第50話

大人になったドルイドとミルキダスの姿をした男が戦った次の日の早朝、王の間にはハインリヒ、ヴィクターにイシュタールやフリット、ミカエルもやってきていた。

王の間ではミルキダスらしき男への対処を話していたが、王の間の外にはアナスターシャ達子供達がやってきていた。

「今日は朝の挨拶はいいそうです」

番兵がにこやかに子供達に告げた。

「そうなの？　んじゃいこう」

アナスターシャはナナミをつれてさっさと去って行き、ロイも去ったが、シスは王の間の扉をじっとみて、「中に結構いるね」と言っていた。

「何かあったのかな？」

とラギ。番兵は答える気はないのか笑顔だけ向けていたので、シスもラギもその場を離れた。

二人がゆりの部屋に行ってみると、ゆりの部屋にはレーヌの他にへびっちもいた。へびっちは蛇姿でゆりの横でとぐろをまいている。

「へびっち早いね」

とラギ。

「昨晩突然布団の中に入ってきたのよ。いつ城に来たのかしらね？」

ゆりが首をかしげている。

「どうかしたの？」

へびっちはどこか悲しげに見えたので、シスが聞いた。ゆりの左目が変わった。

「へびっちに何かあったっぽいんだけど、わからないのよねえ。ジュノーにまた嫌われたわけでも、侍女さんに何かあったわけでもないみたいだし、ジュノーに会ったら聞いてみてよ」

「うん」

ゆりはへびっちの背中をなでなでしていた。


さて、王の間での話し合いは終わった。ミルキダスにいる男はそんなに悪いやつではないようなので、ここは温和に話を聞いてみようということになった。

その役をかって出たのがイシュタールである。イシュタールはミルキダスの屋敷までやってきて呼び鈴を鳴らした。

他の男達ならば強引に部屋に入るところだが、イシュタールはそうはせずに、また一時間後にやってきて呼び鈴をならしていた。

イシュタールはそれを繰り返し、夕方になるとミルキダスらしき男はとうとう出てきた。

「うるさい。いい加減にしろ」

「すまない。どうしても会いたくて」

「ふん」

ミルキダスらしき男は背中を向けた。どうやら入っていいらしい、とイシュタールは中に入った。


（確かに別人だ……）

イシュタールは初めて男に会ってその様子に驚いている。こんなミルキダスの態度は、普段はみないものである。

（新鮮だ……のんきに感心してる場合じゃないが……）

ミルキダスは客間のソファに座り、そっぽを向いて足を組んでいる。イシュタールは向かいあわせになっているソファに腰を下ろした。

「なあミルキダス、これからどうする気なんだ？」

「さあ……」

「実は疑問に思っていることがあるんだが、私の蛇についてなんだが、もしかしてへびっちを邪魔に思っているからへびっちがいつかないんだろうか。どう思う？」

イシュタールは自分の悩みを聞いていたので、ミルキダスらしき男は拍子抜けした様子だった。

「あんた、俺を説得しにきたんじゃないのか」

「説得？　まあそうなんだが……ずっと疑問に思っていたんで、君ならわかるかな、と」

「…………」

少々あきれた様子の男は、イシュタールの身体を見ていた。

「嫌っちゃいないだろう。きっと、自立させたかったのさ」

「自立？　そうなのか」

「やれやれ……」

「じゃあミルキダスについていた子蛇をどう思う？」

子蛇は消えてしまったというが、文字通り消えたのか、それともどこかに隠れているのか。確かに目の前の男はそんなに悪いやつには見えない。

男は横を向いてしまった。

「嫌っちゃいないんだろう？」

「俺はずっとこのままいる気はない。実は会いたい人がいる。その人に会えたら、元に戻る」

男はイシュタールに顔を向けて言った。

「会いたい人？」

「ああ、どうしても会って話がしたい」


夕食後、ゆりはラクシュミに呼ばれて、ラクシュミが休憩に使っている部屋に行った。

部屋にはラクシュミの他にイシュタールもいる。二人とも真面目な表情だったので、ゆりはちょっとびびっていた。

気軽に酒でも飲もうという雰囲気ではないようだ。

「ど、どうしたの？」

「まあ座れ」

「はい……」

ゆりはラクシュミの横に座った。

「実はミルキダスにちょっと問題が起こった」

「……え？」

「ミルキダスの肌にいた蛇が反乱を起こして、今ミルキダスの身体を乗っ取っているんだ。彼はお前の蛇紋の蛇と会って話がしたいと言ってるんだが」

「……は？」

ゆりはぽかんと口を開けている。ゆりの左目がぱっと変わり、「どういうこと？」と聞いてラクシュミとイシュタールを見回した。

「肌の蛇が反乱を起こすって、えーそういうことがあるの？」

「いや、あまり聞いたことがないし、初めてのことだ」

「えー？　えー？」

「とりあえず、何度も説明するのも面倒なんで、中で聞いててくれ」

「えーうん……」

蛇の目のゆりが引っ込むと、黒目のゆりはがくんと口を開けた。まだ驚いたままのようである。

「ミルキダスの肌の蛇は、夢でお前の蛇紋が人になった女と会ったというんだ。だからまた会いたいと言ってる」

「はあ……ええ？　いつ？」

「ミルキダスがジュノーに言ってたそうなんだが、前に、ミルキダスが号泣したことがあっただろう？　そのきっかけが、夢でお前の蛇紋が人になった姿に会ったことじゃないかと

言ってたそうだ。ミルキダスはお前の蛇紋に会って、なにか言ったらしい。だがミルキダスはそのことを覚えていない。

それで、ミルキダスは自分の肌の蛇と話がしたくてずっと語りかけてたそうだ。それがこういうことになってしまった」

「聞いてもよくわからないんだけど、私の蛇紋の蛇が人になってたの？　どの蛇紋？」

「さあ」

「会いたいって言われても、どうやって会わせてあげたらいいの？」

「さあ、どうやったらいいかな？」

ラクシュミも首をかしげている。

「とりあえず、今までの蛇紋の誰かでもいいから出てこれないだろうかなあ」

「そんな適当な……そういえば、前に双子蛇とは夢で会ったような気がするけど……私の蛇紋が人になってたって、どういう姿だったんだろう？」

ゆりにはさっぱりわからなかった。

「とりあえず、ミルキダスに会いたいんだけど」

「今からイシュタールにつれて行ってもらってくれ。くれぐれも、興奮しすぎないようにな」

「うん」

ゆりはどきどきしながらイシュタールと共に移動した。ついた場所はミルキダスの屋敷である。

今度は一度目の呼び鈴でミルキダスらしき男は出てきた。

男はゆりの姿をみると、ちょっと動揺したように目をうろつかせていた。

「ミルキダス？」

「は、入ってください」

「うん」

ゆりとイシュタールはミルキダスの屋敷の中に入り、客間に通された。ゆりは観察するようにミルキダスを見ている。

「ミルキダス、いろいろ聞いたんだけど、本当なの？」

「俺は、俺はただあの人に会いたい。それだけなんだ。頼む、彼女に会わせてほしい」

ミルキダスらしき男は、まっすぐにゆりを見つめて言った。

「あの人？」

「夢で、彼女に出会って……どうしてもまた会いたい」

「本当に私の蛇紋だったの？」

「そうだよ」

「どの蛇紋？」

「双子蛇の一人だった」

「あの双子の一人が？」

「そう」

「どうやって会わせてあげたらいいの？」

「表に出してほしい」

「表に」

「それで会いたい」

「はあ……うん、わかった。ちょっと帰ってからその、いろいろ考えてみる。それで彼女を出せるように努力してみる」

「お願い」

「ちょっと時間をちょうだいね」

長いこと話すと彼を責めてしまいそうだったので、ゆりは早々にイシュタールと共に屋敷をあとにした。

なんとも奇妙な話で、どうすれば彼の望みがかなうのか、ゆりには全くわからない。その上、確かにミルキダスが別人のようだったので、ゆりはショックを受けていた。


城についたゆりは、ハザークの元に飛ばしてもらった。

「ハザーク様、話を聞いてください。ミルキダスが大変なことになってるんですよ。肌の蛇に身体を乗っ取られてるとかなんとか」

「ああ、王に聞いた。ここにつれてこいと言ったんだが」

ハザークは長椅子に寝そべったまま答えた。

「連れてきたらどうにかなります？」

「さあ、ただ会ってみたかった」

「そういうことって今までありました？」

「一時的に様子が変わったという話なら昔は良く聞いたぞ。ずっと乗っ取られたままとなるとまれだが、お前だって時々そうなってるはずだ」

ハザークはイシュタールに言った。

「え？　私ですか？」

イシュタールは目をぱちくりさせている。

「赤い月には変化するだろう？　変化というのは、一族の力が最も高まっている時だからな。人格が変わる者なんかは、肌の蛇の意識が入っているのかもな」

「ああ、なるほど」

「今は一族の力も薄れて昔ほどじゃないだろうが、その赤い蛇の男のようにすっかり変わるというのは確かに珍しい。しかも、子蛇も消えてしまったというし」

「え？」

「あ、そのことはまだ王妃には言ってませんで……」

イシュタールが困ったように言った。

「子蛇が消えたってどういうこと？」

「今ミルキダスの肌には蛇はいないようなんですよ」

「えええええー！」

「だが、男は生きているし、蛇は隠れてるだけかもな」

「子蛇が……もしかしてへびっちのショックの原因はそれかしら？」

「きっとそうです」

とイシュタール。

「へびっちもそりゃショックよね……兄弟が消えちゃったなんて……」

ゆりは他人事のように言ったが、考えてみれば、消えた子蛇は自分の子供のような存在でもある。

「私も悲しい……」

ゆりはうなだれてしまった。

「それで、男の目的は分かったのか？」

ハザークが聞いた。

「私の蛇紋に会いたいっていうんですよ。夢で出会って、どうしてももう一度会いたいと」

「出せるのか？」

「出せませんよ」

「がんばれば出るんじゃないか？」

「えーどうやってがんばるんですか？」

「うーん、蛇出しの儀式でもしてみたらどうだ？　蛇紋が出るかも」

「今はとうていそんな気になれないんですが……」

ゆりは情けない声を出していた。

「あれから興奮して彼女達が出たことないですし……」

「王妃ならできる」

ハザークは断言した。

「……夢で出会った彼女は、何をしにミルキダスのところに行ったのかしらねえ。もう一人は一緒じゃなかったのかしら？　そもそも本当に蛇紋が人になってたのかもわからないし……

なんか頭が痛くなってきた」

なんとかして元のミルキダスに戻って欲しいところだが。

ゆりはイシュタールに部屋まで飛ばしてもらった。すると自分の部屋にラギがいたのでゆりはどきりとした。

「お母さん達、どこに行ってたの？」

「え？　ちょっとね、イシュタールとデートしてたの」

ゆりは笑ってごまかした。

「へびっちの様子がまだおかしいみたい。ジュノーにもわからないってさ」

「そ、そう……」

ラギは部屋を出て行き、ゆりはほっと胸をなでおろした。

「ラギ様には言わない方がいいですかねえ」

「言わない方がいいでしょう。ミルキダスのことになるとうるさいんだから。とりあえず、私も夢で自分の蛇紋に会いたい。前に会えたから、それくらいなら

できそう。会ってできるものなら話をしてみたい」

「王妃、気をつけてくださいね」

「うん」

まさか自分もミルキダスのように身体を乗っ取られたりはしないとは思うが、ないともいえない。

「蛇紋の蛇ねえ……ミルキダスとどんなやりとりをしたんだろう？　さっぱりわからない」

ゆりはソファにどかっとおしりを下ろして、「はー」と長いため息をついたのだった。


つづく


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