第５８話
神の国から力の神が消えて、神々は覇気がない日々を過ごしている。
長い年月を生きている神々にとっては、バリアスは生まれたばかりといっていいほどだった。まさかこんなにも早くいなくなってしまうとは、だれも想像していなかったことである。
しかも神は死ぬことはない、とだれもが思っていた。子供である神は親の力を増すものであるが、バリアスは親の力の礎になってしまったのだ。
ハロルドは子供の命と引き換えに神器を欲したわけではなかった。引き換えだと分っていたのなら、望みはしなかっただろう。
「兄貴、落ち込んだままでいたってバリアスは喜ばないぜ。できた息子じゃないかよ。ほめてやってくれよ」
塞ぎ込んだままのハロルドをみかねて、ライオネルがやってきていた。
「これじゃバリアスだってかわいそうじゃないかよ」
「…………」
ハロルドは何も言い返す気がないのか、うなだれたままだった。
（やれやれだぜ……まあ兄貴の気持ちもわかるけどな……俺だって、あのガキがこの世からいないってのが信じられないくらいだ）
ライオネルは神殿の奥に向かった。仕舞い込まれた神器と鎧を見に行ったのである。
そこには先客がいた。キュリアにジェイク、そして妖精が一人、名前をナーティーという。ガーベラの儀式の後にヒルデリアが生んだ妖精であるが、ずいぶん前にいなくなって、
再び生まれてきた珍しい妖精である。肩までの金髪で、まだ子供だが、もう少しで大人になるという大きな子供である、大きな青い目のかわいらしい妖精である。
「ナーティーもきてたのか」
「こんにちは、鎧を見たくてきたんです」
「雲の上はまだ葬式みたいになってるだろ？」
「仕方ありません。みんなバリアス様が大好きでしたから……」
ナーティーは瞳をふせた。
「何も、生まれたばかりのバリアスが犠牲にならなくてもよかったのになあ。僕じゃだめだったのかなあ」
ジェイクはぼそりと言っていた。
「どっちがいなくなったって悲しいわよ」
とキュリア。
「私は、バリアス様の運命は終わってないと思いますよ。きっと私のように、またこの神の国に現れてくれると信じます」
ナーティーが言った。
「だといいな」
とライオネル。
「そうよね。ナーティーだって再び生まれたんだから、バリアス、帰ってきてね」
キュリアは鎧をなでなでしていた。
「待ってるよ」
ジェイクも鎧に向かって言っていた。
銀色に輝く鎧は何も答えない。ただ淡い光を放ち続けている。
人間界、蛇の国では酒祭りがある秋の賑わいは過ぎて、梅雨と冬の準備に入っている。
「新酒もいいけど、ジンラ様のお酒がまた飲みたいなあ」
子供達はことあるごとにゆりに言っていた。
「またジンラ様のお酒がのみたい。のみたい」
ゆりは聞こえないふりをしている。
「うちのお酒で満足できなくなるから、二度と飲まない方がいいんじゃない？」
蛇の目のゆりはこんなことを言っていた。
「冷たい」
「うちのお酒で満足しなさい」
「イシュタールに頼んでもってきてもらったら？」
アナスターシャはこんな悪知恵を働かせていた。
「だめよ。余計なこといわないの」
「はーい」
「イシュタールは赤い姿がもうなじんじゃったね。昔の姿を忘れかけてるよ」
ラギが言った。
「そうだね。赤い姿の方がもうなれちゃったね」
とシス。
「ところで、卵、まだ生れないね。時間かかりすぎじゃない？」
ナナミが言った。卵とは、ハザークの侍女が生んだ卵である。
「そうね。卵が生まれてから結構経ったような気がするわね」
ゆりも同意した。
「もうじきじゃない？」
「もうじきよ。私やっぱり両方白にかけ直す」
アナスターシャが言っている。
「また賭けの対象にして……」
とゆりはあきれていた。
「白か緑か、まだらか。楽しみー」
「生まれたらミーがもらうもんね」
ミシェイラは肌に入ることをまだ期待していた。
その夜、眠りについたゆりは、夢の中でガーベラに出会った。ガーベラはなんだか様子がおかしかった。
笑みもなく、泣きはらしたような目をしていた。
「「どうしたの？」」
二人いたゆりが聞いた。
「実は……」
ガーベラはバリアスのことを二人のゆりに話した。ハロルドが落ち込んでどうしようもないことも。
バリアスがいなくなってしまったと聞いて、どちらのゆりもショックのあまり口を開けていた。
「ハロルドがかわいそうでならないの。でもどう言って慰めていいかもわからない。あなたたちなら、どうする？」
「…………」
話の内容がすごすぎて、二人のゆりはまったく考えることができなかった。
「あの、とりあえず、ガーベラになってもいい？」
黒目のゆりが聞いた。
「いいわよ」
二人のゆりは、神の国へと行った。
ゆりはガーベラのベッドで横たわっていた。
「情報がもっとほしいわ。とりあえず、クーリーフンは近くにいるかしら」
ベッドから起き上がったゆりは、寝室を出て行き、広間でクーリーフンを発見していた。
「やあ、きたの？」
「クーリーフン、なんか翼が乱れてるわよ？」
ゆりが言った。クーリーフンの様子がおかしい。いつも綺麗にそろっている羽があっちゃこっちゃむいている。
「君はまだ知らないんだっけ。バリアスが大変なことになっちゃってさあ」
「ガーベラに聞いたわ。でもまだ信じられない。だって、神様は死なないって法則があったじゃない」
「そうだったんだけどね。僕も思いのほかショックみたいで、なんだか飛ぶ元気もない。ハロルドには会わない方がいいよ。すさんでるから」
「バリアスはどっかにひそんでるってことはないの？ いたずらして、隠れてるとか」
「アシュラン様ならわかるよ。どこにもいないよ。ハロルドも、一時あちこち探してた」
「そうなの？ うーん、ちょっとカサンドラに会ってくるわ」
ゆりはサントスの元に移動した。
ゆりにはどうしても、あの小さいバリアスがいなくなったということが信じられなかった。どこかにいるのではないか、と思えてならないのである。
カサンドラの神殿にサントスはいた。サントスはゆりをみるとほっとした表情を浮かべた。
「ガーベラ、外に出ることができたんですね」
「うん、カサンドラと話したくて」
「呼んできますね」
サントスはすぐに部屋を出て行き、カサンドラを連れてきた。
「ガーベラ、少しは立ち直ったようだな。よかった」
「どうしても聞きたいことがあってきたの。バリアスのことなんだけど、あんな小さな子供が、何かの犠牲になっていなくなるなんて信じられなくて……」
「そうよのう。私もまさかと思ったが」
サントスはいこうとしていたが、ゆりがいていい仕草をしたので椅子に座っていた。
「たとえば、ジェイクくらいの子供なら、自分が犠牲になってもいいとか思えるとは思うんですけど、バリアスはまだそこまでの考えはないと思うんですよ。消える気はなかったんじゃ
ないかと思って……」
ゆりはつい素の自分になってカサンドラに話していた。
バリアスといえば、ゆりの子供でいえば、ミシェイラよりも精神年齢は低いはずである。いくら神といっても、父親のために犠牲になると決心するとはとても思えなかった。
「バリアスは、ジェイク達に別れの言葉を言って消えたらしい」
カサンドラが言った。
「もう会えないって？」
「バイバイって言ったらしいですよ」
サントスが言った。
「バイバイ？ それって今生の別れの言葉でもないわよね。もしかしたら、ちょっとの間だけ離れるつもりでいったのかも？」
「そうかもしれないが、現にバリアスはいなくなってしまったしのう……」
「本当にいなくなってしまったんでしょうか。私には、どうしてもそうとは思えない。だって神なんですよ。ハロルドの神器を作るのがバリアスの運命だったとしてもそのためだけに
生まれて来たなんて悲しすぎます。何かのきっかけでまた出てくることもあるじゃないですか」
「まあ、世の中何が起るかなど、私にもわからない。確かにそういうこともあるかもしれない。妖精が転生した事例だってあるしな。バリアスだって、そうなる可能性だってある」
「転生、なるほど、ちょっとハロルドの所に行ってきますね」
ゆりは立ち上がって移動した。
カサンドラは少し首をかしげていた。
「ガーベラが元気になってよかった」
サントスはそのことにほっとしている。
「昨日はずいぶん落ち込んだままだったが、まるで……」
「はい？」
「いや、なんでもない」
カサンドラはその先は言わなかった。
ゆりはハロルドの神殿の前についたのだが、神殿の外の草木は枯れていた。ハロルドはかなりわかりやすく落ち込んでいるようだ。
神殿の外にキュリアがいた。キュリアはしゃがみこんで何かしている。
「母様」
キュリアがゆりに気づいた。
「何をしてるの？」
「お花を植えたんだけど、すぐ枯れちゃって……」
土の上には茶色い植物が見えた。
「今はまだ無理かも。ねえ、ハロルドの鎧がみたいんだけど、案内してくれる？」
「はい」
ゆりはキュリアと一緒に神殿の奥の部屋に移動した。
銀色に輝く鎧の胸元にあるハンマーを見て、ゆりはようやく涙を流した。
「バリアス、すごいよ。がんばったね……」
ゆりは涙をぬぐった。
「さて、気合いをいれてハロルドにも会ってこないと。ハロルドはどこにいるの？」
ゆりはハロルドの寝室に案内された。ハロルドはベッドに横になり、向こうを向いている。
「昼間から何してるの？」
ゆりが声をかけると、ハロルドが顔を向けた。ちょっとやつれた顔つきである。
「ちょっといろいろあって落ち込んでるんだ。ほっといてくれ」
ハロルドは顔を背けていた。バリアスのことはゆりに伝えないでおこうと思ったのかもしれない。
「バリアスのことは聞いたわよ」
ゆりが言うと、ハロルドは驚いた顔を向けた。
「そうか……」
「バリアスはいなくなる気なんかなかったんじゃないかしら。力を使い過ぎちゃったんだと思うけど、また出てくるような気がしてならないのよ」
「はあ」
ハロルドは気が抜けた返事をした。
「ってわけで、今から仲良くしましょう」
「はあ？」
ハロルドは先ほどよりも大きな声を出していた。
「私は全くそんな気ない。欲求不満ならラーズのところにでも行ってくれ」
ハロルドはつれなく言った。
「ラーズとしたんじゃバリアスが生まれないでしょ。バリアスは私とあなたの子供なんだからあなたとしないと」
ハロルドは起き上がり、かなり呆れた顔を向けていた。
「あのな、今は全くそんな気になれないっていってるだろ。お前は頭がおかしいんじゃないのか？ またバリアスが生まれるわけない」
「なんでそう言い切るのよ。まだガーベラとしてないんでしょ？」
「してないが……」
「私だって人間の子供が死んだんならこんなこと考えないわよ。神様なんだからなんでもありなの！」
ゆりは大真面目だった。
「…………」
ハロルドは口を開けていた。
「落ち込むのは後でもいいでしょ。何でもためしてみましょうよ」
ゆりは服を脱いでいる。ハロルドはぽかんとした顔でそれを見ていた。
「お前は一体なんなんだ？ ガーベラだって相当落ち込んでたぞ？」
「私だって悲しいわよ。だからまたバリアスに会いたいと思ってがんばろうとしてるんじゃない」
真っ裸になったゆりはベッドにあがっていたので、ハロルドの方がたじろいでいる。
「今は全くそんな気になれない」
「服を脱いで」
「そんな気ないって言ってるだろ」
「何もしなきゃ何も起らないわよ！」
ハロルドはゆりの気迫に押され気味だった。ゆりはハロルドの服を強引に脱がしている。
「おい……」
ハロルドはされるがまま裸にされて、下半身に触られていた。
（子供が死んだのにこんなことをするなんておかしい）
ハロルドはそういう思いが抜けなかったのか、しばらくまったく興奮できず、ゆりは女神の力を発動させて、ようやくハロルドはちょっと興奮してきた。
ゆりは自ら自分の中へとハロルドの身体を収めて、二人は交わった。ゆりはハロルドの上に乗ったまま腰を動かし、ハロルドは早めに達した。
ゆりが期待した奇跡は全く起きない。
「ほらな、そう簡単にはならない」
ハロルドはやっぱりな、という顔つきだった。
「これじゃだめだわ。やっぱり二人の神気がくるくるしないと……ハロルド、もっと心を込めて抱いてくれないと……」
ゆりは恨めしげにハロルドを見下ろしている。
「あのな、そんな気はないといってるだろ」
「ちゃんと愛し合わないとバリアスはでてこないわよ？」
「愛し合っても出てこなかったらどうするんだ」
「出てくるって信じるのよ」
「むちゃくちゃだ……」
完全にゆりの気迫に押されて、ハロルドも、（もしかしたらそういうこともあるかもしれない）などと思い始めていた。
ゆりはハロルドに口づけて、ハロルドもようやくそういう気になり、二人は交わった。
ゆりは神気がくるくるする感覚をちょっと感じたが、何も起きなかった。
「やっぱり無理だ」
とハロルド。
「もう一回しましょ」
ゆりは事もなげに言っていた。
「あきらめが悪いな！」
「まだ２回しかしてないじゃない。千回してだめなら諦める」
「せ、千！？」
「もっと早く出てくるって」
「本当はしたいだけじゃないだろうな」
ハロルドはやはりそっちを疑っていた。
「それなら他にいくわよ。バリアスのことを思って気合いを込めて抱いて」
ゆりは鬼気迫る表情である。
「はあ……（もうやけくそだ……）」
ハロルドはかなりやけくそ気分になり、ゆりの上に覆い被さった。
（バリアス、出てきてー！）
（バリアス……姿を見せてくれ！ 頼む！ 戻ってきてくれ！）
ようやく二人の気持ちが一つになっていた。
二人の神気がくるくる交わって昇っていく。
ゆりは神気が何かの形になるのを見た。
「トンカチきたー！」
「え？ 」
ハロルドが顔をねじって上を見た。宙に金色のハンマーが浮かんでいる。
ハンマーは一人の子供になって、ぽてんと落ちてきた。
「バリアス！」
「バリアス！」
ハロルドは泣きながら身体を起こしてバリアスを抱っこしていた。バリアスはきょとんとした顔でハロルドに抱かれていた。
「突然いなくなって驚いたじゃないか」
「いなくなってないよ」
バリアスが言った。
「いなくなっただろ？」
「よろいにいた。力が戻るのまってた」
「え？」
「パパとじこめた。ひどい」
「ええ！？」
「ママ、まだはやいよ。ぼく力ない」
バリアスはゆりを見て言っていた。確かにバリアスの神気は薄かった。
「まあいいじゃない。あなたが恋しくて仕方なかったんだから。ハロルドの側にいてあげてちょうだいよ」
ゆりはハロルドからバリアスを受け取って抱きしめて、バリアスの頬にちゅっとキスしていた。
「キュリアやジェイクに顔を見せに行きましょう。喜ぶよ」
ゆりは服を着て、バリアスを抱っこして外に連れて行った。
ハロルドはベッドに座ったまま、「なんてむちゃくちゃな展開だ……」と呆れながらも、ほっとする気持ちが大きかった。
まさか、本当にバリアスが生まれるとは。
「本当に、むちゃくちゃな女だ」
ハロルドはしみじみと言いながら、バリアスに再び会えたうれしさに涙が堪えきれなかった。
バリアスを見たキュリアは大喜びし、ジェイクを呼びに行った。
二人はバリアスを雲の上につれて行こうと言っていたので、ゆりもついて行った。
雲の上の神殿に行くと、ヒルデリアは大泣きし、アシュランも喜んでいた。
「バリアスは一体どこにいたんだ？」
アシュランが聞いた。
「再び私が生んだの」
ゆりは胸を張っていた。
「ええ！？」
アシュランは驚いている。
「まさかまた生まれるとは……ガーベラ、よくそういう気になったな」
アシュランはそっちを気にしていた。
「違うわよ。私は絶対にバリアスを生むっていう決死の覚悟でしたの」
ゆりは欲望のためではないと主張していた。
「そうか」
ゆりはアシュランに指を二本立てていた。
「なんだ？」
「二個ですよ。二個。せっかくなんで大盤振る舞いで５個くらいください」
「あああれか」
アシュランは何のことか理解したようだ。
「あれですよ」
「そのためにがんばったわけでもないんだろ？」
「まさか」
「何のこと？」
キュリアが聞いてきた。
「こっちのことよ」
広間にディアメラとライオネルがやってきた。バリアスのことが広まったようだ。
「バリアス！ 帰ってきたのね！」
「バリアス！」
二人に気づいたバリアスは、ヒルデリアの腕から下りて駆け寄っていき、ライオネルに抱きついていた。
「ライ、あそぼ」
「おお、遊んでやるぜ」
獣姿のライオネルはバリアスを抱き上げて、ひげでバリアスの頬をすりすりしている。バリアスはむずがゆそうな顔つきだった。
「バリアス、私も心配してたのよ！」
ディアメラは不服そうである。
「一緒に遊んでやろうか？」
ライオネルがいい、ディアメラは「結構よ」とそっぽを向いていた。
地上では落ち着いたハロルドが神殿の奥の鎧を見に行ってみると、鎧からハンマーの紋章が消えていた。
「本当にここにいたのか？ 悪いことをしたなあ……」
ハロルドはさっそく神器の剣と鎧を広間の方に移動させた。
バリアスが戻ってきて、神の国は喜びモードだった。クーリーフンも久々に笑顔を見せていた。
ゆりが抜けた後、ガーベラは話を聞いて、大喜びのあまり号泣していた。
ガーベラは、「バリアスをまた生むなんて発想は私にはなかったわ。確かに最近彼女の方が愛欲の女神っぽいわ」などとゆりに感心していた。
人間界で目覚めたゆりは、さっそく石の箱を見に行った。
（あの状態のハロルドとよくしたもんだ……本当にバリアスが生まれたからよかったけど……私って強気になるとほんと怖い）と今更ながらに自分にぞっとしている。
箱を開けてみると、黄色い石が二個増えていた。
「やった、やっぱり大盤振る舞いはなしかあ……まあいいか」
二個目の石は一つ目よりも大きかった。石を取り出してみると、石がぱかっと割れてゆりはびびった。
「おおっ！？」
中から小さめの黄色い石が出てきて次のマスに入った。割れた石は元に戻っている。
「……小細工が好きですね」
ゆりは最高神の趣味に呆れながらも、（アシュラン様も相当喜んでるんだろうな、ガーベラも、今頃は喜びまくってるよね……）
神の国でバリアスを抱っこしているガーベラを想像して、うれしい気分になったのだった。
つづく
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