第２８話
蛇の国歴15117年が始まった。新年の朝は、空気はひんやりしていて日陰の土には霜柱ができていた。寒いあまりに蛇達も建物の中に引っ込んでいる。
寒いが清々しい朝である。ゆりもラクシュミも子供達も、何事もなく新年を迎えられたのだ。
アナスターシャは朝からうきうきした気分だった。５日には自分の誕生日のお祝いがあるのだ。街でのお祝いは毎年あり、アナスターシャとシス二人のお祝いもかねた日だったが、
今年はアナスターシャが３０歳になるのである。蛇の一族は50から60で大人になるため、子供時代は半分は過ぎたことになる。
大病もなく無事３０歳を迎えられるのはめでたいことだった。大きな街の通りには、すでにお祝いのための飾りなどがつけられている。
この日の朝食はいつもよりは豪華で、テーブルにはかわいいお菓子やケーキの詰め合わせなども乗っていたので、子供達はマフィンやケーキを食べていた。
レーヌは柔らかいパンなどを食べるようになった。哺乳瓶はもう卒業してもいいのだが、まだミルクを飲みたいようなので、ミルクも飲んでいる。
ぼちぼち歩き出す頃である。
「アーねーはいいよね。一人だけ祝ってもらえてさ」
ナナミがマフィンを食べながら言っていた。
「私なんてさ、ロイと一緒だからつまんない」
双子なので、ロイとナナミの誕生日は当然同じである。
「私だっていつもはシスと一緒にお祝いしてもらってるよ」
とアナスターシャ。シスの誕生日は３の月だが、赤い月の時期でもあるために、アナスターシャと同じ日に街では祝われているのだった。
「ミーはおいわいいつ？」
ミシェイラが聞いた。
「ミシェイラは、４の月だよ。もうちょっと先だね」
ラギが答えた。
「私も一人がいい。ロイと一緒はいやー」
ナナミが言うと、ロイは「こっちだって」と舌を出している。
「まあまあ、いいじゃないの。王様はまだ来ないのかしら？」
今日はラクシュミも食堂に来る予定だった。ゆりが言っているとラクシュミが瞬間移動で現れた。
「王様おはようございます」
「おはようございます」
ゆりと子供たちが挨拶をした。
「おはよう。新たな年だな。みな健康でよかった。アナスターシャはお祝いが近いからといってはしゃぎすぎないようにな。それから、今年もちゃんと朝晩歯を磨くように」
ラクシュミはテーブルの上のお菓子を見ながら言っていた。
「はーい」
と子供たちが返事をしている。
「寒いからな、みんな風邪には気を付けるように。特にゆりは気をつけろ」
「はーい」
ラクシュミは今年最初の注意を言って席についていた。
こんな調子で今年も始まった。ゆりは侍女に恒例のお年玉を配ったり、城に来る一族の者達に挨拶をしたりし、
子供たちはまったり気分で以前狼の一族ヴァレリオにもらったカードで遊んだりして過ごした。
ゆりの恋人達は、ちょっと顔を見せに来た程度だった。アナスターシャのお祝いの段取りを決めなければならないらしく、忙しいようである。
この日の夜は寒空に星が輝いていた。人々が寝静まる時刻、ゆりの部屋のベランダに黒衣の男が舞い降りてきた。長い髪もその服も黒っぽかったが、その瞳には星のようなきらめきが見える。
夜の神オルガである。オルガはちょっと躊躇していたが、そろりとゆりの寝室へと忍び込んでいた。そしてレーヌを発見していた。レーヌは今日はゆりと同じベッドで並んで寝ていた。
（大きくなったなあ……）
オルガはどうやらレーヌが見たくて来てしまったらしい。
（人の成長は面白いもんだな……）
微笑んでいたらレーヌが目を開けた。オルガはレーヌの輝く左目を見て、おや？ と思っている。
レーヌは明らかにオルガを見てうれしそうな顔をしていた。
「だ。だ」
声も発している。
「私の力も効かぬとは、王族でなければ夜の神官になれるのに、残念だな」
オルガは小さな声で言ってベッドの側により、レーヌが出した手をそっと握っていた。
─ぱぱ
声が聞こえてきた。どうやらレーヌが発したらしい。
「巻貝が気に入ってるようだな」
レーヌの横にはオルガが贈った巻貝が置かれていた。
─うた、べつうた
「ん？」
─べつうた
「……ひょっとして、違う歌が聞きたいのか？」
─べつ……うた
「それとも、巻貝の歌を変えてくれといってるのか？」
「きゃは」
「うーん、別の歌か……」
オルガが巻貝を手に取ろうとすると、レーヌはその巻貝をぱっととってしまった。
「別の歌がほしいんじゃないのか？」
レーヌは巻貝を渡そうとはしなかった。
「さらに歌をくれってことか？」
「きゃは」
オルガの言ってる意味がわかってるのかどうなのか、レーヌはうれしそうだ。
「うーん、参ったな……」
オルガは苦笑している。まさか新たな歌を要求されるとはオルガも思わなかった。
「わかった。まあそのうちにな」
レーヌはにこにこしている。オルガはレーヌの頭をなでて、「とりあえずこれで我慢しててくれ」と言っていた。
オルガはレーヌの横でぐっすり寝ているゆりに目を向けた。オルガの瞳はちょっと不思議そうである。
（神のオーラが見えるのはどうしてだろう。アシュランが何かしたのかな？）
オルガはゆりが神が持つオーラを発してるのを見たのだった。薄いオーラである。
「まあいいか。眠れ。良い夢を」
レーヌが再び目を閉じて、オルガはその場を去った。
ゆりはその時神の国に行っていた。時刻は夕暮れ時である。目覚めたのは自分の神殿だった。ゆりはカニをもらったお礼を言わなければ、とハロルドの元に行こうとしたが、
行けなかった。ハロルドは不在のようである。
「どうしようかな。伝言したいなあ。ここに伝言貝あるかな？」
ゆりはガーベラの神殿で伝言貝を探してみたが見当たらず、アマンザにまたもらおうとジンラの元に飛んだ。ゆりは再びアマンザから伝言貝をもらって、
以前と同じようにジンラの神殿の裏手で伝言貝に伝言を入れて、アマンザに渡してもらうことにした。
ゆりはその後神殿にいたジンラの手をしばらく握りしめてから神殿を出て行った。
（今日のジンラも素敵。さて、これからどうしようかな？ とうとうラーズにあのことを聞いてみようかしら。うーん、どきどきするなあ）
そんなことを思いながらぶらぶら歩いていたら、ライサが空から飛んできた。
「ガーベラ様、あのー今お暇ですか？」
「うん、暇よ」
「来ていただきたいところがあるんですが」
「いいわよ」
ゆりは初めてライサと一緒に飛んで行った。まさかライサにだっこしてもらうのもなんなので手を握っただけだったが、本当に飛べていた。
（なんで手を握っただけで飛べるんだろう。不思議だわ）
降りたのは小ぶりな神殿の前だった。ここに来るの初めてのようである。
「あのー実は、父がガーベラ様に会いたがってて、会っていただけるとうれしいんですが」
ライサは遠慮がちに頼んでいた。どうやらここはグレンの神殿らしい。
「グレン？ いいわよ」
「ありがとうございます」
ゆりは神殿の中に入ったが、ライサはついてこなかった。
「グレン？」
テーブルやいすがある部屋にはグレンはいなかった。あまり余計なものがない部屋である。ゆりは奥の部屋に行ってみた。するとベッドで寝ているグレンを発見した。
（待ちくたびれて寝ちゃった？）
ゆりはベッドに座ってじーとグレンを見下ろしていた。
グレンは目を覚まして、側に女神がいたのでびっくり仰天していた。
「ガーベラ様、一体ここで何をしてるんです？」
「私に用があるんじゃないの？」
「え？ 用などないですよ」
「そうなの？ ライサがそういってたけど」
「……すいません。ライサが何か誤解したようで……」
グレンはちょっと気まずそうに体を起こしていた。
「本当にすいません」
「ううん、ちょうどグレンと話したいって思ってたし」
「ここはあなたのような女神が来る場所ではありません」
グレンはよそよそしく言っていた。ゆりはちょっと腑に落ちない顔つきである。以前よりもそっけないのはなぜなのだろうか。
「まあ、ちょっとあっちで話をしましょうよ」
ゆりは入口が近い部屋に移動した。グレンは仕方なくといったふうに違う椅子に座っている。しかし、ゆりと目を合わそうともしなかった。
「ひょっとして、怒ってる？ 私儀式で強引にグレンを襲ったのかしら？」
ゆりはそっちを疑っていた。
「え？ いいえ」
グレンはびっくりした顔を向けている。ゆりは儀式の記憶はなかったが、その前にグレンにむらむらきていた記憶はあった。
「じゃあ何かしら。周りから意地悪でもされてる？」
「いいえ。そんなことは」
「じゃあなんで怒ってるの？」
「怒ってないですよ。あの、儀式ではどちらのガーベラ様と、その……」
「私だったわよ」
「そうですか」
グレンはちょっとほっとした様子だった。
「どっちの私かなんて関係あるの？」
「あちらのガーベラ様だったら、あまりに申し訳ないと思っていたもので……」
「私だったらいいの？ どうして？」
「いいというわけではないですよ」
「前よりよそよそしいのはなんで？」
ゆりはズバリ聞いた。
「ガーベラ様、私などの相手をしてくださって、本当にありがとうございます。私はもう、これ以上あなたの側によることはしません」
グレンはゆりをじっと見つめて言った。
「私は、あなたの側によれる存在ではありませんし、これ以上、他の神々の噂が立つのも、ガーベラ様にとって良いことではありませんし」
「つまり、グレンはあれで私とあなたの仲を完結させたいの？」
「まあ、そういうことですね……」
「……そうなの」
ゆりはつまらなさそうな顔つきだった。ガーベラには恋人はたくさんいるし、あえて自分が増やす必要などはないのだが、あの儀式でもういいといわれるのは
ゆりにとっては心が痛いことである。たとえ覚えてないにしろ、確かに愛し合ったはずなのだ。それとも、それは一人よがりなことだったのだろうか。
「グレン、正直に言ってちょうだい。誰かに何か言われたの？ 私の恋人の誰かに、近づくなって言われたとか」
「そんなことはないです」
「実は他に好きな人がいたとか」
「……実は、そうです。他に気になっている方がいます」
グレンは目を伏せて言った。
「そうなの。なら、悪かったわね」
ゆりは立ち上がった。
「さようなら、私もうあなたには会わない」
「え？ どういうことですか？」
グレンは顔をあげて聞いた。
「私はあなたの前にはもう現れない」
「ガーベラ様？」
「じゃあね」
ゆりは笑顔もむけずに去って行った。
そして神殿から離れたところで、「そーいうことは、早く言ってよ！」と叫んでいた。
グレンの気持ちを知っていたら、儀式で相手をしなかったかもしれない。
「あーなにもう！ なんでこういう時に限ってハロルドいないのよもー」
ゆりはむしゃくしゃするのでハロルドに八つ当たりまでしていた。
「ハロルドに会いたいのに……」
そう思っていたらゆりの体は飛んでいた。飛んだ先にはハロルドがいたのでゆりはうれしかった。
「ハロルド、会いたかったー！」
ゆりが勢いよくハロルドに抱き着いたので、ハロルドは伝言貝を耳にあてたままのけぞっていた。
「どこにいってたの？」
「ちょっと人間界に降りてた」
ゆりが周りをよくみると、ここは神殿の中の一室で、ジェイクとキュリアも一緒だった。
「どうぞごゆっくり」
二人はさっさと部屋を出て行ってしまった。
「奥に行くか？」
「いえ、もうそんな時間はないです。さっきショックなことがあったから、ハロルドに会えてうれしい」
「ショックなこと？」
「その前に伝言聞いてくれた？ とってもうれしかった。ありがとう」
「ショックなことってなんだ？」
「グレンに振られたの。あの儀式で私にもう近づきたくないって。好きな女がいるとかいってさ」
「グレンのことがそんなに好きだったのか？」
ハロルドは目を丸くしている。
「だって、儀式ではきっと抱き合ったんだし、あれでもういいって言われちゃうと、愛欲の女神としては、ショックじゃないの」
ハロルドは頬をかいていた。嫉妬しているという感じでもなく、グレンの考えがさっぱりわからないといった感じである。
ハロルドでさえ、ガーベラの体は素晴らしいと思っているくらいなのだ。グレンがガーベラを拒むというのは同じ男として理解できない。
「え、あれ？ グレンの時はお前だったのか？」
「うん、ハロルドとグレンの時は私だったよ」
「そうなのか？ 全然知らなかった」
「数千年に一度のすごい儀式で愛し合ったのに、もういいって言われるなんてショックでしょ？」
「そういや、グレンは弱り切って数日癒しの泉に入ってたからな。それでもう嫌気がさしたんじゃないか？」
「えー」
「まあ、あいつがもういいっていってるんならいいじゃないか」
ハロルドがあっさり言ったので、ゆりはじろーとハロルドを眺めていた。
「実はハロルドがグレンに圧力をかけてるんじゃないでしょうね」
「何もしてない。アシュランも何も言ってないと言ってたぞ」
「じゃあ、やっぱり好きな人がいるのに、私が強引に上に乗ったのかしら。挙句の果てに弱り切っちゃったから呆れられちゃった？ なんかショック」
「まあ、グレンはヒルデリアが強引に行かせたようなものだからな。記憶がないんだろ？ 忘れればいいじゃないか」
「え？ そうなの？ ヒルデリアのせいなの？ もー……」
ゆりは頬を膨らませていた。
「酒でも飲もう」
「うん」
ゆりは座って酒を飲んでいるうちに人間界に戻ってしまった。
ハロルドは目覚めた本物のガーベラに、「グレンのことどう思ってるんだ？」と聞いてみた。
「グレン？ どうも思ってない」
ガーベラはあっさり言っていた。
「どうして？」
「あっちのお前が、グレンと恋人になってないから、ちょっと不思議がってた」
「あの儀式をしたのにデレデレしないなんてね。グレンって変よね。そーだ、あれつけてもらった？」
ガーベラは思いだしたように聞いた。
「あれ？ ああ、いや。みんな喜んだのか？」
あれ、とはガーベラがもらった貝殻ブラのことである。一応恋人達に見せて、今はハロルドの寝室に強引に置かれていた。
「サラディンは意味不明って顔してたわよ」
「そりゃそうだろう。私だって微妙だ」
「またまたうれしいくせにー」
「そーだ、あのことを怒ってやろうと思って忘れてた。あれでマリナールの前で踊るなんてどういう神経をしてんだか」
ハロルドはぶつぶつ言っていた。その情報もすっかり仕入れてしまっているようである。
「ハロルドってパパみたーい」
ガーベラはからかように言っていた。
人間界に戻ったゆりはグレンのことがよっぽどショックだったのか、恋人達やラクシュミを見ると手をつないだり寄り添ったりしていた。
そしてレーヌに歌を要求されてしまったオルガは、歌おうにも歌詞が浮かばず、ラメーンに作詞作曲を頼むかどうか悩んでいたのだった。
つづく
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