第25話

カニの件は蛇の国の新聞には載らなかった。カニは街へは出なかったからである。アヤコがいる虎の国にはおすそわけされただけだった。

海のカニは川のカニと比べてかなりでかかったので城の皆は驚いたが、巨大イカほどのインパクトはなかった。

城でカニをもらったエルバートは、セリアの元に持って行ったりもしていた。

ナナミはカニの殻を並べて絵を描いたりもしていたが、ロイはひそかに庭園のすみっこに飾っている。

「これを食べるって最初に思った人はすごいよね。きっとお母さんみたいな人が食べたんだろうね」

とラギが言っていた。

「僕は将来海に絶対に行く。そしたらでかい生き物を持って帰るからね」

ロイが無邪気にゆりに言っていた。

「ほんと？　その時はよろしくね」

とゆりも答えている。

「海は食べ物もいいんだけどね、あなたたちにイルカを見せてあげたいわ。かわいいんだから」

ゆりは海の世界にいた人懐っこいイルカを思いだしていた。

「蛇とどっちがかわいい？」

ナナミが聞いていた。

「えーと、蛇の次くらいにかわいいかな」

とゆりが答えた。子供達にとっては、蛇が一番である。


蛇の国は今梅雨の時期だったが、大雨の時期は過ぎたようである。羊の国は梅雨が明けたと言っていた。

王の間では、ラクシュミがミカエルとイシュタールのことを話していたが、話題はセルジュのことに移っていた。

「あれからキースの顔を見ると笑ってしまってしょうがない。セルジュはどうしているんだ？」

とラクシュミはミカエルに聞いていた。

「将軍やカーラさんの前では子供の真似をしてますよ。ですが、私にはばれてるんで本やらを頼まれるようになりました。そうそう、この前イカの話を聞いて

見たいと言われたんですが、イカはもうバラバラになってたんで中から出てきた骨みたいなものを見せてあげましたよ。喜んでました」

「へえ」

「好奇心が旺盛な人ですからね、家でじっとしてるのは退屈でしょうね」

「そうだろうな。ははは」


そのセルジュは今日は街の病院にやってきていた。病気ではなく、ちゃんと成長しているかを見る検診である。いつもは母親であるカーラが連れてくるのだが、

今日は父親のキースがセルジュを連れてきていた。珍しいことである。

キースは病院の先生に、「セルジュはまったく泣かない子供なんだが、大丈夫だろうか？」というようなことを聞いていた。父親なりにきにしているようである。

「カーラさんも言ってましたね。ですが、ちゃんと笑ってますし、感情がないわけではないですから、大丈夫ですよ」

と男の医者は答えている。

「そうか？　なんか変な気がするんだがなあ」

「大丈夫ですよ」

医者がセルジュのおなかを触ったので、セルジュは「きゃはは」と笑ってみせた。笑うのは簡単なのだが、うそ泣きというのはセルジュにとっては結構難しい。


キースは病院を去った後、セルジュを自分の屋敷に連れて行った。セルジュはたまにしかこちらに来ないのだが、いつみても懐かしいものである。

（部屋の中は全然変わらないな。ちょっとは模様替えでもすればいいのに）

セルジュは部屋の中を見回して思っていた。

セルジュもいまや寝たきりの赤ん坊ではない。ちょこちょこ歩いても気にならない月齢である。いまでは自分で勝手にトイレにもいっている。

「ほーんと手がかからない子だわ」

とカーラは言っている。

セルジュは今もトイレに自分で行って帰ってきた。

セルジュが居間に戻ると、キースはソファに座って新聞を読んでいた。

（そういえば僕も新聞を読んでない。読みたい）

そう思ったセルジュは、それとなくキースの横に並んで座り、横から新聞を見上げていた。

キースは新聞を読みながら、ちらりとセルジュを見た。セルジュはそれに気づき、にこにこ微笑んだ。

キースは再び新聞に視線を戻した。梅雨の時期の話題といえば、水害情報などである。今年は国の西の方で被害が大きかったようである。

戦士達は農園や道の復旧作業の手伝いにかりだされるのだ。


キースは新聞を読みながら、再びセルジュの様子を見ていた。セルジュは再びキースの視線に気づき、またにこにこ笑っていた。

「お前はほんとおとなしいな。悪さもしないし。昔セルジュが小さい頃は、よく新聞に穴をあけられたものだったが……お前はそういうこともしないな」

キースがそう言いだしたので、セルジュは新聞に思いっきりこぶしを突っ込んでみた。新聞がびりっとやぶけている。

「……今、わざとやっただろ」

キースがセルジュに聞いていた。セルジュはちょっと笑っていたが、半笑いである。

妙な沈黙があった。怪しまれているかもしれないとセルジュは思ったが、まだごまかせるレベルだと思っていた。

「さてと、それじゃセルジュ、これからバラクでもしてみるか」

キースは新聞をたたんで置いて、こんなことを言いだした。

そしてテーブルにバラクのセットを持ってきて真面目に並べだした。セルジュはぼんやり眺めている。

（０歳児をバラクに誘うなんて、何を考えてるんだろう）

セルジュはどうしたものかと思っていた。

「この前ラギ様にあったら、お前がすごく賢かったようなことを言ってたぞ。バラクのことももう知ってるって。本当に知ってるのか？　ちょっとやってみよう」

（やべえ）

セルジュはここから逃げたくなっていた。

キースはバラクの駒を並べて、椅子にクッションを重ねてセルジュをそこに座らせた。

「さあ、なんでもいいからやってみろ」

キースは真面目な顔でセルジュを促している。セルジュはずらりと並んだバラクの駒を見ながら困っていた。

（どーしよう。もう面倒だからばらしちゃうか？　しかし、ばれたらおっぱいが！　カーラさんのおっぱいに引っ付いたり、一緒にお風呂に入ったりする楽しみが！）

子供らしく駒をめちゃくちゃにしたり口に入れたりしようかとも思ったが、今並んでいるバラクのセットはかなりの高級品なのである。

むちゃくちゃにして駒に傷をつけることがセルジュにはできなかった。

「どうしたんだ？　何か考えてるのか？」

キースはそんなセルジュの様子を眺めている。

困ったセルジュは、椅子に座ったまま目を閉じてくかーと寝だした。

寝てごまかすことにしたのである。

キースはかまわずに駒を動かし、一人バラクを始めたのだった。自分の駒とセルジュの駒を交互に動かしている。

セルジュはちらりと目を開けてそれに気づき、ちらちら目を開けだした。目の前でされていたので気になったしまったのである。

バラクの上級者ともなれば次に動かす駒の予測などもおてのものである。

キースの駒の動きをつい予測していたセルジュだったが、キースは自分が思っていたのと違う駒を動かしだした。

（それじゃこっちが負けちゃうじゃん）

案の定、こちら側が負けてしまった。勝負がついたところでキースは、

「お前、私の手の動きをよんでただろう」

と言い出した。

「…………」

「それで私が違う駒を動かしたものだからおかしいと思っただろう？　本当に子供なのか？　賢いにしては、ちょっとおかしい。いや、かなりおかしいだろう。

この前なんてベッドに小さい文字の本が置いてあったぞ。なんかおかしいなあとずっと思ってたんだ」

指摘されたセルジュは、ちょっと子供らしからぬ顔をして、

─お父さん、カーラさんには秘密にしておいてください

とまず思念を送っていた。

「セルジュ……今のはお前の声か？　いつからそんなまねができるようになったんだ？」

─僕、中身は死んだ時のままだったんですよね。最近動けるようになってようやく楽になりましたよ。ははは

「セルジュ！」

キースは驚きのまま立ち上がった。

「死んだ時のままだって？　本当なのか？」

─カーラさんとセリアちゃんには内緒にしてくださいね

「馬鹿を言うな」

─ばれたら恨みますよ

「うら……恨む？　なんでだ」

─僕はママにだっこされたりしたいのです。ばれたら抱っこしてくれなくなるでしょ！

「ばれたって抱っこくらいしてくれるだろう」

─やだ

セルジュは命一杯返していた。

「しかしカーラに黙ってるのは……」

─別にいいじゃないですか。僕は女に飢えてるんです。だって赤い月もそこそこに死んでしまったんですよ！？　かわいそうじゃないですか！

０歳児に「女に飢えてる」などといわれ、キースの顔は引きつっていた。

─僕はカーラさんにだっこされたり、セリアちゃんにチューされたりしたい！

「セルジュ、お前ってやつは……」

キースはさすがに我が子に呆れた顔つきである。

─そりゃお父さんはいいですよ。今も綺麗なカーラさんとくんずほぐれつ仲良くできるんですから。僕は大人になるまであと50年も待たなきゃならないんですよ！

キースは頭に手をあてていた。知られたくないのがそんなしょうもない理由だとは、我が子ながら情けなくなってくる。

だが、大人になって数年で亡くなったセルジュを哀れに思っていたのも事実である。

─別に何かするわけじゃないんだからいいじゃないですか

セルジュは口をとがらせている。

「うーん……しかしずっと黙ってるのか？　それは無理じゃないか？」

─10歳くらいになったら自然に昔のことを思いだしてきたことにすりゃいいです

「10歳！？　３歳でいいんじゃないのか？　そのころにはべらべらしゃべるだろう」

─8歳

「3歳」

─7歳半！

「4歳」

と二人のやりとりは続いたのだった。


次の日、南の砦にいたキースは、所用でやってきたミカエルを呼び止めて、自分の部屋に招いていた。

「ミカエル、セルジュに昔の記憶があること知ってたんだってな」

キースに言われてミカエルは驚いていた。

「気づいてしまったんですか？」

「昨日知った。王もご存知だとは驚いた。全く……」

「まあまあいいじゃないですか。セルジュさんが大人だと知ったらカーラさんも気まずくなりますよ。好きにさせてあげたらどうですか？」

「王にもそういわれた。あいつと話し合った結果、5歳３か月までは知らんふりをしておくことにした」

それを聞いたミカエルは「5歳３か月？　えらい半端ですねえ」と返していた。

「5歳３か月になったら周りに言うんですか？」

「その時に昔の記憶がよみがえったことにしようということになった」

「そうですか」

ミカエルは笑っている。

「しかし、自分の息子ながらほんと、あいつだけはわからん。なんであんな性格になったんだか」

キースは首をかしげていた。

「ふふ、本当はバラクの強敵ができてうれしいんじゃないんですか？　キース将軍のお相手をできる者はそういないですからね」

ミカエルが笑いながら言うと、「まあ、それはそうだがな」とキースはそこは認めていた。実はひそかに喜んでいるのかもしれない。

こうして、しばらくはセルジュのことはカーラとセリアには内緒ということになったのだった。



この日は早朝雨が降ったが、ゆりと子供たちが朝食を食べる頃にはすっかり雨も上がっていた。

ゆりは部屋で竪琴の練習をしていたのだが、

「母様、虹だよ」

とシスが教えてくれた。

「虹だって。レーヌ、見てみよう」

ゆりはあったかい上着を自分とレーヌに着せて、ベランダに出た。確かに北の空に大きな虹がかかっている。

「綺麗ねー」

「きゃは」

レーヌはご機嫌で空を眺めている。


虹といえばラーズだけど、まさか虹が見えるたびに来やしないだろうな……


そう思っていたら上からぬっと何かが下がってきた。なんとラーズである。

「やあ」


ラーズがきたー！！！！！


ゆりは心の中で絶叫していた。今日も変わらずラーズは色彩が豊かでいい男である。


どどど、どうしよう！　真珠のことを聞いたほうが！？　聞かない方が！？


ゆりが硬直していたら、レーヌはラーズに手を出してばたばたしていた。

「あーあー」

「あの時の子か、大きくなったなあ」

ラーズはレーヌを抱っこしてくれた。

「きゃはー！」

「ん？　こんな目だったかな？」

レーヌの目が片方金色だったのでラーズは首をかしげている。ゆりはドキドキしすぎて顔は真っ赤になっていた。上着を脱いでもいいくらい身体も熱くなっている。


な、何か言わなきゃ。でもなんといえば？！


「はい」

ラーズがレーヌを返してきたので、ゆりはレーヌを受け取った。

「あのー」

「ん？」

ゆりはどうしても真珠のことが言い出せず、

「きょ、きょ、今日も素敵な虹ですね」

と言っていた。

「そうかい？　ありがとう」

ラーズに微笑まれ、ゆりは汗も流れんばかりに真っ赤になっていた。

「じゃあまた会おう」

ラーズは飛んで行った。

「あー……あの……」

ゆりの声が聞こえたのか、ラーズが宙で止まってこっちを見ていた。

「虹だけじゃなくてあなたも素敵」

ゆりが小声でぼそぼそ言っていると、横にぬっとアナスターシャが現れた。

「あーラーズ様だーこんにちはー」

アナスターシャが手を振ると、ラーズは手を振って飛んで行った。

「ラーズ様っていつみても派手ーあれ？　母様、熱あるんじゃない？　真っ赤だよ」

アナスターシャがゆりの顔を見て言った。

「いや、大丈夫大丈夫。ははは」

ゆりは真っ赤な顔のまま部屋に戻っていた。


そのころ庭園では、虹の女神サーラが赤い大きな丸っこいものを持って空を飛び、ラーズに見せていた。

「これなに？」

「ん？　これは……なんだっけ？」

サーラが持っていたのはカニの甲羅だけだったので、ラーズにはそれがなにかわからなかった。ロイが庭園に隠していた甲羅である。

そこにロイとナナミが飛んできた。

「サーラちゃんだー！　今日もかわいいね！」

ナナミがサーラに言った。

「これはなんだ？」

ラーズが人間の言葉で聞いた。

「これはカニよ」

とナナミが答えた。

「カニ？　こんなでかいカニが近くにいるのかな？」

「これは海のカニだよ。ハロルド様が持ってきてくれたんだよ」

ロイが説明していた。

「え？　ハロルドが？」

「ハロルド様から母様への愛の贈り物なんだよ。ネーとニーが言ってた」

「愛の贈り物？　これが？」

「おいしかったよ」

ロイはにこにこして答えていた。

ラーズはハロルドがゆりにカニを渡しているところを想像していた。贈り物にしてはかなり風変りである。

「それでお母さんは喜んだの？」

「むっちゃ喜んで踊ってたよ」

ロイはそう答え、ラーズはゆりが踊っている場面も想像していた。

「そうなんだ」

「はい」

サーラはロイにカニの甲羅を返していた。

「じゃあね」

「さよーならー」

ラーズはサーラと飛んで行き、ロイはカニの甲羅を元の場所に戻していた。


まさかそんなことを子供がラーズに言っているとは予想だにしてないゆりは、部屋の中でまだ真っ赤になっている。



神の国に帰ってからハロルドを見かけたラーズは、ついハロルドがゆりにカニを渡している所をまた想像し、笑ってしまったのだった。


つづく

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