番外編

神の国早朝、その日は朝から騒がしかった。火の神サラディンが闇の世界から、人間を二人助け出したのである。

男は息も絶え絶えで、女の方はすぐに癒やしの泉に入れられた。

「女性は蛇の国の王妃なのですか？」

アシュランからその話を聞いたグレンはかなり驚いていた。闇の世界の人間がたまにこちらの人間を連れて行っているということはグレンも知っている。

しかし、彼らは位が高い人間は狙わないものだと思っていた。

「ああ、王妃だ」

「男は王ではないのでしょう？」

「違う。王だったならそれこそ大事だ。まあ、これでも大事なのだが……男は死にかけてるから半妖精にすることにした。うまくいくかわからんがな」

「半妖精ですか……」

「失敗したらどうしようかなあ……」

アシュランは少々のんきに言っていた。


（蛇の国の王妃といえば、ハロルド様が気に入っていた女性だ。ああ、ハロルド様は何かを察して、ジェイク様を下ろしたりしていたのか……）

グレンは蛇の国の王妃のことを思い出して、そこまで推測していた。最近ハロルドは慌ただしく人間界と神の国を行ったり来たりしていたのである。

（まさか王妃が闇の世界に行ってしまったとは。ハロルド様も気が気じゃなかっただろうに……）

グレンはかなり初期に生まれた神である。闇の神がこちらに共にいた時にもグレンは存在していた。

神々は争い、二つの世界へと別れた。その時もグレンはいたのだが、その頃のことはあまり記憶にない。

しばらくすると神々の噂にその話題が上がることもなくなっていた。


アシュランと闇の王の間では様々な取り決めがあるようだが、グレンもそのすべてを知っているわけではない。

アシュランのすぐ側にいるグレンにも、知らないことが多々あるのである。


闇の世界から助け出された二人は、神々の噂にもなっていた。

「王妃は恋人を助けに闇の国に行ったらしい」

「なんとも勇ましいことだな」

王妃には夫の他に恋人がいるらしかったが、人間達の恋愛観はそれぞれ違うので、神々もそこはあまり気にしなかったようだ。

その王妃の顔を見たがって、いろいろな神が癒やしの泉をうろうろしていた。


グレンもつい癒やしの泉に王妃の様子を見に行っていた。

すると、王妃の身体が泉の底から上がってきた。

（あ……）

水面にあがった王妃は目を開けて、グレンを見上げていた。

「グレン」

（え？）

王妃は目を閉じてしまった。

（私のことを知っている？　なぜだろう？）

グレンは蛇の国の王妃に顔を見せた記憶がなかった。なぜ自分のことを知っていたのか、グレンにはさっぱりわからない。自分の顔を知る人間は、聖地の神官くらいの

ものなのだ。クーリーフンからは「気のせいじゃない？」とあっさり言われてしまった。


（聞き間違えたのだろうか？　うーん）

その後グレンは王妃と会話をしたが、王妃のことが気になってしょうがない、とまでは思わなかった。ただ、（ハロルド様が王妃を気に入る理由が分かる気がする）、とは

思っていた。


ところが後日、王妃は神の国に再びやってきた。なんと、闇の世界の女神に襲われて、またもや癒やしの泉に沈められたのである。

人間が二度も癒やしの泉を使うことはかなり珍しい。しかも闇の女神に襲われたとなれば、癒やしの泉でも癒やせない場合があるのである。

幸い王妃は回復し、人間界に帰ることができるようになった。


その時、アシュランは王妃に奇妙なことを言っていた。

「神と同衾して、神気を体の中に取り入れれば襲われないんだ。誰かに頼むか？」

アシュランの言葉に、裏にいたグレンはつい、耳をすましていた。アシュランがなぜそんなことを言い出したのか、さっぱりわからなかったからである。

「男の神に頼むとしたら誰がいい？」

王妃はあっさりと「だれにも頼みませんよ」と返していた。

アシュランがしつこく聞くと、王妃は「相手をお願いするなら……グレン様ですね」と返したのである。

アシュランも意外だったろうが、裏にいたグレンもかなり驚いてた。

（この場合ハロルド様でしょう。なぜ私を？）

王妃は「ハロルド様はガーベラ様の恋人なので考えられない」というようなことを言っていた。


（なるほど、ガーベラ様に遠慮して……それにしても、なぜ彼女は、何度か話しただけの私の名前を出したのだろう？）

グレンにはそこが謎だった。

（普通は私の名前は出さないだろう）

神ともし愛し合えるとしたら、普通の女性はハロルドやアリアス、ジュライなどの力が強く見目麗しい神を選ぶものだろう。

アシュラン本人を指名する強者もいるかもしれない。

（王妃はハロルド様とはすでに仲が良いものと思っていたが？　今更ガーベラ様に遠慮するというのも変だな）

王妃の子供にはハロルドの加護がついていたのである。ハロルドが「王妃の寝所に忍んでいった」とその時言っていたことをグレンは思い出していた。

（ハロルド様との関係は、アシュラン様には秘密にしておきたいから言わなかったのだろうか？　そうかもしれないな）

そのくらいの理由しかグレンには思いつかなかった。


アシュランに「あの王妃のことどう思う？」と聞かれたグレンは、つい「あの王妃は、聖地の人間の100倍ほど、好感が持てますね」

などと言ってしまった。

（好感が持てる女性であることに違いはない。今後出会うことはないだろうが……）

その時はグレンも本気でそう思っていたのだが、まさかその王妃が時々ガーベラになっていたとは、しかも、ライサが生まれたきっかけを作ったのも彼女の時

なのである。その上儀式では愛し合ってしまった。一時はこれで身を引こうとしたのだが、引くことはできなかった。


「グレン、ガーベラの恋人になったそうだな」

ハロルドからは不機嫌そうにそう言われてしまった。グレンとしても、返答に困る所である。

「しかもアシュランに恋人になる許可までもらうとは、ガーベラも何考えてるんだ……」

ハロルドはぶつぶつ言いながら通り過ぎて行った。

あの時のアシュランには、グレンも驚いたものだった。てっきり「不相応だ」と思われると思っていたのだが、「好きにしろ」と言われるとは。

結果として、ガーベラと恋人になってもいい、とアシュランに認められたことになったのだった。

（あの時はなぜあんな話になったのだろう。今でもさっぱりわからないが、オルガ様やラクア様とは顔を合わせづらい。こういうときはライサがいてよかった、と

思ってしまうな……）

ハロルドにいくら不機嫌になられようと、グレンも今更後には引けなかった。

人としての生を全うしたならば、もう一人のガーベラはいなくなってしまうのである。自分のためにそこまでしてくれたガーベラの気持ちに、応えたい。

（今度あちらのガーベラ様に会ったら、あの時のことを聞いてみようか。あの時なぜ私の名前を出してくれたのか、聞いてみたい……）


ある日、グレンが雲の上の神殿でぼんやりしていると、ライサが近づいてきた。アシュランは今は不在である。アシュランが不在の時は、グレンにとっては休憩時間ということになる。

「お父さん、さっき妖精のニイニ様からこれを預かりましたよ。お父さんにらしいですよ」

ライサは麻の袋をグレンに渡した。そんなに大きくはない袋である。

「私に？　なんだろう？」

麻の袋を開けると、青い伝言貝が一つと、真っ白い大きな貝殻が二つつながったものが入っていた。

「？」

「貝、ですよね？」

ライサは白い貝殻を見て首をかしげている。

「なんだろう？」

グレンは伝言貝を耳にあてた。

『やあグレン、ガーベラ様と仲良くしているかい？　この前ガーベラ様がこちらに来たとき、宴席でそれを胸につけて踊ってくれたんだよ。

あの美しさは今でも話題にのぼっているくらいさ。せっかくだからそれをガーベラ様につけてもらったらいい。まさにガーベラ様のためにあるような貝だろ？

それはその時の貝じゃないよ。あれをもらった妖精は死んでも離さないってさ。ははは、じゃあね』

最後の方は笑いながらだった。

「ワイアット……」

もう一人の伝令神の声である。

「これ、何のためのものなんですか？」

ライサは貝殻を二つ手にとって眺めている。

「……さあ」

「伝言にあったんじゃないんですか？」

「よくわからない伝言だった。全く何を考えているんだか……」

グレンはワイアットにあきれながらも、（ガーベラ様がこれをつけて踊った！？　まさか、そんな大胆な……本当に？）と信じられない思いでいた。

（普段のガーベラ様は絶対しそうにない、となれば、もう一人のガーベラ様か？　勧められて無邪気に胸につけて踊ったのかもしれない）

ライサは目の前に貝殻を二つ並べて「大きな貝ですねえ」と言っていた。

「なんでヒモでつながってるんでしょう？」

「さー……」

（あのマリナール様の前でそんな姿で踊るとは、ガーベラ様、あなたはやはりすごい。その時のマリナール様の顔が見たかったな……きっと面食らっていたに違いない）

貝殻を眺めながら、ついその場面を想像したグレンだった。



つづく

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