第16話
ザバーン、ザバーンと波の音が聞こえてくる。ここは海の神殿に近い場所である。海だけ見れば、人間たちが見る海と、なんら変わりはない。
海をはるか行けば、そこは人間たちの世界である。島国に住む人々は海の神マリナールをまつっている。
「ごらん、この海の向こうには、マリナール様がいらっしゃる。毎朝、マリナール様にお祈りするんだよ」
海辺に住む親が子に、代々伝えられる言葉である。人間界には聖地をのぞいてマリナールの神殿はなく、お供え物は海に投じるのがしきたりであった。
御供え物が海に沈めば神が供物を受け取った印、沈まなければ、気に入らなかった印として持って帰るのである。
中央の大陸の南には、海の生き物たちから人間に変わった一族が暮らす島がある。
「海の一族の島」と呼ばれているが、その島にはイルカやアシカの一族が住んでいる。
10年に一度、８の月に彼らは海の神を祭る行事を行うのだが、島をあげての盛大なものなので、海の神々や妖精が見学に来るほどだった。
その祭りの中に、娘たちが海に供物として身を投じるという変わった儀式がある。
これは神々が強制したものではなく、始まりは、「海の神の神殿に行きたい」という女たちの遊び心からだった。
「私たちの中で気に入った者がいたら、どうか海の神殿に連れて行ってください」
娘たちがそう宣言して海に身を投じる。その中の一人が海面に上がってこなければ、マリナールが海の神殿に連れて行ったのだ、と彼女達は思ったのだった。
実際に海の神殿に行き帰ってきた女たちもいるのである。女たちはただ海の神殿を見学して帰ってきたわけではない。
マリナールの寵愛を受けて、宝石を土産に帰ってきたのである。島に帰った女たちには最高の名誉が与えられて、その後は島でも大事にされるのである。
いわば、マリナールの公然たる浮気であるが、マリナールの妻エヴァは、この儀式の女のことは、目をつぶっていた。
毎日顔を見る妖精と浮気をされるのは腹も立つが、ほんのひと時、人間の女と遊んで機嫌よくしているのならばよいではないか、と周りに諭されたからである。
アシュランに比べれば、マリナールの浮気などかわいいものである。
神々の生は長い。時々息抜きがしたい、と思うこともある。長く連れ添った恋人や妻に飽きてしまうこともあるだろう。
海の神々は近い場所に住んでいるので、顔触れもそう変わることはない。アシュラン側の世界よりも変化に乏しい。
生きていることに飽きたら彼らはしばし眠り、生きる気力を取り戻すなどして自らの心の調整していた。
昨年のこと、海の一族の島で、恒例の祭りがあった。その時、マリナールが気に入った女をこちらに連れてきたのだが、マリナールがその女を気に入りすぎてしまい、
なかなか人間界へ帰そうとしなかった。いつもならば一月ほどで返しているのだが、今回はかなり長い間女を留め置いていたのである。
これには周りもヤキモキし、マリナールの妻エヴァの機嫌も日に日に悪くなっていた。
「このままではあの女、サメの餌にされちゃうわよ？ お父様、目を覚ましてちょうだい」
娘に何度も説得されて、マリナールはしぶしぶ人間の娘を返した。だが、その後もマリナールはこっそり娘の元に通っていたのである。
その隠ぺい工作をしたのは伝令神であるワイアットだったが、それが、ある日エヴァにばれてしまった。
その夜から海は荒れに荒れた。アシュランの妻ヒルデリアは怒りで稲妻が落ちることがあるが、エヴァの場合は、海が荒れてしまうのである。
普段は凪いでいる海も、荒れ狂うと手が付けられない。
「まずいことになった……」
マリナールも、さすがにエヴァの怒りのすさまじさを知り、エヴァに会うのが怖くなっていた。
「頼む、うまくとりなしてくれ」
マリナールは娘のエキドナやワイアットにそう頼んだ。
「ワイアット、もうあの女は殺してしまいなさいよ」
エキドナはワイアットにそう言った。
「エキドナ様がおやりになってください。私にはできませんよ。ばれたらどうなります？ この先ずっと王の怒りを受けるのはごめんです」
「わかったわよ。私がやるわよ」
「今すぐはいけませんよ。とりあえずエヴァ様の気が静まって、しばらくたってからでないと、あからさますぎます」
「わかったわ」
怒りに満ちたエヴァの側には孫のレヴァーンがいて、エヴァを慰めていた。それでもエヴァの心は静まらない。
とうとうマリナール自身がエヴァに謝罪して、エヴァも次第に平静さを取り戻した。
嵐は過ぎ去り海は元に戻ったが、なくなった生き物たちもいた。元の美しい海岸を取り戻すのに、妖精達もかなり苦労したのだった。
エヴァもマリナールとしばらく寝所を共にすることはなかった。
ある夜、眠ろうとしたワイアットの私室に、エキドナが訪ねてきた。ワイアットの私室は、大きな神殿内にある。
「ちょっと話があるのだけど」
「あの、夜に一人でいらっしゃるのはやめてもらえませんか？」
とワイアット。彼は立場上他人の目をかなり気にしているようだ。
「夫にはワイアットに話があるからいってくるってちゃんと言ったわよ？」
「ノア様も連れてくればいいじゃないですか」
「夫に血なまぐさい話なんて聞かせたくないの。当たり前でしょ」
「そーですか」
どうやらエキドナは血なまぐさい話とやらをしに来たらしい。二人は部屋に入り、椅子に座った
「それでなんですか？」
「例の人間の女なんだけど、探してもみつからないの。お父様が隠したのかしら。それとも、お母さまがもうやってしまったのかも？」
「きっとマリナール様が隠したんでしょう」
ワイアットが平然とした顔で言った。
「女の場所を知ってるんでしょ？ 教えてよ」
「殺すには早いですよ。後半年ほどは待った方がいいですよ」
マリナールに気に入られすぎてしまったために海の女神の怒りを買うことになってしまった人間の娘だが、娘にとってもとんだとばっちりであろう。
ワイアットにとっても主二人の不仲は困ったものだったが、人間はいずれ死ぬ生き物である。わざわざ殺すことはないと思っている。
神々は人間の人生にあまり干渉するべきではないのである。
「半年も怒りを持続させてろっていうの？ あの女のせいで、私たちはかなりの迷惑をこうむったのよ」
エキドナの目は怒りで吊り上がっている。その時扉がノックされて、ワイアットが出ると、外にエキドナの夫ノアが立っていた。
「ノア様」
その声を聞いたとたんにエキドナの表情ががらりとかわった。
「ごめん、エキドナが泣いているんじゃないかと思って気になってきてしまったよ」
「ああ、あなた。心配かけてごめんなさい」
エキドナはとたんにか弱い女風に夫に寄り添っていた。
「お父様とお母さまが仲が悪いままだから、ワイアットに相談していたのよ」
「君もつらいよね。かわいそうに」
ノアはよしよしと妻の頭をなでていた。エキドナは悲し気な表情である。ワイアットはエキドナの代わりように少々あきれた様子である。
大昔、マリナールは娘のエキドナとラクアと結婚させたがっていた。エキドナも当初は乗り気だったのだが、ラクアはガーベラを愛してしまい、その話はなくなった。
振られた立場になったエキドナは憤り、泣いて暮らしたのだが、そこにノアが現れた。ノアは海の神ではあるが、取り立てて美男子というわけでもない。優しい顔立ちの好青年と
言ったところであるが、ノアに慰められてエキドナもその気になり、ノアと結婚することになった。
エキドナは優しい性格ではあるが怒ると怖い女神でもあったためにノアは苦労するだろうと周りは思っていたが、周りの予想を裏切り、夫婦仲は長いことうまくいっている。エキドナの方が夫を
かなり愛してしまったようで、夫に対しては怒鳴ったりきつい表情を見せることすらなかった。
当時は（マリナール様が魔法でも使われたのでは？）と噂されたほどである。
「ババリアに占いを頼んでいたんだけど、結果がさっき出たんだよ。良い卦が出たそうだ。きっとそのうちにお二人も元通りになるよ」
ノアはエキドナをなでながら言っていた。ババリアとは占いが得意な神である。
「まあ本当？ 本当にそうなればいいわねえ」
「大丈夫だよ。今日はもう安らかに眠ろう」
「はあい」
「それじゃあね、ワイアット」
「おやすみなさい」
「おやすみ〜」
二人は部屋を出て行った。ワイアットは毎度ながらのエキドナの代わりようを気色悪く思っていたが、逆を言えばあんなふうに妻を代えさせてしまう、ノアがすごいということだろう。
いや、ノアはエキドナの裏の性格を知っていて、あえて知らないふりをして表に出させないようにしているのかもしれない。
（今も妻の思惑を察して迎えに来たのではないだろうか？ ）とワイアットは勘ぐっていた。
（ノア様はすごい。尊敬に値するな）
自分よりも格が上の妻を手玉に取っているのだから、たいしたものである。
「良い卦か……本当に早く仲直りしていただきたいものだ……」
海の神殿の雰囲気も、そろそろ元に戻したいところである。
その２月後のことである。ある日の夕方、アシュラン側の水の妖精達が３人、海の神殿にやってきた。
３人はラクアが妹と呼んでいる妖精である。こちら側にはめったにやってくることはないのだが、海の主人夫婦の仲がこじれている、という噂は聞いていた。
３人はエヴァに面会を頼み、エヴァが広間にやってきた。
「今日は何の御用かしら？」
水の妖精達はやけにきらきらしていたが、エヴァはその理由は聞かなかった。
「エヴァ様、喜んでくださいな。女神ガーベラがこの度、特別な儀式を行ったですわ」
「特別な儀式？」
エヴァはあまり反応しなかった。妖精は袋を広げてピンク色の大きなお花を見せた。
「数千年に一度しか起きない儀式です。その時できたガーベラの特別なお花を、エヴァ様にもってきましたの。このお花を食べてください。このお花にはとんでもない魅了の効果がありますから、
きっとマリナール様も」
そこまでいうと、エヴァも身を乗り出していた。
「今回はたくさんできましたから、ガーベラとお兄様がこちらにもぜひと」
ガーベラは海のことなど気にしていないのだが、ガーベラとこちらは仲があまりよくないので、水の妖精はあえてそう言った。
「そうなの。ありがとう。さっそくいただいていいかしら」
「どうぞ」
妖精が花を袋に戻して渡すと、エヴァは袋ごと持って行った。
「お母さま、私にもわけてちょうだい」
あわててエキドナが後を追っている。
たぶんこうなるだろうと予測していた水の妖精たちは、別にもう一つ袋を持っていた。そちらには花びらが10枚ほど入っている。
カサンドラが神水を作る時に、わけてもらったのだった。
「女神様方はこちらをどうぞ。水に浸して神水を作りましょう。皆さんでわけてください」
「まあ、ありがとう！」
他の女神たちも喜んだ。
やがて姿を見せた女主人を見た皆から、拍手喝さいが起こった。
「エヴァ様、お美しい！」
「若返ったようですぞ！」
「輝いてますわ！」
花を一つもらったエキドナにも同様の効果があり、こちらは夫とすぐに寝室にこもっていた。
神殿にいた者たちは、ガーベラの花の効果に驚いた。
その時、マリナールは別の小さい神殿にいたのだが、「何やら神殿内が盛り上がっているようですよ」と妖精に言われて、気になっていってみることにした。
神殿ではしばらく宴会も行われていなかったのである。
「ああ、私も早く飲みたい。まだかしら？」
「水がピンク色になったらっていってたわよ。もうちょっと待たなきゃ」
女神たちが腰くらいまでの水がめを囲んで眺めている。
「何をしておるのだ？」
そこにマリナールがやってきた。
「マリナール様、エヴァ様は海岸にいかれました。早くお会いになってください」
「ん？」
「さあ、お早く」
皆に促されてマリナールが海岸に行ってみると、そこには光り輝く女神がいた。
ガーンと頭を殴られるほどの衝撃がマリナールを襲っていた。
「おお、なんと麗しい我が女神よ！」
「マリナール、ごめんなさい私もかたくなだったわ」
「わしが悪かった。こんなにも美しいお前がいるというのに、わしを許しておくれ」
「あなた」
二人は抱きしめ合い、喜んだイルカたちが海でジャンプしていた。
周りでは「よかったよかった」と妖精達から拍手が起こっている。
海の神殿では、久しぶりに宴会が起こった。エキドナ夫婦は寝室にこもったままだったが、マリナールは妻を膝にのせていた。しばらくぶりの盛り上がりである。
ガーベラの神水を飲んだほかの女神たちも陽気だった。
海の皆はガーベラに感謝し、今回の宴会接待ということになったのだった。
ちなみにいつの間にかラーズまでやってきて夜３人で仲良くして子供ができた、ということに関しては、ふしだらな、とガーベラを軽蔑する者はいなかった。
「これくらいでなければあのすごい花は作れない」と皆思ったからである。
なにせ暗い雰囲気を一変させてくれたので、皆ガーベラに感謝していたのである。
さて、人間界では、ゆりがハロルドとやりとりした翌日、ゆりの部屋にやってきたヴィラに、ゆりは神妙な顔で頼み事をしていた。
「お願い、しばらく、夜は私と一緒に寝て」
「はい？」
「どうか、何も聞かずにお願い」
ゆりは両手を合わせて頼んでいる。なんとも王妃様らしくない姿である。「愛しているから一緒に寝て」という雰囲気では全くなかったために、ヴィラは当然怪しんでいた。
「……今日もキラキラしてますけど、なんか関係あります？」
ゆりはぎくりとしている。
「そう？ キラキラしてる？」
「してますね」
「キラキラはおいといて、一緒に寝てよ」
「なぜですか？」
「それは聞かないで」
「夜一人で寝たくないんですか？」
普通はゆりとラクシュミがけんかでもした、と思うところだが、ヴィラはゆりに会う前にラギに出会っている。二人に何かあれば、ラギが先に言うはずであろう。
「そうなの。一人はやなの」
「どうしてですか？」
「聞かないで」
「ははーん、神の国で何かあったんでしょ」
なんとヴィラはそこまで推理していた。ゆりが目を見開いていたのでどうやらあたりだとヴィラは思った。
「今度は何をしたんですか？ また何かに変えられるんですか？」
ヴィラは不吉なことを言っていた。
「違うわよ。私は何もしてない。というか、いや、したことになるのかもしれないけど……」
ゆりが仕方なくハロルドとのいきさつを軽く話すと、ヴィラは絶句していた。
「というわけで、今夜は一緒に寝て」
「何が、というわけでなのかはわかりませんが、今夜はお祝いですね」
「お祝い？！」
「我らが王妃がついに神様までも虜にしてしまったとは、我らとしてはお祝い気分ですね」
ヴィラは微笑んでいる。
「は？ いや、そういうんじゃないから。違う違う」
ゆりは両手を横に振っている。
「違わないですよ。いたずらのやりとりからついに愛に発展したんじゃないですか。すごいことですよ。ガーベラじゃなく王妃自身を抱きたいだなんて。
王妃自身がこんなに愛されて、我らとしてもうれしいですよ」
「……確かに考えればすごいけど、違うの。私を愛しすぎてこっちに来るとかじゃないよ。神様のプライドで私をわが物にしたいだけよ」
「王妃だってハロルド様のことが好きなんだからいいじゃないですか」
「やーよー王妃様としてはここでそんなことをするのは問題があるの。だからヴィラが一緒にいて、もしハロルドがきたら励ましてよ」
「何を励ますんですか？」
「私がうまく逃げられるように」
「いやですよ。私が蛇に変えられたらどうするんですか」
「大丈夫だって」
「まったく根拠がないですね」
以前ゆりが蛇に変わっているところを見ただけに、全く信じられない自信である。
「王妃、ハロルド様とまともに相手をできるのは王妃だけですよ。我らには無理です」
ヴィラはきっぱり言った。
「確かにここではなんなんで、ハザーク様と別の塔に、ハロルド様用の部屋でも作ったらどうですか？」
ヴィラは真面目に提案していたので、ゆりは「やだよ！」と大声で返していた。
「そうなる気はないっていってるでしょ」
「ガーベラでならよくて、今の体ならだめなんですか？ それも変だと思いますが」
「変じゃないわよ。ただでさえ恋人も多いんだから、ハロルドまで加わるとややこしいじゃないの」
「あんまり逃げてると、相手は追いかけてくることになると思いますが。王妃もそういう男の心理はわかってるでしょ？」
「一度相手をしてもういい、とか言われたらそれもやじゃないの」
「それじゃメロンメロンにしちゃいます？」
「それもやだ！ このまま清い仲でいたい」
「何が清いのかさっぱりわかりません」
結局ヴィラとの話はさっぱりかみあわず、ヴィラは部屋を出て行った。ヴィラだけではなく、他の男と話してもこういう感じになるだろう。
それも仕方のないことである。この世界に生まれた者達は、神を尊んでいる。この世界はいわばアシュラン教の一教のみなのだ。
神の誰かに話しかけられるだけでも、普通の人間ならば感涙ものである。実際に龍の一族の女性たちならば、ハロルドに言い寄られるだけで有頂天になってしまう
かもしれない。
うーん、そう考えると、私はすごい神様に何度も会ってて恥もさらしちゃってるんだなあ……
わかってるのよ。きっと、あそこで「ハロルドが一番」っていってれば、ハロルドも満足してあんなことは言いださなかったんだろうけど、
他の恋人を裏切るような気がして、言えない。うーん、こうなったら、他の男たちは無理だろうから、子供たちと寝ようかな。
ミシェイラはまずいかも。そうだ、ナナミあたりならいいかも？
ナナミならさすがにハロルドを「おっちゃん」とは呼ばないだろうし、あんな子の前で怪しい雰囲気も作りにくいだろう。
そう思ったゆりは、夕方ナナミの部屋に行き、「一緒に寝よう」と誘ってみた。
「どうして？」
「理由はないけど、たまには一緒にいいじゃない」
「いいよ」
（これでよし）
ゆりは廊下に出た。
「王妃様、このたびはありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人の侍女にすれ違いざまにお礼を言われて、ゆりは微笑んで返した。
ラギによれば、ガーベラがゆりになっているときに美容液を作って侍女に配ったらしい。
「みんなで綺麗になりましょう」
と言っていたそうだ。そんなわけで、会う侍女みんなうれしそうにゆりに微笑んでくる。
ミラに至ってはラギにゆりの中身がガーベラだと聞いたらしく、ガーベラの側にいてかなり興奮してしまったようだ。
みんな喜んでいるのはいいけど、また作ってと言われたらどうしよう……
とゆりはちょっとびびっている。
夜になった。ゆりがナナミを迎えに行こうとすると、ナナミとアナスターシャが寝間着姿で部屋にやってきた。
「ねーも呼んだの」
とナナミ。
「別にいいけど、アナスターシャは寝相が悪いから大丈夫かなあ」
「他にもみんな呼んだよ」
とアナスターシャが言い出した。
「え？ みんな？」
「過去に行きたいんじゃないの？」
「え？ 過去？」
「だから一緒に寝たいのかなって思ったの」
「いや、そういうわけじゃなかったけど、でも過去は過去で行きたいかも。いろいろ聞きたいこともあるし」
「だからあっちで寝ようよ。ベッドくっつけてもらったから」
「そう。まあいいか」
ゆりにとっては思ってもいないことだったが、過去の女王様のことが気になっていることは確かだ。女王がへびっちとの間のことはどう思っているのか、へびっちの親のような立場としては
確認しておいた方がいいかもしれない。
アナスターシャの寝室に行くと、ベッドが二つくっついて、シスとラギもいた。ゆりはレーヌを抱っこしてきている。
「過去に行きたいだなんてお母さんも突然言い出すんだから」
ラギがいった。
「いや、最初はナナミと一緒に寝たいだけだったんだけど……」
「え？ そうなの？」
「でもまあいいわ。過去に行けるものなら行きたいし」
ベッドの上にぱっとミシェイラがやってきた。
「ミーもねる」
「僕もー」
ロイまでやってきて、子供達全員と一緒に寝ることになってしまった。
男女別れてベッドに寝転んでみた。女性が多いので男性側にレーヌは移動させられている。
レーヌは手足をばたつかせていた。
「あー、あぶぶぶぶぶぶ。きゃは」
「レーヌはよろこんでるみたい」
シスが言った。
「いっぱいいてうれしいんじゃない？ レーヌがいると女王様に会える可能性があるね」
ラギはそれを期待しているようである。
「過去もいいけど、ドルイドにも会いたいなあ。転生したドルイドは一体どんな姿なんだろう。聞いても想像つかないのよねえ」
ゆりがぼそっというと、ラギとシスはかなりびくついていた。
そのまま寝ることになったのだが、大勢いたために興奮したレーヌは声を発したり手足をばたつかせたりでなかなか眠らず、
ミシェイラとナナミがアナスターシャにけられて文句を言ったり、はじっこにいたロイがベッドから落ちたりと、それぞれちょっと寝ては起きたりを繰り返していた。
まあこれはこれで面白いけど……そういえば家族全員で寝ることってないなあ。王様は嫌がりそうだけど
「あーあーあーあーあー♪」
「レーヌ、うるさいよー」
レーヌの声にナナミが文句を言っている。
「これじゃ眠れそうにないね」
ラギが言った。
「ロイはぐっすりだけど？」
とシス。ロイはベッドから降ちたまま寝ていた。
「アーねーすぐけるー」
ミシェイラも起きているようだ。アナスターシャはぐっすりらしい。
「まあ、これはこれで幸せってものよね」
ゆりは達観していたが、
「眠れないから、お母さん、ガーベラ様の恋人の話とか教えてよ。お母さんも仲良くしてる？」
とラギに聞かれて、
「急に眠くなってきた」
とゆりは目を閉じてしまったのだった。
さて、神の国では太陽が西に沈むころ、ガーベラがダーナの神殿にやってきていた。大きな部屋にはダーナの他には、女性が３人いるだけだった。ダーナは竪琴を奏でていたようだ。
「今日はニイニはきた？」
ガーベラは一曲終わってから聞いた。
「今日は見てないわよ」
「そうなの」
「いつも虹の妖精達と一緒ってわけじゃないみたいよ」
「そーなんだ」
「ねえ、海に行ったとき、話好きの女神に会ったでしょ。話攻めされなかった？」
ダーナは竪琴をテーブルに置いて聞いた。
「話好きの女神？」
ガーベラは目をきょろきょろさせている。
「むかーし、海に遊びに行ったときに会ったんだけど、話がえらく長い女神がいたのよね。名前は忘れちゃった。でもマリナールの子供、じゃなくて孫、そう、孫だったわよ」
「そんなに困った女神には会ってないわよ？」
ガーベラはゆりがその女神に会ったのかどうかもわからなかったが、困った様子は聞いていないのでそう言った。
「ならいなかったのかしらね。彼女の性格が変わったのかも？ ならいいんだけど、海との関係が普通になってよかったじゃない」
「そうね」
ガーベラはダーナとの話はそれくらいで神殿を出て行った。
海の世界に行った良い思い出、なんて今のガーベラにはないのだが、その発端は、自分が考えなしにラクアと愛し合ったことにある。
（今の私ならそんなことしないんだけどね、昔の私は考えなしだったからねえ……そういえば、昔留守の間神殿の中に緑色の長ーいものが大量に
ばらまかれたことがあったっけ）
ガーベラはかなり昔のことを思いだしていた。神殿の中にばらまかれたのはわかめである。おかげでしばらく潮の匂いが消えなかった。
あの時はこちらも腹を立てたものだったが、今は向こうの怒りもちょっとはわかる。
（まあ、完全に水に流せたのならよかったかもね）
ガーベラは自分の神殿に戻ってきて、部屋の中でラーズに出会った。
「あら、来てたの？」
「うん、なあ、これさ、何個かもらってもいいか？」
ラーズは飾り棚の側に立っていた。ガーベラは横から棚をのぞいてみた。
ラーズが手にもっていたのは、ゆりが海でもらってきた宝石箱である。宝石箱もきらきらして綺麗だが、その中にはいろんな色の真珠が入っていた。
（すっかりここに置いて行ってしまったのだから、やっぱり欲がないわね）とガーベラはゆりに対して思っている。
「真珠がほしいの？」
「うん」
「いいわよ」
「ありがと」
「ねえラーズ、愛し合いたいな」
「いいとも」
ガーベラはラーズとたっぷり愛し合い、ラーズは日が落ちてから神殿を出て行った。
その後一人で眠ったガーベラだったのだが、深夜、唇に柔らかいものが触れて目を覚ました。
誰かが自分に口づけている。
「ん？ んん……」
「ガーベラ」
顔が少し離れてようやく相手の姿が見えた。だが、誰なのかわからない。
男は茶色い肌をしていた。目元までの髪も茶色く、ちょっとウエーブかかっている。後ろの髪は長くはない。
その色彩で誰かを思いだした。
「あれ？ サントス、なんかでかくなった？」
その男はサントスをどうにかしたような感じだった。サントスはもともと大人だったので、目の前の男はさらに成長した、というよりも、全く別な感じである。
体格もサントスよりはがっしりしていて、身長も高くなっている。顔つきもだいぶ変わっている。きりっとした眉で、なかなか美男子である。
かわいらしい童顔顔のサントスと比べると、まるで別人である。サントスの兄と言われれば納得できるくらいだが、こんな兄はいない。
「サントスよね？ 一体どうしたの？」
「君に愛してもらいたくて変わったんだよ」
声も幾分男らしくなっていた。
「え？ 私はあの姿でも、あなたを愛していたわよ？」
「もっともっと愛されたかったんだ。今なら、君を抱ける。君を抱きたい。僕を受け入れておくれ、ガーベラ！」
姿を変えたサントスはガーベラの唇を自らの唇で覆い、布団の中に入ってガーベラを抱きしめた。
「ガーベラ……」
「ちょ、ちょっと待って、いつものサントスはどうなったの？」
「僕よりあのサントスがいいの？ 君を満足させられないあんなやつが」
「あんな奴って」
「君だって心の底では情けない奴だと思っていたはずだ」
「私はサントスとちゃんと愛し合ったわよ。だから、儀式の後だってサントスはふらふらだったんじゃない」
ガーベラはまっすぐにサントスを見つめていた。
「僕は君と普通に愛し合いたいんだ。君に似合うようになりたかった。だから変わったんだよ」
「ずっとそのままなの？」
「こっちの方が、君にあうだろ？」
「あうとかあわないって何？ 一体誰の目を気にしていってるの？ あなたは立派な一人の神じゃない」
ガーベラがそういうと、サントスはちょっと悲しそうな目でガーベラを見つめていた。
「もっと自信をもってよ。あなたはアシュランとヒルデリアの血統を継いだ、神格も高い神なのに」
「これは僕の問題なんだ。僕の……」
サントスの目に涙がにじんでいる。
「もっともっと君と仲良くなりたくて……」
「サントス……」
「ガーベラ、ごめんね。突然姿を変えても、気持ちが悪いだけだよね」
サントスは視線をふせている。
「そんなことないわよ。せっかく来てくれたんだし、このまま抱いて」
「ガーベラ……」
「でも覚えておいてね。元の姿のサントスも大好きなのよ」
「ありがとう」
二人は熱烈に口づけをしあった。ガーベラは自分で服を脱ぎ、サントスはガーベラの豊満な胸を見てぼんやりしていたので、ガーベラがサントスの服も脱がしていた。
ガーベラもすっかりその気である。
「君は綺麗だなあ。すごく綺麗だ。触ってもいいかな」
「いいのよ。いっぱい触って」
サントスの手がガーベラの胸に触れた。
「柔らかいなあ」
サントスは失神することもなく、ガーベラが主導する感じで、ことが為ったのだった。
「ガーベラ、幸せだよ。とっても」
「サントス〜」
ガーベラがひっつくと、サントスはとてもうれしそうにガーベラを抱きしめたのだった。
神の力が交わるのも楽しいけど、これはこれで楽しい。でも考え為しにしちゃったけどよかったのかしら。サントスは今後
どうなっちゃうんだろう？
大人で生まれた神は、生まれたときから顔や姿はそう変わらない。自分にふさわしい顔と姿で生まれてくるために、その姿が一番自然なのである。
サントスがこんな風に思ってたなんて、もっと私が積極的にその気にさせた方がよかったのかしら？
ガーベラもサントスが自分に抱くイメージを壊したくなかったので、あれやこれやとするのもためらわれたのだった。
「ガーベラ、もう一度したいよ」
「うん」
女に慣れてないところがガーベラにとってはかなり新鮮で、ガーベラ主導で二回目も行われたのだった。
ガーベラが気づいた時には朝で、横には誰もいなかった。二度目が終わった後は、二人で寝転んでいたはずである。
「……夢だったりして……」
昨晩のサントスは夢かも、と思ったが、自分は裸だし、まさかあれが夢ということもないだろう。
服を着たガーベラはサントスの元に飛んでみた。すると、カサンドラの神殿の中にいつものサントスがいるではないか。
「サントス」
「あ、ガーベラ……おはよう」
サントスはガーベラを見るなり頬を赤く染めていた。いつも通りである。
「おはよう」
サントスをジーとみていると、恥ずかしそうな顔をしていた。
「ど、どうしたんですか？」
「えーと、あのね、昨晩ね」
「昨晩？」
「昨晩ね、サントスの夢を見たから来てみたの」
「私もガーベラの夢を見ましたよ」
サントスはうれしそうに言っていた。
「そうなの？ お互いの夢を行き来したのかしら？」
「素敵ですね」
どうやら自分が姿を変えてガーベラを抱きに来た記憶はないようである。
（昨晩のは、サントスだったわよね。まさかアシュランが化けてきてたなんてオチはやめてよね）
ガーベラはその考えにぞっとしていた。
（まさかねえ。やっぱりサントスよね？ 昨日愛し合って満足して元に戻ったのかしら？ それならよかったかな。
昨日のサントス、もっとじっくり見ればよかったなあ……こちらのサントスもかわいくていいけど、昨晩のサントスも素敵だったなあ）
などと思ったガーベラだった。
一方、子供達と寝たゆりは、夜中いつの間にやら寝入っていた。
すると顔はよく見えないが、青っぽい長い髪の男がいつの間にやら目の前にいた。
え？ これって、もしかしてドルイド？
ゆりがぎょっとしていると、その男はゆりの上にどーんと覆いかぶさってきた。
え、ちょ、ちょっと重い……おもーい！
ゆりが目を覚ますと、ゆりの上にはロイがのっかっていた。
「ちょっと、上に乗らないで。重いじゃないの」
「むにゃむにゃ」
「ロイ、どいてったら」
「むにゃー」
ロイはごそごそ動いてゆりの足元に移動している。
夢だったのかあ……
ハロルドが来なかったのはよかったが、過去にも行けず、ドルイドにも会えなかったゆりだった。
つづく
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