
「記憶がない。まったくないーしんどい……」
「お父さん、お疲れ様ーお花をもらったよ。これをどうやって配ったらいいの？」
ルティアナは二つの花をサラディンに見せた。みずみずしい花である。
「……なんかルティアナが大人になった夢をみたような」
サラディンは花を見ながらぼんやり言った。
「夢じゃなくて現実よ」
「そうだったか？ 体がだるくてしょうがない。誰か、背中に熱い石を乗せてくれ」
「はい」
サラディンは上半身裸になって、妖精に背中に熱した石をあててもらっていた。
「きく……」
「お父さん、お花はどうするの？」
ルティアナがしつこく聞いていた。
「私はさっぱりわからん。他の女神に聞いてこい」
「わかりました」
ルティアナは火がともっている雲の上の神殿に行き、気持ちが悪いほど上機嫌なヒルデリアに花のことを聞いた。
花びらをただ食べるだけで効果があるようだ。花びらが分けられない場合は水につけておいて
その水を飲むのもいいと言われたが、火の妖精は水を飲むことはないのである。飲むのは火の神だけだ。
「花びら……一つの花に大きい花びらが確か５枚ついてたわ。2つで１０枚。女の火の妖精は１１人。
一枚たりない〜。どーしよう」
ルティアナはうなりながら雲の上の神殿の廊下を歩いていた。ちなみに火の妖精は「我が我が」という
性格ではない。「あなたどうぞ」と譲り合う連中なので、みんな遠慮してしまうだろう。
「花びらをちぎっちゃうかなあ。うーん、うーん」
「どうしたんですか？」
ルティアナに声をかけてきたのはライサだった。
「実は火の妖精にもらった花を配りたいんだけど、花びらが一枚足りないの。どうしようかなと
思って」
「そうなんですか。花びら一枚くらいなんとかなるんじゃないですか？ カサンドラ様のところにいって
聞いてきてあげますよ」
「本当？ ありがとう！！」
ルティアナは火の神殿に戻り、ライサはカサンドラの神殿に飛んで行った。神殿に入ると、
様々な女神たちがやってきていた。みなうれしそうに花を選んでいるようである。カサンドラは忙しそうに
妖精に指示を出していたので、ライサはクーリーフンに聞いてみた。
「そうか。いいよ。一枚あげる。それからもう一枚はルティアナに」
クーリーフンは花をばらして、花びらを小さい袋に入れてライサに渡した
「ありがとうございます」
「それから君にもあげる」
クーリーフンは花びらを一枚ライサに渡した。
「いえいえ、私はいいですよ」
「さっきキュリアにせがまれて一枚あげたから、君らにもあげるよ。まあせっかくグレンもがんばったんだしね」
「本当にいいんですか？」
「食べちゃって」
「はい」
ライサは花びらをぱくっと食べて出て行った。
ライサだって女の子である。花に興味がないわけではなかったが、まさか自分がもらえるとは思っていなかった。
花びらをかんでごっくんと飲み込んだ。ちょっと苦い味である。
私、どこか変わったのかしら？ あとで鏡を見てみよう！
空を飛び、ライサは景色を見ながらあることに気づいた。
いつも見ている景色のはずなのだが、今日はなぜかどこもかしこも美しく見えていた。
真っ青な空も、新緑の森も、キラキラ輝く泉も、川も、空を飛ぶ鳥たちも、全てが初めてみるかのように
美しく見えるのである。
どういうことかしら？ この花は、自分が美しくなるだけじゃなくて、周りも美しく見えるものなのかもしれない？
ライサはそんなことを思いながら火の神殿にたどりついた。
ルティアナはライサをみると、すぐ違いに気づいていた。
「なんかキラキラしてるわよ？」
「私も花びらをもらったんです。ルティアナ様のももらってきましたよ」
「ほんとー？ やったー！！！」
こうして火の妖精達もルティアナも、仲良く一枚づつ花びらをもらうことができた。
ライサはそのあとも空を飛びまわっていた。風も、草の一本さえもいとおしい。
「生まれてきてよかった！」
そんな気持ちだった。
そして花は音楽の神ラメーンのところまでやってきたので、音楽の妖精達は踊らんばかりに大喜びだった。
「なんでだ？」
とラメーンは不思議そうである。ちなみにラメーンは衰弱してベッドの上に寝そべっている。
自分がなぜこんなことになっているのか、ラメーンにはさっぱり記憶がなかった。
「ラメーン様も儀式に参加したことになってるみたいですよ」
花をもってきたアマンザが説明した。
「え？ え？ ガーベラの儀式？ 参加はしてないと思うが？」
「シャリィが変わりにしたみたいですね」
「え？」
「ラメーン様ったら、シャリィとのこと、全然覚えてないんですよ。シャリィがかわいそうなくらいに」
「あんなにデレデレだったっていうのに」
音楽の妖精達はため息をついていた。今朝起きたときには、ラメーンはシャリィと愛し合っていた時の記憶をすべて
なくしていたのである。
「覚えてないものは覚えていない」
ラメーンはすっかりいつものクールなラメーンに戻っていた。
「シャリィ、かわいそう。どこにいるか知ってる？」
「さあ、今日は見てないですよ？」
アマンザが答えた。
「みんな子供に戻ったけど、シャリィはどうなったんだろう？」
ラメーンは無言である。
「まあとにかく、花をどうぞ」
アマンザは花を置いて去って行った。
「ラメーン様、どうするんですか？ このままシャリィを恋人にするんですか？」
「そんなわけない」
ラメーンはあっさり言っていた。
「あんなにシャリィを愛してたのに。自分で笛を教えてたんですよ」
「かわいいかわいいって、ずっとべったりでしたよ」
「愛の歌まで歌ってましたよ」
「嘘だろ」
「とにかく、シャリィに冷たくしないでくださいね」
「かわいそうですよ」
妖精達はそれだけ言うと寝室を出て行った。
「信じられん……愛の歌ってなんだ……」
この世に生まれて約１万５千年、妖精や女神に入れ込んだことなどラメーンはなかった。もちろん軽い恋愛などは
あったが、長く続いたことはなかった。
ラメーンが心惹かれる女性の多くは、音楽の才能がある人間だったのだ。
しかしこの体……私は被害者じゃないのか？ 怒ってもいいくらいだと思うが……
あの子に会ったらどうすればいいのか、それもわからん……
一人もんもんとしているラメーンだった。
ハロルドの神殿ではキラキラした瞳のキュリアが、ハロルドのベッドの横にいた。
「弱ってる父様も素敵。みんなのためにがんばったんですものね。すごいことよね」
キュリアはハロルドをほめたたえていた。花びらを食べたせいだろう。今は何もかもありがたく見えているのである。
「感謝の笛を吹きましょう」
「いや、いい」
ハロルドは辞退していた。
「お前、なんか変じゃないか？ 周りがきらきらっとしてるが」
どうやらハロルドも気づいたらしい。
「実は花びらを一枚もらったんです」
「まったく、子供のくせに」
「いいじゃないですか。こうして父様の望通り子供に戻ったんですしね。ああ、父様にみんなの感謝の気持ちを伝えたい。
やはりハープを演奏しましょう！」
「いいって、静かにしてくれ」
ハロルドは静かに休みたかったが、強引にキュリアの演奏が始まってしまったので、黙って聞いていた。
花か……結局花の姿も見てないな……
ハロルドの花はハロルドの前を素通りしてヒルデリアの元にいったので、ハロルドが花を見ることはなかった。
ガーベラの儀式もさっぱり覚えてないし……早く元気になりたい……
キュリアの演奏は延々と続き、ハロルドはいつの間にか眠っていたのだった。
夕方になった。神の国では昼間はみなが興奮状態だったが、ようやく落ち着いている。あちこちでキラキラした
女神たちが男心を誘っていたが、一番キラキラしまくっているヒルデリアを、今夜ばかりはアシュランも素通りする
わけにもいくまい。
花の仕分け作業がひと段落ついて、アマンザはお酒の神殿に帰ってきた。ジンラがもらった花は、いつも
酒造りを手伝ってくれる男の妖精たちに花びらをばらしてあげることになっていた。男たちが彼女や好きな妖精に
贈るわけである。
アマンザが寝室をのぞいてみると、ジンラは目を覚ましていた。
「お父さん、具合はどうですか？」
「ああ、しばらく休めば大丈夫だろう。みんな喜んだか？」
ジンラがアマンザに視線を向けた。
「はい、とても。儀式のこと、やはり忘れてしまったんですか？」
「ああ、綺麗にな。アマンザはあの最中ガーベラに会ったか？」
「はい、お母さんはとてもきれいでしたよ。でも、なんだか記憶がぼやけてきている。あの時のお母さんを、
忘れてしまうのかな。抱きしめられて、大人になってしまいそうでしたよ」
「ははは」
「お父さんをうらやましく思いましたよ」
「そうだろう」
ジンラは珍しくのろけていた。
ライサはカサンドラの神殿にやってきていた。もうすでに花の姿はなく、神殿の中はいつものように落ち着いていた。
部屋の中には花の匂いが残っている。そして部屋の隅っこに二つ、大きめの水がめのようなものが置かれていた。
「中に何が入っているんですか？」
ライサが真っ白な水がめを指して聞いた。
「あの花びらで神水を作っているのだよ」
「そうなんですか。カサンドラ様、聞いてください」
ライサは花びらを食べた後、この世界がとても愛しいと感じられることをカサンドラに話したのだった。
カサンドラはとても興味深そうに聞いていた。
「ほーそういうことがあったとは……」
「カサンドラ様はまだ花を食べていないんですか？」
「私は今まであの花を食べたことがない。私は異性に興味がないからいいと思っていたのだよ。
あの花は異性を引き寄せるだけではなく、自分の意識を変えるものなのかもしれない。そう思うと興味が
わいてきた。今回は私も飲んでみよう」
「すごいですよね。男性もこの水を飲んだら効果があるんですか？」
「男には効果はないらしい。女にだけ。ガーベラが生み出す花だからかもしれんが……『美の花』というよりは
『救済の花』なのかもしれないね」
「救済……ですか」
「ライサは生まれたばかりだからわからないだろうが、ほとんどの者は長い時を生きている。
となれば、なかなか物事に感動することもない。花を身に取りいれることにより、周りが一新して見える。
生きることに飽きた者にとっては、救済ともいえるものであろう？」
「カサンドラ様も生に飽きることってあるんですか？」
「私はないよ。人間たちが生きている限り、私の興味は尽きることはない。だが、全ての神はそうではないからね」
「そうなんですか」
「知らせてくれてありがとう。ライサ」
「いえ……」
ライサは照れた様子だった。
お父さんの愛でみんなが助かるなんて、素敵だな。なんだか私もうれしい！
ライサはウキウキした様子で神殿を出て行った。
一方カサンドラは水がめを眺めている。
「救済の花か……今回の儀式、一歩間違えば……まあよいか」
カサンドラはそれっきり口を閉じて、サントスの様子を見に行った。
夜になった。宝石をちりばめたような夜空である。今宵はあちこちで愛のドラマが繰り広げられているに違いない。
夜の神殿では、ようやくオルガが目を開けていた。
「「お父さん」」
息子である星の神たちは、ベッドの側でオルガが目覚めるのを待っていたのだった。
目覚めたオルガは、何かを考えるような表情をし、「ああ、儀式があったんだっけ？」と言った。
「そうですよ。もらった花は、伝言通りに妖精に渡しましたよ」
「とっても喜んでました」
「そうか」
オルガの花は、夜出会う妖精達にあげる約束をしていたのである。
「……アシュランはどうやら元気そうだな」
星の神たちの落ち着いた様子に、オルガはそう思ったらしい。
「お元気ですよ？」
「それは何より。さぞかし向こうは悔しがっているだろうな……」
「なんの話ですか？」
ティカが聞いた。
「こっちのことだ。ガーベラは元気なのか？」
「お母さんはずっと寝てるみたいですよ」
「そうか……私ももうちょっと寝る」
「おやすみなさい」
「ゆっくり休んでください」
オルガは目を閉じた。
神の国でも人間界でもない、もう一つの世界、この世界でも、今宵は夜空にまばらに星が見えた。
頑丈な壁に囲まれた町の真ん中にある真っ黒な城、この城の一室にやってきたのはガーベラと対極にある
女神、ファリーヌである。付き添いで息子であるゲイルも一緒にきていた。ハロルドから受けた傷は
まだ癒えていないようである。ファリーヌの表情はさえなかった。
「王、お呼びですか？」
「ああ。お前にこれを」
闇の王はその手にキラキラ輝くピンク色の花を乗せていた。直接持ってはいない。花はちょっと浮いていた。
闇の王の相貌はオルガに似ている。だがその瞳は、闇のように真っ黒であった。さらに見た者が圧倒されるような
黒いオーラを身にまとっている。
「それは？」
「上からの贈り物だ。お前の嫌いなガーベラが、ひと時最上の女神になったらしい」
「ガーベラ！？」
「そのお祝いの花さ」
「いりませんわ。そんなもの」
ファリーヌは苦々しい顔つきである。
「この花には癒しの効果もあるようだが、他の女にやってもいいのか？ 一つはダーナにやったが」
「ええー！ 私より先にダーナにあげるなんてひどいですわ！」
ファリーヌはかなりすねた様子で闇の王に詰め寄っていた。
５千年ほど昔、闇の世界の神が、光の神の世界に侵入し、ダーナを拉致しようとした。
ダーナはその瞬間心を飛ばしたが、身体は闇の世界へと落ちたのである。
ダーナの身体には別の魂が入った。髪も瞳も真っ黒に変わったが、名前はそのまま「ダーナ」と呼ばれている。
「花が来た時にちょうどいたのだから仕方がないだろう。どうするんだ？ いるのかいらないのか。この世界では
長くもたないからさっさと決めろ」
「いります！」
ファリーヌは花を受け取ると、「失礼します」とさっさと部屋を出ていってしまった。
「こちらに花をくれるなんて、どうしたんでしょうか？」
残ったゲイルが聞いた。ゲイルは美しい青年の姿だった。その背に翼はない。ゲイルは翼を出したり引っ込めたり
できるようである。
「恨みが過ぎると面倒だと思ったんだろう。傷が治れば、ファリーヌもしばらくはおとなしくしてると思ったんだろうよ」
「そうですかね……ガーベラが最上の女神になったと聞いてまた悔しがりそうですが……あれ？ ってことは……
我々にとっては残念な結果になったわけですか」
「まあそういうことだな。アシュランがガーベラとどうにかなったら面白かっただろうになあ……」
闇の王はあまり残念そうでもなく言っていた。
普段は光輝く神々の世界の方が力は上なのだが、その力が薄れるチャンスというのが時々あるのである。
今回もそのチャンスの一つであった。
アシュランがガーベラを抱けば、神の世界の守りの力は、急速に弱まったに違いない。
しかも守りの一人であるハロルドはすっかり伸びているのだ。これ以上のチャンスはないだろう。
「残念ながら私は元気だ」という皮肉も込めて、アシュランは花を落としたのである。
闇の王はアシュランの世界の大きなイベントごとは、大体把握していた。情報をどこから仕入れているのか、
それは謎である。
「残念でしたね。まあさすがに、これであの世界が混乱したら、それこそお笑い種ですが……」
「まあな。人間界のアシュランの神殿を、いつか真っ黒にしてやりたいものだが」
「それは楽しそうですね」
ゲイルが微笑んだ。
あちら側と本当に戦う気があるのかないのか、闇の王の真意も、ゲイルにはわからない。だが好戦的な神がこちらに
多いのは事実である。
「お前がその気になれば、神の国を分裂させることはたやすいと思うんだがなあ……」
闇の王がちらりとゲイルを見て言った。
「僕ですか？」
「ヒルデリアをお前が篭絡すればいいんだ」
闇の王は簡単に言った。アシュランの世界の要はアシュランではあるが、その支えはやはりヒルデリアである。
馬鹿らしい冗談でもなかった。アシュランの世界のクーリーフンには性欲がないが、あのクーリーフンに性欲があった
ならあの世界はどうなるか。ガーベラのように多くの女神と付き合うことになったなら、
神々の関係もかなり違うものになるだろう。
「僕はああいうタイプの女性はちょっと。それに王の魅力に比べれば僕などまだまだですよ」
「よくいうな……」
闇の王は唇の端をあげて笑っていた。ファリーヌの息子のゲイルだが、本当の姿は美しすぎて、
人間の前にいるときは姿を変えている。男も女もその気になってしょうがないからだ。
「誘惑の神」という名前までついている。性格が荒い神も、このゲイルにはどこか弱いのだった。
「お前に野心があったら面白かったんだが……誰に似てそんなに穏やかな性格になったのやら」
「母はあの性格なので、父に似たんでしょうか？」
「あまり似てないと思うがなあ……」
王は首をかしげている。
「恐れながら、王に一つかなえていただきたいことがあります」
ゲイルは胸に手をあてて慇懃に言い出した。
「なんだ？」
「傷が癒えた母の相手をしていただけるとうれしいんですが」
王はふっと鼻で笑っていた。
「臣下としての頼みなら聞きたくないな」
「ならば息子として頼みます」
「わかった」
王は今度はあっさり了承していた。
「では」
ゲイルは王に礼をしてその場を去った。
闇の王は頬杖をついていた。
クーリーフンは虹の神ラーズの息子だが、ゲイルはこの闇の王の息子なのである。その潜在能力は、やはり
ゲイルの方が勝るであろう。二人は対極の存在のようだが、共通点は結構ある。一つは、どちらも母が好きで
しょうがないところである。
「世界よりも興味は母か。困ったもんだな……」
闇の王は頬杖をついたまま、ぽつりとつぶやいたのだった。
つづく
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