10-27
過去の時代である。今年は梅雨が来るのが遅く、13の月に入っても雨の日が続いていた。
騎士たちの休憩室で、椅子に座ったままぼんやりと外を眺めていたのはルークだった。
雨の日の訓練もあるのだが、今日は室内での訓練の日である。
ルークは若手を指導する立場についている。
雨が降るのをぼんやり眺めていると、肩をたたかれた。そばにやってきたのはフークスである。
「やあ、ルーク、さっき陛下に聞いたんだけど、肌の蛇の場所が変わったって本当なの？」
フークスは突然ルークに聞いていた。
「え、はい。実はそうなんです」
「本当に？ どうして？」
ルークはフークスの後ろにカールがいるのを見た。このカール、最近大人になったばかりだが、かなり有名人である。
なにせ顔に蛇の頭があるのである。そのせいで女たちがカールを奪い合っているといるというのはルークも聞いていた。
「ルーク様、私に肌の蛇の場所が変わった理由を教えてください」
「え？」
「この蛇の位置をどうしても変えたいんです！」
カールは真剣な表情である。
「彼は顔の蛇で苦労しててさ、蛇に下に降りてほしいんだってさ」
フークスが説明した。
「ああ、そうなんだ。私の蛇の位置は確かに変わったんですが、というか日々動いてるようなんですが、理由はよくわかりません」
ルークが答えた。
「日々動いてるんですか？」
カールが驚いていた。
「どうして？」
とフークス。
「どうしてなのかと聞かれても、私にもよくわかりません。未来では私の息子蛇はよく動いてるようなので、親蛇も動こうと思ったら動けるのかも？」
ルークは考えながら話していた。
「私の蛇もどうにかして動かないでしょうかねえ」
カールの頬の蛇は自信満々の顔つきである。ハザークによれば、かなりハンサムな蛇であるらしい。不細工な蛇というのがいるのかどうかというのが不明だが。
「毎日お願いしてるんですが……」
「蛇は嫌なのかもね」
フークスが言った。
「すごく、自信ありそうな顔つきだし、女たちは適当にあしらうしかないんじゃない？」
「勝手に決闘をしてる彼女たちをどうやってあしらうんです？」
カールは救いを求める犬のような目でフークスを見ていた。自分が知らないうちに、自分が原因で騒動が起こっているのだから、カールにはどうしようもないことである。
決闘は男同士が多いが、女同士が男を争って決闘することもある。
「好きな女性はまだいないの？」
ルークが聞いた。
「いませんよ。いても大変なことになりそうですが。私は本当に来年の赤い月が怖いんですよ」
「かわいそうに」
有力な手掛かりもなさそうだったので、カールはとぼとぼと去って行った。
「肌の蛇の位置を変える魔法なんてないのかな？ なんかありそうだけどね。もっと強気で女をあしらえればいいんだけど、優しそうだからなあ……」
「そうですね。優しそうですもんね。あの、フークス様、今夜空いてます。ちょっと聞いていただきたい話があるんですが」
珍しくルークがフークスを誘っていた。
「空いてるよ。じゃあうちに来てよ」
「お伺いします」
その夜、ルークはフークスの屋敷にやってきて、聞いてほしい話とやらをしたのだった。
それは、夢の話だった。ふた月ほど前に、夢を見た。その夢以来、肌の蛇がよく動くようになったというのである。
その夢は、未来の男たちに会った時のような感じだったので、てっきりその時も彼らに会えるのかもしれないと思っていたのだが、
彼らには会えなかった。その代わり、だれかに会ったというのである。それが誰だったのか、詳しくは思い出せないという。
「未来の男の誰かかな？」
「男ではないんです。多分女なんです」
「え？ 女？ じゃあゆり様？」
「いえ……いや、そうだったのかも？ そこらはあいまいなんですが、とてもうれしい出会いだったのは確かです。覚えてないですが、起きたらすごくどきどきしてたので」
「へーいいなあ」
「そういうの、フークス様はないですか？」
「ないなあ。アナスターシャ様に会ったのはあの時からないし……」
「ゆり様だったのかなあ。もう一度会いたいなあ。彼女には言えないですけど」
「はは、そりゃ言えないよねえ」
フークスは苦笑していた。
「あの夢以来、蛇がよく動くんですよ」
「そうなんだ。なぜだろうねえ」
理由は二人にもわからなかった。
そしてゆりがいる未来の時代である。梅雨が終わると早々にイシュタールは人間界に戻ってきていた。イシュタールはお酒の瓶を3本神の国から持ち帰ってきていた。
「サラディン様からです」
と王の間でイシュタールはラクシュミに酒を差し出している。
「おっ、ありがとう」
とラクシュミは普通に受け取っていた。
イシュタールに会いに来たゆりは、
サラディンからのお歳暮みたいで笑える……
と心の中で思っていた。
「今回は早かったね」
「はい。では、私は今日から働きます」
「さっそく？ 一日くらい休んだら？」
「いえ、十分休ませてもらいましたから」
イシュタールはイシュタールらしく去って行った。体調はすっかりいいようだ。
「王様よかったね」
「ああ。今回はだれと飲もうかな」
「子供たちには内緒にしといたほうがいいわよ」
「そうだな」
ラクシュミは自分でお酒を持って行った。
イシュタールのおかげか、サラディンはラクシュミにとっては身近に感じる神になった。イシュタールへの心配りをみて、かなり好印象を抱いているようだ。
この日はミルキダスは闘技場にて、40から50代の若手の訓練教官をしていた。
上級戦士ともなれば、そういう仕事もこなさなければならない。ミルキダスは自分ではあまりそういう仕事は得意ではないと思っている。
中級でいたほうが精神的には楽だったのかもしれないが、若手はミルキダスのいうことをよく聞いてくれた。ミルキダスは王妃の長い恋人であるし、
それだけでみなミルキダスのことを尊敬しているのである。 しかも、子供が３人もいるのだから、周りはみなミルキダスのことを「立派ですごい人だ」と一目おいている。
「二人も同時にはらませたんだからすごいよな」といまだに言われてもいた。
若者たちは休憩時間になると王妃のことを聞きたがった。今日も質問ぜめだった。
「王妃様の好きな食べ物はなんですか？」「仲が良い蛇がいるって本当ですか？」
「昨日は王妃様に会いました？」「王妃様の今のお気に入りはだれなんですか？」
といった感じである。ミカエルなら「お気に入り？ 私に決まっているだろう」と返答するところだが、ミルキダスは「さあ」と答えていた。
若手の訓練が終わり、闘技場から兵士の訓練学校へと一斉に移動した。これは瞬間移動の訓練でもある。全員が学校に戻ってきたことをチェックして、
今日のミルキダスの仕事は終わった。
「お疲れ」
背中をぽんとたたかれて振り向くと、ジュノーがいた。
「仕事終わったんだろう？ 軽く酒を飲もうよ」
とジュノーが誘っていた。今日はジュノーも若手の教官だったらしい。
「あ、うん」
「僕たちもご一緒したいです！」
それを聞いていた少年たちが目を輝かせていたが、
「君らはうるさいからだめ」
とジュノーが言って二人は移動してしまった。移動したのは教官用の休憩所である。
「彼らによく王妃のことを聞かれるんだが、ジュノーは親切に答えてる？」
ミルキダスがジュノーに聞いた。
「適当に答えてるよ。そりゃ彼らが王妃のことを知りたいのも無理はないからね」
王妃はこの国ではかなり人気がある。どんな人物なのか、気になるのも当然であろう。
ジュノーは棚から酒を２瓶とって、1瓶ミルキダスに渡した。
「ありがとう」
二人はゴブレットに注いで酒を飲みだした。
「なぜかハザーク様のことも聞かれるんだが……どこからそういう話が回ってるんだろう？」
ミルキダスは首をかしげていた。
「ミルキダス様ってハザーク様と仲が良いんですってね？ すごいですね」
と少年たちに尊敬のまなざしで言われたときには、さすがにミルキダスもびっくりしたものだった。
「やっぱりゼッドか？ まったく」
「仲が良いのは本当だからいいんじゃない？」
「いや、そんな、仲が良いとかいう関係では……」
「たまに名ざしで呼ばれてるじゃん」
「名指しって、『赤い蛇の男』としか呼ばれてないけど」
「ははは、今は『赤い蛇の男』は二人になっちゃったね」
ジュノーは笑っていた。
「ところで、前に言ってた実験はどうなった？」
ジュノーが聞いた。
「まだ結果は出ていないんだ」
とミルキダス。
「なんの実験か、まだ教える気はない？」
とジュノーが聞くと、ミルキダスは「うーん」とうなっていた。
2か月ほど前、ミルキダスはゆりに出会ったときに大泣きしていた。
ヴィラとジュノーはミルキダスにその理由を聞いたのだが、ミルキダス自身にもその理由はわからなかった。
その後ミルキダスは、泣いた理由はわからないが、ちょっと実験している、と二人に語っていた。「何かあったら教える」とも。
「言ったら笑われそうだ」
「そんなおかしなこと？」
「言ってもいいけど、王妃にはまだ言わないでほしいんだけど」
「わかった」
「実は、自分の肌の蛇と会えないかと思って、ずっと会いたいと思いながら寝てる」
「え」
かなり意表のついたことだったらしく、ジュノーはぽかんとしていた。
「だって、子蛇は子供になってるから、自分の肌に元からいた蛇も、望んだら会えるんじゃないだろうか」
「うーん……」
ジュノーは上を向いていた。
「確かに理屈ではそうだよね。今のところ、へびっちは別として、ヴィラとミルキダスの子蛇だけ人になってるんだ。
そういえば、ヴィラはディラン殿の肌にいる親蛇が人になってるのも会ったっていってたもんなあ。できそうではあるな」
ばからしい話とは思えなかった。
「過去の文献とか調べたら、肌の蛇の研究をした人たちもいたらしい。昔の話だけど」
「それで、自分の蛇に会えた人とかいたの？」
「いたようなんだけど、研究してた人がおかしくなっちゃったみたいで、危ない研究だったようだ。それで、そういう研究があまり行われなくなったようなんだ」
「危ない研究ねえ……どう危ないんだろう？」
ジュノーは酒を飲んで首をかしげていた。
「それで、ミルキダスは自分の肌の蛇に会ってどうしたいんだ？」
「慰めたい」
「なんで？」
「多分、落ち込んでると思うから」
「はあ」
「王妃に会って泣いたのは、私の肌の蛇の気持ちなんじゃないかと思って」
「え？」
「実は、ジェナサイトと子蛇たちと出会った夢で、私たちはもう一人誰かに出会ったんだ。その誰かはジェナサイトも覚えていなくて、だけど、
その人物に対して私が怒って泣いたというんだ。ずっと考えたけど、私が怒る相手なんてそうはいないし、泣くのもおかしい。
でも、あれから王妃に会うとせつないような申し訳ないようなおかしな気分で……でも夢で出会ったのは王妃じゃないような気がする。王妃も私に会ってないと
いってたし。それで、考えた。あの夢で出会ったのは、母親蛇じゃないかって」
「え？ 母親蛇って……」
「王妃の肌にいたあの蛇だよ。人の姿で現れたのは彼女なのかもしれない。一人いたのか、二人いたのかはわからなけど、それで、私の肌の蛇が表にでたんだ。
ばかだな。会えてうれしかったに違いないのにそうは言えなかった。怒ってしまったなんて、きっと後悔しているだろうなあ……そう思って……」
ジュノーは呆気にと垂れた顔をしていたが、やがて泣いていた。
「……なんか想像したら泣けてきた。本当に母親蛇だったのか？ どんな姿だったんだろう」
「さあ、私の推測だし、姿は覚えていない」
「うーん、私だって彼女に出会ってしまったら、そりゃ『会えてうれしい』なんて言えないかもなあ……彼女たちは過去で男たちと交わって子供まで生んだんだもんなあ。
我々の蛇からすれば、そりゃないぜって感じなのかも？ でもこっちの環境では仕方ないよな。だって、交わりたくても交われないわけだし、そうすると、
子蛇が肌に来た時はどんな気持ちだったんだろうなあ……」
自分の肌の蛇の気持ちなど、そのころはまったく考えてはいなかった男たちである。王妃の蛇紋の蛇と愛し合うなど、そのころは考えたこともなかった。
「もしかして、子蛇が来てむっとしてたとか？」
「さあ、怒ってないと思うけど」
「実は怒ってたりして。ミカエル殿の蛇とか子蛇と喧嘩してたりして」
「ははは……どうだろう」
なんとも深い話になってきた。ミルキダスとジュノーはそれで別れたが、ジュノーは肌の蛇のことをいろいろ考えこんでしまった。
確かに、実際に子蛇が人になっているのだから、自分の肌に元からいた蛇だって、会おうと思えば会えるのかもしれない。
「うーん……」
その夜、寝室に行ったジュノーは、「なあ、へびっち、ちょっと出てきて話を聞いてくれないか？」と言った。
すると肌からにょろんとへびっちが出てきた。
へびっちは今日はずっとジュノーの肌にいたのである。
「なあ、へびっち、へびっちがイシュタール殿の肌からしょっちゅう出てくるのは、もしかして、イシュタール殿の蛇に『出てけ』と言われてるとか？」
ジュノーはふいにそんなことを思ったのだった。イシュタール自身はそんなこと絶対言わないだろうが、ミルキダスの話を聞くと、そういうこともあるかもしれない
と思ったのだ。
緑の蛇のへびっちは、ジュノーを見上げて、顔を横に振っていたので、ジュノーはほっとしていた。
「そうか。よかった。じゃあさ、私の元からいる蛇は、へびっちや子蛇のことどう思ってるんだろう？ 肌にいる蛇同士で、会話とかしたりするのか？」
そう聞くと、へびっちはちょっと口を開けて顔を横にも縦にも動かさなかった。
「好きな女の子供がそばにきて、単純にうれしいって思ってるのかそうでないのか……どうなんだろうな？」
ジュノーがベッドにあがると、へびっちもあがってきた。今夜も一緒に寝たいようである。
「たまにはイシュタール殿と一緒に寝たらどうだ？ 喜ぶぞ」
ジュノーが言うと、へびっちは何も答えなかった。
子蛇兄弟の側にいたいのか、なんだろうねえ……
ジュノーはそのまま眠りについた。
その夜は、ゆりは夢の中でもう一人の自分といろいろ話をしていたのだが、その場には再び金色の蛇が２匹いた。
夢がどこかにつながっているのかも？ と二人は思い、歩き回ってみたがどこにも行けなかった。
「ドルイドがまさかこんなに側にいるとは思わなかったよねえ。会いたいよね」
蛇の目のゆりは、そんなことを蛇達に話している。
「あれからドルイドは大人になってないのかな。もし会っても責めちゃだめよ」
黒目のゆりはもう一人の自分に言っていた。
「責めないわよう。一年も会ってくれなかったのはショックだけど」
どうやらまだ根に持っているようである。
「ドルイドはシスにいろいろ教えたくてきてたらしいから。複雑だけど、見守るしかないじゃない。元通り恋人になれるかっていったら
難しいだろうしねえ」
蛇の目のゆりは口をとがらせていた。
確かに単純に、「また会えたんだから恋人ね」ってわけにもいかないだろう。じゃあ暖かく見守ろうというのも、なかなか難しいものである。
「過去のみんなにもドルイドのこと教えてあげたいね」
「そうね、ところで、あなたたちってさあ、私たちの肌に復活できないの？ できるんじゃない？」
蛇の目のゆりが金色の蛇達に聞いていた。
「また双子を妊娠しないと無理じゃない？」
と黒目のゆり。
「でもさ、双子だから蛇が２匹って、実は関係ないんじゃない？ あの時はたまたま２匹だったのかもしれないじゃない」
「え？ そうかな？ 私はてっきり双子だから２匹だと思ってたけど」
「でもこうして今出会ってるんだから、復活できそうじゃない？」
「まあ、そうかもね。そういえば、私が変身の実を食べたときに、二匹蛇紋が出たことがあったような。それを考えると、双子は関係ないのかな？ どうだろう」
黒目のゆりは腕を組んで考え込んでいる。
「これだけこっちに染まってるんから、妊娠しなくても蛇紋が出たらいいのになあ。王様も喜ぶし。ミシェイラの時の蛇もすごかったなあ。あの蛇にも会いたい。全員復活したらすごいね」
「まあ、とりあえずこうして出会えてるのはこの子たちだけだからねえ。一番好きな男蛇とかいた？ この際言ってごらん」
蛇達はちょっと動いただけで何も答えなかった。
「そんなこと聞いちゃだめよ。みんな好きに決まってるでしょ」
と黒目のゆり。
「子蛇達はすぐそばにいるからうれしいよね。へびっちはすごくなったし。あなたたちもおばあちゃんね。まさか女王様の蛇が息子と引っ付くなんてねえ。
自分よりも年上の嫁が来る感じ？ ふふっ」
黒目のゆりは想像しながら笑っている。
「へびっちの好みは強い美女よね。これも王様の影響かも？ いつも強い子供を作れ作れ言ってるから、へびっちも実行してるんじゃない？」
蛇の目のゆりも笑っていた。
「だって、王様に会うといっつもほめてほしそうにしてるし」
「ははは、そうなのかなあ。王様はへびっちにとっても王様なのかな？ 義理の父くらいに思ってるかも？」
二人は笑って話をしていた。二匹の金色の蛇は何を思っているのか謎だが、金蛇達に出会えたことがゆりたちにとってはうれしいことのようだ。
「今年はもう無理かもしれないけど、来年にはドルイドにも会えるよね」
蛇の目のゆりがぽつりと言った。
「きっときてくれるよ。だから責めちゃだめよ」
「責めないって言ってるでしょ。しつこいわねえ」
「しつこくないわよ」
こんな感じで二人の夢は終わっていた。
１の月にへびっちがやってきたりといろいろ騒動が起こった一年だった。来年はアナスターシャが３０年になるために
盛大にお祝いが催される予定である。
「来年も平和でありますように」と願い、この年も無事終わったのだった。
つづく
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