第３０話
とうとう暦は３の月に入った。朝晩の冷え込みも和らいでいる。春の女神たちはもうやってきたのだろうか。野原にはちらほら花も咲いていた。
赤い月が終わる頃には、もっと色彩も豊かになっていることだろう。
ゆりは自分の恋人たちが赤い月を他の女性と過ごすことやグレンのことでちょっともやっとしていたが、
クーリーフンからもらった液体のおかげで、頭の中は一直線にラクシュミの元に向いていた。
「『最高』って、どう『最高』なんだろうね？」
二人のゆりが夢の中で出会っても、話題はそればかりである。
「今まで以上にすごいってのが想像つかないなあ……」
「そうだね。今までもすごいのあったもんね」
「楽しみだなあ……」
「変化した王様にちゃんと会えたらいいねえ……」
二人のゆりはわくわくどきどきだったが、肝心のラクシュミは、赤い月で自分がゆりに危害を加えたらどうしようと本気でびびっていた。
ゆりが安心させようといろいろ言ったのだが、変化しないならしない方がいいのではないか、と思い、この夜もゆりを誘おうとしたが、ゆりの方は逃げている。
「ごめんね、王様、実は浴室ですっ転んで変なところを打っちゃって、痛いからできないの」
黒目のゆりがそんな言い訳をすると、ラクシュミは、
「じゃあ赤い月も養生した方がいいな」
と言っていた。
「大丈夫。それまでには完全に治るから」
ラクシュミはゆりをにらんでいる。ゆりは素知らぬ顔である。
ゆりの方は何がどうあっても赤い月を一緒に過ごす気でいるのだから、ラクシュミとしても困ったものである。
赤い月を避けたい理由もはっきりしているのである。ラクシュミとしては正当な理由があると思っているのだが、ゆりの方はそう思っていないのだ。
３５年も経った今も、ゆりの気持ちはラクシュミには理解できない。
「うーん、赤い月をゆりと過ごさなくてもゆりがご機嫌でいる方法って何かないか？」
ラクシュミは愚痴りついでにザメハやフレイにこんなことを聞いている。ミカエル達に言う気はなかった。
ザメハもフレイも「ないですなあ」とそろって答えている。
ラクシュミはラギの顔を見てふと思いつき、二人きりになってから言った。
「お前に一つ課題を与える。赤い月をゆりと過ごさなくてもゆりがご機嫌でいる方法を何か考えてくれ。今日中に」
頭が良いラギなら面白い考えが浮かぶかも、などと期待したラクシュミだったが、ラギは夕方ラクシュミの元に来て、
「何も思いつきません」
と返していた。
「お父さんは、お母さんと赤い月を過ごしたくないんですか？」
ラギにとっては当然疑問に思うことだろう。
「そうじゃない。赤い月には私は変化して、性格もかなり変わる。その時の私はゆりを愛しすぎてるからな。ほら、まだ産後だし、ちょっと控えた方がいいのではないかと思ってな」
ラクシュミもさすがに息子にゆりを殺すかもしれない、などとは言わなかった。
「私がこのままだったら別にいいんだがなあ」
「でもお母さんはもうすでに楽しみにしまくってますから、願いをかなえてあげないと、後々面倒じゃないですか？」
「面倒だろうなあ……」
その面倒さもすでに体験済みなだけに、ラクシュミの言葉には感情がこもっていた。
「でも、お母さんの気持ちも少しわかりますよ。お父さんは昼間だって、かなり変わってますからね」
「そうか？」
「僕らにとっては、もう一人のお父さんっていう感じですよ」
「ふーん……」
ラクシュミは赤い月の間の昼間のこともあまり記憶にないため、自分ではさっぱりわかっていなかった。
「お母さんのことを気遣わなくても大丈夫ですよ」
「うーん……」
結局なんの対策も思いつかないまま、赤い月当日を迎えてしまった。
朝からゆりはるんるんである。
「母様、朝から頭に花が咲いてるね♪」
アナスターシャはゆりにこんなことを言っていたが、ゆりは怒りもせずに「そう？」と笑顔で返している。
「お花、満開だね♪」
とナナミが続いていた。ばかにしてはいない。ナナミは母親がご機嫌でうれしそうである。
「あ、そーだ。１０日間、誰かレーヌと一緒に寝てくれない？」
「はーい」
真っ先に手を挙げたのはミシェイラである。
「僕らで面倒みるからいいよ」
シスが答えた。
「そう？ じゃあお願いね」
ゆりはスキップするように食堂を出て行った。
「マーご機嫌ね♪」
とミシェイラ。
「明日にはもう一人のお父さんに会えるのかあ……」
ラギのつぶやきに、ナナミが「どういうこと？」と反応していた。
「赤い月のお父さんって性格が違うから、僕らにとっては『もう一人のお父さん』じゃない？」
「なるほど、確かにそんな感じね」
アナスターシャが同意した。
「ミシェイラ、明日は『ベツトー』がくるって」
ナナミがミシェイラに言うと、ミシェイラは「やったー」と喜んでいた。
「ベツトー、ベツトー」
「正確には今晩からだけどね。僕らが会えるのは明日だろうな」
「赤い月の間、僕らは何するの？」
ロイが聞いた。
「僕らは結界の修行かなあ」
とシス。
「僕は関係ないからなあ」
「関係なくないでしょ。あんたもたまには結界の修行をしなさいよ」
アナスターシャが言うと、ロイは「あっかんべー」と舌を出していた。 赤い月の間は本を開いての授業は休みである。上の子たちは魔法の修行をしたり、自習をしたりで、
下の子たちはのんびり過ごすことになるだろう。
赤い月当日ともなれば、朝から皆浮ついた気分になるが、ゆりの恋人達の彼女連中は、まだ儀式の花の影響が続いている。さすが数千年に一度しか咲かない花である。
ジェナサイトやエルバートは彼女とウキウキといった感じだが、ゆりと儀式をした恋人達は、そこまで浮かれモードではない。
皆「なんとかして子供がもう一人は欲しい」という気分だった。赤い月は愛のひと時、というよりも、まさに戦に赴く戦士の心境である。
「今夜からかあ……」
ジュノーは彼女が一人妊娠中なので、しばらく彼女は二人である。女の子からのアプローチはあるが、増やす気はないようだ。
「なあ、へびっち、今夜から塔に行くのか？」
ジュノーは同じ部屋にいたへびっちに聞いた。へびっちは人の姿でジュノーのベッドで寝そべっている。 へびっちはうなずいていた。
「そうか。へびっちが一番大変だよな。いいか？ 初日から飛ばすと後が大変だからな。初日は抑えるんだぞ？ それから、休憩日も作った方がいいぞ。無理するなよ」
ジュノーは先輩らしくへびっちにアドバイスをしていた。
日が暮れて、とうとう夜空に真っ赤な月が浮かんだ。
ゆりは灯りがついたラクシュミの寝室で、クーリーフンにもらった液体を飲み干した。
「にがっ」
甘いかと思ったら結構苦かったが、ゆりはそれを一滴残らず口に入れた。瓶の底をとんとんたたいて飲んでいる。
「うん、全部飲んだわ。何か変わったかな？」
ゆりは自分の手足を見たが、よくわからなかった。
「うーん、まあいいか」
ゆりは部屋の灯りを消した。赤い月の夜は、真っ暗でラクシュミを出迎えることになっているのである。
どきどきしながらベッドで座っていると、部屋にラクシュミが現れた。
朧げにしか顔は見えないが、ラクシュミである。変化しているのかどうかは、まだゆりにはわからなかった。
ゆりはベッドから降りて、ラクシュミの前に立った。
「王様……」
ラクシュミは突っ立ったままゆりを見ている。
「王様？ 会いたかったよ」
「ゆりなのか？ ああ、なんて美しいんだろう」
ラクシュミは感動するように言った。
「え？」
ゆりはきょとんとしている。
「美しい……こんなに美しい女は見たことがない……」
うっとりした声である。
ん？ あの薬のせいかしら？
と思ったゆりだったが、自分の手を見てはっとした。闇の中なのでよく見えないが、ところどことキラキラと見えるのは、蛇の鱗のような模様である。
「あれ？」
ラクシュミの肌にも、キラキラしたものが浮かんで見えた。どうやら変化中である。
あれ？ もしかして、王様と同じ？
ラクシュミはゆりの頬をなでて顔を近づけた。
「愛してる。心底愛してる」
「王様」
ラクシュミはゆりをベッドに寝かせて、ゆりの肌を服の上から優しくなでさすった。
「愛してる、もうお前しか愛してない」
「王様ー！」
ゆりは思わず涙を流していた。ゆりは裸になると、全身に鱗の模様が浮かんでいた。
一族の男にとってはこれ以上はない官能的な光景である。
ラクシュミはそれをうっとりと眺めて、肌をなでて、胸をなでた。なでられるだけでゆりの体は興奮しまくっている。
「王様、抱かれたい」
「私もお前が抱きたくてたまらない」
身体が一つになると、ゆりはなんともいえない幸福感に包まれた。
黒目のゆりは涙がこらえきれずにずっと泣いていた。
「なんでそう泣くんだ？ 可愛い顔が台無しじゃないか」
「だって、だって……うれしすぎて……」
「美しいお前と赤い月がこんなに楽しめるなんて……私はなんて幸せなんだろう……」
「ううう……」
ゆりの目から涙は乾かず、蛇の目のゆりに変わっても、つられて泣いていたのだった。
こうしてどちらのゆりも愛情で満たされて、この夜は最高の夜になった。
次の日の朝になっても二人は寝室から出てこなかった。子供たちが両親に出会ったのは、昼を過ぎてからである。
広間で子供たちがそろっていると、ラクシュミがゆりを連れてやってきたのだった。
ゆりの肌から蛇の模様は消えている。だが、二人はソファに座ってもべたべた寄り添っていた。ゆりはぽわーんとした感じである。
「レーヌは泣かなかった？」
レーヌは広間にひかれた絨毯の上をはいはいしてゆりの元まで来た。ゆりはレーヌを抱き上げた。レーヌはご機嫌の様子である。
「いい子だったよ」
「ミシェイラ、ベツトーよ」
アナスターシャが言うと、「ベツトー！」と言いながらミシェイラはラクシュミに近づいていた。
「なんだ、ベツトーって」
「赤い月の間は、別の父様みたいだから」
「そうか？ 全然変わらんだろう」
と言いながら、ラクシュミはゆりの肩を抱き寄せて、ゆりの髪に触れたり、頬に触れたり、とにかくべたべたしまくっている。
こんなことは、普段はまったくない。
「父様、母様のこと愛してる？」
アナスターシャが聞いてみると、
「もちろん愛してる。こんなに美しい女はどこにもいないだろう？」
ラクシュミは真面目な顔で答えていた。
─今回はいつも以上にベツトーじゃない？（アナスターシャ）
─そうだね。いつも以上のベツトーだね（ラギ）
─いいね、ベツトー（シス）
─ベツトーすげー（ロイ）
─ベツトー最高（ナナミ）
子供たちは思念を回し合っている。
「ベツトー！」
と言いながらミシェイラはラクシュミに引っ付いていた。
「王様ーキスしてー」
蛇の目のゆりに変わりそう要求すると、ラクシュミは躊躇せずに顔を寄せてキスしていた。
「かわいい唇だ」
「王様ったら♪」
周りが恥ずかしくなるくらいの熱々ぶりである。
─赤い月を飛ばそうとするなら怒るはずだよねー
ラギがシスに思念を送っている。
─この父様は赤い月の間だけだもんね。そりゃ母様も会いたいよね
子供達も毎度のことながら納得していた。
夜になると再びゆりの肌に蛇の鱗が浮かんでいた。ラクシュミはそれを見るともう何も考えられないようで、ガーベラの儀式のことも口には出さなかった。
ゆりはうれしいあまりに一生分の涙を流すかのごとく泣きまくったのだった。
そしてハザークの塔では赤い月４日目になり、医師のフレイが呼ばれていた。
「ハザーク様、わしに用とはなんでしょうか？」
ここに呼ばれるのは珍しいことなので、フレイは何事かと思っていた。
ハザークはフレイを手招きして、「頼む。へびっちに、何か精力が回復するようなものをやってくれ」と小声で頼んでいた。
「はあ？」
フレイは違う長椅子に横たわる蛇姿のへびっちを見て頬をかいていた。へびっちはかなり疲れた様子である。
フレイもへびっちが侍女５人を恋人にしたようだ、という話はラクシュミから聞いていた。
「蛇の精力が回復するようなもの、何かあったかなあ……」
とつぶやきながらフレイは去って行った。
扉の外では、ハザークの侍女たちがちらちらとへびっちを見ている。
「明日には元気になってるだろう。一日くらい一人にしといてやったらどうだ？」
ハザークはやんわりと娘たちに言っていたのだった。
さて、神の国である。
多くの神々にとってはあまり赤い月も関係はないもので、いつもと変わらぬ日であった。雲の上の神殿でグレンに出会ったクーリーフンは、周りに誰もいなかったので、
「ねえ、一体どうしたの？」
と聞いていた。
「何がですか？」
「最近おかしいじゃない。誰かに嫌がらせでもされてるの？」
「皆さんに聞かれるんですが、よっぽど嫌がらせをされてるように見えるんですか？」
グレンはちょっと笑っていた。
「うん」
グレンは周りをちらりと見て、
「ちょっとお話があるんですが、下で聞いてもらえますか？」
と頼んでいた。
「いいよ。どこで話す？」
「ジェラルド様の工房の裏手で、ライサに頼んできますので、先に行っていてください」
「わかった」
クーリーフンは一足先に下に降りて行った。ジェラルド工房のあたりを歩いていると、「すいません、ちょっと描かせてください」と職人に頼まれ、「いいよ」とポーズをとったりもしていた。
そうこうしているとグレンがやってきて、二人は工房の裏に移動した。そこは職人たちが宴会をするようなひらけた場所なのである。
いい具合に誰もいなかったので、二人は立派な丸太でできた椅子に腰を下ろしていた。
「実は、あちらのガーベラ様と話をしていて、ガーベラ様は私に「もう会わない」と言ったんです。どういうことなんでしょうか。あちらのガーベラ様は、私の前にだけは現れないという
ことなんでしょうか？」
クーリーフンは想像していた話と違っていたので、首をかしげていた。
「嫌がらせの話じゃないの？」
「誰にも嫌がらせなど受けていませんよ。もちろん、あてこすりはありますが。私は、あちらのガーベラ様のことが不思議なんですよ」
「なんで会わないって言われたの？」
「私が、突き放すような態度をとったからです」
「なんで？」
「あのまま、あちらのガーベラ様の優しさに甘えることは、私にはできないんですよ。ああいう関係になってしまった以上、きっぱり離れた方がよいと思ったんです」
「グレンって変な人だね。そうやって、自分を律する理由はなんなのかな？ 君は確かに神の位は一番下ってほどだけど、それがなんなのさ。
神と妖精が恋をすることもあるってのに」
クーリーフンには、グレンがそんなことを言う理由がさっぱりわからなかった。
「私のことはいいんです。ガーベラ様のことを知りたいんですよ。私の前に時々現れていたガーベラ様は、どういう存在なんですか？ 私の前に現れないというだけで、
他の方の前には現れていらっしゃるんですよね？」
「さあ、もう消えちゃったかもね」
「嘘でしょう」
「どちらでもいいじゃないか。あっちのお母さんが現れたらどうだっていうの？ 仲良くする気もないんなら、どうだっていいじゃないか」
クーリーフンがちょっと突き放したようにいうと、グレンは辛そうにうなだれてしまった。
「前みたいに、遠くからみていたかったのかい？ ばかだねグレン。あっちのお母さんは、結構グレンのこと気に入ってたのに。グレンの神の地位なんて全く気にせずに、グレンに
接していたじゃないか。せっかくああなったんだから、いつものお母さんにだって、思いをぶつければよかったんだよ。僕は君の想いが滑稽だとか、身分不相応だとか、
そんなこと思ったこともなかったんだよ。もっと楽しくやればいいのにってずっと思ってたんだよ」
うなだれていたグレンは、やがて顔をあげた。
「クーリーフン様……昔、ガーベラ様がラクア様と仲たがいをした一件があったでしょう。あの原因を作ったのは私です。あの魔法をガーベラ様の元に運んだのは、私なんですよ」
グレンはクーリーフンをまっすぐに見つめて言った。クーリーフンは驚いた様子である。
「あの後のやりとりは、まだ記憶に残っているはずです。ガーベラ様があんな風に他の神と喧嘩をしたことは、あの後ないんですからね」
「君の一存でそうしたわけじゃないはずだ。マリナール様に頼まれたんだろう？ それかアシュラン様？」
「私がしたことに変わりはありません。ガーベラ様がそのことを知れば、私とどうにかなろうなどと、思うことはないでしょう」
グレンは寂し気に言っていた。
「あれから一万年以上も経ってるっていうのに、君はずっとそのことを気に病んでいたの？」
「最近もありますよ。ガーベラ様が声を失った原因を作ったのも私です。私がヒルデリア様に言ったんです」
「それについては、お母さんは怒らないよ」
「これ以上優しくされると、いろいろな欲望が抑えきれなくなってしまいます。ですからもう、きっぱりと線を引きたいと思ったんです。思いは遂げられたんですから、私は本望ですよ。
ですが、あちらのガーベラ様は私にはもう会わないといった、そのことが気にかかっているんです」
クーリーフンは少し目を閉じていたが、やがてふふっと笑っていた。
「お母さんにそういわせたのは君なんだろう？ 愛し合ったと思った男に冷たくされたから、傷ついてしまったんだ。あっちのお母さんはグレンとガーベラの過去のやり取りなんて知らない。
もし知ったって、決して君を嫌ったりはしなかっただろうに。グレン、一つ教えておいてあげるよ。あっちのお母さんは、いつ現れるか僕にもわからないし、いついなくなるかもわからない。
いずれ謝りたいと思っても、その時にはもういないよ」
「どういうことですか」
「かりそめの魂だから、いずれはいなくなる。君は重荷をさらに増して、長い時を生きて行かなきゃならなくなるよ」
グレンはクーリーフンの言葉が信じられないのか、戸惑いの表情を見せていた。
「だって、あちらのお母さんが現れたのって最近の話だろ？ ずっと前からいたわけじゃないし、この先ずっともいないんだよ。お母さんとの過去のことはともかく、あの儀式でグレンも
お母さんを愛したってことは、ちゃんと伝えてほしいよ」
「……クーリーフン様、私などがガーベラ様に愛してると伝えても、本当にいいんでしょうか」
「いいよ。愛の女神に、汚点をつけないでよ」
「あちらのガーベラ様は、私の前に現れてくださるでしょうか」
「伝言ならもっていってあげるよ」
クーリーフンは微笑んで言った。
その後二人は別れたが、クーリーフンはまさかのグレンの告白にまだ驚いていた。
お母さんがそれを知ったらどうなるだろう。一万年どころか、一万４千年も昔のことじゃないか。あれからずっと気に病んでたなんて……
今更知ったところでガーベラも怒りはしないだろうとは思うが、なにせ強姦未遂で長い間ハロルドを避けていた前例もある。絶対大丈夫ともいえない。
確かに、ガーベラが恋人と壮絶なケンカをしたのは、クーリーフンの記憶でも、あれくらいのものなのだ。
「海側とは和解したってのにさ、切ないねえ……」
クーリーフンはつぶやきつつ、飛んで行った。
そのころ海では、ゆりが海にいるときに生まれた妖精のニイニは、海の上を歩いていた。ニイニはたまに海にやってきては適当に過ごしてあちらの世界に戻っているようである。
ニイニと一緒に虹の妖精達がやってくることもあった。ニイニは彼らと仲が良いのである。
ニイニを岸で見かけたレヴァーンは、「彼、どうにかならないかな」と横にいたワイアットに聞いていた。
「どうにかとは？」
「どうにかはどうにかだよ。君はいつもおじい様のためにどうにかしてるだろう」
「彼はレヴァーン様に何かしましたかねえ」
「僕の女神たちと仲良くしてるだけで十分何かしてるよ」
レヴァーンが忌々し気にいうと、ワイアットは鼻で笑っていた。
「子供ですねえ。本気で相手に恋をしてもらおうというのなら、もっと頭を使わないとだめですよ」
「僕がばかだというわけ？」
「彼と敵対するよりも、仲良くなる方が賢いですよ。そうすれば、あちらの情報だって手に入るし、あなたがこちらで彼に親切だということが伝われば、お二人だってレヴァーン様のことを
いい人だって思うじゃないですか。一緒に遊びやすくもなりますよ」
「そうかな？」
「そういうものですよ。海の神たるもの正攻法でいってください」
「正攻法でね……」
マリナールの孫であるレヴァーンは、ラクアの娘たちが大好きでしょうがないのだった。将来的にはどうにかして、どちらかを妻にしたいと本気で思っている。
だが、ラクアはレヴァーンが寄ると怒るので、毎日顔を見に行くわけにもいかない。せいぜい忘れられない程度に会いに行くくらいである。
二人が大人になった時の姿を見ることができなかったレヴァーンは、最近ハロルドがマリナールに会いにやって来た時に、根掘り葉掘り聞いている。
そして魔法の水晶にハロルドの記憶を映してもらったのだった。ハロルドはガーベラの儀式のことは忘れているが、子供たちが大人になったことは、かろうじて覚えていたようだ。
レヴァーンが想像した以上に、ユリアナもイオナも美しかった。レヴァーンはやはり二人のどちらかをもらいたい、と気持ちを新たにしている。
「今は優しいお兄さん的存在でいることですよ。レヴァーン様が素敵な大人になれば、あちらだってその気になりますよ」
「わかってるよ」
「それよりも、セスティナ様が何か企んでるようで、それが気になるんですが……」
小島にいるセスティナは時々ニイニに話しかけているようだ、との妖精からの情報があったのでワイアットはそれを気にしていた。
「姉様もさっさと結婚すればいいと思うんだがなあ。ワイアット、君が姉様と結婚したら？ 二人はゆがんでる者同士、あうと思うんだがなあ」
「私のどこがゆがんでるんです」
ワイアットは頬を引きつらせている。
「君は人間の女が好きだろ。姉様も人間の男が好き。似た者同士でもあるじゃないか」
「一緒にしないでください。妖精を相手にすると面倒くさいから人間にしてるだけです」
「あっちの伝令神はあのガーベラをくどいたってのに君はさ〜」
「ほっといてください」
ワイアットは口をへの字にしていた。
ニイニがこちらに近づいてきた。
「こんにちは」
ワイアットは外向きの笑顔を向けていたがレヴァーンは無言だったので、ワイアットはレヴァーンを肘でこづいていた。
「やあニイニ」
レヴァーンは笑顔を向けた。
ニイニはちょっと頭を下げて、「預かったよ」と腰にぶら下げていた袋を一つとってレヴァーンに渡した。
「僕に？」
レヴァーンは巾着のようになっている袋を開けた。中には青い巻貝が一つ入っている。レヴァーンはそれを耳にあててみた。
そしてそれを聞いて仰天している。
『レヴァーン様、またあそぼーね』
中には女の子の声が入っているではないか。しかも二人同時に発している声である。ユリアナとイオナの声だった。
「ああ、まさか、あの二人が僕に伝言を？ ああ、なんてことだ。ありがとう。君はなんて素敵な妖精なんだ！」
レヴァーンは感動のあまりニイニの手を握っていた。
「ああ、うれしいなあ。僕に伝言をくれるなんて。ああ、ちょっと待ってて、僕も、僕も二人に伝言しよう！」
レヴァーンはあわてて去って行った。伝言貝に伝言の上乗せもできるのだが、二人の声を消すなんてもったいないことはできないので、レヴァーンは新しい伝言貝を取りに行ったのだった。
ワイアットは、ニイニが腰にもう一つ袋をぶら下げているのを見ていた。
「ニイニ、その袋には何が入っているのかな？」
ニイニはその袋に触っている。
「中を見てもいいかな？」
ワイアットはかなり優しい口調で聞いていた。
「うん、いいよ」
ニイニは袋を外してワイアットに渡した。ワイアットは袋を開けて中を見ている。中に入っていたのは貝殻だった。伝言貝ほど大きくはない。色とりどりの巻貝が５個入っている。
「誰かにもらったのかな？ どうもありがとう」
ワイアットは袋をニイニに返した。
ワイアットは、袋の中に入っていたのがたとえ真珠だったとしても別に怒ったりはしないのだが、セスティナがニイニと話しているようだったので気になったのだった。
やがてレヴァーンが帰って来た。レヴァーンは大きな袋をかついできたのでワイアットはびっくりした。レヴァーンは小さな袋と大きな袋を渡している。
「これが二人への伝言貝、それからこっちは何も入ってない貝だよ。どんどん僕に伝言を送っておくれ。って頼んでね」
どうやら大きな袋には伝言貝用の巻貝がいっぱい入っているらしい。２０個以上は入ってそうだ。
「重すぎでしょう」
「そうかな？ もてなかったら減らそうか？」
ニイニはその袋をかついでみていた。
「全く極端なんだから……」
ワイアットはあきれている。
「もてそう」
ニイニはそれを背中にかついでいた。どうやら大丈夫そうである。
「じゃあ帰る」
「ラクア様には内緒でねー」
「無理でしょ」
二人に見送られて、ニイニは向こうの世界に帰って行ったのだった。
つづく
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