第33話
ガーベラはとうとう伝令神グレンと体を交わる関係になってしまった。
今までは恋人が増えたらみんなに律儀に報告していたのだが、今回はクーリーフンにしか言っていない。
グレンの立場上公にするとやりにくいだろうし、ガーベラは自分がグレンを愛してる、などとはまだ思っていなかった。
ならあの夜はなんだったのか、と聞かれたら返答に困るのだが。
「ああ、もうグレンとなんてするんじゃなかったわ。あれから全く何も言ってこないのよ？ ふざけてると思わない？」
ガーベラは自分の神殿でクーリーフンに愚痴っていた。
ガーベラはグレンがすぐにでもまたそうなりたいと言ってくると思っていたのだが、５日経っても何もないのである。
「私に対する侮辱だわ」
「それはね、お母さんがちゃんとグレンを愛してあげなかったからじゃない？」
クーリーフンは水を飲みながら言っていた。
「ちゃんと、って、それなりにちゃんとしてたわよ！」
ガーベラはぷんと横を向いている。
「グレン、あっちのお母さんに会いたがってたよ。こればかりは、予約して会うわけにもいかないからねえ」
クーリーフンが言うと、ガーベラは「え？」と顔を向けていた。
「何それ、私よりもあっちとやりたいってこと？」
「そりゃそうでしょ。あっちのお母さんには、めんどくさい女神のプライドなんてないし、単純にグレンのこと好きみたいだし、
ちゃんと愛してくれないお母さんより、愛してくれるあっちのお母さんの方を抱きたいんじゃない？」
クーリーフンの歯に衣着せぬ物言いに、ガーベラは「ぐっ」と美しい顔をゆがませていた。
「クーリーフンってば、女を抱かないくせによくそこまで言うわね。大体なんで私がグレンにそこまで優しくしてやらなきゃいけないのよ」
「欲望だけじゃ『欲の女神』になっちゃうよ？」
なんだか金の亡者っぽい響きである。
「何が愛の牢獄よ、一生入ってて！」
ガーベラは声を荒げていた。
そこに「ガーベラ」と言いながら派手な色彩のラーズがやってきたので、ガーベラはあわてて表情を変えていた。ラーズはちょっと浮かない顔つきである。
「どうしたの？」
クーリーフンが聞いた。
「あ、いや、別に」
ラーズが笑みを浮かべると、さらに妖精のニイニがやってきた。ニイニはガーベラを手で呼んでいる。
「ちょっときて」
「どうしたの？」
「早く早く」
「？」
ニイニはガーベラをどこかに連れて行きたいようだ。
ガーベラはニイニについていった。気になったクーリーフンとラーズも後に続いている。
４人はダーナの神殿までやってきた。神殿の中に入るなりダーナの怒号が聞こえてきた。
「こんなにすぐに浮気するなんて信じられない！」
「だから、誤解だ。ほんと誤解なんだって！」
ダーナは部屋の中にあった物を投げまくり、投げられている相手は、深い緑色の髪の、緑の神ジュライだった。
その周りでは虹の妖精達がダーナに「まあまあ」とか「落ち着いて」など言いながらなだめようとし、ダーナの娘の妖精達も困った様子で眺めている。
神殿の中は荒れ放題になっていた。
「ちょっと、ダーナ落ち着きなさいって。どうしたの？」
ガーベラがダーナに近づいた。
「ジュライが浮気したのよ！」
「ほんと？」
「いやいや、してない。本当にしてない」
ジュライの方は首を横に振りまくっている。
「してないって」
「朝方ジュライの神殿から女が出てくるのを、娘の一人が見たって言ってるのよ！」
「あらら」
とガーベラ。
「妖精がいたのは本当だが、抱いてはいない」
ジュライが言った。
「じゃあ何をしてたのよ！」
「何って、気づいたら妖精が横にいて、帰ってもらっただけだ」
「そんな言い訳が通じると思ってるの！？」
「本当なんだ。気づいたら妖精がいるなんてのはよくあることだ。なあラーズ」
ジュライはちょうどラーズがいたのでラーズに話をふっていた。ラーズは、「え？」と顔を引きつらせている。
「妖精が来たからって何かしてるとは限らないだろう。私だって今のすごいダーナを裏切りたくはない。今回は何もない」
「じゃあ前回はあったの？」
ダーナが間髪入れずに聞いていた。
「何もない。ないない」
「こう言ってるんだし、信じてあげなさいよ。さすがに今のダーナを裏切るなんてしないわよ」
ガーベラは優しくダーナの背中をなでている。ダーナは今もきらきらである。男たちには魅力的に映っているはずだ。
後ろにいたラーズはそろそろと神殿を出て行き、クーリーフンもついていった。
ダーナはじろりとジュライをにらんでいたが、ジュライは「本当にない」と言い切っていたので、ダーナもやがて表情を和らげた。
ガーベラは「仲良くしなさいね」と微笑んでダーナの神殿を出てから、「ラーズはどこにいったの？」といつの間にかいなくなったラーズをちょっと怪しんでいた。
ラーズはダーナの神殿からちょっと離れた所を飛んでいた。
「どうしたの？」
後からついていったクーリーフンは、ラーズの様子がちょっとおかしいと感じているようだ。
ラーズは自分の神殿に戻ってから、
「実は昨晩、女の妖精がきた」
とクーリーフンに告白していた。
「ジュライと一緒じゃない。流行ってるのかな」
「サーラが生まれてからはなかったんで安心してたんだが、私も油断してた。てっきりガーベラだと思って……」
「え？ 抱いちゃったの？」
クーリーフンは目を見開いている。
「そこまではしてない。だが寝ぼけてちょっと……」
「ちょっと？」
「ちょっとどうしたの？」
女の声である。ラーズはいつの間にかガーベラが後ろにいたので、つい「げっ」と身を震わせていた。
「どうしたのよ」
ガーベラは頬を膨らませている。
「口づけちゃった。それだけだ。抱いてなんかない」
「ふーん」
ガーベラの頬はもっと膨らんでいた。
「ぷんだ」
ガーベラは消えてしまった。
「あー参ったな……」
ラーズは頭をかいている。
「寝ぼけて最後までやらなくてよかったね」
クーリーフンが言っていた。
「昨日はサーラはいなかったの？」
「サーラは違う部屋で寝てたんだよ」
「前と同じ子なの？」
「ああ、一度だけでいいから、とかいうんだよ。冗談じゃないよ全く。その一度ですべて台無しになっちゃうじゃないか」
「熱烈に口づけちゃった？」
「ガーベラだと思ってたんだ。胸に触って別人だと気づいた」
「あらら。まあラーズは人気者だからしょうがないね。そのうちお母さんの機嫌も直るよ」
「はあ……」
ラーズはため息をついていた。
「うーーーーー腹が立つわ！」
ガーベラは、まさかあの後ダーナに愚痴ることもできないので、カサンドラの神殿にやってきて愚痴っていた。サントスは今はいない。
「いまだにそんなことがあるなんて思わなかったわ」
ガーベラはぷんぷん怒っていた。これだけ長生きをしていればいろいろなことがあるもので、ガーベラの恋人達はそれぞれ神格も高く、
アリアスやジュライほどではないがそこそこ人気もある。中でも優しいラーズは妖精の人気も高いのである。
妖精の一人や二人が神殿に忍んで来ることだってあるようだ。だが、ガーベラにはダーナのような喧嘩はできない。
今までもその話を知っても、ガーベラがすねて、恋人がなだめて、時間がたってから元通りくらいで終わっている。
大体神格が高くていい男の神はみな相手がいるし、ダーナやガーベラはそういう神を数人恋人にしているのである。妖精たちにしてみれば、たまには……くらいの
気持ちなのかもしれない。
「まあまあ、それくらいは許しげおあげ。よくあることだよ」
カサンドラは笑っている。
「そういう噂、聞いてる？」
「まあのう」
「私が一番腹が立つのはね、ラーズがその妖精の名前を言わないことなの。私の予想では、今までしつこく言い寄ってくる子は３人くらいはいたみたいなんだけど、絶対名前を言わないのよ」
「言ったらもめるであろう」
「そうだけど、その子をかばってるようで腹が立つじゃない」
「ガーベラに嫌われたらその子も困るであろうし、まあラーズもジンラも良い男だからしょうがない」
「え？ ジンラも？」
ガーベラは聞き逃さなかった。
「あ？ いや、今のは言葉のあやというもので……」
カサンドラはちょっとあわてている。
「行ってくる」
「ガーベラ！」
カサンドラが止める間もなく、ガーベラは移動してしまった。
ガーベラが移動したのは酒蔵の前だった。ガーベラが酒蔵の扉を開けると、中にジンラがいた。
「やあガーベラ」
ジンラはいつものように微笑んでいる。
思いに任せてやってきたガーベラだったが、ジンラの顔を見て、ちょっと冷静になっていた。
「ねえ、アマンザはどこかしら？」
「アマンザ？ さあ、神殿かな？」
「アマンザに会ってくるわね」
ガーベラは笑顔で扉を閉めて、神殿に行き、中にいたアマンザを見るなり奥の部屋へと連れて行った。
「ど、どうしたんですか？」
ガーベラの表情が怖いのでアマンザはびくついていた。
「ねえ、アマンザ、ジンラのところに夜中、女が来てない？」
「女？」
「私以外の女よ！」
ガーベラの剣幕にアマンザは何かを察したようである。
「ああ、お父さんはすぐ帰ってもらったっていってましたよ」
やはりそういうことがあったようである。
「どんな妖精か見た？」
「僕は見てないです。だいぶ前の話ですよ。お母さんの儀式の前とか、そのくらいかな」
「そんな前なの？ 最近はない？」
「ないと思いますけど」
「でも、アマンザはジンラと一緒に寝てるわけでもないんでしょう？ もしかしたら……」
「ないですよ」
アマンザは自信満々だった。
「こんな奥で何をしてるんだ？」
ジンラがやってきてしまい、ガーベラははっとしていた。
「あ、なんでもないの」
「どうしたんだ？」
ジンラがアマンザをみた。
「夜中にお父さんのところに女性が来たことを気にしてるみたいですよ」
アマンザが暴露してしまい、ガーベラの頬は引きつっていた。
「お母さん、お父さんは、お母さんしか愛してないですよ？」
アマンザはガーベラを安心させるように言っている。
「私はあれから何もない。ガーベラ」
ジンラは穏やかな表情で言った。
「あれからって？」
「アマンザが生まれる前は確かにそうなりかけたが、もうあんなことはない」
え？
ジンラの浮気未遂現場を見たのはゆりだったので、ガーベラはそのことを知らなかった。
「私の心は、ガーベラとアマンザでいっぱいだからな」
「え、それはちょっと……」
アマンザは微妙な顔つきだった。
「僕とお酒を造るのが好きって意味ですよ」
アマンザはわざわざ訂正していた。
「わかったわ。ごめんね。変なことを聞いて」
ガーベラが微笑むと、ジンラはガーベラの頬をなでていた。
ガーベラはジンラの神殿を出て離れてから、（ショック！）と心の中で絶叫している。
その時の相手は誰だったんだろう。あの子が来てなかったら、ジンラとは別れていたのかしら？
ガーベラはとぼとぼと歩いて行った。
その数日後、神の国へとやってきたゆりは、グレンのことはどうなったんだろうとわくわくしてガーベラの神殿を出て、「わっ！」と足を浮かせていた。
ガーベラの神殿の周りにある花が枯れているではないか。
「何？ どーしたの？」
今度はガーベラに何が起こったの？
ゆりはとっさに頭に触ってみたが、髪はちゃんとあるようだ。
アマンザに聞きに行こうとしたところに、クーリーフンが飛んでくるのが見えた。
ゆりは地上に降りたクーリーフンを神殿の中に引っ張っていき、
「クーリーフン、ちょっと、今度は一体どうしたのよ！」
と問いただしていた。
「ああ、今回はたいしたことないよ。お母さんは勝手に落ち込んでるだけだから」
クーリーフンは陽気である。
「なんで落ち込んでるの？」
「うーん、なんというか、お母さんの恋人たちってみんなそこそこ人気あるでしょ？ たまに女の妖精が夜忍んでくることがあるみたいでさあ、
お母さんはそれを知って勝手にショックを受けてる。別に今に始まったことじゃないよ。そういうことは前からあったし、
こうやって落ち込んでるのもそんなに珍しくないから。ほとぼりが冷めて仲直りのパターンだから」
クーリーフンはたいしたことでもないかのように言っていたが、ゆりは目を見開いている。
「ちょっと待って、だれのところに女が忍んできたって？」
「とりあえずは、ラーズと、ジンラ」
「ジンラ？ 私のジンラ様？ それだけは許せない！」
「ラーズはいいの？」
「ラーズだっていやに決まってるけど、ジンラだけはだれにも譲らないから。もしジンラが他の女性を好きになったら、私は汚い手を使ってでも取り返すわ！」
ゆりは力を込めて言った。
「……あ、そう……」
クーリーフンはちょっと引き気味である。
「大体ね、神殿に扉がないのがいけないのよ。夜は扉に鍵をかけて寝るの。そうすれば女なんか入れないんだから。あ、そうだ。ちょっとジェラルド工房に連れて行って」
「何するの？」
「いいから連れて行って！」
ゆりの剣幕におされて、クーリーフンはゆりをジェラルド工房まで連れて行ったのだった。
ジェラルドは工房の外にいて、妖精たちに何か指示を出しているところだった。
「ジェラルド、頼みがあるの」
ゆりはジェラルドのそばに近づいた。
「ああ、なんですか？ ガーベラ」
ジェラルドはひげをなでながらガーベラを見た。ジェラルドは背もさほど高くなく、見た目とろくさそうなおじさんなのだが、この手から数々の芸術作品が生みだされている。
「早急に、ジンラの神殿の寝室に、扉を設置してちょうだい」
ゆりの言葉にジェラルドはぽかんとした顔つきだった。
「寝室に、なんですって？」
「扉よ。扉。鍵付きで」
「どうしてですか？」
「どうしてもこうしたもないわ。海の神殿には扉があるんだから、こっちにだって付けられるでしょう？」
「いやーしかし、こちらの神殿はそういう構造ではありませんし……」
「柱にちょちょいとつけたらいいじゃないの。ジェラルドは天才なんだから、扉くらい付けられるでしょう？」
「扉がないから数々のロマンスが生まれてるんじゃないですか」
ジェラルドがにやっとして言っていた。
「ロマンスなんてどーでもいいのよ！」
「一番多いのはガーベラじゃないですか」
「扉があってもロマンスは生まれるわよ！」
たまたま近くの空を飛んでいたラーズは、ガーベラとクーリーフン、ジェラルドの姿をみかけて地上に降りてきた。
ゆりはジェラルドどあーだこーだと言い合っている。
「どうしたんだ？」
「えーと……」
クーリーフンが言おうとすると、
「ラーズ、ジンラの次はラーズだからね」
ゆりはラーズを見てぴしゃっと言った。どうやらラーズが下りてくるのに気付いていたようである。
「何が？」
ラーズはクーリーフンに聞いている。
「お母さんが、ラーズの寝室に扉をつけるってさ」
「え？ 扉？ なんで？」
「なんでじゃないわ。扉がないから夜誰かが入ってきちゃうんでしょ？ 扉に鍵がかかってたらあきらめて帰るじゃないの」
ゆりが説明すると、ラーズは、「あ、そうか」と初めて気づいたような顔つきだった。
「どうしてみんな今まで気づかないの？ 信じられないわ。もう！」
ゆりは地団駄を踏んでいる。
「ジンラとラーズが浮気でもしたんですか？」
ジェラルドはようやく事の真相に気づいていた。
「え？」
ゆりはてっきり未遂だと思っていたので、驚いてラーズを見ている。
ラーズは「いやいや」と手を横に振っていた。
「でもお母さん、ラーズの神殿は部屋がつながってる感じだから、扉をつけるのって無理だよ？」
クーリーフンが冷静に言っていた。
確かにラーズの寝室は居間っぽい大きな部屋と寝室がつながってる感じなので、扉を付けるというのは無理である。
「部屋を改造したら？ 神殿の入り口に扉をつけるとか」
「ごめんなガーベラ、私はあのままがいいんだ」
ラーズが申し訳なさそうに言うと、ゆりはむすっとした顔をしていた。
「せっかくいい案だと思ったのに」
「ロマンスのために扉がないほうがいいですよ」
ジェラルドはまだ言っていた。
余計なロマンスまで生まれちゃうじゃないのよー
ゆりはジェラルドを恨めし気にみている。
「せっかくですので、新しい下着でも注文します？」
「もういいわよーだ」
ゆりはつーんと横を向いて工房から離れて行った。
この様子では、ジンラの神殿に強制的に扉を付けるのも無理っぽい。
「お母さん、ジンラは女よりアマンザが好きって言ってるから大丈夫だよ」
クーリーフンがゆりを慰めるように言っていた。だが、よく聞くと微妙な言い回しである。
「ガーベラ、ごめんな。嫌な思いをさせて」
ラーズもゆりの後ろを歩いていた。
「ねえラーズ、一体だれが忍んできたの？」
ゆりが顔を向けると、ラーズは困った顔で、「それは言えない」と言っていた。
「どうして？」
「言ったら、ガーベラはその子を嫌いになっちゃうだろ？」
「ラーズって優しいのね。でもそういう優しさは嫌い」
ゆりはつーんと前を向いて行ってしまった。
「前に言われたのと同じセリフだ」
立ち止まったラーズがつぶやいた。
「今の、違うガーベラだろ？」
「そうだよ」
とクーリーフン。
「お母さんっておかしいよね。あっちのお母さんがラーズと何をしても平気なのに、妖精と唇を引っ付けたくらいであんなに落ち込むなんて」
「彼女のこと自分の分身だって思ってるからかな。でもガーベラと同じことを言うなんて驚いたな……」
「いや、さっきのことは、女ならだれでも思うことだよ？」
クーリーフンはわざわざ言っていた。
「そうか？」
「ラーズは優しすぎるところが玉に瑕だよ」
「そうかなあ。やっぱり行こう」
ラーズは飛んで行った。
すたすた歩いていたゆりは、（そうだ、ハロルドの寝室に扉を設置しよう）とまだ扉をあきらめていなかった。
以前ハロルドの寝室に女神が来たことを思いだしたのだ。
ハロルドの寝室なら入り口もそんなに広くないし、あそこなら付けられるかも。子供たちの寝室にも扉をつけちゃえば将来大きくなっても安心だし、
ジェラルドがやってくれなかったら工房の妖精に頼むしかないけど……無理なら私がやろうかしら
ガーベラが大工仕事まで初めてしまったら周りはびっくりだが、（ジェイクに手伝ってもらったらできるかも？）などとゆりは本気で思っていた。
「あっちで扉の構造を勉強すればなんとかならないかしら……蝶番と分厚い板があれば……それと取っ手と……
扉の大きさは入口を測らなきゃいけないし、メジャーもいるわ。メジャーって神の国にあるのかな？」
などとぶつくさ言っていたら、体がふわっと浮き上がった。
「ラーズ」
ラーズが女神の体を抱き上げて飛んでいるのである。
「びっくりした」
「もう私のことであれこれ悩まないでくれよ」
ラーズが空を飛びながら言っている。
「ラーズのことで悩んでないわよ。ハロルドの寝室なら扉をつけられるかなって考えてたの」
「扉があってもなくても、浮気するときはするだろう」
「そうだけど、寝てる時に何かされたらやでしょ？ ラーズの部屋はもういいわよ。あきらめたわよ」
ラーズがさっき妖精をかばったので、ゆりはラーズと視線を合わせなかった。
「海の神殿って誰が作ったんだろう？ あっちなら扉の予備とかあるかも」
「ガーベラ」
「ラーズの神殿にはつけないんだからいいじゃない」
「もうその話はやめよう。な」
「うん……」
ゆりは口をつぐんだ。さすがに、いつも優しいラーズの表情も曇っている。
こんな決まずい気分で空を飛ばされるなんて初めてのことだった。
ラーズは妖精たちにも優しそうだもんね。だから好きになられちゃうんだろうなあ……
なんかガーベラのもやもやが手に取るようにわかるわ。ラーズに優しくするなって言ったってしょうがないもんね。
この優しい所がラーズの魅力だし……だからって夜這いの相手にまで優しくしなくてもいいじゃないの。ほんともやもやする！
ゆりはその後は黙ったまま飛んで、ガーベラの神殿の前で降ろされた。
「ありがとう」
ゆりは形だけ笑みをむけた。
「怒ってるの？」
「別に、怒ってないわよ」
ゆりは視線をずらしていた。これ以上何かいってもラーズに煙たがられるだけなのはわかっている。自分がラーズとガーベラの仲に溝をつけるわけにはいかないのだ。
沈黙があったので、ゆりは「それじゃこれで」と神殿の中に入ろうとした。これ以上一緒にいると、余計なことを言ってしまいそうだ。
「なあガーベラ、実はさ、黙ってたことがあるんだ」
ラーズは穏やかな口調で話しかけてきた。
「なに？」
ゆりが振り向いた。
「実は、その話とは別に、他に好きになった子がいてさ、その子を抱いちゃった」
「え？」
思いもかけない告白に、ゆりの頭は真っ白になっていた。
「すごくかわいい子でさ、もう何度かしちゃったんだ」
驚きすぎたゆりの瞳からは、涙が流れている。
「なんで……」
「その子、ガーベラにそっくりなんだよ。この前なんて外でしようだなんて言ってさ、それなのに恥ずかしがって、真っ赤な顔してさ、すごくかわいかった」
何そのアホな女、許せない！
と涙を流しながら怒ったゆりだったが、（あれ？）とも思っていた。浮気の告白をしているにしては、ラーズは穏やかすぎる表情をしていた。
もしかして、ガーベラからその子に乗り換えるとか？ いや！ やめて！
そうなったら最悪の事態である。
「外で抱き合ったのに、次に会った時頬に口づけたら真っ赤になってさ、かちんこちんに固まってたよ。あんなにすごいことしたのに、意味がわからないだろう？」
「…………？」
ゆりはきょろきょろと視線を動かしている。
「優しい子で、面白くってさ、真珠で気づかなかった？」
「ラーズ！」
そのアホな女は自分だ、ということに、ゆりはようやく気付いてラーズに抱き着いていた。ラーズはゆりを抱きしめている。
「どんな顔でくるのかなってずっと待ってたのに、案外薄情だなあ」
「ごめんね。ラーズがどういう気持ちかわからなくて」
「まあそういうわけだから、私はガーベラの次にその子が好きなんだ。そのほかの女には興味ないよ。そう、ガーベラに伝えてよ」
「やあよ」
ゆりはぼろぼろ泣いてしまっていた。
「ラーズ、怒ってないの？」
「怒ってないよ」
ラーズは優しく微笑んでいた。
ラーズって、憎いくらいに優しすぎる！！
ゆりは感動していたのでなかなか涙が止まらず、しばらく涙越しにラーズを見つめていた。ラーズの鮮やかな髪の色がもうにじんで見えている。
ラーズはそんなゆりを優しく抱きしめていた。
そのころクーリーフンは、空を飛んでいてグレンに出会っていた。
「ガーベラ様はお元気がないようですが」
グレンは空中で停止して聞いた。
「たいしたことないよ。グレンのことも気にしてたよ。全然呼ばれないから拍子抜けしてるみたい」
「私の相手をしょっちゅうしていただくなんて、申し訳ないですよ。他の方にされるほうがよいでしょうし」
「まあ、今呼んでも八つ当たりされるだけかもね。あ、そうだ。グレン、寝室の入り口に扉をつけたら？ あっちのお母さんは大喜びするかもよ」
「とびら、ですか？」
「そうだよ。じゃあね」
クーリーフンは飛んで行った。
「扉？」
人間界によくある扉を思い浮かべたグレンは、（ライサを気にしてということだろうか？）と、てっきりそういうことだと思っていたのだった。
つづく
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