第74話

ゆりの身体にガーベラが入った夜が明けた人間界、王の寝室で目を覚ましたラクシュミは、

すぐに身体の不調に気づいていた。


なんだ？　身体がやけに重い……


ラクシュミはけだるげに体を起こして髪をかき上げていた。


昨日何かあったか？　うーん、何もわからん……


昨晩ゆりがここに来たことも、ラクシュミは覚えていなかった。


朝食の時間になり、子供たちは食堂にいた。

「ねえ、マーは？」

ゆりがいなかったので、ミシェイラが侍女に聞いた。

「王妃様はまだ起きられていないようなんですよ」

と侍女が答えた。

「マーねてるの？　おねぼうさんね」

「昨日あれだけ寝てたのに、まだ寝てるんだ？」

ラギが言った。

「まさか昨日の昼からずっと？」

とシス。

「昨晩は一度起きられていたみたいですよ」

「そうかあ」

ゆりの寝坊も、子供たちはたいして気にしなかった。

パンをかじっていたシスが手を止めた。

「ハインリヒが呼んでる。なんだろう？　ちょっと行ってくるよ」

シスは食堂から消えた。

子供たちは首をかしげている。



ハインリヒの部屋にとんだシスは、ベッドの上にいるハインリヒを見て目を見開いていた。

「一体どうしたの？」

ハインリヒはベッドの上でぐったりしていた。顔色も青いし、気も薄い。

「はー、さっぱりわかりません」

ハインリヒはだるそうに答えた。

「起きる元気がなくて、すいません、食事を頼んでくれます？」

「わかったよ。ちょっと待っててね」

侍女が食事を運んできて、ハインリヒは上半身だけ起こしてもそもそパンを食べていた。

話を聞いたラギもやってきている。

「なんかやせた、いや、やつれたみたいだけど……」

ラギが言った。

「一体何があったの？」

「わかりません。昨晩何かあったような気がするんですが……霧がかかったように思いだせない……」

「お父さんもちょっと体調が悪いみたいだよ。どうしたんだろう？」

「王も？」

「ハインリヒほどじゃないけどね」

「まあ、ゆっくり休んでね」

二人は部屋の中で甘い匂いを嗅ぎ、部屋を出た。

「一体どうしちゃったんだろう？」

「さあねえ……」



ゆりは昼頃になり、ようやく目が覚めていた。

ベッドの横に子供たちの姿が見えた。シス、ラギ、アナスターシャ、ナナミがいる。

「おはよー、みんなどうしたの？」

ゆりは頭をかきながら体を起こした。

「母様ったら、もうお昼よ？　こんな時間まで寝るなんて」

アナスターシャがあきれ顔である。

「おねぼうさん」

ナナミが言った。

「え？　昼？　ほんと？」

「大変なことが起こってるんだけど、お母さん、何か知ってるんじゃない？」

ラギが言った。

「大変なことって？」

「母様の恋人が、みーんな寝込んじゃってるわよ」

アナスターシャが明るい顔で言った。

「え？　なんで？」

ゆりはきょとんとしている。

「なんでって僕らが聞きたいよ」

とラギ。

「母様の部屋、なんかいい匂いがするなあ」

アナスターシャが匂いをかいでいた。


ゆりは着替えて顔を洗い、空腹をこらえてラクシュミの元に行った。ラクシュミは今日はだるいのでずっと

休憩室にいるようである。

「王様、何があったの？」

ゆりは心配気な顔で休憩室に入っていた。

ラクシュミはゆりを見て、はっと何かを思いだした。

「昨晩、寝室に来ただろ？」

「え？　私？　いったっけ？　自分の部屋で寝てたけど？」

「お前に会ったような気がするんだがなあ……」

「私の恋人がみんな寝込んでるって本当なの？」

「ああ、ハザークも身体がだるくてしょうがないらしい」

「ハザーク様も？」

「一番ひどいのはミカエルだが……イシュタールは今人間に戻ってる」

「え？」

「髪が緑と黒に戻ってるらしい」

「ええー！　一体どうして？」

「お前が原因を知らないんじゃさっぱりわからん」

ゆりは首をかしげて考えていた。昨晩の記憶はすっぽり抜けている。だが恋人が全員寝込んでいるというのなら、

自分が関係あるのかもしれない。

「知らないうちに儀式でもしたのかな？」

「私とハザークは関係ないだろう」

「そうよね。とりあえず、ハインリヒに会ってみます。王様、ゆっくり休んでね」

「ちょっと側にこい」

ラクシュミが手招きしたのでゆりはすぐそばまでいった。

ラクシュミはゆりの髪を取り、匂いをかいでいた。

「覚えがあるにおいだな……」

「？？」

ラクシュミがだるい理由はわからないまま、ゆりは部屋を出た。

ハインリヒに会いに行こうとしたが、お腹がぐるぐるなっている。

「もうだめ。何か食べないと」

ゆりは部屋に食事を運んでもらい、とりあえず食事をした。


昨晩一体なにがあったんだろう？


ゆりは侍女に聞いたが、寝室も別室も、儀式があった様子はなかったようだ。

「どういうこと？　わかんない」

ゆりは昨晩自分が男たちの元に行った記憶がさっぱりなかった。

「とりあえず、王様にお願いしてみんなのところに行かせてもらおう」

ゆりはシスに同行してもらうことにした。

「母様、なんかいい匂いがするね」

ゆりの側によったシスが言った。

「そう？　まずはハザーク様のところにお願いね」

「わかったよ」

二人はハザークの元にとんだ。

ハザークはベッドの上でとぐろを巻いていた。

「「ハザーク様、大丈夫でしたか？」

ゆりが聞くと、ハザークはゆりを見て、ちろりと舌を出した。

ゆりの左目が蛇の目に変わった。

「ハザーク様、どうしてこんなに弱っちゃったの？」

どうやらこちらのゆりにはハザークの気が弱っているのがわかるらしい。

ハザークはさあとばかりに顔を傾けている。

「ハザーク様……」

ゆりはハザークの胴体をなでていた。

ハザークはどうやら人になる元気もないらしいので、そのままそっとして寝室を出た。

ゆりの左目が黒く戻った。

「じゃあ、イシュタールのところにいきましょう。人間になってるってのが気になるわ」

「わかった」

二人はイシュタールの元にとんだ。



ベッドの上にいたイシュタールは、ラクシュミが言う通り、元の人間の姿だった。

髪も瞳も、懐かしい色である。しかし気も薄く、かなりぐったりした様子である。

「イシュタール、久しぶり」

ゆりは思わずうるるんときていた。

「王妃……」

「すごく久しぶり、会いたかったよ」

人間になったイシュタールは、赤い月の間しか見ることはできないのである。ゆりは一生見ることがないと

思っていた。

「僕も、なんだかうれしいなあ」

シスもじーんときているようである。

イシュタールは苦笑していた。

「イシュタール、昨晩何があったか覚えてる？」

ゆりはイシュタールの手を撫でながら聞いた。

「覚えてないんですが……なんだか王妃に会ったような気がします」

「私に会った？　本当？」

「そんな気がします」

「そう……」

「身体はしんどいんですが、気持ち的には、なんだかうきうきというか、なんというか……」

「うきうき？」

ゆりはイシュタールを休ませて、次はここから近いミルキダスの元にとんだ。

ミルキダスはだるそうに寝ていたが、ゆりが来ると嬉しそうな顔をしていた。

「ミルキダス、大丈夫？」

「はい」

「どうして身体がだるいかわかる？」

「わかりません。なんだかとてもいい夢をみたような気がします。夢で王妃に会ったような……」

「そう」

「愛してます」

「え？　ミルキダスったら……」

シスの前だったので、ゆりは思わず照れていた。


二人は次にシャナーンの元にとんだ。シャナーンは寝間着姿だったので、恥ずかしそうだった。

「シャナーン、大丈夫？」

「はい」

「昨晩何があったか覚えてる？」

「王妃がここにいらっしゃった夢をみたんですが……あれはやはり夢だったのでしょうか」

「私にあったんだ？」

「とても幸せな夢をみたような……」

「そう」


途中からシスもゆりに怪訝な顔を向けていた。

廊下に出た所で、「みんな母様に会ったっていってるねえ」と言った。

「私は城から出てないと思うけど……」

「もう一人のお母さん」

ゆりの左目が変わった。

「私も知らないことよ。たぶん、たぶん？」

ゆりは自信なさげに返答していた。


次にヴィラの元に行った。ヴィラもベッドの上にいた。二人を見ると、ヴィラはゆっくりと体を起こした。

「ヴィラ……元気？」

ゆりはヴィラの背中をなでた。

「王妃、昨日、ここに来ませんでした？」

「え？　来てないと思うけど……」

「王妃に出会った気がするんですよねえ」

ヴィラはゆりをじーとみている。

「母様、どこかで儀式でもやったんじゃない？」

シスが言った。

「ええー？」

「だってみんな母様に会ったっていってるし」

「どこでやったっていうの？」

「王妃、もっと側にきてください」

ゆりはヴィラの側に身体を寄せた。ヴィラは鼻を寄せている。

「この匂いに覚えがあるような……朝起きたら、部屋の中にこの匂いが残ってたんです」

「そうなの？」

結局わからないまま二人はジュノーの元にとんだ。

ジュノーの部屋には人になったへびっちがいた。

「もしかして、へびっちがジュノーの看病をしてるの？」

ゆりが聞くと、へびっちはうなずいている。

「王妃、私はどうしてこうなったんでしょう？　何かご存知ですか？」

ベッドで横になったまま、ジュノーがゆりに聞いた。

「ごめんね。今みんなのところを回ってるんだけど、さっぱりわからないの」

「本当に？」

「みんな母様に会ったっていってるんだよね」

シスが言った。

「そういえば、王妃に会ったような……」

「ジュノーも？」

ゆりの体にへびっちが手を回していた。

「へびっち、何？」

へびっちはゆりを抱きしめて顔をすりすりしている。

「一体どうしたの？」

へびっちはうれしそうな顔でぎゅっとゆりを抱きしめていた。

「なんだかよくわからないけど、早く元気になってね、ジュノー」

「はい、だるいんですけど、なんかいい気分でもあるんですよねえ」

ジュノーはちょっと微笑んでいた。


へびっちから逃れたゆりは、次にフリットの元に飛んだ。

フリットも弱っていたが、ゆりを見ると嬉しそうな顔をしていた。

「なんか恋人がみんな寝込んでるんだけど……理由を知らない？」

ゆりはついフリットに聞いていた。

「そうみたいですね。ミカエルが一番ひどいらしいですが」

「まだミカエルには会ってない。昨晩何があったか、何か覚えてない？」

「あまり覚えてないんですが、いいことがあったような気がします」

「いいこと？」

「いいことですよ」

「フリットは昨晩母様に会った気がする？」

シスが聞いた。

「はい」

フリットはうなずいていた。


男たちはみな昨晩ゆりに出会った気がするという。しかも、悪いことがあったわけではないような感じである。


「最後にミカエルだね」

フリットの寝室を出て、シスが言った。

「ミカエルは飛ばそうかな」

「かわいそうだよ。行こうよ」

シスはゆりを移動させた。

ミカエルを見て、ゆりはうなっていた。確かに一番ミカエルが衰弱しているかもしれない。

「ミカエル、大丈夫？」

ゆりはベッドに近づいた。ミカエルの頬はこけている。何日か絶食でもしたかのようだ。

「ザクート様、いらしてないですよね？」

ミカエルが聞いた。

「いらしてないよ。ザクート様がきた記憶があるの？」

「ありません。王妃、せっかくなので添い寝してください」

「え」

「王妃〜」

ミカエルはすがるような目を向けている。

「だめだめ。一人でゆっくり休まないと」

「なんでミカエルはこんなになっちゃったんだろう？」

シスがゆりに聞いた。もうゆりが関わってるしかないかのようである。

「私だって知りたいわよ」

「王妃〜添い寝〜」

「とにかくゆっくり休んで」

「じゃあチュｯ」

ミカエルは口を出していたが、ゆりは無視していた。

「じゃあミカエル、行くから、ゆっくり休んでいつものハンサムガイに戻ってちょうだい」

「つれない。くすんくすん」

ミカエルはいじけ顔である。

「チューくらいしてあげたら？」

シスがミカエルを哀れに思って言った。

「病人にちゅーしちゃだめなのよ、シス。じゃあね、ミカエル」

ゆりはさっさと部屋を出て行ったのだった。


ミカエルにいらっとする。なぜだろう？


その理由もゆりにはわからない。



城に戻ると、ゆりの部屋でラギが待っていた。

「理由はわかった？」

二人の顔を見るなりラギが聞いた。

「みんなが弱った理由はわからないけど、母様がなんか関係してるかもしれない」

シスが先に答えていた。

「お母さん、何をしたの？」

「わかりません」

いくら聞かれてもさっぱり理由はわからかった。


その後、ゆりは頭をひねって昨晩のことを思いだそうとしたが、自分は寝室で寝ていたとしか思えない。

「さっぱりわからない！！」

髪をかきむしっても記憶は出てこなかった。

「もしかして、あなたが何かしたんじゃない？」

ゆりはもう一人のゆりに聞いたが、「いやいや、私は知らないわよ」との返答があった。

どちらにもわからないらしい。

わからないまま夜になった。ゆりはいろいろ考えながら、いつの間にか眠っていた。

次の日の朝、眠っているゆりを起こしたのはクーリーフンだった。

「おはよう」

「おはよう。クーリーフン、どうしたの？」

ゆりは体を起こしながら聞いた。

「あげたいものがあって、これでも急いできたんだよ」

クーリーフンは麻の長方形の巾着袋をゆりに渡した。小さい袋である。

「なあに？」

「開けていいよ」

巾着袋を開けてみると、中からいい匂いがした。一つつまんで出してみた。

小さいピンクの花びらがついた花である。

「まあかわいい花ねえ」

「小さいのが咲いたんで、これをあげようと思ってね」

「私にくれるの？」

ゆりは布団の上に花を出してみた。直径４センチくらいの花である。黄色いめしべの周りに、ピンクの花びらが

どれも５枚ついていた。花は全部で１０個もある。

「君にじゃないよ。君の恋人にさ」

「え？　恋人？」

「儀式に参加したお礼だよ。まあ、人間だし、さほどの力はもらってないだろうけど、でも

誰も死んでなくてほっとしたよ」

ゆりは目をぱちくりさせていた。

「一体どういうこと？」

「ああ、もしかして記憶がないのかな？　でも男たちはみんなぐったりしてるんでしょ？　お母さんが、あなたの体に

入って恋人と交わったんだよ。僕も全然知らなかったから驚いたよ。夜目覚めたお母さんが、『人間の恋人とも

したかも』、とか言い出してさ。お母さんもちょっと青ざめていたよ。『みんな元気か見て来てって言われて』

イシュタールはすっかり妖精の力を吸い取られたみたいだね」

ゆりは口を開けたまま聞いていた。

「……私、記憶がないけど、ガーベラが私の体をのっとってみんなとしたってことかしら？」

「そうなんじゃない？　もともとこの花はあなたにあげようと置いておいたんだけど、そういうことなら男たちにあげ

ないとね」

「ガーベラが……」

「あの時のお母さんは強烈だから、相手をした恋人たちはみんな記憶がないんだよ。こっちの男たちの記憶も

ないんじゃない？　覚えていられちゃまずいからかわからないけど、お母さん自身もあまり記憶がないんだ。

まあ、あれは特別なことだからね。あのガーベラは、お母さんであってお母さんじゃない感じだし、きっと

僕とアマンザも、もう少ししたら忘れてしまうんだろうな」

「ガーベラが、本当にみんなとしたの？」

ゆりにはそこが重要なところだった。

「そうだよ。でも、どういう感じでお母さんがあなたに入ったかは知らない。あなた、神の国では

グレンと交わってたよ。それは覚えてる？」

「えええ？」

ゆりは心底驚いていた。

「ハロルドのあと、グレンとも仲良くなってたよ。一応知らせておくよ。この花だけどさ、男が食べてもしょうがない。

男の知り合いの女性にあげるといいよ。人間だから、この小さい花でも効果があるよ。花びらを食べてもいいし、

お茶みたいにしてもいいし、じゃあみんなにあげてね。さよなら」

「あ！」

クーリーフンはゆりが止める間もなく寝室を出て言ってしまった。

ゆりは小さな花を見下ろしていた。


私がグレンと交わった？　嘘！　全然覚えてない！　それよりも、ガーベラがみんなと交わったって本当のこと

かな……ガーベラが……王様とも？　でも王様はみんなに比べて元気そうなのはなぜだろう？


どうみても弱り具合に差がある。

花をみていたら、ゆりはガーベラの肌に花の模様が浮かんでいたのをふっと思いだした。

「あれ？　私、ガーベラとここで話をしたかも？　私もなんか思いだしてきたかも？」

ゆりは男たちがみなゆりに会った気がすると言っていたのを思いだした。


昨晩、私はみんなの元に行ったんだ。ガーベラが……ガーベラが私達の分身を出して……


「なんかちょっと思いだしてきたかもー」

ゆりは唇を震わせている。

「ガーベラもいたけど、私もちゃんとみんなに会ったんだ。それで、儀式のように仲良くなった？　いや、

もっと仲良くなったかもしれない……」

衝撃の事実に、ゆりはしばし固まっていたのだった。


つづく

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