第４０話
ぼちぼち気温も上昇する季節になっていたが、今日も朝から日差しは暖かい。朝の目覚めがつらい時期でもある。
このままもう少し目を閉じていたい、と思いながら仕方なく目を覚ましたジュノーは、自分の横に蛇がいるのを見た。
蛇が知らないうちにベッドに上がっていたからといって、一族の者にとってはなんてことはない。
ジュノーも別段なんとも思わずにあくびをしつつ、体を起こしていた。
「あーあ……」
ベッドの上には二匹の蛇がいた。どちらも緑色の蛇である。蛇の長さは結構違っていた。一匹は２メートルほどの長さ、こちらはへびっちである。
もう一匹は60センチほどの蛇だった。こちらはへびっちよりも色が薄い。
「…………」
ジュノーは頭をかきながらその蛇を見下ろしていた。なんだかよく見たことがある蛇である。ジュノーはしばらくその蛇を見下ろしていたが、その蛇は、どうも自分がよく
知っている蛇に似ている気がした。ジュノーはいぶかしげな顔つきで、自分の右袖のシャツを肘の関節あたりまでめくっていた。
ここ最近は、ジュノーは綿の丸首のシャツを着て寝ている。
袖を命一杯上に手繰り寄せて、ジュノーは左腕の袖もあげていた。続いてシャツを脱いで自分の上半身を見ている。
「え……ええええっ？」
ジュノーは大あわてでズボンも脱いでいた。そして姿鏡で自分の背中を見たりもしている。
ジュノーの顔がさーと青くなってきた。
「……嘘だろ……嘘、嘘、嘘だ。嘘だ！ 嘘だー！ 子蛇がいない！ いない、いない！」
ジュノーにはもともと腰に自分の蛇がいたが、その蛇はちゃんといた。しかし、ゆりからもらった子蛇の方が肌にいないのである。
ジュノーははっとベッドの上にいる蛇を見て顔を寄せた。その蛇は、自分の子蛇にそっくりだったのである。
「まさか、まさか、嘘だろ？ 嘘だよな？ 嘘だ」
へびっちがどうしたの？ とでもいうかのように顔を向けた。
「嘘だ。嘘だ。うそだー！！！！！」
続いて「ぎゃああああ！」というジュノーの悲鳴もあがっていたのだった。
朝っぱらからジュノーに呼び出されたヴィラは、ジュノーの屋敷に来ていた。ヴィラは顔を洗って着替えた所なので、朝食もまだ食べていなかった。
ヴィラがジュノーの寝室に来ると、ジュノーはむすっとした顔でベッドの横の椅子に座り、人になったへびっちがベッドの上で正座をしていた。
「一体どうしたんだ？」
険悪な雰囲気にヴィラが聞いた。
「聞いて驚け。朝起きたら、私の子蛇が外に出てた」
「え？」
「子蛇がベッドの上にいたんだ」
「……夢じゃないのか？」
「本当なんだ。外に出てた」
「それでどうしたんだ？」
「元に戻ってくれとものすごくお願いしたら、戻ってくれた」
「ほお……よかったな」
ヴィラは立ったまま言った。
「よくないだろ。お前、朝起きたら私の肌の蛇が出てたんだぞ？ もっと、もっと驚くだろ？ 普通は」
ヴィラはびっくり仰天ってほどもなかったので、ジュノーがまくしたてるように言っていた。
「いやだって……いきなり信じろと言われてもなあ……へびっち、本当のことなのか？」
信じられなかったヴィラはへびっちに聞いている。へびっちはちょっと神妙な顔つきで、うなずいていた。
「えーそういうことがあるのか……」
ヴィラは思わず自分の子蛇を服の上からなでていた。
「まさか外に出るなんてなあ……」
「問題はここからだ。へびっちが、どうも私の子蛇を誘ったようなんだ」
「え？」
「じゃなきゃ子蛇が外に出るのもおかしいだろう？ 今までそんなことなかったんだから」
「まさか」
「そうなんだろ？ へびっち」
ジュノーが聞くと、へびっちはなんとうなずいている。ヴィラは口を開けていた。
「へびっちはなあ、別に私が好きだから私の肌にいたんじゃなかったんだ。私の兄弟蛇を外に出そうとして私の肌にいたんだ」
ジュノーがむっとした表情で言っていた。へびっちは横に首を振っている。
「違うと言ってるぞ？」
とヴィラ。
「いや、たぶんそうに違いない」
へびっちは自分の横にあったスケッチブックに何かを描いている。そしてそれをジュノーに見せた。
紙には、でかいハートと、「スキスキ」と書かれていた。
「へびっちは、お前が好きは好きらしいな」
「好きでもだめだ！ もー私の肌には入れてやらないからな」
ジュノーは完全に怒ってしまったようである。
「へびっちはなぜジュノーの蛇を誘おうとしたんだ？」
ヴィラが聞くと、へびっちはまた紙になんか描いていた。そしてヴィラに見せている。大きい蛇が一匹に、小さい蛇が５匹いる。
「ああ、なるほど、ジュノーの子蛇も子供作りに参加させたかったんだ？」
へびっちがうなずいていた。
「へびっちとしては、仲間をいっぱい増やしたかったんだな。まあそう怒るなって」
ヴィラがジュノーをなだめるように言った。
「子蛇が出たままじゃなくてよかったな」
「全くだ。へびっち、私の蛇はもう私のものなの。出られると困るんだ。誘うなら、ヴィラの子蛇をさそってくれ」
「え」
ヴィラの顔が引きつっている。へびっちがヴィラを見た。
「いや、いやいやいや私も困る。へびっち、みんな子蛇を愛してるんだ。だから外に出したくないんだ。悪いが……」
へびっちはちょっとうらめしげな表情を向けていた。最近人間の表情を学んできたのか、へびっちは前よりも表情が豊かになっている。
「へびっちが一人でがんばってるのは偉いと思うぞ。いっぱい彼女を作って頑張ってるのもすごい。だけど、他の子蛇はそれを手伝えないんだ」
へびっちはじーとヴィラを見ている。
「ごめんな。しばらくイシュタール殿のところに帰ろうな」
ヴィラもさすがに自分の肌に来いとも言えなかったので、ヴィラはへびっちをイシュタールのところに連れて行ったのだった。
朝、ゆりが自分の部屋にいると、人になったへびっちがやってきた。へびっちはなんだか寂し気な表情で、ゆりを見るとゆりに抱き着いていた。
「どうしたの？」
ちょっと遅れてイシュタールもやってきた。レーヌは侍女が庭園に連れて行っている。イシュタールはちょっと困った顔つきだったので、ゆりは、
「何かあったの？」
と聞いた。
「実は、へびっちがジュノーの子蛇を体の外に誘いだしてしまったようなんですよ」
イシュタールの説明に、ゆりは目をまん丸くしている。
「え？ 本当なの？」
へびっちを見ると、へびっちはうなずいていた。
「へびっちー……」
「それでジュノーが怒ってしまって、もう身体に入れないと言ったそうで」
「そりゃ怒るわよ。どうしてそんなことしたの？」
ゆりはへびっちの顔を見て聞いた。
「仲間を増やしたいと思ったんじゃないでしょうかね」
とイシュタール。
「仲間かあ。でも、へびっちは特別すぎるのよ？ ジュノーの蛇が外に出ても、人になってへびっちと遊んでくれるわけじゃないのよ？」
へびっちは首を横に振って何かを訴えている。
「遊びたいんじゃないんだ？ じゃあ何？ もしかして、恋人が多すぎて大変だから、ちょっと譲りたくなったとか？」
へびっちは赤い月後かなりぐったりしていたようなので、ゆりはそう思った。へびっちはちょっと考えるような顔をしていたが、横に首を振った。
「じゃあなんだろう？」
へびっちは両手を大きく広げて円を描くようなしぐさをしている。
「いっぱい？ いっぱい……子供がいっぱいほしいから？」
ゆりがそういうと、へびっちはうなずいていた。
「そっか。他の子蛇にも子作りに参加してほしかったんだね。まあへびっちの気持ちもわかるけどねえ、そんなに無理して増やさなくていいからね」
ゆりはへびっちの背中をなでなでしていた。
「王妃、私は仕事なんで、へびっちを置いていってもいいですか？」
「もちろん。いいよ」
「また夕方に来ますね」
イシュタールは去って行った。
それにしても、まさか子蛇が肌から出るなんてびっくりだわ。ジュノーもそりゃ驚いただろうなあ……
ゆりはジュノーが驚きまくっているところを想像していた。
まさか肌から出るなんて……あれ？
「ジュノーの子蛇はどうなったの？ 外に出たまま？」
へびっちは腕を示している。
「元に戻ったんだ？ よかった」
ゆりはほっとしていた。勝手にどっかにいかれたんじゃ、ジュノーも大変だろう。
ゆりはへびっちがどうやってジュノーの子蛇を誘ったのか想像していた。
『外の世界はこんなに素敵なんだよ。君もおいでよ〜』
『行ってみようかな？』
こんな感じかしらん？ それとも……
『君も外に出て恋人を作ろう。そして仲間を増やそうよ』
『そうだね』
こうかも？
どちらにせよ、ジュノーには迷惑な話ではあるが。
二人がいる部屋にハインリヒが訪ねてきた。
「ん？ へびっちはどうしたんですか？」
へびっちはまだしょんぼりしてゆりに引っ付いている。ゆりはジュノーの事件を説明した。ハインリヒは当然驚愕である。
「え、へびっち以外の子蛇も外に出るんですか？」
「そーみたいね。私は見てないけど。まあ子蛇は外からやってきた蛇だからねえ。そういうこともできたのかなあ」
とゆり。
休憩時間にゆりの顔を見に来ただけのハインリヒは、驚いたまま部屋を出て行った。
城の庭園はぽかぽか暖かかく、レーヌはミシェイラと遊んでる。それを侍女が見守っていた。
休憩時間に庭園に来たシスは、ぽかぽか陽気にぼんやりしていた。するとロイが瞬間移動でやってきた。ロイは顔も体も泥だらけである。しかも手に布袋をさげている。
「ロイ、何してたの？」
シスが聞いた。
「メメントとってきたの」
ロイは布袋を下げている。袋はごそごそ動いていた。
「メメント？」
「パパにあげるんだ」
「こらこら、やめてよ。また怒られるよ。僕たちも大変なんだから」
シスがあわてていると、ロイは、「パパに頼まれたんだよ？」と言った。
「え、ハザーク様が？」
「うん、パパも好きなんじゃない？」
「本当に？」
「先月もあげたよ。僕こんな格好だからさ、ニーがもってってよ」
「えええ！？」
「はい」
ロイは強引にシスに布袋を渡して去って行った。
「ぎゃう……にゃう……」
と布袋からあやしい鳴き声が聞こえてくる。
「ハザーク様がメメントを食べるって？ まさか……」
シスはロイを疑ったが、念のためにハザークの部屋に行き、「ハザーク様、ロイがメメントを頼まれたって言ってとってきたんですけど？」
と聞いてみた。
ハザークは顔を向けて、「ああ、頼んだ。ありがとう」とお礼を言っている。
「あれ？ ハザーク様、メメント食べるんですか？」
シスはついハザークに聞いてしまった。
「いや、我じゃない。部屋の外に置いておいてくれ」
「はい、わかりました」
シスはハザークの部屋の前に布袋をおいておいた。
メメントとは、オオサンショウウオの仲間で、黒っぽい生き物で、ゆりが妊娠した時に食べている物だった。シスも見たことはあるが、あまりおいしくはなさそうな物でもある。
メメントは妊娠した母様が……あれ？ じゃあ、誰か妊娠して？ え？ もしかして侍女さんが？
ハザークが食べないとなれば、食べるのは侍女しかいないのでシスはそう思った。だが、確証はない。
もしかしたら、普段からたまに食べていた可能性もあるかもしれないのだ。
侍女さんが妊娠となれば、相手はへびっちで、ってことは、母様の孫が誕生？ となると僕たちとの関係は？ えーと、どういう関係？
シスは混乱しつつ、とりあえず今のことを考えてもらおうとラギを探しに行ったのだった。
ラギも驚いていたが、ラギが調べたところ、妊娠した大蛇はメメントをよく食べるそうなのだが、妊娠してなくても食べることがあるそうだ。
「じゃあ、まだ確証はない？」
シスが聞いた。
「まあ、いよいよとなればハザーク様も教えてくれるんじゃない？ 騒いで違ってたらまずいしねえ」
「そうだよね」
二人はどきどきしながらも、このことはまだ言わないことにした。
夕方になり、イシュタールはへびっちを引き取りにきた。ゆりはラクシュミにこの話をして、ジュノーにへびっちの代わりに謝ったりもしている。
ラクシュミもこの件には驚いていたが、「カーラの妊娠の方が驚きがでかい」と言っていた。カーラが今後どのようになるのか、ラクシュミはちょっとびびっているらしい。
実際目の前でジュノーの子蛇がぴょんと出てきたらラクシュミも驚くだろうが、聞くだけではどうも実感がわかない話である。
へびっちはずっとしょんぼりしていた。ジュノーに嫌われたのが悲しかったようだ。
その夜のこと、久しぶりにミカエルはハインリヒから「今夜一緒に飲もう」と誘われて、ミカエルの屋敷にハインリヒがやってきていた。
ミカエルもラクシュミから思念でジュノーのことを聞いていたので、二人は酒飲の間で酒を飲みながらその話をしている。
「まさかへびっちがそんなことを考えるなんて……」
「そうだなあ……ところで、今夜泊っていい？」
ミカエルの向かい側にいるハインリヒが聞いた。
「なんでだ？」
とミカエル。
「いやあもう、かなり飲んだようだ。移動がおぼつかない」
ハインリヒは顔を揺らしながら言っている。
「そんなに飲んだか？」
空になった瓶は１０本程度である。ミカエル達にすれば、少々飲んだくらいのものだ。
「今日はなぜか酔っぱらった」
確かにハインリヒの体が揺れている。
「じゃあ送ってやろうか？」
「いや、ミカエルと一緒にいたい」
「え……？」
「たまには夜が更けるまで語り明かそう」
ハインリヒはじーとミカエルを見つめて言っていた。
「え、どうしたんだ？」
今夜のハインリヒは、どうも様子が変である。
「一緒に寝転んで、今後の国の行く末でも語ろう」
「は？ 何不気味なこと言ってるんだ？」
ミカエルは椅子ごと後ろにずれている。
「別にいいじゃないか」
「いや、私はそーいう趣味はない」
「別に何もしやしない。優しくするから」
「いや、優しくしなくていい」
「じゃあ痛くてもいいのか？」
「何言ってるんだ！ そういう趣味はないって言ってるだろ！？」
ハインリヒが立ち上がって近づいてきたので、ミカエルも立ち上がって後ずさっていた。
まさか突然こんな展開になるとは、とミカエルはかなりびびっている。
「何をびびってるんだ？ 私だってそういう趣味はないぞ？」
といいながらハインリヒはミカエルにじりじり近づいている。
「じゃあ来るな」
「仲良くしよう」
「いやだ！」
「大丈夫。痛くしないから」
「痛くなくてもやだ！」
心底怖かったミカエルは自分の屋敷にもかかわらず、そこから逃げてしまった。
「あ、くそっ！ うーん、もっとそれとなくやるべきだったか……」
ハインリヒは悔し気である。
子蛇が肌から出ると聞いたハインリヒは、どうにかしてミカエルの肌についた自分の子蛇をはがしてやろうと思ったのだった。
（子蛇をはがして、ドルイドにくっつけよう！）
そこまで思いついていたのである。ミカエルは屋敷から逃げてしまったので、ハインリヒは仕方なく帰って行ったのだった。
「フフ、フリット、起きろ！ 起きろー！！」
今日は早めに寝ていたフリットは、突然ミカエルに揺らされて起こされていた。
「な、なんだ？ ミカエル？」
ミカエルの顔は青ざめている。
「どうしたんだ？」
「フリット、よく聞いてくれ。ハインリヒが、ハインリヒが私の尻を狙ってる」
ミカエルは震える声で言っていた。
「はあ？」
「あいつはそういう趣味があったんだ。まさかそういう目で私を見てたなんて！ 他の奴ならあしらえるがあいつはだめだ。
私よりも強い奴に狙われたらどうしたらいいんだ？ 突然寝室に来たらどうしよう！」
ミカエルは本気でハインリヒに襲われる心配をしていた。
「……まあ落ち着け」
フリットは体を起こしてミカエルの肩をぽんぽんたたいていた。ハインリヒとミカエルの間に何があったのか、フリットにはさっぱりわからない。
ミカエルはフリットの両腕に手をあてていた。
「当分一緒に寝てくれ」
「ええ！？」
「こんなことお前以外には頼めないし……あ、そうだ。王妃に頼もうか。しかし、男に狙われてる、なんて言いたくない。しかも最近はハロルド様と鉢合わせる可能性もあるし、
それも怖いし、やっぱりお前しか……おい、寝るな」
フリットはいつの間にやら寝転んで背中を向けていた。
「私は真剣なんだぞ！？」
「あのな、いい年をした大人なんだぞ？ いい加減にしろ」
フリットは背中を向けたまま言っていた。
「いい年した大人でも怖いもんは怖い！ お前が無視するなら、ロアンナさんに一緒に寝てもらうからな！」
「もー好きにしてくれ」
「お前ってやつは、親友が男に手籠めにされても平気なんだな」
恨めし気な声が聞こえてくる。
フリットはため息をつきつつ、ハインリヒに「ミカエルがなんかおびえてるんだが」と思念で聞いていた。
変な噂が立つと困ると思ったハインリヒは、正直に理由を話している。
（全く……何やってるんだか……）
フリットがハインリヒと思念でやり取りしている間に、ミカエルは寝室の棚の扉を開けて、勝手に布団を引っ張り出していた。
「ハインリヒはもう帰ったようだぞ？」
「いや、罠だ。私はあっちのソファで寝る」
「もう大丈夫だって」
「いやだ。今日は帰らない」
ミカエルは布団をかついたまま横の部屋に行ってしまった。
「やれやれ……」
しかしよっぽど怖かったんだな……
先ほどのおびえたミカエルを思い出し、くっと笑ってしまったフリットだった。
つづく
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