第３８話
朝起きたら自分の横に神様がいた。シスとラギは、あの衝撃が忘れられず、ゆりの恋人たちみんなにそのことを話していた。
グレンは人間界にはほとんど石像などもないので、外見をイメージするのが難しい神である。
ハロルドならば庭園の石像でイメージすることもできるが、グレンはゆりに聞いたことでしかわからない。
子供たちは間近でグレンの顔を見て、今ではうれしかったと感じているようである。
子供達に対しても丁寧に受け答えをしてくれたので、ラギもシスも、「グレン様って親切な神様だね」と言っていた。
あれがハロルドだったならば、子供達の質問に丁寧に答えたかどうか、たぶん無理だろうとゆりは思っている。
シスとラギに話を聞いた男たちは皆、「グレン様も気の毒でしたねえ」とグレンに同情していた。
朝起きたらいきなり知らない女と子供と一緒のベッドに寝ていたのである。びっくりどころではなかっただろう。
「それで、クーリーフンはグレン様にどうやって説明したの？ グレン様は納得したのかなあ？」
ラギとシスはそこが気になって、ゆりに聞いていた。どちらかというとクーリーフンの方に「様」をつけなければならないのだが、子供達にとっては、
クーリーフンはすっかり身近な神になっている。
「え？ ああ、クーリーフンが適当にごまかしたんじゃない？」
ゆりはそう答えている。
クーリーフンがグレンを迎えにきたのだが、それを知ったミシェイラは怒ってしまった。
「ミーもクーがみたかった！」
クーリーフンを見ることができなかったのが、よっぽど悔しかったようである。
「ごめんね。すぐ帰っちゃったからさあ」
とラギが謝っている。
「ひどいよ！」
ミシェイラはぷんぷん怒っていた。アナスターシャとナナミも神様を見たかったと残念がっていた。
５の月も末である。城の外は春の陽気である。
そんなある日のこと、ハザークの元に麒麟の国から贈り物が届いたというので、ゆりは子供たちと見に行った。
テーブルに置かれていたのは、水晶でできている立派な蛇である。蛇は鎌首をもたげて、胴体はとぐろを巻いていた。
「きれい！」
「すごい！」
「立派だね！」
ゆりも子供たちも、目を輝かせていた。蛇は40センチほどの高さで、水晶を削ってこれを作ったとしたら、かなりでかい水晶だったことだろう。
水晶は麒麟の一族の使者がわざわざ持ってきてくれたらしい。かなり珍しいので北の国境の戦士たちは驚いたようである。
使者はハザークに直接礼状を渡したいと言ったので、フリットが案内してつれてきたようだ。使者はハザークをみて、見かけの若さに驚いたようである。
「麒麟の長老殿は見た目は老齢らしい。だが、少しの間だけ若くなる力があるとか言ってた。あの石がすごくうれしかったようだ」
「そうなんですか。よかったですね」
ゆりは笑顔である。子供達は顔を近づけて水晶の蛇を眺めている。鱗の部分もちゃんとほってあるのだ。なんとも素晴らしい。
「僕たち、使者の人が父様とあいさつするときに、ご挨拶しましたよ。立派な人でしたよ。やっぱり頭に二本角があって」
「ハンサムな人だったよ」
ラギとシス。
「へー。私も見たかったなあ」
ゆりが言った。
「お母さんは、何があるかわからないからだめだって」
ラギが言った。
「何があるかわからないって……ひどい」
「王妃、この蛇、王妃の部屋に持っていったらいい」
ハザークが言った。
「え？ いいですよう。使者さんはハザーク様にくれたんだし、でもせっかくだからちょっとの間王の間に置いておいていいですか？ みんなに見せてあげたいんです」
「好きにしたらいい」
「では借りますね」
シス、アナスターシャ、ナナミは蛇と一緒に移動し、ゆりとラギは歩いて部屋を出て行った。麒麟の使者はすでに城から離れていた。城の北の街で一泊し、フリットが北の国境まで
明日送ることになったようだ。
ハザークは先ほどの使者とのやりとりを思い出している。
「申し訳ありません。ハザーク様のご厚意を、我らは別のことに使ってしまいました。それをまず詫びねばなりません」
使者はまず、挨拶をしてから、ハザークの前で片膝をついて謝っていたのだった。使者は二人来ていた。一人は壮年の男、もう一人は、若めの男だった。
どちらも二本の枝分かれした角が頭についている。角はそんなに長くはなかった。
「そうなのか？ 別にどう使おうが、我はかまいはしないが」
「長老は、ハザーク様を心の支えにしておりました。商人から噂を聞いていたので、自分よりも長生きをされている方がいるということが、長老にとっては励みになっているようです。
しかしこのように若い方とは思いませんでした」
「いや、我は見かけが若いだけだが……」
「私の口から、ハザーク様の風貌を伝えさせていただきます。長老は私が帰るのをとても楽しみにしておりますので」
ほとんど話していたのは中年の使者の方だった。若い男の方は目を輝かせてハザークを眺めている。
少し話して、使者は長老からの手紙を置いて去って行った。
誰かからの手紙というのもハザークにとってはかなり久しぶりのことだったが、こんなにも離れた所にいる者から手紙をもらったのは初めてである。
手紙は二通入っていた。一枚はかなり達筆な文字であったが、ところどころわからないところがあった。もう一枚は、それを他の者が書き直した物らしい。
世界共通の文字があるとはいっても、その国々で文字も変化を遂げ、違う使われ方をされている文字もあるのである。
ハザークがちゃんと理解できるようにしてくれたようである。
手紙にはまず、挨拶があり、続いて太陽の石のことが書かれていた。どうやらあちらはあの石を見て、「太陽の石」だとわかったようである。
「このような貴重な品をいただき、誠にどう感謝の言葉を述べていいやらわかりません」と書かれていた。
そして、自分の体を気遣ってこの石を贈ってくださったのに、別の使い方をしてしまいました。申し訳ありません、と、使者が言ったのと同じことが書かれていた。
ハザークが石を何に使ったのか、と聞かなくても、先ほど来た使者はもう少し踏み込んだことを話してくれた。
「実は、神を呼ぶ儀式に利用させてもらったのです。戦の前には、我らは太陽の神アリアス様を称える儀式を行います。
『戦の前に、どうかお声をかけてください』とお願いいたしましたなら、召喚の儀が成功し、アリアス様はおいでくださいました。
太陽の石のおかげでございます」
ハザークは「ほーそれはよかったな」とその時返していた。
アリアスが来たのが本当に石のせいかどうかはわからないが、麒麟の一族の者達にとっては、喜ばしいことだったのだろう。
長老からの手紙には、最後にはこう書かれていた。
「ハザーク様、今生では会うことはかないますまいが、彼岸の先か、その先の来世でお会いできたなら、と思っております。
もっともこの生がいつ終わるのかそれすらわかりませぬが、私も今は、この長い生も悪いものではない、と思っているのですよ。
では、お体に気を付けください。 アズラハーン」
長寿の麒麟の名前は、アズラハーンというらしい。
「来世か、もし我にそんなものがあったとして、来世の我は、普通に死にたいと思うのか、長生きしたいと思うのか、どちらだろうなあ……」
そんなことを考えたハザークだった。
王の間に置かれた水晶の蛇は、しばらく注目の的だった。新しい棚が置かれて、蛇はその上にのせられている。
その蛇の前には「ロイは触らないように」とラギの注意書きが置かれていた。絶対壊されると思っているようだ。
「ミーはさわっていい？」
ミシェイラも触りたそうにしていたので、「なでなでするだけだよ」とラギに言われて、ミシェイラは水晶の蛇をなでなでしていた。
「本当に立派な蛇ですね。過去の時代でもこれほど立派なものはなかなかお目にかかれなかったですよ」
ハインリヒもしげしげと眺めている。
「本当にねー。りりしい蛇よねー」
ゆりもハインリヒと一緒に眺めていた。水晶の蛇は、何度見ても飽きることはない美しさだ。
「それで、この蛇は太陽の石のお礼なんですよね？ 太陽の石って、どうしてもらったんでしたっけ？」
ハインリヒが聞いた。
「え？ さあ、どうだったっけ？」
とゆりははぐらかしている。
「せっかくだから博物館に置きたいんだが、ハザークはどう言うだろうかなあ？」
ラクシュミがゆりに聞いていた。
「ハザーク様ならいいっていうんじゃないかな？」
「そうか？」
その後水晶の蛇はハザークの元に数日置かれて、博物館に移動することになった。博物館の館長は、目玉が増えて喜んでいることだろう。
暦が６の月に入り、今年の妊娠状況が城に届けられた。
ゆりが王の間に呼ばれていくと、イシュタールがやってきていた。ラクシュミはご機嫌である。
「ゆり、今年はいい年だぞ。ヴィラと、イシュタールと、シャナーンの彼女が妊娠したようだ」
ラクシュミに言われてゆりはえっと驚いていた。
「イシュタールの彼女はなんと二人も」
「えー、すごいね。よかったね」
ゆりはそばにいたイシュタールに言った。
「そうなんですが、一人は私の子供かどうかわからないんですよ。彼女は今年は別の男性とも過ごしていたので」
イシュタールは笑顔で言っている。
「そうなの？ でも一人は確実なの？」
「たぶん、確実です」
「そうなんだ。よかったねえ。じゃあ私はこれでー」
ゆりはさーと王の間を出て行ってしまった。
「シャナーンがこんなに早くとはな」
「本当ですね。よかったですよ」
という二人の声が聞こえてきた。
ゆりはその後は庭園に行って、東屋でしばらく一人で座っていた。
目の前を黄色いちょうちょがひらひら飛んでいる。今日もぽかぽかいい天気だった。
ヴィラは普通に赤い月を過ごしたんだ。よかったな。シャナーンもかあ……
ゆりの脳裏に、子供のころのシャナーンの顔が浮かんで消えた。
シャナーン……
自分を慕う、王子様のようなかわいいシャナーンに子供ができるのだ、と思うと、ゆりもなんとなく寂しいものを感じてしまった。
昔はみんなの子供ができても普通に喜べたのになあ……ガーベラ様になってる影響かしらん。独占欲が強くなってるのかもなあ……
ゆりはぼんやりと庭園の花々などを眺めていた。
（シャナーンに会ったら、笑っておめでとうって言おう）そんなことを考えていたら、目の前にヴィラがやってきていた。
「あ、ヴィラ、彼女が妊娠したんだって？ おめでとう」
「どうも」
黒目のゆりは視線をずらして、すぐに引っ込んでしまった。
「おめでとーヴィンセントが喜ぶねえ」
と蛇の目のゆりもお祝いの言葉を言っていた。
「どうして急に変わったんですか？」
ヴィラが聞いていた。
「え？ 私がお祝いを言いたかったから」
「そうですか」
「もう少しでジュノーの子供が生まれるね。男か女どっちなんだろうね」
「……王妃、ちょっとお願いがあるんですけど」
ヴィラはちょっと考えて言った。
「何？」
蛇の目のゆりは瞬いていた。
黒目のゆりがはっと目を開けると、視界に見えたのは天井だった。
「あれ？」
自分は庭園にいたはずだが、いつの間に移動したのだろうかと思ったが、その前におかしなことがあった。身体はベッドに横たわっているようだ。
身体の上には布団がかけられていたが肌はじかに布団に触れている。裸のようだ。しかも両手は真上にあがり、全く動かなかった。両手は何かで縛られているようである。
「え？」
なぜこんな状況になっているのか、と思っていると、横からぬっと顔が出てきた。ヴィラである。
「気づきました？」
「え……どーいうこと？」
ヴィラは上からジーとゆりを見下ろしていた。
「……あのお、あっちの私と何しようが勝手だけどさ、私にばれないようにしてくれないかしら？」
ゆりは引きつった顔で言っていた。ゆりは、もう一人の自分がヴィラとこういうことをして遊んだ、と思ったようである。
「あっちの王妃とは何もしてないですよ？」
「じゃあなんでこんなことになってるの？」
「王妃、王妃が赤い月前にあんなことを言うから、私は今年は赤い月にまったく集中できませんでしたよ。どうしてくれるんですか？」
ヴィラはいつもの吊り上がった目でゆりを見下ろして言っていた。
「え？ そーなの？ ごめんなさい……でも、あれ？ ヴィラの彼女妊娠したんでしょ？ 完全に集中してたじゃない」
「集中してなかったんですけど、できました」
「あ、そ。なら集中しないほうがよかったんじゃない？」
わきをくすぐられて、ゆりは「ひゃははは」と笑っていた。
「もー手が痛い。これ、外して」
「動かなきゃ痛くないですよ」
「一体どうしたの？ ミカエルにもこんなことされたことないのに」
「王妃が悪いことを言ったから、お仕置きですよ」
お仕置き？
ゆりは気が遠くなりそうだった。
「他の男には言ってないでしょうね」
「言ってません。もう二度といいません。だから外して」
「うーん、どうしようかな」
ヴィラは面白そうに言っている。
「……あの……一応私、王妃様……」
ゆりは確認するように自分で言っていた。
「じゃあ私に愛してるって言ってくれたら外します」
「……昔、王様以外にはそういうこと言わないようにって言ったのはヴィラじゃなかったっけ？」
「そうですよ。でも昔と違って今は、あなたがそう言ったところで、あなたと王の関係が変わるわけじゃないでしょう？ あなたと私が抱き合った夜、あなたは私に『愛してる』
って言ってくれたんでしょうかね。どう思います？」
「さー……」
「じゃあ考えてみてください」
「…………」
今はどうもヴィラと目を合わせるのが怖かったので、ゆりは視線をうろうろ移動させていた。なぜこんなことになっているのか、ゆりにはさっぱり不明である。
しかも相手がミカエルやハインリヒならともかく、ヴィラなのだ。
「ちゃんと考えてください」
耳元でささやかれて、ゆりの体はびくっと痙攣していた。
「考えた。もしかしたら、言ったかも」
「かも？」
「たぶんいったかな」
「じゃあ、『他の女を抱かないで』って言ったのは、私を愛してるから言ったんですね？」
「そーかも」
「かも？」
「そーです。たぶん、いや、まあ、そうかな」
ゆりはしどろもどろである。
「ならしょうがないですね。でも、私も一族の男としての務めがあるので、しょうがないんですよ？」
「わかってます。ごめんなさい。もう言いません」
ゆりは完全に下に出て謝っていた。
「あの、いい加減手を外して」
ヴィラはようやくゆりの手のひもを外していた。ゆりは手が解放されてほっとしている。
ゆりはさっさと服が着たいと思い身体を起こそうとしていたが、ヴィラはゆりの体をまた寝かせていた。
「せっかくだから思う存分愛してあげますよ」
「え？ いえ、もうそういう気分じゃ……」
ヴィラは紐をゆりの目の前でぶらぶらさせている。
「うれしいー……」
ゆりは低い声で言っていた。
「そうでしょう」
「あの、本当にヴィラ？ だれか乗り移ってない？」
ゆりはいつもと違うヴィラについそう思った。
「いつもの私ですよ？」
「ミカエルやハインリヒとキャラがかぶるから、やめてほしいんですけど」
「たまにはいいじゃないですか。愛する男の別の面が見れてうれしいでしょ？」
「うれしくないよ」
ヴィラは笑みを浮かべて紐を揺らしている。
「うっれしーな♪」
ゆりはやけくそ気味に言っていた。
なんなんだ……
ヴィラに愛撫されても、今日はなかなかそういう気にはならなかった。
「今日は素直じゃないですねえ。もっと声を聴かせてくださいよ」
「だって、ヴィラが変すぎるし」
「私の気持ちを教えてあげただけですよ？ 言うだけじゃ王妃はわからないでしょ？」
「いや、もう十分わかってます」
「本当ですか？」
「本当です」
「じゃあ抱き締めてください」
「うん」
ゆりが素直にヴィラの身体に手を回すと、ヴィラはぷっと笑っていた。
「何？」
「王妃はハロルド様には対等に物を言ってるんでしょ？ なんで我々にはこんなに弱いのかなあと、ちょっと不思議で……」
「うーん、なぜだろう？」
ゆりは自分でも疑問だった。
「私が王妃に危害を加えるはずはないって、王妃だってわかってるでしょ？」
「わかってるよ。でも、お仕置きの言葉ははちょっと強烈だったよ？」
「ふふ……気に入ったんならまた縛ります」
「いや、気にいってないよ。でも、ああいうことするのは私だけなら、うれしいかな……」
ゆりもしまいにはそういう気になり、ヴィラに抱き着いていた。
王の間にはジェダンやザメハがやってきて、妊娠女性のリストを一緒に眺めている。そして、「今年はまあまあですな」「いや、良い方ですよ」などと言い合っていたところだった。
そこに微妙な顔つきのミカエルがやってきた。
「王、妊娠した女性のリストにもれがありました」
「へーまだいたのか。だれだ？」
ラクシュミが顔を向けた。
「カーラさんです」
「……ん？ カーラ？」
ラクシュミは一瞬、どのカーラかわからなかった。
「カーラさんが再びキース将軍の子供を妊娠したようです」
ミカエルは、一言一句噛みしめるように言った。
「「「えー！」」」
驚きすぎたラクシュミは立ち上がり、ジェダンは女性のリストの紙を落としていたのだった。
つづく
戻る
目次