第３１話
「この度のことは、私の顔に泥を塗ったも同じことだぞ。絶対に二人を別れさせるのだ。言ってきかないならこれを使え。
ガーベラの口にこれを入れろ。魔法でラクアを嫌いにさせてやる」
昔昔、まだ神々が人間と同じ次元に住んでいたころの話である。
海の神マリナールは自分の娘とラクアを結婚させようと思っていた。ラクアは最初から乗り気だったわけではないが、
二人が何度か会って仲良くなれば、そういう気になるだろうと周りは思っていた。実際、いい雰囲気になりかけていたのである。
ところがある日、ラクアは結婚できないと断ってきた。しかもその理由は、ガーベラを愛してしまったからだというではないか。
ガーベラがもしこの時ラクアだけを恋人にするというのならば海の連中も仕方がないと思ったかもしれないが、
ガーベラにはすでにオルガ、ジンラ、ラーズという恋人がいて、ラクアは４人目の恋人になるというのである。マリナールがあきれるのも当然であった。
「お前は一体何を言っているのだ？ エキドナはお前だけの貞淑な妻になるといっているんだぞ？ それを、ガーベラだと？
お前はエキドナよりもあんな破廉恥な女を選ぶと本気で言っているのか？」
マリナールは謝りに来たラクアに怒り心頭だった。
「僕の悪口は構いませんが、ガーベラへの非難はよしてください。僕は、本当にガーベラを愛してしまったんです。心の底から。
こんな気持ちでエキドナと結婚することはできません。本当にエキドナにはすまないことをしたと思っています」
マリナールがどう諭しても、ラクアの気持ちは変わらなかった。一方マリナールの娘エキドナは、すっかりその気になっていた男に振られて、半狂乱である。
エキドナはまだラクアと深い仲にはなってはいなかった。もし深い仲になっていたとしても、ガーベラと身体で争うというのは無理な話である。
ガーベラは愛欲の女神なのだ。もはやガーベラの体の虜になってしまった男を、奪い返すなどできるわけもなかった。
自分たちの姫君ともいえる女性が侮辱を受けたのである。マリナールだけではなく、海側の神々もこの件には憤慨した。
ラクアだけではなく、ラクアを奪ったガーベラにも怒っていた。
マリナールはアシュランにも「二人を別れさせろ」と文句を言った。しかしアシュランも、いくら神々の長だからといっても、ラクアは自分の息子でもないし、
「別れろ」と命じることもできなかった。
「すまない。ガーベラも生まれたばかりでいろいろなことがわかっていないのだ。こうなってしまった以上、結婚はあきらめたほうがいい。本当にすまない」
アシュランは二人を擁護したが、マリナールの気持ちは収まらず、とうとうグレンが海の神殿へと呼ばれたのだった。
グレンは、「この度のことは本当に申し訳ありません」とかなり下に出てマリナールに謝ったのだが、マリナールは「二人を魔法で別れさせろ」とグレンに詰め寄った。
グレンにとってはなんとも気が進まない命令だった。グレンはアシュランに伺いをたてたが、
「そうせねば気がすまないというのなら、そうするしかないだろう」というのがアシュランの考えだった。
アシュランも、あまりマリナールともめたくはないのである。しかもこちらの神々もこの件に関しては、「エキドナがかわいそう」とエキドナに同情気味だった。
グレンは仕方なく、深夜、ガーベラの元に魔法を持って行った。その魔法はガーベラの口に吸い込まれた。
魔法の効果はてきめんだった。ガーベラはその後出会ったラクアを見ても、まったく恋心を抱かなくなってしまった。
ラクアがそばによると、体がぞわぞわするのである。ラクアが唇を寄せてきた時には、ガーベラは嫌悪感を感じて体を引いていた。
「ガーベラ、どうしたの？」
「わからない。今はそういう気分じゃないの」
「そう」
その日から、ガーベラはラクアに対してそっけない態度を取り始めた。オルガやジンラやラーズに抱かれるのはうれしいのに、
ラクアにだけはうれしいと思えない。ラクアと抱き合うなんて想像しただけで吐き気がするのである。
とうとうラクアがガーベラを問い詰めた。
「最近変だよ？ 一体どうしたの？」
「ごめんなさい。私、もうあなたの恋人ではいられない」
「え？」
「あなたのことが好きでなくなったのよ」
「なぜ？ ああ、だれかに何か言われたのかい？」
「違うわ。私が、あなたとはもう無理なの。ごめんなさい」
「ガーベラ？」
ラクアにとっては全く謎だった。ラクアは日を改めてガーベラに話をしたが、ガーベラの心は変わらなかった。
「もう抱かれる気はないの」
ガーベラははっきりラクアに言ったのである。
「僕は、君なしではいられない。君が僕をこうしたんだよ？ それなのに、あんまりじゃないか」
「だって、あの時は、あなたとそうなりたかったの。でももう今は違うのよ」
「単なる遊びだったってそういうのか？」
「あなたがそう思うのならそうかも」
「僕は、僕は、マリナールに恨まれてでも君をとったんだぞ！？」
「そんなの頼んでないわよ！」
二人は外で言い争ったために、神々のうわさになってしまった。
「お母さん、ちょっと変じゃない？」
さすがに息子のクーリーフンもガーベラがおかしいと思っていた。この時はクーリーフンは生まれたばかりである。まだ幼い子供の姿のままだった。
ゆりが出会っている神々は、長い長い時を生きた末に形成された性格の神である。まだこの時は、二人とも性格が違う。
ガーベラは愛欲の女神として生まれたがために自分の性欲をもてあましていた。オルガもジンラも夜は派手な方ではなく、
そこにそこそこ性欲が強いラーズが加わって、ガーベラにとってはいい感じに自分の性欲が満たせるようになっていた。
だが、それで性欲が収まったかというとそうでもなく、つい他の男も誘惑してしまっている。それがラクアだった。
ガーベラは一応手を出さないほうがいい男をカサンドラから聞いてはいたが、ラクアはまだその時エキドナとそこまで話が進んでいなかったので、
その中には入っていなかった。このことがそんなに大ごとになるとは、ガーベラはまったくおもっていなかったのである。
「あれじゃ、さすがにラクアがかわいそうだよ。まあ僕はラーズとお母さんが仲がよかったらいいけどさ」
とクーリーフン。クーリーフンもこの時は、ガーベラがラーズ以外と仲良くしようとすると、邪魔したりしている。
「私が悪いってわかってるんだけど、なんだかもうラクアとそうなりたくないのよ。手を握られるのもいやなの」
「そうなんだ。じゃあしょうがないのかなあ」
「もう、こんなことないようにしなきゃ」
ガーベラは魔法がかかってわけがわかっていなかったが、それでも反省していた。
一方ラクアはガーベラに振られてしまい、かなりいらついている。海との縁談を断ったのにガーベラからは振られてしまったのだ。
神格が高い神であるのにコケにされたのである。怒るのも当然である。
そこに、様子を伺いにラーズがやってきた。この時の二人は、まだそんなに仲が良くはない。
「なあ、ラクア、ひょっとして、ガーベラにひどい行為でもしたんじゃないのか？」
ラーズはそっちを疑っていた。
「ひどい行為ってなんだよ。僕は何もしてやしない」
ラクアは眉間にしわを寄せて否定していた。
「本当かあ？」
「僕には女ってものがさっぱりわからないよ。僕はこの先大手を振って海側にもいけないってのに。あの時は寝たいから寝ただけだとさ。もうその気はないときたもんだ」
「うーん、ガーベラがそんなことをいうとは驚いたなあ……よっぽど下手だったんじゃないのか？」
ラーズはラクアをばかにしているわけではないが、嫌う理由というのが他に思いつかない。
「じゃあなんだ、愛欲の女神様はあの時演技でよがってくださったのか？ あほらしくて泣けてくるね」
「ちょっと変だなあ」
ラーズは首をかしげている。
「ガーベラらしくないっていうか、まあ、ちょっと時間をおいてみたらどうだ？ ほら、海の話とか聞いて、ガーベラもショックを受けているのかもしれない」
「……僕はガーベラを抱きたくて仕方ないってのに」
「だよなあ。気の毒だが、もうちょっと様子を見てみたほうがいい」
ラーズは、ラクアに同情しつつ言っていた。ラーズはガーベラを抱いてから、ガーベラ以外の女性とそうなるなど考えられなかった。
ガーベラの体はそれほど魅力的なのである。一度味わったらもう忘れることはできない。ラクアだってそうに違いない。
そんなころ、ワイアットがラクアとガーベラの様子を見にこちらに来ていた。
「魔法がきいたようだね」
ワイアットがグレンに言うと、グレンは陰鬱な表情を向けていた。
「これではガーベラ様の評判が地に落ちてしまう」
「もうすでにこちらでは落ちてるよ。マリナール様は、海の民にはガーベラを信仰しないようにとふれまでだしてしまった。
本当はもっとひどいことを考えておいでだったんだよ。それではあんまりなので、代案として私がこの案を出したんだ」
「ワイアット……」
「仕方がなかったんだ。こちらの雰囲気は今最悪なんだよ。私だってどうにかしてほしいくらいだよ」
「…………」
ラクアとガーベラの仲は元に戻らなかった。ラクアはガーベラを抱きたい気持ちが抑えられずに、ついガーベラを押し倒してしまったのだが、
ガーベラにはこっぴどく罵倒され、二人の仲は決定的になってしまった。
「うーん、変だなあ……」
クーリーフンはラーズの元に来て不思議そうに顔を揺らしている。
「何が変なんだ？」
とラーズ。
「お母さんだよ。ラクアに気持ちが悪いから近づくなって言ったんだ」
「そりゃひどいな」
「なんだかお母さんらしくない。アシュラン様に相談したほうがいいかな？」
「うーん、もしかしたら、ガーベラは海側から脅迫でもされてるんじゃないか？」
「脅迫？」
「こういう時はカサンドラに相談してみたほうがいいかもな」
こうして相談を受けたカサンドラは、ラクアとガーベラ双方の意見を聞いてみることにした。カサンドラはすでにガーベラの性質を知っている。
ガーベラは無邪気な女神で、どちらかというと優しい性格である。それなのにラクアのことだけは、妙に不自然だった。
「ラクア、ガーベラは魔法をかけられているよ」
「魔法？」
「ラクアを嫌悪する魔法だよ。おそらくは、マリナールの差し金であろう」
ラクアはすぐに海に行きマリナールに詰め寄った。
「ガーベラを元に戻してください」
ばれてしまっては仕方がないと、マリナールは魔法をとく薬をラクアに渡した。
「ラクア、しばらくはこっちに来るな」
マリナールは冷たい瞳で言い放ち、ラクアはガーベラにしたことに対しては文句は言わずに、「申し訳ありませんでした」と頭を下げてその場を去ったのだった。
ラクアがその薬をガーベラに与えると、ガーベラはすぐに元に戻った。そして幸いなことに、ガーベラはラクアを嫌っていた間のことは覚えていなかったのだった。
こうしてラクアとガーベラの仲は元に戻った。しかしラクアと愛し合ったことで海側ともめてしまったことにはガーベラも反省し、
そのことがよっぽど懲りたのか、長い間、恋人を増やすことはなかったのだった。
その後傷心のエキドナは自分よりも格下の海の神の求婚を受けて、結婚した。
二人の仲は結構うまくいっていたので、海の連中も、「ラクア様と結婚しないほうがよかったのかも？」などと思うようになっていた。
だが、ラクアが海側に呼ばれるようになったのは、それから千年以上もたってからのことだった。ガーベラにいたっては、さらに長い年月がかかっている。
海の民のガーベラへの信仰禁止令は今ではとかれているのだが、今もそんなには信仰されていない。
エキドナの夫婦仲がいくらうまくいっていようが、「エキドナから婚約者を奪った女神」という烙印は、なかなか消えないようである。
クーリーフンは、グレンとのやりとりで、つい昔のことをあれこれ思い出したが、考えてみれば、グレンはとんだとばっちりである。
こんなに長い間思い悩む必要なんてあるのだろうかという気になっていた。
（あの時はだれが悪いっていったら、婚約しているのにお母さんにふらふらいってしまったラクアが悪いんだけど、お母さんも裸でラクアを誘惑しちゃったからなあ。
それを拒むのは男には無理だろう。あの時のお母さんは自制するってことができなかったんだもんなあ……お母さんも悪かったんだけど、愛欲の女神だからねえ、
しょうがないっちゃしょうがなかったのかもなあ……）
クーリーフンがガーベラの神殿にいると、ガーベラが戻ってきた。
「ねえ、お母さん、前に言ってたよね。あっちのお母さんがグレンのことを好きになったら、お母さんもグレンを好きになってもいいって」
「え？ 私そんなこと言ったっけ？」
「あっちのお母さんが引っ付いたら、お母さんもグレンにもいい所があるって認めるっていったじゃない」
「そうだっけ、え？ そういうふうな感じになったの？」
「いや」
「あーびっくりした」
ガーベラはほっとしていた。
「でもかわいそうだと思ってね。儀式のことは覚えていなくても、体は覚えてると思うんだよ。夜もんもんとしてるんだろうなーて思って」
それこそ大昔のラクアのように、グレンがガーベラを押し倒しても、なんら不思議なことはないとクーリーフンは思っている。
「私だって、考えないでもなかったわよ？ 私にでれっとしてきたら、ちょっとくらい考えてあげようと思ったわよ。でも、まったくそんな感じじゃないし。
前よりそっけないくらいだもの。だから別にいんじゃないの？」
「グレンは前からお母さんのことが好きだったんだよ。ずっと前から」
「嘘……」
ガーベラは驚いた様子である。
「あれで？」
「お母さんからグレンを誘惑する気ない？」
「ない」
ガーベラはきっぱり言っていた。
「グレンがでれっとしてきたら、ちょとは考えてもいいけど、私からなんていやよ。クーリーフンはなんでそんなにグレンのことが気にかかるのよ？」
「だって、彼だってたまにはそういうことがあってもいいじゃないか」
「そんなこといってたら、男全員とやらなきゃいけなくなるわよ？」
「そうかな」
「そうよ。まあ、あっちの私は儀式でグレンとしちゃったし、グレンを好きでしょうがなくなったってなら、別に止めないわよ。
ハロルドやグレンって、あの子の周りにはいないタイプだもんね。だから好きになっちゃうのかしら？
ジンラとはあれから全然みたいだし、オルガやサラディンともからんでないみたい。ラーズやラクアとはあれからどうなのかしら。
ラーズはちょっと怪しんでるみたいだけど、何かいってた？」
「いや、別に」
「私から言ったほうがいいかしら？」
「言わなくていんじゃない？ ラーズはたいして気にしないよ」
「そうかしらねえ……まああの子も、当分は他の男となんて思わないかもね」
「そうだね。最高の赤い月だもんね」
「ああ、赤い月に乱入したい〜」
「だめだよ」
「わかってるわよ。いうだけよ。３人目として乱入したかったー！」
ガーベラは声をはりあげていた。
赤い月に３人目のゆりが現れることはなく、どちらのゆりにとってもあっという間の１０日間は、甘いまま終わったのだった。
つづく
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