第76話
「いやー兄貴、俺はあの花にこれほどまでの効果があるなんて思ってもみなかったよ。ほんと、びっくりだぜー」
ハロルドの神殿にやってきて話をしていたのはライオネルである。今は人の姿で椅子に座っている。
向かいにハロルドが座っていた。ライオネルが座ると、椅子もやけに小さく見える。
あの儀式が終わり５日が過ぎていた。ハロルドの神気はようやく半分回復したところである。
もう寝た切りではないが、体を動かすとだるいようだ。
ハロルドは酒を飲みながら、ライオネルの話を聞いていた。ライオネルはどうしても話を聞いてほしくてきたというのだ。
「俺にぞっこんの火の妖精に誘われてよ、抱いたんだが、体が違うんだよ」
ライオネルはちょっと顔を寄せて言った。
「どう違うんだ？」
「今までは抱くのも申し訳ないほどだったんだがよ、まるで人が変わっちまったかのようでよ、なんていうか、とにかく
いいんだよ。なんかはまっちまって、毎晩通ってるんだ」
「毎晩？」
ハロルドは目をまん丸くしている。
「えーと、4晩も通ったってことだな。今晩も行こうかな」
ライオネルは指折り数えていた。
「おいおい、相手は妖精なんだろ？ 大丈夫なのか？」
ハロルドは妖精の心配をしていた。ライオネルは体格もよすぎるが、あっちの方も立派である。細い妖精が相手をするには、
かなり大変ではないだろうかと、ハロルドでも心配していた。
「それがよ、彼女終わった後も元気いっぱいなんだよ。やせ我慢でもない。逆に何度もせがむほどでよ。
俺も喜んだわけだが、冷静になるとなんかおかしいだろ？ だからあの花のせいじゃないかと思ってさ。すげえなって思ったわけさ」
「花のせいでなあ」
「体まで変わっちまうなんてすげえよなー、そりゃ母ちゃんがほしがるわけだよな」
「へー……」
ハロルドは腕を組んでいた。まさか花にそこまでの効果があるとは、ハロルドも思っていなかった。ハロルド自身、
前回は恋人の女性を抱いて感動したかもしれないが、今はもう記憶にない。
「さすがガーベラの花だけあるよな。身体が相手好みになるなんて、そりゃどんな女でも花がほしいだろうよ。
ガーベラもすごかったんだろうな。覚えてるか？」
「全然覚えてない」
「きっとすごかったんだろうがな」
「そうだろうなあ……」
「いやー兄貴たちのおかげでいい思いができてるぜ。ありがとうよ」
「ははは、ところで、他の男たちはどうなってるか知ってるか？ みんな元気になったか？」
「兄貴と同じくらいじゃないか？ グレンは癒しの泉から出て休んでるらしいぜ」
「グレンがガーベラの神殿にきたってのは本当なのか？ どうにも信じられんが……」
「グレンの性格じゃ、自分では行かないだろ。母ちゃんに命じられたんじゃないか？」
「まったくしょうがないな。私は花びらさえ見てないってのに……」
ハロルドはため息をついている。
「まあしょうがねえさ。母ちゃんにとっちゃ、アシュランの心を射止める機会だったんだからよ。
グレンのことも、怒らないでやってくれよ。グレンもアシュランと顔を合わせづらくて困ってると思うぜ」
ライオネルはグレンの肩をもっていた。
「怒ってはいない。グレンも気の毒だなあとちょっとは思ってるさ」
自分の母にも困ったものだが、ヒルデリアに文句を言う気もなかった。逆に「よかったよかった」と思っているくらいである。
ヒルデリアがなんと久しぶりにアシュランとの間に妖精を生んだのである。
今回はガーベラをのぞいた上位の女神がちらほら妖精を生んでいた。
神の国の人口が増えたのである。目出度いことである。
妖精は不死ではない。数の上限を繰り返しているのだが、ヒルデリアが前回妖精を生んだのはかなり昔のことである。
しかも、ヒルデリアが生んだ妖精が以前いなくなった妖精と瓜二つで、生まれ変わりだというのである。
「ナーティーにまた会えたって母ちゃんは大喜びさ、兄貴はナーティーのこと、覚えてるか？」
「悪いが覚えてない。だが、妖精がいなくなってヒルデリアが悲しんでたのは覚えてる」
「ナーティーは俺のこともみんなのことも知ってるんだぜ。妖精が生まれ変わるってあるんだなあ……」
ハロルドはヒルデリアが妖精を抱きしめて喜んでいるところを想像していた。
「ぐったりするまでがんばった甲斐があったな」
ハロルドは苦笑していた。
そのころ、グレンの神殿にはガーベラがやってきていた。ガーベラがこの神殿の中に入るのは、今日が初めてである。
神殿の中では一番小さく、部屋は4つほどあった。その寝室で、ガーベラは寝ているグレンの顔をのぞきこんでいた。
グレンは気配で目を開けて、はっとした表情をし、顔をこわばらせていた。
「かなり元気になったみたいね」
ガーベラが言うと、グレンは「はい」とだけ返した。
「グレンってば、つまんないわねえ。『ああ、ガーベラ様、会いたかった』、とか言ってもいいじゃない」
身体を合わせたわりにはグレンの様子は以前とそう変わらず、それがガーベラにとっては不服らしい。
「すいません。私などが参加してしまって……」
グレンは申し訳なさそうに言った。
「自分の意思で参加したんなら面白かったのに、ヒルデリアの差し金じゃ面白くないわ」
「いえ、それは、もちろん、参加したかったですよ。私も」
グレンは一応そういったが、まったくデレっとした様子もなかったので、ガーベラとしては面白くなかった。
（儀式に参加した男は私を好きになる効果もあるはず）、とガーベラは思っていた。
現に他の男たちは、ガーベラを見ると心底うれしそうだった。身体はぐったりだが、ガーベラを恨む気など全くなく、
むしろ本望くらいの気持ちなのである。
だが、グレンは『ああ、愛してます。ガーベラ様』というような雰囲気になりそうもない。
どういうことかしら？ 私のことが好きなはずなのに……あっちの私がきたらメローンとなっちゃうとか？
「私ってば時々性格に一癖ある男を好きになっちゃうのよねえ。困ったもんだわ。次はバスティアンとか好きになったら
どうしよう」
ガーベラは頬に手をあてて言っていた。
「は？」
「まあしばらくゆっくり休んだら？ じゃあね」
ガーベラは部屋を出て行ったのだった。
ガーベラの神殿に音楽の神ラメーンがやってきた。
ラメーンの神気は８割がた戻っている。妖精が相手だったせいかもしれない。ガーベラの恋人達よりは回復が早かった。
ラメーンはそっとうかがうように神殿にやってきたのだが、ガーベラは不在で、クーリーフンもいないようだ。
ラメーンはがっかり半分ほっとしたような顔で外に出ようとして、ダーナに会っていた。
「あら、ガーベラはいないの？」
ダーナもガーベラに会いに来たようである。
「いないようだ」
「あの妖精とはどうなったの？」
ダーナはキラキラした瞳で聞いていた。ダーナは全身から男をぼんやりさせるオーラを発していたのだが、
そのオーラもラメーンには不発に終わっていた。元々ダーナやガーベラを見てもまったくその気にならなかったラメーンである。
妖精にその気になったというのがダーナには不思議な感じである。
「ラメーンってば相変わらずねえ。今の私はすごいらしいのに。あの子はどうなったの？ 他のみんなは子供に戻ったけど、
大人のままなの？」
「……それは……私に選んでくれと言われたんだが、私は正直困ってる。それで来たんだ」
ラメーンは白状するように言った。
「まあ、ちょっと私に話してみなさいよ。今の私はとってもご機嫌だから、親身に相談に乗ってあげるわよ」
ダーナはラメーンの手を引っ張って神殿の外に連れて行き、ガーベラの神殿の前の草の上に腰を下ろしていた。
ダーナはどうぞとばかりに横を示していたので、ラメーンはダーナと少し離れて座っていた。
「あの子は今ガーベラの中で休んでいるらしい。大人のままがいいのか、子供のままでいいのか、私に選べというのだ。
子供のままがいいだろうと思ったんだが、妖精達からは『薄情すぎる』と責められた。だが、あれは儀式という
特殊な環境だったんだろう？ 私が彼女を愛して変になったのは、儀式のせいだし、それなのによってたかって
私を責めるってのはおかしいと思わないか？」
ラメーンの神殿にいる妖精達は、誰もラメーンを擁護しなかったようである。ラメーンにはそれが腑に落ちないらしい。
「ラメーンは、今大人の彼女を見て、儀式の時のように愛することはないって思ってるわけね？」
「だってそうだろう。私が彼女のへたくそな笛をよろこんで聞いていただの、恋の歌を歌っていただの、おかしいじゃないか」
「ウィルも歌を聞いたって言ってたわよ」
「だから、その時の私は本当の私ではなかったのだ」
「でも、音楽に必要なのは情熱だってあなた言ってたじゃない。誰かを愛することは、あなたにとってはいいことでしょ？」
「それは否定しない、だが……」
「彼女自身はどう思ってるのかしらね？ 彼女の意思にまかせるっていうのはだめなのかしら？」
「…………」
シャリィがどう思っているのか、それはラメーンでさえ知りたいことである。
だが、もし大人のシャリィに今出会って、なんとも思わなかったらどうするのか？ あの時の愛は幻だと彼女に告げねば
ならぬとしたら、その方が薄情だろう。愛していないのに愛しているということはラメーンにはできない。
「彼女のことをどう思っているのか、正直わからない」
「愛って確かなものじゃないから、時々わからないものよ。もしシャリィがこのまま現れなかったら、あなたはどう思うかしら？
それを考えてみたら？ 心底辛かったならば愛してるってことだろうし、それが平気なら、彼女のことを愛していないのかもね」
「うーむ……」
「二人とも何してるの？」
と声がかかった。空から降りてきたのはクーリーフンである。
「クーリーフン、会いたかったわ。私ガーベラにお礼がいいたくってきたの」
ダーナは超キラキラでクーリーフンに寄り添ったが、メロメロビームはクーリーフンもすり抜けるらしい。クーリーフンは
微笑んだだけだった。
「そう、風の妖精が生まれてよかったね」
「ええ、ウィルも喜んでるわ」
ダーナはウィルとの間に息子がいるが、初めて女の妖精が生まれたのだった。
「それからジョルンの子供もできたんでしょ？」
「そうなの。そっちは男の子。狩りの神の息子が動物の守護の妖精だって。かわいい子よ」
「とにかくおめでとう」
「ありがとう」
ダーナはクーリーフンに抱き着いていた。ダーナが離れた頃には、ラメーンは二人からかなり離れた所を歩いていた。
このまま彼女に会えなかったら私はどう思うのだろうか……まだわからない……
かつて、人間として暮らしてみたいと思い、ラメーンは人間界で長い間生活していたこともあった。
限りある命であるからこそ、人は美しい。泣いたり笑ったり感動したり、人を愛して愛されて、人のように生きてみたかった。
今も時々人間にまぎれているラメーンだが、ここにきて妖精に恋をするなどと、自分でも思っていなかったことである。
自分を忘れるほど誰かを愛してみたいと、かつて思ったことがあったとラメーンは思いだしていた。
「なんだ、望みはかなったのか。その間のことは全く覚えていないが……いや、まてよ」
私は何かにすごく感動したような気がする
はて、なんだっただろうか……？
シャリィの容姿とか笛の音とか、そういうことではなかったような気がするが……
ラメーンは思いだそうとしたが、霧がかかったように思いだせなかった。
火の神殿では、かつてないほど、妖精達が浮足立っていた。サラディンでさえ、「一体何が起こったのだ？」
と思うくらい、皆陽気である。ルティアナの話では、花をもらった後、男の妖精と仲良くなった女の妖精もいたらしい。
サラディンは話を聞いて驚きまくっていた。
「長い間一緒にいるのでそういう気にはなれないんですよ。まるで家族のようで」
と言っていた妖精達がである。
「うーん、驚いたな。こんなことになるとは……前回はどうだったんだろうか。ここには花は来なかったのかな？」
このようなことは初めてだったので、数千年前はガーベラの花はここには来ていないのかと、サラディンは思ったのだった。
「私が参加しなきゃ花はもらえなかったのか？」
「もらえたんじゃない？ クーリーフンが、妖精達には花で水を作って大体あげることができたっていってたよ。
私も前回のこと聞いたよ。前回は、お父さんがいらないっていったらしいよ」
「え？ そうだっけ？」
「火の妖精はみんな美しいから必要ない、とか言ったんじゃない？ 前回は花が足りなかったからありがたかったみたいよ」
「そうか……私ならいいそうだな」
サラディンは自分でも思っていた。神殿の中の雰囲気がこんなに変わるとは、まさか思わなかった。
「みんな楽しそうでいいよねーライオネル様も毎晩きてるよー、夜中にうおーうおー騒いでる」
「え？」
初耳だったのでサラディンは驚いていた。
「毎晩？ 私はしらんぞ？」
「今晩は耳栓した方がいいかなあ」
ルティアナはあっけらかんと言っている。
「メプカは、メプカは大丈夫なのか？ ぐったりしてるんじゃないのか？」
「大丈夫みたいよ？」
「メプカを呼んでこい」
サラディンはベッドの上で起き上がっていた。
すぐにメプカがやってきたが、ぐったりした様子はなく、むしろ元気はつらつとしていた。
「サラディン様〜少し元気になられたのですね〜♪」
声も弾んでいるくらいである。
「メプカ、体は大丈夫なのか？ あいつが無理やりしようとしてきたら、すぐに私にいうんだぞ？」
「いえいえ、私が望んでのことなのです」
「本当かあ？」
「男の人に愛されるってこんなに楽しいものだとは思いませんでしたわ。なんだか子供まで生めそうな気分です」
メプカはキラキラした瞳で言っていた。
「がんばれーメプカ！ 二人目生んじゃえー！」
ルティアナが応援している。
「サラディン様も早く元気になってくださいね」
メプカは去って行ったが、サラディンは、「あれは本当にメプカか？」とルティアナに聞いていた。
「ああいうノリじゃなかったと思うが。花で性格まで変わるのか？」
「あーライオネル様には期待しかない！ 妖精達にも期待期待！」
ルティアナはサラディンの言葉も聞かず興奮しているようだ。
「……まあ元気でよかった」
夜になり、火の神殿の中は艶っぽい雰囲気になってきていたが、一番奥にあるサラディンの寝室までは、
その空気は届かなかった。仲良くなった妖精達を想像すると、サラディンにとってはまるで別世界の話のようにすら
感じられる。
どうにも信じられんが……
なんだか寂しいな。ガーベラに添い寝してほしい……
まだ何かする元気はなかったが、一人寝が寂しい気分のサラディンである。誰かと語らいたい気分だ。夜にたずねてくる
オルガも、自分の神殿でずっと寝ているのだろう。
ライオネルのやつ、一人の女の元に通うとは、結構情が深いんだな……
そこは好意が持てる、などと思いつつ、サラディンは眠りについた。
あくる朝目覚めたサラディンは、ベッドの横に誰か立っているのに気付いた。
毛深い奴だったのでライオネルかと思ったが、よくみるとライオネルほど大きくはなく、幅もそんなにはなかった。
「え？ あれ？ ライオネル？ どうしたんだ？ やけに縮んで……？？？？」
サラディンはかなり混乱していた。どうみても、毛並みが真っ赤なのである。
「はじめまして」
とその者はぺこりと頭を下げていた。頭には獣のような耳があり、頭の後ろも真っ赤な毛がはえている。
「え？」
その時、金色の毛並みのライオネルがのそっと寝室に入ってきた。
「おお、サラディン起きたか。いやーまいったぜーこんなに俺そっくりなやつができちゃうなんてよ。こいつも名前つけて
かわいがってやってくれや」
ライオネルは真っ赤な毛並みの男の肩をぽんとたたいていた。サラディンは口をあんぐりと開けたまま、ライオネルと、
ライオネルよりもかなり小さい男を交互に見ていた。確かに妖精である。しかも火の妖精である。
ライオネルと同じ獣顔で短いたてがみがあるが、体つきはライオネルほどがっしりとはしていない。
顔は獣だが、体つきは人の姿をしていた。ライオネルのように全身獣というわけではないようだ。
サラディンは驚きまくっていたが、まずその妖精の身体の構造がすごく気になっていた。
「その毛、どうなってるんだ？」
その妖精の毛は首の下あたりまでで、手にも腕にも毛がはえていなかったのである。服は他の妖精と同じような袖がない
赤い服を着て、ズボンをはいていた。しっぽはないようだ。
「それがよ、顔だけ獣で、あとは人型なんだよな。おもしれーやつができちゃったよな」
ライオネルは息子の前で言っている。その時女の子の騒ぐ声が聞こえてきた。ルティアナらしい。
ルティアナは中に入ってくるなり妖精の顔を見て、
「やだー！ 面白い！」
と言っていた。
「ライオネル様にそっくりーすごいー！！」
サラディンはライオネルをちょいちょいと呼んでライオネルが近づくと、小声でささやいていた。
「おい、あの顔はどうにかならんのか？」
「いやあ、どうにかって言われても……」
「かわいそうじゃないか！」
「かわいそうって、俺は全然かわいそうじゃないが？」
「お前は人になれるだろうが、あの妖精はどうなるんだ？ あんな半端な……」
サラディンは声が大きくなりそうなのを押さえていた。
「すごーい、かっこいい」
「そうですかあ？」
ルティアナに顔の毛を触られながら、妖精は照れた様子だった。性格的には、温和なようである。
声も少年のような感じだ。どうやらまだ大人というわけでもないようだ。
「まあ大丈夫だって！ それじゃ、よろしく！」
「おい、ライオネル！」
ライオネルは逃げるように神殿を出て行った。
「お父さん、彼の名前を決めてよ」
「名前？ えーと……えーと……うーん……」
妖精の姿が強烈すぎて、なかなか名前が思いつかないサラディンだった。
つづく
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