第24話
人間界では12の月に入った。今年は１２の月に入るなり雨が降り出していた。城の中も肌寒く、じめじめしている。洗濯物が乾かないので、メイド達にとっては嫌な時期である。
先月の巨大なイカのことはもちろん新聞に載ってしまった。
『海の巨大生物が街に出現！？』との見出しで、イカの絵も載っていた。イカはさすがに川にはいないので、ほとんどの人々がイカを目にするのが初めてだったのである。
かなりの珍事に違いない。しかも並のイカではない。街の人々は、あれが普通のイカのサイズかと思ったかもしれない。イカをばらした時に出てきた透明の長細い骨のようなものは、
今も街に飾られているようである。（ラギは後日それをシスと見に行った）
最初あのイカを食べるなどと夢にも思わなかった街の人だったが、ミカエルが「王妃が食べたがってるんで、誰か味見してみて（自分は食べる気なかった）」と言い、
「食べられるんだ？」ということになり、イカを細かくして焼いてみたようである。食べてみると意外においしかったので、あちこちの厨房でイカを調理しまくったのだった。
各砦にも「王妃様からの差し入れ」ということでイカ料理が配られていた。あれだけでかいイカだったのだから、相当食いでがあったことだろう。
ハザークの元にもイカ料理が運ばれたと知ったラクシュミは後で驚いていた。ハザークは普通に食べたようである。
持って行ったのはシスとラギだった。
「ハザークはあれを見なかったのか？」
「ちょうど昼寝中だったらしくて、見たときにはもうなかったって言ってましたよ」
シスが答えた。
「ハザークによくあれを持ってくなあ……」
「珍しいっていって食べたみたいですよ。僕たちも食べましたけど、まずくはなかったですよ」
ラギは平然と言っていた。
「そうか。私はてっきりハロルドは嫌がらせであれを持ってきたんだと思ってたが、まるっきり好意でくれたのか？ 女性への贈り物があれってのもどうなんだ？」
「きっとお母さんがほしいって言ったんですよ。それでハロルド様がわざわざとってきてくださったんですよ」
ラギが言った。子供達はハロルドがあのイカとどう戦ったのか、勝手に想像していた。
「普通に花や宝石だと言わないところがゆりらしいが、そういえば前に宝石はもらったか」
「すごく回りくどく、くれてましたね」
「まあ、ハロルドはゆりの反応を見て喜んでるんだろうな。あんなに喜ぶとは本人も思わなかったんじゃないか？」
とラクシュミは想像した。昔はゆりがメメントを食べただけでゆりに近寄りたくなかったラクシュミだったが、今ではそんなことはない。
ただ、（次にまた変なものが贈られてきたらやだな）と思っていた。
イカの話題は強烈すぎたのか、しばらく人々の口から消えなかった。
あれはハロルド様の嫌がらせじゃなくて、「ハロルド様の大きな愛の証なんだ」と、今では子供達は解釈している。
ロイは、「大人になったら海に行ってあのイカと戦いたい」と変な闘志を燃やしていた。
さて、雨が二日も続くと気分も下降気味になってくるが、半妖精のイシュタールはまた具合が悪くなってきていた。半妖精で梅雨を迎えるのは二度目である。
王の間では、「イシュタールの具合が悪いようで」とフリットがラクシュミに伝えていた。その横にはゆりもいる。
「お前は体調は悪くないのか？」
ラクシュミがゆりに聞いていた。
「私は今年は別に大丈夫よ。イシュタールなんだけど、梅雨の間だけ神の国に行くってのはだめかしら？」
ゆりが提案した。
「こっちにいてもしんどいだけなら、向こうに行かせたら？ 子供にも会えるし」
「そうだな。最低５日はこんな調子だろうし、国のどこも雨が降ってるしな。私から伝えてやろう」
ラクシュミは思念でイシュタールに伝えた。
「イシュタールの子供は大きくなってるんですか？」
フリットがゆりに聞いた。
「どうなんだろう。しばらく会ってないから。大きくなってるかな？」
「イシュタール、好意に甘えてそうするとさ、ゆりによろしくと言ってる」
ラクシュミがゆりとフリットにそう伝えた。
「元気で過ごしてねって伝えてね」
「ああ」
フリットが王の間を出るときに、ゆりも一緒に出ることにした。ゆりの左目はいつの間にか変わっている。
「ねえフリット、今日はずっと仕事なの？」
「夜まで仕事ですよ」
「そう、残念」
「おや、しばらくそういう気じゃないと思ってましたが」
「ずっとドルイドのことばっかり考えてたら次に出会った時に責めちゃいそうだから、あんまり考えない方がいいかなって思ってね。最近誰ともひっついてないから〜」
「では次の休みにでも」
「うん。じゃあね」
ゆりは瞬間移動した。
大人ドルイドはあれから現れていない。シスによれば、そんなにしょっちゅうは来ないらしいので、気長に待つしかない。
次に会った時には笑顔で出迎えてあげたいし、あんまり考えないようにした方が、よし、ハザーク様と遊ぼう
ゆりはハザークの元に飛んだ。すると、ハザークの部屋の長椅子に人になったへびっちが寝転んでいた。
「あらへびっちも来てたの。最近どうなの？」
ゆりはへびっちに聞いた。へびっちはきょろきょろあたりを見て長椅子から降り、棚から紙を持ってきて何かを書いて見せた。
「げんき」と書いてある。
「元気なの。それはよかった。へびっちはおりこうさんね」
ゆりはへびっちの頭をなでなでした。へびっちは子供達に字を教えてもらっているようで、今ではいろいろ書けるようである。
「へびっちはまだ侍女さんと続いてるんですか？」
ゆりは小声でハザークに聞いた。
ハザークはうなずいた。その時侍女が入ってきてゆりはぴくっとした。
へびっちは長椅子にまた寝そべっている。
目の前で二人がいちゃいちゃしたりして……
ゆりはそんな期待をしていたが、侍女はへびっちがいてもいつも通りテーブルにお茶のセットを置いていた。
「ではごゆっくり」
「ありがとう」
侍女は笑みを向けて去って行った。
侍女が完全に出て行ったところでゆりは、
「へびっち、侍女さんのこと好き？」
と初めてへびっちに聞いてみた。へびっちはうなずいている。
「そう。へびっちは一気に恋人が増えたね」
ゆりが言うと、へびっちは新しい紙をもってきて何かを描いていた。
「ハザーク様、へびっちのこと、侍女さんに聞いた？」
ゆりが聞くと、ハザークは「まさか」と言った。
「聞けばいいのに」
「いや、いい。楽しくしてるならそれでいい」
長年一緒にいても聞けないことがあるというのが不思議なものである。
やがてへびっちの絵が描き終わり、見せてくれた。紙には女性がずらりと並んでいる。
「女王様、謎の人、侍女さんが５人」
紙には７人いた。黄色い冠を被ったのが女王、青い髪の女性、白い髪の女性が並んでいる。
「この青い髪の人はだれ？」
へびっちは目をぱちくりさせている。
「こっちの女性？ それとも女王様の時代の人？」
そう聞くとへびっちはうなずいていた。
「この中に入ってるだけあって、ただの女じゃないわね。誰かしら？ 私が知ってる人？」
とゆりが聞くと、へびっちは首をかしげていた。
さらにへびっちは何か加えている。蛇の絵だった。女王の近くには二匹、青い髪の女性の近くに一匹描いている。
「え？ その人にも子蛇を生んでもらったの？ それは初耳よ」
へびっちは子蛇に×をかいて、女性のお腹あたりに子蛇を描いていた。
「えー！ お腹にいるの？」
へびっちはうなずいている。
「この前仕込んだのかしら？」
ゆりがハザークを見たが、ハザークも首を傾げただけだった。
「へびっちってば、順調に子蛇を増やしてるわね。でもこの前みたいに持って帰るのは無理よね」
ゆりが残念そうに言うと、へびっちはうなずいていた。
「そのうち侍女さんに何か起こったりして……」
ゆりは遠慮がちにハザークに言ってみた。
「あまり想像はできないがな……」
「パパー」
部屋にぬっとミシェイラが現れて、ゆりはこの話題をやめた。
「あーへびっちいたの？ あそぼ」
へびっちはうなずいている。
ゆりはいちゃいちゃ気分もそがれてそのままハザークと別れていた。思えば自由で子供を作ることができる子蛇はへびっちだけなのである。
へびっちはみんなの分もがんばろうと考えているのかもしれない。
へびっちの考えは謎だけどね。あの青い髪の女性が気になる……そーだ、今度ヴィラにディランに出会った時にでも聞いてもらおう
蛇の目のゆりは自分の部屋に戻り、黒目のゆりに交代した。目覚めた黒目のゆりはテーブルの上にあった絵に目を止めた。
女性がいっぱい描いてあるような絵である。
「うーん、この白い女性たちは侍女さんでしょ、これが女王様で、この青い髪はだれだろう。しかも、お腹に子蛇が？？ どういうこと？」
黒目のゆりもその絵を見て疑問だらけだった。
ラクシュミから「梅雨の間は神の国に行っていたらどうだ？」と言われたイシュタールは、ありがたくそうすることにした。どうせ屋敷にいても寝ているだけである。
といってもいきなりいなくなるとメリッサが心配しそうなので、学校から帰ったメリッサに別れを告げてから行くことにした。
彼女達、メリッサ、ミカエル達、将軍たちに挨拶をしてから、イシュタールは火の妖精の力を借りて神の国にやってきた。
神の国にやってくるととたんに身体のおもぐるしさは消えていた。
「あー、生き返るようです」
イシュタールが首をぽきぽき鳴らしながら言うと、妖精は笑っていた。
「サラディン様に挨拶にいきましょう」
「はい」
まだサラディンはイシュタールを来たことすら知らないのである。いつもの広間に行くと、サラディンの横にガーベラまでいた。ガーベラはイシュタールをみるなり、
「あら、イシュタールじゃない」
と言った。イシュタールはガーベラを見て、慌てて後ろに下がっていた。顔はもう真っ赤である。
「イシュタール、どうしたんだ？」
サラディンが聞いた。
「人間界の梅雨がつらいそうで、梅雨の間だけこちらで過ごしたらどうかと王様に言われたようなんです」
イシュタールがかなり離れてしまったので、妖精がそう説明した。
「そうなのか。梅雨か。それはお前にはつらいかもな。好きなだけいればいい。どうしたんだ？」
イシュタールは後ずさったまま近づいてこようとしないので、サラディンは疑問に思ったようだ。
「あ、あの、ガーベラ様がいらっしゃったので、び、びっくりして……」
イシュタールは遠くで答えていた。
「ああ、でも前に会ったじゃないか」
「じゃあ私はそろそろ行くわね」
ガーベラはサラディンから離れてイシュタールに近づいた。イシュタールはすっかり石のように固まっている。
（じゃあね、ダーリン）
ガーベラは小声でイシュタールに言って去って行った。イシュタールはしばらくその場から動けず、心配した妖精がそばにやってきた。
「大丈夫ですか？」
「はい、久々にガーベラ様を見てびっくりしてしまって」
「ははは」
妖精は笑っているが、イシュタールは困惑気味である。
神の国にはガーベラ様がいたんだった！ まあ、あまり側によらなきゃ大丈夫かな？
またもや「ダーリン」と呼ばれてしまい、イシュタールは赤い顔のままサラディンに挨拶したのだった。
その後他の妖精達に会いに行ったのだが、久々の火の神殿は雰囲気がちょっと変わっていた。まず、女性たちが以前とどこか違うように感じた。
以前に比べて表情が豊かなような気がするのだ。男の妖精に聞くと、どうやらガーベラの儀式の花が原因らしい。「儀式」と聞いてイシュタールの顔はまた真っ赤になっている。
そして新しい妖精もいた。
「どうも、プータローです」
「初めまして、イシュタールです」
イシュタールはライオネルの顔に似た妖精に出会った。顔だけで身体は普通の人間なのだから、どこか奇妙な感じである。ゆりに話は聞いていたが、実際に見てみると、面白い妖精である。
イシュタールの息子のバーナードは少し大きくなって飛び跳ねていた。
「大きくなったなあ」
イシュタールは両手を出してみたが、バーナードは近づいてこなかった。代わりに火をぼーぼーはいている。
「まだ火をはいてるんだ」
「あ、本当にイシュタールだー！ やった！」
ルティアナがやってきた。
「久しぶりです。ルティアナ様」
こうしてイシュタールは久々に火の神殿に滞在することになったのだった。
人間界では夜になった。イカを食べてから一人で寝ていたゆりだったが、この夜は久々に神の国に来ることができた。
場所は雲の上の神殿のようである。神々のサロンのような場所にいたが、誰と話しいてたというわけではないのか、目の前には誰もいなかった。
部屋の中では他の女の神が楽器の演奏などをしている。ガーベラはそれに加わっていたのかもしれない。
「それじゃ、私はこれで」
再び誘われたら大変なので、ゆりはそそくさと部屋を後にした。
そーだ。せっかくイシュタールがこっちに来たんだから、会いに行っちゃおうかな。でも来たばっかりで行くのも悪いかなあ……ハロルドにイカのお礼も言ったほうがいいかな
などと考えつつ、神殿の入口に向かって歩いていたら、通路の目の前からハロルドが歩いてくるのが見えた。
「あ」
「ガーベラ」
後ろから声をかけられた、振り向いたらなんとラーズがいる。
「あ、ラーズ」
そのラーズのちょっと後ろにはグレンもいた。
ハロルドにラーズにグレン！？ 正直全員と話がある。ラーズにはあの真珠の意味を聞きたい〜〜〜
ゆりが両方をきょろきょろしていたら、「ちょっと来い」と素早くハロルドに手を引っ張られてしまった。
「あーラーズ、さよーならー」
ゆりはそう言いながら引っ張られてしまった。
ラーズはそんなゆりの様子を見て笑っている。グレンは普通にラーズの横を通り過ぎていき、ラーズは声をかけた。
「なあグレン、ガーベラに何か後ろめたいことでもあるのか？」
「え？」
グレンが振り向いた。
「だって、グレンだけなんか不自然じゃないか。あの儀式の後平然としてるなんてなあ」
ラーズはグレンの横に並んで小声で聞いた。
「ガーベラと愛し合ったわりにはおかしい」
「あの儀式ではああなってしまいましたが、もともとガーベラ様とどうにかなるとかいう身ではありませんから」
グレンは真面目に返答していた。
「それだけか？ 何か無関心でいたい理由でもあるんじゃないか？」
そう聞くと、グレンは苦笑していた。
「ラーズ様は、私がガーベラ様の恋人になってもいいんですか？」
「私がいいとか悪いとかじゃないんだ。ただ不自然だなあと」
「そうですかねえ。それにガーベラ様は私のことなんとも思ってないでしょう」
「そうかなあ」
「失礼します」
グレンはラーズから離れて行った。
「うーん、信じられん」
ラーズは首をかしげている。
あの儀式を覚えてないにしろ、頭のどこかにはガーベラと愛し合った記憶があるはずだ。それなのに、ガーベラに出会っても無表情でいられるってのがわからん
グレンもあの時はガーベラのとりこになったはずなんだがなあ……わからん
ところでさっきのガーベラはどっちなんだろう？
それもラーズには定かではなかった。
神殿の外でペガサスに乗せられたゆりは、「あのイカおいしかったよ。ありがとう」と普通にお礼を言った。
「え？」
とハロルドは驚いている。
「イカ、おいしかったよ」
「あれを食ったのか？」
「食べたよ」
ゆりは当然とばかりに言っていた。
「本当に食ったのか？」
「食べるつもりでくれたんでしょ？」
「まあ、そうなんだが……本当に食うとは思わなかった。よく食ったな。全部食ったのか？」
「私が一人で食べてないわよ。街のみんなと食べたの。でかかったから、何人前あったんだろう？ １００人前はあったかな？」
「…………」
「もしかして、半分嫌がらせが入ってたの？ 久しぶりのイカだったからびっくりしちゃったわ。あのね、海には他にもいろんな生き物がいてね、マグロとかタイとか、
アジとかカツオとかカニとかウニとか、もし気が向いたら捕ってきてね」
ゆりはガーベラの笑みで言ってみた。
「私は漁師じゃないんだが」
ハロルドは頬をひきつらせている。
「一応言ってみただけよう」
「あのイカでそんなに喜ぶとは……」
どうやら計算外だったらしい。
ペガサスはハロルドの神殿についた。
「ちょっと中で話そう」
「はーい」
神殿の中にはキュリアもジェイクもいないようだった。
「あのー前回あんなやり取りがあったから、私は毎晩おっかなびっくりでいたんですけど」
ゆりはおずおずと言ってみた。
「ああ、そんなに待ってたか」
「え、いや、待ってたというか、おっかなびっくりでいたの」
「待ってたんだろ？ あの後私も考えた。やはり向こうでというのはちょっとまずいな」
「うんうん」
「というわけで、だ、こうすることにした」
ハロルドはゆりの前で上から下まで指を移動させた。
「？」
ゆりは身体の違和感に気づいた。なんだかウエストがきつい。
「え？ あれ？」
ハロルドを見ていた自分の視線が下にずれている。さらに、ゆりは自分の胸元を見て絶句した。
豊満な胸が小さくなっているではないか。しかも背中に手を回してもお尻まであるはずの金髪がないのである。
「ま、まさか、まさか」
「これでしよう」
ハロルドはそのままゆりを引っ張って行った。
「え、ちょ、ちょっと待って！ これ、いまの、私は、私は、あっちの私じゃん！ ガーベラどこいったの？！ どうなってんの！？」
ゆりはパニックを起こしている。声も自分の声である。どうやら姿は元の自分のようである。
「どこにもいってない。あっちでやるのが無理ならここでやるしかないだろう」
ハロルドは平然と言った。
「え、ちょっと！」
「服が全然合ってないから脱ごう」
「やだー脱がさないで、いや帯だけとって帯だけ！」
帯があまりにきつかったのでゆりはそう言った。
ハロルドはガーベラの帯を外している。
「ぜいぜい」
「全部ぬごう」
ハロルドがゆりの服を脱がそうとしている。ゆりはそれを手で制していた。
「いや、もう、ハロルドの気持ちはよくわかった。ちょっと落ち着いて」
「お前が落ち着いた方がいいぞ」
「落ち着けないでしょ！ ガーベラに戻してよ！」
「終わったら戻す」
「終わったら！？ だれか来たらどーすんの！？」
「お前がぎゃーぎゃー騒がなきゃ誰も来ない」
「騒がずにはいられないでしょ！」
ゆりはどうやって逃げるか考えていたが、逃げるとなると瞬間移動しかない。しかしこの格好で瞬間移動はできるのだろうか。できてもまずいだろう。
「お前は私が好きなんだろう？」
「好きだけど、これは別なの」
「何が別なんだよ」
「なんでハロルドはそんなに私としたいのよ！」
「好きだからに決まってるだろ」
ゆりはうっと言葉に詰まった。
「大体お前がいろんな男に手を出すから悪い。私だけというならまあ、ここまでする気にはならなかったが」
「ううっ」
「ほら、時間がない。早くしよう」
「ううう」
ゆりはとっさに飛んでしまった。
「あ、まったく……まあ帰ってくるか」
ハロルドはやれやれとベッドに座っていた。
一方ゆりはラーズの元に飛んでしまっていた。
やばっ！ こんな姿を見られたらそれこそ困る！
ゆりは慌てたが、この部屋にはラーズはいなかった。ラーズは横の部屋で座って何かをしていたので、まだゆりに気づいてはいなかった。
あーよかったーだめだ、こんな姿でラーズには会えない〜〜〜！
ゆりはあきらめてハロルドの元に戻った。
「随分早かったな」
とハロルド。
「こうなったら覚悟を決めたわ！」
（あとはよろしく！）
ゆりの左目は蛇の目に変わっていた。
「え、えええ！？」
なんと黒目のゆりは逃げてしまったのだ。
「えー！！！！」
「まあどっちでもいい、来い」
ハロルドは気にしていないようである。
ガーン、どうしよう。そりゃ私は神様と遊びたい方だけど、こういう展開は……
蛇の目のゆりでさえ、手放しで喜べない状況である。
「あのーせっかくなので、もうちょっと段階を踏みませんこと？」
「踏まない」
あっさり言われた。
「一つ聞くけど、ハロルドって、人間の女性とこういうことしたりするの？」
「さあな」
「とりあえずガーベラに戻してよ。なんか落ち着かないし」
「終わったら戻す」
「あの姿のままでいいじゃない。今のままじゃあまりにも見劣りするからやなの。人間としてするのはやなの。対等にハロルドとしたいの」
蛇の目のゆりはハロルドに訴えている。
そこまで言うとハロルドもちょっと悩みだした。このまま逃げ回られるのも疲れるだけである。
「わかったわかった。戻してやる」
ハロルドが指を上下に振ると、豪華な金髪が元に戻った。
と同時に奥に引っ込んだ黒目のゆりも復活していた。
「ハロルドありがとー」
ゆりは言いながら腰帯を拾って腰に巻こうとしていた。
「いや、まだ巻かんでいい」
ハロルドがゆりを抱き寄せようとしたとき、
「おとうさーん」
という声が聞こえてきた。
「ここだ」
ハロルドが疲れたように声をあげた。
「火の妖精がお父さんに頼みがあるんだってー」
「わかった、じゃあ後であっちに行くといってくれ」
「わかりましたー」
「じゃあ早くしよう」
ハロルドは今度こそゆりを抱きしめた。
「まあまあ、その前にいっぱいキスしましょ〜〜〜」
ゆりはハロルドの膝に乗って抱き着いた。そして散々キスし合った。
そして口を離したゆりは、「そういえば、聞きたいことがあったんだった。どうやってあのイカを倒したの？」と聞いた。
「イカの話はもういい」
「だって、子供達から絶対聞いてきてって言われたんだもの。教えて」
ゆりはハロルドの膝から降りて聞いた。
「イカの表面は傷はなかったでしょ？」
「足の付け根の真ん中にモリを打ち込んでやった。人間にやらせる気だったんだが結局私が倒してしまった」
「そうなの？」
「傷だらけの贈り物なんていやだからな」
「ありがとう。私のために」
ゆりはうれしそうだった。
（半分嫌がらせだったんだが……なんで女にイカを贈ってんだかもわけがわからん）
ハロルドは自分でもそう思っていた。
「もし宝石かイカかどっちかやるっていったら、どっちを選ぶ？」
ハロルドはふと聞いてみたくなった。
「イカかな」
ゆりは躊躇せずに答えていた。
「お前、そんなにイカが好きか」
「そういうわけじゃないけど、そりゃ、生活にものすごく困ってたら宝石を選ぶけどね。イカは海に行かなきゃだめだし、私は人間界では海なんて夢のまた夢って感じだから」
「ふーん」
「でも実は私イカよりもカニの方が好きなの。もし気が向いたら、次はでかいカニをよろしくね♪」
ゆりはまだ懲りずに言っていた。
結局この日は話だけでゆりは人間界に帰ってしまった。
「あほらしい一日だった……」
ハロルドは肩を落としている。
目覚めたガーベラはハロルドを見て目をぱちくりさせていた。
「仲良くしたの？」
「いいや」
「なんだ。あ、そういえば、イカは捕まえたの？」
ガーベラが無邪気に聞いた。
「もうイカの話はいい」
「なによーぷん」
ガーベラは腰帯をはめるとそのまま消えてしまった。
イカよりカニが……いやもういいだろう。あほらしい。だが考えてみればあの女には子供を３人も生んでもらったんだしな、そのくらいやってもいい気もしてきた
食べ物をねだられるなんてかわいいものだ、と思えないこともない。普通人間の望みといったら、「もっときれいになりたい」だの、「老いたくない」といったことなのである。
「また海か……」
ハロルドはため息をついた。
５日長雨が続いてその次の日、ようやく雨が上がった。だがまだ梅雨は続くようである。
庭園の土はぬれていたが、夕方、突然庭園に巨大なカニが出現し、それを見た侍女が悲鳴をあげていた。
しかもカニは生きていた。長い脚を動かして庭園を移動していたのである。
「王、今度は庭園に巨大なカニがいっぱいいます」
そう報告を受けたラクシュミは、
「カニ？ ロイ？ いや、ゆりあてか。ゆりに知らせろ」
とすぐにゆりのせいだと気づいたのだった。
ゆりがあわてて庭園に行くと、確かにでかいごつごつしたカニがあちこちで動いている。
「やったー！！！！ ハロルドありがとうー！！！！」
ゆりはイカの１００倍は喜び、カニを回収した。茶色っぽいのやら赤いのやら、いろんな種類のカニがいるようだ。
「すごーい、おいしそー！！ さっそくゆでよう！」
子供達もやってきてカニをとっ捕まえた。中でもロイは一番楽しそうだ。
「指をはさまれないようにね」
「すげー海のカニって大きいねえ」
川のカニは小さいために、ロイはカニのでかさに驚いていた。ゆりでさえ、あっちも世界では見たこともないような立派なカニだった。
「ハロルド様ってば、本当に母様のことが好きねえ」
アナスターシャはカニを眺めながら言っていた。
「綺麗なお城がほしいっていったらくれるんじゃない？ 母様言ってみればいいのにね」
ナナミはそんなことを言っている。
こうして夕食には綺麗に茹で上がったカニがテーブルにあがったのだった。
「母様、行ってきたよー」
シスが食堂にやってきた。
「ありがとう。アヤコさん喜んだでしょ」
「すごく喜んだよ」
シスは魔法陣でカニをアヤコのところまで持って行ったのである。カニは全部で20匹もいた。５匹おすそわけしている。
「さっそく食べよう！」
カニはイカほどグロテスクじゃなかったので、アナスターシャ達もカニに手をつけていた。
「エビに似てるけど、お母さん大丈夫？」
ラギが心配した。
「大丈夫。じんましんが出ても食べる」
ゆりはカニを食べまくっている。
「こんなに大きいと身のとりがいがあるー」
と喜んでカニの脚を尖った棒でほじくっていた。
どうやらカニでアレルギー反応は出なかったようだ。必死な様子のゆりを見て、子供達は笑っていた。
そのころ城の一室では、「一体何を考えているんだか……」とラクシュミがあきれていた。
「ハロルド様、本当に王妃が好きなんですねえ」
ミカエルはしみじみと言っていた。さすがのミカエル達も、そういう贈り物はできない。
「次は何がきますかねえ。でかい魚とか」
「庭園が磯くさくなるからやめてほしい」
ミカエルは想像して笑っていた。
そして同じ頃、ハザークの元にもゆでたての真っ赤なカニが届いていた。侍女は身を取り出し、ハザークはそれを食べてみた。
「へー珍味だな。酒にあう」
ハザークもカニを食べていたのだった。
つづく
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