第17話
「……笑ってるの？ ご機嫌ね」
「……本当だね。……レーヌ」
「レーヌ……」
「…………」
はっと目を覚ましたのは過去の時代の女王ヴィラルージュだった。ここは女王の間ではなく休憩用の小部屋である。
お茶を飲んで後、椅子に座ったままうたたねをしていたようである。
「陛下、寝室で休まれたらいかがですか？」
傍らにいた侍女が声をかけた。
「ああ、よい、もう目は覚めたゆえに」
「さようでございますか」
「お茶を」
「ただいま」
侍女はすっと下がった。
女王は椅子の背もたれにもたれて、斜め上を向いていた。
不思議な夢を見た気がした。
自分の周りには数人の子供と黒髪の女性がいた。はっきりと見えたわけではないが、黒髪の女性にも子供達にも見覚えがある。
（あれはゆり殿と、御子たちじゃ……レーヌ、と呼んでおった。レーヌは末の子供の名前。へびっちが私の子蛇をつけたというあの子じゃ……
私はレーヌ殿の意識に入ったのか、それとも本当にただの夢を見ただけなのか……）
自分の蛇紋の蛇が生んだ子蛇は、時を超えて、未来の王族の赤ちゃんに引っ付いたのだ。そのせいか、意識が一瞬飛んだのかもしれない。
「子蛇か……」
女王の子蛇は二匹生まれていた。一匹は息子のアゼルに引っ付いているので、見ようと思えばいつでも見ることができる。
アゼルは子蛇をもらったことについては今も大喜びである。以前から、未来でゆりが生んだ子蛇の話を聞いて興味を持っていたせいもあるだろう。
ディラン達の子蛇はこの世界にいなかったので、それまでは話を聞いても他人事のような感じだったが、実際に目の当たりにすると、かなりの衝撃であるようだ。
子蛇を生んだ女王も、あれからいろいろ考えることが多い。
元々女王の肌には完全な一匹の蛇がいるわけではなかったのに、へびっちに触発されて、蛇が現れたのだ。
しかも、その蛇はへびっちと愛し合って子供を生んだ。
もとはといえば、自分が巫女を召喚してゆりをここに呼んだせいなのである。あれがなければ、こうなることはなかった。
女王が、自分の肌にいる完全な蛇をこの目でみることもなかったであろう。
（しかし、私は２匹生むだけであんなにも気が動転してしまったというのに、ゆり殿はよく１０匹以上も……世の中には私が知らぬこともたくさんあるのう……
肌の子蛇に転生に──ドルイドは転生を果たしたのだ。私も亡くなった後、いずれかの時代で生きることになるのであろうか……）
最近は不思議なことがありすぎて、いろいろ考えてしまう女王だった。
季節はすっかり秋である。秋は収穫の季節、そして酒造り、酒祭りの季節でもあるので、蛇の国の住民たちにとっては一番好きな季節でもある。
ヴィラルージュ女王の時代からはるか未来にいるゆりは、この際と思って５日ほど子供たちと一緒に寝てみたが、過去に行くこともなく、ハロルドが来ることもなかった。
ハロルドがもし来たとしても、ゆりは自分の寝室にはいないし、そのまま帰りそうではあるが。
子供たちと寝ていると、今までの子供たちとの生活をしみじみ思いだしてしまう。よくこれだけ子供を産んだものである。
あと20年もしたらどうなっているんだろう？ 何人か子供が増えているのかな？
ベッドを３つ繋げないと一緒に眠れないかもね
などと思ったりしていた。
さてその日、城の南にいる町の戦士詰め所にいたジュノーの元に、フリットがやってきた。何かあったのか、神妙な面持ちである。
「どうしたんですか？」
ジュノーでなくとも聞きたくなるほどである。
「ちょっと二人っきりで話があるんだが」
「一時間ほどしたら手が空きますが」
「そのころまた来る」
フリットは出て行った。
一時間後、フリットがまたやってきたので、二人は詰め所の奥の部屋を使うことにした。
「どうかしたんですか？」
ジュノーは気になっていたのか、部屋に入るなり聞いた。
「昨日ミカエルに聞いたんだが、王妃に一時ガーベラが来てたっての本当か？」
「その話ですか。本当ですよ」
ジュノーはあっさり答えた。
「私は、会ってないよな？」
フリットは強張った顔で聞いている。
「え、いえ、私たちは全員会ったんじゃないかな？ あ、そうそう、ミカエル殿とフリット殿は、別室にいったんじゃないんですか？」
ジュノーが思いだしていうと、フリットはガーンとショックを受けた顔つきになった。
「どうしたんですか？ まさか……なんか我々には言えないようなことをしたんですか？」
ジュノーは怪しんでいる。
「……まさかガーベラだなんて全く思わなかった」
「何かしたんですか？」
ジュノーは身を乗り出さんばかりに聞いていた。
「え、いや、その……」
「まさか……」
ジュノーは勝手に想像していた。
「最後までしちゃったんですか？」
「いや、まあ、儀式の王妃とするようなことを、してしまった」
「うらやましいです！」
ジュノーは力を込めて言った。
「いや私は恥ずかしい。なんですぐに教えてくれないんだ？ ひどいじゃないか」
フリットはちょっと赤面しつつ、ジュノーをにらんでいる。
「いえ、私も聞いたのはフリット殿が仲良くした後ですよ。いいじゃないですか。知らずに仲良くなれたなんてうらやましいですよ」
「イシュタールのやつも教えてくれればよかったのに……」
フリットはぶつくさ言っていた。イシュタールに今朝文句を言うと、「いや、私も気が動転してたし、あまりいっちゃいかんかと思って」などと言っていた。
「ちなみにガーベラだと知ってたら、向こうに行けました？」
「いや、無理だろう」
「そうですよね」
「あほな男だと思ってないだろうか」
「思うくらいなら仲良くしないでしょう」
「はあ……」
フリットはため息をついていた。
「ガーベラだと思うからおかしいんであって、３人目の王妃でいいんじゃないですか？ そんなにいらっしゃらないだろうし」
「ああ、まあそうなんだが……ショックがでかくて……」
「ミカエル殿はよろこんでるんでしょ？ どうせ」
「あいつか？ あいつは……」
「王妃、次からはガーベラ様がいらっしゃるときは事前に教えてくださいよ。こちらにも心づもりがありますから」
そのころミカエルは、ゆりを別室に連れて行ってそう訴えていた。ミカエルは、シスとラギから聞いたのである。
「そういわれても、突然だったし、それに向こうは私だと思って接してほしかったんだろうし」
とゆり。
「ミカエルはどのくらいガーベラと仲良くしたの？」
「そんなにいろいろしてないですよ。フリットが一番仲良くしたようで、昨日大ショック受けてましたよ」
「そうなんだ。フリットでよかった」
「なんでですか」
ミカエルは睨んでいる。
「あの時の王妃、本当にかわいかったんですよ。私をじっと見て、好きって何度も言ってくれて。王妃もちょっと見習ってくださいよ」
ゆりはべーと舌を出していた。
「ガーベラ様にいろいろ聞きたかったのになあ。あの儀式のこととか」
「ガーベラは覚えてないみたいよ」
「本当にガーベラ様を抱いたんでしょうかね？ 実は王妃だったんじゃないんですか？」
ミカエルはゆりの顔をのぞくように見て聞いていた。
「さあ、私もわからない。何も覚えてないし」
「ならそうだったのかもしれないんです？」
「……かもしれないけど……」
ゆりはちょっと困った様子である。
「王妃は私のこと、本当に好きです？」
「好きだよ」
「じゃあいずれはちゃんと抱かれてくださいよ」
「いいよ。ミカエルが子供を作らなくていい年になったらね」
「それじゃじいさんになっちゃいますよ」
「いいじゃない。その時にはガーベラに頼み込んで、数日若くしてもらって、みんなと一気にするから」
ゆりはさらりとすごいことを言っていた。
「みんなと一気に」
「だって、そうなるときはみんな一緒だもんね」
「もー王妃ってば」
「だから長生きしてよね。ミカエル」
ゆりは横からミカエルに軽くぶつかっていた。
「それを励みにがんばりますよ」
とミカエルは答えていた。
そのころヴィラは、城の北にある街の大きな教会にやってきている。ここは一時期イシュタールがこもっていた教会である。イシュタールがいた部屋は一時立ち入り禁止になっていたのだが、
今では解除されている。女性の二人組の神官がやってきて、清めていってくれたようである。
ヴィラは何の気なしに教会で御祈りをしていた。この世界の民にとっては、神への御祈りも日常的なものである。
御祈りが終わると、顔なじみの老齢の牧師が近づいてきた。
「最近は落ち着いているようですな」
「そうですね。これといって事件はないですし」
とヴィラは答えた。牧師は何か話したそうな顔をしていたので、ヴィラは「どうかしたんですか？」と聞いていた。
「実は、先日牧師の寄り合いにいったんですがね、ちょっとこちらへ」
他に誰もいなかったので牧師は正面に向かって並んでいる長椅子の一番前にヴィラを促した。ヴィラは椅子に座り、牧師はその横に腰を下ろした。
「その寄り合いで、びっくりするようなことを聞いたんですよ。なんと、クーガ様が最近この国にいらしていたようなんです」
牧師は興奮した様子で告げた。
「クーガ様、どなたでしたっけ？」
神様の名前でも聞いたことがない名前だった。
「ヴィラ殿はご存知ないのですか？ まあ無理もありませんな。知るのはわしら牧師だけかもしれませんが、クーガ様は聖地の神官ですよ。神官の中でもとても上の方の方なのですが、
テウの街に現れたそうなんです。そこの牧師がえらい興奮して話してくれました」
「そうなんですか。ここにも二人神官がいらっしゃいましたよね。彼女達よりも上なんですか？」
「そうなんです。彼女がたよりも上なんですよ。ちょうど同時期ですな。これはここだけの話なんですが、クーガ様はアシュラン様の隠し子なんですよ」
牧師はひそひそ声で言った。
「え？」
ヴィラは驚いていた。
「アシュラン様に隠し子なんていらっしゃったんですか？」
「しー、大きな声で言ってはいけません。聖地では公認の事実らしいですぞ。いやーわしもお会いしたかった。大変美しい方だったそうですぞ」
牧師は残念そうに言っていた。
「じゃあ、アシュラン様が人間の娘に産ませたってことなんですか？」
ヴィラは小声で聞いていた。教会でこんな話をしていいものかどうか、迷うところである。
「そうなんでしょうな。やはり、ヒルデリア様の手前もありますし、神の国では育てられなかったのでしょう。といって普通の人間のように、というのも難しいですし……
どこかの国に住むとなるとちょっと面倒なことになるでしょうから、聖地で育てられて神官になられたのでしょうな。
クーガ様がいかれたのがテウの町だけとも思えないですし、こっそりこの町にいらしたのではないかと思っておるんですよ。ヴィラ殿は最近そういう高貴な方に会われなかったですか？」
「いやーここに来た二人の神官様の話も聞いただけですからね。私が会ったのは、イシュタール様の時のジー様くらいで」
「あの方はとても若こうございましたね」
街の者が入ってきて、二人の話はそこで終わった。
ヴィラは教会を出て行った。
（アシュラン様に隠し子がいたのは驚いたな……人間と神で子供ができるのか。もし王妃がハロルド様とそうなって子供ができたらどうなるんだろう。
この国で育てられるのかな？）
ヴィラは歩きながらそんなことを思った。
（もし子供が離されることになったら王妃が悲しむだろう。ハロルド様と王妃がくっつくのは歓迎気分だったが、そうなると話が変わるなあ……）
ヴィラはちょっと考えを改めていた。
さて、再び過去の時代である。ある夜、女王ヴィラルージュは、自分の私室でもくもくと古い本を読んでいた。
魔法書である。女王はいろいろ考えこむと魔法書を読む癖があり、そこから変わった魔法などを発見してしまうこともあるために、女王がこもって魔法書を読みだすと、
周りはちょっとびくついている。
「陛下、たまには庭園で演奏会などどうですか？ 星をみながら演奏会、素敵だと思うんですけど」
女騎士が女王を誘いに来た。女王は女騎士に気づいた様子がない。
「陛下」
二度目の呼びかけで女王はようやく顔を向けた。
「何か言ったか？」
「星空の元演奏会をやりたいと思ってるんですよ。もう準備ができてるんでいらっしゃってください」
「演奏会？ 今はその気がない。そなたらで楽しんでおくれ」
女王は椅子を動く気はないようだった。
「そうですか。わかりました」
しつこく誘っても逆効果なので、女騎士はお辞儀をして女王の私室を出た。部屋の外ではディランが待っていた。
「だめでした」
「だめか。うーん。やっぱり魔法書を読んでいらっしゃったか？」
「はい」
「そうか……」
騎士達は、女王の気を紛らわせようといろいろ企画を立てたりもしているのだが、たいていのことはやってしまっているので、なかなか女王の興味を引くものが
思いつかなかった。
「今はそっとしておいた方がいいんじゃないですか？ そうそうすごい魔法を使ったりもなさらないですよ」
女騎士は気楽な様子である。
「ならいいんだが……」
「撤収だってさ」
夜の庭園で準備をしていた騎士達は、女王が来ないとの思念をディランから受け取り、片付け始めた。空には満月、星もきれいな夜である。
気温もまだそう寒くはなく、演奏会にはうってつけの日だったのに残念なことである。
あたりには光の玉が浮いている中、騎士達は楽器やいすを再び移動させていたが、そこにふらふらと巫女のエレノアがやってきた。
青いドレスを着ていると思ったが、普段着にしてはおかしい。寝間着のような薄い生地である。
騎士達はエレノアに「こんばんは、巫女様」とあいさつをしながらも、おかしな格好だと思っていた。しかもエレノアは裸足である。
すぐそばでエレノアの顔を見た騎士が、「フークス、ちょっと来てくれ」と離れた所にいたフークスを呼んでいた。
「何？」
フークスはすぐ飛んできた。
─巫女様がおかしい
その思念でフークスがエレノアの横に並び、ぎょっとした。エレノアの肌には薄く、銀色に光る蛇の鱗がびっしりと浮かんでいたのである。
「！？」
エレノアが顔を向けた。その瞳も、両方蛇の目に変わっていた。黄色い眼球に青い縦に長い瞳である。
変化して肌に蛇の鱗が浮かぶことはあるが、今は赤い月でもないし、変化したまま外をうろついているのはおかしなことである。
しかも変化にしてはおかしい。変化で全身びっしりと蛇の鱗が浮かぶのは、王族だけだからだ。
側にいた他の騎士達も、一体どうしたのだろうとエレノアに注目していた。女騎士が
「エレノア様、部屋に戻りましょう」
とそっとエレノアの手を取ると、エレノアはその手を振り払っていた。
エレノアは周りを見渡して、フークスを見ると、フークスの手を握って口を開いたのだった。
「…………」
エレノアは何かを話しているのだが、フークスにも、周りにいた者達にも、さっぱり意味が分からない言葉だった。エレノアは何かを訴えるように言っていたが、やがて
気が済んだのかフークスの手を離して下に崩れてしまったので、フークスがあわててエレノアを支えた。エレノアは意識を失っているようである。
「……今の言葉、誰かわかった人」
フークスは周りにいた騎士達に聞いてみた。
みんな首をかしげている。
「やばい、重要なことだったらどうしよう」
エレノアの肌から蛇の鱗の模様は消えていた。
「とにかくみんな、いま聞いたこと、一部でもいいから紙に書き留めておいて！」
フークスはそういってエレノアを運ぶために移動した。騎士達はあわてて紙とペンを取りに行った。
楽器を撤去していたレイアスがこの場に戻ってきたときには、騎士は数人しかいなかった。椅子も楽器もまだ残っている。
「あれ？ みんなどこにいったのかな？」
そこにルークが近づいてきた。
「先ほど蛇つきのエレノア様がやってきたとかで、ちょっとした騒ぎになったみたいですよ」
ルークがそう説明すると、レイアスは驚いていた。
「えー？ 蛇つき？ ルークはみたの？」
「いえ、私が来た時にはもういなかったです。フークス様がみたみたいです」
「そうなんだ」
そのフークスは、エレノアを運んで侍女に頼んで後、急いで紙にペンを走らせていた。エレノアに聞いた言葉を覚えている限り書き出そうとしたのである。
「あーもう、あんまり覚えてない！」
フークスは髪をかきむしっていた。
あくる朝、城に学者たちが緊急招集された。女王は朝起きてから昨晩のことの報告を受けている。
会議室にて、女王にフークス、学者たち、エレノアがやってきていた。
エレノアは朝起きるとまるで昨晩のことを覚えていないようだった。体調も大丈夫なようなのでこの場にやってきている。
「本当に何も覚えていないのか？」
女王に聞かれて、「すいません」とエレノアはしょぼくれていた。学者たちは騎士達が昨晩メモした言葉の紙を受け取りそれぞれ眺めていたが、これを意味のある言葉にするというのが
困難なことだった。
「フークス様、なんですぐに呼んでくださらなかったんですかあ？」
学者には困った顔で言われてしまった。
「そういわれてもねえ、あっという間の出来事だったんだから。エレノア様が話したのは1分もなかったくらいなんだよ」
とフークス。
「イーグイラ、メレス、ドレス、ディラス……一つ分かることは、これは初期の古代語ということでしょうな。知っての通り、古代語は第３期まであります。我々がよく知る古代語は
第３期のもの。第１期古代語となると、我らにとっても難解です。しかも、全く言葉が足りないようですし」
その上騎士が書いた言葉があっているのかどうかもわからない。
「一部だけでもわからぬものか？」
女王が学者に聞いた。
「古代語でも３期通じて同じ言葉というのがありますから、一部だけならわかりますよ。たとえば、５人が書いている『デュップラスアミドス』この言葉は、契約という意味があります。
何かの契約についての話だったんでしょうね。その内容はわかりませんが」
「契約、気になるなあ」
フークスは腕を組んでうなっていた。
「そうだのう……ところで、なぜエレノアに突然そのようなことがおこったのだ？ エレノア、何かわかることはないのか？」
女王はエレノアを見た。
「はあ、私にもわかりませんが、私は本当にあんな恰好で外を歩いていたんでしょうか。それが恥ずかしくて」
エレノアは寝間着姿で外を歩いていたことを気にしていた。朝聞いて驚いたのもまずそのことである。
「あんなスケスケの恰好で外を歩いていたら、ばかみたいじゃないですか。誰か笑ってなかったですか？」
「大丈夫ですよ。美しかったくらいですよ」
「ショックです」
「エレノア、いまはなぜ蛇つきになったかのことの方が重要じゃ」
「本当に蛇様が私にとりついていたんでしょうか？」
「変化とは違っていたから、たぶんそうだよ」
とフークス。
「儀式に降りてくる女蛇ではないのか？」
女王が聞いた。
「いや、違うと思いますよ」
とフークス。
３人が話している間にも、学者たちは紙を並べてぶつぶつつぶやいている。人に蛇の霊がつくことは、そう悪いことではない。この国は蛇の国であるからだ。
飛んでいる蛇霊神が人の中に入り、時々人が奇妙な行動をすることもある。だが、その蛇もたいていはすぐに抜けるために、そう害はないと思われている。
「蛇様が言った言葉が気になって仕方ないんですよねえ」
フークスは昨晩も気になって眠れなかった。
「昨日のエレノア様の言葉は流ちょうすぎて、ほんと難解でしたよ」
第３期古代語ならばそらんじているフークスにも難解だったのだ。昨日出会ったのはかなり古い時代の蛇様に間違いないだろう。
エレノアは女王をちらりと見てもじもじしていた。
「なんじゃ？ 何か言いたいことがあるなら申してみよ」
「はあ、実は、そのう……皆さんに内緒にしていることが、一つあるといえばあるんですが……恥ずかしい話なので、ちょっと……」
エレノアはかなり言いにくそうである。
「わかった。それでは私にだけ話しておくれ」
「はい」
女王はエレノアを連れて移動した。
会議室にディランとレイアスがやってきた。
「フークス、何かわかったか？」
「なーんにも」
フークスはお手上げとばかりに両手を広げている。
「フークス様、じっくり調べてみますので、この紙借りていいですか？」
学者が言った。
「どうぞ」
学者たちは去って行った。
「実は、最近僕にも変わったことがあるんですよ。エレノア様を見ると、こうぎゅっと抱きしめたくなるんです」
レイアスは何かを抱きしめる仕草をしていたので、ディランは横目で「いやらしい気持ちになっただけだろ」と毒づいていた。
「そういうんじゃないんですよ。なんというか、守らなきゃって気分になるんです」
「あ、そう」
「デュップラスアミドス、デュップラスアミドス、デュップラスアミドス！」
フークスは連呼している。
「契約？」
ディランが聞いた。
「契約の内容が気になるー！ 蛇様、教えてください！」
フークスは宙に向かって叫んでいたが、蛇が下りてくることはなかったのだった。
一方、別室でエレノアの話を聞いた女王は、「これはハザーク殿にも聞いていただかねば」と言い出して、エレノアが嫌がっていた。
「陛下、恥ずかしすぎます。それだけは！」
「恥ずかしがっている場合ではないであろう。ほら、いくぞ」
「えーん……」
女王は強引にエレノアと共にハザークの元に移動した。
ハザークの元にやってきてもエレノアはまったく話す気はないらしく、女王が変わりにハザークに説明した。
話を聞いたハザークは驚いている。
「は……エレノア、これは驚いた。まさかそんなことがあったとは……」
エレノアは恥ずかしそうにうなだれている。
話の内容はこうだった。１０日ほど前のこと、恋人と夜仲良くしようとすると、恋人の様子が変わっていたという。
なにやら古代語のような言葉で話し出したのだが、意味はあまりわからなかった。恋人に蛇の霊か何かがついたのだなということはわかったのだという。
なぜなら肌に銀色の蛇の鱗のような模様が浮かんでいたからだ。
最初は向こうから何かしてくる様子はなかったのだが、エレノアの方がその蛇についその気になってしまい、自分から誘ったというのである。
エレノアはへびっちとのことがあったので、ついそういう気になってしまったようだ。
その蛇は恋人の体を借りて７晩やってきた。そしてその夜終わった後も何やら言っていたが、エレノアにはわからないままだった。
「ハザーク殿は第１期古代語はご存知か？」
女王が聞いた。
「うーん、１期も２期ももう無理だな。２期はちょっと習ったかもしれんが、古代叙事詩を読めるくらいだな。言葉なんぞは使わないとすぐ忘れてしまうからな」
「昨晩エレノアにやってきた蛇は、夜通ってきた蛇と同じであろうか？」
「それもわからんが、エレノアに意味が通じなかったので、他の者に言ったのかもしれないな。結局誰にも通じなかったようだが」
「エレノアがしたのも儀式のようなものではないのだろうか？」
「うーん、まあ、そういう儀式とは無関係だろうな」
ハザークは断言した。元々蛇霊神を入れる儀式はザクート王が考えたものである。男蛇はまるで関係ないはずなのだ。
しかも、やってきたのはザクートが生まれるずっと前の蛇のようである。
「古の蛇の魂が何かに惹かれてエレノアの元にやってきたのだろうか……」
女王はうーんと考え込んでいる。
ハザークは、いまも自分と目を合わそうとしないエレノアを眺めていた。
「うーん、……ん？」
ハザークはエレノアのお腹に注目した。
エレノアは今妊娠中である。儀式の時の子供だというのはハザークも聞いていた。
「お前は妊娠中だろう？ 相手の男はだれだ？」
「え、さあー」
エレノアは首をかしげていた。
「どういうことだ？」
ハザークは女王を見た。
「エレノアは儀式で10人中５人の男と交わったのですが、私にもまだ特定できないのですよ。もっと赤ん坊が大きくなればわかりましょうが」
と女王。
「そうか、何やら不可思議な気を感じるような気がするのだが、きのせいだろうか？」
「そうですか？」
女王もエレノアのお腹を見た。二人に見られてエレノアは居心地が悪そうである。
「私にはわかりませんが」
「うーん、気のせいかな？」
ハザークは首をかしげていた。
女王はその後政務をこなし、昼食を食べて私室で休憩していた。そこにムサカがやってきた。女王は最近覇気がない感じであったが、今日は
しゃきっとしている。
「陛下、昨晩エレノアに蛇様がついたと伺いましたが」
「おお、そうなのじゃ。蛇様は謎の言葉をはかれたそうであるが、昔の古代語で、フークス達にはわからなかったそうな」
「そうですか」
「その前にはエレノアに７晩も蛇様が通ったというし、全くようわからん話じゃ」
「7晩？ 蛇様がエレノアの元に通ったのですか？」
「そうらしい。エレノアは恥ずかしくてなかなか言わなんだ」
「それはそれは……」
テーブルにお茶セットを用意している若い侍女が、ちらちらと女王を見ていた。何かいいたそうである。
「どうかしたのか？ ミレーネ」
ムサカが聞いてみた。
「はい、あの、発言してもよろしいでしょうか」
侍女は女王を気にして聞いていた。
「よい。申してみよ」
「蛇様が7晩通うというお話ですが、子供のころにおとぎ話で聞いた話だと思いまして」
「ん？ おとぎ話？」
「あ、そういわれれば、わしもそのような話を聞いたような」
ムサカも思いだしていた。
「おとぎ話にあったか？」
「はい、ございました」
「ミレーネ、誰ぞ呼んできておくれ。急いでそのようなおとぎ話が乗った本を持ってくるようにと！」
女王の目は好奇で輝いている。
「は、はい！」
侍女はあわてて出て行った。
「どのような話であったか、じいやは覚えておるか？」
「さー、なにせおとぎ話ですので、結末はどうだったか……」
ムサカは首をかしげている。
「うーむじれったい。じいや、図書館に行くぞ」
女王はすくっと立ち上がっていた。
「陛下、午後の政務は？」
「あ、そうであった、じいや頼む」
「は？」
「まあ、大臣らにまかせておけばよいわ。今は蛇様のことが気になってしょうがない」
女王は思念で大臣らに指示を送ると、図書館にすっ飛んでしまった。
「ああいうところは昔と変わりませんなあ……」
とつぶやいたムサカだった。
そして再び未来である。この日は朝から雨がザーザー降っていたので、ゆりは一日城にこもりきりで、おとなしくレーヌと遊んだりしていた。
レーヌはもうすぐ6か月である。日に日に重くなり、動く範囲も広くなっていた。最近では体を横にしたり、うつぶせになってしまうこともある。
「もう少しすれば立っちゃうのかな。立つようになればすぐ歩くようになるし、あっという間よね」
夕方、ゆりが部屋で竪琴の練習をしていると、アナスターシャが部屋に入ってきた。
「はいこれ、さっきラーズに会ったよ。『ママにあげて』って言ってたよ」
アナスターシャは簡単に言ってゆりに小さい袋を差し出したので、ゆりは聞き間違いかと思った。
「え？ だれに会ったって？」
「ラーズよ。虹の神様」
「え？ ラーズがいたの？」
「いたよ。雨が上がって、空にうっすらと虹がかかってたから、見てたらやってきたの」
「えー？」
「それでこれを母様にって。ママって母様しかいないでしょ？」
「…………」
ゆりは竪琴を置いて袋を受け取った。光沢のある真っ白な袋である。絹でできているかもしれない。袋は5センチほどの小さい巾着だった。
袋ごと中身に触ると固い感触がする。固くて丸っこい物が何個か入っているようだ。アナスターシャは何が入っているのかと、わくわくして眺めている。
ゆりは中を開けて手の平に中身を出してみた。
丸い物が5個でてきた。
「わー綺麗な石ね」
アナスターシャはそういったが、それは石ではなかった。光沢のある乳白色の、それは真珠だったのだ。
「え……」
しかもこの中にある二つはとても見覚えがあるものだった。海の世界の海岸で拾った大きな真珠である。その真珠はガーベラがもらった宝石箱に
他の真珠と一緒に入れておいたのだ。
「……えー！！！！！」
ゆりが大きな声をあげていたので、アナスターシャはびっくりしていた。
「どうしたの？」
「これ、本当にラーズがくれたの？」
「うん」
「なんで？」
「さあ」
なんで？
ゆりは真珠を持ったまま硬直していた。
これは一体……どういうこと！？
ゆりは真珠を拾った時のことを思いだしていた。あの場はにラーズもいた。そのラーズがなぜ、これを自分にくれたのだろうか。
……なんか、ばれてるんだろうか。それとも偶然？ いやまさか……
「母様、これちょうだい」
アナスターシャはゆりの手の平にのっている、ピンクの真珠を指していた。
まさかまさかまさか……
ゆりはまったく反応しなかったので、アナスターシャはピンクの真珠をつまんでもっていった。
「綺麗な石、かざろっと」
私のことばれてるの？ ばれてないの？ どっちー！？
ゆりはしばらくその場で固まっていたのだった。
つづく
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